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目次












 12.総括雑感




(1985年12月31日の霊示)

1.松陰は天才、西郷は゛楠゛のような大人物


―― 勝海舟先生の招霊を行う。――

 ――勝です――

善川  ああ勝先生であられますか――。

 今、ずいぶん叱られていた様だね、順番を間違えた様だね、あの人を最初に出したんじゃあ疲れちゃうよ、厳しい人だよ――。松陰さんは厳しいよ、まあだからねえ、あそこの塾ははやらないんだよ。生徒がね、みんな厳しいってね、逃げて帰っちゃうからね、あんまり入りやしないんだよ、先生に言っちや駄目だぜ、こんなこと言っちや駄目だけどね、厳しくてね、まあ少数精鋭だな、彼の塾はね。少数精鋭ということでまあ決して大きな塾にはならないんだ。何時の時代でもな、そんなもんだ。その分俺なんかもう来る人は山のようなもんだね。まあ去って行く人も早いけど、来る人は山の様に、黒山のように教えて呉れって来るもんね。まあ人柄の違いというのかな、俺がいいとは言わんが、まあ厳しいね、厳しいな松陰さんは。

善川  まあ松陰先生のお話聴くと全くそのとおりであるんですが、さて生身の人間というのは、あの弓弦を張り締めたような精神力を常時持続して居れるかといえば、これはむつかしいもので、たまには小休したいこともありますわね。

 あなた大分参ったみたいだな。まあでも薬になっていいじゃないか、たまにはね。ああいう人に薬を射(うっ)て貰わんとね、俺とかね、龍馬となんか話しているとほんと、馬鹿になっちやうからね、気をつけないと駄目だよ――。

善川  いや厳しいお話でございました。しかしながらまた先生も別の立場で、あの時代において厳しいご生涯を終えられたお方だと存じますが、特に幕政の中で先生は新時代を既にお見通しであられたであろうし、その中で志士達が先生のお弟子さん達が、新しい時代を造ろうとやっておられる姿をご覧になられながら、しかも、あなたのお立場の中で彼らを教育されて行かれたということは、大変なことであっただろうと思われますが……。

 まあそんな、照れるようなことは程々にしてくれんと、俺れやあかなわんね。それ程のもんじゃあないよ。たまたまね、たまたま俺がそういうふうな立場にあったということでね、まあ俺が偉いからそんな立場にあったというわけではなくてね、たまたまそういうふうになったという時代のめぐり合せということもあるんだ。

善川  先生はあの混乱の時代にあって大局を観るという眼があったということに尽きるということだと思いますが。

 まああれで大局を観たうちに入るのなら、まあそれでいいかも知れんが、大局のうちには入らないね、誰でも分ることさ。

善川  まあ私達は、当時の勢力分野というものがどのくらいのものであったかよく分らないのですが、幕府と新勢力との力関係がどの位の比重を示していたのか分り兼ねるのですが、先生はその力の均衡を十分諒知され、日本人の進むべき新しい方向を示し、平和的な方向で移行していかれたということは、一つの偉業であったと存じますが。

 まあご覧の通りさ、俺は争いは嫌いだ。平和主義者、まあ悪い意味で云やあ日和見主義者といっちゃああれだけど、妥協が好きなんだよ。まあ松陰先生なんかは妥協しない人だけどさ、俺なんかはご覧のとおり、妥協だらけ、もう俺のが違うと思うとすぐ引っ込めちゃうような人間だからね、妥協好きだね……。

善川  特に、西郷南洲先生とのお出合いの中で、日本の運命を賭しての掛合いをされたということは、正に偉業であったと思いますが。

 そうね――、西郷はいい男だったよねえ、いや、大人物だったよ、本当に――。

善川  あの方は晩年、西南の役にかかずらわったために、あなた方とはご一緒のところには居られないそうですが……。

 まああんなになっちゃて、立場上俺達と一緒に居ないんだよ。だけどまあちゃんとしたところに居るよ、ああいう立場に行ったもんだから今俺達との交際は余りないわけだ。ただね、人間としちゃあ俺は大きな人間だと思うしさ、立派だよ。大人物だと思うよ。あれだけの豪傑は日本の歴史でそんなにや居ないね、樫の木みたいな人間だな。まあ樫の木というよりやあ゛楠(くすのき)゛だなあ巨大な楠、ということだな。あるだろうよく、神社の前にでっかい楠の大樹が、あんな感じの男だ。どてっとした楠のような男だよ。

善川  例の征韓論など唱えて居られたが、これなどは、あの方の持論だったのでしょうか。

 まああの人はそんなことはあんまり、まあたまにや言ったよ、方便としてな。内政を固めるにや外敵を作ってやりやあええてことだ。まあこりゃ戦争の歴史だな。歴史見りやあその通りだよ。実際その通りなんだけどな。まあ本人はそんなに戦争好きであったわけでもないしさ、まあ薩摩の青年達、立ててね、最後にやあんなふうに争ってね、首取られちゃったけどな、まあ可哀相と云えば可哀相だな。あんなふうな死に方させたくなかったね。僕としちやあ。まあ大人物、惜しいね――。ああいう人もっと明治政府の中で働いて欲しかったけど、大人物過ぎてまたそういう政府の中じやあ働けんというところもあるんだな、ああいう人は、まあやむを得んね。

善川  先生のお弟子さんだった坂本龍馬先生ですねえ。

 弟子と言っちやあ龍馬に失礼だよ、まあ教えたこともちっとはあるが、まあ弟子と言っちゃあ龍馬に失礼だから弟子とは言わないでくれよ。あんた龍馬とは話したんだろう。俺と話してみろよく似ているだろう。まあこういったな、性格が似ているというかな、ザルみたいな頭の持ち主同士で、話がよく合うわけだよ。――まあそういうこった。

善川  時代の大局を観るということについては、龍馬先生とは意見がよく合ったわけですか。

 まあそうだな、あれはとぼけたとこがある男でなあ、ぬぽう、としてだな、なんか掴まえどころがない男でな。龍馬ってのはあれがまた可愛いくてね。馬鹿じゃないんだよ決して。馬鹿じゃないんだけど、ぬぼうとしてさ、掴みどころがないんだよ、あの男ってのは。土佐っ子てあんなのかね?それであれが可愛いんだ。あのぬぼう、としたところがね……。

話はよくしたし、大筋においてね、俺達そう話が違うとこなかったよ。目的は一緒だからさ。日本の国ってのをどうしたらよくできるかっていうことが目的だからね、まあ目的自体変らないから、そんなに大きな議論にもなることないしさ、『まあ、そりやあそうだ。』そうだと膝たたき合って話することが多かったね。

善川  ところで先生は剣の達人であったといわれているのですが、これは皆さんそうですが、やはり当時では自己防衛というのが主目的だったのでしょうか、それとも剣を通して胆力というか自己の人格形成の手段として錬磨されたのでしょうか。

 うん、なんだか知らないけどね、俺だけでなくて他の者もそうだけれど、やはり生まれる前にさ、今の時代は何を求めるかということを考えるわけよ。そうするとどうやら俺達の時代には剣術も少々出来んとこれやあいかんなと、考えるわけよ、そうするとね、それなりの肉体舟を探すというわけだな。それなりのまあ運動神経よくてな、剣の強くなりそうな親を探してだな、まあそこそこ賢くてね、頭悪くちや困るからね、そういうとこ探して生まれてくるわけだ。これも計画済みといや計画済みだね。龍馬だってあれだけ剣がたたなきや名前も残っていないしね、桂小五郎にしたってそうだよ。

善川  先生もそうだったと思いますが、桂先生も遂に一人も人は殺さずに終ったということですが。

 まあそうだね、まあ余り強過ぎるからさ、誰もあまりやりたかないよ、命ただでくれてやる奴は居ないよ。まあそれに桂さん逃げるのもうまかったしね。まああんまり戦わなかったんだな、あの人逃げるんがうまいんだ。危いと思ったらさあっと居なくなるんだよ、あの人はね。

善川  その点龍馬先生は――。

 悠長だからな、斬られるようなとこで。のこのことまあ平気で酒飲んでなんかいるわけさ、不用心だからな、あの男はな。なんというか、恐いもの知らずのところがあるんだな。自分の命惜しいと思っていないんだよ、恐いもの知らずでね、なるようになれと思っているんだよ。


2.今の教育は定食料理、バラエティのあるメニューが必要


善川  ところで話は変わりますが、当時とは大分違って来ておりますが、現代の青年ということになって来ますと、どうですか、先生のお目からご覧になって如何でしょう。全体として軟弱とはいえないでしょうか、その志操においては。

 まあ軟弱だね、そしてひ弱だね、まあいうなら数だけ居るというだけだね。蟻んこが一杯居るような感じだねえ、もうちょっとど性骨がある人間が居ないと駄目だね、もっともっと骨がないとねえ――。

善川  ここで、現在の教育方針なり、制度に一番改善を要する点というものはどういうものがありましょうか。

 まあ教育問題についちやあね、教育が発達してね、まあみんなの知的レベルが上がるということはこれはいいことだよ。ただな、やっぱり人間、器(うつわ)があるからな、勉強嫌いな人間いくらでも居るからな。勉強しなくてもまあ優れた判断する人間も居るしね、いろいろだよ、結局はやっぱり生まれついての素質というものは大きいのだよ。だからこれは俺の考えだけどな、も少しメニューがあっていいんじやないかな、メニューといっちゃあれだけど、なんというかな皆同じものをな、毎日定食を食わされているような感じだね、教育に関して言やね、定食でね、毎日の飯は一緒だというもんだな、もう少し。ハラエティーがあっていいんじゃないか。まあ和食の好きな人も、洋食の好きな人もさ、いろいろあるんだから、精進料理の好きな人も居るんだから、だからもう少し素質に合せた教育できるようになるといいなと思うね。だから音楽好きな人はさ、もっと幼少時からもう音楽学校へ入れて音楽やらしゃいいじゃないか。あとそれ以外の一般教育は一般教育でね。また別にやりやいいんであって、音楽好きな人にそんな算数やらしたりさ、国語やらしたりね、余りやらなくてもいいと思うよ。そんなことやり過ぎると駄目になっちゃうよな。それから絵好きな人居るけど、こんな人、もっと小さい時から、八、九歳頃からどんどん絵描かしやいいんだよ。立派な画家についてさ、絵描きやあそりやあ天才できちやうよ。そう思うね、そういう意味で今の教育ていうのはまあ定食だね、定食じゃ駄目だ。もっとメニュー変えてね、いろんな人が楽しめるようにならなくちやあ。それがいいじゃないか。だからそういう特殊な才能のない人間はさ、総合的にね、平均的にいろいろなものやって、総力的な実力あれば認められるような世の中になってだな、そういう特殊な才能がある人はだな、それだけで一流になればそれでいいと、まあそういう寛容な社会になって欲しいと思うね。まあ文部省さんも、もっと考えにやいかんな。

善川  ということは、受け入れ側の問題ですね。社会が少くとも現在の高校、大学を卒業したものでなければ入社の資格がないとか。

 だからね、俺は思うんだよ。特殊な才能持っている人間ていうのはね、まあ政府なら政府がさ、経済援助をするというような、そういうシステムにすればいいんだよ。小学校、中学校でもね、音楽とか絵の才能、あるいは文学でもいいよ、詩でもいいや、何でもいいや、そういう才能があると認められたらね、それはもうずっとね、教育するつもりでね、国家援助するようにしてやりやいいんだよ――。そのうち例えばね、画家の卵、百人居たとしようか。画家の卵、百人国が育てましたと。そのうちものになったのは結局十人でしたと。それでもいいじゃないか十人でも、素晴しい天才みたいの出たら、そりゃもうけもんだよ。

だからそういうことでね、生活みてやりやいいんだよ。画家養成でね。画家なら画家でいく人で、みてやりやいいじゃないか。俺はそう思うね。天才なんてそう一杯出るもんじゃないから。才能あるものをどんどんやらしてさ、そのうち一つでも二つでもね、花開きやあそれでいいじゃないか、そう思うね。

善川  現在のこの学歴社会というのは、どういう面から打開していけるように思いますか……。

 まあ社会が平和な時はこれでもいいんじゃないか、変革期にや、これで済まなくなるからさ、変革期にやあどうしたってね、まあ下からもう熔岩吹き上げてくるような男っての出てくるからさ、そういう場合にはもう学歴もクソもないんだよ。ただ平和な時にはまあ安定性求めているからね。まあこんなもんでいいんじゃないか。ただそういう変革期にはこういうんじゃ困るけどね。

善川  しかし、最近においてその変革期が近付いて来つつあるという一種の雰囲気がありますね。経済社会から精神世界へと一つのうねりとなって来つつあるように思うのですが。日本がその旗頭になって行くというような予言もあるのですがどうでしょうか――。

 俺は必ずしもよくは知らないけどさ、そういう傾向はあるね。というか俺達の希望でもあるわけだ。まあ日本が中心になって世界の舵取りやって欲しいな、そりゃ期待しているし、俺達も希(ねが)っているところだよ。

そうなってこそね、はじめて俺達の国造りっていうのもね、明治維新もねやはり意味が出て来るんじゃないか、俺はそう思うね。願わくばね、あなた方はね、頑張ってだな、世に新風を持ち込んで欲しいね、吹き込んで欲しいよ。まあ一大革新やってくれ!精神上のね、後に続く者も出て来るだろう。

善川  そういう方が、どんどん現われて来ないといけないと思うんですが、あなた方の時代には誰が唱えるというわけでもなく、自ずから各所からあのような偉大な指導者が現われて来たわけですか。

 そうじゃないね。やっぱり計画済み、勿論計画済みさ――。地上に生まれたらね、それぞれお互にやっていたけどさ、みんな生まれる前からもう知り合いなんだよな、本当はね、まあ実際は早く死んだりね、いろいろ計画通り行かなかった人だっているけれども、まあそういうことも見越してね、多めに指導者達を日本の国に出したってことさ。


3.神聖な日本国憲法が生まれてくるだろう


善川  先般聖徳太子様がお見えになられてのお話では、あの方が維新当時の計画の立案者で非常に忙しい日日を送られたということをおっしやっておられましたが、やはりそういうことであったのでしょうか……。

 そうそ、そういうことだ。そういうこと、ああいう人たちが中心になってみんな相談したわけ、そうして生まれて来たわけ。明治の時だってさ、諸菩薩、何十人も生まれているんだよな。まあ名前の残っていない人だって居るんだ。時代が時代だからね、埋もれちやう人も居るんだよ。まあ運よく名前も残ってだねえ、業績も上げた人だっているわけだ。

善川  今度日本に、新たに新憲法が作られるということが予告されておりますけれども、これはやはりなんですか、太子あたりが直接出て来られるお考えでしょうか。

 出て来るつもりはないんじやないかね、こんな住みにくい所へは出て来たくはないよ、はっきり言ってね。まあおそらく憲法の改正があるとすりやあ、あなた方の新しい宗教的というか、精神運動やっているわけだ。今人類の啓蒙化運動やっているわけだ。こういうものもね、幾つか出て来て大きなうねりとなってね、新しい憲法の中に精神的なものの影響がね、ちょっとは出なけりやおかしいよな、本当じゃないよ。特定の宗教に憲法が与えられるという意味ではなくてな、宗教という称び名は非常に悪いけど、宗教でなくてまあ真理なんだな、真の理なんだよ、宗教というからなんか抹香臭くなっておかしくなるんだけどさ、結局限に見えないね、五官で感じられないような真理を究明するのが宗教だよな。だからまあ本当の真理に基づいた「憲決」憲法といったらまあ国の行動基準だな、存立基準であり行動基準であるけれども、まあそういったものが必要だと思うね。精神規定がもう少しいるんじゃないか。生存権なんて、何か格好いいこと言っているけど、生存権なんて言っている本人がね、生存権が何だか分っていないわけなんだよ。人間が「霊」だと思っていないような人間がね、゛生存権゛なんていったってね、そんなの意味ないわけだろう。そうだろう。人間は「霊」であって永遠の生命を持っている。そして転生輪廻の過程で肉体を持って人生修行をしている、だからそうした大切な修行をしている修行を妨げちゃあいけないんだと、修行をしている人はね、自分の修行を守るだけの権限があるんだと、これが生存権だな。はっきり言ってな。こんなの分かりもしないで、生存権ていうと、飢え死にしなくてパンを食べる権利だなんて思っているのだから何も分ってやしないよな。まあこういうこっだよ、本当の意味で゛魂゛入れなきゃあね、憲法にも、いかんということさ。


4.人間皆この世では学芸会をやっているようなもんだ


善川  いまひとつ参考のためにといってはなんですが、このことはより多くの人びとのために、よりよく知ってもらうために、いろんな方に、いろんな機会を通してお伺いし、現世に居る人々の認識を高めたいと思っているのですが、例えば、そういう人間が゛霊゛であるという本来相が上から上からとご指導が行われていると思うのですが、そういうことは皆、その段階に応じて理解を持って生まれてくるはずでしょうけれども、さて一旦この世に肉体を持って生まれてしまうと、過去のことなどすっかり忘れてしまって「肉体我」に一様に戻ってしまうのは、これはどういうことでしょうか。

 まあこれは、いろんな坊さん、いろんな説明しているだろうけど、俺が言うとすりゃあ、これはまあなんだよ、゛学芸会の劇゛していると思ってくれよ、学芸会の劇になっているとね、子供がお姫さんになったり、王子さんになっているでしょう。あれでいいんだ。自分は王子様、お姫様になり切って、あるいは騎士になり切ってさ、あるいは侍になり切って役柄演じているからいいんだよな。あの時に俺は何年何組の何平であってね、こんな数学はできて、英語はできないとか、そんなこと思っていちゃあ劇は出来ないよね、まあ学芸会と思っていいんだよ、だから成り切ってそれでいいわけだ。学芸会終ったら、何か得るところあるんだよ、それで、あの騎士の出来はよかったかなとか、あの女王さんよかったなとかね、あの王様うまくやったとかな、それでいいんだよ。その王様やっている時にね、自分が何年何組の何平で、親とケンカしているとか、お小遣なんぼあるとか、そんなこと考える必要何もないんだよな、そういうことだよ。あれでいいんだ、何も分らなくていいんだよ。だから面白いんだよ。

善川  しかし、その各人の心性というものは、前代に生まれた時とはどうでしょう。そう大きく変わりはないのではないでしょうか。

 心性はやっぱり似ているね。似ているけど、環境はね、環境をどう選ぶかは自分も考えるし、まあ守護、指導霊達そういったもののアドバイスもあるから、それでいろいろだね。だから政治やりたけりゃあ俺達の時代に生まれて来たり、時代が一つ違やあ無理だしね、だから環境は選べるわけだ。だから環境に応じてまた、性格が変ってきたりするわけで、カルマてのかな業の修正やるわけだよ。

善川  やはりあなたは、勝先生としてお生まれになられた以前にも、やはり政治的な方面に関心を持たれて生まれて活動された方ですか……。

 うんまあ俺はなあ、どっちかいうと、こういう軽い感じだろう。だから人とペラペラ喋りながらだな、楽しく何か仕事をするのが好きな方だ。だからまあいつもどちらかというと政治家とは限らないな。まあ弁説家とかいったようなロを使った仕事が多いな、どっちかというとね。

善川  松陰先生は……。

 学者だよ、学者、ああいう人がいろんな所に生まれちゃあ哲学者になったり、いろんな人になっているんだよ。

善川  木戸孝允先生はどういう方でしょう。

 いずれ後で呼ぶんでしょうけれども。

善川  まあちょっとお伺いしとかんと。

 ハハ……また松陰さんみたいに叱られては困るからね、まあ俺程軽くはないだろう。

善川  まあそうでしょうな。

 そうでしょうなはないだろう――。ハハハ、まあでもそれ程こわくはないだろう、まあ会って話してみれば分るよ、偉い人だと思うよ。

善川  福沢先生は如何でしょう。

 この人も偉い人だよ、まあ精神界の巨人だね、近代では誇れる人ではないかな、私はそう思うね。あの方には教わること多いと思うよ。まあ何処まで引出せるかわからないけれども教わること多いと思うよ。


5.照る日曇る日、雌伏すること久しければ飛もまた高しだ


善川  先生は、心の広い寛容な心の持ち主であられると思うので、まあこの様なうち解けたお話をして頂いて私の心にほのかな潤いをお与え下さっていると思うのですが。

 寛容といえばまあ寛容かも知らんが、本、出すんだろうあんたら、本出すとどうかな、本になると、読者からみると、どうも勝先生のは何も学ぶところは無いと言われるかも知れないよ――。

善川  しかし先生は幕府の重役につかれる以前には、かなり厳しい半生を送られたのではないでしょうか。

 まあそらそうだよ、俺も厳しい時代はずい分経ているわけだ。人生七年周期説とか、いろんなこと言ってね、まあ雌伏七年、十年、そうしてまた日に当たったりね、いろんなことあるわけだ。あんたらもね、特に若い人はそうだけどもね、生きていくうちでね。日の当たる時、日の当らない時、やっぱりあると思うよ。いつも日の当たっている所ばかりは歩けないもんだよ、ただね、日の当らない所に居たにしてもね、まあ七年、あるいは十年待ちゃあさ、きっとまた時代が変わって日が当たるようになるんだ。そういうことのためにいつもね、たゆまず自分を磨いておくということだ。そうすりやあね、また雌伏何年かすりやあ、雄飛することもあるわけだ。そのつもりでまあゆっくりと生きていきなさいよ。それを余り焦ってね、日の当たるところばかり歩いていこうとすると、命縮めちゃうからね。

善川  動、反動の法則でね、まあ余り動が激しければ、またその反動もそれだけきついものがあるというわけですね。

 ただ人間には忍耐の時があると思うんだ。あんたらだってそうだと思うよ、今までは忍耐の時だったと思うし、これからまた脚光を浴びる時もくると思うけれども、また乾される時だって来るかも知れない、時代によってはね。ただ、どんな時にあっても、自分を信じてね、じっと忍耐しているということだ。時代、時代、時代なんだ、時代が人を養成するんだ、人を呼ぶんだよ。風雲が巻き起こって来ると、英雄たちがね、各地からボツボツと出て来ると、そういったもんだ。平和な時には英雄は分らないんだよ、だからあなた方を必要とする時代が必ず来るということを信じてまあ生きていくということだね。

善川  勝先生とか、坂本先生とかは現在七次元の菩薩界にお住居になっておられるわけですが、その他の方も居られましょうが、まあこういう方々の中には、三次元の地上界に関心を持たれる方と、持たれない方とがあるわけですね。

 そりゃそうだね、まあ三次元世界に関心を持って、その指導をやっている人も居りゃあね、まあ俺達の世界広いからね、三次元以降まあいろいろ世界あるじゃないの。そういったところに興味持っている人も居るし、俺達の中でね、留まってまたいろいろ勉強している人も居るし、いろいろだねえ。――結局はね、結局はこういうことなんだよ、結局は神様が作られたこの世の中をね、どういう世界なんかということを勉強してだね。その中でだな、人間はなぜ造られたのかよう知らんけど、造られた以上一生懸命勉強しようと、まあこういうことなんだ。まあ勉強の仕方はね、そりゃ政治のこととかいうようなことで勉強する人もありゃあ、学問やる人も居るしね、また科学をやる人も居るしね、まあいろんなもんだよ。それぞれが自分の適性というものを見出してだな、自分を高めていくということだよ。

善川  おたずねしますが、どうなんですか、現在先生方のグループでの当面の主要な研究課題というものは、どういうものが話題になって日常生活されておられるのでしょうか。

 まあ結局はね、「リーダーシップ」とは何か、というようなこういうことなんだよ。あるいは「人をどういうふうにして動かすか」というのがテーマだね。要するに俺達の居る世界てのはね、指導者が集まっている世界なんだよ。いろんな指導者がね、指導者の世界というのかね、「邑(むら)」なんだな。だからねえ゛リーダーシップ゛とは何かというようなことを研究しているんだな。


6.総理大臣級は神様のうけが悪い


善川  そういう研究のお立場からみて現在の政治家はどうでしょう、特に首相級の方々の合格点は。

 駄目だねえ、やはり総理大臣なんかになると、ろくなことはないんだよ。まあ世の中のね、役に立つことも多いんだけど、害も多いし、大抵もう十中、八、九増長慢になっちやうんだな。自惚れちやってね、心の状態がよくないんだよね。皆自分は偉いと思っているんだけど、本当はそんな良くないんだよ。また欲が強いしね。

善川  明治時代では伊藤博文、この方なんかはどうですか、合格点は……。

 伊藤はね――。居ないんだよ、俺達の世界にはね、俺はこれだけを言っておくよ、それ以上言っちやあいかんだろう。居ないんだよ。ただね、彼だって立派なとこある人だよ。それ認めにゃいかん。彼居なけりゃ近代日本は出来なかったかも知れない。その意味で功績はあったと思う。ただね、俺思うんだよ。神さん、不公平じゃないかと思うことあるんだよ、決して人間のやった功績でもってその人を秤に掛けないんだよな、例えば一国の総理大臣やったような人が、まあ誰とは言わないよ、一国の総理大臣やったような人が、地獄に堕ちちやっている。そして野良仕事なんかしてね、爺さん婆さん気嫌良く死んだらね天国なんかに来たりしているわけなんだよ。そらどちらが世の中の役に立ったかというと、そら総理大臣の方が役に立ったような気がするわけだな。ところがなぜか、こちらへ来ると逆転しているわけだ。

こういうことを考えてみるとね、どうも神さんというのはね、人間が役に立つかどうかということじやあ余り評価していないんだな。ちょっと俺なんか不公平な感じがするんだけどな。役に立ったかどうかでなくてやっぱり心がね、キレイかどうかとかね、美しいかどうかとかね、そんなことが重視されるみたいだな。まあ確かにそれで言やあ世の中ね、国盗り物語、やった奴ら皆んな偉くなって来ている筈だけど実際上へは上って来ていないわね、まあそういう意味では自ら買って損な役割りしているといやあしているんだね――。


7.天国と地獄行は法則性で自分が自分を裁く


善川  これはあなたもご経験があるはずですが、あなたは今神の評価ということを言われましたが、これは直接神が評価するというか裁くわけではないわけであって。

 けどまあ神さんが作った評価基準があるわけで、それでみんな篩(ふるい)にかけられているわけだ。

善川  そんな閻魔大王や、裁判官みたいな人が居るわけじゃあないでしょうが。

 だけど実際はそういう法則になっているわけだ。だからさ、俺達の世界に来たくても来れない人も居るし、反対に地獄に居たくってもだな、居れない人は居れないんだよ。俺が地獄に居たくてもさ、地獄に居れないんだよ。

善川  いうならあなた方の場合は上の方へ浮き上ってしまうわけでしょう。

 そういうことだな、まあそれぞれの合うところがあるからね、それを神様が何故か分類したってわけだよね。

だからねえ、俺が思うんだけど、まずこういうことなんだよな、天国地獄というものの分け方がだな、まず心が清いかどうかということで、それでまず分けちゃうんだよな。それで心が清い、美しいと分れた中で、それで世の中に役立ったならもっと上に行けるわけだ。そうなんだよな実際。ところが世の中の役に立っていても、まず最初の段階の心が清くなけりゃあ地獄に堕ちちゃうと、こういうことだ。だから篩(ふるい)が違うわけだ二段になっているわけなんだな。

善川  神の分身としての自分に嘘をつかない清い心、美しい心が、事業実績などいうものより遙かに優先するということですね。自分を飾るために、自分の欲望を満たすために如何に善行と思えるような事績を残したとしても、第一資格試験に合格していなければその点の低い順の地域で苦しみ、反省させられるということですね、結局良心にかけた錘(おもり)の度合によって自分の第一段階の住居を定めるということになりますね。

 第一段階はそうだな。

善川  その点の矛盾感について先程龍馬先生の言われたご意見としては、例として織田信長についての評価をしていましたが、それによると、『俺はコブのある人間が好きだ。毒にも薬にもならない平凡な人生を送って、極楽へのほほんと来ている人間よりも、たとえコブをつくって地獄へ堕ちても、俺はその方が人間としても上だし、社会のために役立っていると思うんだが……』というように評しておられましたが。

 それはある意味では当っているのであってね、乱世がらみで世の中の役に立った人間というものはね、たとえ心の状態が誤っていたためにね、一時期地獄に堕ちるにしてもね、やがて反省して天上界へ上って来るんだよ。その上って来た時にはね、ただ平凡に一生送った人よりはやはり高いところまでは還って来れるということは確かなんだよ。それだけのことはやっているということなんだよ。

だからまずね、その重用基準が違うんだな、神さんてのは、二重の基準みたいなんで人間秤っているんだよ。まず最初の基準が、心が清いかどうかてのが基準さ、まずこれを乗り越えてはじめて、役に立ったかどうかっていうような基準があるわけだ。

だってそうだろう。神界(六次元)とか、菩薩界(七次元)なんていってるけれど、これは役に立った差だろう。如来だってそうだよな、やっぱり役に立った人が上に居るわけだ。ただ役に立っただけじゃあね、天国に入れないっていうわけさ。なぜか知らないけど、そんな篩(ふるい)の順番があるっていうことだよな。


8.死後肉親との情感について


善川  話は変わりますが、そちらへ還ると親兄弟とか、妻子とか親戚関係、そういう人達に逢いたくなるという気はしませんか、まあこれは平均的な話ですけれども。

 こちらの世界へ来た当初というのは、無性に逢いたくなるのだ。それで先に亡くなっているところへ必ず会いに行くしさ、後から死んだりすると迎えに行ったりはするわけだ。けれどね、やはり段々に居心地がいいとこ、悪いとこがあってね、別れちゃうというのが一般的だな。そしてバラバラの世界へ行くんだけど、まあ何回も転生輸廻している過程には、また一緒に生まれたりすることもあるしね。まああんたも早く俺達の世界へ来なさいよ、こちらの世界が楽しいよ、まあこの地上界てのは苦しみばかり多くてさ、報われない世の中だよ。本当にそう思うよ。正しい人が報われてないからね。だから早くこっちへ引っ越すのが一番だよ。

善川  そうも思うけどなかなか、先程の吉田松陰先生のご訓話に従えば、『何を言うか馬鹿者!そんな軟弱な精神で何んになるか!』と一喝食いそうですわ。

 まあそらそうだ。皆そういうことでな、吉田松陰先生なんていう人は尊敬されてるわけだ。まあそういう物差みたいな人間だっているってことさ。俺みたいなちゃらんぽらんな人間ばかりじゃ、世の中どっちへ向って進んだらいいか分からなくなっちゃうからさ。まあ俺とか龍馬なんてのは一代限りの人間だよな。はっきり言って複製が出来ないような人間だよな、そういう意味では松陰さんみたいな人っていう人は物差なんだよな、だからあの人みたいにはなれなくっても、まああの人に近づいていく努力てのは皆できるわけだよ、その意味では貴重だよ。まあ神様っていう人はいろんな人間を造ったもんだよ。

善川  そうですね、同感です。


9.現代青年へのアドバイス


善川  さて、いろいろ有益なお話を今まで伺いましたが、最後の一点は、現代青年に対しての期待といいますか、新時代を担う若人に対し、精神的に斯くあるべし、というご意見と、その青年の育成方法について、二点としては、現代政治、および政治家に対するアドバイスといったものを頂戴できたら幸いと存じますが。

 まず青年達に対するアドバイスと言ったな――。そう古い言葉だが、もっと大望を抱いてくれなきゃ困るな、これが無いな、だからいま学校では教えてくれないだろう先生なんて、どんな大望を懐いたらいいかなんて、一昔前なら末は博士か大臣か、なんてあっただろうけど、それすらも今はないだろう。だからこれからはどういう人間が、尊敬されるというか、あるべき人間像だというようなこと、こういった目標がはっきりなってね、こういうふうになりたいという大望を持つような人が出て来なくちゃいかん。そういう意味では吉田松陰さんなんかは適役だけどな。やはり大望だな、人間近づくべき理想、そういうもの持たないといかんな。これがまあ若者へのアドバイスの一つだな。

それと第二はね、松陰先生とはちょっと意見が変っちゃうかも知れないけれども、さっきも言ったけどね、やっぱり人間はね比較的早い時期にね、自分はどういう才能が一番豊富かということを考えるべきだな。そうして真一文字にだね、自分の一番豊富な才能を生かす方向へ進むべきだよ。だからあんたにすればね、あんたなんて、まあ云やあ宗教家だよ、宗教家的な素質持っている人間だな。こういう人間はだな、若い頃から真一文字に例えば宗教界に入ってくれば、それなりにね、いろんな業績残しているよね。それをあんた違うところでずい分いろいろして来たはな。まあこういうことだ。世の中にはそうした損失が多いってことさ。まあ食っていかないかんということもあるから、まあそういう悩みもあるんだけれど、まあ希(ねが)わくはねえ、これは国に対しても言いたいね。あるいは社会の有志ね、事業家達に言いたいけれど。そういう才能を持っている人達がね、まあ食べる心配しなくて十分に才能伸ばせるような、そういった世の中にしていかなきゃいかんな。

そういうことを希(ねが)うと同時に、若い者にとっては、逆に言えばそういうことを頼りにしないでもね、自力で、自分の才能を十分伸ばす方向に行かねばいかんよ。政治的な才能を持っている人は、あんな年取とらなくてもさ、若いうちからどんどん政治に打ち込めばいいし、まあそういうことさ。これが青年達に対するアドバイスだ。

一つは大望を持たないかんということだ。二つには自分の才能に合せた活動を比較的早い時期からやってくれと、こういうことだな。


10.現代政治及び政治家に対するアドバイス


善川  現代政治及び政治家に対するアドバイスをお願いします。

 ――ううん政治家、政治家ね――、まあ凡百の政治家に何言ったって仕方ないんだけど、そうだな、まあこりゃはっきり言って制度がよくないね、今の選挙制度では駄目だよ。これは駄目だ。やはりねえ俺達の時代で言っちゃあいかんが、「お主できるな」というような、そういうような人の名前が上ってだな、人の口を介してだよ、そういう人達が国政を牛耳るようにならにゃいかん。やはりまあ、なりたい人よりは、ならせたい人っていうとこかな。今は成りたい人ばかりがわんさといるんじゃないかな。だからねえ、俺達の時代ではある意味では実力主義だったと思うんだな。年齢も関係ないし、社会的地位も関係なしにだな、実力ある人間が堂々と政治の表舞台に出て来たわけだ。だから必ずしもそれが制度として続くわけじゃないけども、まあそういったね、この人は、と思うような人がなれるようなあれになりたいね。だから思うんだけどね、俺の考えだけど、今選挙で全員選んでいるだろう。まあ五百人か何人か知らないけれど、それ止めといたらいいよ。選挙で選べるのはね、たとえば半分なら半分にしちゃうんだよ。まあ多く見積って三分の二でもいいや、五割なり六割にしとくんだ、選挙で選ぶのは、こりゃいいだろう出たい奴出さしゃいいんだ。残りのね、四割なり五割はね、成って欲しい人に成ってもらうんだ。そういう人を選んでね、だからまあやり方としては、たとえば今、国会議員なら国会議員が居る。政治家なら政治家がいるだろう、こういうのを一定の任期でやめてもらうんだけど、やめる際にさ、そういった人に選挙じゃなくて、なって貰いたい人にね、こんなの日本国中から探してもらうんだ。この県なら県には誰かなって貰えるような立派な人は居ないかと、探してもらうわけだ。で、後任をね、探したらやめれるようにするわけだ。立派な後任ね、世の中から笑われない、はずかしくないような人を引っ張ってくると、こんなんでいいんじゃないか。

善川  だから具体的に云うならその推せん機関に「賢人会議」というようなものを設置したらいいんじゃないですか。

 そうだね、だから選挙制度だけでね、全員集めるというのは間違っているよ、やはりそういう有能な入ってのは今どこに居るかしらないよ、絵描いているか、歌唄っているか、知らないよ。会社の経営やっているかもわからない。こういう人達、自分で立候補して票集めて当選しろってのは無理だよ。そうじゃなくてね、そういう人ってのはね、引っ張ってくるんだよ。引っ張って来て政治家にできないようじゃ駄目だ、俺はそう思うな。そう思わないか、そうだろう――。

善川  まあそういう構成で特色のある政治をやっていくというわけですね。

 そうそう、それがバランスのとれた考えと思うよ。