雑学の部屋・常識の嘘
常識の嘘4
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イェスはキリストという名前ではない
「キリスト」とはメシア(ヘブライ語で「油を注がれた者」の意。
救世主)の意味。
救世主)の意味。
新共同訳聖書、日本聖書教会。
イェスはクリスマスに産まれたわけではない
クリスマスはペルシャのミトラス教徒が冬至を
祝う祭りの名残りである。
祝う祭りの名残りである。
ペルシャ人達は冬至を太陽の死と再生の儀式として
何世紀も前から祝っていた。
ローマ暦では12月25日はナタリス・ソリス・
インビクティ(打ち勝ちがたき太陽の誕生日)にあたり、
太陽神ミトラスが崇拝されていた。
何世紀も前から祝っていた。
ローマ暦では12月25日はナタリス・ソリス・
インビクティ(打ち勝ちがたき太陽の誕生日)にあたり、
太陽神ミトラスが崇拝されていた。
キリスト教がミトラス教徒を吸収する際、
この日をイェスの誕生日と読み替える事で
ミトラス教徒を納得させたのである。
紀元336年の事である。
この日をイェスの誕生日と読み替える事で
ミトラス教徒を納得させたのである。
紀元336年の事である。
イェス誕生を12月24日とするのは
西方教会だけで、東方教会、アルメニア教会は
いまでも誕生日を公現祭の1月6日としている。
西方教会だけで、東方教会、アルメニア教会は
いまでも誕生日を公現祭の1月6日としている。
なお、聖書のキリスト誕生の部分に
「その地方で羊飼い達が野宿しながら、
夜通し羊の群れの番をしていた」(ルカ伝2.8)とあるが、
これは12月24日説、1月6日説のいずれとも矛盾してしまう。
冬の寒い時期に羊を放し飼いにしたりはしない。
「その地方で羊飼い達が野宿しながら、
夜通し羊の群れの番をしていた」(ルカ伝2.8)とあるが、
これは12月24日説、1月6日説のいずれとも矛盾してしまう。
冬の寒い時期に羊を放し飼いにしたりはしない。
参考:
新共同訳聖書、日本聖書教会。
「うそ?ほんと?小事典」、タッド・トゥレジャ(刈田元司訳)、社会思想社現代教養文庫。
他
新共同訳聖書、日本聖書教会。
「うそ?ほんと?小事典」、タッド・トゥレジャ(刈田元司訳)、社会思想社現代教養文庫。
他
土星の英語名サターンは悪魔とは関係ない
土星は英語でサターンだが、これはキリスト教の悪魔サタンとは
何の関係も無い、綴りも起源も全く違う。
キリスト教の悪魔はSatanと書く。ヘブライ語で「中傷する者」
という意味の単語。
土星はSaturnと書き、ローマ神話の神サトゥルヌスの英語読み。
ローマ神話の神なのでキリスト教とは関係が無い。
サトゥルヌスはギリシア神話のクロノスに当たり、大神ゼウス
(ローマ読みはユピテールで、木星=ジュピターの語源)の父親
にあたる。
何の関係も無い、綴りも起源も全く違う。
キリスト教の悪魔はSatanと書く。ヘブライ語で「中傷する者」
という意味の単語。
土星はSaturnと書き、ローマ神話の神サトゥルヌスの英語読み。
ローマ神話の神なのでキリスト教とは関係が無い。
サトゥルヌスはギリシア神話のクロノスに当たり、大神ゼウス
(ローマ読みはユピテールで、木星=ジュピターの語源)の父親
にあたる。
ちなみにサタンSatanの手下であるデビルdevilというのは、
ギリシャ語で「中傷する者」を
意味するディアボロスdiabolosに由来する。
(注:devilと書いた場合はサタンの手下を意味するが、
大文字でDevilと書いた場合は「悪魔の中の悪魔」、
すなわちサタン自身を指す。)
ギリシャ語で「中傷する者」を
意味するディアボロスdiabolosに由来する。
(注:devilと書いた場合はサタンの手下を意味するが、
大文字でDevilと書いた場合は「悪魔の中の悪魔」、
すなわちサタン自身を指す。)
アメリカのロケット「サターン*型」(「*」には数字が入る)や、
セガのゲーム機「セガ・サターン」もSaturnのほうであり、
悪魔とは関係が無い。
セガのゲーム機「セガ・サターン」もSaturnのほうであり、
悪魔とは関係が無い。
参考:
新共同訳聖書、日本聖書教会。
新共同訳聖書、日本聖書教会。
、関田寛夫、ナツメ社、2003年。
、と学会(山本弘+志水一夫+皆神龍太郎)、洋泉社、1997年。
他。
他。
神が定めた休日は日曜日ではない
旧約聖書には神は6日で世界を作り7日目を休みと定めた、
と書いてある。一週間に一度休み(安息日)があるのはこの為だ。
しかし旧約聖書にある「7日目の休み」は日曜日ではない。
正しくは土曜日。実際ユダヤ教では土曜日が安息日である。
(厳密には、金曜の日没から土曜の日没まで)。
キリスト教も当初はこれを受け継いでいたが、
日曜日にキリストが復活したという定説が出来て以来、
日曜日が安息日になった。
と書いてある。一週間に一度休み(安息日)があるのはこの為だ。
しかし旧約聖書にある「7日目の休み」は日曜日ではない。
正しくは土曜日。実際ユダヤ教では土曜日が安息日である。
(厳密には、金曜の日没から土曜の日没まで)。
キリスト教も当初はこれを受け継いでいたが、
日曜日にキリストが復活したという定説が出来て以来、
日曜日が安息日になった。
参考:
新共同訳聖書、日本聖書教会。
新共同訳聖書、日本聖書教会。
、関田寛夫、ナツメ社、2003年。
他
他
アダムとエヴァが食べた知識の実はリンゴではない
アダムとエヴァが食べた知識の実がリンゴであるという説は誤訳から生まれた。
リンゴであるという説の他に柘榴、スモモ、オリーブなどの説がある。
聖書よると、神はアダムとエヴァに「園の中央にある木」の実は食べるなと
書いてある。園の中央は「知識の木」と「命の木」とがあると書いてあるだけで、
「知識の木」がリンゴの木であるとは一言も書いてない。
リンゴであるという説の他に柘榴、スモモ、オリーブなどの説がある。
聖書よると、神はアダムとエヴァに「園の中央にある木」の実は食べるなと
書いてある。園の中央は「知識の木」と「命の木」とがあると書いてあるだけで、
「知識の木」がリンゴの木であるとは一言も書いてない。
リンゴとする解釈は紀元二世紀に聖書をギリシャ語に翻訳した
アクィラ・ポンティカスに由来する。
彼は「りんごの木の下で、わたしはあなたは呼び覚ました。
あなたの母親は、かしこで、あなたのために産みの苦しみをなし」という雅詩の
「産みの苦しみをなし」の部分を「堕落した」と誤訳した。
この為りんご→堕落→知識の実という連想が生まれ、
知恵の実はりんごであると解釈されるようになった。
アクィラ・ポンティカスに由来する。
彼は「りんごの木の下で、わたしはあなたは呼び覚ました。
あなたの母親は、かしこで、あなたのために産みの苦しみをなし」という雅詩の
「産みの苦しみをなし」の部分を「堕落した」と誤訳した。
この為りんご→堕落→知識の実という連想が生まれ、
知恵の実はりんごであると解釈されるようになった。
ちなみに、英語でのどぼとけの事を「アダムのリンゴ(Adam's Apple)」というが、
これはアダムが知恵の実を食べた際実をのどに詰まらせてしまったという
伝説から。
これはアダムが知恵の実を食べた際実をのどに詰まらせてしまったという
伝説から。
参考:「聖書新共訳 旧約聖書続編つき」、日本聖書教会。
「うそ?ほんと?小事典」、タッド・トゥレジャ(刈田元司訳)、
社会思想社現代教養文庫。
他
「うそ?ほんと?小事典」、タッド・トゥレジャ(刈田元司訳)、
社会思想社現代教養文庫。
他
神はアダムとエヴァだけを作ったとは限らない
アダムとエヴァはなるほど神によって最初に作られた男女であるには違いない。
しかし神がこの二人以外にも人間を作らなかったのだという証拠はない。
実際二人の息子カインが神に地上をさまよえば他人に殺されるかもしれないと述
べている(創世記4-13)。
もし神がアダムとエヴァしか人間をつくらなかったのなら、「他人」などいるはずも
ないのだが。
しかし神がこの二人以外にも人間を作らなかったのだという証拠はない。
実際二人の息子カインが神に地上をさまよえば他人に殺されるかもしれないと述
べている(創世記4-13)。
もし神がアダムとエヴァしか人間をつくらなかったのなら、「他人」などいるはずも
ないのだが。
参考:
新共同訳聖書、日本聖書教会。
新共同訳聖書、日本聖書教会。
「カインの印」はカインが弟アベルを殺した罪でつけられたわけではない
神がカインを守る為につけたものである。
詳細は以下の通り。
カインが弟を殺したので、神がカインにおまえは呪われたのだと告げ、
罰として地上をさまようよう命じた。
カインは神に、地上をさまよえば、他の人々に殺されてしまうのではないかと不安を述べた。
すると神は「いや、カインを殺すものは、だれであれ、七倍の復讐を受けるであろう」
と述べて、『カインに会うものが誰も彼を撃つ事がないように』カインの印をつけた。
詳細は以下の通り。
カインが弟を殺したので、神がカインにおまえは呪われたのだと告げ、
罰として地上をさまようよう命じた。
カインは神に、地上をさまよえば、他の人々に殺されてしまうのではないかと不安を述べた。
すると神は「いや、カインを殺すものは、だれであれ、七倍の復讐を受けるであろう」
と述べて、『カインに会うものが誰も彼を撃つ事がないように』カインの印をつけた。
参考:
新共同訳聖書、日本聖書教会。
新共同訳聖書、日本聖書教会。
「アンデスメロン」はアンデスとは何の関係も無い
「アンデス」は「安心です」の略。
参考:
、フジテレビトリビア普及委員会、講談社、2003年。
他多数。
他多数。
消防士は出動の際すべり棒を使っていない
現在では階段を使っている。
すべり棒は昭和40年頃設置されたが、昭和50年頃には
すでに使われなくなった。
滑り降りる際、消防士が摩擦で火傷したり足をくじいたりする
ケースが多発した為。
すべり棒は昭和40年頃設置されたが、昭和50年頃には
すでに使われなくなった。
滑り降りる際、消防士が摩擦で火傷したり足をくじいたりする
ケースが多発した為。
参考:
、フジテレビトリビア普及委員会、講談社、2003年。
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