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目次

 1.夫婦の縁

 2.恋愛の季節

 3.結婚問題


 5.夫婦の努力




1.夫婦の縁


高橋信次です。みなさんこんにちは。久しぶりですね。結構私もむずかしい本を作りすぎまして、肩が凝ったもんですから、本書はちょっと方向を変えまして、「あなたの心を幸福にする」という副題で、作らしていただくことになりました。

みなさんねえ、本の題名考えるの結構大変なんですよ。もう、きのうから私一日考えていたんです。もともとこの『高橋信次の愛の讃歌』をやるつもりでいたんですね。ところが、私の直前にミカエルというのが出てきましてね、『大天使ミカエルの降臨』というのを作っちゃったんですね。そしたらなんか、九次元霊になりたそうな言い方の内容をいっぱい言うんですねえ。まるで九次元霊じゃないかというような感じで、地球生命が危ういなんて一生懸命言うもんだから、私はそのあと「愛の讃歌」やろうと思ったらひじょうにやりにくくなりまして、気分かそがれました。そして、「高橋信次九次元からのメッセージ」というのを打とうかと思ったんだけれども、そうすると大川先生のほうが「もうくたびれたからいいやー」なんて言うもんで、やっぱり考え直して「愛の讃歌」をやることになりました。

そういうことですから、私もミカエルより偉いか偉くないかをほんとうは証明したかったんだけども、残念ながら、そういう諸般の事情がございまして、こうしたソフトなものになりました。やがてまた、ハードなのをぶつけたいと思っていますが、ま、それまでちょっとの間、がまんしてください。なにしろ私の読者層はひじょうに広いもんですから、男性だけを相手にしているわけでもありませんし、インテリだけを相手にしているわけでもありません。とにかく読んでくれる人ならだれでもいい、というのが私の姿勢です。

そういう意味で、なんですね、浮気っぽいかもしれませんね。こういう人はやはり夫婦調和がひじょうにむずかしいですね。奥さんが気をつけないと、うちの旦那さんどこかに行って色目使うんじゃないかなんて、心配になってきますね。だいたいこういうタイプの旦那さんですね。そういうことになるわけです。

そこで、まあ前回、前々回ですか、ちょっと前に『高橋信次の新幸福論』というのを出しました。意外に好評でございまして、いろんな人から「高橋信次は家庭教の教祖ではないか」というようなお便りもありましたし、ぜひ、第二集というふうな声もありました。ありましたってほんとは聞いたことがないんだけど、あるんじゃないかと想像しているんですね。最近、私はあまり手紙を読ましてもらえないもんで、よくわからないんですが、あったんじゃないかなあと、推定しているんです。そういうことで、好評にお答えして、第二集、第二弾をと、いうことなんですね。

しかも、特に夫婦、男女の問題に、なんて言いますかね、決定版とも言えるような霊言がいるのではないか、ということなんですね。他の霊ではこれは決して語れないんですね。みなさん、私が語ろうとしている本の内容わかりますか。「夫婦調和の法」、「三角関係解消の法」、「セックス・トラブルの巻」、「親子の葛藤」、「離婚・再婚を乗り切る法」、「愛の讃歌」、こんなの言える人がほかにいるでしょうか。イエス様がはたして言えるでしょうか。この題で話ができますでしょうか。あるいは、天之御中主(あめのみなかぬし)之神様はどうでしょうか。谷口雅春先生はいかがでございましょうか。まあ、いろんな方がいらっしゃると思いますが、こういう題で話をするというのは、相当勇気がいるんですね。あるいは度胸がいると言ってもいいでしょう。

それが言えるためには、そこそこの実績というものが必要なんですね。実績があって初めて言えるんですね。その人の信用度の問題ですね。あるいは、それ以外のところで十分に通用する力を持っている人であるからこそ、こういう三角関係の話をしても九次元霊として信用されるんですね。こういうことがあるわけです。私はひじょうに実績を重視しておりますから、過去何冊積み上げたかわかりませんが、それだけの実績があるんなら、多少オフィス・ラブや三角関係のことを言ってもいいだろうと、まあこういうように思っているわけです。

予告が長くなりました。たしか話は夫婦の縁でしたね。夫婦の縁があるかないかということですが、もちろんあるんですね、みなさんあるんですよ。この世で偶然に夫婦になるっていうことは、まあないと思ってまちがいないですね。偶然中の偶然みたいなものがあるかもしれないけれど、でもやはりまったくの偶然ということはないと思います。

さて、私も生前の教えのなかで、夫婦の縁というのは決まっているんだと言っていました。生まれてくる前に約束してくる、という話をしていましたね。で、こういう話をしていると、GLA時代もすいぶん質問が多かったんですが、「じゃあ再婚はどうなるんだろう。離婚は? 四回も結婚する人どうなるの。いろんな人と結婚して、それぞれ子供できるのはどうなるの。愛人で子供生むのはどうなるの」と、こういうふうにうるさい質問がいっぱい出てきましたね。まあ例外はなんでもあるもんですから、そんな例外ばっかりとらえて全部計ろうとするのは、そもそものまちがいなんですね。やはり、本則というのがありまして、本則はやはり夫婦は縁があってなるもんです。ただ例外事象として、いろんな魂修行のために、その変形が出てくるんですね。そのように思わなきゃいけませんよ。

だから、夫婦の縁というのはねえ、みなさん、偶然では決してないんですね。たまたまいろんなきっかけで夫婦にはなるんですね。ある人の口ききでなったり、偶然どこかで出会ったりね。あるいはもっとひどいのになると、彼女のまつげが気に入ったとかね。彼女の背骨の出方が気に入ったとかね。彼女のペチャパイを見てかわいそうに思って結婚したとかね。いろいろあるんですよ。髪の毛がちぢれているのを気に入ったとかね。鼻の穴が片方だけ上を向いているのを見て気に入ったとかね。まあそれはねえ、いろいろなんですよ。つくえから物を落として彼女がしゃがんで、それを拾い上げるしぐさが可愛かったとかね。まあほんと世の中には、これほどいろんな発見があるのかと思うほど、男女の愛というのはいろんなきっかけで生まれるんですね。

だからこの考えに立つとね、不思議なのが今の見合い産業ですね。カップルを作るために、いろんなコンピュータ診断なんか入って、見合いやっていますねえ。年収であるとか、身長、体重、学歴ね、職種、いろんなものを比較しておたがいにつりあうか、つりあわないかね、こういうことでやってますが、ああいうのをやると神秘感がすこーし薄れますね。まあそういうふうに思います。でもやっぱり、あれでもくっつく人は縁があることは事実です。

だから、夫婦の縁ていうのは、そうだね、やっぱり九十パーセントぐらいはバッチリ決まっていると思って、ほぼまちがいないと思いますね。百人いたら九十人ぐらいですね。だから出てくるときに、いちばん最初に決めてくるのは何かというと、たいてい夫婦のこと決めてくるんだよね。仕事なんてまあ少々変えたって構わないしね、やめたって転職したって、食っていければそれでいいんだから大したことはありませんが、結婚の相手ぐらいは決めてきます。

それと、相手決めとかないと子供は決められないんでね、たいてい親子の約束してきます。親子の約束をしてくるという以上は、妻となる人決めてこないと親子の約束はしにくいですね、ひじょうにね。そういうことで、出てくる子供は三十年以上あとに出てくるんですから、二十何年から三十年ぐらい後に出てくるんですから、その子供まで決めてくるというわけだから、もちろん結婚の相手ぐらいいなきゃ困りますね。まあそういうことなんです。

その結婚の相手はじゃあどうなるのか、過去世で夫婦であったからなるのかって言うと、まあ過去世で夫婦であった人が結婚する可能性はやはり、そうねえ、九十七、八パーセントぐらい出ていると思います。九十七、八パーセントぐらいは過去世で夫婦であったもので、残りの二、三パーセントぐらいが、やはり今回初めてというケースになると思います。また、三角関係とか愛人とか、いろいろ話するけど、同時代に過去、複数妻であった人が出ている場合なんかあって、ややこしいことも起きることもあります。ただ約束はそうしたものです。たいていしています。

それと、まあ生まれてくる人の人生計画に応じてね、多少いろんな挫折があったり、健康を害されたり、事故で死んだりするようなこともあるかもしれないという恐れがある人生計画のある人は、やはりサブと言いますかね、もし駄目だった場合の万一の場合を考えて、第二契約、第三契約をしていることが多いです。生命保険みたいなもので、保険みたいにやってるんですね。

もし万一、結婚できなかった場合、あるいは相手が死んじゃったりした場合には、頼みますよというのがあるんですね。そうすると、その人とそういう約束をすると、その人も自分もやっぱり心配になってきて、やっぱり二つ、三つまたがけしとく、その次の人もやはり、こういうことで一応順位をつけて、抵当権みたいなもんだね、またがけしていくんですね。

ただ、そのときに混乱が起きないように、守護霊によく頼んでおくんですね。で、守護霊は「わかった、わかった。時期が来たら、ちゃんと俺がやってやるからね」と言ってやるんですが、居眠りしているような守護霊に会うと、困難が起きることもあります。まあそういうことです。だけども、メインと言いますかね、いちばん理想のカップルというのは、はっきり決まっております。はい、これはまちがいないと言ってよいでしょう。これが夫婦の縁です。


2.恋愛の季節


さて、生まれ落ちて二十年、いちばんうれしい季節が恋愛の季節です。みなさんはいつごろから、この恋愛というのを経験されましたでしょうか。早い方だと七歳とか八歳とか、あるいは九歳、十歳、中学はいってから担任の先生に初恋したなんて、まだこんなのは初恋とは言わないんですが、ほんとはね、担任の先生にあこがれたということであって初恋とは言わないですが、まあ中学校はいって初恋をしたというような人もいるでしょう。

恋とはなにか。これはわからないねえ。子供時代だと恋というよりも、まだ可愛いというかね、好きだと言ってくれるとうれしいっていうような、そんな感じでしょうかね。契約関係の芽ばえみたいのがありますね。それは、小学校ぐらいからもうぼちぼちあるんですね。彼女というほどにはませていないんだけども、おたがいに好きだというような意思表示が、一種の契約みたいな感じがあって、そうした契約関係ができ上がるとうれしいんですね。この目に見えない契約関係みたいなのを結ぶ、そういううれしさがありますね。

この契約関係みたいなのは、中学校ぐらいになって来ると、もうちょっとはっきりしてきますね。自分のボーイ・フレンド、ガール・フレンドということで、もうちょっとはっきりしてくるんですね。高校生ぐらいになると、もしかしたらという考えがありますね。もしかしたら結婚するかもしれない、という感じがあるでしょうね。そういう感じもあって、ちょっとステディに近づいてくるかもしれませんね。まあ高校卒業して、すぐ結婚する場合だと、高校時代のボーイ・フレンド、ガール・フレンドと結婚することもあるでしょう。ただ、まあ大学行ったり、いろいろ勤めしていたりすると、また趣味が変わってくるというのがたいていの常なんですね。

じゃあ、この恋愛の李節っていうのは、いったいなんなのかということですね。結婚の相手決めてきたんなら、ドンピシャリと最初に思った人と結婚すればいいじゃないかと、まあこう思います。それならミスがなくて手間がはぶけていいと思うけれども、残念ながらそうはいかないのが世の常なんですね。そこで、九十九パーセントぐらいの人は、結婚する人ではない他の人と恋愛というものを経験しております。

それはねえ、結局、なにごとも練習というものがいるんですよ。やっぱりね。練習と言っても、変なことを想像しちゃいけませんよ。変なことを想像しちゃいけないんだけども、結婚生活というのは、大人になってからの契約関係なんですね 。いわゆる法律もはいった契約関係です。で、その契約関係でやっぱりなんていいますかね、男と女が四十年、五十年いっしょに生活するんですから、それはよほど覚悟がいるのは事実ですね。四十年、五十年、その人とほんとうにいっしょに過ごせるかどうかということはなかなかそうかんたんにわかるもんじゃありません。これがわかる前にはね、多少、男性、女性というものに対する意識があったり、人間の向き、不向きですね、自分と合う合わないとか、こういうものを多少経験しておいたほうがいいこともあるわけなんですね。

ただおもしろいんですが、思春期のこの恋愛っていうのは、たいてい自分とほんとうの意味では合わない人を恋することが多いんですね。いわゆる失恋に終わる相手を選ぶことがあるんです。なぜかというとね、この十代の後半ぐらいっていうのは、あこがれがものすごく強いんですね。あこがれが強いんです。あこがれというのはなにから出るかというと、理想ですね。自分が理想化できるからこそあこがれが出てくるんですね。ではどういう相手を理想化するかというと、たいてい自分に持っていないようなものを持っている人、こういうのにあこがれるんですね。で、そういう人とじゃあどうか、なかよくなれるか、つりあうかというと、たいていつりあわないんですね。つりあわなくて、蹴られることになっているんですね。

ひじてつ、私もありましたけれどもね。そんなのねえ、こんな話したらきりがないんだけれども、まあそれはありましたよね。みなさんもあるでしょう。あるんですね。このときに思うにね、若いころは頭禿(は)げてはいなかったけれどもね、まあ、でも俺の頭が禿げていなかったらとかね、頭にデコボコがなかったらとか、やっぱり思うもんですよねえ。もうちょっとりりしかったらとか、もうちょっと背が高かったらとかね、もうちょっと足が長かったらとかねえ。

こんなことを言うと、なんかよっぽど私がスタイル悪かったように感じるかもしれませんが、私だって青少年のころはあったんですよ、それなりにね。そのころは、あなた、みなさん晩年のころのような姿だけを想像してはいけないんですよ。晩年は頭は禿げあがったりね、あなた、お灸をすえたというか、なんか針でつついたようなクレーターがいっぱい顔にも頭にもありまして、足は折り畳みが自由自在の長さであり、おなかは一メートル二十もあろうかというぐらいの、ひと抱えもあるようなおなかでありました。

こういうふうに思っている方も多いでしょうが、私も青年時代の美少年というか、美青年の時代はあったんですね。たいへんおしゃれは好きでしたし、粋な格好していましたし、赤いマフラーしてオートバイに乗って走ったりするようなことは、いくらでもあったんですよ。そんなツッパリの時代もありましたよ。リーゼントじゃありませんでしたが、ツッパリの時代もありました。それゆえに、女性を見て思いを寄せるということもありました。でも蹴られたこともありました。多かったでしょう。それはやはり、あこがれというものは、自分にないものに魅かれるからなんですね。

ただ、この男女の恋愛を通してね、人間は二つのことを学んでいるというように私は思うんですね。その二つのことはなにかっていうとね、異性というものをやはり勉強する、観察するという、こういうチャンスを与えられていることがひとつですね。これは、準備期間、社会生活をするための準備期間として、異性を知るチャンスが与えられているんですね。ほんとうは他人のカァちゃんになっていく相手なんだけど、もうこの人こそと思って入れこんでいくわけですね。人の奥さんになるのに悔しかったと、後では思うんだけどね。こういう男性、いっぱいいるんですよ。なんというかね、あるでしょう。

別れた場合ね、女性はかけられたやさしい言葉だけ相手に執着するとよく言いますね。あのときたしか、私のことを理想的な女性だと言った。あのときたしか、君のつぶらな瞳が素敵だと言った。あのときたしか、君の指先はキュートだねと言った。あのときたしか、君のおっぱいは日本一だと言った。あのときたしかに、君の足はほんとかもしかのようだと言った。こういうふうに好きだと言ったと、このようなことを女性は数え上げればもう何年分でも思い出せるという、こうした特技を持ってるんですね。とても男性には真似ができませんが、女性というのは全部覚えているんですね。ほめてくれたことはすべて覚えています。これが女性の女性たるところです。人間計算機というか、暗算機というか、コンピューターみたいなもんですね。

ところが男性は、相手の女性にかけたお金の分だけ気になりますね。そういうもんなんですよ。「しまった。あの野郎、あいつにあんな高いフランス料理食わすんじゃなかった。損した。ああ、しまった。あいつにあんなプレゼント買ってやって損した。指輪なんて買うんじゃなかった。ああ、あのペンダント、ほんとは偽物つかまそうと思ったのに、奮発(ふんぱつ)して宝石にしたいと思ったところが、宝石じゃ高すぎると考え直して伊豆の赤石にしたのに、ああもったいなかった」なあーんていろいろ考えるんですね。そういうこと考えます。

だから、男性は相手にプレゼントしたり、相手におごったりした分だけ相手に執着いたします。悔しい思いが強いんですね。魚を釣るときに餌を取られたあの気分ですね、あれに近いです。おっきなミミズつけて取られたときのあの悔しさ。ねえ、悔しいと思ったら、次は短く切ってね、ミミズを短く切って、そして何回にも分けて餌にするんですね。大きいのをかけて、パッとくわえて走られたら嫌だからねえ。短いミミズにしてね、そしてぶら下げるんですね。そしたら、ミミズは小さいと生きがわるいもんだから、魚もフンなんて言って知らん顔して通ったりするんですね。まあこういう経験がよくあると思います。そのように、女性はほめられた言葉に執着し、男性は相手にかけたお金に執着する。まあこれが一般原則です。

なにが言いたかったのかというと、なにが言いたかったのでしょうかねえ、そうですね、恋愛の意味でしたかね。だから相手を知る、異性を知るということがひとつです。

もうひとつはやっぱりね、この理想化ということね、異性に理想を感じる、ロマンを感じるということがね、これはひじょうに青年にとってだいじなことなんですよ。人生六十年、七十年、八十年の時間の中で、この青年期というのはなにかというと、やはり立志の時代なんですね。自分の理想を立てるとき、あるいは人生のロマンを感じるときなんですね。これがあるからこそ、この時代がいちばん美しいんですね。これはやはりなければいけないんですよ。人生のロマンですね。

二十歳ごろからもう墓場の用意ばっかりして、自分の墓石は御影石にしてくれとかね、大理石にしてくれなんて心配しているような人、もうこれはだめですよ。こんなのもうだいたい三十歳までに死にますからね、こんな人はね。お墓の心配しているような人はだめです。やっぱり理想に燃えてやるのが人間の筋でございます。この意味で、理想化ということをね、経験する時期であるということです。この二つの意味において、恋愛の季節はだいじなものを含んでいるんだと私は思います。


3.結婚問題


さて、そうしてだいたい私が見てますとですね、平均何回ふられるかという、まあ確率の間題があるんですね。これは、もちろん統計を出した人はいないし、神様にでも聞いてみなければわからないし、神様、関心がないかもしれません。さあ、だいたい一人何回ふられるかですね、平均ね。

だから、恋愛の認定をどこからが恋愛とするかの間題があるんで、ひじょうにむすかしいんですが、まあ物心ついてからといたしまして、物心つくのがだいたい十一、二歳ぐらいから十三歳、このころが物心つくころとすれば、これから結婚平均年齢、男二十七、八歳ですか、女二十五歳ぐらいでしょうかね、これまでの間でいうと、十二、三年あるわね。

そうするとね、だいたいみなさんよく聞いてくださいよ、だいたい普通の人は一年に一回ぐらい恋愛しているんですよ、平均してね。一年に一回恋愛しているということは、一年に一回は失恋があるということですね。これが普通なんですね。そうすると、平均打率を出してみると、だいたい十ニ歳から二十七歳までとすると、十五回、十五回ふられることになりますね、ふられるのと、ふるほうと半分ぐらいですから、だいだい七・五回ぐらいでしょうかね。で、女性もだいたい早熟だから、十歳からニ十五歳までやっぱり同じぐらいありますね。だから、ふられるのとふるのと半々と見て、七・五回、だいたいみなさん七回から八回ぐらいは失恋の経験があるんですよ。

ふったほうはあまり気にならないことが多いんだよ。ふったほうというのはあまり覚えていないんだよ。そうだろ。僕はふったことがあるかどうかみんな興味あるだろうけど、まあないかもしれんが、あるかもしれない。ふった場合って意外に気にならないんだよね。たとえば相手が女性だったらね、男性が言い寄ってくるよねえ、「OOちゃん、あのう、夜の銀座で今日……」「馬鹿言うんじゃないわよ、私忙しいわよ」と、ペンと言って通りすぎますねえ。二、三日したらもう忘れていますね。しかし蹴られたほうの男は、もうこれは二年も三年も覚えていることがありますね。

あるいは学生時代にね、女子学生にね、これぞと思った女子学生に狙いをつけてノート借りに行くっていうのは、ひじょうにこれは原始的な方法なんですね。みなさんやったことがあるかもしれませんが、好きな女の子に狙いを定めてノートを借りるというのは、まあこれはひじょうによくある手で原始的な方法です。それで、行ってどうするかというと「ペケ子ちゃん、あのノートを貸していただけませんか」と言ってね、「だれよあんた、だれが貸すもんか、ふーん」なんて言われてね、ポーンと蹴られて、向こうはそれで断っただけのつもりでいるけれども、こちらはまず恋愛の手つけで行ってたんですね。唾つけに行こうとして、その最初の段階でつまずいたと、こんな感じになりますね。

あるいは、もっと原始的な方法を教えると、彼女の前でハンカチを落としてみるなんてね、そしてハンカチを落としてみて拾ってくれると思って、ちょっと前でパサッと落としてみると、足で踏みつけて通っていかれたりしてね。その後しょぼんと立って寂しく肩を落として帰るねえ。こういう経験みなさん、ありましょうかね。私はないですよ、言っときますが、私はないですが、まあそういう方法もあることはありますよね。

もっとあるのは、あなた、学校の裏門で待ってるなんてこんなのよくありますねえ、裏門でも、表門でもいいけども、だいたい彼女の帰る時間帯を見ていて裏門に立っていて声かけると、痴漢と誤解されて悲鳴をあげられておじゃんになる、こういうのはよくありますね。これもね、もっと手が込んでくると、彼女の自宅を調べ出して、だいたいこの地下鉄だとかね、国鉄だとかね、乗る駅を見定めて、その駅で立っているというのがあるんですね。ここまで来ると悲惨ですけどね、だいたい朝の出がけに立っている、あるいは帰りに立っていて、二時間、三時間、時計にらみながら立っているんですね。これやったことがある人、結構いるんですよ。ねえ、私の調査によると、わりあい多いんです。待ち伏せっていうやつですね。この待ち伏せもやるんだけど、これ成功率が一割ありません。成功率は、だいたい百人がやって、まあ百回やってでもいいですけれども、百回やって成功率は一回か二回です。九十八、九パーセントは絶対成功しません。

なぜしないかというと、こわいですから、何されるかわかりませんものね。今日、夕方帰ったらね、男が立っていて、待っていたなんていったらこわいよね。どっかのしげみにでも引っ張っていかれるんじゃないかと恐れるよね。そうすると、翌日家に帰ってくるときはやっぱりもっとこわいよね。またいるんじゃないかと思って、今度は時間をずらしたり、隣りの駅で降りたりね、タクシー乗ってみたり、いろいろするわね。女性の恐怖心がつのります。だから、女性は恐怖心がつのるから、やっぱりそういう恐怖に訴える方法を取ってはいけないんですね。

男性のみなさんに言っとくけれども、女性は恐怖心の動物だということをまずしっかり知りなさい。相手に恐怖を起こさして成功するということはまずありません。それがある場合には、あるっていうのはもうなんて言いますかね、むりやり犯罪行為みたいなのをするとき以外は、そういうことで通用することは絶対ありません。結婚というのは、そうではなくて天国的な雰囲気のなかでね、蝶が飛び、花が咲き乱れる、その天国的な雰囲気で戯れる姿を女性というのはイメージしているのですよ。だから、そこに入れるような雰囲気を作っていかねばならんわけですね。

なにが言いたかったというと、結婚問題なんです。だから、まあ恋愛をいろいろするけども、そのなかから伴侶を選ぶというのが、ものすごくむずかしいということなんですね。だから失恋で悩んでいる人は結構いると思いますし、見合いして断わられた方も結構いると思いますが、だいたい自然の普通の人間であれば、失恋する回数が七・五回ぐらいあるというのが私の調査結果です。七・五回が平均打率です。だから七、八回ふられたぐらいなら平均と思いなさい。三回や四回なら、これは平均よりだいぶん成功率が高いと思っていいでしょう。

十回以上というと、まあちょっと容姿が落ちるんじゃないかな。鏡に映してごらん。十回以上になると、ちょっと問題あると思うよ。どこかにあるでしょう。下腹が出ているとかね。お尻がたれているとかね。足が短いとかね。あるいは鼻が上を向いている。目が吊り上がっている。片目がつぶれている。頭が禿げている。あるいは、まあ、後は鼻毛が伸びているとか、いろいろあるわね。あんまり極端に回数が多い人は、どこか不潔なとこがあるんじゃないかどうかをよく点検してみてくださいね。

それでね、一応結婚問題と銘打ったんで、結論を言わねばいかんと思っていますが、じゃあどういう相手を選べばよいのかということですね。私はね、選択の基準として三つ言っておこうと思います。というのも、ほんとうは守護憲と話できれば一発で結婚の相手がわかるんですが、ふつうの人間はそれができませんのでね、やむなく自分の頭で考えねばなりません。

それはねえ、まあ男性の場合でしたら、まずね、いちばん考えてほしいことは、自分の人生の理想とはなにかということを考えてほしいんですね。なにに理想があるのか、たとえば仕事はなんでも収入さえあればいいんであって、自分がそれ以外のね、休日の遊びに興味があるというなら、それもひとつですし、仕事はどうしても替えがたい仕事、この仕事を一生やりたいというような仕事を持っている人であれば、この仕事に要するに興味関心を示してくれて、応援してくれる人でなければだめだということですね。

仕事には関心がなくとも、余暇のほうがうまくいけばいいというなら、その余暇の過ごし方に共感を呼ぶような人を探すことですね。自分は、たとえばもうなんて言いますかね、海が好きで好きでしょうがないとかね、あるいは自分は映画見るのが好きで好きでしょうがないとかね、自分は車すっとばすのが好きでしょうがないとか、まあこういうふうな人であったら、それなりに相手もわかってくれるぐらいの人を選んでおけばいいです。

だから第一基準はね、自分の仕事に理想があるのなら、その理想がわかってくれる人、理想がなくて遊びのほうに中心があるのなら、その遊びができたらいっしょに遊べるような人、これを選んでおけばよいです。

第二の基準ですね、これはよく言う、その両者のつりあいというのがあります。これは、見合いなんかもちろんあるでしょうが、つりあいが取れているかどうかの問題ね、これは馬鹿にする人も多いけども、結構だいじなことではあると思いますね。つりあいを考えてみて、片方を百としてね、片方が男でも女でもいいけども、片方を百として、もう片方がそのつりあい基準で言って、だいたい百十から九十の間ぐらいに入ってるなら、なんとかその夫婦はうまくいく可能性が強いですね。

ところが、問題はその幅を越えている場合ですね。たとえば、男性が百なのに女性が百五十ぐらい値打ちがある。あるいはその逆もありますね。男性が百なのに女性が六十ぐらいしかないとかね、七十ぐらいしか点数がつかない。この程度差があると、これは破談になるか、あと離婚になるケースが多いです。だから、はた目に見てね、だいたい片方を百とした場合に、九十から百十ぐらいの間にはいっているということね、十パーセントのブレぐらいしかないということかだいじだと思います。

だからねえ、頭がつるっぱげのおじさんがもし読んでいたら、僕言っとくよ、頭がつるっぱげでね、マリリン・モンローと結婚する可能性はないんだよ、そう思っときなさい。まずないと思いなさい。アッハッハッハッハ、ないんだよ、実際はね。そう思いなさいね。それは、百十から九十の間に相手がはいっていないからさ。相手が二百も三百もあったら、それは無理なんですよ、ね。

それから、いっくらプライドが高くてもね、自分は美人だと思っていてもねえ、田舎からあなた草むしりしながら出てきた女性は、残念ながら、あの皇室にははいれないんですよ。皇太子妃には絶対なれないんですよ。やはり、家柄がそこそこよくないとね、家柄が旧財閥であるとかね、やっぱり、そこそこのたとえば東大教授の娘であるとかね、最高裁の判事の娘だとか、なんだかんだそのへんぐらいのレベル保っていないと、宮中にははいれないんですよ、みなさん。無理してはいったら後が苦しいんですね。だから、どんな美人であってもね、残念ながら田舎できこりしている人の娘に生まれたら、それは縁がないと思わなきゃいけないんですね。

だから、まあそういう極端は別にしてね、だいたい総合して考えてみて、容姿、学歴、それから収入、知性、なんだかんだいろいろあると思いますが、総合してみてだいたい百十から九十の間ですね、これ考えてみてください。人間に点数つけるのはむずかしいかもしれないけれども、ある程度わかると思いますね。だいたい十パーセントぐらいのズレですね。それで、たとえば男性が百で女性が百五ぐらいだと、女性のほうが恩を売ったという形になってね、その五パーセントのところを自慢できるわけですね。そうすると愛されるわけです、ひじょうにね。ところが、男性が百で女性が九十ぐらいで来るとね、多少つつましやかに控え目で、内助の功を発揮しないと家庭がうまくいかないんですね。

だから、このへんのつりあいをよく見て、どっちが奉仕しなきゃいかんのかを考える。それで十パーセント以上離れていたら、奉仕の枠を越えてくると、まあこういうことですね。無理はしないことですね。まあそれは言っておきたいと思います。

だから、男性が十歳年下の女性と結婚できたというのは奇跡かもわからないけれど、この十歳年下というだけでも十パーセント分ぐらいの値打ちがあるよね。そうすると、後の面でよっぽど男性は恵まれていなければ、つりあいが取れなくなりますね。こういうことになります。お金があるとかね、仕事ができるとかね、東大を留年しないで卒業しているとかね、やっぱりいろいろそういう条件がないとつりあいが取れなくなりますね。まあそんなもんです。これが二番目ですね。

三番目はねえ、やっぱりなんていうかねえ、まあ一番目が理想で、二番目がつりあいということを言いましたが、三番目はやっぱりなんていっても、経済的問題だと私は思っています。これは、二番目のなかに含めてもいいけども、結婚がうまくいくかいかないかっていうけれども、経済的に安定感があればうまくいくんですよ、ほとんどの場合ね。家庭不和の原因のひとつは、やっぱり経済問題が多いです。家庭がうまくいっていて経済的に裕福であって、不満がなければね、夫婦はやっぱりうまくいきます。奥さんがガァガァがなるのは、たいてい旦那の稼ぎが悪いからです。あるいは生活が不安定だからです。そういうことがあって、子供が産めないとかね、いろんなことがあってそうなるんですね。

だから、経済問題の多少の見通しがつくかどうかね、これをよく考えてほしいと思います。で、つかない人であるならば、ほんとうに共働きで相手とやっていけるはどの恋愛であるかね、愛があるかどうか、そのへんをよく考えることだね。まあこれがだいじだと思います。