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目次










6.現代サラリーマンの持つ悩み


(問)

私は、某外資系コンピューターメーカーに、二十五年勤務してるサラリーマンです。主としてコンピューターのメンテナンス(保守)サービスに関連するフィールドでの実務や要員の教育、指導を行なってきました。

社内では、個人の実力、実績を重視するマジメントが行なわれており、昇格、降格がストレートに表わされますが、私自身、この割り切ったやり方に好感を持って仕事をしてきました。ただ、今までは、好運にも、順調に進んできましたが、自分の能力不足からか、仕事の量、質共に不十分で、ときどき自己嫌悪に陥りそうになります。

とくに最近のこの五年のなかで、大きな疑問にぶつかりました。というのは、近代社会が古代に蓄えられたエネルギーの浪費と、エントロピーの増大の上になりたっていることを教えられ、気づかせられたとき、近代社会の発展に手を貸す企業は、人類にとって、また自然にとって、悪ではないかという疑問が起きたのです。ですから、その企業で働くことも、当然悪ではないかと考えました。しかし、私は、この企業で仕事をすることにより賃金を得て、家族を養っているわけですから、会社が存続しないと困ることになります。

とはいえ、会社は利潤追求のみに汲々(きゅうきゅう)とし、働く社員はノルマに追われ、数字に脅かされているのを見ると、これで良いのかと疑問を持ってしまいます。上司の仕事ぶりを見ていると、休日も、休み時間も無縁です。無言の圧力を感じます。私は、ここまで、仕事に打ち込むことはできません。これは、サラリーマンのプロとしての自覚がたりないからでしょうか。または、自分の生き方に自信が少ないため、圧力と感じるのでしょうか。以上の疑問に対するご指導と、サラリーマンとしての正しい心得をお教えください。

サラリーマン(男性)47歳


(答)コンピューター産業について


今日の話は、現代サラリーマンが持つ悩みということ、現代社会、産業社会の問題、また、そのなかでの仕事という問題ですね。これを考えるちょうどいい時期であろうかと思います。

個人の問題に入る前に、まず、この方が勤めているコンピューター産業に関して、私の感じたところを述べてみたいと思います。

この方も考えておられるように、コンピューター産業というものは、現代科学抜術の最先端を行なっているわけであります。そして、今では、小、中学生から大人の世界まで、コンピューターというものがだんだん必需品となり、人びとは、われもわれもとコンピューターに向かっているようであります。社会のなかでは、コンピューターが使えないと挫折感を感じたり、あるいはまた、中高年層で、コンピューターに対してノイローゼになっている人が大変多くなってきています。つまり、学生時代にそういうものをいじったこともなければ、学んだこともないためにわからないからです。


文科系、理科系は、その人の魂の傾向が決めること


基本的な話からしたいと思いますが、この方たちの世代では、文科系、理科系という話をよくするでしょう。主として高校三年から大学に入る頃に文科系統、理科系統に分れます。そして、文科系統なら、法学部、経済学部、経営学部、文学部、教育学部などへ。理科系統へは、理学部、工学部、医学部、薬学部、農学部という方面へ進みます。さて、このように文科系、理科系とに分れるのですが、その人自身の魂の問題として何か関係があるのかどうか。正直に申しますと、やはり魂の傾向に問題があるのです。

まあ、長い歴史を見てくると、どちらかというとですね、人類の指導者であった人たちは、文科系統の人が多かったわけであります。理科系統の人たちというのは、いつもだいたいまとまって出て来る傾向があるんです。たとえば、農業社会の頃には、あまり出ないのです。農業、漁業、狩猟、こういうときにも、あまり出ません。過去において、人類も、文明の盛衰が何回もありました。人類の文明というのは、まさしく循環文明でありまして、ある文明が発達していって最高度にいくと、崩壊する。そしてまた、零から始めて最高度にいくと崩壊する。こういう過程をもう何十、何百となくこの地上で演じてきております。


文明の成熟期になると、理科系の人が大量に出てくる


そして、こうした理科系統の人たちというのは、どうも文明が成立した頃に主として降りて来ているようです。つまり、そうした成熟期の文明をつくるために降りて来たのだと言えます。ですから、その魂においては、進んだ人もけっこう多いのでありますが、霊的に言うと、やはり六次元神界レベルの人が多いようであります。

霊層ということで言うと、菩薩、如来で、いわゆる理科系統の人というのは、数としては非常に少なくなります。九次元でも、理科系統を心がけている人というのは、十人のうち、せいぜい二人かその程度であります。如来界に五百人弱の人がおられますが、このなかで理科系統の人というと、おそらく五十人、一割くらいであります。

こういう人たちが、たとえばエジソンのような大科学者として活躍しています。やはり理科の光というのは、神の光を七色にたとえると、このなかの銀色ですね。白銀の光ですから、まあそれだけで見ても七分の一というふうに考えてもいいかと思います。だから、教十名ですね、如来界でも。ですから、菩薩界一万数千人から二万人くらいいるとして、理科系統の菩薩というのは、数千人、まあ、二千人から三千人くらいしかいないのです。

こういう人というのは、だいたい文明の成熟期に出て行っては、そういう科学技術の進行のためにやっているという特殊な方面で才能を特っている人です。光の天使のなかでも、いわゆる宗教家たちが一番多いのですけれどね、如来界だったら九割が宗教家ですし、菩薩界でも七、八割は宗教家でしょうね、七割強です。あとは、医者であったり、教育家であったり、科学者もいれば、学者もいる。あるいは、芸術家もいるという形になっておりますが、七割以上は宗教家という感じになっています。

このように、特殊な分野の発達、発展のために、一つの分派として理科系統の人がいらっしやるのです。神界へ行くと科学者、技術者というのは多いのですけれども、それでも、神界全体で見ると、やはりせいぜい二割の人だろうと思います。ですから、全霊団で見ると、文科、理科というふうに分れるのではなくて、理科というのは、やはり数が少ないわけであります。こういう人が、そういう文明の成熟期になると、大量に地上に出て来るということです。


高度な科学技術の進展により、密度の濃い魂の経験が得られる


ですから、技術的なものも、要するに、心の世界と両立しないのではないかということだと思うのです。人類の幸福を招かないのではないかという考えだと思うのですが、これは一概には、そうは言えないのであります。

こういう高度な科学技術というものも、推し進めていくことによって、地上の生活を便利にし、今までになかったような人生経験の場を提供する。こういうことで、非常に意味力あるわけであります。掘っ建て小屋のようなところに住んで、家族なかよくしなさいという考え方も、もちろんあるでしょう。しかし、高度の進化した、近代建築のなかで仕事をしながら、また、今までなかったような高度な仕事をやりながら、正法を学んでいくという場も大切なのです。

飛行機が発達し、列車も発達した現在、昔だったら、たとえば東海道五十三次、何日もかかって旅行したところが、一日のうちのほんの数時間で移動できるようになった。こういうふうになって人間は、密度の濃い世界へ、今来ているわけです。ですから、一回の人生でありながら、六十年、七十年の人生でありながら、さまざまな経験ができるようになったのは、科学技術の進展というのによるところが非常に大きいわけです。昔のように、海外へ行くのには、一ヵ月以上船旅をしなければ行けないのであれば、現代人の多くは、海外旅行などしている暇はないでしょう。ところが、飛行機というものによって、十数時間で地球の裏側まで行けるようになった。そのおかげで、若いOLや学生までもが海外旅行ができるようになったのです。


科学技術の進歩により、世界観が大きくなってきた


ひと昔前、あるいは、百年、二百年前の日本人であれば、自分の住んでいる、江戸だとか、大阪だとかの都、つまり、そこだけの経験しかなかったわけです。ところが、世界観が、それだけ大きくなってきた。ですから、自分たちが、昔なら知らないような人たちとも接するようになった。こういうことは、非常にいい経験なのです。

日蓮の時代の世界観といえば、日本があって、蒙古があって、何か向うに国があるらしい、と。この程度の知識しかないわけです。ところが、現代における世界観だと、小学生でさえもが、日蓮の時代の世界観以上のものを持っております。

こういう世界観が持てるようになったのは、理科系の人たちの活躍によるところが多いのです。ですから、この質問の方に関していえば、科学技術の進歩そのものは、決して悪い方向だと思ってはいけません。それは、心と対立するものではありません。心の修行の場を提供するものなのです。そういう意味において考えたらいいと思います。


科学技術がもっと進むと、他次元の力が分ってくる


ただし、科学技術の問題点というのは、これが要するに、魂とか、人間の心を否定するような方向にいくと、間違ってくるわけです。人間の脳をコンピューターのように考えて、コンピューターが故障するように人間も故障するんだと、死ねば何もかも終わるんだと、こういう考えは、間違っています。人間には魂があります。あの世の世界もあります。これは、証明の問題ではないのです。人間に魂があり、四次元以降のあの世がある。これは証明の問題ではないのです。証明される以前に、現にあるのです。

そうでしょ、コロンブスが船に乗って地球の裏側まで行って、西インド諸島か何か知りませんが、それを発見し、まあ、アメリカを発見した、と。しかし、コロンブスが発見する以前に、すでにアメリカ大陸はあったのです。西インド諸島もあったのです。現にあったのです。それと同じです。あの世の世界というのも、現にあるのです。それは、探検して初めて分るものではないのです。現にあるのです。魂の世界も、現にある。それを、証明問題によって解決しなければいけないと考えているとすれば、間違いであります。

ですから、科学技術は、決して心の世界に対峙(たいじ)するものではなくて、心の世界から見れば、まだ未熟であります。もっともっと科学技術が発達してくるようになると、心の世界が、ある意味で分ってくるようになります。他次元の力というのが、ある程度分ってきます。科学的にも、そういうものがあるということがね。

そこで、コンピューター産業がどうこういう前に、あと百年たてば、かなり科学的な方面からも、私たちの世界というのが理解できるようになってきます。それを期待したいと思っています。ですから、基本的には、そういうふうに考えてください。技術的なものも、また必要なのです。


ビジネスマンは会社生活のなかで意義ある人生追求をすること


さて、もう一つ、この方にとっては、ビジネスマンとしての悩みがありますね。利潤追求、まあ、ノルマに追われ、数字に動かされるということですが、これは、この方にかぎらず、現代ビジネスマンたちすべてが持っている悩みなのです。現代ビジネスマンのすべては、こういうことで毎日悩んでおります。上司の仕事ぶりを見ていると、休日も、休み時間もない、と。そういう圧力ですね。これに関して言うと、きりがないぐらいあるのですが、まあ、時間を忘れるほど打ち込む仕事があるということは、これはありがたいことです。

しかし、他方では、つまり、心の世界を求めている人には、なかなか納得がいかないでしょう。心の世界を求めている人にずいぶん多いのですが、勤務時間以外の余暇を使って、そういうものを探究するものだと思っている。そして、仕事自体、勤務時間自体は、生活の糧を得るためだけの意味のないものだと考えている人が多いようです。

ただ、欲を言わせていただけば、やはり会社では一日のうち八時間、十時間過ごしているのです。一日二十四時間のうち、八時間寝ているとすれば、つまり、残りの時間の大半であります。これを会社で過ごしているのです。ですから、どうかこれをムダにしないでほしいのです。これをムダな時間だと、金銭を得るためだけの時間だとは考えていただきたくはないのです。

二十世紀の現代においては、たまたまこういう会社生活というのが主流となっています。昔なら、お城に勤めたこともあるかもしれません。もっと昔なら、農業をやっていたかもわからない。しかし現在では、会社勤めをするというのが主流になっているのです。であるならば、そこからいたずらに逃れようとするのではなくて、やはりそのなかに、意味のある人生の追求をやっていただきたいと思います。


仕事とは、社会への還元である


この方のように、コンピューター産業に疑問が出てきて意味がないというふうに見ていけば、当然のことながら、だんだん仕事にも情熱が入ってこなくなります。ですから、どうか仕事のなかに、情熱を持っていただきたい。意義を見い出していただきたいと思います。そして、心のなかで、世の中の人びとの役に立つような仕事をしたい、仕事は何でもいいのですけれども、という気持ちを持って生きていっていただきたいのです。

人間は、他の動物たちと違って、一人前になるのに二十年かかります。二十年かかって、やっとご両親に恩返しができるようになるのです。ですから、一人前になるまでのその二十何年かの間に、どれだけ多くの世の中の人びとの恩恵を受けているか、これを考えてほしいのです。ご両親だけじゃありません。学校の先生だけじゃありません。友だちだけじゃありません。社会で働いているたくさんの人たちの恩恵を受けて、二十何年間かかって、一人前になっていくのです。

ですから、人から受けたもの、社会から受けたものに対しては、感謝しなければいけません。お返しをしていかなくてはいけません。これが仕事ということですず。要するに、自分が受けた、世の中から受けた恩恵に対して、自分が何らかの役立つことをやってお返ししていくことであります。ですから、すべての人が、何らかの仕事を持つことが、本当は望ましいのであります。そして、自分が受けた恩恵を、その一部なりとも、社会にお返ししていく。すなわち、還元していくということが、大事なのです。


職場は、人間完成の場でもある


しかし、ただそれだけでは、いけません。それ以外に、個人の悟りというのがあります。人間はなぜこの地上に生まれてきて、何のために人生修行をしているのか。一体どこへ行くのか。何のために地上生活を送っているのか。これを追究していただきたいのです。ですから、この両輪です。すなわち、仕事において社会に対して還元をしていくということ、それから、仕事のなかにももちろんありますが、仕事以外にも、個人としての悟り、魂の悟りを得ていくということ。この二つを、両輪と考えてやっていただきたいと思います。

それは、ある意味での感謝行であり、ある意味での修行であります。悟りのための修行です。そして、これは、二つに両極分解するものではなくて、本当にその人が悟ってきたならば、その人の働いている職場のなかが、一つの菩薩界になってくるはずです。理想郷になってくるはずです。

個人的に悟っていながら、職場で波風ばかり立っているというのは、おかしいのであります。この人がいるから、そのおかげで、職場の人たちも幸せだというような、何とかさんに会って良かったといわれるような人生、そういうふうになってほしいのです。

ですから、現代サラリーマンに対しての私のアドバイスとしては、あなたがいるから良かったと、あなたと一緒に働けて良かったと、一人でも多くの人にそう言われるような人間になりなさいということです。そのためには、一つには、仕事のなかにおいて役立つ人間になるということであるし、また仕事以外においても、人格者として完成していくということであります。この点を考えねばなりません。

職場というのは、ある意味においては、人間完成の場であります。いくら自分を鍛えても、達磨大師(だるまたいし)のように面壁(めんぺき)九年やったからといって本当に悟ったかどうかわからないのです。ところが、実社会のなかで働いていれば、自分が向上したかどうかは、すぐにわかります。職場は、自分を試す場でもあるということです。そういうことで、特殊な宗教家は別として、その他の人は、自分の持ち場で自分を磨いていくべきであります。


職場で自分を磨くべきだ


宗教家みたいに、この世的なことをやってはいけないような人も、もちろん、おります。それは天命であります。しかし、九割までの人は、やはり人のなかにあって、サラリーマンのような仕事をしているのです。ですから、そのなかにおいて、自分というものを磨いていくべきであります。

この方も、勤めてから二十何年たって、そろそろ人生の終着駅が見えてきた頃なのでしょう。こういうときには、もう一度、自分の仕事の意味というのを考え直してみるべきなのです。そして、仕事のなかで、どれだけ自分が向上してきたか、たとえ仕事から離れても人間として向上したかどうかということを考えてみるべきです。

つまり、さきはども言いましたように、両輪なのです。車の両輪であって、片方の輪だけではないのです。ですから、コンピューターを離れた、心だけの世界ではなくて、両方を両立させていくようにやってごらんなさい。この方が言いたいことは、サラリーマン社会における立身出世ということもあるのでしょうけどもね、立身出世は、あくまでも結果だということで、考えてください。立身出世は、人が評価して決めることです。

自分が求めることではない。一生懸命やることです。人が認めてくれたらありがとうという気持ちで、認められたらさらに大きく、世の中に対して役に立っていこうという気持ちを持つことです。立身出世は求めることではなくて、結果です。目的ではなくて、結果です。ですから、結果としてそういうものが与えられたらより大きな使命が与えられたということですから、より多く頑張って、さらに社会に還元していくことです。

(1986年8月25日の霊示)