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目次




















12.ちんこい、ちんこい、心臓の瘡蓋(かさぶた)ぶっ飛ばせ!


善川  あなた方の時代のあの決意とその行動力、バイタリティというものに大いに学び、われわれの昭和元禄といっているこの時代を奮い起たし、呼び醒まさねばならんということですね。しかし困難といえば困難ですかね――。

龍馬  それは困難ということではないんであってな、おまんらちんこい人間になるなよ、ちんこい、ちんこい、もっとなあ、度量をな、もっと何んちゅうか心臓を五、六箇持っているぐらいでなきゃ、あかんぞよ。心臓が一枚しかないと思うから、もういつ破れるかわからんと思うから心配なんじゃ、心臓を五、六枚持っとるつもりでやらにゃあかんぞよ。

善川  私も二十四、五から三十位まではそんな気持で、世の中に恐いもの無しでやった時代もあったがこの年になるとね、どうもねえ……。

龍馬  いかん、いかん、それは年じゃなくてだな、年をとってな瘡蓋(かさぶた)ができとるんじゃよ。あんたの上にはカサブタが出来とるんじゃよ。貨蓋が、その瘡蓋とりゃあ気持はいっつも若く持っておられるんじゃよ。かさぶたが一杯出来とるんじゃよ。まあ火山みたいなもんだよ。火山てのはな、噴いては沈み、噴いては沈み、休火山になっているかと思えば突然噴いてくるんだよ。上にな、火山の上にカサブタ造っているから噴かないんだよ。瘡蓋とればまた噴いてくるんだよ。そんなもんだよ。下のな、地下のな、マグマのエネルギーというものは増えも減りもしないんだよ。不増、不滅だよ。まあ仏教者みたいなこと俺が言っちゃおかしいが、不増不滅ですよマグマのエネルギーというのは。下にはいつもチンチン沸といているんだよ。いつでも滾(たぎ)ってやろうとする力がな、ところが年取ると上に蓋してしまうんだよ。これ取らにゃいかん。このカサブタっちゅのが世間の眼だとか、そんなことなんだよ。

善川  まあその意味であなた方が天上界から槍かなんかで、そのカサブタを突きはねてくれているんだろうと思うんですがね。

龍馬  まあ穴開けてもカサブタが次ぎっぎ出来るもんだからやり切れんが、下からちっと噴き上げてくれんことにゃどうにもならんが……。それからまあ、みんなちんまいこと考えとるよ、こんなことやっとったら嫁さん貰えんのじゃないか、なんぞと、ちんまいこと考えとる。俺に言わすりゃな、あんたら何言っとるんじゃあ十万位持ってだな、それこそ昔でいやあ一刀茶屋へでも行って遊んで来いってんだ。それですっとすりゃあ、またまた説法して廻れ、嫁さん貰わにゃ出来んとかな、こんなこと、ちんまいこと考えとったら世の中変らんぞ――。

善川  あんたはそういうけど゛おりょおさん゛という方があったんでしょうが。

龍馬  俺だってだなあ、まあ結婚はしたことはないよ俺は、結婚してないんだよ。まあ今で言えば同棲かな、同棲でもないな、まあその場に応じてな適当にだな、女遊びもしたわいな。女遊びをしたら俺は地獄に堕ちるかといえば堕ちとりもせんが、女遊びをしてだな、刀でぶち斬られて地獄でうんうん唸っているかといえば、そんなことないんであって゛常夏(とこなつ)゛ですがな、春ですよ。春の世界だな。懐に手を入れて、まあ呑気にやってるわけなんだ。蝶が翔んで来たらソレ追払え、てなもんでね、詩の一つも捻ってやろうかていうもんだよ。こんな楽な世界に来ているわけであってね、あんたらな、本当にやりたいことがあるならね、些末事を実現せないかんために、本願というか、本領というかね、本来のものを無くしちゃあいかん。見失ってはいかん。些末事を得たいために、ええかな、美酒を飲みたいためにお米を食べるのを止めちゃあいかんのだよ。いいかな、そりゃワインはおいしいよ、日本酒もうまい。酒はうまい。けど酒を飲むということばかり考えてだな、飯を食うということ忘れちゃいかんということだ。あんたらにとっちゃあな、゛精神革命゛ということ、それをやるということは飯を食うようなことなんだよ。いいかな、あんたらの人生は、あんたらの身体とすりゃあね、体を動かそうとしているのは飯を食うということなんだよ。いいかな、三度三度腹一杯飯を食いなさい。酒を飲むということは、それは付随的なことなのだ。いいかな、ところが、ああかこうかとちっこい些末事に悩んでいるんだよ。物事の大小が分らん男は死ね、と俺は言いたいよ。それはあんたにしてもそうだよ、善川三朗さんとやら、あんたにしてもそうだ。物事の大小が分らん人間は、もう腹切って死ね!と俺は言いたいよ。はっきり言って。いいかな、人生において大事なことはね、何が大であり何が小であるかね、何が重量であって何が軽量であるかだ。もうこれに尽きているんだ人生というのは、いろんな問題が出て来るんだ。何を取って何を斬り捨てるかということだ。武士でなきゃいかんよ人間は、武士ね、刀で斬って捨てるものは斬って捨てるんだよ。無礼打ちは無礼打ちだよ。やらにゃいかん。そしてどんなことがあっても、そして実現せにゃいかんものは実現せにゃいかんのだよ。それ以外のものは斬って捨てろ!つまらんね、世間の眼、自分の心、迷い、こんなものはええのだ、どうでもやるべきことはやれということだ。

だから神理伝道がだな、結婚の妨げになると思うなら、じゃあ十万持ってだな、今様のお茶屋にでもどこへでも廻って来い。俺が許すから行って来いと。行ったって地獄にや落ちやせん。俺りゃあちやんと来ているからな゛菩薩界゛に、いいんだよ、そんなことは。人殺しをしろと俺は言わんよ、ただね、ちんまいことを人間は考えるなと言うこっちや。

まあ人間ていうのはな、何十年か生きると、つまらんプライドとか、つまらん何とかでな、こう自分のカサボタ作るんだよ。カサボタちゅうんか、カサブタちゅうか俺は日本語よく知らんけれども、何んか蓋しちゃうんだよ。噴火口にな、この蓋とらにゃいかん。活火山がどんどん沸いて来にゃいかん。場合によっちゃああれだよ、時代が違やあ、あんた゛神法伝道゛の邪魔する人の一人や二人刀で斬り捨てるぐらいの気魄(きはく)でなきゃあ駄目だって、そんなぐらいでないとね。弱い、弱い、弱い。そんな弱いのでどうする、もっと大きな気持でいけや。で、あんた年とって困るんならあ、浮気の一つぐらいしてみろってんだよ。浮気の一つぐらいできる気力がなくてどうするんだ。そのくらいのだな、いわばまああんたに゛活゛を入れとるんだけど、まあこじんまりしちゃあいかんということだよ。

人間はな、そういうふうに大きく物事を考えていくとね、人生というのはいろんなところに花が咲いてんだよ、希望の花が。それを見ないからね、花は桜しかないと思うと、春以外は悲しい季節になっちやうんだ。いいかな、桜っちやあ三月四月にしか咲かんのだ。花は桜しかないと思やあ、三月四月過ぎりや一年のうち十ケ月つらいつらい悲しい世界ですよ。ところがそうじゃあないんですよ。花はね、桜だけじゃないの、あやめもあれば、菖蒲もありと、ダリアもありゃ菊の花もあり、年柄年中花は咲いとるんですよ。真冬に咲く花だってあるんですよ。ですからこの花っていうのをね、限って考えないということだ。四月には四月の楽しみあり、八月には八月の楽しみあり、十二月には十二月の楽しみありと、どうしてこうした大きな度量持てんかな、だから花といえばね、まあ桜の花が日本で一番美しいといわれているというと、もう花は桜しかないと思っちゃう。これが悩みの種なんだな。いいかな、花はいっぱいあるんだよ。こういうねえ大風呂敷をもっともっと敷かにゃ駄目だな。


13.この本、一千万部売れて当然の本なのだ


龍馬  まああんたら例えばこの本出しているけど、さあ本が一万部売れるか、売れないかなど言っている。再版されるかどうかなど言っている。ああ売れない様だなあと、いじいじ思っているわけだ。あんたらの本が百万も売れないんだったら、そりゃ読者が悪いんだよ。な、買わん方が悪いんだよ。あんたらが悪いんじゃないんだよ。その位の気持でいないと駄目だ。ええかな、百万部、一千万部売れて当然の本なんだよ。それが売れないんならだな、読者が馬鹿か、出版社の気合が抜けとるかだ。どっちかだよ、自分達が悪いなど思うな。その位の気持ちでなくてどうするか。「あとがき」に書いてやれ、私らの本が百万部も売れんようでは日本の読者は、世界の恥だと、書いてやれ。その位の気慨でやらにゃどうするか。日本をユートピアにするためにゃ、われらが書物一千万部以上売らねばならんと言ってやれ、その位の気慨がなうてどうするか。
一万部が再版されるかどうか、ちんまいちんまい。そんなちっこいことのために、あんたら出て来とるんじゃないんだ。その位の大風呂敷を広げてみい。本屋にも言ってやれ!この本百万部もよう売らん本屋はあかんと言ってやれ!あんたらの努力が足りんのだと、それだけの中味はあるんじゃと。嘘と思やあほかの本屋に聞いてみいと、言ってやれ!この本を百万もよう売らんようじゃあ、あんたらの器量が小さいんじゃと、量見が小さいんじゃと。言ってやれ!それだけの内容はあるんじゃちゃあんと。それだけの内容が無きゃ、なんで千年も二千年も残るか。俺らは言っとる筈だ。二千年も残るような本だと。それだけの内容であるならばだな、現時代に売れんのはおかしいんだ。それが売れんのは何でじゃ、読者が阿呆か、本屋が駄目かどっちかじゃ。だから言ってやれ、売れませんなど言ったら言ってやれ、百万部よう売らんようなら言ってやれ。あかんと、それ位の気概で行け。これが本物なんじゃ。本物が伝わらんようじゃ間違うとるんじゃ。いいかな、最低百万部だな、最低百万部は売れにゃあいかん。じゃが売れなきゃ嘘だ。売れるっていうか、そのぐらいの人が読まにゃ嘘だよ。その位の気持でやりなさい。駄目なら考えるんだ。他の方法をな、本屋に聴いてみい。

「日蓮」も言うとるじゃろう。あんたらが書いとるんじゃないんだよ。間違うなよ。「坂本龍馬」が書いとるんじゃ。言うたれ土佐の人間にも、「坂本龍馬」が書いとるんじゃ、俺が書いとるんじゃ。土佐の人間皆な買わにゃいかん!そういうことじゃ。言うたれえ、土佐の人間にも、「坂本龍馬」が言うとるんじゃ。全員買えと、県知事から筆頭にな、そして一人残らず読まにゃいかんのじゃ、そうせんと俺の銅像建てた意味がない。

善川  非常に力強いお言葉を頂きまして有難うございました。

龍馬  他に何かあるのか、聴きたいことがあった言うぞ――。わしゃ坊さんじゃないから、ま、破戒僧じゃないけど言って欲しいことがありゃあ言うぞ――。

善川  今更あなたが言われてもこれは仕方ないかも知れないけれども、現在の政治家、また将来政治家を目指している人達に対するアドバイスというかご意見がありましたなら……。

龍馬  まあ気魄だな、もっと気魄を持っていかないかん。そういうこった。大風呂敷広げて気魄持っていくということだな。まあ「西郷どん」は、゛真(まこと)゛が大切と言うとったけど、まあ真、も大切だけどもなあ、まあ気魄、情熱ね、これが無いといかんよ、まあ俺がやらんで誰がやるというだけの気持だよ。これが無きゃ駄目だよ。

善川  まあそれはどの世界にも通じることですわな。

龍馬  そういうことだ。そのくらいのね――使命というものあるけど、使命は大きい程いいんだよ。大きけりゃ大きい仕事出来るんだよ。まあ下積になるというのも大事だよ、下積の人も居るよ。だけど下積になるような人は、下積になるような意識持っているよ。はっきり言って。もっと大きな石にならにゃいかんわけだ。潰物石みたいにだな桶の上に乗っとって満足しとるようではいかんわけだよ。漬物石が漬物石である理由は、漬物石で事足れりと思っているから漬物石で了っているんだよ。漬物石でいかんと思ゃあね、もう輝いて床の間に在るかも知れんのだよ。漬物石は漬物石でわれこれで゛是(よし)゛としているから漬物石で居るんだよ、そういうこった。

人間てのはな、世界の人というのは決してその人の功績や、業績だけを見ているんじゃないっていうことだよ。いいかな。功績や業績だけを見て世間の人は評価しているんじゃなくて、その人の気魄、気概、使命感の大きさ、こういう気宇壮大さを見てだな、はじめてその人を評価しておるんであって、はじめてそれで揺り動かされ揺さぶられるんだよな心をな、魂を、決して業績じゃないんだ。いいかなあんたら、いま本出版している。それがだな、十冊、二十冊、三十冊と冊数が出て、世間の評価、人々のね、偉い人の評価を受けて、また本の数もよく売れて、はじめてあんたらが自信持ってね、行動できるんじゃないんだよ。一冊、二冊でもいいんだよ、その中にどれだけの気魂、気魄があるかということなんだよ。ええかな、物事の順序を逆にしちゃあいかんよ、囲の人が眼がはじめて認めてあんたらが勇気が出て来るんじゃ駄目なんだよ、あんたらが勇気が出てはじめて囲の人の眼が見開けられるようでなくちゃあいかんのだよ。ええかな、これもペン握って書くときにや俺の書物を読んで真理が分らんような人間は馬鹿もんだと思って書け、そういうことだ。これこそ真理の書であると言って書きなさい。


14.甘い、甘い、二倍、三倍働け


善川  さて、私達も近々愈々本業の仕事にかからねばならぬような雲行になって来つつあるようであるので、しかし私としては、すくなくともこの間に後二、三細書いて置かないとこれから中々時間が無くなるのでね。

龍馬  まあそんなことないよ、二倍、三倍に働きゃいいんだ。考えが甘い、甘い、甘い、駄目だぜ。――それとまあ人の妨害てこともあるがね、これも考えようでな、妨害の一つも出んようでは淋しいぞよ、もっと妨害がありゃあな、十字架に掛かった「善川三朝」なんてな首を朝刊に出してくれるかも知れんな、まあそこまでないにしてもだ、妨害の一つや二つ楽しみにしとる気持でなうてどうするかね、まあそれであんたらも忙しくなってだな、この阿波の地から自分から東京や大阪へ行かないかんと、いろいろ考えとるが、逆じゃ、逆じゃ、向うから来さしたらええがな、この家でなくてもいいが、他の場所でもかまわん。こっちからいちいち、行かなならんことないんだ。さっきの百万部の話じゃないけど、用がありゃそっちから出て来なさいと、話が聴きたけりゃそっちから聴きに来なさいと、その位の気持でなきゃどうする。あたりまえだよ、真理を聴こうという気がありゃそっちから来なさいよ、こっちから頂いて貰いに歩き回るもんじゃあないんだ。真理を求める者っちゃそんなもんだよ、地の果てまでも探しに行くもんだよ。

善川  いや、龍馬先生の気宇壮大なお話を伺っていると何か心の荷が軽くなって来たような気がしますわ――。

龍馬  それくらいの気持でいないとな、忙しい忙しいという気でいるとな、そんなもの待たしとけばいいんだよ。俺が一巻書き上げるまでは会わんと、書き上げたら会うと、どこぞの旅館へでも泊めときゃいいんだよ。一ケ月位泊めときゃいいんだよ。嫌んなったら帰ったらいいんだよ。そしたら一巻の終りだよ。どうしても会いたけりゃ旅館に泊って持っとるよ、それくらいでいいんだよ。それで居るようなら本物だ。そのくらいの気持でなきゃどうするか――。


15.いま「桂浜」に来ている気持だ、早く土佐の有志に知らせてくれ


善川  この本が出るのは六、七月頃になるかと思いますが、先般高知の市役所の方にもそう案内しときました。

龍馬  だから「坂本龍馬の霊言」が出来たらだな、そしたらだな、高知の有志の方に送ってやらないかん。そしたら高知の人は総勢あげて読むからな。

善川  高知は今あなたの生誕百五十年記念で盛り上っているからこの夏までには発行したいと思っております。

龍馬  夏では遅い、もっと早く出してくれにゃ、いかんぞよ――。

善川  それにあなたの方言も、われわれの口を通すとごっちゃになっているかもしれんからね……。

龍馬  ええがな、ええがな、これ出して高知の人から方言違うという手紙貰うたらあんたら嬉しいじゃろ、そしたら直したらええがな、第二版で直しやええがな、百年も経っちゃあ忘れるぞよ、かえってこれが「坂本龍馬の方言の正否について」なんてチエックされ始められたら大した人気だよ、むしろそうされ出したらわしとしては面白いよ、そうされた方が面白いよ。――ま、要するにわしも先に言ったが、つまらんことに労力を使うなというこっちゃ、本物だけをしっかり掴めばよい。枝葉末節は切り捨てるというこった。

善川  どうもありがとうございました。お忙しいんでしょう。

龍馬  いや別に忙しいこともないな。まあ「桂浜」見て遊んでいるようなもんだなハハ……。


16.わしらのこちらの生活も人それぞれだ


善川  ところで、あなた方のそちらでの日常生活の様子というものも現世の人びとに紹介しなけりゃいけないと思っているんですけどね。

龍馬  まあ人にもよりけりでね、前に言った松陰先生のような人はね、いつも生徒集めて授業ばっかりやっているわけだ。いつも生徒が言うこと聴かんと怒ってばかり居るわけだ。俺みたいにゴロゴロ昼寝ばかりしている奴もいるわけだ。まあいろいろだ。俺なんか一日に一回は勝さんと会って話しているわけだ。つまらんこと、ゴロゴロごろ寝しながらお互に『なあ勝さんよ……』って、話しているようなもんだよ。まあ人それぞれだよ。

善川  と言って、野の原や、雲の上に寝ているわけじゃあないんでしょう。家ぐらいあるんでしょう……。

龍馬  まあ家もありゃあ、そりゃ道路もあるよ、まあいろいろだな、まあ坂本龍馬がタキシードに身をくるんでいるわきゃないわな、そういうことはあり得ないよ。まあ俺の姿見てくりゃ分るように、ご想像の通りだな。

善川  しかしまあ自分の好きなものを着るわけでしょう。

龍馬  そうそう、だけどそんなものは気にならんよ、まあ俺達の生活といゃあな。主として霊界にも修行があるわけであって切磋琢磨しているってことだな。だからいろんな人に会って話している。今あんたと会ってこうして話しているけど、こういうこと何時もやっているわけだ。これが勉強になるわけだ。これが生活だ。議論しながら学ぶこともあるし、だからこそ個性があるわけじゃないか。個性があるって意味は、お互に教えるものもあれば逆にこちらが教えられるものもあると、これが個性の意味だよ。霊が個性としてね、個性ある霊として生きているというのは、お互に学ぶべきことがあり、教えることがあるということだから面白いんだ。

善川  木戸さんは、木戸さんであなたの近くにお居でるのですか。

龍馬  まあそうだけど、どっちかと云えば、彼は自分は違うようなこと言っていたけれどもね、彼は宗教家的な側面も援助しているよ、彼自身はね。

善川  またグループが違うわけですか。

龍馬  うん少しね、彼なんかどっちかというと天台さん(天台智頭大師)なんかと仲いい方だね、あちらのグループとね、あちらの人達と、仲がいいんだ。自分は政治家気取りしているけれど、抹香臭いところあるね、どちらかというとね。

善川  まあ聖徳太子のような感じですね

龍馬  まあそういうことだ。だから彼らのグループはね、まあ聖徳太子みたいな人がね、ちょっとね、まああの人ではないけれど、まあ親分肌というか、リーダーやっていてまあ集まっているわけですよ、こちらにもね、あんた方の方でも例えば、衆議院にも何とかあるように、創政会とか、水曜会とか、木曜会とか云うようなグループがあるようにね、こちらにもあるわけだ。龍馬だとか、勝海舟なんていうのは、こんな野放図な人間ちゅうのは組しないわけだ、なかなか派閥に入らないわけだ。まあいろいろだね。

善川  西郷さんは、西郷さんらのような人が寄っているわけですね。

龍馬  俺らはだから、「松下村塾」の横通る時にや『松陰さんまたやっとるな、そんなむつかしいこと言ってもわからんぞよ――』と言って通るわけだ。松陰さんまた眉吊り上げて怒っとるわけだ。『あのずぼら者が!』と、いってまあ言っとるわけだ。まあそんな楽しみがあるわけだ。

善川  大久保さんはやはり……。

龍馬  大久保さんかね、大久保さんはまあ苦労しているね。――まあでもいいじゃないかそれでも、彼は彼で貢献したんだから。まあ仲間だからね、皆、そう悪口はいいたかないよ。

善川  当時まあ皆苦労して明治維新作った人達だからね、だがまあそれぞれの心性に応じた所に行ってそのグループの中に居るというわけですね。

龍馬  まあでも、まああんたらにも言って置くけど、悪霊みたいなのにいろいろ悩まされたりするけれども、結局なあコセコセウジウジした心持っていると来るんだよ、そうでなきゃ寄って来ようがないんだよ、合わないんだよ。

善川  そりゃそうですわ、合わないね、あんたのような人には……。

龍馬  合わないんだよ、俺の感じとだね、あんたらのところへ出て来る悪霊の感じとな、合うわけないだろう。き奴らもある意味ではコセコセしているんだよ、執念深いんだよ、考えがね粘着質なんだね。一つのことをね、いつまでもぐちゅ、ぐちゅ言っているんだよ。だからこういうふうにアッケラカンとされてしまうと、彼らも取りつく島がないんだよ。いいじゃないか、地獄もいいじゃないかと、言われてしまうとどうしようもなくなるんだな。――地獄は大変ですなあ、――なんて云われると、――そりゃその通りです……。なんて身を乗りだすんだけれど、――地獄もいいじゃないか頑張りなはれ。――と、言われると――。そういう方法諭もな、俺から学べと言うのもちょっと僭越(せんえつ)だけれども、そういうこともあんたらもな、ちょっとな、悪霊とのケンカの仕方も覚えとくといいと思うよ。

善川  いや、長時間にわたって、心の広いご霊訓を賜わってありがとうございました。まるで今日の同志と語る思いにさせられました。再度のご出席ご依頼こころよくご承引下さって、われわれのためばかりでなく、現代および後代の人々に対しても種々ご教示を賜わりまことにありがとうございました。また機あらばご指導下さいますようお願いいたします。本日はまことにありがとうございました。