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目次

 1.愛の本質

 2.愛と執着


 4.情欲

 5.真実の愛

 6.天使の生涯




1.愛の本質


さてみなさん、土屋書店さんでのシリーズも、第二集に入りました。前回、『高橋信次の新復活』という話でやりまして、まあそこそこ読者からの期待が集まりましたんでね、いよいよお待ちかね、本書では「天国と地獄」へご案内致したいと思っています。

ただ天国と地獄と言っても、まあ広大無辺(こうだいむへん)でございますから、まず天国と地獄を分ける出発点としての「愛」ですね。これについてお話をしたいと思うんです。

まあ、「愛」の本質というわけでありますが、私はね、生前あまり愛については話をしなかったんですね。なぜ話をしなかったか。これには複雑な個人的事情ももちろんあったわけでありますが、まあ、難しいんですね、愛っていうのはね。難しい面がずいぶんあるんです。

それは本当にね、包丁(ほうちょう)みたいなものなんですね。包丁っていうのは、刺身を切ったり、あるいは肉を切ったりできるけれども、逆にね、悪い用途にも使えますね。

そういうふうに、「愛」というのは両面あるんですね。非常に難しいのです。だから愛なんかなければ、苦しみもない面もあるんですね。だから愛があるから素晴らしいところもあるけれども、愛があるから逆に苦しみが増えているところもある。

で、現代人のこの全般を見ておるとね、やはり愛というものはどちらかと言うと、まあすばらしいことが多いよりも、苦しみの方、これが多いような気がしますね。

これは私だけが言っておるんではなくて、インド時代のお釈迦様もやはり似たようなこと言っておるんですねえ。愛っていうのを、決していい意味で、彼は使ってないですね。愛というのはやはり執着ですね。そういうふうな別名のように使っていることがある。

まあしかし、イエス様というのは、愛というのをこれを素晴らしいもの、こういうふうにしてとらえましたね。だからこのへんに、愛の本質についての基本的な考え方がね、多少違うことがあると思うんですね。

じゃあなぜ仏陀は愛を苦しみととらえ、なぜイエスは愛を喜びというか、素晴らしいものとしてとらえたのかね。このへんの違いについて、もうちょっと話をしていきたい。まあ、こういうふうに思います。

これはね、非常に個人的な事情も私はあったと思うんですね。あのような大聖者であってもね、やはり個人の側面、問題もあったと思うんですね。問題点があったと思うんです。釈迦は二十九歳で、カピラ城を出ましたね。そしてヤショーダラという妻と、ラフラという子供があり、また第二、第三、第四王妃がいっぱいおったのに、ほっぽり出して出たわけですね。

そうすると、そうした環境でいくと、釈迦にとっての愛って何だったかって言うと、こうした妻たちをかわいがるということですね。あるいはラフラという子供、これを父親としてかわいがるということでしたね。ただ、まあ、それはそれで人間の道であって、良かったんだけども、残念ながら難しい点としてね、大いなる何と言いますか、悟りですね、成道(じょうどう)のやはり妨げにはなっておった。こういうことが言えると思うんですね。

だから、釈迦も妻を愛するということには、もちろん決して奉仕をしない気持ちはなかったんでありますが、ただ妻に奉仕すると人類に奉仕できない。まあ、こういう面があったわけですね。こういうことで、振り切って出て行った。

これに反してイエス様の場合はちょっと違いましたね、事情がね。やはり独身ということもありましたね。独身ですからまあ、愛に飢えておった、と言うと、こらもう語弊(ごへい)があってもちろんおこられちやいますが、そういうわけでもないんでしょうが、愛というものに対してやはり、イエス様はかすかなあこがれをやっぱり持っておったんではないかなあ。まあ、こういう気がしますねえ。

そして聖書なんか見ても、イエス様っていうのは、やはりイエスを取り巻く女性たちね。いろいろと出まわるわけですが、熱いまなざしをですね、投げかけている面がずいぶんある。まあ、こういうふうに思います。

結構娼婦(しょうふ)なんてかわいがってますが、やはり娼婦っていうのはやっぱりね、顔立ちが悪いと商売できないんですね。だから娼婦の条件ていうのはやはり男好きがするという、そういうことがね、そういう顔立ちであるということ、容姿であるということ、これまあ前提条件ですね。これ外れるとやっぱりお金くれませんからね。そういう人は百姓するなり、大工のおかみさんするなり、やっぱり他の道を探さにゃいけない。

だから娼婦をやるというのは、それなりの社会的ステータスがいるわけですね。女性としての、やはり武器を持ってない人は娼婦になれない。

で、イエス様のまわりにも娼婦がいろいろと出入りしておりましたけれども、一番有名な娼婦がマグダラのマリアって言うのがおりましたねえ。これは高級娼婦でございましてね。なかなか普通のユダヤ人では手が出せないような高級娼婦だったんですね、マグダラのマリアっていうのは。家が貧しかったからそういう娼婦をやっておったわけであるけれども、まあ彼女が主として相手にしておったのは、もちろん地位、名誉のある人が、主(おも)だったんですね。

そういう人であって、イエス様もお金がなかったからねえ、そういう高級娼婦とはお付き合いできなかったわけだけども、マリアっていうのはその罪の意識というのが非常に強かったから、やはりなんとかしてその贖罪(しょくざい)ですねえ、罪をあがないたいっていう気持ちがあった。そこへ神の子イエスが登場した。まあ、そういうことでもって、非常にイエスにすがろうという気持ちがあったわけです。

イエスはイエスでやっぱり神理を説こうと思ったけれども、齢(よわい)三十歳、やはり女性を見ればね、ちょっと目がキョロキョロする。美しい女性が目の前を通ると、やっぱり目がキョロキョロッ、キョロキョロッと、やっぱりね、そらさないわけではなかったんですよね。ま、そういう気持ちはあった。

だからまあ、イエス様も愛を実行できないから、せめて言葉の中では愛についてね、やはり一生懸命言っておった。

「わかってほしい、ね、マリアたちよ。おかあちゃんじゃない方のマリアたちよ。わかってほしい。僕がどれだけ苦しいか」

まあ、こういう気持ちがあったのかもしれませんね。

だから、愛の本質と言って一般論が述べられるかと言う意見もあるでしょうが、そういうふうに聖者たちも個人的事情によってね、多少その色彩、愛についての色合い、とらえ方がね、やっぱりあったんじやないでしょうかね。その違いがあったと思います。


2.愛と執着


まあ、釈迦とイエスの例を話しましたが、高橋信次の愛の本質とはどうなのかと、こういうことありますわねえ。だから私も愛については、そう多くを語りたくない。まあ、こういう個人的事情がいろいろあるんですねえ。

これを言うと、ま、読者が悲しむこともあるんで、読者の中にもいろいろ意見がありましてねえ。GLA時代からの私のファンとか、崇拝者もおるんですね。そしたら私が霊言集の中でいっぱい、「ああいうのが違ってた、これも違ってたって修正するもんだから、「信次先生、もう修正いいから、修正やめてね、もう本論、法の本論入って下さいよ」ってね、痛切に願ってくれる人もいます。私の格が下がったりね、私がかわいそうだと思ってくれるんでしょう。

なぜ、かわいそうか。まあ、そら私も愛の部分で相当苦しんだからですねえ。まあ愛というのはね、人と人を結び付けるもんだけれども、やはりね、人と人を結び付けるところはあるが、この逆にね、胴体にロープを結びつけてね、車のタイヤ引きずっているような面もあるんですね。スポーツ選手なんかはタイヤを引きずってね、体鍛(きた)えておるけれども、通常の人はそうはなかなかいかない。

だからかあちゃん、子供がいると、もうロープで数珠(じゅず)つなぎにうしろにつながってるようなもんでね、身動きできんのですね。車なんかでも、たとえば事故車ってありますねえ。あれを引きずって、クレーンカーかなんか知らんが引きずってんのありますねえ。ああいう、うしろに車引きずって走っとる車見たら、もうどこも行けんですね。

あんなので、あなたドライブなんか絶対できないですね。恥ずかしくって、あんなのじゃイヤヨって言いますね。うしろに引きずるカンカラぐらいならいいんだけど、ああいう車引きずっては無理ですね。そういうふうになる。

だから私もね、やはり愛の問題ですいぶん、まあ恥ずかしながら苦しんだことがあります。その愛というのは、決して男女愛だけじゃなくてね。幼い頃からいろんな苦しみ受けてきました。家庭環境の中でね。

まあ、信州の方に生まれて、貧農の出でね。貧乏人の子沢山(こだくさん)。まあ、まだ身内生きてますから、あんまり言うといけないんだけども、証明のためには言うといいんだけど、まあ言うと、身内がやっぱりいやがるからね。こらこんなこと言われたら嫁に行けんとかね。婿(むこ)が来んとかいろいろ言われるといかんから言えんけども、まあ、貧乏人の子沢山ていうんで、すいぶん苦労しました。

えー父はまあ純情な方でね、一徹(いってつ)な方でしたし、母は信仰一筋の方でした。まあ信仰の方であったと思いますね。真実の母、それから貧乏人であったけども信念の父と、まあこういう両親のもとに生まれて、子沢山でね、ずいぶん経済的な問題でも苦しみましたし、それ以外にもいろいろとね、幼少時から苦悩することが多かったです、私はね。苦労しました。

また私の本の中にもいろいろ触れてありますようにね、十歳の頃から原因不明の病気ということで、何度も死に見舞われると、まあ、こういう経験もしましたんでね、両親はずいぶん私のことは特別に、なんて言うかね、気を遺(つか)ってくれました。まあ、そういうこともありましたね。だからずいぶん、両親の愛という面で私は飢えてませんでしたけどね、両親の愛というのはずいぶん面倒見てもらったと思います。

ただ何と言いますかね、幼少時にやはりいろんな悩み、苦しみ、家庭環境や自分の境遇、逆境に対するね、悩み、苦しみ、こういうものを持ちましたね。そしてなんとかしてそれを打開しよう、それから抜け出そうと努力したり、もがいたりしましたし、まあ勉強もしたこともあるんですがね。私は大して頭が良くないですから、そんな秀才コース乗るわけでもありませんでしたけどもね。勉強もやはり、したこともあります。

それから戦前、戦後、飛行機乗りから始まって、石けん売りからラジオの組み立てまで、いろんなことやって生活をつくっていったわけですがねえ。その頃にはやはり苦しみ、ありましたねえ。

そしてそうした環境の中で、私が思ったことはね、やはり人間は、自分の力というものでね、なんとか環境を克服(こくふく)していかねばならん。まあこういうことが、私自身の悟りでもあったわけなんですね。

なんとかして環境を克服したい。いろんな不幸や不遇(ふぐう)があるけれども、これに流されてしまったんでは、何のために今世(こんぜ)生を受けたかわからん。だからこの悩み、苦しみをね、なんとか切り抜けてやはり自力でね、立ち上がっていかねばならん。まあ、こういうことが私の強い出発点、これになったわけなんですね。人生の出発点はまず、自分の力で、自分の両足で立つっていうことですね。

それは、まあ私を見てあざけったりね、笑ったりした友だちもいっぱいいましたけども、そういう恵まれた環境にいる人はともかく、やはりね、裸一貫で出てきたんだから、裸一貫でどこまでやれるかが、やはり今世の勝負だということで、私はね、自分でやはり立つということを強く考えました。

父や母は私を愛してくれましたが、ただ父や母が私に残してくれたものっていうのは何もなかったわけですね。何もない。だから愛はいただきましたけども、それ以外のものはなかった。社会に出て私がそれが武器になるようなものは何もなかったですね。貴族の出でもないし、金があったわけでもないし、ね、そんなに学があったわけでなし、まあいろんな悩み、苦しみがありました。

だからそういう環境で育って私は、自分自身振り返ってみると、愛というけれども、愛という言葉の響きの中にあるセンチメンタルな部分ですね、これに対して私はほど遠い感じがするんですね。愛という言葉になんと言いますかねえ、霧がかかった橋の上で、男女がこう睦(むつ)み合うって言わないんでしょうね、何て言うんでしょうか、言葉を交わし合う雰囲気ね。「今度いつ会えるの」って言って、指輪交換するような情景というのは、私にとっては無縁であったわけであります。

私は霧のかかった橋のたもとで、ござ広げて商売する雰囲気でありましてね。私が商売してる上で、そういう男女が睦み合う姿がございましたが、そういうのをやはり下から仰ぎ見ておったような、まあ、こういう青春時代でありましたね。

そういう意味で愛というのにそういうなんと言うか、センチメンタルなものが付きまとうと、なんと言いますかね。なんと言うか、恥ずかしいっていう雰囲気ですね。

もちろん十代でも好きになった女性もおりましたが、私はね、人前に出るとやっぱりね、みなさんね、私がテープとか講演で大威張(おおいば)りで太鼓腹(たいこばら)出して言うとるから「あいつ厚かましい野郎だ」なんてね。「面(つら)の皮一センチぐらいあるんじゃないか」なんて思ってる人もすいぶんいるでしょうが。

「なんだ、釈迦だ、モーゼだ、イエスだ言うてギャーギャー偉そうに言うんだからよっぽど鉄面皮(てつめんぴ)に違いない」って言う人もいらっしゃるでしょうが、ま、私は純情でございましてね。ま、正直な話、だから好きな女性でてもねえ、もうほんと赤面症で、もう女性の前出ると真っ赤になって何も言えない。そういう性格だったんです。

だから妻と結婚して子供ができたなんて人前で恥ずかしいーってね。なんで子供ができたんだろう、恥ずかしいっていうのはね。ま、そういう純情な私でございました。

だから愛というものに対しては、もう恥ずかしいーっていう気持ちのほうが強かったですね、どっちかと言うと。だからそういう豊かな恋愛感情っていうのはあまり持てなかった。

まあ結婚したわけですから、妻との出合いとかいろいろございますが、このへんは向こうもまだ生きている身でございまして、GLAってとこの会長やっておる身でございましょうから、あんまりね、私が古い話を言うと商売差し支えることもあるんで、このへんは濁(にご)しておきたい。ま、こういうふうに思いますね。

ただ私はね、愛というものに、一つの悲しさというのを感じたんですね。悲しさって何かって言うとね、ま、愛というものは、その自分の希望がかなえられた時っていうのは非常に嬉しいんですけども、なんと言うか、やはり裏切られることって多かったですね。

そしてさっぱりした性格の人はそれでいいけれども、やはりね、執着っていうのがあるんですなー。執着というのがある。

皆さん、ご経験があるでしょうか、読者のみなさんはねえ。女性にふられてねえ、下宿の二階で「あーあ、なんとかちゃーん」ね。「良子ちゃーん」「桂子ちゃーん」ね。「ミカちゃーん」なんてね。「あー僕は恥ずかしいー」ってね。「ミカちゃーん」なんてね。こういう気持ちがあるでしょうか。どうでしょうか、わかるでしょうか。ふられてねえ、もう一年経(た)って「あー」なんてね。下宿の二階で時どき遠吠えしたりしてね。四つん這いになって、六畳の部屋四つん這いで這い回ってね。「あーあーあー」なんてね。「恥ずかしい」なんてね。こんなことをね、思った経験、言った経験がみなさんありましょうかね。

そして最後のデート誘って、映画館に入ろうとしてね。「僕と結婚しない?」なんて言って、「なにバカなこと言うのよー」なんて、「私は他にいい人いるわ。あんたなんて遊びよー」なんて言われてカクーッときてね。そして、ものすごくふかーく深手を負って、そして下宿の二階で六畳で四つん這いして「アオアオアオー」って、あなた動物の吠え声の真似(まね)してね、吠える真似したりして、叫んどると、洗濯物干しとった下宿の奥さんが心配してね。「どうしたのー、どうしたのー」ってね。「信次ちゃん、どうしたのー?」ってね。「春雄ちゃん、どうしたのー?」「春雄ちゃん、気でも狂ったの。頭、大丈夫?」「いや、奥さん大丈夫ですよ。僕、心配ないです」「でも今、『ミカちゃーん』とか、ねえ、『エリコちゃーん』とか言って叫んでなかった?」って。「いや、そんなことないです。あれはあのう、学園祭で今、あのう劇やっててその稽古してるんですよ、そうですよ」「春雄ちゃん、本当?」「そうですよ、僕、大丈夫ですよ。正常ですよ」って。「でも、その割には、夜中に時どきワオーワオーって吠え声が来るんじゃない?」なんてね。まあこんな瞬間もあったでありましょう。

まあそういうことでね、愛と言うにはなんか悲しい執着をね、私は感じます。だから、天上界に還って今、思うのにね、地上に出ている男女がね、みんな愛が成就されてね、思った通りみんなハッピーになっていったらいいなーと思うんだけど、見ていると失恋の方が多いんですなー。悲しい話の方が多くてね、世の中は。苦しみばかりが多い世の中で、なかなか成就せんのですよ。で、たまに成就すると、またそこに苦悩があるんですねー。これを次の節で話をしましょう。


3.現代人の苦悩


まあそういうことで、愛は悲しくつらいもの、そして執着になるとやはり切ないもの、ま、こういう話しして来ましたが、本節で現代人の苦悩ということでね、ちょっと話したいと思うんだな。

現代人の苦悩はね、僕は結局ここにあると思うんだ。経済問題だな。愛に関する苦悩の一番は、経済問題だと思うんだね。やはりね、結婚するということによって、男は相当なやはり重荷ですよ。これは重荷です。

少なくとも奥さん食わさにゃいかん。ま、子供が出来ちゃうんだな、不思議にね。なんにもしないのにね。なんかあのう、神社の木の股(また)から子供が生まれちゃうんですよね。こうのとりが運んで来るんですね。子供が出来ちゃうんです、ポコポコとね。えー佳子だとか、真由美だとか言うて子供ポコポコ出来ちゃうんですよ、ね。不思議に出来るんです。こうのとりが運んでくるんですね。

ご主人は聖者であるからそんなこと絶対あり得ないんだけども、こうのとりがどこからともなく運んで来て、ペリカン便で運んで来て、子供が出来ちゃうんですね。

出来た時、まあ男性はもちろん「自分の分身が出来てよかった」と思う人と、[分身が出来て、しまった!]と思う人いるんですね。「あー自分そっくりだ、いやだなー」なんて思う人と、「お、自分そっくりでかわいいじゃねえかー」なんてね、思う人。「しまったー、これから二十年間おれは働かにゃいかん」って思う人ね。子供大きくせにゃいかんから。まあこういう苦悩もあるんですねえ。

そうすると男はそれでね、やはり結婚、それと子供が出来るということで、少なくともまあ二十年じゃだめだね。二十五年は要するに、もう借金と一結なんですね。借金してんのと一緒で、ローンですね。一種の、住宅ローンと一緒で二十五年間は、要するに払い続けにゃいかんわけですね、その借金を。そういうことと一緒なんです。

それを考えて結婚の時ね、あんな美しい女性ね、あーミロク菩薩か、聖観世音菩薩かと思って飛びついた女性がこんな大きな苦悩生むとは思わなかった。ということで、非常な後悔をするわけですね。

女性に対する男性の幸福感、喜びっていうのはほんの一瞬で終わってしまって、苦悩の方はもうニ十年、三十年、と続いていくんですね。まあ、こういうことで、どう差し引き計算しても損したと思い始めるんですね。男性っていうのは。ま、九分九厘そう思います。「あっ、しまった!」あとは言い訳の人生が始まるんですね。「おとうちゃんはやりたいことがいっぱいあったのに、おまえや子供たちのために犠牲になった。おまえたちのために身を粉にして働いた。おまえたちのために面白くもない仕事を一生懸命やった。おまえたちのために出世も出来なかった。出世の声がかかったけども、おまえたちのために転勤を拒否して、わしはヒラのままで終わった」とかね。「こんな仕事とっくにやめたかったのに、おまえたちのために」ね。「おまえたちのために」という言葉で生きていくんですねえ。こうして偽(いつわ)りの人生、まあこういうのが始まるわけですね。

だからこの愛の問題ね、つきつめてみると、やはり経済の問題に僕は行きあたると思いますね。だから経済の安定と、あと男の自己実現ですね、男性の。こういう問題になると思うんだな。

この世の中でね、現在、管理社会って言いますが、そう簡単に自分の思い通りの人生送った人っていっぱいいないですねえ。なかなかいないんですねえ。難しいですねえ。そういう世の中なんですね。抑圧の強い世の中でしてね。どうやって自分を殺すか、身を殺すかということばかりが大部分なんですね。

こうした中で、男性は、まあ女性も一部はそうでしょうが、管理社会の中で、非常に圧迫感、これを受けてくるんですね。かたや経済的重荷がある。自由にものが言えない。言いたいことあっても、それをグッと我慢して、抑え込む。こういうことで非常にサムライ社会のような、抑圧された管理社会になるんですね。

まあ、これももっと自由自在にしてやりゃいいのだけれども、そういう自由自在にしようと思ったら、昔のお百姓さんのようにやるしかないんですね。自分とこで畑で作物つくっとる分にはね、誰も何も言わんからそれでいいんですが、今さら肥桶(こえおけ)担いであなたね、大根つくったり、サツマイモつくったりする人いませんよ。みんなネクタイぶら下げて行くんだね。なんとか物産だとかね。なんとか商事。あるいはなんとか生命とかね。こういう会社の名前で生き甲斐を感じとるんだな。こういうふうになってくる。

で、職場ではやはり、自己実現が出来ない。家庭では奥さんと子供、こうしたものとの板挟みね。奥さんはだんなさんが何をしているか全然知らない。お子さんは、「もうパパは要するに月給取りよ」って。こうのとりじゃない「月給取り」で、ねえ、「給料日だけは早く帰って来るけど、あとは帰って来ないのよ」ってね。給料日だけポンと札たばを出したらあとはいばっちやって、その給料日もだんだんいばれなくなっちやって、なんでかって言ったら、自動振り込みになっちやって、銀行振り込みになって、月給袋くれないもんだからいばれない。だから印刷した袋出して、
「これ、この通りだぞ、こんだけ入ったぞ」
「まあ、あなた、今月もずいぶん引かれてるのね。天引きが多いわね。天引き二十万もされてるわよ」
「うーん、だけど額面は多いぞ」
「額面は多いけどあなた、これローン引いたらもう手取り二十万ないじゃないの」ってね。
「どうやって生活するの、こんなので。あんた今月は五万円以上使っちゃだめよ、おこづかい」

なんてね。こういうこと言われますね。苦悩ですね。現代人の苦悩。大きいですね。

女性は女性で苦悩がありますねえ。そういう主婦みたいなのがいやなら、OLやっとるわけだけども、OLはOLでね、今、心がものすごく荒んでますよー。OLの心はね。

まあだんだん給料は上がっていくんだけど、収入は増えていくんだけども、だんだん男性がね、相手にしてくれないんですね。二十五過ぎたら急速にみんな遠ざかってね。ところが毎年、春、四月になると新入女子が入って来るんですねえ。高卒や短大卒の二十(はたち)前後のかわいい女性が入ってくると、男性社員はねえ、「おい、OOちゃん、おい、飲みに行こうかー」とかね。「おい、カラオケ行こうぜ」ってね誘いに行く。「わたしは?」って言ったらね、知らん顔して「あ、残業ご苦労さんですな」って、横通り過ぎて行くんですね。くやしいねー。だけど早く五時半に家帰ったって何もすることないしねえ。お稽古ごとはね、入社して三年間ぐらいお稽古ごともやったけど、入社して五年も、十年もしたらね、お稽古ごとも、もうやる気はないんだよね。

「あー十年前はよかったなー。十年前は月から木まではもう、びっしりお稽古ごとでね。そうねえ、月と水はソニーの英会話よ。で、火曜日はお花の、ね、お花の勉強、ね。で、木曜日はね、私はヨガやってました。金曜日だけしょうがないからあけてたら、もうお付き合いでいっぱい。申し込みが殺到するから。で、土日って言ったらもう男の子がテニスに行こうぜってね。もう、ドライブに行こうって誘われてうるさくて、一週間疲れがたまって、もう休まる時なかったわ」ってね。十年前のことボーッと思い出してますね。

そして職場でね、七時ぐらいまで、七時、八時まで残業するんですね。パチパチやってて、残ってたら男性も二、三人残ってる。

「声がかかるかな、もう八時近いから、『春子さん、食事しに行かない?』ってかかるかな、かからないかな」と思いながら計算機パチパチはじいていると、「じゃあ、春子さん」って、ドキッとしてハッと思うと、「お先に」なんて言ってね。帰っちゃうんですね。

あるいは結婚している男性になると、もう夜七時過ぎたらね、部長とか役員がいなくなるもんだから、帰っちゃってね。そして電話とって、私用電話ですねえ。会社の電話回して、「おい、今日はな、ちょっと付き合いあるからなあ。帰るの十時過ぎるからね」とかね。「おい、帰るぞ。メシつくっとけよ」とか言ってかけてるんですねえ。ご主人さんがね、会社の電話で。くやしいですね、こんなの聞いてるんですね。

八時まで経理パチパチやってるとね、社内放送かかりましてね。「もう八時になりました。女子社員の方は全員お帰り下さい」こんな社内放送かかるんですね。そしてスゴスゴ帰る。暗いアパートにまっすぐ帰るんですねー。寂しいですねー。

時々悲しくなってね、渋谷かなんかの雑踏に出るんですねえ、夜の八時から。そして街角歩いてみるんですね、一人でOLがフラフラと。声かからんかなーと思って。かかると、たいていもうチンピラのあんちゃんですね。「男かな」と一瞬思うんだけど、黒メガネかけとるんで、怖くなって逃げますね。こうして寂しい寂しい三十代に入っていくんですね。だから男女とも、苦悩というのがあります。


4.情欲


本節は非常に大事な節なんですね。そういうふうに現代人というのは苦悩に苦悩を重ねておって、男性は抑圧されておる。女性は女性でね、女の盛りは短くて、もう桜の咲くのはもう数日間、あとはもう花は散ってね、もう寂しいものなんですね。声がだんだんかからなくなる。

だから、二十三、四の頃のあのときめくような緊張感、ね。もう二十五までには結婚するんじゃないかと思って、ね。会社に入ったら人事の、人事課長からね、女子社員への訓辞がある。そして「いいですか。あのーみなさん、クリスマスケーキっていう話をご存知ですか。えー知らないって、知ってる人」って誰も手を上げないね。女子社員、知ってても手上げない。「あーわかんないですか。クリスマスのケーキっていうのはね。みなさん二十三日売れると思いますか。売れると思う人、手上げなさい」って言ったらみんな手上げるね。「じゃあ、二十四日、クリスマス・イブは売れると思いますか」って言ったら手上げるね。「二十五日、クリスマス当日は売れると思いますか」って言ったら手上げる。「二十六日売れると思いますか」って言ったらね、誰も手が上がんない。

「わかりましたか。クリスマスのケーキが、ね。当社人事部ではね、そういうふうにクリスマスのケーキ理論でもって、女子社員教育やってますからね。いいですか、みなさんね、クリスマス・イブをねらうんですよ。最悪でもクリスマスの当日に売れるように。二十六日になったらもう買手つきませんよ。あとはもう百円で売らないと、一箱百円ですよ。もう大晦日(おおみそか)になったら買う人誰もいないですよ、ね。わかってますか」なんて教えられるんですね。

そしてね、「ムッ」とするんですね、話聞いて。「なによ。女性はこれからよ」。「年齢じゃないわ。キャリアよ。キャリア・ウーマンよ」なんて、思うんだけど、現実二十五あたりで苦悩をつくりますね。そして、六、七、八と行きますね。悲しいですねー。

まあそのあたりでね、だいたい二十五過ぎたあたりで結婚行きそびれると、やけになるんですね。だからやけになってね、女性は三十までにはね、もうとにかく「もうええわ」ってね。「もうなんでもええから、すっきりしなきゃあ」って言うんでね。

まあ男女の経験ないままに三十過ぎる人はそんなに多くないんですね。私が天上界から見てて、男性の経験なしに三十過ぎるOLというのは、そうだね、でもやっぱり二割はおるねえ。どう見ても一割とは言わんね、二割はおるようですが、みんないろいろ経験したようなふりしてやってますねえ。

あとの人はそれこそ職場の上司とかね、そうなるとやけのやんぱちで酒飲んでね、酔っぱらったふりして花を散らすわけですね。で、二十代前半はいろんな男性から声かかるんですね。そして会社の中でまた社内結婚の前提だと思ってね、いろんな男性といろんなお付き合いをする。

けれどもまあやがて、勝負運が強ければね、誰かとくっつくんだけども。くっついてね、社内の男性、ご主人は苦悩が始まるんですね。あとで知るわけですね。「チェッ、あの野郎、おれの後輩のくせにうちのかあちゃんと、そうかー、おれの前にできとったか」って、後輩の首絞め上げて「おまえ、おまえ、うちのかあちゃんと、おまえ、おまえ、許さんぞ!」って言ったら「いや、先輩、先輩、僕だけじゃないんです。あいつもそうなんですよ」「なにっ、あいつもか」「いや、あいつだけじゃないんです、あいつもそうなんです」「うそ、うちのかあちゃん、この野郎、一人だけと思ったら三人、あーくやしい」ってね。ここにおいて、男はもうくやしい思いがあるんですね。

だから男性どうしがヒソヒソ話してたら「あっ、おれのこと言ってるんじゃないか」「『あいつはかわいそうにさあ。後輩のねえ。あーあーねえ、中古でねえ。かわいそうにねー』なんて、考えてるに違いない」なんて気がするんですね。被害妄想になってきます。そして社内で、非常にくやしい思いをする。

そうすると男性はね、三十過ぎると、今度はもう夜の巷(ちまた)に繰(く)り出し始めるんですね。面白くないから。「あの野郎。あんなの嫁にもらっちゃって、今さらもう部長が仲人(なこうど)したからどうしようもない」ね。「しょうがない。しようがないからもうそら離婚はしないけどクソ面白くねえ。もう子供さえ出来ればどうでもいいやー、女じゃねえやー」なんてね。

あとはもう夜の巷(ちまた)繰り出しちゃいますね。そしてカラオケ、お酒、ね。それからあとはもうお定まりのコースですね。日本人がいやならもう最近はフィリピン人、いろいろありますね。まあ、そんなところへ放浪してます。悲しいですねえ。

で、男性はなぜそんなところを放浪するかって言ったら、結局のところ見ればやっぱりその最初のね、結婚運のところに問題がある場合もあるんだな。そういう時にやはり可憐(かれん)なね、純情な結婚したかったのが、なかなか現代の社会ではそうはいかない。ま、こういうことがありますね。そして、うさ晴らしをしておるんですね。

奥さんは奥さんでやってますねー。だんなが夜帰って来ないね。金曜日の妻、金妻(きんつま)って言って、もう絶対帰らない。だから金曜日の夕方になったらお化粧パタパタしてね、もうお友だちの奥さんたちと一緒に組んじゃってどっか遊びに行くんですね。お付き合いやるんですね。なかにはひどい商売している人もいますね。こういうことします。

あるいは商社マンだ、銀行マンだって言って、夫が単身赴任、あるいは海外勤務ね、なんて大変ですね。特に最近は単身赴任の問題、非常に多いですね。

銀行マンなんかと結婚した人はね、商売は堅いし、銀行というのは間違いないということで見合い結婚して、銀行マンの妻になったのはいいけども、銀行マンは転勤が多いんですねえ。奥さんはそんなことあんまり考えずに結婚しちやった。職が堅いと思ったら、銀行二、三年おきに転勤あるんですね。支店めぐりが。何でやるかっていったら、長いことおって金使い込んじゃったらいけないからね。あるいは地元とくされ縁出来ちゃって、地元の企業や会社とね、くされ縁出来ちやって不正融資(ふせいゆうし)したりね、あるいは乱脈経営したり、いろんなことするから二、三年おきに転勤するんですね。

だけど奥さんそんなことわかんないもんだから、「うちの主人ったらもう二年おきよ。もう支店から支店ヘグルグル人工衛星よ。どうなってるのかしら。よっぽど出来が悪いんかしら。どうなのかしら。問題あるんじやないかしら」ってね。こういうふうに思いますね。

そして会社の寮、あるいは社宅に入っていろんな近所の奥さんと話ししていると、「お宅のご主人、ほんと転勤多いね、支店ばーっかり。どうせまあ五十過ぎて支店の次長で終わりよ。どこか田舎の支店の次長で終わりよ。宅の主人なんか支店は一度だけ東京支店で経験しましたが、あとはずっと本店ですわ。本店で企画部門ずっとやってますのよ。もうエリートですわ」なーんてね。こんなことやる人もいますね。奥さんは奥さんで欲求不満たまってきますね。なんせご主人の顔も見えないんですからねえ。

単身赴任て言って、まあ東京にいて家があって、名古屋だ、大阪だ、単身赴任しますねえ。で、会社によっていろいろ違うけど単身赴任手当とかね、ま、月四万とか、出るわけですね。月四万円たってあなた新幹線で往復したら二万かかっちやいますね。それだけじゃない。おみやげ買わないかん。なんかかんかいったら月二回以上往復したら、足が出ちゃうね。単身赴任手当、足が出ちゃう。月一回になるね、帰ってくるのは。

そして、ご主人は単身赴任寮で、寂しく洗濯物洗っとんですね。ハイターかなんかでね。キッチンハイター、あ、キッチンじゃないね、ハイター、ブルーダイヤでやっとるんです。で、たまに電話する。「おい元気か」「あ、元気よ。子供はもう寝てるわ。じゃあね」なんてね、これで終わっちゃいますね。こういう単身赴任の問題ありますね。これで、女性は苦悩つくります。

だから単身赴任の場合も、まあ、貞淑な妻っていうのも減ってきておりますねえ。「どうせ結婚前にいろいろ経験した私。今さら何の操(みさお)よ。もう古いわ、そんな古い宗教概念なんてもう通用しないわ。現在ではもう全然ダメよ。隣りの奥さんだってもうエンジョイしてるんだから。だんなっていうのは要するに月給持って来るための、月給取り。もう働きバチよ。女は女の生き甲斐があるのよ。私だってもう早くスカンクの首巻き(注、ミンクのえり巻きのことと思われる)かなんかしてみたいわ。うちの主人のあれじゃあれだから、もうちょっといい遊び相手でも探さなきや」なんてね。こんなことを考えますねー。抑圧されてますねえ。非常に、非常に悲しい。悲しい現実というのがあります。