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目次




 4.神話の源流



 7.神人の存在




(一九八九年八月二十一日の霊示)

1.優れたる導き主


全智全能の主(しゅ)ゼウスである。おまえたちに、ひき続き尊(とうと)い話を続けるとしよう。

今回は、「ギリシャ的精神の起源」という演題を選んでみた。それは、あのギリシャ的なる風土、精神はどこから起きてきたのかということだ。おまえたちは、ギリシャと聞いて何を想い浮かべるか。あのエーゲ海を中心とした明るく透明感があって、そして人間性の解放に役立つ、そうした文化・風土を考えるにちがいない。

そのギリシャの精神も、中世のヨーロッパにおいて文芸復興、ルネッサンスというかたちで復興したように言われている。それが、ギリシャ的精神の起源のように言われていると思う。

さて、真相を語ろう。我ゼウス立ちし前のギリシャは、かならずしもそれほどまでに透明なものではなかった。それほどまでに明瞭なものではなかった。まだ、小さな国が争い合い、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の状態に近かったと言える。年中いろいろな国において流血は絶えず、いさかいも絶えなかった。

我、登場せしときに、ひとつの全ギリシャ的なる願いとしてあったものは、やはりあのヘルメス神(がみ)の時代のごとき明るさと英雄を求める心、そこにあったと言えようか。人びとは英雄を好んだ。なにゆえに英雄を好んだか。英雄ありしときには、国は強く、敗れない。ゆえに、みずからの安全をまず確保することができる。英雄ありしときには、その庇護(ひご)のもとに、国の各所に栄えが見える。あちらにも、こちらにも、家が建ち、かまどはにぎわい、そして人びとの顔によろこびが満ちる。そういうことから英雄を求める心があったのであろう。

ただ、このギリシャ的精神も、我没してのち千年あまり、ソクラテスたちが出る前あたりになると国はふたたび乱れて、あの民主主義とかいうわけのわからぬものが始まるようになった。瓦(かわら)か何かの断片に候補者の名を刻んで投票するというようなことを始め、しかも無記名投票という無責任きわまることを行なうようになった。まあ、ギリシャは民主主義の発祥地でもあるかのように言われているが、ただ、私としては、それはあまり優れた政治であるとは思ってはいない。

ほんとうは、民(たみ)というものは優れた指導者にまとめてもらいたいという願いがあるものだ。優れた政治家に、指導者によって庇護され、導かれたいという気持ちがあるのだ。そうであってこそはじめて、みずからそれぞれの持ち分にしたがい、才能にしたがっていろいろな花を咲かせることが可能となっていくからだ。

もし国民(くにたみ)が、そのみずからの才覚、器、また徳にかかわりなく国政に加わるとするならば、彼らは能力以上のことをしていると言わざるをえない。また、投票によって指導者が選ばれるとするならば、もちろん専制的な悪をクビにすることはいともかんたんになるであろうが、その結果は人気取り的政策が行なわれるにちがいないことは、想像にかたくない。

政治的指導者は、つねに時代を超えねばならない。時代を超え、地域を超えた発想は、残念ながらその時代の民衆には、かならずしもわからない。彼らは、結果が出てはじめて気がつくようになるのである。その原因の段階においてはわからない。優れたる者ほど、最初は不人気となることは、ここに理由がある。

我以後の歴史を見ても、救世主というものが出ても、最初のころは非難の嵐であり、批判、また軽蔑(けいべつ)、侮辱(ぶじょく)、そのようなものは山と積まれ、迫害の歴史はあったであろう。それは民の一般的な心として、優れた者が出てもすぐには認められないという傾向にある。それが自分たちの知力、能力を超えているがゆえに、判断が出来ないのである。そうして、力強き者であることだけはわかるがゆえに、圧制をし、道徳的強制をし、自分たちを苦しめるのではないかという伝統的な被害妄想があるのだ。

おまえたちに言うが、もし、優れた宗教家を、おまえたちが投票によって選び出すとしたら、そんなことが許されると思うか。おまえたちの投票によって、この人が優れた宗教家である、というものが選び出されるとしたら、そんなことがほんとうに許されるとするか。優れたる宗教家、優れたる導き主、教主というものは、神より命(めい)が下って決まることになる。そうであって、他の者はそれを受け入れねばならない。

おまえたちは、政治というものをまったくちがったものに思っておるかもしれないが、政治もまた神より命が下って治めるに及(し)くはない。そのような者が、人びとの上に立たねばならんのだ。


2.人間性の解放


さて、ギリシャ的風土の説明をすることであった。

なぜ、ギリシャは明るく、快活で、そして人間性の解放がなされたかのように言われるか。おまえたちはよく知っているであろうが、ギリシャ神話の特徴のひとつに、神々がきわめて人間的であり、また明朗快活であるという点が挙げられるであろう。なぜ、そうであるのか。

今、私は民主主義というものに否定的な話をしたが、ただ根本において、ギリシャにそういうものが芽生えてくるだけのものはあった。その根源、民主主義の起きる根源としてあるものは、神々の多様性を認める心であったと思われる。すなわち、多神数的発想が民主主義を生んだのだと思われる。

唯一の神という考えがあって、それ以外は神でない人間だ、というふうに考えれば、それは絶対的な支配というものが行なわれることになる。しかし、神々が複数いるという思想のもとにおいては、複数が複数である理由は、個性に応じた意見を持っているということであり、個性に応じた意見をなんらかのかたちでまとめていかねばならん、ということを意味していると思われる。

我らが時代においても、複数の神々ということがありえたということだ。すなわち、人間として生きておりながら、神格を持つと思われる人は複数いた。そのなかで、頂点をなすのが私であることは言うまでもないことであるが、神々は神々として、肉体を持って生きていると思われた。

なぜ、そうであるか。なぜ、それらの人が神々であると思われたか。それは、ひとつには、その証明としては、霊的能力というものもあったであろう。神々の一人として数えられる人たちは、霊的能力を持っていたことが多かった。

また、一方霊視ができる人から見るならば、神々と思われた方には天使としての後光が出ていたり、あるいはギリシャ的に羽が生えていたりすることが多かった。我が女神たちにしても、神殿にぬかずいているところを見れば、羽が生えて見えたものは数多くいる。そういう噂(うわさ)がいったん広まると、あの方は神なのだということになる。そういうことがあったであろう。

おそらく、そうした神格を持った者が、数多く認められ、それらの人びとが人間性豊かに生きていたことがひとつの原因であろうし、またギリシャを快活にした理由であろう。

ギリシャ神話に描かれている神々は、喜怒哀楽が激しい。ほとんど生(なま)の人間の生地(きじ)と思われるような感情が出ている。これについても語っておこうと思うが、おまえたちは、神々とはいかめしく、おごそかで、恐いものだと思っているかもしれない。しかし、かならずしもそのようなものではない。

神々というのは、いや、すくなくとも肉体を持っている神々というのは、その前提の条件として天真爛漫(てんしんらんまん)であることが挙げられる。神々の特徴は、天真爛漫であるところにある。その腹のなかに黒いものはない。思ったとおり、思いと行ないとが一致し、そして思いも行ないも天上界に通じているというのが、神々の特徴であった。また、そのような天真爛漫な心を持たねば、天使たちの指導を受けることができないという条件があった。

おまえたちは、我よりはるかに後輩であるところの、イエス・キリストという者の教えを学んだことがあるであろう。彼はよく言っていたはずだ。

「幼な子のごとくならずば、天国に入ることあたわず。」「天国の門は開かない。」と言っていたはずだ。まあ、その言葉を言わせたのは、実はこの私なのだ。私がイエスに霊指導をして、そのように言わしめた。

「おまえたちは、幼な子のようでなければ天国に入れない。天の門は開かない。」と言わせたのは私である。ゆえに、ギリシャ的精神はイスラエルにも及んでいたと言っても過言ではあるまい。

ただ、これはいつの時代も真実であって、おまえたちは、ごくまれに、偉人たちを自分の近くに見ることができるであろう。そうした偉人たちの私生活そのものを見たときに、不思議なことにまるで童心そのものであり、子供のようであることに気づくことが多いであろう。

いったん仕事をさせた場合には、巨大な能力を持っているのに、その集中力を解いたときの放心状態においては、子供のごとくであり、無邪気であるということを見るであろう。そのとおりだ。偉大なる仕事をなす者は、大いなる集中力を持たねばならぬが、大いなる集中力はつねに大いなる放心状態というものもともなう。放心状態のときには、あどけなく、無邪気であって、子供のごときである。それが心の法則なのだ。

ゆえに、我らギリシャの神々も、精神統一をし、そして神、我であり、我、神であるというがごとき行動をするときには、もはや地上の人間とは思えなかったが、いったんそのような世界を離れて、日常生活に戻るにいたっては、いたって童心であり、子供のようであり、天真爛漫であったということだ。

また、そのような神話が創られた理由のもうひとつがある。それは、私がきわめて芸術を好んだという点にあるかもしれない。我は民衆との交(まじ)わりということをとても重要視した。夜な夜な神殿にぬかずいて祈ったことは、先に話をしたとおりであるが、これ以外に民衆とも交わることを忘れなかった。


3.真昼時(まひるじ)の水浴


我(われ)が三十五、六になったころであろうか。だいたいギリシャの全土を平定しえた。そこで、我は国民(くにたみ)たちをもっと幸福にせねばならんと思った。国民たちは戦(いくさ)に疲れている。精神的にも疲れている。彼らの心を高揚させ、そして幸福感に満たすためには、心に潤いなるものが必要である。我はそう思った。そうして、なんらかの彼らの精神を高揚させるものを発明せねばならんと思った。それゆえ、ひとつの行事をつくった。

それは、まあ今風(いまふう)に言えば、神殿と神殿との間に、そう、大きなプールをつくった。それは、地面すれすれのプールではなく、ひじょうに盛り上がった台地のごときものをつくり、その台地のなかにプールをつくった。神殿の柱が立たぬような、そのような階段の上りつめた上、ピラミッドの上を削ったような、そうした場所において巨大なプールをつくった。そうして人びとに命じて水を汲(く)ませ、そのプールに水を張った。

そして、午後の二時になると、私やヘラ、その他の女神、王族などが相集(あいつど)いて、一糸まとわぬ姿となってそのプールのまわりを歩き、プールにて一時間泳ぐことにした。そうして、一時間水浴びをした我らは、その生まれたままの天真爛漫、ありとあらゆるものをお見せする姿のなかで、すなわち一糸まとわぬ姿で、このプールサイドに集まっているときに、さて、その目の前の広場にて、さまざまな演劇をさせるにいたった。

ところが民衆は、ゼウス神(しん)が素裸(すはだか)でおられるのに、我らだけが衣服をつけるわけにはいかんということになって、次から次へと服を脱ぎ始めた。そうして、演劇をするも裸、見るも裸、一日のうちの一、二時間は全員が素裸という状況で、そのような解放感がもたらされたのであった。

したがって、午後の二時になるとドラが鳴り、いよいよゼウス神たちが水浴びをされる。あれがお美しいヘラさまのお姿。あれが美しいアテナ様(まだ女にはなってはいなかったが)のお姿、あれが女性と見紛(みまご)うばかりのアポロン様のお姿、そのような美しい神々が素裸のままで水浴びをし、泳ぎ、一時間を楽しむ。そうして、水から上がったのちは、まったくくつろいだかたちでそうした水際にたたずみ、すわり、寝そべり、演劇を見る。演劇をする者もすべて素裸。見る者も素裸。したがって、毎日毎日数千人の民が、二時から四時ごろまでは素裸で集まっていた。

大広場に集まり、そのときには、なんら隠しごとはなかった。どこの地域もそうではあるが、男女というものは秘めごとが多い。女性は男性に見られぬをよしとする。なぜならば、秘密のものがあればこそ、魅力というものが出てくるものだ。秘密がなくなったときに、魅力というものは消える。女性がその隠し処(どころ)を隠さなくなったときに、男性はだれも結婚を申し込まなくなる。それは、ありふれたものとなるからだ。現代の世にはインフレというものがあるが、巷(ちまた)にありふれたるものは値打ちを感じなくなる。ゆえに、隠すをもってよしとした。

また、アラビアの地域においては、もっとその最たるものがあるであろう。顔までも隠すという、顔を見たいがために結婚をするというような、そのような誘惑をつくり出すことに成功した地域もある。およそ見せねば値打ちは出てくる。見せすぎると値打ちは減ってくる。それが、人類史の秘密ではある。

まあ、そういう原則から言えば、まことに反したことではあるが、明るいギリシャの陽盛りのなかで、人びとは二時間ばかり素裸のままで集まっていたのである。そうして、世にもまれなことであるが、素裸の人びとは演劇を見、次つぎと「では我の番に。」といわんばかりに、そのなかに飛び込もうとした。

最初はプロの演劇団による演劇が行なわれたが、そのあとは、素人(しろうと)衆による参加というものがあった。そして、次つぎと歌を歌い、踊りを踊る、またちょっとした寸劇をする。こういうことは、その日、その日のできごととして行なわれたのである。

そうして、また結婚に関しての考え方が変わってきた。なにしろ、演台の上で若き女性が一糸まとわぬ姿で歌を歌い、そして踊りを踊るというのであるから、それを見る男性は数千人。目が高い。「今日のあの女性は、一番人気だ。」ということになるならば、結婚の申し込みが五百人、千人ということはよくあった。

すなわち、女性はこのなかにおいて、ひじょうにうれしい気持ちを味わった。いや、その女性に似合う男性とならば、やはり歌がうまく、演劇がうまくなければならんであろう。そういうことであって、筋肉隆々の男性が、男性自身を隠すこともなく、踊り、歌い、飛び跳ねるということもよくあり、そのなかで女性は自分の理想の男性を選ぶということもあった。これなどは、ある意味においては民主主義の原型であるかもしれんと思う。

そうしたことを行なっているがために、我の人気は高まっていった。


4.神話の源流


もちろん、言ってはおくが、ギリシャといっても冬は寒い。冬は寒いのであまり裸では歩けぬ。したがって、陽射しが強くなってからの季節のことが中心であったことは言うまでもない。すなわち、春先から秋口までが、そうした素裸の行事が主として行なわれたのであり、秋から冬にかけては、私は全智全能であるから、次なることを計画した。

すなわち、冬においては、裸では寒いから、ちがったことをしようと言い出した。そこで、冬には文学にひたるに及(し)くものはない、ということになった。と言っても、当時はまだ現代のように本が書店にあふれているような時代ではなく、残念ながらそのように閲覧(えつらん)することはできなかったので、冬場のうちは語(かた)り部(べ)を養成し、物語を次つぎと空(そら)んじさせた。すなわち、ゼウス神(しん)の遠征、ゼウス神の会戦、ゼウス神のお悟り、こうしたものを創らせ、語り部によって、そういう物語を語らせた。そうして、ひとつの完成されたストーリーができると、これを大勢の語り部を集めて暗記させた。

そして、彼らは、それぞれ、分かれて町や村の広場に出かけては、そのストーリーを昼間に語るようになった。そして、一時間、二時間、まるで現代の日本で言うならば、いや過去の日本であれば『平家物語』という軍記物の語り部があったと聞いているが、そのようにゼウスの戦記物が語られたのであった。

そして語り続けるうちに、次第しだいに尾ひれはつき、ゼウスの全智全能が大きくなっていったのであった。のちに、神話が数多く創られたのは、こうして語り部を多く養成したことが原因となっている。その語り部が語り継(つ)いでいったものが、のちに神話となっていったと言ってよい。

そうして、どのような国においても、神話を創るときには、かならず政治的背景がある。すなわち、現在の政権あるいは政治指導者たちが、いかに合法的なものであり、正当なものであるかを証明するために、そうした神話が創られることは言うまでもないことだ。

それゆえに、私が生きていたときに創られた戦記物もあったが、それ以前に、さまざまな神々の系譜をたどって我が生まれたという神話もできた。それが、天地創造の話だ。天地創造の話をさまざまに創った。これは、どこの国の神話にもかならずあるものだ。

そういう話をも国の政策として創らせた。

こうして、あちこちで語り部を用いて物語を説かせ、そして人びとはそれをよく聴いた。そして、頭のいい者はどうするかというと、そのストーリーを暗記することに、これ努めた。すなわち家に帰ってのち、夜、その日の話を暗誦し、復誦することが勉強になった。そして、やがて優秀な語り部になるということが、少年たちのひとつの理想になった。この話をよく覚え、そして雄弁術を覚えることによって、人びとにすばらしい話を聞かせるということは、ひとつの理想的な職業となった。

私の時代にこうしたことをしたことが、その後千年もたってから、さまざまな哲学者、ソフィスト、弁論家というものを生み出した。また、ギリシャにおいて説法能力、あるいは演説能力というものが、ひじょうに重視された理由も、この時代に私が始めたことに、始まっていると言っても過言ではないであろう。


5.スポーツの興隆


さらに、私が考えたことがまだまだある。それは、このように演劇や歌をするにはそれなりの才能が必要だ。また、物語を語らせる文学的才能には頭脳が必要だ。さすれば、その両者をも持たぬ者をどうするか。国の長(おさ)としては当然考えねばならぬことであった。それゆえに、その両者を持たぬ者のために、我はスポーツというものを編み出した。

戦争であれば殺し合いになるが、殺し合いにはならず、実用性はありながら人びとに尊敬される道を開こうとした。それゆえに、古代のオリンピックの起源にあたるものも、すでに我は考案していた。

すなわち、月に一度ほど競技会というものを開くことにした。そうして、そこでは武術の練習試合というものが行なわれた。剣の試合、また格闘技の試合、槍の試合、弓の試合、馬術の試合、こうしたものを次つぎと我は考案した。そうして、競(きそ)わせることにした。

本来、ギリシャという国もさまざまな国家の寄せ集めであった。小さな地方国家の寄せ集めであって、彼らの不満が百出すると戦乱にならないこともなかったので、我はそのエネルギーをなんらかのかたちで抜かんとした。それゆえに、各地域ごとに、各国ごとに、その競技を競わせることにした。戦争で勝敗を決するのではなく、競技に代表選手を送り込んで、どの国が優れているかということを決することにした。それに、各小国の勢力を注(つ)ぎ込ませることに成功したと言ってよい。

さすれば、各国において、この毎月毎月の武術の競技会のために、選抜された人を選ぶべく数々の訓練が施され、そして国のなかで選抜試合が行なわれ、そしてその国一の勇者という者が出てきて、そうして私の前で競技をする。そうして、全ギリシャ一の槍使い、剣使い、弓使い、馬乗り、あるいは相撲(すもう)取り、こういうものが見出されるにいたった。

また、私は、のちには円盤投げといわれているものがスポーツのなかにあるが、あれに近いものをも編み出した。私が編み出したものは鉄の円盤ではないが、そう、ちょうど石灰質の石をじょうずにくりぬいて作った円盤である。直径二十センチくらいの円盤であるが、これに一定の規格を決め、重さと大きさを決めて、これをできるだけ遠くまで飛ばすという競技について考案をした。このようにスポーツを次から次へと豊かにしていった。


6.才能の民主主義


演劇、そして物語、スポーツ、こういうものを使うことによって、国の士気を高め、そして理想国家をつくろうとしていったのだ。こうしたときに、やはりギリシャという国が人びとの才能を開花させ、そして発展させるという要素を持っていたと言えよう。

我は全智全能であるが、単に専制君主として君臨するのではなく、国民(くにたみ)の才能と力を、最大限に引き出す能力を持っていたと言ってよい。

すなわち、我がいま言いたいことは、けっして、こういう有徳の君主が上にいるということと、国民の力が最大限に引き出されるということは、相(あい)反するものではないということなのだ。そういう有徳の君主が上にあればこそ、国民たちは最大限に自己の能力を発揮することも可能だということを、忘れてはならぬ。

この精神がうすれ、のちには政治の世界に国民が参加するということになってきて、残念な気持ちがしないわけではない。

また、この私の時代に特筆すべきこととして、やはり、この解放感があって、罪の意識というものの改革があったやもしれぬ。もちろん、昔も今も地獄はあり、昔も今も魔のささやきはある。ただ、我らが時には、こうした悪魔というのは、たいていの場合、戦争の相手のことを言っているのであって、内々は神の光に満たされているという考えが強かった。

それゆえに、内々は神の光に満たされるがために、人びとは心を明るくせねばならぬということを、我は常づね語っていた。みずからの心の悩みを解決するのに、心そのものと対決する方法もあるが、心をより陽気で快活なものに向けていくことによって、悩みを解決するという方法もある。そう私は語っていた。

すなわち、それぞれの人間には長所というものがあり、とりえというものがあるので、これを最大限に伸ばしてゆけという方向に私の治世、すなわち国を治める術は向いていったと言える。それぞれの長なる人に、どうやってその村の、町の人びとのいちばん長ずるところを伸ばしていけるか、そのことに努力せよと、つねづね我は語っていた。それが最大であると。


7.神人の存在


そうして、次に考えなければならないことは、そのような、才能の民主主義のようなものを認めていたが、その上にあるものとしてひとつだけ固めたことは、神に仕える者が最高に偉いのだということだけ、これだけは不動のものとして我は固めた。これが失われればすべてが失われてしまう。神に仕える者が最高である。また、神の声を聞く者が最高であるということだけは、これは不文律として成立したものであった。

これは、どうしても譲(ゆず)ることはできない一線であった。今の時代では、神の声を聞くという者を愚弄(ぐろう)し、きちがい扱いする者が多いと聞く。これは政治としては、最低、最悪であると言ってもよい。神の声を聞くということは、これは人類史上、最高の仕事であるのだ。

何といっても、この地上界は箱庭のような世界であり、このなかにおいて我らが知恵というものも限られており、我らが理想というものも限られておる。しかし、この箱庭を超えた世界、神の世界から見た理想が降りてくるとき、地上は大いに進歩し発展するしかないのである。ほんとうにずぼらしきもの、未来への啓示に富んだものは、ほとんど神々の世界から降りてくる言葉にある。

ふり返ってもみよ。現代の人類は、人類の歴史はわずか三千年、四千年しかないと思っているであろう。有史以来ということは、わずか三千年、四千年だと思っているであろう。しかし、実際はそのとおりではない。けれども、すくなくとも有史以来、人類の文化を、文明をおしすすめたのはだれであったか。それは、聖なる言葉を受け取り、説くことができた人たちではないか。

もし彼らなしとせば、人類は現代のように発展してきたであろうか。彼らの心の支えとなり、心を富ませ、深くし、そして人間性を高めたのは、神の声を伝えた人たちが存在すればこそではないか。もしキリストなくは、西洋社会はどうであったか。もし仏陀なくば、東洋社会はどうであったか。もし孔子なくば中国がどうであったか。もし我なくば、ギリシャはいかばかりであったか。

そのように考えてみると、やはり人びとの個別個別の能力というもの、才能というものはすばらしいものであるが、突出(とっしゅつ)した人間の存在、いやこれは人間とはいわぬ、神人の存在に対する敬意だけは、けっして忘れてはならない。たとえ、肉体を持って人間として生きていようとも、神の声を伝えることができるものは、これは神人である。神人であって、冒すべからざる存在である。この神の人を、けっして汚さないという不文律は、どうしてもつくる必要があると思われる。

これがない国は、いや、それがまだ現存せぬ政治は、文化は、未熟であると言わざるをえない。

そうして、当時のギリシャにおいていちばん優れていた思想は、こうした神の時代は、いつのときにもあるということ、そして、神の人が時代の変革期と最盛期に現われるということを、人びとは信じていたということなのだ。

ところが現代人は、それが過去にのみあって現代にはないと思っているであろう。それが愚かであるというのだ。いつの時代も、神の人の出現を期待し喜ぶ気持ちというものだけは、忘れてはならんと思う。それを忘れたときに、人類の文化は低いところにとどまらねばならぬようになってくるにちがいない。

以上、きょうはギリシャ的精神の起源について語った。またちがった話を続けていくとしよう。