※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

目次















1.残る人生の完全燃焼を


(問)原因不明の病に伏しどう生きるべきか


会社員(男性)四十歳

私は喜びと感動に打ち震え、この運動を命をかけてやり抜きたい。私の求めていたものはこれだという思いが、心の底から湧き起こってまいりました。

しかし、残念無念ながら、この人生の大目的を前に、二か月あまり前より、肺、肝臓、その他の原因不明の病気に伏し、現在入院中です。私もこの間、心を清め、神に祈り、いろいろ努力してまいりましたが、いっこうに好転せず、まさに不治の病かと感じております。

エドガー・ケイシー先生大言にあられては、高級霊界の医師団におられるとお聞きしましたので、できますならば、わが病の完治にご肋力くださいますようお願い申し上げます。治癒不能な場合は、残された時間、死期、およびその間、家族他人に迷惑をかけずに、どのように過ごすべきかをお教えください。

一番目、治癒不能の場合、この世に残る家族、母、および兄の家族、彼の妻と彼らの二人の子供たちは、その後問題なく人生を歩んでいけるのでしょうか。

二番目、私の前世と来世をお教えください。また、来世でふたたびこの運動に関わることは可能でしょうか。どうかよろしくお願いいたします。


(答)一瞬一秒を真剣に生き切って人生を燃焼させよ


エドガー・ケイシーです。この方の病気の問題に対する答えですが、この質問に私が正直に答えていいのかどうか、この点に迷いを感ずるものであります。むしろ、奥さんなり、他の方のほうが私は言いやすいと思うのだけれども、ご本人の質問であるというので、まあ、かなり答えに困難を感じます。もちろん、相当のところまで私にはわかるわけです。…………。

私が答えにこれだけ窮しているということの意味を、この方は、感じなければならない。まあ今後、この方を待っているさまざまなものについて、やはり具体的に語ることは、現在の私の立場としては、言えないというのが現実です。

ただ、言えることは、まあ一つには、禅のごとく、一日一生、一瞬一刻を、やはり生き抜いていく。こういう生き方が一つであろうと思うのです。残されたのが何年であるとか、何か月であるとか、あるいは何日であるとか、こういうことであれこれと思うよりも、やはり一瞬一秒を真剣に生き切って、自分の人生を燃焼させる。こういう覚悟がだいじであろうと思うし、人間、いずれ死というものとは、どんなに健康であっても対面しなければならないのであって、人生の長い短いでもって、それをどうこうせよということはできないと思います。

六十年、八十年生きたから、それで幸せかといったら、そういうものでもない。やはり、その数十年の人生の中で、どれだけ自分を完全に燃焼し得たのか、ということであろうと思います。そして、いつこの地上を旅立つかということは、これはやはり、神の御心に任せざるを得ないと思うのです。

健康だと思う者が、健康にかまけて本当のことも知らずに、あくる日突然、倒れることがあります。こうした人にくらべれば、その健康な人ほどの寿命を保てないとしても、真実を知り、神理を知って、一日一日を生きていける人は立派であります。

しかしご本人の質問でありますから、私は、具体的にはなかなか答えかねるのであります。またいたずらに、本人にあまり期待を待たすようなことを言っても、またそれも、まわりの人たちに対する影響というものを考えると、そういうことは言いかねる。そういうところがあると思います。


この世というものにあまり執着してはならない


そこで実際の事を言えば、あなたは、たとえばあの世の世界というものを、非常にさみしい、暗い、辛い世界だと思っているかも知れないけれども、あなたのこの質問に答えているエドガー・ケイシー自身、あなたから見たらあの世の人間であり、死後の住人なのだ、死後の住人であって、こうした生きた人間にアドバイスをして、あなたの健康を気遣(いづか)っているのだ。いったいどちらが本当の人生であるとあなたは思うのか。

あなたは肉体というものの病、死というものを恐れているけれども、あなたに答えている私にしても、日蓮聖人にしても、高橋信次にしても、イエス・キリストにしても、こうした人たちは、みんな地上を去った死人たちばかりです。そういう人たちを待っているのが何かと言うと、より高度な人生観と、より大きな視野、より多くの人たちに役立てるような自分の立場ということです。

すなわち、あの世の世界というものではないのです。これは本当の世界なのです。これが実在界というものです。私たちはもともとこちらの住人なのです。私たちから見れば、この世に出ている、すなわち地上に出ているということは死んだ状態なのです。私たちはいったん死んで地上に出るんです。地上に出ている間は、霊は死んでいるんです。そして地上を去ったときに、また本来の姿に還るんです。

したがって、あなた方から見れば、誕生ということは嬉(うれ)しいことであるけれども、あの世の世界からみたら、あの世の友人たちは、地上に友人が肉体を持つということは死んだも同然、まるでベトナム戦争か何かに出かけたようなものです。

それで、地上を去るときには、地上の人たちはずいぶん嘆き悲しむけれども、あの世の友人たちは早く還ってくるのを一日一日、指折り数えて待っているのです。「まだ還ってこないか。まだ還ってこないか」とみんなで待っているのです。どちらが本当の世界かということで言えば、あの世の世界が本当の世界だということです。

そして、あの世の友人たちは早く還ってくるのを待っているんです。七十年も、八十年も、九十年も人生を生きる人をみていると、「気の毒に、長い人生を送らされて非常に可哀相である。早く還ってくればよいのに。」とみんな言っています。

そういうことであるから、この世というものに、あまり執着を持ってはならないのです。われはこの世の人間に非(あら)ずして、この世の人間にアドバイスをしているんです。霊言集をあなたも数多く読んでいるけれども、これは、決してあの世の世界というものは、ドロドロとした薄気味悪い世界でもないということ、これが真実の人間の世界であり、本当にその中で人間というのは生き生きと、生きているんだ、ということを知ってもらえばいいわけなのです。


病は肉体が病んでいるだけで魂や精神は病んでない


したがって、病気ということにそれほど執われてはならん。それは肉体が病んでいるのであって、あなたの魂や精神は、すこしも病んではいないのです。

また、あなた以外の家族だ、親戚だ、いろいろ書いているけれども、それぞれの人間が自分の人生を生きていかねばならないのであり、それぞれの人間が、自ら灯をともして魂修行をしていかねばならないのです。それらに対する責任は、やはり、それらの人、一人ひとりにあるのです。それをあなたが考えをおよばす必要はないのです。

前世と来世のこともいろいろ聞いているけれども、これは、あまり知る必要もないと私は思う。これはあの世に行けば、みんなわかることになっているんです。それをこの世で知ったからといって、それでどうなるものでもない。過去世であなたがある宗教の大教祖であるとか、あるいは大泥棒だと言ったところで、それでどうなるものでもないし、来世、この運動と関わりがあるかどうかは、あなた自身の今後の修行と、あなた自身の決意と、そうしたものに関わっているのです。

ですから、病膏肓(やまいこうこう)に入って不治の病ではないか、とあなたは言っているけれども、確かに病としてみたら、かなり難しい病と私は思う。決していたずらに、それが治るというような安請け合いをするつもりは私はない。

ただ、人間というものは、早晩、地上を去らねばならないし、地上を去るということは、あなたもエドガー・ケイシーに会える可能性があるということです。それを不幸とみるか、幸いとみるか、それはあなた自身の問題です。

この世を去ったときに、心がまちかっていない者にとっては、あの世の世界は素晴らしい世界であるということ、これだけは、私は絶対に保証はできるのです。


今を最善に生きるためのアドバイス


したがって、あなたは、残りの時間をいくらだと自分で限ることなく、一年だとか、十年だとか、そういうふうに限ることなく、一瞬一瞬、一日一日を、最善に生きていかねばなりません。そして最善に生きる方法としては、今、病気をしているので、残念ながら他の人びとの役に立つようなあなたとはなれないのは事実、そうであるならば、まず、自分のことを自分で責任を持てるような自分になっていく以外にないのです。

すなわち、この病の時期に、自分の過去の人生、四十年間の人生を一つ一つ、まず反省し、点検しなさい。そしてまちがいがあったら、それを一つ一つ反省していって、そして気の毒をした人、誤りをした人には心から詫(わ)びることです。謝っておくことです。そして、まだ会える人がいて、その人と和解をしていないならば、そういう人と和解をしておくこと。そうして自分の悪、まちがいというものを一つ一つ修正しておくことです、いち早く。それがまず最初の仕事です。心のなかの曇りを点検して反省していくこと、これが一つです。

そしてもう一つは、霊言集などを読んでいるようだけれども、残された時間を有効に生かして、本当の人生観、本当の人間とは何か、神とは何か、あの世の世界とは何かということをしっかりつかむことです。これはそのまま、やがて力となってくるんです。

そして三番目は、あなたの身近な人たち、親戚や兄弟、親、こうした者と、病院で会うだろうけれども、彼らに不愉快な思いをさせないように、愚痴や不平不満や、そうしたことを言って彼らを苦しめないように、笑顔でもって彼らに接して行くこと。

そういうふうにして、あなたは自分の人生を燃焼させることです。悔いのない一瞬一秒、一日一日を送っていくこと。そしてどこで終止符をうたれても、喜んで、笑顔で死んでいけるような自分にならなければなりません。私はその時期が一年後か、三年後か、十年後か、あるいは明日か、あさってか、そういうことを言うつもりはないのです。いつかはあなたも地上を去るであろうし、健康な方ではないから、そう長くないことも事実、そう何十年も生きるわけではない、それは事実です。

ケイシーとこうやって話をしたことが、あなたの記憶に残っているならば、いずれ何年か、何十年か、何百年とは言わないが、そう遠くない将来に、われらが世界に還ってきたときに、エドガー・ケイシーの名を呼びなさい。そうすれば、私はあなたを迎えに行ってあげましょう。

私は決して幽霊でも何でもない。エドガー・ケイシーの幽霊が出てきて話をしているわけでも何でもない。本当に人間に目覚めた人というのは素晴らしく、あの世に還ったときに、その五倍、十倍の力というのが発揮できるんだということを、あなたは忘れてはならない。私もエドガー・ケイシーとして地上に肉体を持っていたときよりも、現在は十倍ぐらいの力を持っております。それだけ素晴らしい世界にきているんです。これをもって不幸と言ってはならない。

あまり希望に満ちたことは言えなかったけれども、また、残された時間についても、明確には言えないけれども、ただ、私の話を通してだいたいを感じ取りなさい。そしてその間、あなたにできること、反省、和解、それから神理の学習、それから会う人びとに顔施(がんせ)という笑顔を与えること、喜んでもらうこと、気持ちのよい人間だと思われること、お世話になる医者や看護婦さんに対する挨拶や笑顔を忘れぬこと、こういうふうにして、一日一日を確実に立派な人間として生きていきなさい。以上です。

(一九八七年六月十二日の霊示)


2.光が悪霊を追い払う


(問)十二歳の娘を苦しめる白斑病、治る可能性は?


(主婦)四十歳

娘の病気のことでご相談させてください。
娘(十二歳)は三年半前に、白斑病という病気にかかり、右上半身のいたるところの色素が無くなってきています。普段はとても明るく優しい子なのですが、ふと見ると、鏡の前で涙ぐんでいる姿があり、胸を締めつけられる思いでいっぱいです。こんなとき抱きしめて、優しい言葉をかけてやりたいのですが、私の涙を見せ、よけいに深刻にさせてはいけないと思い、抱き締めることもできず、こんなに自分の力の無さを情けなく思ったことはありません。

毎日、朝夕、気を流す体操と、就寝前に『祈願文』の「病気全快祈願」をさせているのですが、このとき足の裏が暖かくなるそうです。

現代医学では原因不明とされ、治す手段がありません。人間の病気は、思い、遺伝、身体の癖の三つに原因があると思います。主人の親戚の人にも同じ病気の人がいたと聞いています。遺伝なのか、霊障なのか考えていると、頭と心のなかを別々に駆け巡るものがあり、苦しくてたまりません。原因さえもわからず、治していく方法もわかりません。遺伝でも天の医師団の力により治る可能性があるのでしょうか。お教えください。


(答)原因は犬の霊の霊障


ケイシーです。娘さんの病気についてお答えします。

結論から言えば、これは霊障です。霊障であるということは、治る可能性があるということです。白斑病というのは、たいていの場合は霊障です。ただ、こうした皮膚の病気になるというのは、通常の場合は、これは人間霊ではないことが多いんです。人間霊ではない動物の霊であることが非常に多いんです。

この娘さんの場合も霊視をしてみると、やはりその通りなんですね。動物霊です。それで動物霊だけれども、これをみてみると、………これは犬だね。犬の霊ですね。犬だけれども………私の目に今、見えてくるのはね、白と黒のまだらの犬ですが、鼻の回りは白く、目から耳にかけては、両側が黒からこげ茶色に近い色をしている、毛の色がね。そして耳は半分ぐらいで前に折れている犬ですね。大きさはまあ、中型犬と言っていいと思う。一メートル前後の犬であろうと思いますね。尻尾は舞い上がっています。まあ雑種でないかと思うのですけれども、顔つきはちょっとブルドッグにも似ている。雑種で足の毛の色などは芝犬にちょっと似ていますね。こういう犬の霊がみえます。

そしてこの犬の霊はね、病気で死んでいますね。そして死ぬときに、全身の毛が抜けていく病気にかかっていたはずです。これはそういう動物には時々あるのですけど、毛が抜けていく病気というのがあるんですね、これにかかって死んだはずです。この犬の霊が、やはりこの娘さんに憑(つ)いているわけです。ですから、毛が抜けていくというような霊的な症状が、人間には毛が生えていませんから、この白斑病というような、皮膚の色素が抜けていくというようなかたちで現われているわけですね。いわゆる霊体質で、この霊の霊障によって身体に異変が起きている、こういうことですね。


悪霊は光を強くしていけば必ずとれる


まあこれは、白斑病というふうに皮膚の色素が抜けていくというような病気だから、特殊な病気のように思うけれども、他に霊障によって病気になるということはいくらでもあるんです。

たとえば、若いのに頭がまっ白く白髪になるような人にも、霊障のことが非常に多いし、あるいは女性で脱毛ですね、頭の毛が全部抜けていくような、こういう場合にも、憑依によることが結構多くあります。あるいはこれ以外にも、身体的にもいろんなところでその霊障による病気というのは多くあるわけですから、これは現われ方が、たまたまこれが動物霊であるから、皮膚とかそういうものに出てきた、ということなんです。

これ以外にも、たとえば、海岸地帯では魚鱗症といいますが、魚のうろこのような皮膚になる、こういうふうな病気というのがあります。これなどは、魚の霊というのが集合霊になっているんです。一匹一匹の魚にそんなに力はないのだけれども、魚が大量に死んでいるようなところで、その魚の不成仏霊が集合霊になって、そしてそういう霊障を起こしているという場合もあります。

ただ、こうした霊障を受ける人、動物霊などの霊障を受ける人というのは、かなり霊体質であることも事実なのです。そういう体質でなければ受けないこともあるのだけれども、非常に受けやすい霊体質であるわけです。

それで、まあ原因はこれでもうはっきりしております。遺伝ではありません。同じ病気の人が親戚のほうにもいたということですが、まあだから逆に霊体質でいっしょだということです。そういうことで、もう原因がわかった以上、この悪霊というのは、光を強くしていけばとれるんです。確実にとれるんですね。だから、意外にこれは対象がはっきりしているんですね。この例ではなくて肉体的な気質の異変の場合には、逆になかなか治りにくいこともあるけれども、霊障であることがはっきりしているので、これはとれます。


神理を学び『祈願文』を読む


その時間については、もちろん、人間の努力の問題があります。この中にも書いてあるように、「『祈願文』の『病気全快祈願』を読めば、足の裏が暖かくなる」と言っているけれども、これはそうなんです。守護霊の光が入ってきているからなんです。ただ、守護霊の光が入ってくるようにするためには、こういう『祈願文』を読むだけでは不充分であって、もっともっと神理のことを知らなければいけないのです。神理を悟れば悟るほど、より高級霊の力を受けられる。天の医師団の力も受けられるようになるのです。

したがって、本人はもちろんのこと、ご両親がもっともっと神理を悟って、そして光が家庭に満ちてくるように、努力することです。そして夜でも朝でも結構ですが、できれば朝晩がいいでしょう、親子で『析願文』を一生懸命読めばいいと思います。これは長い時間読む必要はありませんが、一回で結構ですから、朝晩一回読めばいい。その『祈頴文』は、やはり高級霊界の波動に通じているために、それを読めば、憑いている動物霊などはたいへん苦しくなってきます。だんだん嫌になってくれば、離れていきます。そういうことで、神理の勉強をどんどん続けていくことと、そういうものを読み続けていくことがだいじです。

それともう一つは、怖がらないことです、こうしたものを。断じて怖がってはならん。人間は神の子なのですから、もっと偉大な魂であり、意識であるのですから、こうしたものに惑わされてはいけないのであって、自分自身に、自分たちにもっと自信を持つことです。神の子だという自覚をもっと持って、神の子がこんな、大の霊なんかに憑かれていてたまるものか、とこういう強い意志の力、これを持たなければなりません。そして、光明の思想をもって、明るく人生を切り拓いていく。こんなものに負けるものか、という気持ちを持たなければなりません。こんなもので怯(おび)えてはいけないし、それで霊能者回りなんかしては絶対いけない。こんなものは自分ではね返してやる、ということです。

だから、逆にこの白斑病が治れば、治っていけば、それは結局、自分の心が光に満ちてきた、あるいは家族が調和されてきたという証拠ですから、これをみることによって家族が神理で調和されてきたということを、実地に体験できるのです。

私のみるところ、二年もあればこれは治ります。努力してみてください。そのためには神理をいろんなかたちで勉強していくこともだいじです。お子さんはまだ小さいようですから、お子さんだけでは無理です。やはり親の勉強ということが非常にだいじです。原因ははっきりしていますから、後はその対応です。もっと強力な悪魔とか、あるいは人間のいろんな地獄霊に悩まされている人もいっぱいいるのです。たかが動物です。断じて負けてはいけません。そしてあくまでも自分たちの力で、自力でこれを取り除いてほしい。

こうしたものに、不調和なものに憑かれるという理由も、結局、家庭の中にすきがあるということです。自ら家庭の中をみて、まちがっていると思うことがあったら反省して、そしてその分、神仏に詫びることです。そしてこれからは二度と悪いことはしないということを誓って、明るく前向きに、人のために役立つような、そういう生き方をしていくことです。これがだいじです。だから、マイナスのものを打ち消すだけではなくて、プラスの人生を生きていくように、親子ともどもがんばっていくことです。以上です。

(一九八七年六月十二日の霊示)


3.自分の罪は自分の反省でのみ拭える


(問)シミ、ニキビの処方をお教えください


製薬会社社長(男性)五十歳

私は、化粧品や薬を製造販売いたしております。世の女性の悩みであるシミ、そしてニキビの処方をお教えください。

実は、私は十年前、内観を行ない、世の女性の幸せを願って、神に化粧品の配合を祈り続けました。ある日、神からの啓示なのかわかりませんが、私の目の前に金文字で大きく「AREGTC」と出ましたが、それが何の意味かわかりません。もしこの金文字が女性を美しくする化粧品の配合の頭文字であれば、それが何であるのかお教えください。よろしくお願いいたします。


(答)販売の促進に神理を利用すれば地獄に堕ちる



エドガー・ケイシーです。この方は、私以外にも、すでに何人かの霊人に霊相談をしている方であると思います。そこで、私のほうから言わしていただくとするならば、あなたは、自分は神理を悟っていると思っているけれども、まったく悟っていないということを、もっと知らなければなりません。この質問もいいですが、それ以前の段階において、自分が非常に浅いところで神理を理解していて、そしてそれを伝えているような気持ちになっているということを、もっともっと深く反省しなければなりません。神理の井戸の深さというものをもっと知らなければなりません。

あなたは、化粧品や薬と神理をセットにして販売をしているようですが、これはあなたの悟りがもし浅ければ、大変なことになってしまう、天国ではありませんよ、行き先は、このままで行くと、地獄へ行ってしまいますよ。商品の販売のために、神理というものを悪用した場合には、行く先は天国ではないということを私は言っておきます。

ただ、もっと深い深いところで、神理というものをつかまえた場合には、それは伝道になりましょう。だから、商品の販売の促進のために神理を使っているのならば、あなたは失格です。逆に神理の普及ということを一念におきながら、生計を立てていくために化粧品を売っているなら、これは大丈夫です。どっちであるか、よく自問自答しなさい。そして前者であるならば、あなたが行く先は地獄です。天国ではない。これを知らなければなりません。

それはそうであって、神理というものを、安っぽく売ってはならないのです。それは、ある意味においては、たとえば、お守りとか、お札を売って、それさえ買えば救われるとかいうことと本質において変わらないのです。よいですか。生半可な神理の知識を振り回して人を救おうとすると、人も自分も共に地獄に落ちてしまうことになる。そうしたことをやる以上は、徹底的に深いところまで神理というものを理解しなければなりません。また、それを体得しなければなりません。これは諸人に共通していることですが、神理を浅いところで理解して、それを商売に使うとつまずきます。それは自分も人もつまずいてしまいます。ですから、よくよくあなたはそのへんのことを、しっかりと理解しなければなりません。


自分が反省しなければ罪は拭(ぬぐ)えない


会員をふやしたり、あるいは霊言集をいくら広めたところで、それでいいところに行けると思ったらとんでもない。そうした気持ちをあなたが持ちたがる理由には、あなたの心の中に深い深い罪悪感があるからです。深い深い罪悪感があなたにはあるはずです。特に女性に対する罪悪感が、あなたには非常にあるはずです。過去、女性に対して犯した罪を償うがために、何らかの自分の良心を慰めるがために、化粧品を売り、そして化粧品を売るだけでは心が安らがないために、それで高橋信次の本をいっしょに売ったりしているのではないですか。そうでしょう。

自分の罪というものは、それは自分が犯したことを自分が反省しなければ、これは拭うことはできません。それを他よりいいことでもって、自分の罪を薄めようとしても、それをごまかすことはできません。こんなにいい神理の本を売ったのだから、またこれだけ人に広めたのだから、自分の罪は許されるだろうと思っても、とんでもないことです。それはちょうど歯の虫歯とよく似ている。外側をいくら金歯にしたところで、中が腐っていればどうにもならない。そんな歯は役に立たないのです。いくら外に金冠をかぶせても、中が腐っていれば、中から血が出ているならば、その歯は使い物にはならない。やがて腐っていくのと同じです。

あなた自身、もっと徹底的に自分の罪というものを反省して、懺悔(ざんげ)して、そして深く神に詫(わ)びて、ゼロからスタートしなければ、いくらいいことをしているように人目に見えるようなことをやったところで、あなたの罪は拭(ぬぐ)われない。これははっきりしている。

もし、その罪を今、あなたが現在ただ今、詫びることができるのであるならば、すぐ、ただちに何らかの和解をしなさい。もし和解をすることができないのであるならば、毎晩心の中で相手の姿を思い浮かべて、神の前で詫びなさい。心から詫びて、二度とそうした罪を犯さないように、深い深い反省をしなさい。それをしないで、いくら化粧品や薬を売りながら、高橋信次の本を広めたところで、絶対にあなたの罪は許されない、よいですか。それは虫歯の上に金を冠しているのといっしょだということを思わなければなりません、虫歯は根本から治さないと直りません。そういうことです。

だから、あなたの一番目の質問にしても、私は、その根本のところが違っていれば、私がこんなことアドバイスしても意味が無いのです。シミ、ニキビの取り方を私が霊言で言って、これはエドガー・ケイシーが言った霊言なのだから、これでもって自然化粧品を売れば売るほど世の中のためになるんだ、という気持ちであなたはやるかもしれないけれども、そういうことのために、私の言葉を利用してはなりません。断じてならん。あなたが化粧品や薬を売りたい本当の理由は、あなた自身の良心の曇りを、化粧品や薬でもって、ごまかしたいと思っている、そういうことがあなたにはある。違いますか。よくよく反省してみなさい。


自分づくりができてから人を救っていく


やはり、女性の真の美しさというのは、内面から輝き出してくる美しさなのです。そういう方であるからこそ、お化粧というもので、照り輝いてくるのです。内面が苦しみの連続で、苦渋に満ちた顔をしていて、その顔中をしわだらけにしていて、いくら化粧品を塗ったところで、その苦悩を隠すことはできない。それはちょうどあなたの心と同じだ、過去の罪をいくら隠そうとして、神理という名の化粧品を顔に塗ったところで、あなたのシミもニキビも消えはしない、同じです。

やはり女性が本当に美しくなるためには、真に自分の心というものを美しくしていく以外にないのです。それであってこそ化粧が生きてくるのです。そして心が美しくなって、ハツラツとした気持ちになってくれば、自然に自分に合う化粧品というものに手が出るようになる。そして合うようになっていきます。

だらこの発想、シミ、ニキビに合うような化粧品があるのかないのか、こういう発想自体が、あなた自身の内面の罪を隠そうとしている発想とまったくいっしょです。とんでもないことです。よいですか。

次に、十年前に内観を行なったのと言っているけれども、内観などは全然できていない。内観というのは、一定の期間こもって反省することを内観というのではないのだ。内観というのは、自分の内なる心を見つめるということだ。内なる心を見つめて、第三者の目で自分自身の心を見つめて、まちがったところを反省して、懺悔するということが内観であって、いろんな所に行って一週間座ったところで、そんなものは内観にも何もなってないということです。あなたのは内観ではなくて、外観だ。外だけをそういうふうにとりつくろっている。そうした自分の人生の偽りというものを徹底的に反省しなさい。あなたは、内観ではなくて外観ばかりをやっていて、そういう神理という雰囲気だけに酔っている。そして中身を全然知っていない。

この金文字の「AREGTC」でもいいけれども、こういうのも、また自分がそういう神示でも受けて、こういう救世の一つの一役を担っているのではないかというような、そういう幻想に耽(ふけ)っているのです。こういうのを誤解と言うのです。よいですか。

あなたが本当に神の教えを広めるような使徒であるならば、それだけの神理と行ないと人格を持ちなさい。だから、何度も何度もくり返して言うけれども、根本をまちがったら、いくら行勤しても、それは何にもならないということです。よくよく考えていきなさい。

したがって、シミ、ニキビのとり方だけれども、あなたのシミ、ニキビのとり方自体をまず考えてください。そしてそれをごまかす化粧品はこの世にはないということを。

私は、それはシミ、ニキビに何が効くかぐらいはわからないことはない。ただ、それを言ったところで、ケーシーの霊示によるこれはシミ・ニキビのとり方だから、これで商売に励めばいいと考えるのがあなたです。その考えはまちがっています。完全にまちがっているのです。私を利用してはいけません。いいですか、まちがってはなりません。今のままでは、あなたは地獄へ行きますよ。利用してはいけません。本当にこれがいいと思って、そして広げていくのはいいけれども、ただ、利用してはいけません。

そういうのは、他にもいるんです。宗教団体ばかりを狙って、保険の勧誘をやっているような人がいるのです。そういう人は、これもいっしょで、神理をそういう商売に使ってはなりません。あくまでも副次的なものなのです。

ですから、化粧品を売って歩くことはいいですし、その中で、機根に応じて、神理を求めていると思う人には、そういうことを教えてあげるのは、これはいいことです。ただ、セットにしてやるのはいけない。そういうようなことを、あなたは考えなさい。女性はなぜ美しくならねばならないのか、その答えを聞きたい、私はね。なぜ美しくならなければならないのか、その理由をあなた考えてみなさい、もう一度。この世的に女性が美しくなるとは、どういうことなのか。女性の美しさとは何ですか、もっともっとそれを考えなさい。

地獄には外見上、美人はいくらでもいるんです。しかし、一皮剥(む)けば、口が耳まで裂けている鬼婆です。そんなのがいっぱいいるんです。この世の美人が、天国に還っている例は少ないのです。ほとんど地獄へ行っているんです。そんな地獄の鬼婆に対する化粧品なんて、ありはしないのです。よいですか。

あなたはもっと本質的なことを考えねばなりません。残念ながら、今のあなたの心でもっては、私はあなたの商売に協力する気は一切ありません。もっともっと自分の心というものを見つめなさい。自分づくりができてから、人を救っていくということです。自分の心の中の罪を隠すために、外面の化粧をしては断じてなりません。外観ではなくて、本当の意味での内観をしてください。こういう商売協力のための霊示は、私はしない。ただあなたに対して、あなたの心の誤りを厳しく指導しておきます。あなたはもっと根本から考え直さないと、とんでもないことになりますよ、いいですか。以上です。

(一九八七年六月十二日の霊示)