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目次
















(1987年2月3日の霊示)

1.現代日本への天使の再来


きょうは、「天使の再来」という題がつきました。天使の再来ってなんなのでしょうね。

きょうはね、まあそんなに長く話をするつもりはないのですけれども、三つほど重点をしぼって話をしていきたいと思います。

第一点はね、いま日本という地に出ている天使軍団の話、第二点は、これから未来世の話をちょっとしましょうね。

それから三番目に、また申しわけないけれどもGLAの話をちょっとだけしようかなと思っています。まあ許していただけましょうかね。

印刷屋さんのおかげで、大量出版屋さんのおかげで活字組んでいただいて、高橋信次の個人的なことをいっぱい言うと申しわけないんだけれども、まあ売れますからいいでしょう。

自信を持って話を進めていこうと思います。

そういうことで、まずきょうは「天使の再来」という題ですけれども最初に私はいま、現代の日本に降(お)りている光の天使たちについてお話をしたいと思います。

もう霊言集の固定読者になっているかたがたは、いろんな光の天使たちが、過去幾転生繰り返して、さまざまな文明の地に生まれ、そしてまたいま、数多く日本の地にも生まれてきておるということを、すでに知っておられると思います。

たしかに日本という国はね、いま、私たちの世界から見てみるとひじょうに霊的なバイブレーションといいますかね、それが高まってきています。


2.九次元の地球儀


さて、ちょうど九次元にある私の近代的な家屋のなかには、理科系の人向きの設計技士みたいな人が使うようなスチール製のきれいな机があります。

まあそこで回転椅子に座ってギコギコやりながら、こう思索にふけったり、ものを書いたり、私はやっとるわけです。

そのスチール製の上品な、定価が少なくとも四、五万円以上するような、安いか高いかは判断をまかせますけれども、その机の左のはしっこには地球儀を置いています。

そして窓際にね、この地球儀を置いて窓から射してくる、南のほうから射してくる九次元の、ちょっとまぶしすぎるぐらいの明るい太陽の光をまともに受けながら、私の目はつぶれることなく、外の景色を眺めておるわけです。

そしてときどきですね、仕事の手を休めて左手を伸ばして、その地球儀をちょっとたぐり寄せてクルクルクルクルと、こうまわすわけですね。

人差指でクルクルクルクルまわすと日本が見えたり、アフリカが見えたり、ソ連が見えたり、アメリカが見えたり、いろんな国が見えます。

そしてね、この地球儀っていうのがみなさんね、旺文社とか学研とか、そういうところの付録の地球儀とは、ちょっとちがうのです。

そういうのじゃなくてね、私の地球儀はひじょうに性能のいい地球儀で、まあ直系三十センチぐらいの地球儀なんですけれども、それがね実物の地球そっくりなんですよ。

まさしく、もう手を突込めば太平洋にポシヤツと手がはいるような、そういう生々しい地球儀なんです。

だから水があり、エペレスト山があり、いろんなそういう姿がまざまざと見えて、水があるんじゃ下に漏って困るんじゃないかという人もいるかもしれませんが、その水が、どっこい落ちないのですね。

地球儀のなかに引力が働いていますから、水が落ちないように一生懸命くい止めているのですね。

まあそういう地球儀が水晶の玉の代わりに私の机の上にあります。

そしてそれをクルクルクルとまわしますね。そうすると、たとえばヒマラヤ山脈があってエベレストなんて山がありますね。

ああこのエベレスト山は、ちょっと前に出た『日蓮聖人霊示集』のカバーデザインに使われたエベレストだな。フーン、フーン、フンこういうところにあったんだなあなんてね。こういうのが見えます。

あるいは対馬海峡あたりで波が起きているなってね。竜巻ではないけれども、ちょっと風がきつくてパシャパシャと波が立っている。

これは、もしかすると『谷口雅春霊言集』のカバーデザインに使った、あの波かしらってね。

こういうむずかしいことを私は瞑想しながら、その地球儀を眺めておるわけであります。


3.いかにして地上の時刻を知るか


そして地球が一日、二十四時間かけてクルクルまわっておるように、私の目の前の地球儀もね、ゆっくり、ゆっくりとクルクルとまわっておるのですね。

そうして、ちょうど、どこの時間がね、いま、何時かっていうのがすぐわかるようになっているのですね。便利なんですよ、みなさんね。

その地球儀の上にね、なんといいますかね、カーソルみたいのがあってね。それが動いていくんですよ。

ちょうど私が合わせてやれば、そのカーソルが動いたところが、ちょうど昼飯の時間に合うようになるんです。

どこで、お昼御飯食べているかわかるように、ちょうど、お昼御飯食べているところに、そのカーソルが動いていってピターッと止まるんです。

あ、いま、アフリカがお昼御飯の時間で、アフリカの人たちが手でね御飯食べているなあとかね。しばらく動いていくと、お、インドだ、インドだってね。こりゃカレーの匂いがしてきたなんてね。カレーを手で混ぜて食べているなって。こういうのが見えるんです。

中国のほうへ行くと、お昼から中華料理食っとるなってね。そりゃそうだろう。

そうしていろんな地球儀がだんだん動いていってね、カーソルがいろんなところを指して、いろんなところの、お昼御飯がわかるのです。

私は食道楽ですから、いろんなところで、お昼御飯食べているものをジィーッと見ているんですね。

まあ、こういうふうにして目の前で地球儀が、やっぱり地球の二十四時間に合わしてゆっくりまわっておるのです。


4.意識を集中しただけで地球のどの地点でなにが起きているかわかる


だからあの世に時間がないから、あなたなら高橋信次がね、なんで私たちのやっていることがわかるのかと思うでしょうけれども、どっこいわかるのです。

そういうふうに私の机の上には地球儀があって、その地球儀がゆっくり回転していて、どこが何時かピタッとわかるのです。だから三時の時もわかるのですよ。

あの世には時間がないけれども、地上の時間がピタッとわかるようなしくみがちゃんとあるんですね。

そうして、そういう地球儀を眺めておると、ちょうどね、ジィーッと見つめておるとね、拡大鏡で見るようにね、だんだんその世界が見えてくるのですね。

だから太平洋にあるタヒチの島なんかポツンとこの地球儀に点があるけれども、高橋信次が意識を集中してタヒチではいま、可愛い子いるかなあと思ってジィーッと見ていると、その島がね目の前にドーンと大きくなってきて見えてくるんですね。

そしてじっさいにタヒチの上空で私がヘリコプターに乗って飛んでいるような気持ちになって、わかるのですね。

そしたら、あそこの子がミス・タヒチじゃないかなんてね。そういうふうに一発でわかります。

そしてまたタヒチに興味がなくなると、またズーッと視界が小さくなってきてタヒチの島っていうのは、地球儀のなかの一点になってポンと止まります。こんなもんなんです。

で地球儀のなかの日本を見てて、ああ日本はどうやっておるのかなーと思うとズーッとこう見ていくと、ガンガンガンガン目に近づいてきてね、大きくなってくるわけです。

そしたらゼロ戦に乗ったような感じでね、高橋信次がブーンってね、ブーンっていうとカナブンかハチみたいですけれども、まあハチでもいいですよ。

ハチになったみたいな感じで地球に近づいてくると、地球がドンドンドンドン大きくなってくる。そして見えてくるわけですね、上空から。

すると、おっ、九州が見えてきたな。

GLAの会員ちょっと減っとるかな、とかね。まあこういうのがわかります。

九州の佐賀県のお寺の坊さんが一生懸命、手紙書いておるなとかね。

あるいはジーッと見ていると上野にある印刷屋のおじさんが一生懸命、いま『正心法語』読んでいるなとかね、こんなのが見えるんですね。

こういうのが拡大鏡みたいに見えてきます。

おもしろい世界なんです。みなさんね、こういうふうに自由自在の世界なんで、こんなのありがたいですよ。

みなさんなんてビデオなんか買って一生懸命見ておるんでしょうけれども、そんなもん見なくても意識集中しただけで、地球のどの地点でなにが起きているか一発でわかるんですね。

そして拡大鏡で見るように、その世界が大きくなって、ズーッと目を通していくとなかで動いている人の心のなかまでわかっちゃうんですね。

きょうの晩御飯なんにしようかと思ってウロウロしている女性の心のなかなんて一発でわかっちゃうのですね。

そして高橋信次の霊言を収録するときのお茶が、これがコーヒーになるか、紅茶になるか、日本茶になるか。

あるいはアシタバ茶になるか、ほうじ茶になるか、あるいは玄米茶になるかね。

こういうのを、たとえば女性が考えているのが一発でわかります。

私は玄米茶よりも、むしろアシタバ茶のほうが飲みたかったのに、きょうは残念ながら玄米茶であるとかね。

こういうことを思いながら私は、はるかなる九次元世界から地上に降りてきて、この霊言を語っておるわけです。


5.私の仕事は日本各地に散らばった光の天使を目覚めさせること


さて前置きが長くなりましたが、そういう私の世界の地球儀を眺めてみると、地球上のいくつかの世界に光が出ておるのですね。ポッポッポッと光が出ています。

ですから日本を見ていると、日本というのをジィーッと見ていると、日本のやっぱり東京のあたりを中心にしてね、ポッポッと光が出ているのですね。

ちょうどホタルのお尻が光っておるように光がポッポッと出て点滅しているのですね。

こういう光が出ているということはなにかというとね、正法神理が説かれているという意味なんですね。

正法神理が説かれているところというのはポッポッと光が出ているのです。

ちょうど、だからいま、日本ですね。日本の東京でポッポッポッと光がついてます。

まだね日本各地にも、そういうなんといいますかね、ホタルさんがいっぱい各地に散らばっておるのですね。

ホタルちゅうのはね、お尻が煌々(こうこう)と光りますが、これが光の天使なんですね。

ホタルでも昼間は光らないでしょう。夜になって、お日様が沈んでいくと、こっちの水は甘いぞって飛んできてポッポッと光るのがホタルですね。

こっいうふうに光の天使たちがいま、日本の地に多数生まれておるんだけれども、昼間のホタルのように、まだ灯がついていない人がおるのですね。

そして東京とか、大阪とか、名古屋とか、あるいは九州、北海道、中国地方、四国、こういうところに私たちの世界から送り込んだホタルがいっぱいおると思うんだけれども、まだ、お尻に灯がついていないのが多いんですね。

ただ東京のなかではポッポッポッ、いま、灯がついてきて見えてきます。

あと四国のホタル、あるいは九州のホタル、北海道の小樽のホタル、こういうのがどうしておるのかね。

私はちょっと気になって毎日見てます。

やがてこうした送り込まれているホタルたちの、お尻から灯が出てくるでしょう。ポッポッポッと光が出てくるでしょう。これを見ているんですね。

こういうのが主として私の一日の日課なんですよ、みなさん。高橋信次がなにをしているか心配でしょうけれども、これが日課なんですよ。

地球儀をクルクルまわしながらね、どこでホタルがいま、点滅しているのか、これを見ているのです。

そしてホタルの火のつきかたが悪いと、ちょっと、ちょっくら行ってくるよ、てなもんで、外出着に着替えて、飛行服に着替えて、ブーンと飛んでいくのです。

三次元のほうへ降りてきて、あっちこっち棒でつっつくんです。

ちょうどね、ニメートルぐらいの棒を持っててね、みなさんがた、見えないでしょうけれども、羽はやして、ハチみたいに飛んできてね、ブーンと飛んできて、この人、ちょっと眠っているなというところにくると、指導霊が居眠りしていますから、「カーカー。」と居眠りしていますから、その精神棒、持ってきてパシーッと叩くんですね。

頭をパシーッと叩くと、昼寝していた指導霊や守護霊がパッと目を開いて「アレ!なにをするんだ。」ってね。そしたら「なにすんだって、おまえ、居眠りしているじゃないか。」 ってね。

そしたら守護霊が「居眠りしてなにが悪いのだ。したっていいじやないか。」ってね。

「いま、太平の世の中なんだから、わしゃ寝ているのが好きなのに。」ってね。

「あんた、なに寝ているのかね。寝るのは夜だけにしなさい。昼間から寝ちゃあダメなんですよ。」 ってね。

「あんたなんのために守護霊やっているの。」ってね。

「お宅のホタル灯がついてないじゃないの。」 ってね。

「ウーン厳しいこというね。そういえば、あんたさんはホタルさんの親分さんでいらっしゃいますか。」 ってね。

なにか、ずいぶん大きめの太めのホタルさんで、なんか体長百六十三センチメートルね、体重七十五キロぐらいあるような大きめのホタルさんが飛んできて、なにかポッポッ光っておるようだからね。

守護霊も驚いちゃって、こんな大きいホタル見たことがない。こんなホタルが精神棒人れるんじゃ、こらあたいへんだっちゅうんでね。

「わかりました。ただいま、点火いたします。」 ってね。

火打ち石でね、なんというか火を起こす石でね、パシッパシッパシツと、こう叩いてね、ホタルのお尻に灯をつけるわけです。

まあ、こういうことをやるのが私の仕事で、いま、日本各地に飛んでいっては眠っている守護霊を精神棒でパシーツと叩きながらね、火つけ石でね、灯をつけさしとるのです。カチカチカチってね、やらしとるんです。

日本中の眠っているホタルたちに「目を覚ましなさい。」これを言ってまわってます。


6.天上界に還(かえ)っても、いまだに救世の熱意は冷(さ)めない


だけどもじっさい、空を飛んでひとりひとりに言ってまわっているとたいへん疲れるんですね。

エネルギーが切れて、私もお腹(なか)が空いてきますから、そればかりでは困るんですね。

だから、いま、『高橋信次霊言集』だとか『高橋信次霊示集』だとか、いろいろ使いわけしながら、こうして本を出しとるわけです。

こうして日本各地の何万、何十万の読者にね、読まそうとしているのですね。

そうすると私が飛んでいって精神棒で殴っていかなくても、本を読んだら、「おーっ、これは高橋先生じゃないか。」ってね。

「まちがいない。いやあ懐かしいねえー、十年ぶりだね。」なんて、「いやあ、出てきましたねえ、ついに出るべきもんが、出るべきものが出ましたねえ。」なんてね。

こういうふうに、あっちこっちで、いっています。つぶやいている声が、みんな聞こえてきます。

えーそういうことで、私の本を読んでね、いろんな人が反応しているのが見えます。

反応しているけど、まだ灯がついていないのでね、これは、ちょっと守護霊集めてね、教育したりしなきゃあいかん。

まあ、こういうことでね、みなさん、やらなきゃならないことが、やたらあってたいへん忙しいんですよ。

高橋信次が暇かと思ったって、そんなことないんです。もう一日のうち大部分は地球の上に出てきて飛びまわっておるのです。

私にはUFOなんてありませんから、もうこの身、このままで出てきて、つつきまわっとるんです。

でまあ、私の霊言集をね、まあ、できるだけ早く、できるだけ多くの人に、できるだけ大量に読んでいただきたいというのが私の願いなんです。

そのために私みずからが、出版社の開拓をしたり、あるいは宣伝の方法を言ったり、一生懸命尻を叩いておるのです。

まあ、これがね、私たちの救世の願いなのですね。

まあ、この前、『幸福瞑想法』(土屋書店刊)という本のなかで、ブッダ意識というのは、「私にはまだ執着がある、それは世のひとびとを救いたいという意識じゃ。この世のひとびとを救済したいという意識が若干残っています。」なんてかっこういいこと言っていましたけれども、私の執着も、まさしく同じであって、世のひとびとを救済したいと、こういう執着が残ってるわけです。

こういう清い執着が残っとるんです。どうかみなさん、この執着を取ってください、私のね。

私の、この清い執着さえなくなってしまえば、つまりみなさんのしかるべき人たちのお尻に灯がともってね、ホタルみたいに光ってくれれば、私は、もう安心して執着を断って成仏できるのです。

そして地球圏外から出て、どこか隕石(いんせき)かなにかに宿りながら生きていけるのです。

まあ、私はそういうふうに成仏できることを願っておるんですけど、なかなか、そうはいかんのですね。そういう執着がなくなりません。

そういうことで仕事をしています。


7.三名の如来、五十名の菩薩、百数十名の諸天善神たち


でね、いま、私が見ていると、日本には、光の指導霊が、けっこう出ておるんです。

そうだね、いわゆる如来っていうのが出ているか、出ていないかまあ、これは、ちょっと秘密もあるからね、まあ言えないんですね。

けれども、ウン、もしかしたら如来になるかならないか。はいるかはいらないか。ややこしい微妙だなというような人というのはいるんですね。

いま、1歳の赤ん坊から、まあ0歳でもいいけれど、0歳の赤ん坊から、九十歳のおじいちゃん、おばあちゃんまで入れてみると、そういうふうになるかならないかというスレスレの人っていうのは、まあ、三人ぐらいは、いるのです。じつはね。

菩薩になるか、如来になるか、わからないっていうような境涯の人というのは三人ぐらい出ているのですね。

こういう人たちにね、ほんとうに灯がつくかどうかね、これがひじょうに私たち心配なんですよ。いるんです三人ぐらいね。

そうすると、ここまでいうと、かつてGLAで私の教えを受けた人たちは、「おれじゃないか。」と言い寄る人がおると思います。

けれども、まあ、それは話をよーく最後まで聞いてから判断してくださいね。そういうことなんです。

そういうことでね、まあ三人ぐらいね、七次元から八次元の、その境目ぐらいの人たちがいます。

こういう人たちに灯がつくのを私は待っています。

それから、いわゆる七次元の菩薩というような人たち、日本に、けっこういま、多いんですね。

まあ、どうでしょうかね、私の目に映るかぎり、まあ、そうだね、いわゆる光の天使としての菩薩の人っていうのは、まあ、五十人はいるかな。

生きている人で、五十人ぐらいいると思いますよ。もともと菩薩の人というのは五十人ぐらい出ているでしょう。

ただ五十人のなかで、まあ現在、菩薩の自覚を持って生きている人は何人おるかっていうと、これは心もとないね。ひじょうに心もとないです。

まあ菩薩の悟りを開いている人っていうと、そうだね五十人のうち、まあ、これを聞いてガッカリする人がいっぱいいて困るだろうけどね。

そうだね、菩薩の意識がある人が六人ぐらいかなあ、いま、見ててね。五十人出ているうちの六人ぐらいが、なんとか菩薩っぽい悟りを持っておるようです。

まあ、これも、かつての私の弟子たちがいろいろ聞きたいでしょうから、これは、またのちほど話します。こういうことで、まだ四十数名、目覚めておらんのです。

これ以外にも、もちろん神界上段階の諸天善神たち、いっぱい出ていますね。こういう人たちも今世、まあブッダの法に触れて悟る機会が与えられています。

そうすれば、やがて菩薩としての悟りに至って活躍する機会も、もちろんあるのですね。こういう諸天善神たちもそうとう出ていますよ。

まあ、将来、予定されている、そういう人たちも、そうだね、やっぱり数十人いるようですね。いるみたいですね。こういう人たちがいます。

まあ、こういうふうにね、全体としたら、そういうふうに菩薩、あるいは諸天善神のかたがた、こういう光の天使といわれるかたがたが、日本には、まあ、そうだねぜんぶかき集めたら、そらあ百人越えます、もっといます。百人から二百人近く出ておるでしょう。

けれども消え込んでおるホタルもおるんでね、正確な数がつかみにくいですけども、百から二百は、おるのです。少なくともね。

こういう人たちが、まだ目覚めずに産業界にいたり、あるいは教育界にいたり、政治家やってたり、まあ、いろいろしておるわけです。

まあ目覚めて宗教界にはいってきておる人もおります。まあ、百か二百ぐらいおるのです。そういう諸如来、諸菩薩がね。


8.全国の光の天使よ、集結せよ


こういう人たちがまちがいなく私たちの教えにたどりついて、まあひとつの大きな中心をなしていくことを私たちは願っとるわけです。

そのためにね、日夜ハッパをかけてね。ドンドンドンドン本を出せといって、昼御飯も食べられないぐらいまで仕事が山積みになっているわけです。こうやって本を出さしとるわけですね。

そして多くの人たちに気づいてほしい、目覚めてほしいと思うわけなんです。そういうことでね。

いま、私たちが願っておること、希望しておることは、いまから二千数百年前のインドの釈迦教団のように、そうした光の天使たちが、やはり百名、二百名集まってくることをいま、祈っとるのです。

日本各地に散らばった光の勢力たちが、やっぱり結集してこないとほんとうの意味での文明創り、宗教改革、あるいは救世の事業っていうのは成せないのです。

それぞれがバラバラでね、あっち、こっちで飛んだり、跳ねたりしているようではダメなんです。

菩薩どうしでね、「俺のほうが偉い。」、「いや、おまえのほうが偉くない。」とかね、いろんなことをやっているとぜんぜんダメなんです。

それぞれ一宗一派を起こしてなんとか会とかいっぱい創っちゃってやっているようではダメなんです。

早く結集してこなければいかんのです。ほんとうの力が出るためにはね。

そういうことで、なんとか、ここ数年のうちに、そうした散りばめられた光の勢力たちを一点に集めたいと思っておるのです。

そのために私たちはね、まあ過剰サービスとも言えるような霊言を、仏教系もキリスト教系も神道系も、あるいは古代ユダヤ教、儒教、道教、あるいはGLA教、こういうものまで提示してすべての勢力をいま、集めようとしています。

こうやって光の壁を創っておかないとね、これからの厳しい魔界の試練に耐えていけないのです。

みなさんは、ぼんやりしておりますけれども、だんだんに全世界というのが、いろんな暗い事件に見舞われていくんです。一時期ね。ですから闇の勢力が地上を覆(おお)うように見えるのです。

したがって、この時期にね、いま、日本にポコポコ光がついてますけれども、光の勢力を結集してね、光のドームを創らなきゃいけないのです。そのためには早く全国津々浦々からひとびとを集めにゃいかんのです。

まあ、こういうことで私たちはやっとるのです。

どうか私の言葉を読んでもね、「自分こそ、そうじゃないか。」ってね。この勘違い、けっこう多いんですけれどもね。

来ておる人で、ちょっとまちがっちゃってね、求職運動かなんかしちゃって、「自分こそ、そのきたるべき光の天使じゃありませんか。」とかね、一生懸命ゆうとる人もいます。

まあ、これも誤解も多いですから気をつけてください。まあ、たいてい七、八割は誤解ですから。

光の天使ならみずから、お尻を光らせてみなさいってことですね。誤解がずいぶん多いでしょうけれどもね。

まあ、そういう誤解を除けば、ほんとうに光の天使たちも、きっと寄ってくるはずです。それを私も期待してます。まあ、それがねきょうの「天使の再来」の第一点です。


9.救世運動は、タイ、インドネシア、オーストラリアヘと広がる


第二点はね、これからも、この救世運動というのは地上に広がっていきます。日本を中心に、これから五十年間、ひじょうに大きな盛り上がりが出てきます。

そして、これから東南アジアのほうにもね、光の指導霊が数多く出ることが予定されています。

西暦二千数百年には、タイとか、あるいはインドネシアのジャカルタとか、こういうところにも如来界から偉大な光の天使を送り込む予定になっています。

あるいは、やがてね、オーストラリアのほうにも偉大な光の大指導霊が出るでしょう。

オーストラリアは、その昔、イギリスからのようするに罪人の流刑の地であって、人材に恵まれておりませんでしたけれども、いま、ひじょうにいい土地になってきておりますね。ひじょうにすばらしい国になってきつつあります。

人口は、まだ二千万人か、三千万人ぐらいでしょうけど広大な土地です。日本の二十数倍の広大な土地で、すばらしいきれいな景色があります。

こうしたところにいま、心清い人たちがだんだん集まってきてますね。

やがてね、オーストラリアからも大きな光が出てくるでしょう。私たちには、それがはっきりわかります。

そしてまもなく、まず海外の支部なんかも、オーストラリアにできると思いますけれども、そういうのがひとつのきっかけとなってね、やがてオーストラリアにも神理が広がっていくでしょう。

そして、そこに、また偉大な光の指導霊が出ます。

ですから、タイのバンコック、そしてインドネシアのジャカルタ、それからシンガポールにも出ますよ。シンガポールにも偉大な光の指導霊が出ます。

それからオーストラリア、ここにも、ここ百年ぐらいのうちに光の天使が出ます。みな、如来界の人です。

まあ、九次元の人はいまのところの、予定はまだされておりませんけれどもね、ここ五百年ぐらいは。八次元からはね、上段階の偉大な光の大指導霊が出ることになっておりますから。

日本のみなさん、あなたがたの現在の神理の復興運動というのは、そんなに、ちっちゃいもんじゃないんですよ。

これからインドネシアに、東南アジアに、そしてオーストラリアにと広がっていくんです。もう予定されておるんですよ。つぎつぎと段階がもう予定されておるのです。

タスキかけてね、もう五十年走って、「もう、くたびれた。あー困った。暑い。あー水が飲みたい。レモンがほしい。」なんていって毛布にくるまれて倒れかかってくるときにはね、つぎの走者が走り始めるのです。

もう、それは決まっておるのです。

だからみなさん、その最初のスタートなんです。いまがね。第一走者なんですからがんばらにゃいかんのです。まあ、そういうことであります。


10.GLAでの過去世認定の誤り


まあGLAの人たちにたいしても、ちょっとだけ天使の再来について意見をいっておきましょう。

まあ私が出たときに、ずいぶん偉いかたがたがまわりに、いっぱい出たことになっておるのですね。まあ、ずいぶん如来や菩薩がボコボコ出ちゃって、すごい人材が豊富だったんですね。

それだけの人材がいたのに、なんか高橋信次がいなくなると、急になんか消えちゃってね。「あれっ、あの人たち、どこへ行ったのかなあ。知らないけど、どこへ行っちゃったのかなあ。おかしいなあ。」なんてね、思っている人がいっぱいいるでしょう。

この前も、ちょっと言いましたけれども、たしかにね、過去、現在、未来を見通すという、三世を見通す力をいちおう持っとるということになっておるわけであります。

けれども、いかんせん、やっぱりね、露払い、あるいはパイオニアというのはね、ひじょうにむずかしいのです。初めてやるとね、やっぱりテキストがないもんですからまちがいも多いのですね。

そういうことで、いろいろちょっと誤解もあったし、それから私自身の知識量の不足っていうのもありました。

私が電気屋のオヤジでね、「電気のことはわかります。宗教のことはわかりません。」で胸張っていばってね、宗教のことはわからないし、本なんか読んだことないけれどもね、「これは仏教の仏典のなかの第何巻、第何章に出てくる現象で、あるいは聖書のなかで、ここに出てくる現象です。」なんていうことを、一生懸命、偉そうに言ってました。

「読んだことないのに、わかるなんて偉そうに言わずに、ちゃんと読んでから言いなさい。」と親切に、あの世で言ってくださる人もいます。

そのとおりなんですね。一生懸命、勉強してから言えばよかったんです。

聖書読んだことない人が、おまえ、過去世でイエスの弟子のなんだった、かんだったいったら、そりゃ、まあ混乱が起きるんですよ、当然ながらね。

仏典読んでいない人が、おまえ、釈迦弟子のなんだった。そのときになにかを寄進したなんとかだったね。そのときに便所掃除をしたのは、あなただった。そのときにミルクを差しだしたのはあなただった。そのときに絹を持ってきたのはあなた。そのときにお粥(かゆ)をだしたのは、あなた。

こういうことを一生懸命いって歩いたのだけれども、やっぱり知識がないっていうのはね、いかんせん悲しいことでしてね、誤解もずいぶん多かったのです。

ですから私の現象のなかで、インド時代の過去世というのを、ひもといた人がいっぱい出てきましたけれども、まあ当たっているのもあるし、当たっていないのもあるのです。

「おまえ、これだろう。」っていったら「うん、そうだ。」という人がいてね。

「じやあ、そうなんだろう。」という人がいてね、けっこうあるんですよね、そういう誤解が。

ですから、まあ、これはほんとうは正誤表作ってね、一冊の本にしなければいかんのですけれども。


11.如来や菩薩の条件


生きている人のなかで、私に言われたことを後生だいじに思って、私は過去世に、こうだったっていうんで、生きている人がいっぱいいます。

そのわりには現状があまりひどいもんで、悩みの種になっている人がいます。ほんとうのことを言うと、過去世で偉くなかったとしたら、もう安心しちゃってね。

「やっぱりそうでしたか。ああ、楽になったね。ああ、これで肩のコリが取れちゃった。一気にもう治りました。」とね、こういう人もいると思いますけれども。

具体的な名前を出せないのがひじょうに残念でしょうがないのですが、まあ私の弟子たちでね、いま、一派を起こしている人たちは、まあ誤解をしている人たちがずいぶん多いようです。

九州のかたでもひじょうに誤解をして、まあ「宇宙即我」を悟ったと思っておるかたですけれども、やっぱり、ちょっと、これも誤解の口であったようです。

本人は、私に言われたということでね、後生だいじに思っておるようだけれども、やっぱり宇宙即我というのは、そうかんたんには悟れんのです。

そう悟ったような気がしただけであってね、それがほんとうの宇宙即我じゃあないんですね。

宇宙即我は、やっぱり本物の如来じゃないと悟れないんですね。

もし如来が、私の弟子におれば、もうちゃんとした教団をひき継いでやっております。それができないということはね、やはり、その人は如来ではないということなのですよ。

如来の条件というのはみなさんね、自分で新たに一宗一派を起こしていける人、新しい時代を築いていけるような人、このぐらいの人が如来なのですよ。

単なる宗教の復興運動をやっておるだけじゃ、これは菩薩なんですね。中興の祖ぐらいでは菩薩なんです。

GLAの高橋信次の教えの中興さえ、できんようではね、菩薩といえるかどうかも怪(あや)しいんです。

あるいは、あるところにもいるでしょう。

モーゼのような気持ちで一生懸命、法を説いてやっている人がいますね。こういう人なんかも、おそらく自分が、もう八次元というよりは、九次元の存在だと思っとるかもしれませんけれども、どっこい九次元のモーゼは、こっちにちゃんとおりますし、彼はモーゼの分身でもありません。

モーゼの分身が出とるというなら、あなた、そりゃ東京湾ぐらいまっぶたつにしてごらんなさい。

できますか、できんでしょう。たぶんできないと思いますよ。できないのです。そんな力、ありゃしないのです。

そういうことでみなさん如来というのをひじょうに誤解しておるけども、如来というのはね、独自で新しい文明の基礎になるような法を説ける人なんです。ひとりでやるんです。

私の弟子になって、クモの子散らすように散らばって、あっちこっちでガァーガァー言っているのが如来じゃないのです。そんな如来など、おらんのです。

菩薩であるのならば、正しい教えで、ちゃんとひとびとを導けるはずなんです。それであってこその菩薩です。

菩薩であるならばね、二代目の教祖や、三代目の教祖ぐらい、ちゃんとできるんです。まあ、もとが菩薩だっていうことじゃなくてね――。

現在、菩薩の境地であればということですよ。当然のことです。


12.過去世の名に執われず、もう一度原点に立ち返れ


まあ、そういうことでほんとうは私も、はっきりと言いたいことがいっぱいあるんですけれども、それを言うとね、傷つく人もおるし、恥をかく人もいるからね。

講演会でみなさんの前でね、「私は過去世、なにだったんですよ。」なんて言っている人がいますから、それがかわいそうだから言えないんです。

私だって講演会で言ったことありますね。

私をつかまえて、会場の人が出てきて、「ゼウス様、お久しうございます。」「ウンウン、まあ。」まあ、ゼウス様って言われたら、そう悪い気がしないので、私だって、うなずいたこともあります。

「ブッダ様」と言われたら、それももちろん悪い気はしないから「そりゃそうだ、いや懐かしい。」と言ったことあるし、いや「私は天台智覬です。」と言ったことだって、もちろんあります。

私は悲しいことにね、私のまちがいが、ちょっと霊的な自覚がたりなかったために、私の体のなかにはいってきたもの、私を支配して語ったことがある者は、ぜんぶ、私自身だと思ったことがあるんですね。ところがじっさいは、そうじゃないんです。

もちろん高橋信次の生命体というのは、個性を持った高橋信次以外にもありましたけれども、それはエル・ランティという巨大な生命体であってね。

その意識が、ちょこちょこ出てきているようなことはないのです。反省的瞑想というようなことを、それが出てきていうことはないんです。

まあ、そういうのは過去世の仏法者たちであってね、もちろん私の、ある意味では、弟子筋にあたるけれども、そういう人が私を通じて語っておったんです。それを勘違いしたことがありましたね。

そういうことで、ひじょうにみなさん、私にも原因がありますけれども、まちがいが多かったと思います。

ですから如来の条件はね、ひとり立って正しい法を起こしていけるぐらいの人、これが如来であり、菩薩というのはね、正しい法灯を継いでいけるような人、これが菩薩なんですよ。

だから、いま、諸宗でわかれて足の引っぱり合いだけしておるようじゃ菩薩でもないっていうことです。

これをはっきりしなければいけません。自覚してください私の言葉をね、自覚をしてみてください。

まあ、これは私にも原因があるから、あまりみなさんに、厳しいことはいえないけれどもね。そういうつもりで生きてください。

ですから過去世で自分は偉かったなんて思ってね、ふんぞり返っているような人は、もう一回ね、それを取り去ったときに自分自身が偉いかどうかをね、もういっぺん、考えてください。

GLAの教えのなかでいちばんいけないのは、過去世で、その人が偉かったから、いまも偉いといって、えばっておるのがいちばんいけないのです。

過去世、偉くなくてもよいのです。無名でもよいのです。今世でいいことを言っているのが偉いのです。

そういうことでね、過去世のことを、いろんなこと、みんな意識しすぎるけれども、過去世で偉い人か、どうかということを気にしないで、今世で偉くなるようにがんばんなさいね。

それがとくに私はGLA系統の人たちに、言わねばならんことだと思う。

過去世、自分がシャーリープトラであっただとか、モーゼの弟子のアロンであったとか、まあいってみれば親鸞(しんらん)であったとかね、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)であったとか、いろいろ言われたかたもいるでしょう。

けれども、そうしたことが事実かどうか別として、それらに関係なく、あなた自身が、現在、如来の境地に達しているか、菩薩の心を持って修行しているかどうか、これをもう一回ね、原点に立ち返って考えてみてください。

私は、これをとくにね、みなさんがたにお願いしたいと思います。

まだみなさん、亡くなるまでには、五年や十年の人生はあるでしょう。その間にじゅうぶん反省していただければね、あの世で、私が一生懸命、あなたがたを説教する手聞か、省けるから助かるんです。

どうか努力してみてください。

まあ長くなってもいけませんから、きょうは天使の再来という話をね、そういう話でしめくくりたいと思います。ありがとうございました。