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目次











 11.箴言録




(一九八四年二月十四日の霊示)

1.私への゛大師信仰゛は遺憾


空海  空海です ―― 。

善川  まことにお忙しいところをお招きし、大変恐縮に存じますが、私どもがいまとり組んでいる問題について是非ご指導を仰ぎたいとぞんじますがお願いできましょうか。

空海  わかりました。

善川  さて、もうご承知のように、私どもは、今世、この現在におきまして、神理の正法流布という使命を受け、各時代の聖人方よりご指導をうけてまいったのでありますが、ただその具体的な手段などについては自らの選択と努力の領域として委ねられておりますことは、ごもっともと承知しておるのでありますが、しかしながら未だわれらは未熟で゛法゛そのものの真諦の把握に欠けるところがありますので、大師のご指教を仰ぎたいと思いますのでお願いいたします。

今日現世は末法、末世の世ともいわれ、現在各様の宗派なり教えなりが世に出ておりますが、私どもはその中でまことの正法を説いていかねばならぬと思っておりますが、これについて、あなたは、天上界におきまして、深いご研究をなされておられると承っておりますが、どういう方面のご研究をされておられるのか、われわれ現世に生きているものにとっての導きとなるようなものがありましたら、特にご指教願いたいと思いますが……。

空海  わたくしの研究は、ひじょうに広汎に亘っております。しかしその中心を占めるものは、一体何かといいますと、やはり「法」そのもの、法そのものの研究であります。

さて、私は、肉体を去って既に千百数十年経っております。それであなた方のように、三次元に立っての法とは何かという立場では、ものは考えておりません。やはり私の次元に立ってものを考えているわけで、つまり上から下を見ながら、下のものに対してどのように法を説いていくかということを考えているために、いまあなたが考えておられるように、三次元の立場に立って、法をどう考えるかというようなことは考えておりませんから、あなたのご希望に添うようなお笞えはできぬかと思います。

善川  ご承知かとも思いますが、この地上では、空海さんがご他界されましてより、千百五十年を経ましたので、真言宗各派は、その大遠忌を催しておりますけれど、大師はこのことをご承知でしょうか。

空海  やっておるようであります。

善川  また中国との親善、文化交流を目的に、西安に「空海記念碑」を建立いたしておりますがご承知でしょうか。

空海  私が中国に渡ってのこと、これも古い話であります ―― 。

善川  いやこれは最近のことであります。あなたが当時の長安でたずさわった恵果上人の記念碑のことではないのです。

空海  そうですか、存じません。

善川  空海記念碑建立運動を四国四県が、大師ゆかりの地として率先唱導し、この程見事に建立されましたが、われわれはこれは直接、法とは別に、中国民衆との親交の絆を強めるためにも有効であったと思っております。まあそういうわけであなたのご遺徳というものを、千百五十年経った後にも、なおかつ人びとによってお慕いされているということについて、あなたが現世にお出になる頃に法を説かれて人びとをご指導されたというご遺徳が、今日まで残されているということの表われで、そういう意味では、空海さんという方は、今日現世の人間とは全く無縁な雲上人とは思えないというのが現代人の心情だと思うのですが、ご研究もさることながら、でき得べくんばわれわれ三次元に出て修行している人間に対し、何らかの機会をとおし、生ま身の人間は如何に生くべきかというご教示を順いたいと思うのですが。

空海  まあ、私の遺徳というようなことをいま言って頂いたのですけれども、私の説いた法を人びとが信じているということでは殆どなくなってきて、いま言われる大師信仰といいますか「お大師信仰」といいますか、そのようなものになっておること、そのようなことを私は、ひじょうに遺憾なことに思っております。つまり私は勿論霊能力を持っておりました。奇蹟に近いこともかなり行ってきました。人びとは私をいわば超能力者と申しますか、そのような人間として、普通の人間ではないものとして畏敬はしておるわけではございますが、私の説いた″法″そのものは一体どういうものでしょうか、彼らはそれを理解しているでしょうか、分っているでしょうか。私の説いた法もまた未熟なものでありました。法、というほどのものでもないのであります。その辺の信仰といいますか、いわゆるお大師信仰、と申しますか、いま様にいえば、スーパーマソ信仰と申しましょうか、そういうものになっているということに私自身ひじょうに汗顔の至りであります。

善川  しかし、すくなくともあなたの法燈を継いでおられる高野山における直系の方がたには、あなたの真の教えを理解され、それを説いて居られるのではないでしょうか。

空海  ―― さあ、それはどうでしょう……。

善川  勿論、当時のあなたがお説きになられた文書なり、ご遺言なりにもとづいて、これを語り伝え、説き伝えて人びとを指導して居られると思いますが、それはそれといたしまして、実は先般、これはご在世中のあなたのお師匠様と申しましてはなんですが、中国における真言宗七祖であられる恵果上人さんですね。この恵果上人さんにお出ましねがりていろいろお伺いしたのですが、まあ空海さんは空海さんとして、ひじょうに厳しいご研究をされていると伺ったのですが、そのご研究につきまして何かその一端でも私どもにご教示願えることがありましらお願いしたいと思うのでありますが、特に現世利益、ということにつきまして、今後まあ私どもが正法を流布する上での゛要(かなめ)゛となるのは、今後広い意味での「現世利益」にあるのか、或はまた゛法゛そのものの厳しさということを伝えるのが任務であるのか、その辺のところをお教え願いたいと思うのでありますが。


2.現世利益は「正法」実践に付随するもの


空海  まず、現世利益についてでありますけれども、あらゆる宗教には何らかの形での現世利益というものが付きものであります。なぜこのようなものがあるか、人間界のこの法則、これを超えた何かがある、ということを、何らかの形のあるものとして表わさなければ、人びとはなかなか信じようとしないということであります。その意味での現象なり、現世利益なり、そのようなものが何んといいますか、導きのためといいますかね、ある意味では必要でありますが、またこれは一つの落し穴でもありまして、現世利益に走ると、人びとはそればかりを追い求めていくという矛盾があります。これは私ども、何度も指導霊として転生輪廻した過程において、いつも頭の痛い問題であります。また法そのものといいましても、そのような抽象的なものがあるのではなくて、法そのものもこの三次元、四次元、五次元、― 現象界、そして霊界、神界、このような高次元の世界をも貫く、一つの神の意志そのものでありまして、現象界を離れた法、というものがあるというわけではないのであります。

―― そこで、いまご質問の趣意は、あなたがた、このような現象が起き、正法流布、という使命が与えられているあなた方としては、如何にすべきかということであろうかと思いますが、まず、心の持ち方と申しましょうか、計画と申しますか、目的と申しますか、このようなものとして現世利益、それを挙げるのは止めておいた方がよろしい。それはあなた方の正法活動に付随するものとして、そのようなものも現われてくるでありましょう。たとえばあなた方が説く法、あなた方が説かれる神理、そのようなものを聞いて心機一転、人生を新たにし、希望に充ちて生きていくものもいるでありましょうし、やがて病を癒すというようなこともやらざるを得なくなるでしょう。そのような人びとの悪しき運命を修正していくという方向において、あなた方の活躍する場面があります。決して西方浄土にある゛極楽浄土゛に往生するために人びとに法を説くわけではないのであります。神理を悟れば、この三次元においても、或は死後の世界においても、人びとは、神理にめざめて生きれば、幸せに生きることができるのであります。で、ありますから、あなた方は、法そのものを説くという、その方に集中的に精神を、精力を、使われるとよいのであります。現象は、付随してくるでありましょう。しかし、それを誇大広告、誇大宣伝して人をまどわすことは止めなさい。これは人びとの間に広まり、やがて人から人へと、伝わっていくでありましょうから、あなた方自らの口によってそのような現世利益、現世の幸福を餌といいますか、人ぴとを釣るための一つの方便として余り強調することは、されない方がよろしいかと思います。


3.「生長の家」の指導霊団は高級神霊


善川  ご承知かとも思いますが、いま日本には「生長の家」という宗数団体がございますが、これは大体日本古来の神道系の古代霊の方がたが、ご指導されているようにおみうけするのですが、それで、そこに居られるこの教団の守護神、指導神、といわれている方がたから最近コンタクトがありまして、昨日も「生長の家」の御親神と称する方、また天之御中主之神といわれる方もお出になられましたのですが、こういう方がたはどういう霊域にあって、またどういう霊位を持っておられる方がたなんでしょうか。

空海  まず、彼らは、この日本列島が出来た時より、この日本列島を地盤として力を持っている高級霊であります。例えば私、空海、これは異国の教えを日本に取り入れた人間であります。印度に生れ、中国に渡ってきた教えを日本に導入した人間であります。彼らにとって、私という存在は異端であります。

これは、どちらが優れているかどうかということは、むつかしいことでありますけれども、矢張り彼らは日本という土地に執われているものであります。ただ、私たちの説く法というものは、日本という国に執われた教えでないことはご承知のとおりであります。やはりわれらは、何と申しますか、それこそ生命の本源と申しますか、神の「理(ことわり)」と申しますか、そのようなものに参入するということに向いて、自らの使命というものを見出していったものでありますけれども、彼らの世界においては、たとえば、この三次元世界の「日本列島」というものがありますが、この霊の世界にも、やはり「日本列島」という同じものがあるわけであります。そこを縄張りにして、やはりいろんなことをやっているわけでありますが、彼らは彼らの力を持って居ります。また、日本の政治、経済、文化、そのようなものに対して、いろいろの守護指導をしているわけであります。彼らの力も無視し難いものがあります。

善川  言うなればその、高橋先生が説かれた階層別で言うなれば、この人達は、霊界よりも上、菩薩界よりも下の「神界」あたりにお住居されている方がたでしょうか ―― 。

空海  そうでもないでしょう。

善川  何と申しますか、そちらの世界でも階層と申しましょうか、グループと申しますか、日本には、日本の神々というか、グループが、或は中国には中国の、またインドにはインドの、まあそれぞれの、民族固有の守護神、指導霊というものがあって、彼らは、彼らの民族を指導しているというようなことの感触が強いのですが、そういう意味で昨日見えられた、天之御中主之神といわれるお方が申されるには、この天上界は六角の面の様なものである。そうした各面は、時期、周期により回転するものである ―― 。というようなことを申されておりましたが、そういう認識でよろしいのでしょうか。

空海  たしかに、霊的な゛磁場゛として、或る、霊集団の、磁場、が強くなる時期、他の霊集団の磁場が強くなる時期、そのようなものはあります。これは世界の歴史の流れの中で、出て来たようなものであります。ギリシャで正法が栄えた時にはまた、ギリシャ固有の民族神も、ひじょうに力をそそいだのであります。その彼らはいま休眠中であります。またユダヤの地、イスラエルの地に、正法が説かれた時に、ユダヤの固有の民族神たちも、相当の力を持って協力しておるのでありますが、「正法」というのは、ギリシャからユダヤヘと、移って来ているのでありまして、譬えて言うなれば、このような動きというのは、地方官庁と、中央官庁、あなた方の言葉でいうなれば、そのような違いなのであります。それぞれの県で、地方官庁がそれぞれ行政を行っておるのでありますが、これを統括するものがあるのであります。中央官庁から、時々お役人が天下って行って、或は仕事で出張といいますか出向していって、あなた方の国、あなたがたの県へ行って行政指導をするわけであります。そして中央官庁の人が行く場合には、地方官庁の役人は、一緒になって協力して仕事をするわけであります。このように全休をコントロールして、中央官庁というのがあるのであります。これが、「正法、神理」の本家本元であります。この中央官庁が、時によって、時期によって、重点分野、重点地区と申しますか、そういうものを変えるのであります。

たとえば、東北地方の振興を図ろうというようなことを、中央官庁が考えますと、東北地方に優秀な人材を中央から多く派遣して、その現場の人達と協力しながら新たな産業を興す、或は港湾施設を改善していく、農業の改良普及、発達を図る。こういうことをやるわけです。

また、九州地方において、道路が十分発達していないと思うと、また、中央官庁から優秀な人が行って、現場といいますか、地方官庁の人道と協力しながら、巾広い道路、立派な道路を造っていくという事業をしたり、或は、東京から東北へ、或は中国地方へ新幹線を引っ張っていくような作業、これは勿論地元、地元、その地域、地域の人の協力がなければできないのでありますが、東京から東北の方へ、新幹線を引っ張っていくというような作業は、トータルにものを見るひと、中央官庁の頭がなければできないことでもあるわけであります。われわれの使命も同じであります。私もまた中央官庁の人間であります。私は中央官庁の人間として、或るときは中国に生れ、或るときは日本に生れて、「法」というものを正しくコントロールしているものでありますが、それぞれ、中国には中国を治めております神々と申しますか地方官庁と、役人が居りますし、日本には日本を治めている神々という地方官庁の役人が居ります。そして一般に民族神というものは、どの霊域に居るかと、あなたも申されましたけれども、これを仮に申しますなら、主として「諸天善神」であります。諸天善神というのは、神界上段階から菩薩界下段階に至る、いわゆる神界から菩薩界に昇格するための登龍門、ここに居られる方々が、諸天善神でありまして、彼らはまだ菩薩の領域に違していない、菩薩のこころというのは、普遍的な愛、普遍的な愛を通じて人びとに施しをしている、法を流布していくというのが、菩薩の愛でありますけれども、彼らはその一歩、その手前、まだ自分の生れた地域、国というものに執われておりますが、しかしながら高級霊としての役割を果たし、人びとを救うことをやっている。その意味におきまして日本固有の「八百萬の神々」といわれる方々は、主として諸天善神、神界上段階から菩薩界下段階に至るその境界地と申しますか、そこに居る神々でありまして、これはユダヤにもあり、ギリシャにもあり、中国にもある神々であります。ただ、日本固有の神々、主として諸天善神、でありますけれども、日本古来の神々の中には、やはり菩薩界、如来界に匹敵するような「大神」といいますか、そういう方がたも居られるのも確かであります。

これは、地方官庁で中央から出向して降りて来て、知事となっておられる方、こういう方がおられるわけで、地元から選ばれた人ではないけれども、中央から出て行ってその地方の県の行政指導をしている人もいるわけであります。そういう意味で、菩薩、如来に相当する人達も居るわけであります。たとえば日本担当という方も古くから居るわけであります。

善川  それではさき程出られました゛天之御中主之神゛といわれる方も、そういう意味で、中央官庁から出向いて居られる知事クラスの方と考えてよろしいか。

空海  まあ元々はやはり私どもとそう変らない霊層の方だと思いますが、如何んせん、地方に出てからの時間が永いために、かなり土地に融けこんでいるといいますか、土地になじんでいるために、やはり土地の人間のような考え方に変っております。そういうことはあるわけであります。


4.ニューメディアなど新時代の幕開けは、人間生活を多極化し、その精神生活を豊かなものにする


善川  ただいまのお話で疑問点と申しますか、分らない点が一つ解ったわけでありますが、いま一つ、お伺いしますが、今日機械文明と申しますか、自然科学が発達してきまして、今日すさまじい勢いで、ニューーメディア、ハイテクノロジーの世界に入ろうとしておりますが、これについていうなれば、機械万能の世界に入るわけですが、これがために将来、人間疎外という事態が生じはしまいかと思うのでありますが、その辺についての天上界のご計画というものはどんなものなのでしょうか。

空海  それは一つの考え方であります。人間疎外が起きるというような考え方は、既に百年、二百年以前にも機械化が進んできたときにも出てきたのでありますが、逆に考えてみれば、オートメイション化、それからニューメディア、いろんなものが出てきてからですね、生活がますます便利になる、そうすると、どうなるかといいますと、人間の労働時間、拘束時間、こういうものがひじょうに少なくなってくる。そうすると人びとは余暇を一体何にふり向けるでしょうか。最初はレジャーとか、スポーツでしょうが、やがてそういうものでは飽き足らなくなってきて、精神世界へと踏み入っていくのであります。そういう意味において、単なる労働からの解放というものは、ひじょうに大事です。今は過渡期としてさまざまなスポーツ、或は、娯楽というようなものに、その余った時間が、ほとんど使われているけれども、次第にこの余暇の時間が増えてきて、人びとは、自己啓発といいますか、精神生活へのあこがれ、参入ということを考えるようになってくるのです。だから、自己疎外ということに余り執われる必要ないし、例えば一週間、今では六日間働かねば生きていけなかったのが、三日、四日間働いて、十分食べていけるようになるならば、残り時間を「精神世界」にひたる。或は、本源の世界、神の世界に想いを馳せる。そのような機会というものが、段々と出てくるわけでありまして、今後は一つの生活様式に拘(とら)われることなく、たとえば今であれば、あなた方は職場という一つの世界、それから家庭という世界、こういう二つの世界しかないのでありますけれども、これからの世界は、例えば、仕事はΞ日間、三日間仕事の世界を会社の仕事と考えるならば、残りの四日間のうち、二日あるいは三日間を、こんどは精神的な集団の世界に帰属する。或は一日は家庭の生活の中に入る。このように一つであった世界が、二つ、三つ、四つにと分裂していく世の中に変っていくのであります。たとえて言うならば、週のうち三日、あるいは四日、あなたはある会社に勤めておられる。そして残りの二日間、三日間、ある宗数団体の、或は精神団体の、たとえば、そこの教化部長、指導部長、というような役職についている。こういうふうに、精神世界での活動と、実際世界、経済世界での活動、こういうものが二極分解、三極分解していく、こういう時代がこれから訪れてくるわけです。今までは、あなたはどういう人かと問われると、自分は、これこれの会社に勤めて、これこれの役職のある人間であるということが、一つの自分を示す物差し、標示であったわけでありますが、これからは、こういう会社に勤めて、こういうこともしておりますが、これ以外にも、精神生活においては、何とかいう宗教、或は精神修養団体において、このような役割もしております。このような世界となってくるわけであります。

善川  そのような世界が到来するというのは、全く自然発生的になってくるのか、或は、そのような目的意識をもった指導組織、或は全体的な指導体制の整備によってそうなってくるのでしょうか……。

空海  自分のやっていることをよく考えてみなさい ――。

善川  ―― やはり、リーダーシップのもとでというか、先達ができて、その方向へ、その方向へと人びとを誘導していかねばならぬのでしょうか……。

空海  そのために、あなた方は出て来ているのでしょうが!!

善川  はい、分りました ― 。


5.現在の民主主義国もまた同じ軍国主義国である


善川  それと、いま一点疑問に思っていることは、「生長の家」の指導霊、御親神(みおやがみ)といわれる方が申されるには、いうなれば、人間を甘やかしてはいけないということで、やはり厳しい指導をしなければいけない。ということで、民主主義というものに対する大きな批判が出されたわけですが、こういう点について私も、ちょっと疑問に思われたのですが、たとえば、いまだにこの軍国主義といいますか、日本も軍備を強化しなければいけない。軍備のないところに、戸締りのないところに盗賊は眼をつけるし、既にその盗賊はもう現われているのだ。ということで、仮想敵国をソヴィエトだとし、彼らは常に虎視沈沈として、日本を窺っているのだ、だから日本も丸腰で居てはいけない、軍備を強化し、これに備えねばならないのだ――という意見を強く陳べられるのですが、まるでその論調は、戦前と変りない軍国主義を謳歌するような風潮のむし返しであるように思われましたので、私は、これは一つの問題点だと思いましたので、民主主義というものを、もう少し掘り下げて考える必要があるのではないかと ――、民主主義というものには無駄がつきものだが、その無駄の中から、そのうち本物がやがて現われてくるのではないかと、申しあげたのですが、この神の申されるには、戦時中における″特攻隊″とか、それらの若い方がたが、一つの大目的に突き込んで行って散華するという姿は、清らかなものであり、大生命への昇華融合の権化である。人間は、いずれは死なねばならぬものであり、大使命に殉ずるということは、実に美しい姿である ――。

というようなことを申されておりましたのですが、まあこれも一理あるようにも思いますし、今後の精神指導のうえにおいて、問題として残されているように思いますので、この辺の規範についてご指導願えれば幸いと思いますが……。

空海  軍国主義も、民主主義も、共に人間が作り出しているものであります。軍国主義に執われることも、民主主義に拘われることも、ないのであります。民主主義、民主主義といっても、その民主主義の中味は一体何であるか、あなたは、民主主義は軍国主義に対立するものと考えておられますが、アメリカは、民主主義の国であります。ヨーロッパの国々も民主主義の国であります。然して軍国主義の目であります。対立するものではないのであります。それは概念の遊びであります。そうではなくて、あなた方が考えることは、そういう人間の浅知恵によって作り出された主義を奉ずるからどうだというようなことではないのであります。

戦争というものを考えてみればいいのです。何んでそんなものが必要なのでしょう。なぜわれわれは肉を持って、この地上に下りるのでしょう。地上に下りた肉を守るために、なぜ戦うのでしょう。結局のところ、実在界、天上界の仕組を知らない人びとの争いなのです。ですから、武器に対して、武器を持って戦うということは、間違いであることは明らかであります。武器に対しては、精神を持って戦う、悪に対しては、善を持って戦う、低級な波長に対しては、高次な、高邁な精神波動を持って戦うということであります。

そのようなものでなければいけない。「生長の家」にも様々な指導霊が居ります。神々と偉称される人びとの中には、軍神といいますか、戦争を好きな神々が居るのであります。少しレベルは落ちるけれども、そういうものを指導する人びとも居るのであります。しかし、いくさ、戦いというものが絶えなかったことも、歴史の事実であります。そしてそのような「戦」があった時に、どちらかが、どちらかを負かし、それによって、新しい時代が開けて来たということも、一つの事実であります。これは、そのような役割を背負っている霊たちが、また居るということであります。


6.人間の淘汰更新は、自らが蒔いた種、作用、反作用の原理で起きる


善川  現在の人類は、他の動物と異って、淘汰更新をするということは、他の生物から行われるのではないという大前提があるのですが、その意味において、天変地異、とか、災害とか、或は都市戦争というような形で、自らを淘汰したり、更新したりするという、こういうサイクルを永い間くり返して行かねばならぬ運命にあるのでしょうか?

空海  それは、壮大な一つの計画と申しますか、神が仕組まれた一つの、人間に仕組まれたご計画があるわけでありますが、あなた方が既にご存知の法則があるわけであります。作用あれば反作用、これは自分が蒔いた種は、自分が刈り取らねばならぬという法則なのであります。

善川  ――では、そういう大きな天上界のご計画はともかくとして、それは私どもでは覗きみることはできないのですが、今日現世にありましては、それはそれなりに、私どもは私どもなりに、現世を生きて行かねばならぬと思うのでありますが、その生きていく指標の重点と申しましょうか、ポイントと申しましょうか、これは私どもが人間に、現世利益を説いたり、或は、病気治癒を実際に行ってみせたり、するということが私たちの任務ではなくして、人間は肉体的存在ではなく、霊的存在であるということを徹底的に説き明かすということが私たちの仕事ではないかと思うのですが、限られた任務でしょうが、そのことが、私たちのこれからに課せられた方向ではないでしょうか ――。

空海  ―― くどい!!

善川  ――。

空海  あなたの言い方は、くどい! 既に分り切っていることの自問自答である ――。

善川  それなれば戦争反対というようなものに……。

空海  そのようなものに、反対も、非戦も好戦もないのだ ――。そのようなものでなくて、真実が瞭(あきら)かにされたときに、そのようなものは無くなるのだ。そのような悪しきものは無くなるのだ。現象にとらわれるな、時間にとらわれるな、戦争にとらわれるな、また、それもまた意味のある場合もある。低い悟りの段階にある人びとにとっては、生死というものを真剣に考えるべき機会でもある。それを悪と思うな、善と思うな。与えられるものを、与えられるものとして考えよ。起るべきことは起り、起らないものは起らない。しかしあなた方の使命は、戦争を阻止するというような、そのようなものではない。それは一時代の、一地域における局部的な、いっときの問題にしか過ぎない。

あなた方がやろうとしていることは、今後千年、二千年に続く「法」を創るということ、あなた方の使命は、五百年後、千年後、二千年後の人びとを救うというような使命も入っている。ある時代、千九百何十年かの、ある時代のある一点、三年や、四年の戦争を起らないようにしたり、それで死ぬ人びとを少なくしたり、戦争反対とか、そのようなための゛正法゛ではない。そのように戦争し、死んで行く人たちもかつては、また戦争をし、多くの人を多く殺していっている。それがまた反作用として出ているという、繰り返しもあるのだ。さまざまな、綾のような、甲あれば乙あり、乙あれば甲あるというような、様々な作用あれば反作用、様々な過去世の業、民族の業、様々なものを背負って、いろんな現象が、この地上界に出てくるのだ。

しかし、たとえどのような現象が出ようと、それを、突き抜けた、超越した「法」が厳然としてあるということを、あなた方は説いて行かなければならない。あなた方が説く法は、千年、二千年続くような「法」なのだ。

世界の仕組そのものを明らかにする仕事なのだ。それは、たかだか一九八十年代、九十年代の一時期に起きる、地区的な戦争が、どうこうというような、小さな問題ではない。人間は永遠の生命を持っている。四十年生きる人が、三十年で死ぬということもあるであろう。それも大きな目でみれば、一つの経験にしか過ぎない。その人を十年生かすために努力するのではないのだ。あなた方は、もっと大きな、大きな使命を持っているということ、それに気付きなさい。まだあなたは、あなたが生きている世界、自分の生きている地域、自分の生きている時代、そのようなものに、ひじょうに拘われている。

善川  ―― ありがとうございました。まだ私自身、朧気ではございますけれども方向というものが見えかけてきたような気がいたします ――。


7.好戦、非職も同じ次元の土俵での争いである。世界は一つ、人類は一つに醒めよ


空海  戦争を支援するような宗教団体があるとする。軍国主義もあるとする。向うが攻めてくるから守らなければいけないとする主義があるとする。彼らは、ある意味での現象を予知してやっているのかも知れない、しかし、その軍国主義を、好戦主義を、陳べる人と、また反戦運動をしてそれらをつぶそうとする人びと、結局は同じ次元の争いである。それを超えなければいけないということ、好戦、非戦、軍国主義、非軍国主義も、同じレべルの、同じ土俵の上で争うのであれば、これは同じ次元のものなのである。これを越えなければいけない。

考えてみなさい。軍国主義、戦争しなければいけない、軍備を持たなければいけないという人達も、自分たちの肉体生命を守らなければいけないということが根底なのです。非戦主義、反戦主義というのもそういう軍備を持てば、敵に攻め込まれると自分の命が惜しいという同じ地盤から出ている発想なのです。それはひじょうに三次元的な考え方であります。ある時には中国に生れ、ある時には日本に生れ、ある時にはソヴィエトに生れ、ある時にはアメリカに生れるというのが転生輪廻の法則ではないか。にも拘らず、俺は日本人であるからアメリカと戦う、或はソ達人とは違うのだから戦うと、彼らは人間じゃない、違う人間だ、考え方が違う、こわい、と考えるのは、これは転生輪廻の法則を知らない人びとの考えである。むしろあなた方は、それを説くべきではないのか。ある時は五十年前、百年前には、ソヴィエトに生れたかも知れないのだ、その人間が日本に生れたからといって、祖国日本を守るためにソヴィエトと戦わなければならないと、こんなことを言っている。これがナンセンスでなくてなんであろうか、そういうことを知らせなさい。まだ魂がある、死後の世界があるということを気付かない人たちが多いのだ。彼らにとっては、転生輪廻などということは信じられないのだ。転生輪廻があるとしても、また古代インドの転生輪廻のように、人間がトカゲに生れたり、家畜に生れたり、そういうふうな転生輪廻、原始的な転生輪廻を考えている人たちもまだいるであろう。そうではない、人間は各国いろんな地域、いろんな時代に生れてくる。ある時は中国人に、あるときはソ連人に、生れてくる。かつてはわが母国かも知れないのだ。かつてのわが母国を、今の母国から攻めようとしているのだ。そのようなことのむなしさ、無駄さを考えたならば、はじめて人びとは、世界は一つ、人類は一つだということに達することができるのだ。そうではないか ――。


8.何国へ転生するかは個人的理由と、大きな世界計画の組合せによる


善川  こういう転生輪廻の法則で、例えば、下々のものはともあれ、高い霊域にある方がたが、各国に生れ変わってくるということにつきましては、これはやはり如来界の方がたのご指命によって生れ変ってくるのでしょうか、自分の意志によるのでしょうか。

空海  一つは世界計画がある。かつてひじょうに繁栄した都市が今は亡びているであろう。その都市に生れた人は、もはやその都市に生れることはない、また別の地域に生れてくる。しかし、それぞれの人間が、自らの修行というような目的を持っているから、自らの使命に適したような環境が出た時に生れてくる。そういう様ざまな個人的な理由と、大きな大局的な世界計画と、これらの総合したものが、現在いま何処に生れているかという結果としてでてきている。

善川  そういう過去世におきましては、高い霊城にあった方が、例えばいま唯物論の国の指導者として生れてくるということは、これはどういうことになるのでしょうか……。

空海  唯物論といっても、指導者が死んだら、教会で葬式を挙げているではないか。そして彼らを弔っているではないか。それは政治的信条であって、人びとの心はまた別である。心の世界は、心の世界として、ちゃんとある。

善川  結局、イデオロギーの戦いと申しましょうか ――。

空海  イデオロギーは、人間の心を支配できるような力はないのです。

善川  やはり戦争にこだわるようでありますが、結局は、物質的な自分の欲望を増やすためとか、或はこれを守るためとかいうもののために、戦いが行われているというのが、現状なのでしょうか……。

空海  そのとおり ―。

善川  イデオロギーというものは、直接関係ないことですね。

空海  好戦も、非戦も結局は、自分の肉体生命を守らんとする気持であります。本来自他は一体であるはずであります。本来人間の魂は、神から岐れてきているのであります。すべての魂、この地上の人間というものは、唯一の神から出ているものであります。そうであるならば、彼は我であり、我は彼であるのであって、彼が我であり、我が彼であるのに、なぜ彼が敵となろうか。まだそれが分っていない。個性というものが、本源なる一つのものから岐れた分魂にしか過ぎないということが分っていないからこそ、敵ができ、戦わなければならなくなる。それが分るまでは、われわれは、様ざまなことを経験しなければいけないのです。たとえば、あなた方現世において、六十年、七十年の人生を生きていくうえにおいて、様ざまな問題に行き当る。結果、どのような結論が出るかということは、わたしどもの世界から見れば、分っているけれども、あなた方は、甲をとるべきか、乙をとるべきか、丙をとるべきか、ということで悶々として苦しむ。そして悩みが尽きたときに初めて一つの結論がでてくる。そうでないだろうか、この国と、国との戦いということも一つの悩みの形です。これは悩みとしてつき詰めていくとき、やがて悩みは崩壊していく、戦争というのはある意味では悩みの崩壊の過程である。彼らの迷いの崩壊の過程である。民族主義というものが真実のものであるかどうかということを、いま学習させられている。自他が一体ということ、彼も我も一体、神から出た一体であるということ、この悟りの前の段階である。悟りの前の段階として、迷いがつき詰めて崩壊するというところまでいかなければいけないということだ ――。