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ピンッ…
とあるダウンタウン、裕福な者から見ればスラム街とも言える街。
ピンッ……
一般的に夜更けと呼ばれる時間帯に、不定期な間隔をおいてコインを弾く音が響く。
ピンッ………
まるで何も無い闇から響いて来るかのような錯覚を覚えがちだが、夜目の利く人間、気配に敏感な人間が見れば気づくだろう。
……コインの音を響かせている少年の存在。そして、それ以外にも両手では数え切れないほどの人影がある事に。
彼等が何故このような時間に屋外に居て、これから何をしようとしているのか。
心当たりのある人間ならば、すぐに理解するだろう。

そう。彼等は『鼠』なのだ。



ピンッ
裏。
ピンッ
また裏。
ピンッ
裏。
コインは近くの賭場から盗んできた物で、裏も表も同じ柄だが…僕には判る。
ピンッ
裏裏裏裏裏裏裏裏裏。
今夜は食い物を見つけられないかもしれない。
よくある事だ。構わない、同類なら腐り切らないほど大量にいるのだ。
ピンッ
…表。
緩慢な動作で顔を上げる。
ごく一般的な作りの、住宅としてはやや大きめな家屋。
入り口の上に看板が吊る下っている。書いてある内容は理解出来ないが、あれが『店』の象徴である事は知っている。
………だが、ダメだ。今はいけない。
コインが教えてくれるのはあくまで『良い』か『悪い』かだけなのだ。
実際に成功するかどうかは、僕自身の行動で決まる。
そして、今はダメだ。
体の動きが鈍すぎる。こんな状態で忍び込んだらあっさりと見つかってしまうし、逃げることも出来ないだろう。
フラフラと来た道を引き返し、住宅街を抜け裏街道にたどり着く。
ここは掃溜めだ。
腐敗し地に帰る事さえ赦されぬ汚物達が流れ着く処。
幾つかコロニーが出来ていた。間抜けだ。表ならまだしも、裏での共生は在り得ない。
そのうち、嫌でも気づくだろう。それが保険にさえならない事に。
僕は、他にも幾つかしているように地面に倒れ臥し、握っていたコインを、少しだけ覗かせる。
数秒か、数分か。もしかしたら数日かも知れない。幾らか時が流れ、僕に近づいてきたモノがいた。
僕の手を乱暴に掴み、コインをもぎ取る。コインの裏表を確かめ…
「―――!」
悲鳴が上がる。
コインに釣られるあたりから想像は出来たし、元々それを狙っていたとは言え、頭の回らない奴だ。
「―――…―――――!」
泣き叫んでいる。苦しいのだろう。それもそうだ。足の腱を切ったのだから。
手にしたナイフは特別よく切れるというわけではないが、僕等のように肉脂肪の少ないモノの腱を切断する事なら十分に可能だ。
「―――…――、――――…―――――……」
まともな言葉を喋っているあたり、此処に来て間もないのだろう。だから小銭なんかに眼が眩む。
僕等のようなモノが金を持っていたとして、なんの意味も為さない事を知らないのだ。
「―――、―――――!」
まずは両手足を奪う。次にコインを拾う。
着ている服を脱がす。ポケットの中にジャラジャラと小銭が入っていた。
食料は持っていなかった。まぁ、想定内だ。もっと大事なのは………
「―――ッ」
鳩尾を突き上げるように殴ると、すぐさま内容物を吐き出した。
大当たりだ。まだろくに消化出来ていない。胃袋を空にした以上、もう用件は無い。僕は吐き出された汚物を自分の胃袋に収めると、その場を後にした。


こんな生活…いつから始まって、いつ終わるのだろうか。

住宅街に混じる廃屋で伏しながら考えていた。
いつから始まったかなんて覚えていない。一週間前?一月前?一年前?…もしかしたら、生まれた時からなのかもしれない。
だが、終わるのは、そう遠い話ではないだろう。
実の無い思考が泥の様に混濁し、そのまま朽ちるように眠りについた。

眼が覚める頃には、また暗闇。陽の目がさす前に、戻ってきては限りなく死に近い眠りを繰り返す。

何も変わることは無い。鼠には鼠の生活があるのだ。


ピンッ
裏。
ピンッ
また裏。
ピンッ
裏。
やることは毎晩変わらない。
家の前に立ち、コインに良いか悪いかを聞いて、自分で考えて、食料を貪る。
ピンッ
表。
………。
確かめる必要性も感じない。
ここ数日、この『店』は毎回表だ。
だが、何度訪れようとこの店で成功出来る気がしない。
もしかしたら、僕がコインの裏表を見間違えているのかも知れない。
ピンッ
表。
そういえば、昨日は久しぶりに肉を食べたっけ。今日なら体力もある。巧くいくかもしれない。
もう一度コインを投げる。
表。
………。
もう、悩む必要はない。


『店』というのは面白いもので、必ず裏口があり、玄関よりも警戒が薄く、さらに食料に近い。
まるで僕達のために用意されているかのようだ。
フラフラと裏口を探す。下手に足音を忍ばせようとするとかえって気配が目立つ。
裏口はすぐに見つかった。そもそも、隠してあるものでもない。
まるで自分の家に帰ってきたかのように平然と扉を開ける。中は真っ暗だったが、暗闇には慣れている。問題はない。
扉は閉めない。逃げ道がなくなるからだ。そのままあたりを見回すと、それらしきものを見つけた。
ガチャ。
ビンゴ。食料が詰まっている。まずは『今』食べる。持ち帰るのはその後だ。
手近にあった物を手に取り、口の中に押し込もうとして異変に気がついた。
「――、――。―――――――」
声が聞こえて、即座に走り出した。
あけたままの扉から飛び出し、全力で走る。
裏道を幾つも曲がり、ようやく息を休める。
……やはりコインの裏表を見間違えたのかもしれない。
とにかく、今日はこれ以上の体力を使うわけにもいかない。寝床に帰ろう。
急激な運動のせいで痺れた足を引き摺るように歩く。
暫らくヨタヨタと歩いていると、ゴミ箱が眼に入った。
多少乱暴に蓋を開ける。
運がいい。そこには生物が詰まっていた。
ゴミ箱に体を突っ込むと、中身をガツガツと食らい出だす。今日は無駄に体力を使ってしまったので、その分食べておかなくてはなるまい。
時たま口に含んだ瞬間に吐気がしたりもする。そういう物は食べてはいけない。
確実に、ではないが、後々他の物と一緒に吐き出してしまう事が多いからだ。それでは、体力ばかり使って何も消化できない。
「――――。―――――――――」
無心になって生物を食らっていると、先ほどの『店』で僕を見つけた男の声がした。
慌てて逃げ出そうとしたが、体がゴミ箱に引っ掛かり、派手に中身をぶちまけながら転んでしまう。
まずい。
さっきの全力疾走と、今、勢い任せに胃袋に生物をぶち込んだせいで、まともに身体が動かない。
「――――…――――――――――――…。―――――」
男はブツブツと何事か呟きながら僕の襟首を掴んで持ち上げる。
そのまま肩に担いでズカズカと歩き出した。
暴れはしない。捕まってしまった場合は下手に暴れると警戒される。それこそ、その瞬間から死に絶えたかの如く装い、相手を油断させる。
そうでもしなければ、これだけの体格差では逃げられない。
だが、男はガッシリとした腕で掴んではいるものの、その掴み方は予想以上に弱かった。
……なんという幸運。
普通、これほどガタイのいい人間ではどれだけ気が緩んでいてもここまで力が抜ける事はない。
どの道、今はまだ身体が動きそうにない。寝床の方に進んでいるようだし、暫らく担がれていよう。
無抵抗のままの僕を担いで、男は先ほどの『店』に戻ってきた。
警察に突き出されるかと思ったが、そうでもないらしい。
僕が入った時同様、裏口から『店』の中に入り、灯をつけた。
男は僕を降ろし、奥のほうへ歩いていき、なにやらガチャガチャと音を立て始めた。
間違いなく、今だろう。サッと周りを見回し、台の上に何か置いてあるのを見つけた。おそらく、先ほど僕が食おうとしていた物だろう。形がいやに滅茶苦茶だった。
こちらに背を向けている男に気づかれぬよう、ゆっくりとソレを手に取る。
食うのは後だ。
裏口の扉まで、更に慎重に歩く。扉に鍵は無いようだが、万が一間誤付いたりでもしたら即座に捕まり、今度こそ男は油断無く僕を拘束するだろう。
扉に手がかかるのと、男がこちらを振り返るのはほぼ同時だった。
「――……――――、――――――!」
最早慎重に動く必要は無い。突き飛ばすような勢いで扉を開き、全速力で走る。
思いつく限りの裏道を通り、寝床にたどり着いた。クタクタになった足を投げ出し、盗んできたソレを貪るように食べる。
………今日は、つか……れ…………


ピンッ
裏。
ピンッ
また裏。
ピンッ
裏。
やることは毎晩変わらない。
家の前に立ち、コインに良いか悪いかを聞いて、自分で考えて、食料を貪る。
ピンッ
幾百目か、コインを弾いたとき、昨日の疲労のせいで足がふらつき、コインをキャッチし損ねた。
コインがコロコロと転がっていく。
慌てて追いかけようとして、足が耐え切れずに転倒した。
顔を上げ、転がっていくコインを追うと、そこには昨日の男がいた。
「――、――。―――――――」
男は喋りながらコインを拾った。そして、コインを見て、一瞬顔色を変える。
「………―――――――――」
男は軽く首を振り、地に伏したまま男――正確には男が持っているコイン――を睨みつける僕を見る。
「――、――――」
男がなにやら聞いてきた。マトモな言葉など理解出来ない僕には無意味な行為だ。
僕はただじっと、睨みつけるだけ。
男に飛び掛ったところでコインを奪い返せるわけがない。が、コインは取り戻さなくてはならない。
いったい、どれほど時間がたったのか。とうにそんな感覚の無い僕には判らなかったが、男にはわかっているらしい。
「―――、―――。――………」
何か言いながら、ため息をついて目を細める。
ギリ、ギリギリギリ……
一瞬自身を疑ったが、間違いない。男がコインを強く握り締めている音だ。
僕は慌てて男に飛び掛った。凄まじい握力で握り締めている事は間違いない。このままではコインが握りつぶされてしまう。
「―――」
男は、飛び掛った僕を軽く掴みあげた。それでも、コインを取り返そうと必死に暴れる。
男の腕力は凄まじかった。やろうと思えば、そのまま僕を地面に叩き付けて殺せただろう。
だが、そうはしなかった。
突然、身体が自由になる。男はもう、コインを握りつぶそうとはしていない。
勝てない相手の懐にいては危険すぎる。僕はすぐに男と距離をとった。
「―――――――」
なんとなく、男の言っている内容が判った気がする。
男は地面に胡坐をかき、コインを目の前に置いた。そして、両手を組んで僕をじっと見つめてきた。
「――――――――――――」
『危害を加えるつもりはない』
男の言葉が、完全に理解出来た錯覚。
いや、違う。男の『言葉』を理解出来たのではない。
獣だ。この男は、僕のような半端な動物ではなく、獣だ。
だからこそ、理解出来た。
『人間』の大人が子供にするように、獣が思考を動物にあわせてくれたのだ。
僕は、ゆっくりとコインに近づき、そして、拾った。
即座に、転がるように男から離れる。離れて、男を見た。


男は、豪快な笑みで僕を見ていた。


意味も無く、脱力した。
拍子に、コインを落として、我に返った。
男を見ると、立ち上がって、まだ僕を見ていた。
「―――――」
付いて来い。そう言っているのだろうか。身振りから、そんな感じがした。
拒絶する気力も湧かなかった。
地面に落としたコインを拾う。
拾ったコインを握り締め、歩き出した男に付いて行く。
行く場所も、大体わかっていた。男の『店』だ。
違ったのは、今度は正面の玄関からだった。
男が扉を開けると、『店』の中は明るかった。
「―――――――。―――――」
男の他にも『人間』がいた。
「――。―――――、―――――――――」
「――――。―――――、―――――」
男と、『店』の中にいた…そいつも男だ。
男二人はなにやら会話を飛ばし、男…僕を連れてきた方の男は裏口があった奥のほうへ歩いていった。
入れ違いに、『店』の中にいた男――こちらのほうが若いようだ――が僕のほうへ歩いてきた。
「―――、―――――――――――」
言って、微笑んだ。
身体の中から、何かが抜け落ちた気がした。
呆然と立ち尽くしていた僕を、その男は椅子へと導いた。
「――、――――――!」
奥の方に行っていた男が戻ってきた。
手には大皿。その上にはたくさんの食べ物。
僕の前にそれを置き、
「「―――――」」
二人が同時に言った。
言葉は解らない。でも判る。
僕は椅子から降りて奥の方へ歩いていった。
二人が何か声をかけてくる。
僕は、目当てのものを見つけて、持てるだけ持って、戻る。
追いかけてきた僕を連れてきた方の男が僕を見て、目を丸くして、豪快に笑った。
若い方の男も、戻ってきた僕を見て、目を丸くして、小さく笑った。
僕は床に座ると、持ってきたソレを無我夢中で食べた。
こんなに美味しい食べ物があるなんて、昨日、初めて知った。
だから、食べていいなら、食べる。







…ル……ア…………、アル、起きてください。アルッ」
「ん、ぬぁ…あ、れ?」
「もう朝ですよ。依頼出発時間に遅刻してしまいますよ?」
「トリス……って、うげ、もうこんな時間なのか!?」
「まったく…。さっさと身支度を整えてください。その間に朝食を用意してあげますから」
「さんきゅ。生ハム頼むわっ」
「…またですか。いい加減、貴方が生ハムばかり食べているせいで、生ハムだけ在庫が足りないんですよ。たまにはもっとまともな物を食べてください」
「ふむ。んじゃ、パンもつけてくれ。あと、生ハムの発注も忘れないでくれよ」
「……はぁ。わかりました。早くしてくださいね」
「解ってる。……あぁ、トリス」
「なんですか?」
「ああ、いや、さ。俺、お前等が家族で、本当に幸せだな、って、思ってさ」
「……そうですね。貴方はもちろん、自分も、おやっさんと出合った日から、幸せ過ぎるくらいなんですから」
「それも、そうか……そうだな。親父と出合った、それ自体が幸運だったのかも知れないな」
「その通りですよ。さ、時間がありませんよ」
「っと、そうだった。すぐ行くから先に飯食っててくれ!」
「ええ、そうさせて貰います」


この幸せが、何時まで続くのか。不安で仕方ない。
ともすれば、この幸せ自体、夢のように、俺の頭の中に生まれた幻想なのかもしれない。
確かめる術も、知り及ぶ訳もないのだが。
これだけは確実だ。
あの日のコインは、間違いなく、『表』だった。