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目次










(一九八四年四月二十九日の霊示)

1.私は霊の世界を知らない学者を批判した


 ソクラテスを招霊する――。

― 古代ギリシャ語が長々と続く ―。

善川  ソクラテス様ですか……。まことに恐れ入りますが、私は今のあなた様のお言葉は解し兼ねますので、できましたら日本語でおねがいしたいのですが。

― ギリシャ語が続く ―。

ソクラテス  ウヮタクシハ、ソ、ソ、ソクラテス、ソクラテス、デス。

善川  まことに恐れ入りますが日本語でお願いできましょうか。

ソクラテス  デキルカギリ、ドウリョクシテミマス。ナレテキタラ、アルテイドハ、 コタエルコトオモイマス。

善川  あなたは、ギリシャの国にお生まれになられたわけですね、今からおよそ二千五百年程前ですか。

ソクラテス  ソデス。

善川  それで非常な哲人として、今も多くの人々に語られ敬われておられるわけですが、私は残念ながら先生のご思想というものについての認識が足りませず、当時どのような思想のもとに゛法゛を説かれたのか、そのようなことについて、もしお話をして頂けるなら有難いと思うのですが。

ソクラテス  ― またギリシャ語が始まる ― ワタクシハ、イマノアナタガタガ、ギリシャとよんでいる国、アテナイという都市の中で、人間として生きていくものの正しい生き方が如何なる方法であるかということを説いていたのです。

善川  それは書物でお著(あら)わしになられたのですか、それとも口述されたものであったのでしょうか。

ソクラテス  わたくしは、このような「対話」の形を通じて、人々を啓発するという方法をとったものです。

善川  当時のギリシャは、文化の進んだところでありますので、文字等もあったことと思うのでありますが、先生が説かれた゛法゛というものの教えについての書物は残されなかったのでしょうか。

ソクラテス  私の弟子達が、私の語ったものを記録に残しております。私、自らは書いてはおりません。

善川  ということになりますと、お釈迦様や、イエス様が、説法されて、そのお弟子様方が、後々の世のために書物として、書き残されたということと同じケースであったわけですね。

ソクラテス  かも知れませんが、違うかも知れません。

善川  特に先生が、ご注意されました点というのはどういうことであったのですか、お教え願えますか。

ソクラテス  わたくしは、主として知識、知力、理性というものから「正法」を説いていたものです。真理に対する正しい知識を持っていなさいと。そうすることが、あなた方の進歩に繋がるのです。間違ったこころ、間違った知識や知恵は、何の役にも立たない。そういうことを議論によって次つぎと表わしてゆきました。

善川  その正しい知識と申されましたけれども、当時あなたが正しい知識とご主張されたものの規範と申しましょうか、尺度と申しますか、何をもって正しいものであるというご見解を持たれたのでしょうか。

ソクラテス  私の考えは、神というものを哲学的に認識することでした。具体的には、私が招霊をしていたものとの交信を通してさまざまな知識を得ました。

善川  それは、その時点におきまして、あなた様は「神」の存在というものをご自覚されておられたのでしょうか。

ソクラテス  そうです。

善川  それでは正しい知識というものは、いわゆる人間知によるものか、神から出された本来の英智というものか、そういうもののけじめというものは確然とされていたのでしょうか。

ソクラテス  そうです。ただ私の当時の使命は、あなた方は一般に宗教という形で人々に説いていたけれども、当時のギリシャは、非常に知的な文化が進んでおり、非常に学問的にも進化しておりましたので、宗教を宗教として単に信ずる、感じるというものではなくて、宗教を学問化するということが、私の当時の目的であり、神をただ信ずるなどというのではなくて、この世界、あの世の世界を、学問的に体系づけるということが、私のやり方の一つでありました。

善川  そのあなた様が感じておられました神という対象は、どのような神を対象とされておられましたか。

ソクラテス  ゼウスの神です。

善川  ゼウスの神という方は、どういう神格を持っておられた神様ですか。

ソクラテス  ゼウスは人格神でありますが、諸々の聖霊達の上に立つものです。

善川  これは宇宙の創造神という、いわば「法神」という意味ではなく、いうならば地球霊団の゛長(おさ)゛という形の神様であられたわけですか。

ソクラテス  そうとも言えますし、そうでないとも言えます。具体的に人格的な神であられることは存じておりましたが、それ以外に天地創造の大きな働きと関係あることを否めません。それを学問的に捉えることもむつかしいと思います。ゼウスという言葉も、人格神としてのゼウスと、それ以外の大きな力を表わしているゼウスがあると思います。

善川  その辺の「理(ことわり)」というものを理論的にあなたはお説きになられたのですか。

ソクラテス  そうです。

善川  それをお弟子さんのプラトンなり、アリストテレスなどが文書に著わしたのでしょうか。

ソクラテス  彼らは彼らの立場や考え方がありましたので、必ずしも私の意図したもの通りとはなっておりませんが、私の考え方、思想の一端は、彼らも述べ伝えているはずです。

善川  いずれにいたしましても、あなたも歴史上の人物であられるし、人間として肉体をもってこの地上に現われました方であります関係上、お教えになられたことも単に抽象的なことではなくて、この地上に生活する人間が、如何に生くべきかという具体的な生活の行動指針をお説きになられたものと、私は拝察いたしますが、私たちの理解のできる範囲で、あなたのお教えというものをお聴かせ願えれば幸いと存じますが。

ソクラテス  私は霊の世界についても説いております。転生輪廻についても語っており、霊界の世界も生きながらにして行って来ました。そして天上界の仕組みについても、私、語りました。そういうものがあるということを人々特に青年達に教えていきました。青年達に、アテナイの、ギリシャの未来を担う青年達に魂の世界のあること、天上界という組織があるということ、転生輪廻もあるということを教えましたが、当時の他のソフィスト達は、私を、青年達を惑わす者、青年達を悪に引き込むものだというふうに称して、私に議論でよく負けていたものですから、そういう反感から私を陥れようと陰謀した人達も随分あって、私を、青年達を惑わしたという名のもとに死刑にしようとしました。

善川  その人達は、役人とか或いは政治的な背景を持った人達だったのですか。

ソクラテス  そういう人達も居りました。当時有名な言論家達、たくさん居りました。私は当時でも異端のように思われていたのです。当時の言論家達、雄弁家達は自らの知識を誇りにしておりましたが、私は、そうではないのだ、あなた方は全く無知なのだ、学問をいくらやっても、学問馬鹿というものがある。いくらこの世の学問を修めたところで、あなた方は霊について何も知らないではないか、死後の世界を何も知らないではないか、神についても知らないではないか、転生輪廻について何も知らないではないか。何も知らないものが知ったもののように語ることは如何なることか。何も知らないのに知っているように語るよりは、知っていることと、知らないこととを分け、知らないことを知らないと言える謙虚な人間こそが、もっと立派であると私は彼らに言いました。

あなた方は何も知らないではないか、何も知らない。霊も知らない、神も知らない、この世の仕組みも知らない。仕組みも知らないのに何もかも知ったような顔をして青年達を教えるというのは、間違っているではないか。そのようなことを、私は事ある毎に人々に言いました。ところが当時の人達は、私を世を惑わす異説、異端ときめつけて私を消し去ろうとしたのです。イエス様が十字架にかかったのと似たような事情であります。

善川  私は当時の模様はよく存じませんが、文化が非常に発達したものと思いますが、あなたのお仕事は、今で申しますなら評論家というのでしょうか、それとも大学の教授という職のお仕事だったのでしょうか。

ソクラテス  今いえば大学教授のようでもあるし、弁論家でもあるのですが、弁証家がそれだけの力を持っていた時代なのです。

善川  それはイエス様当時のパリサイ人(びと)、或いは、サドカイ人(びと)というような宗教上の学者グループというのでもなかったのでしょうか。

ソクラテス  ちょっとあなたの言っていることが判りにくいのですけれども。

善川  いわゆる神学者ですね、あの当時の、イエス様の当時の人は神学者ですね、そういう立場の方々とは違う学者として……。

ソクラテス  いろんな現われ方で、例えば仏教では、いろんな僧侶が沢山出てきました。キリスト教では、キリスト教の教会とか、いろんな方が出てきました。私達の時代には雄弁家というか、学問家というか、自分らで考えたことを次つぎ発表して、真理を競うとか、真善美、これを追究するための文化が非常に発達した時期でありました。

善川  当時は、現代のような学校というようなものはあったのですか。

ソクラテス  学校はありました。私自身、アテナ学園を創っていった人間の一人です。

善川  そういう学園の研究室で……。

ソクラテス  弟子達を集めて教えておりました。

善川  プラトンという方は、その当時のお弟子様ですか。

ソクラテス  プラトン、そうです。

善川  アリストテレスは少し時代が下がっての方ですね、まあそういう方々の若い青年達を対象にして、あなたが説法されていたということですね。

ソクラテス  そうです。

善川  いうならば、今様に申しますならば、反対学者が居られたということですね。

ソクラテス  と言うよりも、当時の方々は、学問という基礎はもうあったのですが、本当のことが分からない。それで哲学というものを作ったのは私達ですが、これは、神の弁証、真理の弁証、というものを或る程度学問的に捉えようとした動きです。そしてまた私、このように現在、O川OOが語っているように、また光の天使達と語ることができたために、今と同じように私のことを怪(おか)しいというような人もやはり随分居たわけです。しかし、私を信ずるものは私に従いてきましたが、私を信じないでペテン師だと言っていた人も多かったのです。

善川  あなたのお話によりますと、あなたは既に霊能力というものが開かれておりまして、当時のゼウス様からの交信を受けるというお立場であられたというわけですね。

ソクラテス  ゼウスとは直接お話できませんでしたが、お弟子様達とお話できました。

善川  あなた様は、そういう天性の霊能力を持っておられたし、しかも学者として哲学という学問を打ち立てておられたのですが、あなたの学問およびその教えの基本となるものは、今様に申していえば帰納法をとられたのか、それとも演繹(えんえき)法をとられたのでしょうか。

ソクラテス  両方とも、言葉が適切でありません。帰納でも演繹でもありません。私のやり方は違います。私、神の世界も知っていますし、霊の世界を知っています。当時すべて分かっていましたけれども、当時の人でそのようなことを理解できる人は居なかったのです。ですから議論ということを通して、相手に自ら無知であるということ、魂の頁実に対して無知であるということを悟らせる、これが悟りの第一歩だということで、私は人々の。゛無知゛ということを悟らせようと努力したのですが、これが無知を悟らせられる側の人からみたならば、大変傲慢なやり方に思えたはずです。

キリスト教には、自らの罪に気付いて懺悔するというやり方があるでしょう。仏教でいうならば、反省ということがあるでしょう。私のやったことも同じことなんですが、人間には間違った考え、愚かな考えや、欲望に振り廻されておりますが、それは無知にもとづくものであります。その゛無知゛に気付かせるために私は、いろんな所で、いろんな人と議論を行ない、いろんな人にいわば恥をかかせました。これはまあ一つの方法であります。


2.汝自らを知れ!


善川  まあ反省ということについては、あなたには有名なお言葉があります。「汝自らを知れ!」というお言葉ですが、それが自身の反省に立脚せよと、そういう意味であったわけですね。

ソクラテス  そうです。今日的な宗数的な言葉で言うならば、神の子である自分に目覚めなさい、或いは、自分の良心に目覚めなさい、そういう言葉であります。当時はそういう言葉でしか「正法」は説けなかったのです。

善川  当時の肉体を持った人間としては、如何にご高説であったところで、遺憾ながら己が眼で観(み)、肌で感じなければ、それを信じるということは困難であったろうと思うのですが、あなた様は、何かその不思議を現象に起こして見せて納得させたという経験はなかったのでしょうか……。

ソクラテス  現象は人々に見せません。私のとった方法は、こういうことであります。なんというか、神の子としての自覚を持って日々生きていく人々は、それなりの高貴な魂、高貴な精神の持ち主、として外見にも表われ、言動にも現われるものです。私はそういうもの(現象)を知っていましたけれど、そうではなくて、私から出る波動によって悟らしめるという、私の言動、私の立ち居振舞い、そのようなものを見て、人は何か悟るものがあるであろうという、そういうやり方を私はとったのです。

善川  そういうことで人々の中には、悟れる人もあったわけですね。

ソクラテス  そうです。

善川  さらに突っ込んであなたのお説を、もっともっと深く学びたいという学生達は、霊能力の開発ということまでは進まなかったのでしょうか。

ソクラテス  そこまで進めた人は極く稀(まれ)な人でありまして、プラトン(プレイトゥー)はそのような、私と同じような力を持っておりましたが、やはり天性のものでありますし、ただ当時には、そのような力があるということは、或る程度信じられていましたので、神の人、という見方はありました。

善川  あなたのお目から見れば、あなたのお弟子様のプラトンは、どれだけの使命を持ってお生まれになったとお思いですか。

ソクラテス  共に同時代に生まれたものですが、プラトンの使命は、私よりも偉大だったかも知れません。私は一つの神より遣わされた人間として、高尚な人生を送って、その人格をもって人々に感化を与えるというのが私の使命でありましたが、プラトンの使命は、私の説いた人作り、それが哲学の基礎づくりともなるものでありましたから、彼の考え方は、もっと私より進んだ面もあります。

善川  あなたのご在世中には、あなたのお教えがどの位の人に影響力を及ぼされたのでしょうか。

ソクラテス  やはり一つのアテナイ市の、まあ今でいえば東京のようなものでしょうか、東京という非常に進んだ文化の地があって、その中でやはり、ソクラテス在り、と言われた人間の一人です。

善川  まあ言うならば、東大の総長というような形での資格を当時持って居られたのでしょうか。

ソクラテス  それは言えませんですけれども。

善川  あなたのご身分については、時の政府では何か認証というものをお与えになられていたのですか。

ソクラテス  そうではありません。貧乏暮らしをして居りました。

善川  まあいうならば、野に在った学者ということですね。

ソクラテス  まあ言わば私塾というか、私塾学園というか、当時はそういうふうに、言論家達が弟子を養成するのが流行(はや)っていたのです。


3.毒杯を呷(あお)り刑に服(つ)く


善川  いま一つお伺いしたいのですが、あなたが、これも史実によるんですが、毒杯を呷(あお)られたということですが、これは事実でしょうか。

ソクラテス  事実です。

善川  誰があなたに毒杯を飲むことを強要したのですか。

ソクラテス  それは゛市民会議゛の決定です。

善川  ゛市民会議゛とは、いわゆる反対派の方々のですか。

ソクラテス  今にたとえていえば、地元の有士たちが、ソクラテスは青年達を迷わしている、ああいう男を許してはいけない……当時そんな法律があったのです。例えば今で言うならば、そういう間違った思想宣伝をして人々を迷わす罪とでも申しますか、そういうような刑法があったのです。私はそれにかけられたのです。抗弁することも出来たのです。申しひらきすることも出来たのですが、私は沈黙して何も言わなかったのです。牢獄の中に入れられても、牢獄の番人も私の弟子になってしまいました。次つぎと親しい人達も詰めかけて来て、私に、考え方を改めるように、謝罪するようにしろ、そしたら命は助かる。そういうことを次つぎ、いろんな方が言って来ましたけれど、私は自分の考えを曲げたくないし、また市民巷間においては、悪法もまた法であるという立場から、悪法であっても国を規律する法である以上は、生きている市民は守らねばならない。外面的に正義が悪に屈伏するように見えても、そういう法律というものを無視しては、民主主義国家は成り立たないから、多数によって、多数決によって私が有罪とされ、法律によって処刑されるとするならば、敢えて私は毒杯を呷(あお)ることを選びました。

ただ、当時においても死刑ということと、毒杯を呷るということは違っていて、処刑という形で人殺しをすることもありましたが、私のような場合は名誉的な死に方として、毒杯を自分から選んで死ぬことも許されたのです。

善川  それは毒物を飲み物の中に入れられたものを飲むわけですか。

ソクラテス  そうです。

善川  その市民裁判というものはどういうようなものでしょうか、公的な裁判所における決定によるものでしょうか、それとも単なる市民の集まりですか。

ソクラテス  今でいえば陪審員のようなものです。陪審員がいっぱい並んで居て、地元有力者、市民の有力者が十人二十人と並んでいて、訴状読み上げて、それぞれ判決を読み上げて有罪が決まるのです。

善川  そういうことですか。その時に、もっとも死罪に価(あたい)すると言われたのは、何という罪の名で宣告されたのですか。

ソクラテス  思想犯です。今でいう、例えばあなた方が戦前、共産主義を持っておれば、監獄にぶち込まれたりしたでしょう。思想犯です。

善川  当時の思想犯といえば、眼に見えない神の国があるなどと説いて、人を惑わしたという意味でしょうか。

ソクラテス  青年を惑わす罪というのがあったのです。

善川  当時弁論家達の中には、あなたと意見を共にするような方は居られなかったのでしょうか。

ソクラテス  いろいろ居りました。

善川  そういう方は、法にふれ罰せられはしなかったのでしょうか。

ソクラテス  私は先程言いましたけれども、人々に゛無知゛を悟らせようという方法をとったために、いろんな方の反撥や、反感をかったのです。また中傷する者も随分出てきました。告げ口をする者、いろんな悪口を言うものも出てきました。


4.昔のアテナイは今の東京


善川  歴史は以来およそ、二千五百有余年経ちましたが、あなた様はその後天上界でずっとご在住でしょうか。それで天上界からご覧になられた地上界の、時代の様相というものは逐一ご承知であられるのでしょうか。

ソクラテス  見ております。私達の時代から少しも進歩しておりません。「神理」を知らない人は、数においてはますます増えようとしております。

善川  しかし、ここで問題になるのは転生輪廻が繰り返されるということによって、その度ごとにいささかでも゛神理゛にふれて、そちらの方へ還って行って、また生まれ変わって来るという形で進歩しているというような姿が正常なことではないのでしょうか。

ソクラテス  或る時は私、ソクラテスの話を聴いて悟れなくても、或る時また生まれ変わって、例えば仏教者の誰かの説を聴いて、ああ実は前に聴いたソクラテスは、こんなこと言っていたのだな、ということを死んでから考え合わせて分かるという人も居るし、さまざまです。

善川  その頃の人々の世界観というものは、ギリシャ中心のものの考え方だったのでしょうか。

ソクラテス  大体地球は丸いということぐらいの想像はついておりました。

善川  他の地域にも人間が住んでおり、大小さまざまな社会が存在するということは知っておられましたか。

ソクラテス  知っておりました。アトランティス等も存在していて沈没したことも私達は知っておりました。

善川  しかし、アトランティスの沈没は、あなた方のご在世時代よりかなり古い時代であったと思いますが。

ソクラテス  そうですけれども、その程度の世界観は持っていたということです。私達の世界はもちろんヨーロッパや、地中海や、アフリカ大陸、大西洋ぐらいにしか過ぎなかったかも知れないけれども、その当時としては、そこそこの世界観を持っていたはずです。

善川  現在のあなた様のお眼から見れば、もう地球は全部お見通しのことと思われますが、今、先程申されたあなた様のご在世当時の人間の魂の進化程度から比べて、少しも進歩していないようだと申されましたが、これは現在の、ギリシャ地域の人に限ってのことでしょうか、それとも地球的規模の全体の人間を指してのことでしょうか。

ソクラテス  比較の対象が違うのでなんとも言えませんが、人類の歴史は、時代、時代頂点があったはずです。ギリシャの時代には、光の天使達が多くギリシャに生まれました。技術も、工芸も、最高点に発達しました。けれども、ギリシャ以降に同じく永く栄えた時があるかというと、必ずしも続いたわけではありません。ローマが栄えたこともありますし、他の地域が栄えたこともあります。その時、その時に頂点を極めるけれども、その頂きの高さは決して高くなっていません。今は東京、東京でしょうか、ギリシャは、かつてアテネとして栄えた東京でしょうか。

善川  その当時から比較すれば、自然科学では相当に進んで来ているように思うのですが如何でしょうか。

ソクラテス  人間の数も増えておりますし、職業分化も増えております。さまざまなこともありましょう。何をもって進化というか、むつかしい問題です。


5.私はドイツ観念論の始祖に当たる


善川  あなた様も光の指導霊としていま天上界に居られるわけなのですが、特にご使命としてはどういう分野のご指導をされておられますか。

ソクラテス  やはり学問的な動きというものを全体的に捉えております。

善川  それは国単位ではなしに、やはり全世界的な規模において捉えておられるわけですか。

ソクラテス  近代はさまざまな哲学者や思想家が出てきましたけれども、彼らも私どもの指導の下にあったというわけです。

善川  それはかつて出られた思想家の方々でしょうか。

ソクラテス  十八世紀、十九世紀、二十世紀にさまざまな哲学者や思想家が出た筈です。このような哲学的な運動が起きた背景には、私たちの力があったということです。

善川  近代の大きな思想家、哲学者としては、マルクス、エンゲルスなどが出て来ておりますが。

ソクラテス  私に関係ありません。

善川  例えばショーペンハウアーとか、ニーチエのような思想家も出ておりますが。

ソクラテス  ニーチェは間違っております。ショーペンハウアー、彼も間違っております。

善川  あなたの系列ではないわけですね。いま、現代ではハイデッガー、サルトルなどの実存哲学というものが出てきましたが。


ソクラテス  みな私達の流れとは別のものであります。私どもの哲学の流れは、カント、へーゲルというような観念論の流れの方に私どもは主として力を貨して居ります。

善川  いまカントさんは、あなた様のお出でる霊域に居られるのですか。

ソクラテス  近いところに居ります。

善川  近いところと申しますとお交際(つきあい)はされていないのですか。

ソクラテス  時どき会って話しております。

善川  それはまた違った霊域に居られるということでしょうか。

ソクラテス  どういう意味ですか。

善川  居られる次元世界が別か、ということです。

ソクラテス  次元とは?

善川  七次元、八次元、九次元という次元世界があるようですが、そういう意味では別の次元でしょうか。

ソクラテス  何とも言えません―。

善川  それではお逢いするということでは、どちらの側からでも自由意志でお会いできるのですね。

ソクラテス  そうです―。

善川  プラトンさんなんかも一緒のグループに居られるのですか。

ソクラテス  哲学者にも段階があるのです。

善川  日本では、西田幾多郎という方がいまして、この方も観念論の立場で゛無゛の哲学を説かれた方ですが、こういう東洋思想の方々に対する影響というものはなされたのでしょうか。

ソクラテス  そういう人も居られるとは聞いております。指導はしておりません。

善川  折角のお出ましを願いましたのですが、粗雑なことをお尋ねし申し訳ないのですが、私達も一つの使命をもって現世に出て居りますのですが、もし私どもに今与えられます先生のアドバイスというものがありましたならばお願いしたいと思いますが。


6.法の重みを自覚し、対機説法を行なえ


ソクラテス  まず大切なことは、どういう人達を相手にあなた方が法を説こうとしているのか、ということです。ここのところを間違うと、いろんな反撥や邪魔を受けることになります。どういう人達を相手に、あなた方が法を説かれるかということです。

善川  私たちが聖賢の方々から神の存在、世界の仕組み、霊界の諸相と転生輪廻の法則について、相当高度なお教えを承っているのでありますが、果たしてこれらの「神理」を何処まで理解して頂ける対象者が居るかということに悩むのでありますが。

ソクラテス  よく考えてみなさい。あなた方がいま神の縁によってこのような゛現象゛をさせられている。そして私たちの話を聴いている。もうあなた方の活動の使命は、単なる病気治しなんかではないということは明らかであります。

善川  さりとて、学者などを対象とするようなものでもないように思いますが、如何でしょうか。

ソクラテス  永遠の思想を残すということです。とにかく、二千年、三千年後の世にまで伝わるかも知れないということを念頭に置いて語りなさい。私のような者が語ったようなことでも既に二千五百年伝わっているのです。気をつけなさい。安易なことを語ったり述べたりしないことです。後世で誤解されるようなことを残さないことです。気をつけなさい。あなた方が残さんとしているものは、後の世に出て来て法を説く者達への遺産でもあるのです。彼らが正しく゛法゛を継げるような遺産を残すということ、これも大切なことです。

善川  先生は当時、先生の思想を書き残すということはなさらなかったのですか。

ソクラテス  ないです。

善川  それは何か理由があって、書き残すということはなさらなかったのでしょうか。

ソクラテス  私の説法は、臨機応変といいますか、人に応じて私の説法は変わったのです。そのような融通無碍(ゆうずうむげ)のものです。書いてしまえば、後の世に誤解されます。私の思想は一定のものではないのです。時、処、場所によって変わっていくものなのです。ソクラテスがこう述べたからこうだ、というようなものではないのです。後の世に必ずそれが、真理を求める人の足枷(あしかせ)になる場合があるのです。

善川  ありがとうございました。私達も、今後心してまいりたいと存じます。

ソクラテス  もう帰ってもよろしいか―。

善川  最後にちょっとお尋ねしたいのですが、最初にあなた様が語られた言葉は、ギリシャ語ですね、現代のギリシヤ語とは違いますか。

ソクラテス  違うでしょう。当時のアテナイ地方の方言です。

善川  わかりました。それでは有難うございました。また今後ご縁がございましたら、いろいろご指導下さいますようお願いいたします――。