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目次















4.神理を知って道を開く


(問)病に苦しむ老母を救いたい


会社員(女性)三十五歳

母の病気を治すために、私ができることをお教え願います。母は肺気腫と診断され、今、入院中です。十メートルも歩くと息が苦しくて、立ち止まらねばなりません。ベッドの側に、酸素吸入器を常時使えるように置いてもらっている状態ですが、病院側からは、直る見込みのない患者に施す治療は何もないので、退院して自宅療養に切り替えて欲しいといわれて困っております。

入院したのは昨年の十二月末、最初は第一腰椎圧迫骨折ということでしたが、その後ほとんど回復し、内科検診をしてもらったところ、肺気腫だと言われ、それも相当進んでいて末期症状になっているとわかったのです。

お医者さまは、「生命(いのち)は時間の問題だ」と言われております。幸か不幸か、現在、肩の痛みが激しくなりまして、再検診してもらったところ、腰椎骨折が完全に治っていなかったということになり、その再治療をしてもらっている間、病院のほうは延期となりましたが、だからといって、激痛と不整脈に悩む母を見ていると、何か他に治してやる手立てがないものかと辛くてなりません。

非科学的かもしれませんが、三年前、父が同じ病気で他界しましたので、何か因縁めいたものを感じ、ある人にみてもらったところ、完全に憑依されていると言われました。しかし、それを取り除く方法はもうないと言われ、私はそれ以来、心が動転し、まさに生きた心地がない有様でした。

しかし、お陰様でこの三月をやっと乗り越え、母はまだ生命を保っております。ただ、病状は決して油断の許されぬ状態です。もしも母の生命が寿命であるならば、これから先、私が母に喜んでもらえるために、何をするべきかをお教えください。もちろん、一生懸命母がまだ長らえる方法かあるのなら、それをお聞かせください。母が今一度、普通の生活ができるようになってくれる道があるのでしたら、どんなことでもいたすつもりでおります。

現在私は、このままで駄目なら、何とか生活を切り換えていく必要があると考えながらも、仕事を二つ抱え、住居も二か所という状態から抜け出せないでおります。自分のこともゆっくり考える暇もない忙しさに追われ、持病の発作に悩まされておりますが、しかし仕事には恵まれ、職場が心を和ませていただける場所でありますので、母の病気が助かるものなら、私にとってこれに勝る喜びはありません。母が今後、満たされた思いの中で日々を送ってくれるために、私はどういう立場に立ってあげたらよろしいのかお教えください。

場合によっては、母の望むように、田舎に生活の場を移して、母と本当に安らいだ日々を送るべきなのだろうかと思って迷っております。母は本当に人の幸せのために自分を殺し、耐えねばならぬような生活のなかで生きてまいりましたが、やっとそれらのしがらみから解放されたかと思う間もなく、病魔に取り憑かれてしまったのです。もし、これでこのまま何の楽しみも与えられることなくあちらに還るというのであれば、あまりにもむごい人生であります。いかに強靭(きょうじん)な精神力を持つ人間といえども、母のおかれた環境で、心から明るい思いを失うことなく持ち続け、生き続けることはとても不可能なことであったかと思われます。気性の激しい私は、決して内にこもることはありませんから問題はありませんが、内向性の母は何につけ、自分さえ我慢すればということのくり返しで、自分を押さえてまいりました。それでも正直なところ、あのような暗くて重い家庭の中でよくまあこのように真直な心を通せたものだと感心する思いがするのも事実です。

複雑な要素が絡まって、私の妹は二十歳のとき自殺をいたしました。母はその後、一か月で十キロも痩せました。ノイローゼにもかかったかもしれません。母にとって家庭は苦しみの場であったと思います。何一つ満たされず、何一つ喜びのもたらされない半生でありました。

私の腹違いの兄弟は八人おりますが、だれ一人として母の労に報いてくれるものはおりませんでした。せめて私の力で、残りの本当に少ない余生を少しでも「幸せ」と母が感じてくれるような日々が与えられるように望むことはまちかっているのでしょうか。七十歳の今となっては、すべてを一からというわけにはまいらぬと思いますが、母に少しでも心を明るく安らぎに満たされた感謝の思いでいっぱいにしてもらいたいのです。もしお差し支えございませんでしたら、母のカルマ、あるいは転生についてもご教示くだされば幸せに思います。どうかよろしくお願い申し上げます。


(答)魂が肉体から悪影響を受けるのを避ける


エドガー・ケイシーです。この方のご質問に対して、三つの要点にしぼってお答えいたしたいと思います。

第一点は、ご質問のお母さんの病気についてでず。私がみる限りでは、残念ながらこのお母さんの生命そのものが、やはりそう長くはないようであります。具体的な時期は言わないほうが、ご本人や、あるいはこの娘さんのためによいと思いますけれども、心構えとしては、そういつまでもはないということは、やはり覚悟をしておかれたほうがいいと思います。

ただ問題は、その残りの期間をどのように生きていくかということであろうと思います。この方もご存知のように、人間というものは永遠の生命を持っており、たとえ一時期、地上に肉体を持って生きたとしても、それはほんの仮の姿であって、生き通しの人間の本来の生命から言えば、仮の宿、そうしたものでしかないのです。

したがって、永遠の生命という立場に立って、こうした病というものを考えるとき、もちろんこれは本来のものではありませんし、あの世でも病というものはないものです。魂は病にはかからないのです。これは魂の乗り船である肉体が、何らかの事情でさまざまな故障を起こしているということにしか過ぎないのです。

したがって、その乗り船を乗り捨てて、次の船へと移っていく時期が近づいてきている人にとっては、要するに、その魂の本質的でない部分、つまりこうした肉体的なものによって魂自体が縛られたり、さまざまな何と言いますか、悪い影響を受けるのを避けなければならないということなのです。

確かに病気というようなものをみれば、この地上的には幸、不幸はさまざまにみることが可能でありますけれども、長い人間の転生、あるいは永遠の生命というなかでみれば、これはひとこまにしか過ぎないわけです。

人間というものは、大きな川を船に乗って下っているようなものなのです。その船が、順調に竿さして川下に向かって流れていくときにはいいのだけれども、やはり川を下るときに、さまざまな渦巻きに巻き込まれたり、あるいは岩に当だってみたり、浅瀬に乗り上げてみたり、そうしたことがあるわけです。こういうふうに浅瀬に乗り上げたり、あるいは岩にぶつかったり、あるいは渦巻きのなかに入ってしまったりすることが、こうした病気とか、あるいは他のさまざまな大きな悩みとなってくるわけです。したがって、乗り船は現在、渦の渦中にあるというわけです。そして木の葉のようにきりもみをしている状態にあるわけです。したがって、本来の流れに沿って流れていくことができない、動いていくことができないという状態になっているわけです。これをどうしてやればよいか、ということを相談されているのと同じことなのです。

流れていくものは、やがて流れていくのですけれども、たまたま渦のなかに入って、きりもみ状態になっているときに、これをどうすればよいかということですね。もちろん、川の流れはいつかは変わっていきますから、渦のなかにいつまでもいるわけではないのですが、渦の中にいる者にとっては、それが永遠の長さのようにも感じられるし、不安、恐怖、恐れ、こうしたものがどうしようもないものとなります。したがって、明確に自分の置かれている状況というものを判断しておかなければ、大変な精神的苦痛を伴い、また魂そのものにも傷がつくこととなってしまうわけです。まあそうしたことを前提にして、さらに話を続けていきましょう。


原因は夫と娘の霊の憑依


この病気の原因というものをみてみると、この方もお気づきのように、直接の原因をはっきり言えば憑依です。他界されたお父さん、あるいは自殺された妹さんですが、二人とも成仏していないのです。成仏もしていないし、地獄で修行もしていないし、このお母さんに二人で取り憑いているわけです。腰から足に両方が取り憑いています。右の足に取り憑いておるのがこの人のお父さんです。左の足に取り憑いておるのがこの人の妹さんというのですか、まあそういう方ですね。腰から足に取り憑いているのです。これでは歩けないはずです。

こういうふうに、重度の霊障を受けている者というのは、結局、ある意味では霊能者と同じなんです。あるいは霊媒と同じような体質になってきて、毎日毎日、強度の憑依を受けていると、霊的な体質になってくるのです。すなわち、通常人であれば、霊能力を持っていないから、霊が来ても何も感じないのですけれども、強度に憑依されていると、もうまさしく体が重くなるわけです。要するに歩けなくなるというのは、普通の人間でもそうです。じゃ足に二人の人間が抱きついて、それで道を歩けるか歩けないか、それは十メートルも歩ければいい方です。歩けません。当然の事です。また、呼吸が苦しいのも当然です。これは憑依霊の影響なんです。実際にこの二人の霊たちが今、あの世でまったく同じ状況で苦しんでいるのです。

人間は肉体の中に霊体が入っていると言うけれども、厳密に言うと、もう少し何層かに分かれています、霊体の中には、いわゆる精妙な光り輝く光子体としての霊体もあるけれども、このまわりに幽体、あるいは副体ともいいますけれども、肉体と光子体とその中間をなすような、霊的なボディー、つまり霊的肉体というのがあります。これが直接、肉体のさまざま諸器官の異変とか、こうしたものを霊体へ橋渡ししているのです。

つまり、肉体の何かが傷ついたときに、この肉体のなかに入っている幽体にも傷が入ります。中にある霊体、あるいは光子体そのものは傷つかないのですが、こうした幽体に傷がつくことによって、なかの光子体が痛みを感じるわけです、こうした連鎖が一つであるし、もう一つの流れは、心そのもの、あるいは光子体、霊体そのものの中に迷いや悩みがあって、こうした迷いや悩みが、だんだん顕在化してきて幽体に影響を及ぼすと、幽体の部分が傷ついてくるのです。あるいは病気になってきます。病気は心から、病は心からというのは実にこうなっているのであって、霊の本質から、まず幽体に影響が出て、幽体の心臓部分が悪くなると、肉体の心臓が悪くなってくる。幽体の足の部分が悪くなると、肉体の足が悪くなってくるというふうに、霊と肉体との橋渡しをする中間物質というのがあります。この部分が傷つくわけです。

ですから、こういう憑依霊が憑くと、この方のお母さんの光子体の部分そのものはなんらの影響を受けていないわけだけれども、幽体の部分がたいへん歪んでくるわけです。そして病んでくるんですね。病んでくるとこれが現象化して、肉体の部分の歪みとなって現われてきます。あるいは病気となって現われてくるのです。こういうことなのです。そして肉体、幽体が歪んできて病になってくると、だんだん本来の光子体のほうも暗い陰りを受けるようになって、そして苦しみを受けるようになってきます。こういうふうに、霊的な悪の影響というのが出てくるわけですね。

まあそういうことで、このままでお母さんが亡くなられるとすると、このお父さんと娘さんに憑依されたままであの世へ行くわけですから、これもそのままで成仏ができるわけがないんです。三人ともども迷うことになって、次に行くところといえば、だれのところへ行くかと言えば、もうご想像はつくはずです。このご相談の方、この人のところへ次は来るはずです。この人のところへ三体来るわけです。想像されるに………。

したがって、このままでおいておくと、この方も、やがてお母さんとまったく同じ状態になることが予想されます。そして病気になる予想がつきます。今度は二体じゃなくて三体になるわけです。これが現状では予想されるわけですね。それでこうした霊障もあるけれども、迷っている原因というのを第二点目に考えていきたいと思います。


まず自らが悟り自分自身を救う


家庭の中でこういう不幸が続くということは、それなりの原因がやはりあるのです。これだけの相談では複雑なことまで十分には言い尽くせませんけれども、私がみるには、どうも家系的に、まあ古い仏教の言葉で言えば、家族の因縁といいますけれども、家族問題でトラブルが起きるような、そういう運というのがみえますね。家族運と、家庭運というのが非常に悪いですね。どうもまともな道筋を歩む人がほとんどいない。まあこれをみると、たいへん仏教の先祖供養的になって申しわけないけれども、どうもこの方のご先祖から、だいぶ苦しんでいるようです。

今はそのお父様と、それから娘さんということで言いましたけれども、その前も、そのまた前も、だいぶん苦しんでいるようです。私は今の新興宗教などの先棒を担いで先祖供養を言うつもりはまったくありませんが、ただ現実には、そうした家族もあることは事実です。先祖代々からみんな迷っている。そしてそれが生きている人間に憑いて、それを迷わせ苦しめて死なせる。そうするとその人がまた次の悪霊となって、次にかかってくる。こうするといつまでたっても家族が不幸になっていきますね、こういう悪霊の虜になっておれば………。どこかでこの連鎖を断ち切らなければならないわけです。

地獄に堕ちている責任は、もちろんその人自身にありますけれども、ただ、先に堕ちている者が取り憑いて次の者を堕とし、またそれが次の者を堕とすというように、次から次へと苦しさから逃れるために子孫に憑依していては、いつまでたっても彼ら自身の苦しみを取り除くことはできませんし、また子孫の者も幸福になっていくことはできません。ですから、こうした何体もの、数体ものこうした家族運の悪い、成仏していない先祖の霊をある程度浄化させていかねば、この人およびこの人を取り巻く人たちの幸福ということはありえないわけです。

私はまあ仏教的な先祖供養などを言うつもりは毛頭ないので、私流のやり方でこの方のやるべきこと、これを言いたいと思います。お母さんももちろん、将来、何年ぐらいあるかというようなことは、それは未知数で、今、私としては言えないけれども、少なくともこういうふうな悪霊が憑いている状況から自由にすれば、楽になることはまちがいがありません。これは確実ですね。そして悪霊から自由にするということは、悪霊そのものもまた楽にしてやらなければならないということです。お父さん、妹さんですねこれもまた楽にしてやらなければ、いっしょだということです。また、そうすることによって、この方自身の将来もだんぶ明るくなるはずなんです。

はっきり言えば、行くところがないので頼って来ているわけです。またどうして地獄に堕ちたかもわからないから出て来ているわけです。この方も宗数的なことがお好きなようだから、近くにいれば、いつかは救ってくれるのではないかと、そういうよすがとしているのです。確かにそれは霊的直感として当たっているのであって、この方も正法を求めている方であるから、どこかでそのきっかけというものをつかめば、彼らを救う方法というのはないわけではないのです。

ですから、この霊障問題について私からこの方に二つ、とりあえずアドバイスをさしあげます。

第一の問題は、要するに、まず彼ら、先組たち、身内たちが、地獄に堕ちている理由は何かということを、この人自身が、まず悟らなければならないということです。彼ら自身もその理由がわからない。この方もわからないようであってはどうしようもないわけです。まずこの方が彼らが地獄に堕ちた理由を知ることができれば、その理由を彼らも悟ることができるのです。それによって自らを反省していくことができる。反省を始めるということは、すでに浄化が進んでおり、天国に行く道が開けてくるということです。

したがって、この方自身が、なぜ人間が地獄に堕ちるのか、なぜ悪霊となったりするのか、ということをしっかりつかまなければならないということです。つまり、この人自身が悟ることが、彼らを助けることになるということです。どういう人間が天国に行って、どういう人間が地獄へ行くのか、地獄に行く原因は何なのか、いったい心のどこがまちがっているからなのか。それをこの人自身が徹底的に追究してみる必要がある。高級霊たちの言葉によって、本来の人間の生き方というものを教えているはずです。それに照らして自分自身の生き方というものを振り返ってみる。そしてどういう生き方が正しくて、どういう生き方がまちがっているかということをまずつかむ必要がある。自分自身がその反省というものを通して正しい生き方というものを悟ったときに、これが彼らを救うための一つの基準となってくるのです。

ですから、何よりも彼らを救う以前に、自分自身を救っていくことです。自分自身を救うということは、自分自身が悟るということです。自分自身が悟るためには、神理のものさしを持ってきて、自分を反省してみるということです。真実の価値尺度を持ってきて、自分の生まれてからこのかた三十五年間の人生というものを反省してみるということです。両親との関係をもう一回考えてみてください。父や母に対する関係、あるいは兄弟に対する関係、親戚に対する関係、世間に対する関係、友人、先生、その他職場の同僚、こういう人たちとの間で自分がどう語り、どう感じ、どう行動してきたか、そうしたことを一つ一つ思い出して反省をしてみることです。まず自分自身が悟ること、反省をして悟ること、そして自分自身の心から光が出ることを目指しなさい。あなた自身がしっかりと反省ができるようになったときに、あなたの身内たち、迷っている身内たちは、まちがいなくあなたを見ているのだから、彼らもどうすればいいかということは、それを見ればわかるのです。

したがって第一の方法は、まず、自らが悟るということです。この悟りを求めなさい。そのための手掛りはいくらでもあるはずです。


喜びによって悪を消していく


第二の方法は、今の、悟るということと近いけれども、マイナスの材料ばかりを考えずに、やはりプラスの材料を見つけていくということです。つまり、この人自身が不幸と戦うことばかりに気を取られて、不幸の渦の中に巻き込まれているのではないかということです。不幸と戦っているばかりではなくて、幸福の材料を見つけていくということもだいじではないかということです。

たとえば、お母さんが病気で、病気をどうにかしたいということで一日中頭を使っていることもいいけれども、逆にお母さんが喜ぶような材料は何もないのか、ということを私は言っているわけです。つまり、幸福の材料はないかと言っているのです。人間というものは、自分に親しい人が幸福になってくると嬉しいものです。親しい人がいっしょに不幸になるといっしょに苦しいし、また悲しいけれども、親しい人が幸福になると、その幸福が伝わってきて喜びとなってくるのです。したがって、不幸ばかりをみつめないで、この人自身が幸福になる必要があるのです。

このお母さんを救い、そして先祖を救うための最大の方法は、この人自身がどんどん幸福になって行くことです。自分の将来に対して見通しが立つこと、希望が持てること、明るく輝いていく将来を持てるということです。こういう好材料を一つでも二つでもふやしていくことです。それによってあなたの内的な喜びが、お母さんに伝わり、迷っている身内に伝わっていくのです。喜びによって悪を消していくという方法もまた神理なのです。笑顔でもって邪悪なる波動と戦うということも神理です。地獄に落ちている霊たちは、長年笑ったことがないのです。笑顔を見せたことがないのです。彼らが笑顔になれるような、何かうれしい材料がないかどうかを考えてみなさい。

彼らも先祖である以上、身内である以上、同じく子孫や身内の幸福を願っていないわけはないのです。幸福にはなってほしいけれども、自分の苦しさから逃れられなくて、どうしようもなくてしがみついて来ているのです。ですから、彼らを嫌ったり、怖がったりするのは、本当はまちかっているのです。彼らもまた子孫の幸せを願っていることは確かなんだけれども、自分自身を救うことができなくてどうしようもないのです。

子孫が幸福になってゆくことによって、その喜びの波動が彼らに伝わっていくことによって、彼らの苦しみが和らいでくるのです。やがてそうなってくるのです。

ですから、この方に対する処方箋は、今も言ったように、お母さんの病気、病気と、この治す方法ばかりを求めないで、まず第一に、自分が悟るということ。第二に、自分の人生における好材料、光明材料、幸福の材料を見出すということ、この二点をすれば、あの世の霊たちも、反省と、それと喜びを味わい、そしてお母さんの病気が逆によくなっていくのです。

人間は他人をどうすることもできないことがあります。しかし、自分自身をどうかすることはできます。これは自分の裁量と努力によってできるのです。他人の気持ちをどうこうすることは難しいけれど、自分自身を変えていくことはできるはずです。そうであるならば、まず、この人ができることから、自分を変えていくことから始めていくべきであろうと私は思います。これが病の原因と、その対策です。


身体に神の光を入れる


第三点目のアドバイスをしておきましょう。カルマなどについても質問があるけれども、私はあえてこの場合のカルマについてはあまり言うつもりはないのです。ただ、過去にも似たようなことはあったということは事実です。けれどもいちばんだいじなことは、今世のこうしたことによって、さらなる新しいカルマをつくらないということです。重病にあえいで地獄に行った場合、またそれが生きている人間に取り憑いて苦しめることがほぼ見えているのだから、そうしたカルマをつくらないように努力していく必要があります。そのためには、お母さん自身もこれから死ぬまでの間に、どれだけ明るい生き方ができるかということを努力していく必要があります。苦しみばかりをとらえずに、どれだけ明るくなっていくか、そういう方法を模索していく必要があります。

ですから、この方がお母さんにできることとしては、できるだけ神理の光というものを入れてあげることです。神理の光を入れてあげる方法としては、たとえば、講演のテープのようなものを聴かすことも一つであろうし、あるいは霊言集のようなものを読んで聞かせてあげることも一つであろうし、また、『正心法語』なり、『祈願文』なりを毎日読んであげるということも一つです。そうすることによって、少しずつ身体のなかに神の光というものが入ってくるのです。これは徐々に徐々にではありますけれども、入ってきます。神の光が入ってくると、その苦しさがだんだんに安らいできます。お母さんをこれからのち、どうやって楽な気持ちで生きていけるようにするか。それは一つには神理の力、信仰の力を使っていくということです。この力によって苦しみを笑顔に、幸福にと変えていくのです。

問題の解決は取りも直さず、悟りへの道にあり、神理を知る道にあり、そういうことです。いたずらに霊能者の他力によって治そうと思わずに、自らの内なる光によって闇を照らしていこう、そう努力する必要があります。他力に頼らず、霊能者に頼らず、自らの内なる光で闇を追い散らしていこうとしなさい。そしてその光をお母さんの心のなかにも灯せるように努力していきなさい。「治してもらおう、治してもらおう」と考え過ぎないことです。そうではなくて、内なる光を灯していきなさい。光を灯していったときに、闇はやがて消えていくのです。光に勝てる闇はないのです。そうした考えを持って、根底に持って、努力精進していきなさい。

すなわち、あなた自身が悟れるかどうかということであり、それが結局は、他人を幸福にできるかどうかということであり、お母さんを幸福にできるかどうかということです。変に拝み屋や霊能者に除霊をしてもらったり、浄霊をしてもらう必要はいっさいありません。あなた自身の内なる光を強くして、身近にいるお母さんの内なる光をも灯していくということです。まず、神理を知りなさい。そしてそれを実行していきなさい。そこに道が開けます。以上です。

(一九八八年四月十三日の霊示)


5.人生には明るい希望がたいせつ



(問)父の原因不明の口内炎、口角炎を治したい


会社顧問(男性)五十歳

父は十年ぐらい前に、直腸と腎臓を一つ取ってしまったため普通の人より消化器系統が弱いせいか、始終、口内炎や口角炎で唇のまわりがただれております。いろんな病院へ行っても原因はわからないと言われて困っております。

父のこの口内炎、口角炎の原因と治し方をお教えください。


(答)自分が自由にできるものは自分の人生だけ



だいたいわかりました。この方の口内炎、ロ角炎の原因には、二つ理由があります。

第一点は、心因性のものです。自分が、もうこの世を去る時期も近づいているということを、最近、ひしひしと感じ始めているようです。そこで、心に去来する問題として、妻のこと、嫁に行かずに残っている二人の娘のこと、こうした心配というのが、常々、頭から離れないでいるようです。自分亡き後、これら三人の女性たちが、いったいどうやっていくだろうか。また自分亡き後、姉妹がうまくいくだろうか。特に妹さんのほうは、親の援助が無くてやっていけるだろうかどうだろうか。そうしたことをかなり気に病んでいるようです。これを気に病んでいることが、一つには胃にきています。このくよくよと考えているということが胃にきて、胃から腸、そして胃腸系統がそのつながりでリンパに影響し、口内炎、口角炎のほうへと影響として出てきているのです。

したがって、この精神的な悩みは、根本的な問題があるために、一つはこれをやめない限り、病気の治療にはならないのです。

しかしながら、この問題に関する解決としては、やはりある程度の割り切りというのが必要であろうと思います。人間にはそれぞれ生まれ持った運命があり、個人個人の生き方があり、考え方がある以上、自分がどうにかその人の人生に責任を持ちたいと思ったとしても、なかなかそう簡単に責任を持つことはできないのです。それぞれの人が、それぞれ独自の人生の責任を持たなければいけないようになっているのです。

この問題に関しては、この方はあまり考えすぎることが好ましくありません。もう割り切ってしまうということが、一つの方法であろうと思うのです。妻を残して先立つ夫は世にいくらでもあるし、また、結婚していない娘というのも世にいくらでもある。そして親がいつまでも面倒を見れないことも、また世の常識であります。そういうことでありますから、これも各人の背負った運命と、一つには割り切って、人間である以上、自分の責任において努力して、何とかその後、生きていくであろうということをやはり信ずることです。

自分がやれるだけの、生きられるだけの人生を生きてきたならば、その後のことはその後のこととして、託してしまうことです。ある意味での割り切りというのが肝腎であろうと私は思います。これはいくら考えても考えても、解決がつかないことであります。各人には各人の運命があるということで、これは割り切ってしまうことです。自分が自由にできるのは、自分の人生だけなのです。それが親子であろうとも、夫婦であろうとも、同じなのです。これが問題の第一点です。


ビタミンB1・B2・Eを摂取する


第二点は、心因性ではなくて、物理的な問題から話をしていきたいと思います。

口内炎、口角炎の原因の理由は、一つには、今言った心因性の問題があるけれども、また別の観点から見ると、体内に疲労の毒素成分が溜ってくると、肉体というものはその疲労から回復しようとして、ビタミンB1・B2、ビタミンE、こうしたものを大量に消費する傾向があるのです。

この対策としては、ビタミンの過度の体内消費が進んでいるということであるから、これの補給ということかだいじであろうと思います。ビタミンB1・B2、およびビタミンEを含んでいる、そうした食物を摂取するか、あるいは、一時的には口内炎、ロ角炎が非常に悪いときには、そうした成分を含んだ栄養剤を摂取することもまた許される方法であろうと思います。本来は、体内でそうしたビタミンを作っていかねばならないのですけれども、疲労の毒素が溜っているときには、それを消化する方向へ方向へと進んでいくんです。ですから、そうしたビタミンB、あるいはEを多量に含んでいる食べ物か、あるいはそうした栄養剤の類を、その病がひどいときには摂取するという方向がだいじかと思います。


将来への希望を持つ


以上、根本的な問題として二点をあげましたけれども、おおまかな事として言っておくならば、やはり人生の終盤期にさしかかるにあたって、男性として将来に対する希望、これがないということ、こういうことが大きな心的、あるいは肉体的な疲労の原因になっていると私は思います。

あと、何年とは明確なことは私は言うことはできませんけれども、まあそう何十年も生きるわけではありませんから、そう何年何十年と生きるとは思わずに、残りの人生をできるだけ希望に満ちた明るいものとしていくためには、家族、妻、あるいは子供たちの陰日向(かげひなた)ない支え、励ましというのが必要ではないかと思います。そういう意味において、将来において、明るい希望のある言葉、あるいは情報は必要であればそのつど耳に入れてあげることです。それは妻であろうが、娘であろうが同じであって、皆でよく申し合わせをして、明るい材料、希望があることがあれば一つ一つ言ってあげること、そして安心させてあげること、そういう希望を持たせてあげること、こういうことが私はたいせつであろうと思います。

人間というものは、将来に希望があれば、肉体の疲労の回復も早いのです。また精神的な疲労からの回復も早いのですが、将来に悲観的な材料しか残っていない場合には、どうしてもこの心因性の疲労、肉体性の疲労、この両方に打ち勝てないでいるわけです。また、物を食べるにあたっても、それを消化してエネルギーにしていくことによって、いったい何をする必要があるのかという、その目的意識がはっきりとしない場合、食べたものがなかなかエネルギーとなり、力となり、栄養となっていかないのです。そういう問題があります。

したがって、おおまかな観点から言うならば、将来に何らかの希望を持つこと。これがだいじだし、それが本人の問題として不可能な課題であるならば、まわりの人たちが、そうしたかたちでの援護をしていく必要があろうかと私は思います。

ただ私が思うに、本人としても何かもう一つの趣味を開発していくほうが望ましいのではないかと思います。その趣味は、精神的なる趣味であってほしいと思います。年老いてこの方は、肉体を使うゴルフとか、そうしたことをやっていられるようだけれども、高齢になってスポーツだけに頼っていれば、やはり趣味としてはだんだん狭くなっていかざるを得ないし、肉体が弱っていくにつれて、そうしたものにだんだん関心を持てなくなっていくであろうと思います。この方はもともと生来、知的な方であろうと思いますから、そういう意味で、晩年まで頭を知的に働かせるための、何らかの趣味、あるいは学問、そうした研究的なこと、何か知的な趣味を持つ必要があろうかと思います。

そうして知的趣味を持つということをできれば本人も計画し、まわりも奨めることも、また一案であろうかと思います。できれば、五年ぐらいかかってマスターできるようなものを、何か一つ始められることも、これも一つの健康法であり、長寿法であろうと思います。五年ぐらいかかってマスターできるような知的なことを、何か計画されてはいかがでしょうか。そういうことを私はアドバイスをしておきたいと思う。だいたい以上であります。

(一九八七年四月一日の霊示)


6.物心両面からの治療


(問)幸福病院準備のためのアドバイスが欲しい


病院カウンセラー(女性)五十歳

私の病院では、精神治療方法なども十分にやれません。都会の病院は、スペース的な余裕がないからです。将来の幸福病院の準備を、人選から、規模、スタートの時期、場所など、すべてについてご相談させていただきながら進めていきたいのですが、このことでアドバイスしていただけることがありましたら、よろしくお願いいたします。


(答)来年後半までの準備期間が必要


幸福病院の準備ということですけれども、やがて時期が来れば始まっていくでしょう。スタート時期については、年内はまだ無理です。具体的にはたぶん、何年か先になると思います。ですから、それまで1年数か月ぐらいが準備期間だと思って、その間にこの方が言っておられるように、人選、規模、その他を考えておく必要があると思います。物事には準備がいるんです。すぐにはいきません。

また、現時点では、実際にそういう力がありません。心の基礎が出来ていないということと、病人と治療に対する考え方が十分に出来ておりません。この準備が出来るまで、もう少し時間がかかるはずです。通常の病院経営に乗り出すわけにはいかないと思います。ですから、それなりの方針がなければ意味がないと思います。それがわかるまでに、もう少し時間がかかるんです。


心の原理を治療に応用する


今、私がこういうかたちで相談をしておりますけれども、こうした幸福病院を始めるにあたっては、霊言集においても、私も本格的に一部収録をしたいと思っています。だいたい病気に関するテーマで霊言集を、やはり一冊つくりたいと思っています。個別の病人相手ではなくて、一般的なテーマで病気ということに関して、一冊の本をできればつくりたいと思っています。そのための理論を出したいと思っています。そういう理論を基礎にして、この幸福病院をやっていただきたいと思う。そのための基礎理論を私はつくります。

ですから、それが出るまでの間、まだ時間がかりますから、もう少しお待ちいただきたい、どういう指導方針でやればいいのか、これについて事細かに指示いたします。

現状では、始まったところで、神理の伝道部分のほうがまだ十分ではないのです。やはり外郭団体ですから、おおもとが出来てだんだん分かれていくのが筋です。そういうことで、私ももうしばらくすれば、こうした治療に関する高級霊界からのものの考え方、判断、これを一冊の本にしたいと思っていますので、それまで待っていただきたいと思います。
この方は非常に力のある方だし、私たちもたいへん期待しているわけです。事実、関西への転勤をやめるようにアドバイスしたはずです。たいへん有望で、将来的に期待しているのです。そういう方ですから、どうかがんばってほしいと思います。これからあと、二十年ぐらい奮闘してくれれば、相当、幸福病院というものも、かなりカッチリしたものが出来てくると思います。

要するに、今までの病院には心というものが無いのです。心というものも、心の科学というものもはっきりしていなかったから、「心の科学」的理論を治療に使えなかった。ですから、心の科学ということをもう少しはっきりさせて、心といわゆる病気との関係もはっきりさせてやっていくといいと思います。そしてそれの理論をひとつの治療行為の中に当てはめていく。また医者や看護婦はそれなりの専門の勉強をしていく。そして、その心の原理というものを応用していく。こういうかたちが理想的かと思います。

やはり両面からね、物心両面からいくのがいちばんなのです。「物」のほうはもちろん、西洋医学もあれば、東洋の漢方、針、灸もあれば、健康食品もあれば、いろんな、やリ方があります。これは「物」のほうでしょう。しかし、「心」のほうもあります。まあ瞑想のようなものもあれば、あるいはそれ以外のものもあるでしょう。

瞑想もこれから病人に適用できる瞑想というのが出てきます。こういうものもまた教えましょう。病気治療用の瞑想というものもあるのです。こういうのはきっちりしたシステムとしてあるのです。ただ、まだその段階まできていないから、私たちは黙っているのであって、病気の種類に合わせた瞑想がありますから、それをまた適当な時期に教えます。それはその瞑想によって心の治療をやるということです。心の治療をやって、そして病気を治していくという方法です。現にそのための瞑想があるのです。しかし、まだ少し時期が早いので、時期をもうちょっとみたいと思っています。時期が来たら教えてあげましょう。

瞑想以外にもあります。理論としてもあります。これらのテーマをまとめていきますから、この方もどうも仕事の早い方のようだけれども、気も早いようですから、どうかあまり焦り過ぎずに、じっくり準備をして、準備段階をおいてやっていくようにしていただきたいと思います。以上でよろしいですか。

(一九八七年二月十日の霊示)