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目次












(1968年7月、GLA主宰、高橋信次師が、始めて雪道を開いた時に現われた、初期の師の守護霊フワン・シン・フワイ・シンフォーといわれる方の本名は、天台智顗大師であります。)


11.悠々たる大河の大らかさに学べ


智顗  ―― 私がいまあなたに助言したいこと、一つありますが、それは窮屈な自分を中心にした価値世界ですね、価値の階梯、そのようなものを捨てて、もっと大らかな、すべてを包み込むような大らかな気持、大らかな愛、これを持ってほしいのですね。あなたは自分で作り上げた、過去の自分がっくり上げたいろんな価値概念、価値意識、これで自分自身を、がんじがらめにして、自分の世界を徒らに小さくしています。あなたに私が言いたいこと、あなたに私がアドバイスしたいこと、それは一つであります。それは大らかに生きてほしい、大らかな気持を持ってほしい、そういうことですね。人間が大らかな気持になった時、偉いとか、偉くないとか、そういうことも無くなってくるのですね。優れている、秀れていないというようなことも、余り関係はなくなってくるのですね。大らかな気持、それを持ってほしいと思います。

富山  大らかな心を持てば、大らかな環境が生れてくるわけですね……。

智顗  そうです。大らかな気持、あなたはいま苦しんでいます。さまざまなことに苦しんでいます。それは自分が作り出した価値観に、現にある自分の姿が適応しない、自分がつくった価値の体系の中に位置づけると、自分は好ましくない状態にある。だからあなたは苦しむわけです。自分で自分を苦しめているんですね。大らかな気持を持ってほしいんです。たとえあなたが自分が考え出した価値の階梯において上位に居られなくても、しかしそういうことに関りなく、神の愛は流れているのです。

神の愛は、永遠に流れているのです。あなたの意識も、あなたの生命も、永遠に流れているのです。あなたは、永遠の流れ、永遠の川の流れの中の、ある地点をいま通過しているのです。

川の流れは、太くなることもあれば、細くなることもあります。遅い時も、速い時もあるのです。或は大雨が降って濁ることもあるのです。流木が流れることもあります。川は様々な形をして流れて行きます。過去から未来へ、その流れは止まることを知りません。或は細くなっているかも知れません。或は急流になっているか、或はせせらぎになっているか分らないけれども、あなたという個人は、あなたという魂は、永遠の生命の中を、神の愛の中を、流れている一本の川だという意識を忘れないでほしいのです。

川として、滔滔と流れる川としての、ゆったりとした、のびやかな、大らかな気持、これを忘れないでほしいのです。いま、あなたはある地点を通過し、その時に川の形が望ましくない形であるかも知れませんが、そういう雄大な心を持ってほしいのです。いまあなたは、私の川は、こんな浅瀬ではないと、もっと深い川のはずだと、おかしい、おかしいと言うかも知れませんが、やがてそのような場合も出てくるわけです。なんでこんなに流れが遅いんだ、おかしい、とあなたは思うかも知れない。しかし急流の場面もあるわけですね。そのように自分の人生を、一本の川の流れの中のある地点をいま流れているんだというそういう認識を持ってほしいのです。そういう大きな考えを持ってほしいのです。そうしたならば、あなたが持っている価値尺度ですね、今の例えば、川は大きく深く豊かに流れなければならないと、あなたはそういう価値尺度を持っているとします。ところが、あなたは、小川のようなひじょうに小さなところですね、窮屈なところを流れているわけです。濁りもあるんですね。川は清らかに澄んで、巾も広く、深く豊かに流れなければいけないという、あなたの価値尺度があります。しかし、自分の川をいま見るならば、自分の川の水がいま濁っているわけですね。これはいけないと、あなたは思うわけですね。あっ、底も浅い、巾も狭い、曲りくねっている。これはいけない、真直ぐと堂々と流れなければいけないと、その思いそのものは悪くはないのですね。しかし、そういう場面もあるということです。それはそれとして見なければならないということですね。

川は濁ることもあります。しかし一週間もすれば澄んでいくでしょう。いまあなたの川は濁っていますが、濁っているということにおいて自分の、自分の流れを否定してはいけません。濁っているから、いま流れを止めてしまおうと、澄むまで止めてしまおうと、そのようなふうに考えてはいけないのです。流れて行きなさい。流れているうちにまた澄んでくるでしょう。―― かくあるべきだという姿、それは大事なのですが、それだけに縛られて、現在の自分のあるべき姿を、いたずらに貶(おとし)めないということ、それは大切です。

富山  ―― たとえば、常に最高のものを求めるというのではなく、うまくいかない時もあるという割り切りというか、それも必要なわけですね……。

智顗  ―― いや、心が広く狭く流れ、速く流れ遅く流れ、濁り、或は澄み、それで川として堂々たる川になるわけですね、それが川であるわけです。最初から最後まで一貫して同じように流れるものであれば、それは、人工的水路ですね、用水です。用水は確かに見た眼には、いいかも知れませんし、役にも立ちますね、田畑に水を引くのに役に立ちます。いつも同じような流れでね、底も同じ、巾も同じ、流れも速さも同じようなもの、水量も似たようなもの、これはひじょうに有難いかも知れない。しかし、用水路というのは何か、何かが欠けているわけですね。何が欠けているのでしょう。天然の川と、用水、とでは何かが違うわけですね。その違いを分ってほしいのです。望ましいのは用水路のように、真直ぐにですね、真直ぐにいつも役に立つような形で、規則正しく水が流れることは望ましいかも知れませんが、しかしだからといって、真直ぐ流れていないからといって、川は、川の値打が無くなるわけではないのです。そういうことですね、わかってほしいんです。

―― 大らかな気持、あなたにアドバイスは、大らかな気持、持ってほしいということです。それから、永遠の視点、過去から未来に流れる永遠の視点ですね、これを持ってほしいんですね。現在、只今というのは余り詰めて考えないということですね、余り自分自身をいじめないということです。永遠の流れの中にあなたはあるのだということを、認識してほしいということですね。要するに雄大なものの考えの中に、自分の現在の悩みの小ささ、つまらなさというものを感じとってほしいのです。

富山  ―― 現在の自分だけにとらわれているということですね。

智顗  そうです。

富山  大体解りました。

智顗  私の用は済みましたか。ほかに何かありましょうか。

富山  ―― いま一つお伺いしたいのですが、こういうふうな、例えばいま私は仏教の勉強をしているのですが、こういうふうな過去の思想とかを勉強していくということは、やはり大切なことでしょうか。

智顗  大切なことではありますが、それによって自分を狭くしないようにするという配慮だけはしておいてほしいと思います。

富山  要するにこういうあらわれ方をしているというぐらいにみればいいわけですね。

智顗  そうです。縛られないように、窮屈にならないように。ともすれば知識は人間を狭く窮屈にしてしまいます。知識を得るということは大切ですが、それで自分を狭める方向に行かないように、窮屈にならないように、そういうことだけ留意して下さい。

富山  ―― はい、分りました。

智顗  一般的な話は終りました。何か他にありますでしょうか。個別な話は他の人がよければ他の人に替ってもよろしい。

富山  それではいま一つお伺いしたいのですが、あなた様は、私の魂の過去から未来にわたっての想念のテープというものを読みとることができましょうか。

智顗  読みとれます。

富山  たとえば地獄界に居る人達はそれが読みとれるのでしょうか。

智顗  現在は分っても過去と未来については読みとれないことが多いです。光の天使達は、あなたの想念のテープを簡単に読みとることができます。

富山  ―― はい、わかりました。

智顗  他に何かありますか。

富山  たいへん有難いお訓えを長時間お聡かせ頂いてありがとうございました。

智顗  よろしいですか。それでは、私の役目はこれで終りということで、帰ります。

富山  シンフォー様ですね。

智顗  そうです。フワン・シン・フワイ・シンフォーです。

富山  ありがとうございました。