目次
(1)転生輪廻の法則の説明不足
(4)神の本義の説明が不完全
3.質疑応答
4.余 聞
(1)イエス誕生の真実
3.質疑応答
善川 私の考えますに、キリスト教には「懺悔思想」というものがあること、これは非常によい考え方だと思いますが、しかし、その裏には人間を″罪の子″として規定しております。これは一つの問題点ではなかろうかと思うのであります。これはあなたのお考えではなく、恐らく後世の神学者たちが考え出した、キリスト教の基本的な一つの柱ではなかろうかと思うのでありますが。
イエス そうでもありません。私もやはりそういったことを説きました。それは残念ですが、先ほども言いましたが、少なくとも私が理解しているところまでは、人びとは従いて来ないために、便法として低い段階の悟りであっても、説かざるを得ないということがあったということです。罪の思想がなぜあるか、当時の社会が非常に乱れておったということです。
魔が跳梁し、悪魔の頭たちが徘徊し、殺戮はするわ、強盗はするわ、あるいは婦女子は暴行されるわ、風紀は乱れ、さまざまの悪がはびこっていたわけです。こういうことを正すための、禅でいうならば一転語ですね、″活″として人間罪の子、ということを言ったわけです。これは一転語なのです。真実ではありません。真実人間が罪の子ではありませんが、そうしたことを教えることによって、彼らを反省に導く必要があったのです。
では、当時のそういった世相の中に、人間は神の子であって、実相は完全円満であるといったことを、もし私が説いたとすると、ではその神の子がこうやって人を殺しているのか、これだけの悪政を布いているのか、これだけさまざまな罪悪がはびこっているのは、これは神の子の仕業なのか、そういったことになるのですね。ですから人間神の子であって、完全円満であるということを説く前の段階においては、こういった第一段階の否定が必要なのです。
人間は神の子であるという前に、人間は罪の子であると、いったん否定するわけです。人間は罪の子であると、更にこれが否定されてやはり人間は神の子であるということになるわけですね。本来は神の子であるということを悟らせるために、ひとまずその罪の子であるという意識に醒めさせる必要があったのです。ですから今、その罪の子の思想は人びとに害毒を流している面がありますが、当時の世相を見て人びとを善導するためには、あなた方は決して正しくないのですよ、あなた方は自分が正しいと思ってやっているかも知れないけれど、そういうあなた方も間違っていて不浄なんですよ。これは釈迦の説かれた教えの中では、初期の不浄観ですね。不浄、人間は穢(けが)れたものである、肉体は罪、穢れである。こういった、いやらしいものから逃げ出さなければいけない、こんな苦しみの世界に生きていることは、辛いことだ。″極楽往生″することがいいのだと、こういったことを釈迦は初期に説いております。
そういう不浄観ですね、″無常観″でも結構です。厭世観ですね―こういったものに当たるものとしての″罪の子″の思想があるのですが、これは更に発展させ、昇華させる必要が本来あったのですが、私としては、そこまで説き得なかったし、私の弟子達にそこまで説くだけの力がある人がいなかったのです。ですから罪の子の思想というものは、後世の人が説いたわけではなくて、私も現に説いております。それは間違いではなくて、ある段階までの教えだということです。優れた人たちまでを罪の子としてしまう意味はないのです。
後世になって反省した方がたは、例えば教会の方がた、その他有徳の人達が、自分は罪の子だとして自分を苛めているのです。こんなことは正しいことではないのです。そういうとを私は言いたくなかった。人びとに反省をさせるための一転語、活、として、罪の子の思想を打ち出したのです。これは当時画期的な事件であったのです。
善川 そういう事情でありましたか。しかし、現在においてもなおこの点はそのまま、人間は罪の子、であるということ。神の子でもあるが、神の子というのも、イエス様を信ずることにおいて神の子とされる。イエス様を通し神の子にされるのであると―まあそれはいいのですが、本来人間は罪の子であると、罪を背負って生きているのだと、未だに連綿と続いているのでありますが―。
イエス それは仏教においても″業″の思想というものがありますから、それは一緒ですね。一種の真理ではあります。人間が完全無垢な存在ではないことはご存知のはずで、ですからこそ、転生輪廻という修行の揚が与えられているのですね。ですから罪という言葉にとらわれてはいけないのですね。罪に囚われてもいけないけれども、罪という言葉にとらわれてもいけない。人間には″業″があるといってもいい、あるいは、何らかの作用をしたから、反作用があるという言葉でもいいのです。
ですから、人間が生きていくうちには、さまざまな作用を及ぼしているわけですから、世界に対し、人びとに対し、その反作用があるということですね。正しいことをしたら正しいことが返ってくるし、愛を人びとに蒔けば、愛が返ってくる。人びとに対してつらく当たり、人びとを苦しめると、苦しみが返ってくる。こうした世界になっていますね。ですから、その罪の思想、罪の子という思想は、その世界の反面を捉えたものです。人間は罪の子であると同時に愛の子であり、神の子であるのですね。罪の子の面はどうしても匿しがたい影の面でありますが、これは現にあります。けれども愛の子でもあるのですね。罪を行えば苦しみが来ます。しかし愛の行為を行えば愛が返ってきます。それは神の子としての褒賞であります。そういった面があります。片面だけを捉えたものであります。けれども、仏教の中にも同じような思想が流れているはずであります。
善川 ありがとうございました。それでわかりました。次にこれは聖書の四福音書の中に、すべて書かれている事柄でありますが、あなたは当時、非常な霊能力者で、数かずの奇蹟を行っておられますが、特にガリラヤ地方の山上で説法された時に、集まった群衆、約五千人に対し、夕餉(げ)のパンを全員に分け与えられたという奇蹟、これは事実なのでしょうか。
イエス 歴史上の事実であります。事実として五千人の人にパンを与えることができました―。こういったことは余り望ましいことではないし、必ずしも正法には必要ないことですけれども、たとえば、あなた方のように学問が進み、文明が進んでいる人びとにとっては、「理」をもって正法を説くことができるのですが、当時の非常に学問のない無明の人びとにとっては、奇蹟というものを通さずしては、神を信ずることはできなかったのです。
ですから私は病人を癒しました。盲目の人を目明きにしました。躄(いざり)も立って歩ませました。しかし、そうしたことだけではまだまだ足りない。さまざまな奇蹟を起こしました。パンを五千人に裂いて与えました。こういったことは、本来は正法の正道ではないのですが、人びとを信じさせなければいけない、意識のレペルの低い段階においては必要だし、また可能だったということです。
それはそうでしょう。現代でも、物理霊媒による物品の引き寄せということはご承知のはずです。これは全然別の場所、違うところから真珠を取り寄せたり、いろんなものを取り寄せることができるのです。それが現にできるのであれば、パンをここに引き寄せることぐらい簡単にできるのです。その程度の力は、遥かに私たちよりも下のレペルの「諸天善神」でさえできるのです。
ですからわれわれがやろうと思えばもちろんできるし、モーゼにしてもさまざまな奇蹟を起こしました。それは奇蹟が必要な時代であったからです。人びとが″験(しるし)″を、″証(あかし)″を求めている時代であったから、そういったことをしなければならなかったのです。けれども、そうしたことをしたために、かえって私の神格化が進み、正法の知的な理解を妨げる面も大きいのです。
私を、たとえば神の一人子として、特別な人間として崇拝してしまう。そうではないのであって、誰もが本来の心性においては、神と変わらないのであります。すべての人間が、本来、神の心を持っているのです。
だから、特殊な人間ができることではなくて、すべての人間には私と同じような心があります。ただ、磨き方が多少違うかも知れません。しかし一緒なのです。そういう平等観というものがあります。すべての人間は神と同じような珠として輝くことができるにもかかわらず、珠の表面が曇っているために光を発していないだけです。
ただ私も同じ珠なのですが、私は心してよく磨いているために、光が強くなっているけれども、他の一般の人は、同じ珠なんだけれども、余り光っていないだけのことです。磨けば光るのです。そういったことですね。それだけの知識も能力もなかったものと一緒に「法」を説かなければならなかったという状況であったわけです。残念なことではあったが、できなかったことです。
善川 時代背景というものがあったわけですね。これは、どうしようもないことだと思いますが、しかし、また後世の人からみれば、われわれが、これからやろうとしていることも、ぎこちないことになりはしまいかと思われるわけです。
イエス なるかも知れません。
善川 そういう意味で充分心してやっていかねばならぬと思います。
イエス そうですよ。あなたのひと言、ひと言、あなたは反射的に質問し、話していますが、後世の人に、その時、善川三朗の質問の内容はレペルが高いとか、低いとか言われるようになるのであって、今後そのことについて頭を悩まさなければならなくなるでしょう。ですから、あなた、いろいろ聴きたいことがあるでしょうが、千年後、二千年後の人の立場に立って、いま聴いておかねばならぬことがあれば聴かなければいけないのです。
善川 しかしながら、先ほど来の「法」の本論につきましては、これはもう万人に明らかにされても然るべきものであると思うのでありますが、私事にわたってのご指導につきましては明らかにすることはお赦しねがいたいと思います。
イエス それは結構です。私も多くは申しません。私はイエスとしての使命と、あなた方の指導霊としての使命と、両方を持っているわけでありますから、指導霊としての私が前半を語り、イエスとしての私が後半を語ったと思ってくださればよろしいのです。
善川 本日のお教えは、過般の四年近く前にお出まし下さった時にお尋ねしたことを、更に詳細、明確に、しかも「法」全体の「理(ことわり)」の中で、私どもの理解の充分いくようなご指導であったと、感謝いたしておりますが、次回ご降臨の節、ご指導願う場合には、今後の世界の大きな変動という中での「正法流布」のあるべき姿と、やがて生れる地球の新秋序に向かってのご経綸等についてのお話をうけたまわりたいと存じております。
イエス 経綸と申されましたが、すくなくとも、あなた、私の地上への「再臨」ということを考えておられると思いますが、私の再降誕ということも、あなた方の事業の出来如何によっては、また予定が変わってしまうのです。その意味において、私のためにも、あなた方に頑張ってほしいのです。あなた方の出来具合によっては、今後の計画が変わってくるのです。ですから、どうか後輩のためにも、いい教えを残しておいて下さい。
私も、肉をもって地上に生れると、ただの赤ん坊です ただの人間です。学ぶべきものがないから、あなた方の語ったことを一生懸命勉強して、人びとを教えなければならないことになりますので、その時のことを考えて、しっかり今やっておいて下さい。
善川 いや、そういうことをおっしゃられると大変恐縮してしまいます。そのことはともあれ、それに先立っての今後の私たちのご指導を、何分よろしくお願いいたします。
本日は、大変長時間にわたってのご教訓、まことにありがとうございました。
4.余 聞
(1)イエス誕生の真実
善川 これは、あなた様の私事にわたるようなことをお聴きするようなことになり、まことに恐縮ですが、かつて四年程前に、このようにお迎えいたしました時に少しおたずねしたことでありますが、イエス様ご誕生の経過については、未だ大きなベールの中に隠されておりますが、世も既に二十世紀の今日、不条理を神秘というベールで覆い通すということも如何かと思われますのでお伺いしたいと思います。
実は一昨日、このような席にマリア様がお訪ね下さったのですが、その折りにお尋ねしようかと思いましたが、これはやはり直接お伺いするのも失礼と思い、ご遠慮申し上げたのですが、お見えになられた方は、あの方は御使(みつかい)の方ではなく、本当のマリア様であったのでしょうか。
イエス 事実です。
善川 おたずねしたいのですが、マリア様があなた様のご生母となられることは、かなり前からご予定にあったことなのでしょうか。
イエス もちろんそうです。いまマリアは、大工の妻として名が残っておりますけれども、当時はいろんな宗教団体があったのです。それで私が生れる数十年から、百年くらい前、そのくらい前から、エッセネ派という―エッセネというのは、希望という意味です。期待という意味です。―エッセネ派という一つの派があったのです。今はパリサイ派とか、サドカイ派とか言われていますが、それ以外に、聖書には出てきておりませんけれど、エッセネ派という一つのグループがあったのです。これは―エッセネ(期待)という意味で、メシア降臨の期待という意味ですね。メシア降臨を期待するという派の人がいたのです。必ずメシアが出てくる。このイスラエルの地にメシアが出てくるということを期待する人達がいて、私の生れる数十年から百年も前から活動していたのです。
当時、マリアも若き日に、そのエッセネ派に属しておりまして、エッセネ派の修道女とは申しませんが、女性の会員になっていろいろと、神に仕える身であったのです。その頃、エッセネ派には何人かの女性が活躍されておられましたが、マリアはその中で一番齢が若かった一人です。その時に、エッセネ派の中にも霊的な能力を持っている方がたが、たくさんいたのですね。それで本来ならば私達の世界で計画すべきことなんですが、彼らも地上におりながら、私の生れてくる母となるべき人は、どの人に委託したらいいかということを、いろいろ計画したのです。
それで当時、私が生れる少し前ですけれど、エッセネ派の中から「救世主」誕生の母となるべき人にふさわしい人というのを、何人か選んだのです。八人ぐらいだったでしょうか。八人ぐらいの女性を選びまして、その中から「救世主」を誕生さすべき人が定まる、そういうことになっていたのです。それでマリアは八人の女性の中の一番下におりました。一番齢が若かったのです。
このエッセネ派というのは、現在の死海というところの近くにある″クムラン″、クムランという地の洞窟を中心に活躍しておったのですが、そこを寺院のような形にして住んでおったのですけれども、マリア達八人の修道女達が、毎日共同で生活しておったのですが、ある朝のことです。洞穴の中から外を見晴らせる階段があるのですが、いつもは、マリアは最後から歩いていたのですけれど、その朝に限って、マリアが最先端というか、最初に歩いていたのです。その階段を最初に歩いていた時にちょうど、朝日が昇ってきたのです。その時に羽根の生えた天使がマリアに向かって語りかけるのを見た人がいるのです。
それでそれを霊視した人が、他の人びとに話したのです。
『マリアのところに神の御侠が降りた。
救世主を宿すべき人は、彼女に違いない』
と、そういうことが伝わりまして、急遽、マリアが「救世主」を宿すべき女性として選ばれたわけであります。その後、やはりエッセネ派に関係するのですけれど、ヨセフという方がおられたわけです。
『マリアのところに神の御侠が降りた。
救世主を宿すべき人は、彼女に違いない』
と、そういうことが伝わりまして、急遽、マリアが「救世主」を宿すべき女性として選ばれたわけであります。その後、やはりエッセネ派に関係するのですけれど、ヨセフという方がおられたわけです。
この方はもう当時、三十五、六歳にもなっていたでしょうか。私の肉体の父でありますけれども、マリアは未だ二十歳になるかならないかのうら若き女性だったのですが、このヨセフがあるきっかけで婿として選ばれたのです。こうして、ヨセフとマリアは私を生むための夫婦としてエッセネ派の中から選ばれた二人だったのです。ところが、後世の人達からすればヨセフが三十六にもなっていて、当時の寿命からいえば、余りにも齢をとっていた。三十代で死ぬ人も多かったし、まあ四十か、あるいは五十で死んでいたのですね。だから三十六という齢は、今日でいえば五十か、五十四、五というところでしょう。若いマリアと結婚しても、子供など出来るわけはないというのが、当時の社会の通念だったわけです。例えば今でいえば、五十五、六の定年を迎えた方が、高校か、短大を卒業したぐらいの女性と結婚したという状況です。子供など生れるわけはないというような状況だったのです。
ですから、マリアの処女懐妊というのも、そういう背景のもとに生れたのです。そういうお年寄り、エッセネ派のお年寄りと結婚してできたということで、だから処女から生れたのに違いないと、こういった噂が広がって、″処女から降誕″ということになったのです。で、ヨセフという人は歴史の彼方に消え去ってしまったわけです。
そうではなくて、本当は正しい夫婦として生活して、私が生れているのですけれども、当時の人びとからみれば、こんな老人と結婚して生れたということから、処女から降誕ということになったのです。そうした背景があるのです。
善川 そうしますと、あなた様のご兄弟がおられたのではないですか。
イエス おりました。それは、ヨセフの子として生れたことになっております。けれども、これに対しては、いろいろ秘密があるので、すべては申しあげられないのですけれども……。
善川 やはり光の天使としてお働きになられたのですか、ご兄弟の方々は―。
イエス そうではありません。
善川 それでは普通の方として一生を送られたのですか。
イエス そうです。
善川 お父様のヨセフ様もその後、普通の方として一生を送られたのですか。
イエス とまでは言い切れません。やはりエッセネ派の一人でありました。ただ幸か不幸かわかりませんが、彼がたまたま私の父として選ばれたということです。
ということは、恐らくは、私の口から言うことではないのですが、父として選ばれた方が偉大な方であったならば、私の影が薄れてしまう、ということもあったのではないでしょうか―。
(2)ローマ・カソリック教会聖庁の存在意義
善川 お伺いしたいのですが、最近日本に再説された矢内原忠雄先生ですね。この方は以前ペテロ様としてあなた様の最も信頼されておられた方だったと思いますが、ご生前において、このペテロ様に、『我が教会は、汝ペテロ(巌)の上に建てらるべし』とおっしゃったそうで、ローマ・カソリック教会ができ、教皇庁が築かれ、以来二千年という法燈を組いで来られておりますが、これは当時からのご意志であったのですか。
イエス その問題は、なんと申しますか、そう大きな問題ではないと思います。教会を造ったということは、そう大きなことではないと思いますが、もちろんそういうものが出来てくるということは、当然予定の中に入っておりました。
善川 ローマ法王庁は今日まで、それはそれなりの意義を持ってきたと思いますが、このカソリック法王は、今後もそれだけの使命を持って続くのでしょうか。
イエス カソリック法王庁といいますが、あなた方は、仏教ですね。仏教がインドから中国へと伝わって来ましたね。それであなた方が第二集で書物を出される中に、仏教の中の宗祖、または、別の派の七祖という人が出て来ていますが、こういう方々ももちろん出てくる意義があったわけですね。法王庁の中にももちろん、歴史の中には偉い方もおられるのです。それは法燈を絶やさないためです。だからいたずらに、私は彼らの存在を否定するつもりはありませんし、意味がないとも思いません。
善川 宗教改革されたルター様も、やはりあなた様のみ旨に添って出て来られたのでしょうか。
イエス もちろんそうです。もう私の教えがかなり変わって来たから、ここらで改革をしなければいけないということから、ルターに命じて立て直しを図らせたということです。
善川 日本には、内村鑑三先生という方が出られまして″信仰のみの信仰″という純粋なキリスト教を唱えられ、「無教会派」宗団が生れましたが、その後、矢内原忠雄、塚本虎二などという先生が出られその主張を高められましたが、これも意義のある宗派であったのでしょうか。
イエス もちろんそうです。日本という国には神道があり、仏教も入って来ております。キリスト教も持ち込まねばならない。日本という国に将来こういった形の「正法」が花開くということが、当時既に予定されていましたから、その前段階として明治以来のキリスト者が出てきたのです。内村鑑三以外にも、出てきています。彼らは私の愛弟子です。その彼らが日本に出てきたのです。
善川 内村鑑三先生は、十二弟子のうちのお一人ですか。
イエス そうではありません。旧約聖書の中に出てくる方ですが、私のやはり弟手筋に当たります。
善川 いろいろと立ち入ったことまでもお伺いし、失礼なことも多々あったことと思いますが、どうかお赦し下さい。
次回ご降臨下さる節には、あなた様の将来のご経綸に沿った正法流布の実際活動についての方向、指針について、ご指教願いたいと存じます。
イエス わかりました。次の機会にはもっといろいろのことを語りたいと思いますから、それを聴けるだけのあなた方になっていて下さい。準備をしていて下さい。
大川 イエス様、それではどうもありがとうごさいました。失礼いたします―。