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目次













(1989年8月27日の霊示)

1.まず思いを点検せよ


はい、高橋信次です。みなさん、こんにちはー。またこういうかたちで、お目にかかれてとても嬉しいです。

悪霊(あくれい)とあっちゃあ、私が出ないわけにはいかないでしょう。まあ、そういうことで六番手で出てきました。まあ、悪霊の専門家といってもよいかもしれません。生前から、私はひじょうに悪霊が好きでした。まあ好きといったら問題があるかもしれませんけれども、かわいくってしょうがなかったですね。

まあ、でも悪霊だって悪いばかりじゃけっしてないんです。彼らは彼らなりに努力しています。えー私のときなんか、ずいぶん商売に協力してくれました。悪霊なくして、私の商売は成り立ちませんでした。GLAというところでは、まあもちろん私がいろいろな法を説いたことは、有名でしょう。だからみなさん知ってましょう。とくに復活して以来の本はいっぱい出たので、有名で有名で、どうしようもなくなっています。

けれども、生前は、まあ法を説いたら、心の原点ばかり説いて、そして終わったら一時間から二時間いつも現象というのをやっていました。現象の主流は悪霊です。天上界の霊を出しても、いつもわからない「パカポコロサバラぺコペコ……」とかね、こんな言葉ばっかり言ってインド語やら何やらわからんことをやって、天上界の諸霊ですって言ったって、みんななかなか信じられない。しかし悪霊を出したら信じられる。なまなましいですね。ものすごくなまなましいですから、ぞっとするわけです。これが見たさに、まあ全国からいっぱい来ました、人がね。

だから、ある意味じゃあ、集まった会員の質はそんなによくなかったかもしれませんね。悪霊持ちが多かったです。研修会なんかやったら、もうモゾモゾモゾモゾいつもしていました。あっちでモゾモゾ、こっちでモゾモゾしていました。私の話を聞いていると、悪霊がモゾモゾ動きはじめるんですね。

だから、禅定(ぜんじょう)なんかするときに、「はい、悪霊が入っていると思う人は右側、入っていないと思う人は左側」というふうに線で分けます。そうしないと、反省やっているうちに、ある人に憑(つ)いている悪霊が隣にヒョッと入っちゃいますから、憑いている人は憑いている人どうし平等に、憑いていない人は憑いていない人どうし平等に、というふうに分けてよくやったんですけど、「はい、悪霊が憑いていない人」と言ったほうに動いた人に悪霊がよくいたんですね。悪霊が憑いていると思う人のほうは、まあいる人はものすごいのがいましたけれど、いない人というのも結構いました。

というのはね、けっきょく、やっぱり自覚の問題だと私は思うんですよ。悪霊が憑いているんじゃないかというふうに自覚するような人というのは、かなり内省的というか、自己反省ができているし、自分をそう高くは見ていないわね。自分というのは悪いことしているなあという気持ちが日ごろある。ところが悪霊なんか憑いていないと思っている人ほど、けっこう驕(おご)り高ぶっているんですね。そして、自分自身がわからない。こういうことがあります。

たいてい悪霊が憑いていないなんて思っている人というのは、俺は要するに刑法に触れるようなことなんか、何一つしていないって、こういう考えですわね。「刑法に触れること何もしていないから、悪霊なんか憑くわけないんだ」ちゅうような、こんな考えですよ。ところが、心の世界というのは刑法、関係がないんです。裁判所も関係がないんです。心の世界では、罪を思った瞬間に罪が犯されるのです。まるでイエス様みたいだけど、そうなんです。実際そうなんです。

みんないやだろうけど、もっと言ってやろうか。電車のなかに座っていて、目の前の女性がきれいだなあーと思って、モヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤーッといろいろなことを考えて想像したりしていると、そこで思いとどまらないといけないんですよ。そのままだと、これは罪なんです。ね、イエス様みたいでしょう。辛いでしょう。どうですか。あるいは、実際は殺人なんかしなくとも、あいつの首折ってやりたいななんて思ったら、やっぱりそれは罪なんですよ。

だからイエス様よく言ったでしょう。思っただけでも罪になるって。これなんかは、今の法律学者なんかとんでもないと思うよね。「思っただけで罪になったら、みんな刑務所入りですよ」なんて、「最高裁の判事まで刑務所行かなきゃいけなくなりますよ」なんて思うでしょう。だからまあ、イエス様みたいな考えは極端だからなんて思うでしょうけど、でも実際そのとおりなんですよ。

だって、思ったことを点検しなきや、反省なんて意味がないじゃないですか、ね。やったことの償いなら、それは法律が裁いてくれるんでしょう。お縄にかかるというふうに、よく言うじゃないですか、ね。悪いことをしたらお縄にかかって、それなりに裁かれる。また、刑事事件じゃなくても、民事でも間違ったことをしたら損害賠償でお金を取られる。こういうことになるわね。


2.日々心の借金を清算する


このようにして、結果が出た場合には明らかな裁きというのが出ます。しかし、心のなかは放し飼いになっています。だから、放し飼いだから絶対安全だと、普通、人は思ってしまいます。ところが死んであの世に還(かえ)ってから、大変なことになるんです。心のなかに作った、こうした借金、これが払えなくて大変なんです。

少ない借金ならすぐ払えるんですが、借金がいっはいだったらこれがもう返せますか、みなさんどうですか。ものすごい借金して、みなさんどうですか。自分が返せる借金はいくらぐらいまでですか。よく考えてください。

ある人は年収で計算すりゃあいいでしょう。夏のボーナスいくらですか。冬はいくらですか。月給はいくらですか。月給のほとんどは、どうですか、生活費で消えているんでしょう。カードで先食いしているんじゃありませんか。ボーナスだって、何かの支払いに使われているんじゃありませんか。残ったら月いくらですか、払えるのは。月一万ですか。ボーナス時でも五十万以上払ったら死んでしまうでしょう。どうですか。そう思うと借金の額は、だいたいどのぐらいかわかるね。

ところが、そんなことおかまいなしに、ドーンと借金をこしらえる人がいます。まあ、そういう人は、「いやあ、どうせ俺は会社の社長にそのうちなるんだから、会社の社長になったら、そしたらそんな借金はみんな払えるんだ」まあ、そういうふうに考えちゃうんだ、まだ平社員なのに。会社の社長になったら全部払えるなんて思って、バーンと何千万も何億も借金します。その結果どうなるか。払えるわけありませんね。サラ金に手を出しますね。サラ金がまた追いかけてくる。そして、さらに違うのに手を出す。また追いかけられる。あっというまに借金が雪ダルマ式になります。

そして、どうなるかというと一生サラ金から逃げて歩かねばならない。追いかけられる。こういう状態が要するに地獄ということです。すぐ返してしまえるような借金なら地獄へ行かなくて済むんです。ところが返せない借金をして、それをどうにかしようとしてまた悪いことに手を出して、だんだん賭(か)け事やったり、博打(ばくち)やったり、最後は宝くじね、持っている千円札で宝くじに賭けて何とか借金払おうとしたり、いろいろするんですけど、そこまでし始めるともうながあーく払い続けなければいけない。これが地獄というのです。

だから、いくら払っても借金が帳消しにならないんで、地獄からそう簡単に出てこれないんです。そういうことなんですね。

このように、要するに借金、地獄へ行くための原因は心の借金にある、ということがわかりました。それは、毎日思っていることの総決算ですね。だから、悪いことを思えば、それは借金になります。

ただ、それはそうでも一日に悪いことを思っても、いいことを思ったこともあればね、借金は借金であるけれども、資産は資産でできるんです。いいことを思ったところは資産になります。だから、資産の部分があるから、もし借金が残っても死んであの世に還るときに払えるんです。清算ができるんですね。

だから、悪いことを思わないのが第一ですけど、悪いことを思ったならそれを打ち消すだけのいいことを、まず思うことですね。悪いことをしたなら、それを打ち消すだけのいいことをする。ことです。こういうことが大事ですよ。まあ、こういう考え方なんですね。


3.悪霊の発生原因と憑依(ひょうい)の原理


そうしてみると、悪霊とは何かというと、悪霊というのは、そのような心の借金をいっぱいつくってあの世に還った方なんです。そして借金だらけになって地獄の鬼、まあ地獄の鬼もどうせサラ金の鬼か何かが来るんでしょうけれども、サラ金の鬼が、あのイボイボのいっぱいある鉄棒ね、あのサボテンみたいな鉄棒で追いかけてくるんだ。これでお尻打たれるとピシーッと効いてね、針がプスーッと立って、それは痛いのなんの。ほんとうに痛いんだ。そしてまた、「まだか、こいつ」、パシーッと、お尻にプチューッと針が刺さって、それはそれは痛いんです。

じゃあ、そしたらどうする。みんなそんな借金があったらどうする。これはなんとかして払わなきゃいかんと思うだろう。だれか貸してくれないかと思って探しまわるね。ところが、地獄を見ても、どこを見たってみんな借金だらけ。だれも払ってくれない。「ああ、じゃあもう知り合いも全部あたるしかねえや」っていうんで地上に出てきますね。そして、知り合い、自分の子孫だとか、友人だとか、残った夫だとか妻だとか、こんなところヘパクーッと行きますね。しかし、そんな知り合いさえないやつはどうするかというと、もうしょうがないから、こんなのは浮遊霊(ふゆうれい)になって、だれでもいいから通りすがりのやつに憑(つ)いたれって、電信柱の上に潜んでいて、下を通りかかった人の上に、エイヤッと上から飛び乗ったりしますね。何でもいいから、お金を持っていそうな人を見つけます。

そうして、この地獄の借金取りから逃げようとするんですね。そして、地上の人間に憑いて「何とか、おい払ってくれよ。おい連帯保証してくれよ」って言うんです。ところが地上の人間はね、まあ人のいいのが多いですから、そう言うと、「かわいそうだなあ」って思って、「俺だって似たようなところがあるから、まあおまえも許してやるよ」と言って、ハソコをペーンと押してくれるんですね。連帯保証人のでき上がりです。そうすると、その人も一緒に地獄に堕ちていくんですね。連帯保証をしたから、一緒に堕ちていくんです。

すなわち、どういうことかと言うとだね、地獄の借金いっぱいこしらえて、地獄のサラ金が許してくわないから、どうするかって、「保証人を立てるよ」と言っているわけです。それで保証人を実際に連れてくるんです、ね。

「どうだ、仲間を連れてきたが、これでどうだ……」
「よし、わかった。こいつは金持っているか」
「いや、持っていない。こいつも借金しか持っていない」
「だめじゃないか」
「しかし、おれはもう地獄で五十年も苦しんで、もう力がないが、こいつは来たばっかりだからまだ元気いっばいだ。これ奴隷代わりに使ってくれ」

要するに、借金を体で払うというわけだ。「若いの連れてきたから、これで払うから、これ使ってくれ」って言うわけだ。

「いやおまえ、一匹じゃ足りねぇ。おまえの借金を帳消しするには、三人は連れて来い」って言うんで、がんばってまた憑依(ひょうい)しに行きます。

そして、連れてきます。三人集めて来ると地獄のサラ金は、「おお、三人いたらいいだろう」。これは財産だからね。この財産でまた悪いことをいっぱいできるから。この財産使って、またいろいろなことできるし、これが財産になるということは、地獄での俺の力が増えるということだ。こいつらを手下にして、そして借金の形(かた)の手下だから、もう絶対に逃げることはできない、払うまで。そして、こいつらをこき使って、俺は親分になるんだ。こうして魔王になろうとしますね。

わかりますか。なぜ憑依するかがわかりますか。けっきょく地獄の悪霊のなかでも、親分株のやつは、子分を増やそうとしているんです。子分が増えたら偉くなるというのは、この世もあの世も一緒なんです。光の天使の世界でもそうですね。子分が増えれば偉くなりますね。地獄も同じことをやっています。そのように手下が増えると偉くなれるんですね。

そういうことで、仲間を増やそうと一生懸命努力しています。そうすることによって、なんとか言い逃れができるんですね。それをしないと、自分の体を八つ裂きにされるまでいじめられますから、たいへんなことになります。こうして、仲間を強制的に引きずってくることになります。

だいたいこれで、悪霊の発生原因と、悪霊のなんていうかね、憑依の原因、それから地獄が増える原因、まあこんなものがわかったと思います。


4.悪いことを思わず、しなければ悪霊は来ない


じゃあ、この悪霊を撃退する方法はどうしたらいいのか。これを考えなければいけないね。

少なくとも、まず連帯保証にハンコ押しちゃあいけないね。それをやったら、もう最後ですから、もういっしょくたですね。連帯保証をしちゃあいけません。連帯保証をしちゃあいけないということは、どういうことかわかりますか。

それは、悪霊とまったく同じようなものの考え方をすることです。これが連帯保証なんですね。悪霊なら、さもありなん、そうするであろう、と思うような考え方をし、そうするであろうと思われるような行動をすること。まあ、生きた悪霊になることです。そうすると、これが連帯保証になりますから、みなさんは地獄行きの特急券を手に入れたことになります。これは、指定席です。しかもグリーン車なんです。もう、ここに座ったら居心地がいいですから、もう絶対逃れられません。ストーンとそのまま直行で行ってしまうことになります。ノンストップです。

だから、連帯保証とはそういうことですよ。悪霊さながらの考え方をし、悪霊さながらの行動をとる。これが連帯保証なんですね。

それで、有限の保証は何かというとね、まあ連帯保証は無限保証に近いですから、全部ですから、本人と一緒ですから。有限の保証とは何かというと、どっちかだね。悪霊さながらの行動はするが、心では反省が起きた。心では悪いことは思ったが、行ないでは善いことをした。こういう分裂している奴が、部分責任を負ってる連中だね。えー。ちょっとだけ関係がある、けど深くは関係がない。ま、こんなところが部分責任だろうね。

だからねー、以上でだいたいわかるでしょう。悪いことを思わんこと、悪いことをしないこと、この二つが悪霊撃退のいちばんいいことなんですよ。悪いことを思わないことと、悪いことをしないことなんです。この二つ守ったら、悪霊は来ないんです。来ようがないんです。


5.誘惑に打ち克(か)つ


もちろんそばに来ることはありますよ。誘惑しようとして、ね。そういう身持ちのいいものほど狙(ねら)ってみたいという気持ちはありますよ。あるでしょう、貞淑(ていしゅく)な女性を狙ってみたいっていう気持ちがあるよね。あるいは、お坊さんとか、神主(かんぬし)さんとか、あるいは神父さん、こんなのをかどわかしてみたいなんて思う女性もいるでしょう、ね。えー。悟ったような人をかどわかしてみたいなんていうのは、よくある話なんですよ。

ね、これは昔から仏典、仏典じゃないや、もっと昔のインドの昔話にもよく出ているんですよ、ねー。あんまり地上の人が悟ろうとして修行(しゅぎょう)をすると、そうするとあの世の帝釈天(たいしゃくてん)だとか、梵天(ぼんてん)だとか、なんとか天だとかいうのが嫉妬(しっと)するんですね、必ず。嫉妬をして、女を遣わすんですね。そして、世にも希(まれ)な美女を遣わしてかどわかすんです。そして堕落させようとします。よくある話です。

だから、まあそういう誘惑はつきものですね。これは、仕方がありませんが、通常は悪いことを思わないこと、行なわないこと。これでOKなんですね。で、こういうときに、順調に行ったときに、環境が変わったときなんかで、誘惑が出てきますから、この誘惑にひっかからないように努力をすることなんですね。

その誘惑にかからないようにするためには、いったいどうしたらいいか。これは、もう私は生前からずーっと言っていることです。足ることを知る、です。これしかありません。足ることを知る。足ることを知って、中道(ちゅうどう)に入(い)る。さっきモーゼかなんかも、ちょっと言ったけど、つねに足ることを知っておれば、自分を守れます。


6.満月瞑想(めいそう)で悪霊チェックをする


それとねー、もう一つは悪霊を撃退するためには満月瞑想法というのがありますね。これもよく使ってください。心のなかに、あの澄みきった秋の空にかかった満月、ああいうものを描くんです。これを努力してください。ところが、心が曇っていたり、揺れがあると、この満月を描こうとしても、どうしても描けません。満月に雲がかかったり、満月が三日月になったり、半月になったり、なかには真っ黒けになったりする人もいます。どうしても、満月がかからないんですね。

だから、自分の心が澄んでいるかどうか、点検しようとしたら、まず満月を描いてみることですね。満月がきっちりと描けるようであったら悪霊が憑依(ひょうい)できないでしょう。現にもし今、悪霊が憑依しているとするならば、胸に満月を描こうとしても、その満月は描けません。かならず歪(ゆが)みがあったり、曇りができます。だから、自分が憑依されているかどうか知りたかったら、満月瞑想法をやってみてください。そうするとよくわかります。

それは、難しいことじゃありません。まあ、正座してもいいげど、しなくてもいいです。あぐらをかいてもいいです。腰を伸ばして深呼吸をして、呼吸を整えて、そして次第しだいに興奮を去り、そして冷静になり、心を落ち着けます。そして、目を半眼に閉じて、そして次第しだいに満月が胸のなかに浮かんでいるように考える。もしそれができないならば、上空に満月を描いてみる。上空に描いた満月を、スルスルーッと降ろしてみて、そして胸のなかに入れてみる。そして、一点の曇りもなくピカピカと光っているかどうかを点検する。光っていたら、悪霊がいま憑(つ)いていません。悪霊に憑かれていると、これがなかなか描けません。そうすると、あー満月は今日は無理だなということがわかります。すると、悪霊がいるわけですから、悪霊を取らなければいけません。


7.悪霊を取るには反省がいちばんである


悪霊を取るための方法は反省がいちばんです。悪霊は反省にいちばん弱いのです。だから、今日一日のこと、過去一週間、あるいは過去一年、あるいは生まれてからこのかたのことを反省してみることです。

反省の方法は、八正道(はっしょうどう)がいちばんよいでしょう。この八正道については、他の本にいっぱい書いてありますから、それを参考にしてください。そして、できれば暇があれば、生れてからのことをふり返ってみてください。一歳から五歳、五歳から十歳、十歳から十五歳、十五歳から二十歳、二十歳から二十五歳、それから三十歳、そういうふうに五年おきにでもいいですし、一年おきにでもいいです。まとめて全部できなければ、何日かに分けてやってもよいでしょう。自分の過去を一つひとつふり返ることです。

そのときに、思わずしらず涙が頬(ほお)を伝うようになるでしょう。この涙が頬を伝わっているとき、これを法雨(ほうう)といいますが、こうした感激の法雨を流しているときに、過去の罪が洗い流されているのです。人間は罪を犯すこともできますが、罪を洗い流すこともできるのです。それは反省を通し、懺悔(ざんげ)を通して許されているのです。

ですから、そうした反省をされるのがよい。その方針は八正道で、正しく見たか、正しく語ったか、正しく思ったか、正しく仕事をしたか、正しく生活をしたか、正しく道に精進(しょうじん)したか、正しく念じたか、正しく定(じょう)に入ったか、こうした項目があります。これを一つひとつ点検してみることです。そうして、こうした反省ぐせをよくつけておくことです。

だから、今日おそらくは満月瞑想ができないという理由は、今日、心に曇りがあるからでしょう。ですから、この八王道も過去、全部ではなくて、今日起きてからのことに集中してもいいわけなんです。今日起きてから自分はどうだったか。一つひとつ点検します。

まず、いちばん点検しやすいところは、他の人とのかかわりのところです。他の人とかかわったときに、どうしたかを点検してみます。他の人に対して、悪い思いを抱かなかったかどうか。次に、悪い言葉や悪い行動をとらなかったかどうか。こういう点検ですね、これが大事ですね。

それがひと通り終わったら、次はもっと積極的に他の人を幸福にしたり、世の中をよくするための行動がとれなかったか、こうした積極的な反省もしてみるといいです。もっと他のやり方がなかったか。

そういうことで、人間関係が一応終わったら、あとは自分自身の問題ですね。人と会わなかった残りの時間で、自分はどう生きてきたか。その時間の使い方はいったいどうだっただろうか。まったく神様から与えられたありがたい二十四時間だと思って生きてきたか。それとも、だらだらと惰性のように生きてきたか。こんなことを、一つひとつ反省してみるといいです。

そして、ああ神様、私は一日を大切にしませんでした。そう思ったなら、では今日はどう生きるのが理想的だったのか、それを考えてみるといいです。ああ、こういうふうに生きるべきだったな。それで、はじめて反省というものが出て来ます。

反省が出て来たなら次はどうしたらいいと思いますか。次はその反省に基づいた行動をとることですね。明日からの計画を立てます。そして、「明日こういうふうにしよう」ということを心に誓います。そして明日が来ます。また、うまくいかないでしょう。そして夜、反省がまたあります。「ああ、今日もだめだった。でも昨日よりは、ちょっとはましになったぞ。よし、明日こそもう一度頑張ってみよう」こうして、毎日毎日を努力するのです。こうするうちによくなってきます。

このように、瞑想をしようとしてできない場合には、反省に入る。反省をしっかりして、反省が十分できたら、もういちど満月瞑想をしてみる。そして、月が描けたらよし。反省をしたけれども、まだ月が描けないならば心に曇りがだいぶあるわけですから、これから毎日しばらく反省を続けてみることです。とくに心のなかの大きなスモッグの部分、これはどうしても取らなければいけません。私はそう思います。

まあ、さて、いろいろとそうした反省にかかわる話をしてきました。でも、これは一般論なんですね、あくまでも。


8.他力で悪霊は取っても、それだけでは根本的解決にならない


これは『悪霊撃退法』ですから、もうちょっと具体的な話もちょっとはしておきたいと思いますけれども、生前ずいぶん私は悪魔払い、悪霊払いしました。個人相談もやっていたこともあって、いろいろな人の人生相談を受けましたし、憑(つ)いている悪霊を取ったこともいっぱいありました。でも、私が自分の執務室で悪霊を取っても、その人は「ありがとうございました」って喜んで帰るんだけど、下へ行って玄関出るときに、バーンとまた戻ってくるんですね。悪霊が戻ってくる。また、あるいはもっと大きいのがポーンと憑いたりする。こんなことであってはしょうがないんです。私の部屋で、「あっ、先生足が治りました。よかったです」なんて一階に降りて、エレベーター降りて、玄関出ていったらまた足が不自由になったり、「先生、肩の痛みがとれました。ありがとうございます」というのが、家に帰ったらまた痛みはじめたり。「先生、頭痛が消えました」というのが、郷里へ帰ったら頭痛が出てきたり。こういうことが、よくありましたね。

結局ねー、根本的に自分で反省ができていないと、他力によって悪霊をとっても一緒だということなんですよ。そして、悪霊が集まってくる原因はね、やっぱり類は友を呼ぶ、この原理です。憑いている人と、憑かれている人は同じ心境であるということを、知らねばなりません。

あるときなんかは、私はひどいのに会ったことがあります。むかでの霊です。むかでをねー、あなた頭のてっぺんから、自分の腰から足に近いところまで憑(つ)けているのがいました。一メートルあるんです。一メートル超えています。その人なんか、霊視するともうぼおーっとして、白いです、顔が。顔が白くなり、体までなんか白くなって、むかでなんです。もう、いっぱい足が出ています。百本じゃないけれども、ものすごい。出ています。「こんなの憑けているのか」と思って、ぞおーっとしました。こんなのもいるんですよ。

これは、むかでのほんとうの霊かどうか、私も十分わからないけれども、たぶん地獄むかでと言って、そんなに大きくなるんでしょう。もともとむかでの霊かもしれないけれど、それにおそらくいろいろなものが入っているんだろうね、きっと。いろいろな想念を受けて、増大しているのだと思います。あるいは、人霊がそういうふうになっておるのかもしれません。変化したのかもしれない。人霊でも畜生道に堕(お)ちて、動物そっくりの心になると、そうした動物の形に変わってきます、だんだんに。

むかでになるような心ったら何でしょうね。地べたを這(は)い回る心、それから足がいっぱいあるんだから、せわしいんだろうね。やっぱりイライライライラ、セカセカセカセカして、そしてむかでっちゅうのは気持ち悪いわね。気持ちが悪くて、そしてぞーっとする。気味が悪くて、おぞましくて、まあそんな性格いっぱい持っているとむかでみたいになるんだろうね。そういうふうに言われてみると、会った人を見ていたら、その人がむかでに見えてきたりする人もいるかもしれないね。こんなんです。

あるいは、狐を憑けているのなんて、いっぱいいました。もう研修会場なんかで、お尻フサフサフサフサフサ、しっぽ揺すっているのいっぱいいました。あるいは、頭に蛇を巻きつけている人、首に巻きつけている人、足に巻きつけている人、いっぱいいました。リュウマチなんて、ほとんど蛇です。リュウマチね、それから肩凝りね、こんなのは蛇であったり、狐であったりします。頭痛、ほとんど蛇です。まあ孤もあります。狐、蛇、多いです。

こうしたものは他力によって、たとえばお祓(はら)いとか、祈祷(きとう)とか、祈りによって一時的に離すことはできても、根本的な解決には絶対になりません。だから、時間がかかってでもいいから、やはり悟りの力で取っていくのが本筋だと思います。


9.やさしい神理の書で諭(さと)す意味


私は、霊言、霊示集をかなり出しました。そして、その内容は、相当やさしく書いてあるはずです。なぜやさしく書いてあるかというと、やさしく書いておかないと、悪霊たちがわからないからなんです。難しい理論を言っても、それを読んでいる人に憑(つ)いている悪霊がいます。ところが、難しいことを書くと、読んでいる人も十分わかりませんが、憑いている悪霊はもっとわかりません。悪霊はあんまり学がありませんから、難しいことを言ってもわからないんです。

で、悪霊にわかるぐらいのレべルってどのぐらいかというと、だいたい小学生が読んでわかるレベルなんです。小学校の四、五、六年生ぐらいが読んでわかるレベルで書いてあると、悪霊がわかるんです。

したがって、私は地上のみなさんが読んでくれることだけを願っているわけじゃありません。もし、この『悪霊撃退法』がたとえば十万部売れたとしますか、私はほんとうの売れ行きは十万部ではないと思うのです。各人がだいたい、まあ半分以上の人は悪霊持っていますから、まあ七割悪霊持っているとして、一匹だけじゃありませんから、平均だいたい二・五匹ぐらい持っていると思うと、七×二・五はいくらでしょうか、七×二=十四の、五×七万三十五ですから、十七・五ですか。そうですね、十人に対して、十七・五匹憑(つ)いているわけですから、二十七・五人ですね。だから十万部本が売れるということは、約三十万部に匹敵するんですね。三十万人の人が読んだということになります。

地獄では、本が出版されませんので、こういうかたち以外で彼らを啓蒙(けいもう)する手段がないんです。モーゼなんていうのは、地獄に直接行って説法するんでしょうが、マイクが地獄にありませんので、説法しても聞こえる人は数十人、あるいはせいぜい数百人です。ところが、地上の人間にはよく悪霊が憑いていますので、地上の人間が神理の書を読むことによって、悪霊たちも同時にその内容を知ることができます。こんな便利なことがあるんです。

だから、神理の書をできるだけわかりやすく書くということが、ひじょうに大事なことなんです。かなり難しいことを言ってもわからないんです。ほんとうに「あなたがたは、こうしなきゃいけないんだよー」ということを言ってあげなきゃだめなんです。「愚痴(ぐち)っちゃあだめなんだ、怒ったらだめなんだ、暗いところは地獄で、明るいところは天国、緩かいところは天国で、寒いところは地獄」こんなこと言わなきゃいけないんです。「死んだということは、肉体がないんだよ。肉体がないということは、おなかが空いても、ごはん食べなくても死なないということなんだよ」こんなこと言わないとわからないということですね。

まあ、以上いろいろなことで話をしてきました。この章だけでは、たぶん十分じゃないでしょう。だから、私の生前の著書、それから復活してからの著書、ずいぶんありますから、まとめて全部読んでください。あなたと、あなたが持っているお客さんと、二人であるいは三人で一緒に読んでください。さすれば、必ずや悪霊がいなくなるものと、私は思います。