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生まれも育ちもお茶のおいしい静岡県。3人兄弟の長男。最近は静岡おでんが流行っているみたいだが、俺は静岡おでんが嫌いだった。東京のおでんはうまい。それまで、はんぺんといえば黒であった。東京のおでんの白はんぺんに感動した。 記憶を振り返る。 ***ケンカ時代 喧嘩っ早い幼稚園生活。誰にでも意味も無くケンカをしかけては泣かしていたことに優越感に浸る。でも、どうしても勝てない奴が一人いた。そして再戦。粘土をお互いの髪の毛に塗りたくるケンカをして、家に帰ったら母親に怒られた。 ***天狗時代 小学生にあがると勉強しなくても勉強ができるタイプだった(社会以外)。だがクラスの人気者は足が速い、野球がうまいなどのスポーツ万能タイプ。それに腹を立て、ケンカの毎日。足が遅い俺は、からかう相手にとび道具を使う危ない少年になっていた。はさみを投げつけて、卑怯だと先生にひどく怒られた。隣のクラスへ苛立ちをぶつけに教室に乗り込んでこぶしでガラスを突き破った6年生、担任に1年間、ねちっこく過去を責められた。 ***暴行事件 中学は校則で強制的に坊主頭で恥ずかしかった。中間テストや期末テストで学年の成績が分かってしまう。自分より頭のいい奴もいるんだと実感。校則が市内で一番厳しい学校で、朝の読書タイム~授業が始まるまで私語禁止。学校指定のナップサック(死語)を背負う校則で、下校時の階段で、たまたま手に持っていたところを生活指導の先生に見つかり、胸ぐらをつかまれ職員室へ強制連行。Yシャツのボタンは破壊された。竹刀で床をバチバチ叩いて威嚇する先生。怒りの原因は、すぐに謝らなかったことだったらしい。俺の中で、怒られたときには謝るという行動様式が欠如していたのだった。 ***ゲームオタク時代 MSXに夢中。ゲームカセットをSHOPで委託販売(値段は自由に設定でき、15%を店の手数料としてとられる)して次々にゲームをクリア→転売→購入→クリア→転売・・・を繰り返す。そしてMSX-FANのBASICで書かれたプログラムは打ち込んでは、都度カセットテープに保存。タイピング速度は1画面(40文字×25行)がビッシリ埋まるBASIC文で、10分程度だった。無理乞いして親にX68000を購入してもらい、家に帰るとゲームの毎日。C言語ライクな意味不明のBASICと、DOSコマンドをこのころ覚える。本屋に言っても解説書はほとんど手に入らないので、説明がショボく分厚いマニュアルだけが頼りだった。このゲームオタク時代は小6~高3まで続く。 ***偽りの優等生時代 中2の夏休みに転校。市内で一番大きいマンモス校そしてもっとも荒れ放題として悪名高い学校。山を挟んで向こう側の同じ市内。山の西側と東側でこうも文化が違うんだと痛感。過去の自分を知らない人がいないことを逆手にとり、優等生を演じた結果、裏目にでた。担任の退職間際の女教師と苗字が同じであることで、えこひいきによる親子説(または孫説)が浮上。そのためことあるごとに大ブーイング。優等生ぶりに、せっかくできた友達も敵になってしまい、休み時間に鉛筆は折られるわ、教科書は落書きされるわ、朝学校にきたら座椅子一面に画鋲がボンドで剣山のように貼り付けられているわ(これはウケた)で、イタズラの度が過ぎて大変だった。優等生を演じきる以上、公衆の前では仕返しができないという辛さ。ある日、自転車置き場で主犯格を殴った記憶があるのと、彼らの学生帽を刃物で切りつけて仕返ししたら、あとで担任に呼び出された。半年の苦痛をへてクラス替えしたときは、ホッとした。3年次は初めて塾通いを経験し隣りペン回しが上達した。 ***高校時代 おとなしい高校生活を送った。おとなしすぎてあまり記憶が無い。ハンドボール部でそりが合わない奴とケンカして退部し、棋道部(将棋と囲碁)で大会で隣の市に遠征した。初めてウォークマンを買ってB'zを聞きまくってた。通学用の銀チャリとお出かけ用のカマキリハンドルの自転車の2台を所有していた。2年次男子クラスを味わい、3年次は共同クラスになり、女の子とどういう会話をしたらいいか全く分からないという女性恐怖症となった。 ***進路に悩んだ時代 親は長男は家業を継がせるつもりらしかったが、乗り気がしない。父親には大学受験をも反対されていた。実家脱出計画をもくろみ、地元の大学の受験を一切せず、落ちてもいいから働きながら予備校通いをしたいと決意して、関東の国立大学を2つだけ受験したら、片方に合格した。どちらも志望校ではないので、通うかどうか悩んだが、「1浪」と「現役」のイメージの差が当時ははげしく(今となってはどうでもいい問題だった)、現役がよいだろうということで入学した。 ***バイクキチガイ時代  高3の受験卒業間際に原付免許を取得したが、父親がバイク大反対だった。大学合格により埼玉に出てきて、新聞配達をしながらスーパーカブ50ccを操った。空荷になったバイクで、ウイリーやブレーキターン、アクセルターンをマスター。配達後半も荷が軽くなるとウイリーしながら交差点をまがったりしていた。クラッチの無いバイクなので、ニュートラルでふかして一速に叩き込んでフロントをあげ、アクセルターンも同要領。あまりのタイヤの減りの早さやパンクの頻度で店長に怒られた。  同時期にNS-1を中古で買った。初のローン。未成年なので親を説得するのが大変だった。スクーターを買うということでうそをついてローンの承諾を得た。初めての自分のバイクは傷つけたくないため、あまりアクロバットなことはしなかった。仕事のスーパーカブは何度も倒しても頑丈だった。  その後、同じ寮の先輩の影響を受け、大学に通わず暇だったときに、埼玉鴻巣の試験場に通い、中型二輪免許を取得。7月から通って、1ヶ月2回ペースで受験。中型免許は1日4人までしかうけれなくて、予約がどうしても2週間先となってしまう。そして季節が夏→秋→冬とかわり合格が12月。NS-1を下取りに、レッドバロンでCB-1を購入。本当は出たばかりのCB400SFが欲しかったが高くて現金一括では買えなかった。  中型免許を取るまでの練習方法は、荷物満載のスーパーカブとNS-1。まちがっても先輩の新車のピカピカなバンディットを借りるなんてことは無理だ。公園の駐車場で空き缶をたててスラロームの練習を死ぬほどした。でも、なかなかステップ荷重が理解できなくて苦労。曲がるきっかけをカウンターステアを多用するスタイルが染み付いていたのが原因。中型バイクをカウンターステアしても低速域では反応が鈍く不安定。埼玉のコースは試験の最後の部分で、波状路→スラローム→一本橋となり、スラロームで「帰って来い~」コール多発。  中型免許取得後、CB-1を購入。初めての400cc全開の加速は暴力的だった。その後すぐ限定解除を受験したが、4回ぐらい受験してあきらめた。  CB-1で実家に帰省し、地元の友人がXLR250に乗っており、初めてオフ車を借りたら悪路走破性に感動し、帰宅後、CB-1を下取りしXLR-BAJAを新車購入。ツーリング向けの改造と、モトクロスウェアをそろえて、河川敷でジャンプとパワースライドの練習をした。  その後、バイク便時代でBAJAを手放して、BANDIT400、XLR250、CRM250、ZX-10、SepiaZZ、    「2000年に世界が破滅する」「俺は30歳までに死ぬ」という根拠の無い迷信を信じてきたが、裏切られた。人は暇なときはよからぬコトを考えてしまうと10年来の友人から教えられて以来、「だったら日々を忙しくすごせばいいんだ」と、短絡的に結論が出て、現在に至る。 つづく
生まれも育ちもお茶のおいしい静岡県。3人兄弟の長男。最近は静岡おでんが流行っているみたいだが、俺は静岡おでんが嫌いだった。東京のおでんはうまい。それまで、はんぺんといえば黒であった。東京のおでんの白はんぺんに感動した。

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