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目次


















 18.結び




16.高次元界人の生活様態について


善川  現象界と、他次元界との関連については、私たちも今後いろいろと勉強しなければならないのですが、これはまたそれぞれの階の方々からニュアンスの異なったお話を伺うこととしまして、ただ今のお話では五次元、四次元等下次元の人々の生活様態というものは知らされたのですが、高次元界の方々の生活様態については未だ判然としないものがあるのですが。

カント  では申しあげましょう。八次元、九次元の人々にとっての毎日は、非常に忙しいのです。例えばいまあなたが、書物の出版とか、その他のことで非常に忙しいけれども、八次元、九次元になると非常に忙しい生活になってくるのです。というのは、例えば、私は哲学者カントとして知られていますが、私を必要とする声は、地上世界において各所から起きており、またこちらの世界においても、私を必要とする声がいろんなところから来ているわけです。要するに、指導者として駈け巡っているというのが実状であります。その駈け巡っている間を縫って、われわれの世界のさまざまな人達と会って計画を練ったりしている、というのがわれわれの真実の日常です。

イエス・キリストというような方は、ものすごく忙しい方であって、地上からは、毎日毎日呼ばれている。さまざまな念波は送られている。また霊世界においても、四次元、五次元、六次元、七次元と指導する方々は非常に多いのです。まあ或る意味においては、売れっ子の講演者、講演家のようなものだと思えばよい。ほとんど自分というものを捨てて、各所において指導されるということに専念されておられ、席の温まる暇もないといったところです。

善川  例えば、あなた方の世界においてはお住居というものはありますか。

カント  勿論それはあります。

善川  たとえば、それは想念で、ご自分が欲するような形態に設計し、作出したお住居としての環境でしょうか。

カント  そうです。それぞれが好きなような住居に住んで居ります。私であれば、私は学者でありますから、やはり図書館のようなものが、ちゃんと付いているような家に住んでおります。そこには書物も沢山あります。この地上で出来た書物はほとんどあります。

善川  必要に応じて何でも読めるというような……。

カント  そうです。そしてまた私は散歩が好きでありましたから、私の家の囲りは非常に景色のよい、散歩に適した所となっております。

善川  先般お出でになられた時にお話されておられましたが、時どきコーヒーを召し上がって寛(くつろ)いでおられるといっておられましたが、こういうことは、どういう状況でしょうか。

カント  まあこれは、心のうるおいとして、ほしいと欲すればできるということです。

善川  ということは、地上界で飲んでいる時のような感じで飲んでおられるということですね。

カント  そういうゆとりというものを味わっているのです。

善川  現実にコーヒーというものがあるわけではないのですね。

カント  いや、現実にもある。ただ違いは、あなた方のように、水分を採らなければ生きていけないというようなわけではないということだ。

善川  はあ、そうですか。それと睡眠については如何でしょうか。

カント  睡眠は特にとる必要はないが、長く考え続けた時など、休むために横になったりすることはあるし、勿論そういう意味でべッドはある。

善川  疲労というものはあるのでしょうか。

カント  それはある。しかしあなた方が言うような意味での睡眠ではなくて、私達にとって、疲労を回復するものは何かというと、神の光、霊太陽、エネルギーの吸収ということである。即ち、われらが霊的に疲れた時には活動というものを止めて、一種の仮眠状態になるけれども、仮眠状態のような瞑想ですね、瞑想に入るわけです。瞑想に入って、霊太陽の光を受ける。霊流を受けるということです。こういったことによって、睡眠の代わりのエネルギーの補給をやっているのです。

善川  そちらの方では、時間の概念というものはどうなっているのでしょうか。まあ私達が認識出来るのは、地上の時間ですが、私達の一日は二十四時間になっておりますが、これはご承知の地球の一回転することをもって一日としておりますが、あなた方の世界での時間の概念というものは、どういう基準で測定されておられるのでしょうか。

カント  恐らく私達の一秒は、あなた方の一時間に当たるような時間であると思います。要するに、一人の人間が百人分、千人分、一万人分もの働きをしようと思うと、その時間の概念が違えば、出来るわけです。あなたが一時間かかって出来ることを、私が一秒でなしたなら、私はあなたの数十倍、数百倍の動きをすることができるということです。如来という人は、いろんな作用、私は前回語りましたけれども、さまざまな作用をしなければなりません。さまざまな働きを同時にしなければいけません。千手観音のように、千人分もの働きをしなければいけないということです。こういうこと、千人分もの働きをするためには、どうすればよいのかといえば、要するに、時間が違えばよいのです。あなたの一時間が、私の一秒であるならば、私はあなたよりは、はるかに多くの仕事をなすことができるということなのです。

そういう意味で時間というものが非常に違っております。であるから私が忙しい時、つまりさまざまな仕事を抱えている時は、私の時間というものは、あなたの時間に較べて非常に短いものとなって居ります。要するに、私が忙しい時のあなたの一時間は、私の一秒となっているわけです。ところが私がくつろぎたい時、仕事が余りない時は、私の一時間は、或る意味ではあなたの二時間、三時間になっているかも知れないのです。


17.下次元界人の時間の概念について


善川  いま一つお伺いしたいのですが、その時間の概念ですが、あなた方の八次元の高次元における時間の概念というものは、そういう意味で理解されるのですが、それがずっと下って五次元、四次元における時間の概念というものは、どんなものなのでしょうか。

カント  <四次元>においては、まあ或る意味においてはこの地上とよく似通っているといってよいと思う。ただ不思議なことは、彼らは自分らの能力に、十分気が付いていないために、将来のことが現在のことに思えたり、過去のことが現在のことのように思えたり、そうしたことが現象として起きてくるのである。要するに時間が逆に流れるということがあるということである。

例えば、四次元の人間にとっては、過去に非常に恥ずかしい、はずべきことがあったとしよう。そのことがいつも心にこびりついて離れないとするならば、彼は過去の時間に生きているのである。たとえばあなたが亡くなったとする。そして四次元に帰ったとする。ところがあなたは三十なら三十代に、或る非常な経験をされたとする。大病なら大病をされたとする。その時に生死の境目を彷徨(さまよう)ような経験をしたとする。それがあなたにとって非常な地獄のような苦痛とする。そしてその苦痛が一生涯抜けがたいものだったとする。そしてその苦痛のままあなたが死んだとする。そうすると四次元に居ても、あなたはいつまで経っても、その三十代のようなこと、過去の世界の中で生きているような現象が囲りに起きてくるわけである。

また、同じように逆のことも言えるのであって、将来のことばかりが気になっている人たち、たとえば地震が起きてくるとか、さまざまな悪いことが起きてくることを固く信じている人達は、それがまだ起きない前に死んだとしても、その将来のことばかりが現在、現時点の前に展がってくる。こういった世界が四次元の世界なのです。つまり四次元においては、或る意味においては人間的な一日の感覚があるのだけれども、同時に゛念い゛によって、その人の念いによって、過去にも未来にも、自由に行ってしまうというような、その時間が、過去、未来の時間が、現在に引き寄せられてくるというような、属性があるということです。

<五次元>においては、もっとはっきりいたします。五次元においては、どちらかというと、過去、現在、未来が無くなってくるのです。゛時間゛というのが、或る意味で無くなってくるのです。ただ、順序だけがあります。これは十年前に起こったことも、昨日起こったことも、過去に起こったことということで、時間の差が無いのです。何故かこの前にあったことということなのです。ただ、その出来事よりも、いま起きている出来事の方が後で起きた出来事だということだけははっきりしているのです。ですから、あなた方がさまざまな霊達を呼んで、予言とか、或いはいろんなことを当てさせても、時間的なことがずい分ずれるのは、彼らにおいては、順序が分かっていてもその時間の感覚が十分分からないことが多いのです。未来に関しても、十年後のことも、明日の如く思えるのが、この<五次元>霊界の世界なのです。ですから時間的なことで、たとえ彼らの言うことがずれていたとしても、これはやむを得ないことなのです。


18.結び


善川  わかりました。ここにまあ「霊界に関する経験論批判」ということの全容についてお話を願ったわけですが、これにつきまして、先般お話願った「存在の認識論」のお説と合わせて、カント先生のご霊訓として次の巻に発表させて頂いてよろしいか。

カント  結構です。

善川  なお将来におきまして、「哲学編」第二集を編纂いたしたいと考えておりますが、その節には、また違った角度からご教授賜わりたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

カント  わかりました。哲学書の特集をされる時には、また私をお呼び下さい。その時にはあなた方の学習も進んでおられましょうから、また新たな「認識論」を説こうと思います。

善川  ありがとうございました。「哲学はカントより遡り、カントから発する」と言われている程、先生を中心とした哲学の世界の存在を実感で学ぶことができました。今後ともご指導の程よろしくお願いいたします。

カント  わかりました ―。