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弓削達

    

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2006/5/1

『世界の歴史5ローマ帝国とキリスト教』---キリストの奇跡に肯定的な歴史書


この本は読みものとして面白く、歴史を学ぶうえでもとても役に立つオススメの本なのだが、
いかんせん、作者がキリスト教徒なので、イェスの奇跡に対して嫌に肯定的 なのがとても残念である。


もっとも、さすがにそこは歴史家。
直接に「奇跡は事実」と書く事はめったにしないのだが、
本ののっけから、いきなりイェスが処女懐胎で産まれた可能性を真面目に論じてみる
のは歴史書としてどうかと。

他にもこの本は、イェスが「5つのパンと2匹の魚で5000人の腹を満たす」という奇跡が起こしたのは
「見た人の証言」で、「人びとはこの不思議を目撃」したのだと書いてたりする。
「見た人の証言」もなにも、その「証言」って聖書の記述の事じゃないの? と思ってしまうのだが。

聖書は宗教書なのだから、奇跡に肯定的なのはあたりまえなわけで、
そうした書物の記述をあたかも第三者の証言のように書くのは
歴史書としてかなりアンフェアなのでは?

上の処女懐胎や5000人の腹を満たした件は、あくまで「可能性がある」、「見た人の証言」などと書いており、
「事実」とまでは書いていないので、まだ好感が持てるのだが、
中にははっきりと「奇跡は事実」だと言い切っている場所もある。

たとえばこの本は、イェスが「らい病患者や中風患者を直した」という奇跡は「事実」 なのだと断言している。

「歴史的に」考えると、これが事実である可能性は非常に低い。
なぜなら科学者がらい病完治の方法をみつけたのは1941年のことだし、
中風を完治する方法は未だにみつかっていないからである。

ネットで調べてみた範囲では、中風が完治するって主張してるのは、プロポリスの支持者などトンデモ系の人だけ なんですが…。

さらにこの本は、イェスが死人を生き返らせた事すらも載せている。
さすがにここは恥ずかしかったのか、「事実」だとまでは書いていないが、「大勢の人が目撃した」のだと述べている。
しかし、いかに「大勢の人が目撃した」からといって、科学的には明らかにおかしい事を
他の事実と同列に並記するのはどうかと。



最も納得がいかないのは、著者が、自分はこの本を書くにあたって各種資料を「批判的に」眺めて、
フェアな立場から書いている(という趣旨の事)を述べている事である。(p290-291)。

途中までは完全に同意である。(以下要約):

歴史家は空想や想像によって歴史を書くのではない。
事件を見た人の証言等の「資料」から事実関係を明らかにするのが歴史家の作業である。
この際「資料」をうのみにせず、批判的に検討して事実を明らかにしようとする。
...

歴史学や科学において、「批判」はとても重要な行為である。
誰だって自分に不利な事は書きたくない。
だから「資料」に事実がそのまま書かれているとは限らず、
自分にとって不利な事がごまかされてたり、あるいは嘘が書れてたりする事は
十分ありえる。

問題は次だ。

批判検討するにあたって、しばしば非常に有効になる一つの基準がある。
それは「事実を認めると不利になる人が、その事実を事実として認めるか、
暗黙の前提にしている場合、あるいは積極的に否定していない場合、
われわれはその事実を疑いえない事実としてみとめてもよい」、という基準である。

これまでイエスの生涯を書くにあたっても、このような基準にしたがって書いてきた。


えっと…、聖書の記述を参考にしといて、それを「事実を認めると不利になる人」の資料に基づいた と述べるのはどうかと…。

第一、その「非常に有効になる一つの基準」にもかなり疑問がある。
なるほど、事実を認めると不利になる人が、その事実を事実として積極的に 認めた場合なら、
それを事実としてよいかもしれない。

しかし「暗黙の 前提にしている場合、あるいは積極的に否定していない場合」に事実扱いするのはどうかと。
考えてみて欲しい。イェス存命当時、キリスト教はユダヤ教の少数派に過ぎなかったし、
幾多の「新興宗教」の一つに過ぎなかったはずだ。

そんな無数の少数派の意見に対し、多数派がいちいち反論を書き記すだろうか?
たんなるたわごととして黙殺 するのではないだろうか?
そして単に黙殺しただけかも知れないものを、「積極的に否定していない」という理由で、
「事実」といってしまうのはかなり無理がある行為だ。

まぁ、ユダヤ人達がイェスを張りつけ所から見て、
ユダヤ人達がキリスト教を意識していたのは確かであるので、
キリスト教がユダヤ人達から見て黙殺できないところまできていた可能性もある。

しかし、仮にそうだとしても、当時のユダヤ人達がキリスト教を正しく批判する事がそもそも可能だろうか?
本書にも書いてある通り、当時キリスト教徒達は、食人をしたり近親相姦をしたりするのだという
あらぬ誤解を受けていた。
そんな誤解をするほどにキリスト教を理解していない人々に、
キリスト教に対する正しい批判を求めるのはそもそも無理が無いだろうか?




さて、そろそろまとめに入ろう。
私はキリスト教を批判する気はないし、私自身キリストは(聖人であるかどうかはともかく)
偉人であるとは考えている。

だが、イェスの奇跡が事実だとは思っていない。
事実だと断言してしまう前に、もっと最初に考えてみなければならない
常識的な解釈が存在するからだ。
すなわち、「当時の人は迷信深かったので奇跡でないものを奇跡だと勘違いした」とか
「治療の奇跡は、プラシボ効果で治ったと思ってるだけ」とか
「イェスが何らかのトリックを弄した」とか。

こうした、もっと常識的な仮定が全て否定されてから、
はじめて奇跡である可能性を疑ってみるべきなのだ。
それらの作業をすっとばして、いきなり奇跡だと断言してしまうのは
学術的な態度とは言いがたい。
根拠もなく断言したものは、客観的事実ではなく個人的意見である。

そして個人的意見は歴史書に書くべきではない。それも素人向けの歴史書には。
それは論文の形で発表し、学会の是非を問うたり、
あるいはエッセイの形でまとめる等するべきものだ。



最後にこの本の良い点も。
この本は読みものとして面白い。
中でもイェスの言動に対する解釈には目をみはるものがある。

さすがキリスト教徒が書いた本だけあって、様々な歴史的事実を根拠にして、
私のような素人には思いもつかないすばらしい解釈を記している。

そしてそうしたすばらしい部分があるからこそ、
この本の偏りぐあいがとても残念なのである。


参考:
『世界の歴史5ローマ帝国とキリスト教』、弓削達、河出書房新社。

(追記)
著者の弓削氏は、2006年10月14日に亡くなったそうである。(享年82歳)
ご冥福お祈りします。


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