三原麗珠は

Photo: 「この写真を撮影中の女子学生
の盛大なパンチラをしっかりチェックしつつも澄ました表情を崩さない三原麗珠」


三原麗珠について知りたければ,詩集を見てもらうのがいちばん分かりやすいだろう.そこには私のすべての活動の原型があるはずだ.

知情意では,のはたらきが強い人間だとよくいわれた.その後だいぶ勉強したので,知が上昇したかもしれない.宗教音楽など聖なるものにたいする畏れというか愛着がある.学問をするのは,エッチな気分で聖なるものにアプローチする感覚に近い.そう言うと陳腐なポルノみたいに聞こえるが,ちょっとちがう.

  • どうでもいい「記録」 その 1: Erdos 数はたかだか3.有名な数学者 Paul Erdosから論文共著者グラフをたどっていくと,Erdos, A. L. Rubin, N. Brunner, H. R. Mihara と3段階で到達するということ.これは経済学者としては快挙であり,たとえばノーベル経済学者のアロー,サイモン,デブリューと並ぶ記録ということになる.もっともこれで給与があがるわけでもない.昇級基準では,経済学のトップジャーナルより地方公共団体の懸賞のほうがえらくなっているわけだし.ん? そういう問題でもないか.

  • どうでもいい「記録」 その 2: National Institute for Science Education がはじめた科学教育サイト The Why Files は,2000年の11月の記事で他の投票理論家3人 (18世紀のコンドルセとボルダ,20世紀真ん中のアロー) とともに H. Reiju Mihara の名前を挙げ,「投票システムにかかわる理論上の問題点はアローが [不可能性定理を発表した] 当時理解していたよりもいっそう深刻なものであることを,H. Reiju Mihara などの最近の研究が証明している」と報じた (記事の最後付近).

  • どうでもいい「記録」その 3: アルゼンチンの National Academy of Moral and Political Sciences (?) の年報に掲載された論文「倫理,政策,社会秩序,経済」 (原文はスペイン語 (pdf)) のなかで,アリストテレス,アロー,ベンサム,エッジワース,ロック,ミル,ノージィック,パレート,ロールズ,セン,アダム・スミスといった倫理学上の巨人に混じって,三原が本文4箇所でちゃんと言及されていた.(これら以外の引用文献は行動経済学にかんする最新論文でほぼ占められていた.) 2010年5月にこれを発見したとき,「今後は規範的な研究に傾倒しようか」とふと思ってしまった.

引用集

  • 「私もあなたたちと同じなんですよ.純粋さを持ってるんですよ.」---「網走大学出身」と自称するボディーガード(じつはヤクザ.「きつい目してるな,こいつ」と私は思った.)
  • 「親を大切にしなきゃいけないよ.」---在日韓国人実業家
  • 「せんせ,介護保険ていいますのは決められた病院に入院しとかんと受けられんとでしゃろか.どこでも好きなとこにタダで呼べんとでしゃろか?」---コインランドリーオーナー兼管理人のおばあちゃん →三原「病院とかヘルパー業者とか競争させたほうがいからそういうわがままも認めたほうがいいんでしょうね.だけどタダにしてしまったら,一日中介護され放題ってことになるから,お金はとりますよ.もちろん介護が必要だと判定されなきゃダメですよ...だけど将来的には介護の問題はたいした問題じゃあないでしょうね.需要が増えればなにか新しい機械でも開発されて解決するんじゃないかな.」
  • 彼女いますか?」---女子学生
  • 「しかしこれ[N. Brunner との共著]もマニアックな論文だね.S さんは変わっているが,人間であることは認める.三原さんに至っては人間じゃあないよ.宇宙人だね.」---あるマニアックな社会選択理論家
  • 「あなたは宣教師のような仕事がふさわしい.」---ミニ教団を率いている伯母
  • 「えらく色っぽい女性の背後霊が見えます.それから……ちょっと疲れるのでもうやめましょう.」---ある霊能者
  • "Your question has been interesting to me, because it shows the differences in "cultures" between different mathematical disciplines: Economists are very carefully checking every detail of their papers. In theoretical physics, on the other hand, even unfounded speculations and false theorems are considered publishable, as long as they sound interesting: Once published, they are outdated, anyway."---Norbert Brunner (数理論理学者; 理論物理学者) (共著論文を書いていたときの指摘)
  • 「あ,三原さん,どうも.」---M-shima 大先生 (理論家)
  • 「三原さんを通して、灰色の海のうねりを感じます。」「灰色の海は暗くはありません。力強くて、潔癖です。ただ、あまりにも細やかなので、無数の波しぶきを残して通り過ぎるだけ。」---経済理論家
  • 「三原さんはお花畑」「水のようにすらすらと体に通っていくがごとき方」---べつの経済理論家

最後のふたつ,どちらの理論家もとても感覚的なコメントをしているところが,理論家の特性を表しているかも.

学者をやっていてむかつくこと

  • 香川大学の助教授だといえば(香川県外では)感心されること.感心する理由が「三原麗珠がいるところだからいい大学にちがいない」ということなら話はべつだが.
  • 計算が得意だろうとか知識が豊富だろうとか思われること.理論家は分析対象を詳細に記述することよりも,どう単純化するかに関心がある.

学者,経済学者,特に理論家についての僕のイメージ

  • 職人,改革家,伝道者,芸術家,聖像破壊者(iconoclast).知恵を創造する者.センスによって生きる者.

演習や特別講義での教育方針 (香川大学経済学部時代のもの)

  • アカデミズムに徹している.その結果か,1999年度3年次演習に参加していた4名中2名が他大学大学院(大阪と筑波)に進学した.
  • 就職には役立たない.(ただし上記演習の残り2名はみごと自力で就職先を見つけた.) 正確に言えば,役立たせることはできないわけではない.ただしどういうふうにやるかは個々の学生に任せている.役立たせるための直接的指導は行っていない.(シラバス読めば,演習の内容を5分間しゃべる準備くらいできるだろうけど.)
  • 就職後に役立つ.組織内の取り決めや手続きをより効率的あるいは公平なものに改善し,組織を変革するために必要な抽象的思考法を学ぶことが出来る.公理的アプローチをはじめとする数理的な抽象理論は,変革のための強力な思考フレームワークをおそらく法学とか歴史学以上に提供してくれる.
  • 具体的なトピックについては,毎年のようにころころ変わる.自分でも予想がむずかしい.ただ,経済現象よりも政治その他の社会現象を重視すること, 理論をひじょうに重視することが,傾向的にいえる.
  • 基礎的科目に比較すれば,演習は単位が取りやすくなっている.制度的には必修であるにもかかわらず内容的には卒業認定に欠かせないようなことをやっているわけではないため.かりに安易に通してしまっても,基礎能力の欠けた卒業生を生産することにはつながらないから.
  • いくつかの大学院では入学試験に研究論文を要求している.しかし僕は学部段階での過度の専門化には反対.大学院進学希望者には,卒業論文を書くことよりも,基礎的能力を身につけることを重視してもらいたい.
  • だからといって,僕の演習で大学院入試用に基礎科目の予備校的トレーニングをするわけではない.それらについては通常の講義でほとんどカバーしているし,演習書も出回っているので自習もじゅうぶんできるはず.公務員試験・資格試験・認定試験についても対策はしない.それらの対策に僕が熱心に取り組めるほどの追加的報酬をもらえないので.
  • 僕の演習では大学院レベル・研究の最前線付近の専門的な内容をあつかうことが多い.それらは大学院入試に必要な内容ではない.しかし大学院で生き残るためには役に立つ内容である.経済学は学部レベルと大学院レベルのギャップが大きい分野だ.基礎的科目ばかりをやって大学院に進学してしまうと,自分が大学院には向かなかったことをあとで発見する可能性が高い.

古い近況報告


生い立ち


中高生時代に育った環境.写真の場所は右翼の聖地に立地しており,裏山の向こうには池とか古墳などがあった.丘の上なので眺めは良かったが,自転車を押しての登り坂が大変だった.上の細長い土地にあるオランダ瓦の屋敷が伯父の別荘.そこに数年間仮住まいしていた.人相の悪い人物なんかがたまに出入りしていた.うちの家族が出てからずっと空き家で,2001年3月現在2億円?で売り出し,その後買い手がついて取り壊された.そのころは庭は芝生で,フェニックスもこんなに何本も生えてなかったと思う.その下の茶色の屋根の平凡な家が父のもので,僕は5年くらい住んだ.庭の桜に隠れたところに温室があり,庭も家の中も洋蘭と花でいっぱいだった.行儀の悪いヨークシャーテリアもいた.右下の小屋のあるところは伯父の所有地で,家庭菜園にして隅っこで尾長鶏などを飼っていた.父は四つ葉のクローバーだらけのクローバーをつくったりしていた.うちの左の銀色の屋根はある宗教団体で,多くの人が住んでいて毎朝7時にお祈りの声が聞こえてきた.うちのすぐ下の家には大きなおっかない犬がいた.この写真よりも右下にあたるところに国立大学の教授の家があったが,医者もしていたためか,それほど貧しい生活をしているようには見えなかった.うちの左下にあたるところには私立大学の教授の家があったが,夫が建築家であったためか,それほど貧しい生活をしてるようには見えなかった.その建築家は前世紀終わり頃 60歳前後で慶應義塾大学大学院を修了した.その私立大学教授の家のすぐ下に住む普通の農家のおじさんは,東京大学大学院で非常勤講師をやったらしい.

かつてオランダ瓦の屋敷があった場所を2009年末に撮影した (3枚をつぎはぎした) 写真.また無駄に大きな屋敷が建っていた.

取りこぼし,あるいは箴言

「経済学部は文系だから数学なんて関係ない」なんて思って入学してくる学生がいる.最低限,今という時代はいつだか知って大学に来て欲しい.シェークスピアやゲーテの時代ではないのだ.(ゲーテの科学的素養はここでは問題にしない.)現代には現代の表現があるのだ.人文科学の哲学でも,倫理学でも,言語学でもそしてもちろん論理学でも数学は本質的な問題を解明してきた.そして経済学で学ぶ社会科学の最高の成果,一般均衡理論は数学なしでは考えられない.

現代には現代の表現というものがある.詩だって数学で書かれるようになるかもしれない.現に抽象数学をもちいて詩論を展開した詩的作品もある.政治を表現するのにポルノグラフィーを使うフェミニストもいれば,数学を使う理論家もいる. あらゆる表現の可能性に開かれていることが学問にとって必要条件である.伝統的な勢力はそれらに対抗しようとするかもしれない.その際,無視することや反論によって対抗するのが学問のルールであり,ある表現を禁止することによって封じ込めようとするのは,学問のルール違反だ.

マルチメディア技術の発達の原動力となってきたものは何か.あまり上品なものでもなかったはずだが.

ひとりの技術者がつくりあげたスケベマシンは,フーゾク産業を時代遅れなものにするにはあまりにも無力かもしれない.しかしその技術は高齢者や病弱者の介護問題を一気に解決する糸口を与えるかもしれない.

表現はときには「暴力」と言えるかもしれない.しかし真理を探求する場において,表現を禁止する制度的・構造的暴力は「表現による暴力」よりも卑劣であることはまちがいない.

三原麗珠

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プロフィール
最終更新:2020年07月30日 06:36