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目次

















(1987年2月2日の霊示)

1.神による動物たちの創造


今回の私の本も、いよいよ第五章「運命を超えて」というところにはいってまいりました。きょうは二月にはいりまして、八十七年二月の二日になります。東京地方は珍しく雪が降っています。

この前も雪の話をしていたなんていう人もいるでしょうけれども、たまに雪が降ったときには、言わしてください。雪が降りました。そして外はひじょうに寒いです。この雪が降って寒いというような情況を見ると、なにか人生というものをしみじみ思わせるものがあるわけですね。

神様はほんとうにいろんなものをよく創ったものだなあと、私は最近つくづく思います。人間も創ったし、人間のなかでも男と女を創りました。また人間に近い犬や猫も創りましたし、猿も創ったしね。鹿も創ったり、ウサギも創ったり、ネズミも創ったり、またまたトカゲ創ったり、カエル創ったり、蛇創ったり。まあよく創るなあと思うぐらい、いろんな動物創ってますね。ちょっと考えつかないでしょう。

もしみなさんが神様だとして、もっと大きい偉い神様から「こら、そこの地球の神様よ、お前に全権を与え、地球という場を与えるから、お前はなにか創造してみなさい。」と。「なにか物を創ってみなさい。」といわれてね、地球をポンと一個与えられたとしましょうか。さあ、そこでなにを創るか考えてみてください。

みなさんどうですかね。人間、まあ人間ぐらいはほかのところに住んでいたからモデルがあるけれども、人間以外の生物を、たとえば創ると考えてね、いったい、なにを創りますでしょうかね。

そうすると、どうでしょうかね、まあ猿みたいのは思いつくかも知れませんね。犬みたいな四つ足創ろうっていうんで思いつくこともありましょう。そしたら犬創ったら、それから類推(るいすい)して狼なんていいんじゃないかってね。

狼創ったら、まあ狼もいいけど、そういえば、たてがみもあったほうがいいじゃないってライオン創ってみたり、ライオンにちょっとシマシマ入れてみようというんでトラさん創ってみたり。それこそいろいろ発想ができますね。芸術家なら、このへんは考えつくでしょう。

猿のほかになにかあるだろうか。まあ、ちょっと空も飛ばしてみようじゃないかっていうんで羽根があるのを創ってみましたね。飛行機なんか現在飛んでいるけど、あんなのもう大昔に神様が飛行機創っているんですね。肉体を持った飛行機、つまり鳥ですね。鳥が空を飛び始めて、もう何億年も経ってから、人類が飛行機創ったんです。

だから、ものまねも、ずいぶん遅れていますね。こういう、ものまねっていうのは、コンコルドみたいのは、もうじゅうぶん飛んどるわけです。大昔からね。

そして、それだけではおもしろくないっていうんでね、たんなる鳥じゃおもしろくないから、コウモリなんかを創りましたね。洞窟(どうくつ)のなかに逆さまにぶらさがっちやってキィキィキィっていいながらね、やっぱり活躍するのはドラキュラ映画ぐらいしかないですけれどもね。

通常の人間はコウモリなんていうのは存在しているというのを忘れているでしょう。たまにドラキュラ映画のリバイバルがあるときに、それを見てドラキュラが歯をむいて美女の首筋にカプッとかみついてね、あそこのシーンだけ自分がやりたいなんて思いながら一生懸命見ていると、うしろにピアノ線でつるしたコウモリがキィキィと、こう飛んどるわけですね。

あれを見てコウモリって生物があったね、こんなことを思いつく人もいるでしょう。あるいはコウモリ傘見て、ああコウモリがいたねと思う人がいるかもしれません。こういう人もいるけど、まあコウモリっていう動物があります。

あるいはいろいろと考えてみると、手足があるのを創りましたね。二本で立つのと四本足で立つのを創って、それから手を二本なくして羽根に変えて空飛ぶのを創って、今度は手がないのを創らなきゃいかんから、じゃズングリムックリのを一発いってみようというんで蛇を創ってみたり。

あるいは蛇だけじゃちょっと恐ろしいから、もうちょっとかわいいのを創ってみようってね、ミミズ創ってみたり。あるいはミミズだけでは、あれだというんで、やっぱりイモ虫創ってみたり。いろいろやっぱり創ってみました。イモ虫に足がありましたかね。失礼しました。


2.ムカデの創造の秘密


まあイモ虫より、もっと進化したムカデみたいのが、足が百本あるやつがありますけれども、ありゃほんとうは三十二本ぐらいでしょうかね。そういうのもあります。だからあれだって創造したんでしょうね。

これの足、何本にするかといろいろ考えてね、おっ、ちょうどいいところに、ここに理科系の高橋信次がおるから彼にちょっとソロバンはじかしてみるかってね。

「もし、高橋信次。ムカデっちゅうのは足百本て書くのだけれども、お前、足何本にしたら合理的に動くのか知っているか。」ちゅうて。

「そうですね、これは新幹線の要領でいくとね、車両には車が、だいたい八個ぐらいあるといいでしょうか。四個でも走りますけど八個あってもいいし、まあ、そういうことで偶数の足のほうが、奇数より偶数の足のほうがいいじゃないでしょうかね。奇数だと、やっぱり一本の足が変なほうに行くと、ひっくり返る可能性がありますから、やっぱり新幹線といっしょで偶数のコマをつけたほうがいいんじゃないでしょうかね。」そういうふうにいいます。

「そうか高橋信次よ、偶数がいいか。じゃあ偶数で、お前何本にする。」
「まあムカデは足百本ていいますけれども、百本足つけると経済的にいろいろと困難がでてきますから、やっぱり百本は多すぎる。しかし四つ足では不足しますし、六つ足って、この前、昆虫創ったところです。だから昆虫といっしょにしたらかわいそうだし、まあ百足というぐらい、えばっておるのですから、もっと足を増やしちゃいましょう。まあ私が考えて六本と四本掛け算すると四六の二十四、二十四でもいいけど、まあもうちょっと増やして、おまけに一ダースぐらい増やして三十六本ぐらいにしましょうかね。」と。こんなこと相談して、まあそのとき、私はムカデの足何本にしたかいま、記憶はさだかじゃないですけど、たしか、そのくらい、二、三十本ぐらいあったような気がします。こんなの高橋信次がみんな、決めたんですね。ムカデの足の相談を受けて、動物というのは将来できる新幹線という姿を見てみると、新幹線が、だいたい十六両編成とかね。十六両編成で、だいたいコマが二個ずつついて三十二個とかね、十六かける二は三十二ですね。三十二個とかね。

こんなの将来のね、数億年先に新幹線が走っている姿を霊視しながらね、予知しながら、予想して、その新幹線の姿をイメージしながら、私はムカデを創ったわけです。


3.生物の創造は高級神霊の合議による


だから、そういうことをね、遠い遠い昔に、私たち、まあ神様の仲間入りをしている高橋信次のような高級諸霊たちですね、一生懸命、議論して、将来、日本にはJRができるから、ムカデのような新幹線ができるから、そのイメージとして私はムカデを発案する。そして稟議書(りんぎしょ)が出ました。

そのあと、みなさんのハンコを取りましたら、お釈迦様は「ウンそうだな将来のことを考えると、まあムカデもいるだろう。」とハンコを押してくれました。ああ、よかったね。お釈迦様のハンコを取りました。

イエス様は、どうでしょうか。「ムカデはそうだね、イメージ的にはいまひとつだけども、まあ山を越え、谷を越えてね、やはり勇ましく歩いていく姿は、なんとなく人生を彷彿(ほうふつ)とさせるので、まあよかろう。」とイエス様はハンコをくれました。

ああ、よかった。じゃあモーゼ様は、どうですか、ムカデについては。「私は、そういうふうに地べたを這(は)っている動物は、どうも好かんな。スッキリせん。」とね。「やっぱり動物というのは勇ましく二本足か西本足で立たにゃいかん。あんな忙(せわ)しく歩いているのは、どうも性に合わん。」といってね、モーゼは、ちょっとつむじ曲げたんですけど。

「まあ、そういわずに、あなただって、いつ地べた這うか、わかんないんだから、将来のこと考えて、まあいちおうハンコ押してくださいよ。」なんていってね。「まあ、まあしょうがない。じゃハンコ押しておけ。」なんてね、ポンとハンコ押しました。

まあ、こういうふうに高級諸霊のね、神様方のハンコもらって、ムカデのイメージが決定されて地上にムカデを創りました。まあ、こんなことをしたわけです。


4.諸生物誕生の背景には、神のバランス感覚と人間への教訓がある


どうですか、みなさんなんの話をしているかわからなくなってきたでしょう。なにを話しているかというと、神様というのは、いろんな世界を創られたっていうことをいま、話しておるのです。春・夏・秋・冬というような、そういう季節に合う生物を創りました。

なぜそういう生物を創って、そうした四季という周期まで創ったか。こんなところも考えてほしいんです。

やっぱり神様のひとつのバランス感覚なのですね。ひじょうにバランス感覚がいいんです。

そしていろんな生物が、いろんな苦労しているように、ムカデが一生懸命、足を動かしているように、アヒルが水面下で一生懸命、足を動かしておるようにね。

蛇が一生懸命、体をくねらして前へ進もうとしておるように、猿が一生懸命、木に登っておるようにね。

鹿が一生懸命走ったり、ウサギが一生懸命、穴のなかに逃げ込んだり、熊がね、冬眠のために一生懸命食べておるように。ライオンが一生懸命昼寝をしておるようにね。

やっぱり人間というのも、そういうふうに、いろんな努力せねばいかんのですよと。そういうことを、そうした動物を創りながら神様というのはね、人間に教えようとしたわけですね。

まあ、ああいう動物たちの姿を通して、あなたがたも悟っていきなさいよって。まあこういうことを神様は教えられたわけですね。


5.人間の運命に見る春夏秋冬


まあそうして、その生物いろんな生物が生きている世界っていうのを見てみると、春があり、夏があり、秋があり、冬があります。

春ってなんですか。春っていうのは、やっぱり希望ですね。ひとことでいうと希望を象徴しているのが春なのです。

夏ってなんでしょうかね。繁栄なんですね。

秋ってなんでしょうか。刈り入れもあるし、実りもあるし、実りと凋落(ちょうらく)と両方ですね。移り変わり、移(うつ)ろいだね。秋っていうのは、そうだね、やっぱり盛夏のあとのどちらかというと衰退に近いでしょうね。衰退。

そして冬っていうのが、冬枯(ふゆが)れというようにね、あるいは試練、困難、こういうものを創っているんですね。

この循環がひじょうにいいと思うんですよ。困難がきてね、困難に打ち勝って希望を持ち、希望をそのまま持っていくと、やがてそれがね、繁栄となる。

しかし繁栄もやがては衰えていく。でそしてひとつの試練がくる。しかしそのなかから希望を見出していく。また繁栄していく。こういうふうな循環サイクルというのは人生のなかにいろいろあります。

ですからね、きょうの主題は「運命を超えて」っていうことなんですけれども、人間にはね、やはり運命のなかに、こうした道筋がひとつあるということをやはり念頭においとかなきゃいかんのです。

それは春があり、夏があり、秋があり、冬があるように、朝があり、昼があり、夜があるようにね、こうした運命も周期っていうのがやはりひとつあるのです。まあ事実としてあります。

ですからいま、たとえば運命の本とかをだすと、ずいぶん売れているようですね。占星術だとかね、「まあ、あなたの運勢は、あなたは金星人ですから、あなたはなんとか人と合いません。」とかね。「あなたは火星人ですから、水星人とは相性が合いませんから、これで結婚すると夫婦はやはり破綻(はたん)するでしょう。」なんてね。「結婚生活は破綻するでしょう。」なんて、こんなことをいって一生懸命本を売っている人もいます。

あるいは姓名判断に一生懸命こってね、国会議員にまでなった人もいます。あれは、やっぱり自分の名前がよかったのでしょう。

あるいは最近は、やたら金運だとか、ドンドン運がついてくるんだとか、そういう類(たぐ)いの本を出して、そうしてずいぶん儲かっておる人もいらっしゃるようです。まあこういうふうに、どうも運の本にね、運とか、運命について本を出すとやたら売れるのです。

ですから私のこの霊言集もね『高橋信次の霊訓による大金の儲け方』、あるいは『高橋信次の霊訓による繁栄の仕方』『ドンドン会社が大きくなる方法』、もう『金が入ってウハウハ笑いが止まらん方法』とかね、まあこういう標題をつけると、おそらく出版社が大儲けして、まあ〇〇さんも大儲けして、そしてどこか温泉で芸者でもあげてね。

あるいは温泉で芸者をあげるだけじゃお金の使い途(みち)がないから、ちょっとハワイかなんか行っちゃってね。ハワイでちょっと執筆するからなんていいながらね、波乗りかなんかしちゃって。

そのうち溺れちゃったりしてね。まあ、そういうこともあるかもしれませんけれども。

まあ高橋信次がそんなに金儲けがうまかったかというと、まあそれほどでもないんでね。

もうちょっとで、うまくなりそうなところで私は、あの世へ行っちゃったんで、まあそれは実証できませんでしたけれども。


6.バイオリズムと運命の波動


まあ、そういうことを教えるためにきょうは「運命を超えて」っていっているんではないですよ。まあそういうことでね、人間の運勢というのは、やはり周期がくることはたしかなのです。

これはひとつの法則なのですね。そういう春夏秋冬、こうした循環があるように人間の運命というのも、そういう循環のなかに生きています。

そしてそのサイクルがいろいろあります。一日のなかでも、たとえば体調のいいときと悪いときと循環があるように、やっぱり一カ月のなかでも、やはり循環がありますね。

これをいま、生命保険のおばちゃんなんかがきまして、あなたのバイオリズムとかいってね、持ってくるでしょう。

そして「知性がいま、最低の日ですよ。」「二月二日は、ヨガのある先生は知性が最低の日です。」とかね。そして「身体のリズムも最低です。」ってね。「感情のほうも、明日ぐらいは最低です。」とか、「なにか、これはいま最低の波が、いまちょうど二月の頭に集中していますよ。」とかね。

こういうのを赤線、青線、黄色線いれて持ってきますね、生命保険のおばちゃんが。

そして「なんとか生命保険に入ってくれませんか。こんなふうに運命というのはあるんですから、危ないときには車にはねられるかもわからんし、なにがあるかも知れません。そのバイオリズムが最低のときに、たとえば知性のバイオリズムが最低のときに入学試験受けたら、得点は最低で国立大学にはいれませんよ。」とかね。まあこういうことをいろいろといいます。

これが当たっているかどうか議論の余地はあるんですけれども、やはり一日のうちでも人間は周期はあるし、一ヵ月のうちでも周期があるのはたしかです。それは、海でも潮が満ちるときと引くときがあるように、ちゃんとあるんですね。そして満ちたり引いたりして、やはりひとつの運動をしておるわけです。

そういうふうに人間の生命というものも、ひとつの波動なのですね。運命の波動を持っているから、やはり潮が満ちたり、引いたりするように、そういうふうな、やはり繁栄のときと衰退のときがあります。これは避けられないのです。

まあ小さな循環でいくと、一ヵ月のうちでも調子のいい日と悪い日があるでしょう。そういう波があります。また一年のうちでも、大きく調子のいいときと、そうでないときとがありますね。

まあ天中殺とか、天命殺とかいろいろありますけれども、あれもいうと、やたら売れるんですけれどもね。『高橋信次の霊示による天中殺入門』とかやると、きっと売れるでしょうけれども。

高橋信次が予告した一九八七年何月何日、この年にウサギ年生まれの人は不幸になるであろう。しかし猿年生まれの人は大金が儲かるであろうなんてね。まあこういうことを言えば人気がでるんでしょうけど、そういうことは言いません。


7.運勢には三~四年の小さな周期と七~十年の大きな周期がある


そういうふうにいま、話がちがいますが一年のうちでも周期があるし、また人生というのを見るとね、だいたい見ていると、そうですね小さなリズムとしては、三~四年で一回ぐらいのリズムがありますね。三~四年ぐらいの間に、やっぱり一回ぐらい調子のいいときと、一回ぐらい調子の悪いときがあります。

それ以外に大きく見ると七年から十年ぐらいの周期がね、それぐらいの波の幅で、大きな盛り上がりと、やはり大きな引っ込みね、最低のとき、こういうふうなのがありますね。

だから人生七十年とすると、だいたいふつうの人でね、七回から十回ぐらいの大きな上がり、下がりがあるんですよ。まあ長生きしながら、よーく自分の人生を思い出して最高のときと最低のときね、ちょっとマークしてみてくださいね。

グラフに書いて、たとえば四十二のときは倒産したなあってね。三十三のときは、あのとき、大病で入院したわ、なんてね。汚職でクビになったのは五十四。六十二のとき、孫ができてうれしいと思ったら、息子の嫁から家を追いだされたとかね。

よく考えてみると、七年から十年ぐらいで周期かあるようです。みんなこういうふうに周期があるというのは、やはり宇宙の運動法則のひとつなんですね、これは避けられないんです。ですから、そういうことを前提にしてね、もうひとつ考えにゃいかんことがあります。

それはね、やはり自分自身の現在の運勢がどういう状況にあるかっていうことはね、つねづね人間は考えておかにゃいかんのです。

これを決定論的にね、やっぱりいっちゃいけないんですけれどもね。何年の何月何日に生まれたから、今年は、もうなにも活動しないほうがいいなんて考えちゃあいけないんです。そういうふうにね、運命を考えちゃあいけないんです。

しかし自分のまわりの情勢をいろいろ見ていると、ついてないときって、やっぱりあるんですね。

自分もよく病気したり、家族もうまいこといかない。どうしても成功しない年っていうのがあるし、年が変わってひとりがうまくいき始めると、みんながうまくいくときってありますね。こういうときがあるんです。


8.自己の人生の周期の春・夏・秋・冬を見きわめて事にあたれ


こういうときを見ててね、人間は、その運の流れを見ながら、自分の心構(こころがま)えを決めにゃあいかんのです。

いま、自分の状態が、どういう時期が春の時期か、夏の時期か、秋の時期か、冬の時期か、これを見きわめる必要がある。この四分法でね。四分割するような考え、いま、自分は何時(いつ)の時期だろうか。

いまどうも冬だなあと思ったら、冬は試練のときですから雪がふりますけれど、これは厳しいけれど、厳しい冬のなかに一生懸命自分というものを鍛えておく。自分の精神を鍛えておくと、やがて春には花が咲くでしょうね。

ちょうどいま、受験シーズンですけれど、この冬の寒いときに一生懸命努力している受験生は三月に「サクラサイタ」「イナホミノル」とかね、そういうふうな祝電をもらうでしょう。

この冬なかに焼イモ食べながら、「まあいいや、そのうちに運が開けてくるわ。」なんてコタツのなかに入ってガァーガァー眠っているような人ってのは「イナホチル」「サクラチル」ですか、そういう通知をもらうんです。三月に。そしてショックを受けて、もう一年勉強させられるわけです。

だからいま、冬の時期だと思ったら、そうやる。で春のときだと思うと、これは希望のときだから、ここは一気にね、光明思想を持ってガンガンガンガンやっていかにゃいかんです。

春のときにはね、ようするに希望を持っていきなさい。春になったら何時(いつ)までも冬着、着てね、古いオーバーコート着たり、セーター着ちゃあいけないんです。こういうときには、ちゃんとクリーニングだして春は春の衣装に変えていきましょう。男の人でもね、ちょっと春の服を着て、そうするとなんとなくいい気分になってね、ああなんかよくなってきそうだなんてね、なんかそうしたら向こうの曲がり角から来る女の子なんか、みんなきれいに見えちゃって。

春先になると、なぜか女の子がきれいに見えてくる。春先に女性がきれいに見えてくるようになったら、まあひとつは幸福のシグナル。もうひとつは刑務所のシグナルです。みなさん気をつけましょうね。女性がきれいに見えてきたら、それは自分の心がよくなってきて生き生きしている証拠でもあるけれども、あんまり女性がきれいに見えて、上野の山かなんかで変なことをすると、変なところへ行っちゃうわけです。

まあだから両方の危険性があるけれども、あまり過度の行動は慎(つつし)んで、そこそこにがんばればね、春っていうのは希望のシーズンです。

そして夏。夏っていうのは、もう陽の照りつけるなかにね、ガンガン働くんです。ガンガン汗水たらして働くのが夏、だから夏は、かき入れどきです。体が真黒になるまで泳がなくてはいかん。汗の玉を光らせて一生懸命労働に励み勉強する。こういうときですね。夏に成果をあげるのです。一生懸命実績を作るのが夏です。

そして秋です。秋になるとようするに、その自分の実りというものを、しっかりとたしかめながら、そして凋落(ちょうらく)に備(そな)えにゃいかんです。冬に備えて心をひきしめていかねばいかん。自分の運がちょっと衰退してきたと思ったら、これは夏のときのようにガンガンガンガンやるわけにはいかんのです。これはちょっと手控えということをしなければいけない。事業でもそうです。個人のね、いろんな活動でもそうですよ。手控えをしていくんです。冬に向けてね。そしてまた冬になります。

こういうふうなもんで、自分の人生の周期をよく見きわめながら、力を蓄(たくわ)えるときと、それを発揮するときと、これを心得にゃいかんのです。本来力を蓄えるべきときにダーッとやってしまうと、ガクッとくるわけですね。


9.神理の伝道にも四季がある


たとえば、こういう神理の伝道なんていうのでも、力を蓄えるべき時期というのがあるのです。これは冬の時期ですね。そして春、芽吹いてくる時期があります。芽が吹いてくるときです。でこういうとき、やはり冬から春、雪のなかから芽を出してくるときの季節というのはだいじなんですよ。

この冬の寒気(かんき)のなかで、やはり力を蓄えていく。春に向けての力を蓄えておく。しっかり栄養を蓄えておく必要があるのです。そして、その厳しさのなかに自分の身をひきしめていく。こういう時期が必要なんです。

やがて春がきたら芽吹いていきます。そして夏になったらガンガンやります。そのうち神理の伝道でも、また困難な時期がくるでしょう。やがてちょっとなんかね、あまり教団が広がりすぎて変な人が出てきたり、あんまり評判がいいんでケチをつけたりする人が出てきます。まあこんなのは秋でしょうね。

そして冬の時期っていうのがありますね。冬の時期ってなんでしょうね。あんまり冬の時期っていうと、なんかそれが頭に焼きついちやって、やっぱり活動が鈍(にぶ)るといかんから、それは言わないけれども、まあ若干(じゃっかん)、停滞する時期もあるでしょう。そういうときには、またね停滞期には、また力を蓄えていく。こういうことかだいじなんですよ。


10.自分が絶好調の時には手控えして徳を積め


ですからテレビで名前を売っている評論家なんかでもね、毎日なら毎日出たり、毎週、毎週テレビ出て評論なんかやっていると、だんだん種がつきてきます。そしてあの人はいつも同じことを言っているっていうんであきられてきますね。やっぱりこういう人も人生の四季をしっかりつかんどかにゃあいかんのです。

いつも春ばっかり、いつも夏ばっかりだと思っているといかんよ。自分が売れっ子の最中というのはね、もうすでに秋の凋落(ちょうらく)の傾向が出ておるのです。

だから夏だと思っていつまでも肌を焼いてちゃいけないのです。そういうときには少しずつ控えていくんです。人気が出すぎて絶頂のときというのは、人間気をつけにゃあいかんのです。

つぎはもう凋落しかないんだから。自分が絶頂だと思ったときに、多少控えていくんです。そして冬に向けての蓄えを作っておくのです。これだいじなんですよ。これは人生の考え方です。

ですから自分がいま、最高潮、絶好調でね、もうだれからも批判が出なくてね、人気が出たと思ったときは手控える必要があります。

だからたとえば出演でステージに上がっても、三件に一件は、断わってみるとか、あるいは本なんかでね、ドンドン書けっていわれても多少手控えるとかね、こういう必要があるわけです。

じゃあ「高橋信次の霊訓集」はどうかと言われたら、もうこれは百万部突破するまで手控えしてはいけませんよ。ドンドンもっと出さにゃいけません。

二冊、三冊、五冊、六冊と、いっぱい出さにゃいけませんよ。これはもうミリオンセラーになるまで私は絶対あきらめませんから。

これは手控えてはいけません絶対に。ミリオンセラーになるまでは絶対手控えてはいけません。二万部や三万部売れただけで絶対手控えてはなりません。まあこれは心得てください。

まあこういうことは別ですけれども、まあそういうふうな心得ってのがあります。

だからあんまり調子がいいときというのはね、やはりどっかに徳を積んでおくのです。そういうようにね、力を蓄えておく。ですから事業家なんかでも、もうご飯食べる間もないほど忙しくて、忙しくてしょうがない人は心してね、やはり一日のなかの三十分か一時間、自分の時間というのを取りなさい。

自分の時間を取って、そのあいだに自分の反省をしたり、あるいは精神的な勉強、神理の勉強したりする時間を取りなさい。これは絶対だいじです。とくに気をつけるんですよ。


11.壮大な法を説く前には準備期間をおけ、というのがGLAの教訓


こういうことでなんでもいいです。宗教家でもそうですね。やたら評判が、いきなり出始めたら、そういうときには要注意しなければいかん。

そういうときにテレビに出たりね、ラジオに出たり、全国でまあいろんなことをして喜んどったら、ドスーンということがあります。そういうときにこそ、やはり手控えながらね、慎重にコマを進めていかねばいかんのです。

まあ新興宗教でもいろいろありますね。バアーッといっぱい会員入れちやってね、私は偉いんだなんてバアーッと飛び出しちゃって、少年、少女のスターみたいになってね。なんとか隊みたいになっちゃって。あんなのは、そんなに長いことは続かんでしょう。こういうもんになっちゃいますから、じゅうぶん力を蓄えにゃいかん。

高橋信次なんてのは、もうワン・ツー・スリーという指導霊から声がかかったらすぐ始めちゃって、最初七人相手に自宅で説教を始めて、それから「あれよ、あれよ」という間に、あなた何千人、何万人ね、死ぬ間際はもう何十万人いましたかね。四十万か、五十万いたかもしれません、会員がね。

あっという間に、七年ぐらいで七人から数十万人にまでふくれ上がりました。そしてあっという間にふくれて、先生がポキッと折れて死んじゃったら、いきなり大教団になったもんだから先生がいなくなったら、もう混乱してね。あと、支離滅裂(しりめつれつ)といったらいいすぎだけれども、もう弟子たちは、チリヂリ、バラバラになっちゃいました。

まあこれも考えてみれば、なぜかっていうとね、人がたりんのです。たりなかったと思いますね。GLAもね。私が一気に始めちゃってね、じゅうぶんな準備なく始めちゃって、ダーッと広げるだけ広げちゃって、全国各地でもう現象してまわってね。歩きまわって、悪霊出して、一生懸命悪霊と話して歩いていたから、悪霊が見たいから、みんな一生懸命ね、「オイ悪霊見に行こうぜ。」っていってね、一生懸命GLAきて見るようになりました。

それでお客さんいっぱい集まってね、お客さんいっぱい集まったから、これから木戸銭(きどせん)いっぱい儲かるぞと思ったときにパシャーッとね、崩れちゃうんです。こんなことありますね。

こういうことでGLAの教訓も、みんなやっぱり肝に銘じてほしいんです。私が準備なく、いきなり始めて、もう広がる放題、広げまして、あっという間にあの世に行っちゃって、あとがたいへんになりました。

私は霊現象が起きて、すぐ本を書いたから、なかには混乱がずいぶんありますね。まちがいもありました。まちがって考えたりしたために「あなたは偉大な光の天使だ。」なんて私が最初のころいっちゃったために、あとで取り消しできなくなったのが、いっぱいあります。いったん私が「あなたは菩薩だ。」とか「如来だ。」とかいっちゃってね、あとでね、「いやまちがっちゃって、あのときは、ちょっと早まった。」なんてねいって引っ込めると、本人怒っちゃうからね。そういうわけにはいかなくて、私がいったもんだから、もうすぐに偉くなって高弟になっちゃってもう、高橋信次の次に、釈迦、キリスト、高橋信次の次は俺だというような人でね、いまだに全国各地で説法しているような人もいます。

こんなの私が初期にまちがった人ですね。準備を置かずにやると、こうなるのです。まず準備を置いて春だと思ったら、そろそろ希望を出して、夏には、かき入れる。そして危いと思ったら、また手控えていく、そういうふうに、やはり人生は固める時期がだいじです。


12.人間として生まれたことの幸運に気づけ


運というのはね、運命というのはみなさん、そういうふうにね、うまーくね、準備期間と潮時(しおどき)あるいは春夏秋冬というのをじゅうぶんに考えながらコントロールせねばいかんのです。これはひとつの法則なんだから。この法則からはずれないように、しっかりとおさえていかねばいかんです。

そしてね、まあ先ほど動物たちの話いっぱいしましたけれども、ああいうふうな、いろんな動物たちを見ながら、もう一度ね、自分の運というものを考えてほしいんですよ。

ムカデに生まれなかったということの運の良さ、ウサギに生まれなかったことの運の良さ、カエルは水の中に入っても風邪はひかんでしょうけど、やはり風邪をひいてベンザでもいいし、朝鮮ニンジンでもいいけれども、そういうものを飲んで風邪治(なお)したいと思ってね、夜の七時から寝ているような苦しい人間もおるけれども、そういう人でも、やはり風邪ひいてでもね、まあカエルよりはいいでしょう。カエルは服着ませんよってね。カエルが服着たらね、それは、お笑いになっちゃいますよ。

そういうことでね、人間に生まれたこと自体がひとつひじょうに運がいいんだからね。自分が運がいいとか悪いとかいわずにね、先ほどいったような神様が創られたいろんな動物、蛇とか猫とか犬とかライオンとか、そういうものに生まれたら、どうなるだろうなあと考えながら、「ああ人間に生まれてラッキーだったね。」ってね。「運がいいね。」と考えていただきたいんです。

もともと僕たちは、もうね、なんとか占星術によれば、持って生まれた星がいいとか悪いとかいうけど「やはり人間に生まれただけでもいい星のもとに生まれたね。」って。そういう気持ちを持たねばいけません。


13.運命を超えるとは、人生の周期をよく見ながら、ひとつひとつレンガを積み上げていくこと


まず自分が幸福なんだと思って、幸福だけども、この幸福を確かなものにしていくためにはね、人生のいろんな周期というものを見ながら、賢く立ちまわっていかねばいかんということをね、忘れちゃあいけません。まあそういうことです。

まず幸福な存在だということに気づいて、運がいいということからスタートしながらね、その運の中味をうまーく運転していく。これが人生の秘訣なんです。こうすることがね、きょうの演題である「運命を超えて」ってことなのですね。

運命を超えるっていうのはね、自分の因縁を切るとか、たちまちこの身このまま悟って即身成仏(そくしんじょうぶつ)、即身解脱(げだつ)して、光の大指導霊になるわけではないんです。

そういうふうに人間的にあくまでもね、ひとつひとつ努力しながらレンガを積みあげていくように自分の運命を築いていきなさい。それがだいじなことですよ。

ま、いろいろといろんな話しましたけれども、まあきょうの私の話は、そういうことです。