目次
(1989年8月27日の霊示)
1.悪霊も、もともと人間にすぎん
あー、龍馬じゃ。みなの者は、元気でやっとるか、うーん。
まあ、こんたび、なにやら知らんが悪霊(あくれい)の撃退法をつくるっていうんで、まあ毛色の変わったのも、一人ぐらいはしゃべってもいいんじゃないか、とまあ言われて、なんでわしが出てくるのかよくわがらんが、しかし出ろと言われて出ないわしでもない。
まあ、おそらくは明治維新のころに、悪霊とはさぞいっぱい闘ったじゃろうから、おまえも一発出て、一席ぶてということじゃあないかな。まあ、一説によると龍馬の話を聞くと元気が出るという意見もある。元気が出れば、悪霊がいなくなるという、そんなことをいう御仁(ごじん)もおる。まあ、ものごとは考えようじゃ。まあ、せっかく出てきたんじゃから、わしはできるだけくそまじめにやりたいと思うちょる。
えー、わしの前にミカエルじゃとか、なんじゃケイシーか、よう知らんが、そんな者が出てきて、なんじゃかんじゃと言うて帰っとったが、まあ、くそまじめなことじゃ。まあ、元気でやっとるわい。わしゃあ、だいたいそうじゃなあ、まあ悪人っちゅたって、ああ悪霊か、悪霊たってまあ人間じゃ、しょせん人間は人間じゃ。しょせん人間は人間じゃから、人間以上でもないし、人間以下でもない。わしゃそう思うとるよ。
だから、まあ明治維新のときに、維新の志士もありゃあ、幕府方もあって、まあ剣を抜いて斬りおうとったが、どっちが悪魔でどっちが天使か、そりゃあわからん。これは、死んでみにゃあわからん。おたがい自分のほうが正義だと思うとるんじゃから、まあどっちかが悪魔でどっちかが天使になるんじゃろうが、それは゛勝てば官軍゛ちゅうての、それはわからん。わしみたいに三十ちょいで殺されてしまったぶんにゃあ、自分は官軍なのやら、賊軍なんやらわからん。ついにわからん。どうなるのかわからん。まあ、そういうことはあるわ。長生きすると、ああ官軍じゃった、ちゅうことはあるかもしらん。
まあ、しかし、えー、まあ考えてみりゃあ悪霊の発生原因ちゅうのは、要するにあれじゃろ、不成仏(ふじょうぶつ)じゃということじゃろ。不成仏ということじゃあ、わしも不成仏かもわからんから、読者の諸君、よく気をつけにゃあいかんぞ。わしも悪霊かもわからん、坂本龍馬は悪霊かもわからん。なんたって三十二、三の花の盛りにぶった斬られて、なますになったんじゃから、こんなんで成仏しておる人間がおるはずもない。したがって、悪霊が冗談を言うとると思わねばならんかもしらんぞ。
まあ、わしゃあ思うんじゃが、まあ外に出た行為そのものはなあ、平和なときにはそれは善悪はようわかるだろう。しかし、動乱期というか革命、戦争のときにゃあ、何が善で、何が悪かはようわからん。それと、自分がいいと思ってやったことが、あとでほんとうに善くなったやら、悪くなったやら、それはようわからん。じゃから、まあわしは思うとるんじゃが、まあ動機がよければ、ええじゃないか。よしとしようじゃないか。幕府方であろうが、まあその反対側であろうが、動機がよけりゃあ、よしとしようじゃないか。不純な動機でなくて、ほんとうに天下国家を思ってやったものなら、まあよしとしようじゃないか。
まあ、その結果、運悪く地獄におっこちたとしてもじゃなあ、それは、そこを地獄と思うのが間違っとるんじゃ、そこは天国なんじゃ。男子の本懐を遂げて行ったんじゃから、それを地獄と思うてはならん。それは天国なんじゃ。「あんたらは、そこへ行きとうて行ったんじゃ。だから、迷うて出てくるとは何ごとか」まあ、そういうふうにして一喝してやらにゃあいかんだろう。まあ、「おまえらは選んで戦場に行ったんじゃから、そしてあの世でも、まあありがたいことに戦場でもっとがんばろうと言うのだから、それを迷うて出てくるとは問題じゃ。もっとそこでがんばれ、もっと戦うんじゃ」と、こう言っておけば、わしはいいと思うんじゃ。だから、まあ地獄に行くのは、わしはいいと思う。
ただ、迷うて出てくるのはようない。それは、執着(しゅうちゃく)じゃ。武士というのは、死ぬときはさっぱり死なにゃあいかん。もし、自分が大義名分(たいぎめいぶん)がなく、賊軍になったとしても、天国に行けると思うちょったのに、フタをあけてみりゃあ地獄じゃったということになったとしてもじゃ、その結果に対しては、自分で責任を持たねばならぬ。人のせいにしちゃあいかん。神様のせいにしてもいかん。自分が選んで来たんじゃということをよくよく心せにゃあならんだろう。
まあ、そうした天国も地獄もあるじゃろうが、えー、わしの本を読んでおる読者も、まあどっちかに行くんじゃ、結局はな。レールが二またに分かれておってのう、一つのレールではすうっと深い所に入り、もう一つのレールはルンルン気分で上の方へ、上の方へと上がっていくようになっておるんじゃ。わしらはトロッコに乗ったようなもんで、いったんレールに乗ったらもうどうしようもないんじゃ。それを止めようもない。どうしようもない。地獄行きに乗ったらそれまでじゃ。まあ、でもいつかは浮かばれることもあるじゃろうから、そう気に病まんことが大事じゃ。気に病むといかん。とにかく気に病むのがいちばんいかん。気に病むと、人間は情けないことを考える。気に病むとほかの人のせいにする。まあ、これがいちばんいかんことじゃと思う。
まあ、そういうのがわしの考えだから、まあ言ってみれば、悪霊撃退法っていうのは、まあこれは説得(せっとく)する以外ないじゃろう。悪霊が来とると思ったら、「おまえさん何の御用で来とるのか。わし呼んだ覚えはないぞ、帰れ、帰れ」まあ、これがいちばん正当じゃろう。まあ、こういう考えが正当な考えじゃと、わしは思うちょる。
まあ、ただ同じ人間をやっとった仲間じゃ。同じ人間をやっとった仲間じゃから、まあそうそう冷とうすると義理が悪い。まあ、それゆえに慰めの言葉の一つや二つもかけてやるのもいいじゃろう。
2.英雄・逆賊は地上の評価
まあ、維新の仲間でも死んだのもずいぶんおるが、あー、わしの仲間でも天国に来た者もおりゃあ、地獄へ行った者もおるようじゃ。人斬(ひとき)りの以蔵(いぞう)とかおったが、ありゃあ人斬りの専門じゃったが、とうとう行くべき所へ行ってしもうたようじゃ。なかなか上がってこれん。まあ、人を殺しゃあ一般的には地獄じゃあ。もちろん地獄に行くことになるわけだが、だからすべて地獄かと言えば、そうでもない。
たとえば、戦争のときなんかは、悪人ばかりが出てきて戦争をするわけではない。それぞれの戦(いくさ)には親分がいて指揮する人がいるわけで、それはそれなりの指揮権があると皆の者が認めておるわけだから、そこそこの立派な人間がいる。立派な人間どうしがやって、片方が敗れ、片方が勝つということはある。そんなことは、いくらでもあるわけだ。
まあ、わしらよりもずっと昔を見れば、桶挟間(おけはざま)の戦いなんていうのがあって、うーん、織田信長の急襲で、今川義元が首を斬(き)られた。あー、三万の大軍を率いて悠々(ゆうゆう)と織田を突き抜けて、横っ面(つら)はりたおして、京都へ行こうと思うちょる矢先に雨が降って、あわてて陣を整えて休んでおるところに、上から織田信長が、馬もろとも飛び降りてきて首ぶち斬りにきた。それで、今川義元は死んで、信長は英雄になって、義元はハイそれまで、で終わってしまった。まあ、じゃがその結果はどうなっとるかというと、肝心の信長先生はどうやら地獄のほうで、いまだに戦(いくさ)をやっとるらしい。
今川義元先生は、首はないのに天国へ来て、「ああ首がないということは、まことに執着がのうて、よいことじゃ。オホホホホホーッ」とやっとるようじゃ。もちろん、どれほど偉い人かは知らんがのう。まあ、それほど交渉があるわけじゃないが、天国に還ったことだけは確かのようじゃ。まあ、戦のときには、勝つ側より負ける側のほうが、潔(いさぎ)ようて神様の受けはよいとみえる。
まあ、それ以外で見ても、あの有名な明智光秀(あけちみつひで)だな、逆臣の汚名を被(かぶ)って長らく日本人のなかで尊敬されることはまったくなかったが、あれなんかもちゃんと天国へ還ってきとるから、これは不思議だ。逆賊の汚名を、一身に負(お)って、あのおかげで信長先生は天下統一が脆(もろ)くも崩れてしまったと、こう言われているわけじゃが、信長が暗いところにおって、光秀は「こりゃこりゃ」やっとるわけです。まあ、やっとるといっても、そりゃあ龍馬先生ほどは、澄みきった心ではないのは言うまでもないことじゃから、龍馬先生から見たらまだまだ修行の段階におるようじゃが、それでも天国に来ておることは来ておるようじゃ。
まあ、このようにおよそ歴史というものは、きわめてわからない。悪役をになった者が、じつは天国の味方で、英雄と言われている者がその逆じゃったというようなことは、いくらでもある。これが不思議なところだな。だから平和のときには、人は殺してはいけない。傷つけてはいけない。なんだかんだといっぱいあって、これが一般法則で、これを犯したら罪人で地獄へ堕ちるということになっているわけだが、戦乱時、そういうときになると考え方は多少変わる。
やっぱり大きな、大義というかな、大きな正義のために起こす行為というのは、やっぱりどっちが大事かということになるわけじゃ。首一つはねても、それが大きな時代の転換期になって、どうしてもやらねばならんとき、まあ、今のように投票でやっておるときは、そんなこともないじゃろうが、当時は生かしておいたらまたやられるわけじゃから、大勢を変えるためにはやむをえんこともあっただろう。そうしたときに、そういう行為をした者は、悪人かと言えば必ずしも悪人にはなってはいない。もちろん、人をあやめたことについては、こちらに還ってからも反省することにはなってはおるがのう。しかし必ずしも悪人かと言えば、そういうわけでもないようだ。
これが一つだし、まあ言ってみりゃあ、おまえたちの信じとる宗教というのは、まあ抹香(まっこう)臭くてわしは好かん。だいたい、人をあやめたらいかん、それはまあいいだろう、斬(き)られるほうはいやじゃからのう。わしもいやじゃった。人を斬っちゃいかんという法律でもあって、わしは斬られんことになっとったら、それは楽しかったとは思うが、そのときには明治時代の、そうじゃなあ、偉くなって、まあわしも総理大臣ぐらいにはなっとったじゃろう。総理大臣になって、日本の国家財政をぶっ潰(つぶ)して、そしてまた幕府が立て直したりすることがあったかもしらんが、そういうこともなく、まあ惜しまれる桜のように散ったわけじゃ。
えー、長生きして西郷隆盛どんのように、最期は賊軍にされてしもうたような人もおるしな。まあ、それは先行きは人間はどうなるかわからん。
3.大義のために生きればよいんじや
何が言いたいかというとじゃ、まあ現代ちゅのは、まあ窮屈じゃ。とにかく、戦乱の時代に生きとる人間は、大義があればね、少々のことをやってもどうということもなかったが、平和時になると、ちっちゃいことで、重箱(じゅうばこ)の隅(すみ)をつつかれる。まあ、今の日本の政治なんか見とると、政治家が、女問題があったので、辞職だなんだと一生懸命やっとるようじゃ。そして、新聞だなんだが、「当然だあーっ」ちゅうて言うとるようじゃ。
しかし、わしは思うんじゃが、それは結局そういうことで辞めさせられたりしとるというのは、その政治家たちの大義というか、正義というか、その理想というか、それがほんとうに多くの人に役に立っていないと思われているからじゃないかな。まあ、自分個人というか、「私(わたくし)」の自己実現で、大臣になりたい、総理大臣になりたいちゅうような気持ちでやっておるから、だれがおまえのために協力をするか、ぼろがあったら足を引っ張ってやろうと、こういう感じになっとるんじゃろう。
だから、やはりそうした事件そのものを反省するよりも、わしはもっと大きな考えというか、天下国家を論じる気持ちがないちゅうことのほうが、問題だと思うとる。それが大きければ、おなごの一人楽しませたぐらいで、なんでそんなこと叩(たた)かれにゃあいかんか。龍馬をみろ、龍馬を。歴史に残っておるだけで、女の話が、まあ二、三人は残っておるようじゃが、実際はどうであったかなどおまえたちぱ知らんであろう。まあ、そういうことだってあるということで、だから地獄に行っておるわけでもない。だから、光の天使でないわけでもない。
まあ、そういうことでね、物事というのは、必ず善い面も、悪い面もあるし、善も悪も含んでおるもんじゃ。それを一つだけで染め上げようとすると無理がある。世の中の人間の利害を、一つにまとめようとすると、それは無理がある。だから、わしはやっぱりトータルで人間は見にゃあいかんと思うとる。トータルで見て、まあ半分じゃなあ、半分越えたら、いいと考えにゃあいかんのじゃないかな。半分越えたらよし、まあ三分の二越えたら、上出来じゃ。百点なんかとるやつは、こんなの人間じゃない。こんなの人間とはいえん。こんなのは神様じゃ。神様は生まれてくるな、地上など。人間の仲間なんか入るから、神様なんか入ってくるからややこしくなってくる。人間は半分越えたらええんじゃ。半分をちょっとばかり越えたら。借金はいかん。借金はいかんが、ちょっとだけお釣りがくればよい。
そういう生き方で、わしゃよいんじゃと思う。だから、まあもしじゃな、地上のおまえたちは、おそらくそう思うとるんだろう。万引きをしたから、わしゃあ地獄へ堕(お)ちるとかの、大臣にはなったが、若いときに、若くもないか、歳(とし)とってから若い子に手を出したので、わしゃ地獄かもしらん、あるいは、税金をちょっとチョロまかして、逮捕されたから、わしゃ地獄かもしらん、わしゃ賄賂(わいろ)と間違われて、ワーワー言われたから、地獄かもしらんと、こう思うかもしらんが、おまえたちそんなことで、ちっちゃあなったらいかんぞ。ちっちゃい考え持っちゃあいかん。
そんな、地獄もまたええとこじゃ。もし万一行くようになっても、それはそれでええとこじゃから、「地獄温泉一度はおいで」と言うぐらいじゃ。じゃから、あまり考えすぎちゃいかん。そうじゃなくて、もっと大義じゃな、大義、大きな義のために生きるということが、わしゃあ、大事じゃないかなあと思うちょる。
4.日本の政治家と国民もいいかげんにせい
わしゃあ、日本の政治には関心を持って、今も見ちょるが、まあわしゃああんまり好かんな。好かんなというのは、政治家もまあ、いまひとつ好かんが、わしゃあ国民も好かん。こんな国民、好かん。わしゃあ好かん。大嫌いじゃ。何ちゅうか、何というか、全員が女々(めめ)しゅうなっとって、人のふところを探るような人間ばっかりになっちょる。人のふところ具合だとか、まあ財布具合というのか、財布の重さを確かめてみたり、人の下半身の具合を確かめてみたり、また、まあそれだけならまたわしはいいと思うんじゃが、それだけをほんとうに正義のつもりでやるならいいが、それをやっとって金を儲(もう)けているじゃろう。それを、金を儲けて、ワーワーワーワー言うとる。わしゃあ、嫌いじゃなあー。
そして、アレじゃろう、税金問題でも、増税じゃあ、減税じゃあ、いろいろ言うとる。増税になったら反対、そりゃあ反対だろう、一般はそうじゃ、税金が増えれば、みな一揆(いっき)じゃ。一揆が起きる、反対。じゃあ反対なら、税金を使わないほう、使わないでええんだなと言うと、これも反対じゃろう。いやあ、それは困る、わしらはもらわな困る、補助金をもらわな困る、何をもらわにゃ困る。いやあ、わしらのための福祉の予算を切られちゃ困る、あれを切られちゃ困る、これは切られちゃ困る……。同じ人間じゃろうが、同じ人間が違うことを言うとる。こんなの男らしゅうない。まあ、女であっても女らしくない。わしはようないと思う。どっちかにしろ。はっきりしなさい。
まあ、税金は取られたくないなら、我らは自分の手で自分らの生活を守る、いい国にする。だから余計な税金取るな、使わんでよろしい。こうはっきり言うべきじゃ。もし金よこせ、補助金よこせ、福祉をやれ、あれこれ、と言うなら税金を取られて文句を言うな。わしは、そう思う。それが人間としての筋じゃ、男も女も。
だから、もうぐじゃぐじゃ言うのは、もう両方いらんから国外に脱出したらいい。そしたら、国が人数が減って楽になる。小さな国家もできる。まあ、わしはそう思うね。だから、文句があるやつはもうみんな出たらいいと思う。金を持っておるのだから。海外は税金も安い、だから日本に住まんでよい。ポリネシア行け。わしはそう思うね。わしは、南の方へ行ったらいいんだと思う。東南アジアに行って住みゃあ、土地は大きい、ねえちゃんは奇麗(きれい)だ、奇麗でもないかもしらんがグラマーだ。
そして、まあ日本の円は強いんだろう。だから、わしゃあ海外へ住みゃあいいと思うよ。じゃあ、なんで住まんで日本でおる。日本でいて、ブーブー言うか。まあそこが問題があると、わしゃ思うとる。文句言うなら、行動してみせろ。わしはそう思うよ。行動してみせたらいいんじゃ。あのー大蔵省気にくわんかったら、団体つくって、むしろ旗つくって行きゃあいいじゃないか。なんで行かんのじゃあ。気にくわんかったら、高額納税者みんな集まって、むしろ旗じゃあ。「税金は嫌いじゃ」と書いて、槍(やり)の先に、竹槍じゃな、竹槍でむしろ旗つらさげて、それで行きゃあいいと思う、わしは。
いや、「どうしても要(い)ります」と言うたら、「おまえら殺せば、多少は税金は減るんか」と言って竹槍でつついてやればいいんじゃと思う。そこまでやったら、よう考えるとわしは思うんじゃ。既得権とかいうものは、ぶった斬(ぎ)らんとそれは無理じゃあ。わしはそう思うよ。だから、あの寝言(ねごと)か女の屁(へ)みたいな、いや失礼した、女の愚痴のようなことを、いつまでも言うもんじゃない。男は男らしく態度をスッパリと、わしゃ決めるべきじゃと思う。
それと気に食わんのが、まあ税金も気に食わんが、わしゃ税金逃(のが)れ一生懸命している輩(やから)も気に食わん。そういう国が気に食わんなら、正々堂々と議論すればよいと思う、わしは。それは、税金が高いと思ったら、議論すべきじゃとわしは思うよ。それを、あーだ、こーだ、アメリカの真似して、節税だなんだ一生懸命そんな節税産業流行(はや)っておるが、わしゃあそんなの許さんよ。そんなの国が弱くなるに決まっとるじゃないか、そんなことをしたら。みんながちゃんと納めるべきものを納めないで、ずるいやつが生き残って正直者が損をするような、そんな国つくっちゃあいかん。わしゃあ、そう思うよ。もうだめだ、そんな国は。今後しちゃあいかん。
5.公のために生きるやつは悪霊にならん
だから、わしゃあ、おまえらどういうのが地獄へ堕(お)ちるか、悪霊になるかを、いま教えようとしておるんじゃ。よおーく聞け、脱線しておると思うな。悪霊の撃退法をあくまでも言うとるんじゃ。あくまでも言うとるんじゃが、何と言うかなあ、公のために生きる気持ちのない人間は、けっきょく悪霊になるとわしは思うとる。そういうことだと思う。
まあ、人間、何の行動をとって、それが善と見られるか、悪と見られるか、それはようわからんが、わしの感じでは少なくとも、公を大事にする心というか、私というものを、やはり小さくして公のために尽くすという気持ちを持った人間は、地獄へは行かんというのがわしの考えじゃ。
だから、それに関しては地位は関係がない。むしろ、地位や立場が高けりゃあ高いほど、振幅激しゅうなる。偉ければぐっと偉い世界へ行くし、失敗すればぐっと深い所まで行く。それは、わしゃあ当然のことじゃと思うちょる。うーん、そうでなきゃ、やっぱおかしいじゃろ。
戦後の総理大臣見たって、まともに天国還ってきておるのなんか、ほとんどおりゃあせん。まあ、ぼちょぼちょは上がっては来とるが、地獄へ行っておる者もいっぱいおる。そりゃあ考え違いしておるのだと、わしは思う。自分は自惚(うぬぼ)れとったかもしらんが、実際やっぱり自分の私利私欲のためにやったのが多いんじゃないか、そういうふうに思う。
まあ、戦後は、自民党の独裁政権で四十年も、五十年もやっておるが、まあ、わしゃあ、やっぱおかしいとこはずいぶんあると思うちょる。まあ、派閥がどうのこうの、派閥そのものは悪いとは、それは言わん。人間じゃから、それは徒党を組むのはいつの時代も一緒じゃ。どの地域でも意見の合うのが集まるのは一緒じゃ。しかし、わしゃあ、その頭数(あたまかず)で決めるという考えは、やっぱり気にくわん。これを民主主義というのかも、わしゃあ知らんが、それでも頭数が多いのがやっぱり勝って、そして総理大臣になってどうこう言うのはおかしいと思うし、ボスがその派閥の議員連中に金(かね)配らにゃいかんという習慣が当然で、そういう利益、甘い汁吸うためにそういう派閥ができて、それで政治を動かしておるちゅうのは、そしたら金集めの上手なのだけが偉くなっちょるということじゃから、こんなのは、わしゃやっぱりおかしいと思うちょる。
そうじゃあなくて、やっぱりなんちゅうか志(こころざし)、理想、まあいろいろ言い方はあるじゃろうが、やっぱり大きな大義のために言っとる人、生きとる人、これがごく自然に立てられて、わしゃあ当然じゃと思う。そういう人が立っていかにゃあいかんというふうに思うちょる。
まあ、自民党は長くはないじゃろうが、しかし、それに代わる野党も、そう長くはないじゃろう。おそらく政治は、これから混沌(こんとん)とした状況になるじゃろうと、わしは思うとる。あっち転んだり、こっち転んだりしとるが、しかし考えてほしいことは、おまえらみんな考えにゃあいかんことだが、やっぱり天下国家を論ずる気持ちというのは、大事じゃし、そのところで公平無私の気持ちが大事だ。わしゃそう思うね。
だから、まあ企業についてもわしは言うておきたいのだが、一社だけのために、利益だけのために発展していくちゅうのは、わしゃあ問題あると思うとるよ。小さいうちはしょうがない。個人企業の場合にはしょうがない。零細企業の場合にもしょうがない。そんなときには、やっぱり自分のために、自分らの会社のためにやるのも、やむをえんじゃろう。しかし、もうちょっと大きいなったときに、社会全体や国全体に影響を与えられるようになったときに、やはりそれだけじゃあいかんわね。それだけじゃあいかんので、もっともっと大きなもののために生かさなきゃあいかん。わしは、そういうふうに思うよ。
だから、企業等はある程度以上の利益があがるようになったら、それをもっともっと、なんというかなあ、天下国家のために使っていこうという気持ちを持っていくことは、大事なことだと思う。また、わしはそれは献金だけの世界じゃないと思うとる。政治献金や宗教への献金だけのものじゃなくて、どんどんやっぱり人というものを提供していくような、そういう形に世の中に変えていかにゃあいかん、そういうふうに思うとる。
6.ゴキブリ宗教を一蹴せよ
まあ、地獄論をやっておるようなわけじゃが、この世の話をわしはしちょるんだが、わしは頭がようないので、あまり悪霊(あくれい)の発生原因じゃの撃退法はようわからんから、とにかく感じるままに言うとるんで、それでこれが地獄じゃと思うたら、これから、その地獄を無くすように、各自努力されたい。
宗教も、わしゃあ気に食わんのじゃ。日本には、何万、何十万と宗教があるらしい。それも、みんな裏にまわって、コチョコチョコチョコチョ、コチョコチョコチョコチョともう、ゴキブリみたいに陽が当たらんとこばかりを、ゴチョゴチョゴチョゴーチョ、ガシャガシャガシャガシャ動いておる。まことに気に食わない。そして、電気をつけるとサアーッと物陰に入ってコチョコチョコチョコチョコチョ……、ガシャガシャガシャガシャ……といって、ほんとうにもうその存在自体が悪いことをいかにもしちょるという感じで、もう、わしゃあ気に食わんねー。この宗教は気に食わん。
日本で十万も、二十万も、三十万も、四十万も、そんな宗教団体いらん。国民の人口よりも多いという宗教人口、聞いたこともないがそんなのは、国民が一億しかおらんのに、二億も三億も宗教人口がおるそうじゃが、まあこんなにあっちもこっちもいっぱいいらん。それもゴキブリの集団じゃ、どれもこれも。ゴキブリの集団で、数ばかりいっぱいおって、そして電気をつけるとパアーッと逃げよる。正々堂々とおれというのだ。ゴキブリでも正しいことをしていると思うなら。叩(たた)かれると思うのは、悪いことをしておると思うとるからじゃろうが。心がやましいから、叩かれると思ってコチョコチョコチョコチョコチョッと逃げおる。わしゃあ、こんなの大嫌いじゃ。
だから、これから宗教を興していく人間は、もうゴキブリどうしで戦争をせにゃあいかん。ゴキブリどうしで戦争をして、もうおかしいのはもう消滅じゃ、そんなの消さにゃあいかん。そんなの置いておくから、業界全体が悪くなるんじゃ。誤解される。堂々と表を歩けるゴキブリの群れにしなければいかん。だから、その裏のほうをゴソゴソゴソゴソするやつらは、もうわしは殲滅(せんめつ)じゃと思うとる。わしは、そうじゃと思う。そんなもんは、いらんよ。
政治家のおかしいのがいらんように、企業家のおかしいのがいらんように、ゴキブリの宗教団体は、わしゃあいらんと思う。だから、これからの宗教というのは、まあ政治も一緒だけども、どれだけ透明度があるかちゅうのが大きいと思う。ガラス張りじゃ。ガラス張りにして、恥ずかしゅうない内容にしなきゃいかん。恥ずかしゅうない内容にしなきやいかん。わしゃあ、そう思うよ。そんなコソコソすることはない、堂々と胸を張れ。堂々としたらいいよ。うーん。男ならちゃんと見せるべきもの見せて、女ならちゃんと隠すべきもの隠して、堂々とすりゃあ、わしゃあええと思う。
政治と一緒に、宗教も金じゃあ、女じゃあ、なんじゃ、よくわからんが、あーじゃこーじゃといろいろ言われておるんだろう。どうやら、今の国民というのは、みんなお金のところに怨念(おんねん)が固まっておって、税金を逃れる者、税金を取る者、それから、まあそんなもんじゃなあ、そういうところに嫉妬(しっと)が集まる。また、女が自由にできる者、そういうところに嫉妬が集まる。まあ、こういうところで世の中、変な嫉妬社会にほんとうなっとると、わしゃあ思うとる。
宗教の本義というのは、やっぱり神様に仕えることじゃろ。そして、神様の教えを、声を伝えることじゃ。そのためには、すべてを投げうってでもやらにゃあ、わしはいかんと思う。だから、細かい世論だ、なんだ、こんなのぶった斬ったらいいんだと思う。それで、マスコミだ何だ、こんなものが宗教の宣伝はしないとか、一生懸命申し合わせしてやっておるようじゃが、おー結構、それなら結構、自分らでやりましょう、と独自にどんどんどんどんやればよいと思う。わしゃーそう思うよ。わしゃーそう思う。ほんとうにそういうふうに思います。
それでねー、これからの、わしゃー国家の財政が弱っておると聞くが、これを立て直すためには、やっぱり宗教法人以外にはない。宗教法人が健全財務をしてじゃな、そして健全に、やっぱりなんというかな、財政を支えるような、そういう活動をしたらいいと思う。だから、おかしい怪しげなものは淘汰(とうた)して、消したらよろしい。そして、ほんとうに公明正大(こうめいせいだい)で、国民のためになっているところは、もちろんそれだけの減税措置(そち)はあって当然だけれども、納めるべきものはカチッと納めて、そして国の財政を支える、それがいいと思う。
だから、わしゃあこれからの宗教は、ほんとうに企業が節税対策して、税金逃(のが)れしちょるようじゃけれども、やっぱりそんなんであってはいかんのであって、堂々と世界一流の企業なみに、堂々と払うべきものは払い、ガラス張りにし、雇うべき人は雇い、保つべき空間は保ち、どんどんやっていけばよいと思う。企業だって発展できるのだから。ほんとうにいいことをやっているなら、それなりの発展はあるはずじゃ。それを信じてなぜやらんか。わしゃあ、そう思うな。
そして、それだけのことを堂々とやっておれば、政治とか経済、まあそれ以外の世界に対して、公明正大に隠すことなく言いたいことが言えると思う。それを、自分たちが、傷みがあって、隠すものがあれば、言いたいことも言えんようになる。堂々と言うべきことを言えるためには、公明正大というのが、わしはいちばんじゃと思う。だから、何事も隠し事はしては相ならん。わしは、そういうふうに思います。隠し事をする必要はない。そして、公明正大に攻めていく。これがやはり、これからの宗教人の気風(きっぷ)でなきゃいけない。わしゃあ、そう思うね。
だから、悪霊(あくれい)の供給源は、それは政治家、政治が元凶(げんきょう)で、供給する者もあるし、企業で変な金儲(かねもう)けやって供給する者もおるし、宗教で変なの迷わして供給する者もあると思う。そんな悪霊いっぱい製造しているような宗教、こんな間違った邪教団、こんなところはもう九十パーセント税金かけても、わしゃあええと思うとる。そんなの、税金逃れして、悪霊いっぱいつくっとるなんて、そんなばかなことはない。生きた人間の心を狂わせるような、そんな教えを広めて、それで税金もかからないちゅうことは、そんなのは許せんことで、こんなの罰金かければよい。わしゃあ、そう思うとるよ。うん、おかしい。
やっぱり、それを学んで世の中よくなっていかにゃあいかん。悪霊を出すような宗教はだめです。私はそう思います。そうしなきや、世の中よくなりません。
7.悪霊を撃退したくは自分を縛り上げて、鞭(むち)で打て
えー『悪霊撃退法』の話をする予定じゃったんじゃが、政治評論みたいになってった。
まあ、これはおまえたちが怠け、さぼって、新しい坂本龍馬の霊言を録ろうとせんから、こんなことになる。読者諸君もさぼっている。「坂本龍馬の霊示が読みたい」と言えば、それなりに私は言うことはあるのに、全然そんな声が一つも出てこないから、以前にはわしの霊言は一千万部売れて当然じゃと言ったのに、そんなに買ってくれんから、わしゃあ言う場がない。それで、この場を借りて、不平・不満を言うとるが、けっしてわしは悪霊ではない。
まあ、何が言いたいかということじゃが、少なくともじゃ、世の中がやっぱりきっちりならなきゃ天国はでぎんということを、わしは言うとるんじゃ。世の中で不正や不公平、あるいはいろいろな歪(ゆが)みがあって、そんなかでブーブー言いながら、頭から排気ガス出しながら生きておって、天国行けるちゅうことはない。そういうことを言いたいんじゃ。だから、そういうことをそのままにしておくのじゃなくて、世の中をもっとよくするために、積極的に各人行動を開始せよ。わしは、そう言いたいんじゃ。
座して、不平・不満ばかり言うのは、人間ではない。これは悪霊じゃ。おまえたちで、何も行動せず、何も考えもせず、何もしないで文句ばかり言う者がいたら、おまえこそ悪霊じゃとわしは言うておく。
だから、悪霊を撃退したくば、まず自分を縛(しば)り上げて、鞭(むち)で打て。そうすれば、悪霊は撃退されることになる。そして、あの世に還って地獄に行くことになるから、そんな人間を地獄に送ると、地獄の人口が増えるから、「神様、どうか私の命を完全百パーセント消滅させてください」と祈ればよいんじゃ。わしはそう思う。
もし、自分に対してそんなことができんと言うならば、おまえたちは今日から心を改めて、一生懸命セッセセッセと働きなさい。セッセと働き、言うべきことは言い、世の中を変えていこうとしなさい。世の中を変えていこうとする気持ちのない人間は、みんな悪霊じゃ、わしから見たら悪霊じゃ。もし、世の中を変えようと一生懸命やって、地獄に堕ちたとしても、そこは地獄じゃない。天国やとわしが認めちゃる。だから、地獄のなかの一部に天国があるんじゃ。そういう地獄のように、一見、見えるような天国があるだけであって、坂本龍馬先生ご許可の天国なんじゃ。まあ、そういうふうに思え。
8.坂本龍馬教に帰依せよ
わしが、まあ、とにかく今日言いたいことは、もっと何というか公共心、あるいは公(おおやけ)の心、大義、そういうものがわしは必要じゃと思う。だから、正義のために殉(じゅん)ずる気持ちというのを大事にしてほしい。正義のために殉ずる気持ちを持っておる人間で、地獄など行くはずは断じてない。わしは、そう思う。
これを称して゛坂本龍馬教゛という。この信者はみな救われる。坂本龍馬の教えに従う者はすべて救われる。だから、わしの教えを学びなさい。わしの教えは簡単じゃ。世の中のため、天下国家のために生きることじゃ。これのために生きた人は天国に行き、天下国家のために生きなかった人は地獄へ行く。それだけのことじゃ。
だから、各人よくよく自分を反省して、天下国家のために生きておるか、それとも自分自身の個人の利欲のために生きておるか、よーく考えることじゃ。そして、前者ならば天国、後者ならば地獄、そういうことじゃ。天下国家のために何もしておらんと思うならば、今日ただいまが改心の時じゃ。坂本龍馬教に帰依(きえ)し、信奉し、そして絶対の帰依の精神でもって、その教祖を拝むことじゃ。さすれば、おまえたちにご利益(ごりやく)はおりよう。おまえたちはよく夜も眠れ、そして昼も御飯がおいしく、枕(まくら)を高くして眠れるようになるじゃろう。それが理想のユートピアとも言うべきもんじゃ。
悪霊撃退法というが、悪霊はおまえたちの心のなかにこそ、おるんじゃ。おまえたち自身が悪霊の根源じゃ。おまえたち自身が自分を変えてゆく気にならねば、世の中は変わらん。世の中は地獄となる。
よいか、このことだけを忘れんと、精進(しょうじん)しなさい。うむ。