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目次

 1.悪霊の諸相

 2.悪霊の本質




 6.正しき信仰




5.悪霊から身を守る方法


それでは本書の読者のいちばん気になるところ、関心のあること、これについて触れていきたい。どうやって悪霊から身を守ったらいいのか、ということですね。これを教えてくれ、これを教えてくれたら、この本一冊千円出して買ったってもう安いもんだ。どうやったら身守れるかなー。ねえ。この『高橋信次の天国と地獄』、これを懐(ふところ)に入れておったら、と思う人もいるでしょう。

実際、霊言集っていうのは、あの世から霊視するとピカピカ金色に光っとるんですね。だからそうした本があると、悪霊でも天国霊でもよくわかります。私が書いた本もそうですけどね。金色に光ってるんですねえ、本が。こういうことありますね。だからそういうのを持っとることだって、お守(まもり)になるかもしれませんけどね。まあお守あんまり薦(すす)めるわけにもいかんし。

そこでね、悪霊から身を守る方法について、まあいくつかのやり方、これをね、筋立てて話をしておきたい。こういうふうに思うわけです。それでね、悪霊にやられる原因はもちろん自分の人生に何らかの苦悩があることが多いんだなあ。まず、苦悩があることが多いんですね。だから悪霊から身を守る方法は苦悩を取り除く方法ということと、結局は一緒になっちゃいますね。

だから苦悩を取り除く方法は、人生の、これは何だろうかということと、結局一緒ですね。日々爽(さわ)やかな生き方ができるようになれば、悪霊はいなくなるんですね。

だから、まず、第一点はね、間違った宗教信仰ね、これやめることです。救われに行って、宗教で悪霊もらってくるのいっぱいおるんですよ。そこでもらっちゃってね、あなたお御霊(みたま)とかいっぱいもらっちゃって、その中に悪霊いっぱい入っとるんですよ。そんなのぶら下げて、首から。風呂に入る時もはずしちゃいけないなんて一生懸命やっとるのだ。悪霊が入っとるとも知らすに。こんなばかなことを一生懸命やっとる。だから間違った宗教団体に近寄らんことね。これ第一です。

こんなとこ行っとったら、いつまで悪霊追い払っても供結源がありますからね、いくらでも来ますよ。だからまずおかしな宗教団体、宗教には近寄らんこと。これが悪霊から身を守る方法の第一です。供給源をまず断つことですね。これが第一。

それと二番目は、間違った先祖供養なんかはやらんことです。先祖供養、先祖供養なんて言って、まあこれも宗教と関係ありますが、こんなことやっておって、先祖が集まって来るのがほとんどですから、まあそういうことはもうあんまり気にせんこと。間違った先祖供養はやらんことです。

自分自身も見えんのに、他人様救うことなんかできやしないですから。こういう余計なことせんこと。この一番、二番は要するにね、悪霊との折衝を断つことです。交渉を断つことですよ。まず断たないかん。供給源止めないと、やっとったらいつまでたっても来るからね。一番、二番、もう間違った宗教団体の出入り禁止。「触らぬ神にたたりなし」、ね。

二番目は、もう先祖供養ほどほどにすること。供養して救えるならいいよ。救えもせんのにするなっていうことですね。救えるならいいよ。お念仏唱(とな)えて、お題目唱えてね、お経唱えて救えるならやってもいいよ。救えやしないよ。法華経唱えて、あなた救われる人がいますか。絶対いませんよ。じゃああなたね、唱えてるあなたあの世行って、法華経唱えられたら成仏するかい。しやしないだろ。そんなんじゃないはすだ。自分の心と行ないの過ちを正さないと、反省はできないですね。お経を唱えられたって成仏は絶対ありませんから、ね。そのへんを間違わんで下さい。

三番目はね、何かって言うと規則正しい生活ですね。これ大事ですよ。規則正しい生活。だからまあ色心は不二と言いますがね、心と体のバランスは大事ですから、不健康な生活はあんまりしないこと。これ気を付けて下さいね。特に夜型の人は危ないですよ。気を付けないとね。僕も夜遅くまで仕事してたけどね。これはまあ、そういうこともあるけども、健全な生活なるべくするようにね。これ気を付けて下さいね。ま、この辺で落とし穴入りますからね。ご飯もよく食べて、よく睡眠をとること。

悪霊はたいてい睡眠不足、肉体の疲労、このへん狙ってきますよ。ね。だから、『高橋信次霊言集』でも言ったけども、心と肉体の二刀流でいかなきゃいかん。だから睡眠不足は危ないですよ。憑依(ひょうい)されやすいです。それと肉体の疲れね。これも早目に回復するように気を付けにゃいかん。まあこれが三番目でしょうかね。

悪霊から身を守る方法の四番目。これはね、感情中心の生活はあんまりせんということですね。まあ自分の一日をよく振り返ってみてはしいんですね。感情で振り回されるような生活をしておらんかどうかね。たいていその感情の部分で、要するに地獄を創ってるんですね。

だから感情の部分の管理、これ大事にしなきゃいけない。もうちょっと理性的でありなさい。もうちょっと知性的でありなさい、ということですねえ。

感情中心の生き方をしておる人、いるんですねえ。感情が自分の考えだと思っとる人いるんだな。もうカーッとくるだけね。とにかく。こういう人います。もう頭来たら力ーッ、ね。カーッ、なんでもカーッときちゃうね。こういう人います。怒りの想念ていうのは大変なものですよ。ねえ。ビニール袋の中に、あなた怒った時にカーッとした息吹き込んで、金魚鉢の中へ入れたら金魚コロッと死んじゃうんですよ、もう。私も実験しました。コロッと死んじゃうんですよ。それぐらい怒リっていうのは毒素が入ってるんですね。で、怒りの念波を持ってると、もう体中毒素で体が弱ってくるんですね。そういうことあります。

だから感情中心の人ね、まあ喜びだっていいんだけど、あんまり有頂天(うちょうてん)になって頭の天辺(てっぺん)から抜けるような喜びってのはこれも危ないですよ。もう、すぐ感激して、感激して、カーッと感激しちゃってね、「もうすばらしい、ステキ、なんというお姿、もう涙がこぼれます」なんてこんなのやってたら、こういうのも憑依されやすいですよ、こういう体質ね。よく宗教団体にありますけどね。教組様見て「あのお姿、もうほんと見るだけですばらしい。お姿見るだけで涙がこぼれる」ってこんなのいっぱいありますが、こういうふうに感情の起伏の激しい人は危ないですよ。

もうちょっと、中道に入ってね、自分の感情をコントロールして、あんまり波が出ないようにね。平常心ということですね。だからこの平常心ということをね、もうちょっと重視しなきゃいけない。

平常心がなくなった時に、憑依されやすいですよ。だから毎日、毎日安定した精神生活をできるように。こういうふうなこと。これ大事ですね。安定した精神生活。これを忘れんようにしていただきたい。感情に振り回されないように。自分が感情型人間になっていないかどうかね。こういうことを知ってほしい。

まあそれを前提として次はね、やっぱり、知性を磨いとくってことも大事ですね。これ大事ですよ。だからこの世的に立派な人の考えを学んでおくっていうことね。これ大事ですよ、それによってそういう感情のブレとか、間違った信仰、宗教なんかのね、こうしたものの間違いを食い止めることができる。そういうことで、知性を磨くってことも大事です。

だから頭が弱くなっとらんかどうかね。信仰もいいけど、もう信じます、ただ信じますって言う人は、もう頭が弱くなってます、たいてい。「鰯(いわし)の頭も信心から」で頭がよわーくよわーくなってますからね。こういう人はほんと頭が弱ってると思ったらね、よくよく反省をしていただきたい。こういうふうに思います。だから頭を鍛(きた)えることも大事ですね。

だから特に主婦なんかは危ないですね。主婦の参加している、女性が多い宗教っていうのは間違いがほとんどですね。他力信仰です。みんなもう御利益で、「何かくれんかな」ね、「何かいいことないかな」ね。もうたいていそうです。女性が多いと間違ってます。たいていの場合ね。それは他力信仰へ行くからです。知性か弱いんです。

努力してやるのがもういやなんです、女性の場合ね。とにかくなんかくれたらいいんです。お札(ふだ)でもなんでもいいから、もうくれたらいい。御利益ありゃいい、ね。それは努力するという姿勢を怠ってるんですよ。努力して自分の人生観を磨き、知識をつけ、そして知力をつけて、正常な判断、正しい物事の判断、こうしたものができていくようにね、そうした工夫、これ大事ですよ。これをやらないかん。こういう努力を失っちゃいけません。まあその点、特に注意を要すると思います。


6.正しき信仰


そこで本章を閉じるにあたって、最後に正しき信仰とは何か。まあこういうことを、私は話を締めくくりとして、しておきたい。こういうふうに思います。悪霊と憑依(ひょうい)、これが跳梁(ちょうりょう)しておる原因の一つは、ま、ほんと宗教の存在ね、これが多いわけです。地上に降りておる宗教家、あるいは宗教の数のうちのもう九十何パーセントは間違いなんですね。悪霊のとりこになってます、教祖から、信者が、みんな。こういうふうになっとるから、ほんと難しいですね。

だからこれをどう正してね、どう正しい信仰を取り戻すか、これが肝心ですね。ただね、僕は思うんですが、まあ正しい信仰の出発点はね、第一はやっぱり自己確立だと思います。一番目は、自己確立ですよ。これしかありませんよ。だから自分が向上してるかどうかですね。自分が向上しないような教えはもうやめたらいいんです。

一日にあなた、もう般若心経だの、法華経でもいいけどね。一日そんな八時間も十時間もそんなお経をあげるためにとられてどうしますか。写経もいいけど、そんな何百万枚もしてどうするんですか。それ一体何の役に立つんですか。わからずに、とにかくやることがいいなんてやっておるんでしょう。だからまず自己確立。自分を高めるような信仰かどうかっていうことね。やっぱり、これがいちばん大事な確認点、これになってくるんじゃないでしょうか。

自分の人格が下がるような宗教、だめです。やめた方がいいです。だからまず自己確立。自分を高めて確立していく。こうした教えがあるのが、正しい信仰のあり方ですね、これ第一。

第二番目は、まあ自己保存に陥らないようにする工夫ですね。とにかく自分がかわいい、自分がかわいい。あるいは肉体中心の生き方ね。こういうふうになりがちです。だから、これに対する警告とブレーキは非常に重要ですよ。自己保存欲、これを捨てなさい。

自分がかわいくて、かわいくて信仰するのはやめたらいいです。そんなのやめた方がいい。自分がかわいい人は、もうほんとワックスかなんかで自分の体でも磨いてなさい。もうその方がよっぽどいいから。だから自己保存欲の増長、これはやめなさい。自分がかわいい、かわいいって言うのは、これダメ。こういうのは、一切ダメです。こういうのが地獄霊の発生原因になるから、もうダメですよ。

自分がかわいいっていうことを伸ばす方向ではね、もうやめた方がいいです。自分は憎いなんていうのは、じゃ切り刻(きざ)んでもいいのかって、そうでもないですよ。みんな十字架にかかったらいいのかって、そういうわけじゃありませんよ。決して決して、僕はそんな十字架を勧めてるわけじゃありません。ただ自己保存ていうのは、たいていの場合間違いになるからね。よく自分の思いと行ないとを反省してね、これ自己保存欲になってないかどうか、よーくよーく考えてほしい。自己保存欲の臭いがあるものは避けることね。 

まあ自己保存欲も、全部は否定できないですね。完全にはね。それは人間には食欲がある、睡眠欲がある。こんなの否定できませんね。残り、問題があるのはちょっと性欲の問題がありますねえ。これ否定するかしないか。まあ結婚して性欲はいけないなんて言ってたら、これちょっと困るんでね。まあ、そら子孫維持っていう問題ありますんでね。これ自己保存欲だからダメだって言うわけにはいかない。これは自己保存じゃなくて種族保存欲なんでね。種族保存としてやっぱりありますから。

じゃあ種族保存だけで、それ以外はダメなのか。こういう問題ありますね。夫婦は二十代の時だけ子供つくるためにいろんなことしてもいいけども、三十代、四十代になったらもう子供つくる必要もないから、そういう夫婦の交わりは一切許されないのか。まあそう言ってしまってもいけないね。そこまで言っても。種族保存だけでもない。

じゃあどういうふうな見地から許されるのか。まあこれはねえ、男女の交わりとか、性生活というのもね、これは一つの慈悲なんですね。慈悲として見なきゃいかん。まあ人間はこの世でいろんな苦しみ、ありますねえ。生きていく上での苦しみあるから、神様は気の毒だと思ってね、いくつかの楽しみを与えられたんですよ。

食欲も楽しみでしょ。食べることが苦しいって人あまりいないでしょう。食べることは喜び伴うんですよ。おいしいんでしょ。あれは逆でもいいんだよ。ガソリンだと思ってね。とにかく詰め込まないと生きていけないから、ガソリンだと思って、もうイヤイヤながらね、食事毎度食べるって。これであってもおかしくないんだよ。そうしないと体動かないから。もう苦しいけど食べるってね。ところが食べるってことに喜び伴うんでしょ。慈悲があるんです、そこにね。逆であってもいいんだよ。違うか。

子供つくるってことだって、まあ男女の要するに行為だってね、これ苦しみであってもいいんだよ。いや実際苦しいかもしれないよ。欲求されてね。毎晩奥さんから欲求されて苦しい男性もいっぱいいますが、まあそういうこともあるが、男女の交わりそのものはね、一応快感を伴うことになっとるわけだ。快感をね。

逆でもいいんだよ。子供をつくるという要するに聖なる営みであるから、もう大変な苦行、難行、苦行でね。女性と接すると電気がビリビリ走ってもう感電死しそうな、電気クラゲみたいなもんでもう非常な苦痛、もう死ぬかもわからんなんて苦痛味わいながらね、子供つくらないかんという聖なる義務、まあこういうもの持っとってもいいんだよ。

ただやはりね、女性と接してねえ、雪のような柔らかい肌に接すると、何か喜びを感じる。まあこういうふうに出来てるね。これは慈悲ですね。慈悲なわけですよ。

睡眠もそうですね。ぐっすりと眠ると気持ちがいいね。これ寝ると苦痛だったらどうするかい。たとえば針のむしろで寝るような感じでね。寝ると激痛が走るなんてこんなの、大変ですよ。寝ないと死ぬ。寝ると激痛が走る。立っとったら楽だけど、寝るとね、大変体が痛い。背骨が痛い。こうだったらどうする。だけど寝ないと死ぬ。地獄ですね。

だから食欲、睡眠欲、性欲、三つの大きな本能っていうのがありますが、これにそれぞれ快感というものを、神様は与えてるんですね。これは慈悲ですよ。

決してこうでなきゃいけないんじゃない。この逆であってもいい。逆であってもいいんだよ。じゃあ、でも女性は出産に喜び伴ったらいいんだけども、出産苦しいじゃないか。分娩(ぶんべん)とかね。あれ苦しいし、十月十日(とつきとうか)おなかの中でがんばっとる。あんな大変なことになる。これ苦しみだ。これ産むたびに快感でね、「あースッキリした」卵産むみたいにスポーン、スポーンと卵産んで「あー気持ちがいい」って。「あー今日もよく出た」なんて卵ポーンと出て、こういうのだったらいいと思うんだけど、そうじゃないね。

なんでそうじゃないかって言うと、やっぱり女性がね、十月十日かかって子供を産むっていうことはね、これは聖なる義務なんだよってことを教えてるんだ。女性の聖なる仕事だということをね。卵産むみたいにポコッと一日で産まれたらね、子供育てるっていうことに、意義を認めないんだな。

だから神様は、子供育てるっていうことに聖なる意味を見い出してほしい。女性の天職として、出産ということを与えておるんだな。

これが簡単でね、あんた今の卵みたいに、毎日毎日鶏(にわとり)が卵産むみたいにね、女性が子供をポコポコポコポコ産めたらね、こんなの苦しみも何もないわな。それで「産まれたか」というようなもんで、もうね、「いっぱい出来たからもうしゃあないから、モーゼじゃないけども葦舟(あしぶね)で流すか」なんてね、こんなになっちゃいますね。大変ですね。やっぱリ大変な事業なんです。

だからそういうようにして、要するに人間は大人になるのに二十年かかる。だから慎重にね、それだけ苦労して手塩にかけてつくったというふうにしたいと。ということと、あんまり出産に快感伴っちゃって、いっぱい子供つくりたくないようにしてあるんです。そのへんうまーくしてあるんですね。

行きは良い良い、帰りはつらいでね。子供つくる作業は楽しいけれども出る時は大変と。まあ、こういうようになっとるわけです。女性は出産が要するに大変だけれども、男性は出産したあとが犬変なんだな。今度、子育てが大変で、子供の養育費用、大人になるまでの面倒、これが経済的負担で大変なことになる。

だから男女共にね、行きは良い良い、帰りはつらいなんですなあ。最初はもう誘惑でつられるんだけど、あとが大変と、まあこういうふうになっとるわけですね。だから出産、育児、教育ということに関しては、食欲みたいにいかないんですねえ。前の晩食べて、あーうまかったーって言って、翌日ペーッと出ちゃうという感じにならないんですね。そういうふうに済まない。ながーくかかるんです、苦しみがね。まあそういうふうになってます。そういうことです。

だからまあとにかくね、自己保存欲っていうのには要注意っていうことね。正しき信仰で、もう一つはね、やはりみなさん純粋なね、見返りを求めない神への想いというのを忘れちゃいけないよ。

イエス様も言ってます。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして汝の主なる神を愛せよ」とイエス様は言ってますね。一緒ですよ。それと同じでね、やっぱり心を尽くして精神を尽くして、力を尽くして主なる神を愛さねばいかんですよ。心って言うのは、想いですな。想いを尽くすってことですね。精神て言うのは、もうほんと全身全霊をかけてということですね。あと力を尽くして、もう肉体のへたばるまでということですな。全身全霊でもって、要するに真実の信仰に生きなさいっていうことですね。

だからみなさんね、神様からもらうことばかり考えちゃいけないよ。肉体があり魂があるってこと自体がもらっておるんだから。それ以上もらおうと思っちゃいけない。いただくことばかり思わすに、神を愛するという気持ちね。そうした感謝ですね。

神を愛するという気持ちは感謝の気持ちです。感謝の気持ちがないとね、本当の意味での人間らしさはないですよ。だから正しき信仰のあリ方はね、無所得のままに私たちを愛して下さっている神に対して、感謝していくこと。

だから心を尽くし、精神を尽くし、真心を尽くし、力を尽くして汝の主なる神を愛す。こういう気持ちですね。見返りを求めないで神を愛する。神への信仰に生きる。こういう純粋な気持ち、これ忘れちゃいけませんよ。

神様っていうのは要するに、おねだりするだけのサンタクロースみたいに、来たら何か物もらう。これじゃダメ。こんな信仰ダメ。純粋に見返りを求めないで神を信ずる。神への想いを募らせる。こういう、無所得のままの信仰ね。これ持っていただきたいね。僕はこれがないと人間ダメになると思う。

以上いろいろ言いましたけども、正しい信仰というのをしっかりと持って、悪霊や憑依(ひょうい)に苦しまないような、そういう健やかな爽やかな人生を築いて下さい。僕はそれを心
から祈ってますよ。

だから高橋信次に見返りを求めないで、高橋信次を愛するんですよ、みなさんね。いいですか。特に私の弟子たちにはお願いしますよ。「高橋信次が出てきたら、僕のこと褒めてくれるはずだ」なんて見返りを求めないでね、ただ先生のことを思うような気持ちになっていただきたいもんですね。まあそういうこともお願いして、本章を終わりたいと思います。