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目次












(1968年7月、GLA主宰、高橋信次師が、始めて雪道を開いた時に現われた、初期の師の守護霊フワン・シン・フワイ・シンフォーといわれる方の本名は、天台智顗大師であります。)


(一九八二年八月五日の霊示)

1.価値観変革のための指導者


―― はじめに中国語で語りかけてくる ――

富山  あなは様は、どなたでしょうか ――。

―― なお、中国語が続けられる ――

智顗  私は、フワン・シン・フワイ・シンフォーです。

富山  以前に中国でお生れになった方ですか。

智顗  そうです。

富山  あなたの心性といいますか、そのお心がイエス様に近いといいますか、似ていると言われているお方ですか ――。

智顗  そうです ――。わたくしは、イエス・キリストと、あなた方が呼んでいるひとの魂の兄弟です。

富山  その魂の兄弟ということは、面白いというか、ひじょうに興味あることですが……。

智顗  わかりにくい概念だと思います。しかし、現に魂の兄弟というものはあるのです。わたくしたちは、はっきりと、その魂の兄弟について認識しておりますが、霊であっても、通常の霊達は、それほど分っていないのです。

富山  その仕組ですが、物理的な原理と関係していると言われていますが ――。

智顗  あなた方の世界の認識では、ひじょうに関係あります。

富山  そこに言わば、神の宇宙創造的な秘密が含まれているといってよろしいのですね。

智顗  その通りです。

富山  高橋信次先生がお説きになったあれでもまだ……。

智顗  じゅうぶんではありませんが、一応そういうような仕組は明らかにされました。

富山  高橋先生をご指導されたのは、あなただったのですね。

智顗  私も出てきてはおりました。

富山  仏教関係でご指導されたのはあなただけではないのですか。

智顗  高橋信次さんも誰の意見か判らなくなっていたような面も相当あったように思います。

富山  では先ずお伺いしたいのですが、高橋先生のお説では、地球上に人類が発生したのではなく、人類は他の惑星から円盤に乗って地球に来たというのですが、その点については間違いないことでしょうか。

智顗  これは、ひじょうに重要な問題であります。わたくしは、ある見解のもとに、いまあなたのその質問に対しては、答えを留保したいと思います。

富山  はい、わかりました。ところで現代は、地球の人類にとって、ひじょうに重要な時期であるということについては、間違いないですね。

智顗  それは間違いないです。

富山  その重要さの意味ということですが、過去三億年来、一番重要な時期という訳でしょうか。

智顗  そんなことはありません。

富山  こういう時に類する危機は何回もあったわけですね。

智顗  あります。

富山  エルランティ様という方は、三億年間に一度も出ては来られなかったのですか。

智顗  わたくしはよく存じません ――。

富山  実在される方でありますね。

智顗  はい。

富山  現在、天上界でのテーマとしては、仏教とか、キリスト教とか、イスラム教とかいう思想の流れを一つのもとに帰すという意図なんですか、これは、高橋先生の説かれた方向に……。

智顗  そうです。

富山  かなりの部分を切り捨てることになるのですが、そういう意味においての統一でしょうか。

智顗  どういう意味ですか。

富山  まあ今までの仏教、キリスト教、の中にはいろんなことがありますが、高橋先生の方向とは必ずしも一致しない面がかなりありますが、これらを含めた……。

智顗  もし一致するのであれば、出てくる必要ありません。一致しなくなったため、出てくる必要があったのです。

富山  これはどうなんですか、一つの宗教という方向での統一ではなく、一種の価値観、世界観的な面での統一がなされたらよいと思うのですが、必ずしも宗教的な意味、形でなくても……。

智顗  別に高橋さんも、自分で宗教を創るつもりはありませんでした。

富山  それがまあ今日、誤解というか、誤解されつつあるような状況にありますね。

智顗  そうですか……。


2.地獄観について


富山  あなたは、もと僧侶をしておられましたか。

智顗  そうです。

富山  では、仏教のことについてお伺いしてもよろしいか。

智顗  どうぞ、ある程度のことは分っております。

富山  まず一つ伺いたいのは、地獄についてでありますが。

智顗  はい ――。

富山  仏教の世界観と、キリスト教の世界観とでは、地獄についての概念が違うのですが ――、根本的な違いということについて。

智顗  先ずあなたのお考えを陳べて説明して下さい。どう違うというふうにあなたは考えておられるのか、あなたのお考えを説明してみて下さい。

富山  まず、閻魔大王というか、地獄の番卒長というか、そういう人が居ますが、それに対し仏教的というか、全インド的な考え方によれば、派遣されてそこへ行っている光の指導霊だというふうに考えられていますが。

智顗  それが仏数的な考え方だというのですね ――。

富山  はい。

智顗  それで……。

富山  キリスト教では明らかに、敵対というか対立しているといった概念がでてくるのですが。

智顗  キリスト教に閻魔大王が出てくるのですか……。

富山  いいえ、あのルシファーが出てくるんですが。

智顗  ルシファーが閻魔大王と同じ人だというのですか?

富山  まあ位置的には一応そういうことになると思うんですが、責任者ということになりますれば……。

智顗  それなれば、仏教の方の概念が未熟なのです。仏教の概念は、地獄のサタンの頭と、或は地獄に墜ちて行く霊を裁く役割にある人の役人と、これと混同しているのです。

富山  そうですか。それと東洋では、仏教系の僧侶がつぎつぎと、多く出てこられたのですが、例えば仏陀以降の人々と、仏教の流れについてお釈迦様は関与しておられるのでしょうか。

智顗  しております。

富山  そうすると、その後の仏教の動きについては……。

智顗  知っております。

富山  知っておられますね。それが意図された方向と違った方向へ行っているのでしょうか。

智顗  違います。

富山  かなり違った方向へでしょうか。

智顗  違います ――。時代というものがあります。時代の流れがあります。あるいは先人の意向を受継ぐということもあります。次第次第に変えられてきております。肉を持つ前はそれぞれ正しい考えを持って生れてくるつもりでも、生れてきた時代、その時代に合った学問、経験、そのようなものが違ってくるわけであります。例えば私が生れた中国においては、もはや釈迦が説いた教え、そのまま適用はできなかったわけであります。わかりますでしょう。

富山  つかぬことをお伺いしますが、あなた様は、どういう派の僧侶であったのでしょうか。

智顗  派とは?

富山  派と言うか、何宗というか……。

智顗  天台関係であります。

富山  天台関係の方ですか。

智顗  そのとおりです。

富山  と、言いますと智顗様以降に出られた方ですね。

智顗  ――。(注、この章では本名の智顗を名のっていなかった。)

富山  次にお伺いしたいことは、地獄界といいますか、この地獄界の存在意味というものについてお伺いしたいのですが、これは当初には予定されていなかったのでしょうか。

智顗  誰がですか。

富山  つまり地球霊団としては、地獄界が出来ることは……。

智顗  私のような下の者には分りません。神の御意(みこころ)は深く、遠く、高いものであります。神の御意がどの辺にあるのか、わたくしのようなものには解し兼ねるところがあります。しかし現に、地獄というものがあるということ、これは厳然たる事実であります。

私たちの課題は、この与えられた教材を、どのように活用するかということにかかっているのであって、なぜ、このような教材が与えられたかという根本の理由は判らないのです。

富山  ではあなた方のような高い霊域に居られる方々は、居ながらにして地獄の様子というものが分るのでしょうか。

智顗  わかります。

富山  どのような状況になっているかということは、わざわざ行かなくともお分りになりますか。

智顗  わかります。

富山  彼らの考え方というか、心の状態ということについては……。

智顗  わかります。

富山  それについては、しかし、積極的に関与することは許されていないわけですね。つまりその地獄界に居る者は、その堕ちて行ったもの自身の問題として……。


3.天国も地獄もあなた自身の心の中にある


智顗  例えばあなたはそういう地獄というような世界を切り離して考えていますが、いま、あなたの心の中には、天国も地獄もあるのです。そのあなたの心の、地獄だけをどうやって消滅させるのか言えますか、天国も地獄もあなたの心の中にあるのです。そのあなたの心の地獄の部分だけをどうやって切って捨てることができるというのですか、できないのです。天国にも地獄にもどちらにも動いています。天国地獄は、空間的なものではないのです。あなたの心の中、その中にも広大無辺な天国も地獄もあるのです。この地獄だけをどうやって、私たちの力で抹消するのですか。分りますか。わたくしが言っていることが判りますか。――あなたの心だけで全宇宙、全宇宙の天上界、地獄界、全てが入っているのです。わかりますか ――。どうして地獄が出来るのか、それはあなたが地獄を造り出しているからなのです。どうして天上界があるか、あなたが天上界を造り出しているのです。私がもし地獄界を抹殺するならば、あなた自体を抹殺して、天国も地獄も無くしてしまわなければいけなくなってしまいます。それはできないことなのです。

富山  それは……。

智顗  別のものではないのです。一つのものなのです。一つのものの陽の当っている部分と、陰の部分なのです。わかりますでしょう、太陽の光が燦々と輝いても、光の当る部分と当らない部分、あらゆる物体にはあるのです。

富山  それでひとつお伺いしたいのですが。如来仏のこころというものなんですけれども、仏のこころというものにおいては、いわゆる天国的な部分と、地獄的な部分とがどんなふうな状況で同居しているのでしょうか。

智顗  同居とはどういう意味でしょうか ――。

富山  当然その地獄も含まれているのですね心の中に……。

智顗  地獄を思えば地獄ができるはずです。思わなければないわけです。

富山  ただ、その実在界というのは、今いる状態の心からその心の変化がないのでしょうか。例えば地上界だと、天国か、地獄的ないろんな心を出しますけれども、ある固定的な、固定されたような範囲をもった心の状態に止まって居られるのでしょうか。たとえばあなた様のような方だと……。

智顗  固定的とはどういうことでしょうか。

富山  固定的というか、ある一定のレベルの心、例えば失礼ですが、地獄界の心を出すということは。

智顗  わたくしたちの心は、愛と慈悲に満ち溢れております。愛と慈悲の塊です。そうでなければ、私たちは私たちで居ることができないのです。

富山  私たちは、神の子であるという自覚を持ちつつも、こんないろんな心の状態を、地上界で出すということは、肉体と結びつけられているということが一つの条件になっているわけでしょうか。

智顗  というよりも、この地上界が、天上界、地獄界の、二つの力の場の丁度影響され合う中間地点にあろということであって、両方からの影響を受けていることであり、だからあなたの心の中も、両方からの力が働いて来ているわけでありますし、あなたの心の状態によっては、どちらの方により強く引っ張られるか、違ってくるわけです。

富山  そうしますと、高橋先生の本では、地獄界とは、四次元の幽界の一部として設定しているのですけれども?

智顗  空間ではないのです。人間の数だけの天国と地獄があると思えばいいのです。

あなたが死んであの世に帰っても、あなたが判る天国も地獄も、あなたの天国と地獄に過ぎないということなのです。あなたじゃない人の天国と地獄は、またあなたの天国と地獄と違うのです。分りますでしょうか。

富山  と、いうことは、人はその人の心を通してしかその世界を理解することはできないということなのでしょうか。

智顗  その世界もそうなのです。判りますでしょうか、ひじょうにむつかしい概念なのです。今あなた方の物質世界においてはひじょうに解りにくい概念なのです。すべて、例えば蜂の巣のようなものです。入口があります。つきつめていくと最後には、頂点は一つなのですが、それぞれの蜂の巣の中でみんな、これが天国へ通じる天国の世界、そういうふうに、自分の都合の中だけで考えているわけです。だから、天上界へあなたが帰られたとしても、あなたは、私たちが経験している天国地獄の図と、同じものをあなたが観るかどうかは、これは分らないのです。全く異う世界かも知れないのです。あなたが観る世界は ――。

富山  すくなくとも、あなたと何時もご一緒にお仕事をしておられる方々が観る世界は同じなのでしょうか ――。

智顗  そうです、私たちの仲間たちは同じ世界を観ております。しかし私の眼から観える天国、地獄の様相と、他の者が観る天国、地獄の様相は、恐らく異っているでしょう。様相が異っているということは、そのような世界が違う世界に見えるということなのです。

富山  それぞれの心のフィルターが……。

智顗  違うのです。例えば映画館があります。画面に映りますね、そのようなのではなくて、例えば立体映画としてですね、空中に映画が映し出されるとします。観客はいろんな席に座っております。それぞれの席によって見え方が違ってくるわけですね、実際は一つなんですけれど、座っている位置によっていろんな風にみえるわけです。いつも人間の背中しか見えない人も居るんです。横面しか見えない人も居るんです。前ばかり見える人もいるんです。ですから私たちにしてもすべてを見通していると言い切るだけの自信というものはないのですが、しかしその立体映画の全体像の輪郭を、かなり解っているという自信はあるわけです。

富山  そうすると、その四次元以上の世界は、多様性というか、つまり観る者の心によって変ってくるということなのでしょうか。

智顗  そうです。みんな同じものを観ているのではないのです。あなたの観る天国地獄は、広大無辺な世界でありますが、それはあなたの天国、地獄なのです。

富山  例えば、この同じ地上界でも、幸せな人にとっては天国に思え、苦しんでいる人にとっては地獄に思えるということなんですね。しかしそこにもまた座席、つまり質といいますか、価値基準の格差が自ずからあるというわけなんですね……。

智顗  そうです。同じことがもっと明確になってくるわけです。

富山  例えば、地上界では、地上を天国と思う人がいても、地獄と思う人がいても、客観的な世界としては一つの世界としてあるわけですが、実在界ではその客観的な世界に当る部分が変わるわけですね。

智顗  そうです。

富山  するといま地獄という世界は、地獄界に居る人たちの心がつくり出している世界ですね。

智顗  だからあなたがいまの立場で地獄というものを見ているのであって、例えば実際に地獄界に棲んでいる人、或は地獄界に近い所に住んでいる人が見た世界は違うものなのです。彼らにとっては、それなりに生き易い場所なのです。わかりますでしょう。普通の世界なのです彼らにとっては。地獄に棲んでいる人びとにとってみたら、地獄は普通の世界なのです。あなたがこういう世界に住んでいるように、彼らにとっては、普通の日常生活を行っているのです。

私たち天上界の眼からみれば、地獄とは闘争と殺戮、悲しみと苦しみに充ちた世界であり、このような世界は何んとかして無くしたいと思います。しかし彼らにとっては、それは普通の世界であり、日常の世界なわけなのです。分りますでしょう。何故地獄が存在しているかという意味、それを分ってほしいのです。そこに棲んでいる人達は、それで普遥だと思っているのです。それがあたりまえの世界、日常の世界なのです。わかりますか。

例えば、K町というこの町に住んでいるような人が居ます。彼らはこれを当然のこと、あたりまえのこと、日常の生活とみております。しかし、たとえば、ある外国の都会の人達がこれを見たなら、この世界って何という世界なのだろう、こういう世界は無くしたい、これは不幸だと思うかも知れません。また或は、アフリカ、インドの地において、いろんなことで苦しんでいる人道が居ります。あなたの側からみれば、生地獄であります。このような生地獄はなんで無くせないんだろうと思います。しかし彼らはそこに生れ、その地に育っているのです。それが彼らの世界なのです。

富山  お言葉を返すようですけれど、この地上界と、地獄界とは違うわけでしょう。

智顗  ―― はい ――。

富山  地上界の場合は、そういう貧しい地域に生れて苦しんでおります、精神的に。

智顗  あなたは苦しんでいませんか……。

富山  いいえ違います、地獄界に居る人は苦しみはないんでしょうか。

智顗  あります。天上界の人々も苦しみ哀しみはあります。

富山  そうすると、苦しみの種類が違うわけですね。

智顗  違います。だからさき程から私があなたに言いたいことは、例えば私たちの立場からみれば、地獄というものは、いいことは何もない、ひじょうに住みにくい、悲しみ苦しみ真暗な世界なわけです。しかし彼らにとってはそれが普通の世界だということです。ということは、彼らにとってそれが普通の世界だということは、その世界はその世界としての存在意義があるということなのです。現に、そうした人が生きているということなのです。

富山  そうすると地獄界を無くするという意味が、いまひとつ分りにくくなってくるのですけれども。

智顗  ―― はい ――。

富山  地上にユートピアを建設するに当っては、地獄を無くするということが目標ではないのでしょうか。

智顗  だから彼らは彼らで抵抗しているわけです。彼らは彼らの世界を守りたいと思っているのです。しかしながら私たちが、いま一つ正しいところ、―― まあ彼らと、私たちだけであれば、お互に対立したものとみえるかも知れません。しかしながら私たちは、神というものを知っております。神の意向がどこにあるか、ということを知っています。そこに私たちの使命があり、自覚があるわけです。神というものを信じるか信じないかによって最後の一線が変わるわけであります。もし、神というものが、地獄の側についているものならば、私たちのやっていることは間違っていることになってしまいます。

富山  つまり、あなた方の考えておられること、あなた方自身の神に包まれている心が、地獄に居る人違より広いわけですね。

智顗  私たちは、この世界が神によって創られたものであり、神のために日夜働いているということを自覚しております。

富山  神によって生かされているという自覚が強いわけですね。

智顗  そうです。だから私たちは、神の国により近い世界を、実現しようとしているわけです。しかし神についての認識は、彼らの頭達(かしら)は私達とは違ったものです。だから彼ら頭達の側にとってみれば、われわれの存在はひじょうに厭な存在であるわけです。

どちらもどちらであります。しかしながら神という絶対の存在を考えた時に、どちらの方が正しいか、ということが明らかになってきます。その使命の遂行を私たちはしようとしているわけです。

神というものがなければ、私たちはそのようなことをする必要もないでありましょう。それぞれの人間が、それぞれの世界で住んでおれば、それで済むわけですが、私たちは、神の意図の下に生きているわけであります。なぜ、そのような意図を持っておられるのか……、それは不思議であります。

富山  神の意図というか、神の心を切り離して、自分たちの心だけで生きようとしたところに、地獄界が成立した原囚があるわけですね。

智顗  そうです ――。

富山  そうすると、彼らは彼らなりに満足している状況で生活しているんですね。

智顗  満足しているかどうかは知りません。しかしこの世界以外に棲む世界を、彼らは分らないでおります。ですから私たちは、もっと他に世界があるんだということを彼らに知らせたいのです。

富山  つかぬことをお伺いしますが、あなた様は地獄界へ行くことができますか。

智顗  行けます。

富山  行かれたことがありますか。

智顗  あります。

富山  何か抵抗を受けることがあるんですか。

智顗  何の抵抗ですか ――。

富山  あなた方のような方が行かれると、地獄界の人たちは……。

智顗  大騒ぎです ――。彼らは私の姿を見ろことができないのです。私がなにものであるかわからないのです。大騒ぎです。

富山  つまり暗闇の中に急に光が出て来て、まぶしくてたまらない、何も見えないというような……。

智顗  そんな感じです、大事件です。

富山  それはいわゆる地獄界の大幹部、といいますか、上の方達……。

智顗  そういう考えは捨てなさい。あなたの考え方のそういう部分が病んでいる部分、そこです、そんな考え捨てなさい ――。

富山  ―― はい ――。


4.神は、地獄霊救出のために永遠の時間と機会を与えられている


富山  こういう世界構造を知らないで、亡くなった人がかなり多いと思いますが。

智顗  大部分です。

富山  大部分ですね。そういう方たちに対して、どうも割り切れないものがあるのですがね―、そのままにして置くということに対して……。

智顗  そのために神は、永遠の時を与えておられるのです。そのために神は、転生輪廻という機会を与えておられるのです。もし一回切りの人生であるならば、それを知らさないというのは罪であります。しかしながら神は永遠の時を待っておられます。永遠の転生輪廻をくり返させておられます。私たちは、その大きな慈悲、転生輪廻という慈悲の中に生きております。何度も何度も生れ変る機会を与えられております。そして小学校から中学校へ、高等学校へと、あなたが長い間、親から教育を受けたように、神もまた教育の機会を何度も与えておられるのです。

富山  そうしますと、こういう状況にあるということは、霊団としては、全休が一つの転生輪廻の過程にあるといってよいのでしょうか……。

智顗  あなたの言っていることの意味がよくわかりません。

富山  例えば、霊団全休としてのこういう状況にピリオドを打って、新しい状況に入るという……。

智顗  私は、あなたのいまのご質問にお答えするべき任にありません!

富山  はい ――。それではいま一つ、例えば元の守護霊の方や、魂の兄弟達は、自分の関係した霊が地獄へ陥ちた者については、常に気にかけているのですね。

智顗  ――。

富山  そうしたら、心が熟したら上へ引き上げる準備はできているのですね。

智顗  そのような言葉の使い方、余り私は好みません。

富山  引き上げるがいけなければ、変化させる。

智顗  好みません。わたくしたちは、わたくしたちの世界へ来て戴きたいと思っております。引き上げるとかいうような考え方は嫌いです。懐しい友達に帰ってきて欲しいという気持です。

富山  そうすると、救いたいなどという気持があった場合は、例えば親子、肉親、友人であった場合……。

智顗  あなたの救うなどという言葉は明らかに間違っております。私達はそういう気持じゃないのです。懐かしい人、親しい人、そういう人達と逢いたい、帰って来て欲しい、という気持、わかりますでしょう。これは郷愁に似たものです。故郷に帰って来て欲しいという念いです。天上界に引き上げるとか、そういうおもいじゃないのです。救済するとかいう思いじゃないのです。あなたの心のそこがいま病んでいるんです。よくよく間違わないでほしいのです。ここを間違うと、多くの宗教家達が間違った同じ道を歩むことになるのです。

富山  ―― はい分りました。それじゃ戦争ではなく、平和を求める気持ですね。