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エッセイ1

    

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2005/9/4

のび太はドラえもんと仲たがいしたのか?

よく知られているように、のび太が大きくなったらドラえもんは
未来の世界へと帰ってしまう。

しかしドラえもんはなぜ未来の世界に帰っていったのか。
作中では理由は明かされていない。

おそらく、人間的に成長しドラえもんから卒業した
青年のび太像を藤子F不二雄が描きたかったから
未来の世界に帰ってしまうという設定になったのであろう。

だが「ドラえもんから卒業」というのはあくまで
作者・読者から見た視点での解でしかない。
あくまで作中に描写されている事実のみから、
どらえもんが未来に帰ってしまった理由を洗い出してみよう。

ここに興味深い事実がある。
漫画ドラえもんの中に「のび太の結婚前夜」という話がある。
この話は、そのタイトルが示す通り、のび太がしずちゃんと結婚する
前日の話である。

この話の中で、のび太はジャイアン、スネ夫、出来杉と前夜祭を開いている。
しかしそこにドラえもんの姿はない。

未来に帰ったとはいえ、この前夜祭にドラえもんを呼ばないとは考えづらい。
何故呼ばなかっただろうか。

すぐ思い付く理由は2つ。
「ドラえもんに用事があった」というものと、
「何らかの事故により、すでにドラえもんと連絡を取る手段が無くなってしまっていた」というもの。

しかしこれらはどちらもありえない。
まず「ドラえもんに用事があった」というほうだが、
ドラえもんはタイムマシンを持っている為、
好きなときに前夜祭出席可能であるはずで、
これはありえない。

前夜祭に出席していた出来杉がこの事実に気づかない分けがないので、
ドラえもんに用事があったみるのは、無理がある。

また「連絡を取る手段が無くなった」という方も考えにくい。
これも同じくドラえもんはタイムマシンを持っているからで、
いくらでも時間をかけて連絡を取る手段を確保できるからである。

残る可能性は一つ。のび太がドラえもんをあえて前夜祭に呼ばなかった のだ。
なぜこの晴れがましい日にドラえもん呼ばなかったのか。

考えられるのは一つ。ドラえもんはのび太とすでに仲たがいしていたのだ。
だから未来へと帰って、二度とのび太と連絡を取らなくしてしまったのだ。



2005/10/30

仏の存在性の数学的証明

神の存在性を証明する、というのは神学の一つの大きな課題である。
だが科学が宗教的奇跡を一つ一つ否定していく今日、
神の存在性が証明される日がくるとは思えない。

しかし信じがたい事に過去に仏が存在した事を数学的に証明できる。

数学的証明を行うためにまず「仏」の定義を振り返ってみたい。
仏とはインドのサンスクリット語で「悟った者」の事である。

では悟りとはなにか。
これが分からないと仏の存在性を数学的に証明できない。
そこで仏教の開祖シャカの言動を振り返ってみる。

シャカはウルヴェーラの苦行林で6年間苦行を続けた後、
苦行では真理に到達できないと気づく。

そこで苦行をやめ、菩提樹の下に座して瞑想にふける。
そしてあるときシャカは真理に気づく。
これが「悟り」である。

定理
仏は存在する。

証明
仏とは悟った者の事である。
シャカは悟った。
よってシャカは仏である。
以上より仏は存在した。 □




2005/11/3

神=誰もいない

God(神)という単語はNobody(誰もいない)に置き換えられる事に気づいた。

この置き換えにより例えば「God made the world」(神が世界を作った)は
「Nobody made the world」(誰も世界を作っていない)になり、
科学的に正しい(と思われる)命題になる。

親しい人が死ぬといった誰のせいでもない苦しみを受けたとき、神を信じる者は
「God gives me this ordeal」(神が私にこの試練を与えた)と考えるが、
これもこの置き換えにより「Nobody gives me this ordeal」(誰も私にこの試練を与えてはいない)となり、
やはり正しい事実になる。

昔の人は原因の分からぬものを全て神や悪魔のせいにしてきた。
だから神や悪魔という言葉をNobodyやNothingに置き換えると正しい命題になるのだ。



2006/7/10

短所は長所よりも多い

自分の長所をあげろと言われると困ってしまうが、
短所ならいくらでも挙げられる。
そんな人はいないだろうか。

これは個人の性格云々よりもむしろ「長所」、「短所」という
言葉の使い方に原因があるように思う。

つまり、長所の方はいつも 長所である事が要求されるのに、
短所の方はたまに 短所になるものも短所に含まれる事が
原因だと思う。

例えば「長所は性格が明るい事」と言った場合、
暗に「性格がいつも 明るい」事を意味する。
「たまに性格が明るくなる」だけでは長所とは呼ばないはずだ。

それに対し短所はそうではない。
「性格がたまに 暗くなる」事も、
短所と呼ばれ得る。

この非対称性が原因で短所ばかりが目だってしまうのだ。



2006/8/11

北極の氷が全て溶けると海面は上がるか?

今回は趣向を変えて、理科の話。

「北極の氷が全て溶けると海面は何上がるでしょう下がるでしょうか?」

こんな話を小・中学校の頃理科の授業で聞かなかっただろうか。
学校で習った答えは「海面は上がらない 」。
アルキメデスの法則により海面の高さは変化しない事が導けるのだという。
(詳しい理屈は省略)。

しかしこの話は実は で、本当は「海面は上がる」が正解。

実は氷が解けても水面が上がらないというこの話、
液体と氷の比重が同じである事が前提条件なのである。

であるからもちろん、氷を真水 に浮かべた場合には、氷が解けても水面はあがらない。
しかし、今考えているのは、海水という塩水 に氷を浮かべた場合なのである。
よって両者の比重は異なるので、その差の分だけ海面が上がってしまうのである。

注:
たとえ海水を氷らせた氷であっても、氷は塩水でなく真水からできている 事が知られている。
よって北極の氷も当然、真水からできている事になり、塩水である海水とは比重が異なる。
(まぁこれはあくまで理論上の話で実際には塩を多少中に閉じ込めたまま凍ってしまうのだが…)。



2006年11月1日

架空の児童ポルノに対する意見書

拝啓、野田聖子議員様。

秋も深まってきましたがいかがお過ごしでしょうか。

野田先生は漫画やアニメ等に登場する架空の少女達の人権を
確保する為に御尽力なさっているとお聞きしました。

エロ漫画やエロアニメ等を書く事は、
架空の少女達の人権を犯す非道な行為なのだという、
野田先生の御発言には深く共感致しました。

架空の少女達の人権を守る為にエロ作家達を取り締まるべきだという
野田先生のお考えは、当然のものだと思います。

この発言以来、世界中のオタクや漫画関係者から目の敵にされている そうですが、
この逆境に負けず、今後も自身の意見をつらぬいてくださる事を、
御期待申し上げます。

彼らの言う事に耳を貸してはいけません。
所詮彼らは、空想と現実の区別がつかない危険な人達なのです。

まぁ、一番空想と現実の区別がついていないのは、
こんな発言をする野田先生御自身じゃないか という
気がしないでもないのですが。

さて、そろそろ本題に入らせてください。
今日お手紙差し上げましたのは、野田先生の御力をお借りできないかと
思ったからです。

野田先生は推理作家 なる職業を御存じでしょうか。
彼らは「推理小説」なるものを書き、その中で架空の人達を
ばったばったと殺しまくっているのです。
いわば、彼らは架空の大量殺人鬼 であると言えます。

特に赤川次郎なる推理作家にいたっては、すでに500人近く殺しています。
日本犯罪史上まれに見るこの鬼畜が何ら警察の捜査を受けることすらなく
のうのうと暮らしているかと思うと、不安で夜も眠れません。

彼らを取り締まる為、野田先生の御力をお貸しくださらないでしょうか。
架空の少女の人権を守る為に多大なる努力をなさっている野田先生なら、
この危険人物達の取り締まりに御力をそそいでいただけるのではないかと
思い、お手紙差し上げたわけです。

なんといっても、架空の大量殺人鬼は架空の少女強姦魔よりも
何倍も危険なわけですから。

彼らを懲らしめる為、架空の法律 を作り、架空の逮捕 をした上で
架空の死刑 に処してください。
よろしくお願いします。

敬具


追伸:
この間の日曜日の更進と同時にお手紙しようと思ったのですが、
このネタを書くとロリコン だと思われそうなんで
二日ほど躊躇してしまった事を深くお詫びします。



2007年3月10日

自由競争は社会の為か?

自由競争や実力主義は社会の進歩にとって有益に見える。
皆が生き残りの為に必死になるから
その分進歩が加速されるように見えるからだ。

しかし自由競争を徹底した結果、
かえって社会の進歩が遅くなる事が実は起こり得る。

今例えば、A社が無能な社員を3人雇っており、
B社が有能な社員を1人雇っているとしよう。
B社の1人は、A社の3人の合計よりも有能であるとする。

この場合A社にとっての最適戦略は、自社の3人をクビにし、
3倍の給料でB社の社員を引き抜く事である。

しかしこの戦略は、A社にとって 最適ではあるものの、
社会全体にとっては最適ではない。

なぜならA社がB社の社員を引き抜く前は、
A社とB社あわせて合計4人の人間が仕事に従事していたのに、
引き抜きを行った後は、計1人に減っている。

つまりA社が実力主義を徹底した結果、
仕事に従事する人の数が減ったわけで、
社会の進歩はかえって遅くなる。

つまり、A社にとっての最適戦略が
社会全体に取っての最適戦略とは一致しないわけだ。

こうした現象が起こるので、自由競争や実力主義は
常によい結果を招くとはかぎらないのである。

注:
この手の現象が起こるのは、ゲーム理論や経済学でよく知られた
事実である。
今回この項を書いたのは、卑近で分かりやすい例をみつけた為。




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