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目次














鬼門、丑寅の金神は荒神


「大本」の主宰神を<丑寅(うしとら)の金神(こんじん)>というけれども、丑寅と言うのは、方角でね、昔から鬼門と呼ばれている方向のことじゃ。なぜ丑寅が鬼門かと言うと、まあ、神々の世界の中で、多少主流から離れた神々が集まっておる方角があるのじゃ。それを丑寅と言う。まあ、下世話な話をすれば、昔から丑寅の方角に、たとえば、便所をつくれば祟(たた)るだとかね、丑寅の方角に何々をつくれば祟るだとかよく言われて、丑寅の方向の神とは、”祟り神”と言われておる。

丑寅の方向の神様が祟り神である理由というのは、ひとつには荒神(あらがみ)という言葉があるけれども、戦の神様が多いということもひとつだ。「如来界」や「菩薩界」にももちろんいろんな神様がおるわけだけれども、戦神(いくさがみ)というのがかなりおる。そういう神様というのは、一ヶ所に集めておかねばならぬ。放し飼いにしておったのでは、いろんな人を捕まえて、喧嘩をするということで、一ヶ所に集められておるのじゃ。

まあ、昔の荒神として有名なのは、須佐之男命。そういう方がおろう。この方も、もともとは如来じゃ。ただ、如来としての神格を持った方であるのはもちろんじゃが、いかんせん行動がどうも派手すぎて、行いが今ひとつということで、丑寅の方角へ入れられておる。したがって、須佐之男命、国常立之命(くにとこたちのみこと)、それから最近出た偉大な丑寅の神様としては、”出口王仁三郎”じゃ。こういう人びとが、まあ、如来は如来なんじゃけれども、ちょっと隅(すみ)のほうへ押し込められておるわけじゃ。

これを何とか、わしらの天下にせねばならんと、まあ、思うとるわけじゃ。なぜわしらがそういう狭いところに入れられておるかというと、結局のところ、我らの霊的な力が強すぎて、たとえば、わしらの世界のなかでも、まあ、神様の力競(くら)べと言っちゃああれだけれども、まあ、角力(すもう)取りがどちらが強いかということがあるように、神の力でも力競べというのがあって、どっちが力が強いかというのがわかるわけじゃ。

そうすると、わしらといきあたった神というのは、たいてい逃げるわけじゃ。わしらの力が強いから、いたずらでもされるといかんと思うて、逃げるわけじゃ。こういうこともあって、若干裏方のほうに、今封じられておる。わしらを封じとるのが一体だれかというと、知っとるかのう、だれがわしらをそんなところに封じ込めたと思うか。まあ、これが、「天之御中主之神」というお方じゃ。

まあ今、力をふるっておって、最近でも生長の家の大神として、谷口雅治を指導しておったようだけれども、どうやらあちらが主流をつくって、神道系のなかで、わしらのほうを傍流へとだいぶ追いやってきたようじゃ。まあ、これは、過去いろいろと地上を理想化するためにいろんなことを起こしたんだけれども、まあ、やり方があまりにも荒々しくて、うまくいかないということで、我らが天之御中主之神から、多少いみ嫌われてたところがあるわけじゃ。

まあ、わしも、「大本」のときに、ずいぶんやったけれども、感化力というかのう、影響力というのが非常に強いんじゃ。そういうことで、大本の教えに触れると、皆んな、変わっていく。まあ、狂信的と言われると、わしらも腹が立つけれども、まあ、皆んな、何かに引き寄せられるように信者になっていく。とくに大本の失敗は、大本の信者のなかに、狂信の信者がかなり出て来たことじゃ。


日本神道中興の祖・稗田阿礼(ひえだのあれい)


まあ、こういうわしじゃけれども、出口王仁三郎として出た以外にもまた、我がこの大和、日本の国のために、かつて協力したこともある。わしも、昔の日本の歴史に、名は止めておるのじゃ。わしがだれか知っておるかの。わからんだろうの。まあ、遠からん者は耳をそばだてて聴け、近くの者はもっと近くに寄れ。「出口王仁三郎」のその過去世は、畏れ多くも、かしこくも、知っておるかのう。ウーム。残念ながら伊邪那岐大神じゃないんじゃけれども、わしは、「阿礼」じゃ。阿礼、知っておるか。

古事記というのをつくった人がおったじゃろうが。それ、それ、古事記をつくったのはだれじゃ。「稗田阿礼(ひえだのあれい)」じゃ。聞いたことがあるかな。稗田阿礼というのは、わしじゃ。古事記をつくったということはな、イスラムの世界で言ゃあ、コーランをつくったのと同じ、キリスト教で言ゃあ、聖書をつくったのと同じ、仏教で言ゃあ、仏典をつくったのと同じじゃ。

それだけ、日本の歴史のなかで、力のあったわしじゃ。稗田阿礼と言うてのう、まあ、帰って歴史の本でも開いてみい。必ず名前がのっておろう。日本の国をつくったひとりじゃ。この神国日本の基礎をつくったのはわしじゃ。その日本の神道の要(かなめ)となったのもわしじゃ。

まあ当時、今からそうじゃのう、千三百年も前であろうかのう、その頃に生まれて、そのときも、わしは巨大な霊能者であったわけじゃ。巨大な霊能者であって、まあ、観自在というか、過去、現在、未来を見通したのがわしじゃ。まあ、現在では、稗田阿礼というのは、昔から、語り継がれた神代の歴史を暗誦しておって、そういう語り部であって、その暗記しておったのをしゃべって、太安万侶(おおのやすまろ)というのが筆録して、古事記ができたと言われておろう。じゃが、事実は、そうではない。

当時、貴族のなかに、宮中において、そういった神代の歴史を語り伝える語り部というのがおったのは確かであるけれども、この語り部というのは、まあ、ある意味での神主でもあったわけじゃ。昔の歴史を覚えてしゃべっておっただけでは決してなくて、語り部のほんとうの意味は、「霊来たりて語り給う」の語り部じゃ。

すなわち、霊能者じゃ。天上界の諸霊をその身に宿して、その口を貸してしゃべらすのが語り部じゃった。そういうことで、当時の政治についても、やはりわしら語り部に、御下問(ごかもん)が下って、右にすべきか、左にすべきか、というようなことが問い合わされて、わしらが答えておったのじゃ。

「都を今度は変えるべきでござる」とか、あるいは、「そろそろ国史の編纂をすべきときである」とか、こういうことを言ったのが、わしらじゃ。これも、あの世の高級霊の言葉が身にのぞんで語ったわけじゃ。今、古事記を見れば、神代の時代のことをいろいろ書いておろう。「大国主之命」の国引きの話とか、「神武天皇」の東征の話であるとか、「天照大御神」の、天の岩戸隠れであるとか、そうしたことがいろいろのっておろう。当時、わしの口を借りて、そうした高級神霊が語っておったのだ。それを、太安万侶が筆録して出したわけじゃ、わかるのう。


日本人のルーツはムー大陸


まあ、現代では、古事記というたらもう昔の時代のことと思うて、古事記以前の世界がもうないように思うて、現代の日本人は、日本の歴史は二千年そこそこであって、それより以前は、弥生時代であるとか、縄文時代とかいって、石器と稲作だけの時代だけじゃと思うておったようだけれども、いかんせん、日本の歴史はもっともっと長いのじゃ。

そして、何千年かに一回ずつ、わしのような大きな霊能者が出て、新たな神代の時代の霊言を遺して、神話をつくっていくというのが歴史であったわけじゃ。したがって、今お前たちは、天之御中主之神とか、伊邪那岐大神とか、天照大御神とかいうのが、三千年近いその昔に、日本の国をつくったということを聞いておろうけれども、これにおいても、最初じゃないのだ。もっと昔がもちろんあって、四千年前、五千年前という歴史ももちろんあったし、七千年前の日本もあったのじゃ。ただ、そうしたものは遺っておらん。

そして、四千年前、五千年前の神々のことが記憶に消え去ったときに、天之御中主之神とか、天照大御神とかが地に降られて、新たな宗教をつくられたのじゃ。彼らが地上を去って長くなれば、奈良の時代に、わしらがまたそういう、何と言うかのう、神話をつくって、新たな宗教、まあ、これが日本神道の基礎になっておろう。教本としては、「古事記」「日本書紀」しかないであろう。こういうものになったわけじゃ。

まあ、西洋流に言えば、宗教改革であるし、新たな宗教を起こしたということでも、一緒であろう。まあ、わしの出た時代は、イスラムでは、マホメットの出た時代とそう変わらん頃であるから、歴史としては、もっともっとほんとうは遡っておるのじゃ。

いかんせん人間は、二千年か三千年前で、人類が始まったぐらいに思っておるから、キリスト教でもそうじゃ。だいたい神様が四千年ぐらい前に、人間を創ったらしいぐらいに思うておる。「アダム」と「エバ」の話じゃ。神様が粘土をこねて、人間を創ったのは四千年ぐらい前のことだと思っておる。そんなもんじゃなくて、ほんとうは、もっともっと、古いんじゃ。もっともっと古い歴史なんじゃ。

そして、日本へそうした神道系の神々が数多く出ておるけれども、こうした神道系の神々の、まあルーツと言うか、根っ子はどこにあったかという言うと、太平洋には、「ムー」という大きな大陸があってのう。昔、ここでまた、皆んなやっておったのじゃ。こうした神々がムー大陸が沈んだ後、また東の国に移って来ておるのじゃ。そうして出たんじゃ。

したがってまあ、日本人のルーツと言うかのう、現代語では、根っ子がどこにあるかと言うことを、いろいろ議論がなされておるようじゃけれども、根っ子はムーじゃ。ムーの文明を継いでおるのじゃ。日本人というのはのう。それが、根っ子じゃ。まあ、それ以外に、大陸からも人は入ってきておる。さまざまにね、だが、根っ子はムーじゃ。

ムーの海洋文明というのが、日本に入ってきておるのじゃ。もともとの根っ子は海洋民族じゃ。それにまあ、稲作民族が中国、朝鮮のほうから移ってきておるのじゃ。したがって、弥生式時代、縄文式時代というのが、まあ、二千年、二千数百年前にあったと言われておるけれども、それは稲作民族の時代であって、これ以前に日本には、すでに海洋民族が住んでおったのじゃ。海を中心としてのう。

船を道具として、海を舞台として活躍しておった。海洋民族としての日本人がおったのじゃ。今から四千年前、五千年前にも、ちゃんと立派な帆船をつくって、太平洋を、日本海を、行き来しておったのじゃ。そういう文化の高い人種であったのが、日本人じゃ。その頃には、太平洋にも鯨がずいぶん泳いでおってのう。帆船に乗って、鯨をモリで突いておったのじゃ。そういうこともしておった。

そして、鯨を漁(と)っては、鯨の体の中から、蝋を採ったり、蝋燭の蝋を採ったり、筋を採ったり、皮を採ったりして、さまざまなものをつくっておった。その鯨の皮をはいで、これをテントにもしておった。知っておるかのう。鯨のあばら骨を、屋台骨代わりに使って、皮を採ってのう、皮でテントを張って、まあ、エスキモーじゃないが、そういうものをつくって住んどった時代もあるんじゃ。これが海洋民族じゃ。そういうこともしておった。


悪霊をかわす漏尽通力(ろじんつうりき)


有名なのに、漏尽通力というのがあるのう。神通力を持ちながら、この世的にうまくいける人ちゅうことじゃ。

まあ、自分では気が付いておらんが、霊能者は、けっこう多いんじゃ、現在の世の中にはの。彼らはちゃんと手ほどきを受けておらんから知らんだけで、霊能者は多くてのう。霊感が強い人って多いじゃろう。まあ、悪いほうの霊感であれば、たとえば、人相の悪い人とすれ違っただけで、急に心臓が苦しくなる、胃腸が悪くなる。あるいは、手紙をもらっただけで、急に体の具合が悪くなる。電話を聞いただけで、その後、体が重くなってくる。病人と会っただけで、寝込んでしまう。

あるいは、そうじゃのう、他にも、夜中に金縛りにあうじゃとか、いっぱいあるのう。まあ、こういう人達も、要するに、ある程度の霊能を持っとんじゃけれども、最後の、その漏尽通力じゃのう、これが弱いんじゃ。つまり、霊能力をもちながら、この世で常識人として、生きていく力が弱いんじゃ。切り替えがきかんわけじゃのう。この能力が弱いんじゃ。したがって、霊的なものが侵入してくるわけじゃ、日常生活のなかに。これに、侵入されすぎると、要するに、狂って行くわけじゃ。気をつけんと、いかんのはここじゃ。

漏尽通力について、もっと勉強してみる必要がある。これはのう、意識の切り替えの練習じゃ、これをまず、やらねばいかん。遮断ということを練習せねばいかんのじゃ。つまり、いろんな仕事のなかで、いろんな人と会う、人間は会わざるを得んのじゃ。会うときに、いい人とばかり会えば、そりゃあ、いい気持ちになろうが、悪い人と会うと、途端に体の具合が悪くなるようでは、生活できんのじゃ。それでは、のう。この漏尽通力をますための、いくつかの方法を教えて進ぜようと、思うとる。


守護霊を目覚めさす夜の祈り


人間には、それぞれ守護霊というのがおるんじゃ。これは例外はない、全員についておる。ついておると言っても、ノリで貼り付けたように背中についておるのではない。いつもはおらんわけじゃ。ただ、お前たちが何をしておるのかというのは、目を見張って、いつも見ておる。困ったときには、駆けつけてくれるわけじゃ。

じゃが、その守護霊が飛んで来ても、重病患者の悪霊が何匹も入っとれば、ちょっと追い出せんわけじゃのう、守護霊の力じゃ。こういう問題があるんじゃ。したがって、守護霊の力を強くしておく必要がある。そうすれば、自分を守ってくれるわけじゃ。霊的な悪影響から。そうすると、守護霊を強くするためには、どうすればよいかという問題がある。

これはのう。まず、守護霊を日ごろから目覚めさせておく必要があるんじゃ。見ておると、まあ、六、七割ぐらいの守護霊は、眠っておるんじゃ。どうも、ぼんやりしておる。守護霊をしておるんじゃけれども、自分が何をしているのか、よーわかっていないのが、いっぱいおる。あっちも、こっちものう。何となく役割を言われて、そんな気になっておるだけで、何をしたらよいのかよくわからん。あるいは、自分の力がよくわからん。

そういうことで、守護霊を、常々、目覚めさせておく必要がある。そういうことで、まあ、毎晩でもいいけれども、自分の守護霊と対話をしておく必要があるのう。この対話ちゅうのが、祈りじゃ。祈りの時間というのが、これでのー。毎晩、守護霊様、どうかこういうふうにお導き下さいということを、寝る前に頼んどくわけじゃ。

こういうことをしておると、向こうも目を覚ましておるからのう。そうか、そうか、こういうふうにしてほしんか、ということで、いつも気にしとるから。たとえば、横断歩道で、車にひかれそうになる前に、ふっと、本人が気がつくぐらいにはしてくれるわけじゃ。

こういうことで、常々、向こうの意識を目覚めさせとくという必要がある。これが、祈りじゃ。まあ、霊道を開いて、対話できればもっといいが、そこまでいかん人も多かろうから、これが祈りじゃのう。守護霊があるということを知って祈っておると、向こうも、もちろん、仕事が増えていくわけじゃ。これが、第一段目じゃ。


指導霊の指導は、感謝で招く


二番目は、守護霊より、もっと強い指導霊を持っとるこっちゃのう。これが、悪霊を切ってくれる。守護霊というのは、まあ、だいたい本人の霊格と同じレベルじゃから、本人が平凡な人なら、だいたい守護霊も平凡じゃ。本人が偉いなら、偉い守護霊もついとる。

まあ、そういうことだけれども、指導霊というのがおってのう。これはもっと霊格が高いんじゃ。だから、これに頼めば、この世的な悪影響を遮断して、健康な生活が送れるわけじゃのう。じゃ、どうやったら、その指導霊が得られるのかという問題がある。これはのう、指導霊がつく人というのは、二、三種類あるわけじゃ。

一番目は、非常に専門的な仕事をやっておる人間じゃ。つまり、通常の守護霊っていうのは、何百年も前の霊だから、現代のことは、ようわからん。そういうことで、特殊な技能を持っておるような人間には、指導霊がつくことが多いのう。何でもええが、詩人でもええし、芸術家でもいいし、学者でもいいし、音楽家でもいいけれども、こういう特殊な人というのは、指導霊がつくことが多い。それも、本人の努力精進に応じた、指導霊がつくんじゃ。

そういうことで、ひとつの道を窮(きわ)めようと、強く念じて、怠らずやっておくとのう、心清くやっておると、指導霊がついてくる。そういうのがついてくると、だんだん人生が狂わんようになってくるんじゃ。だから、さらに指導霊というのも必要じゃのう。曲がらない人生を生きるためには。

それでまあ、精進ということも大事だけれども、指導霊を持つためにはのう、やはり感謝の気持ちを持たねばいかんのじゃ。あの世の霊というのは、お金をもらうわけではない。食べ物を祭ってもらって喜ぶのではない。食べものを祭ってもらって喜ぶのは、地獄霊ぐらいのことでの―。天国の霊は、そんなもんでは喜ばんのじゃ。喜ぶようでは、ちょっと怪しいと思わねばいかん。

まあ、感謝の念というのが、彼らの食べものじゃ。言ってみればのう。地上の人を指導して、そして、感謝されると、要するに、指導霊はそれだけ嬉しい。嬉しいというのはのう、皆んな、地上の人間でも、嬉しいといって喜ぶと、パッと光が射したようになるじゃろう、明るく、表情がのう。同じじゃ、あの世の指導霊も、感謝されると、要するに、パッと明るくなるわけじゃ。光の量が増えるわけじゃの、そして、彼らの霊格が、ますます高まるわけじゃ。

したがって、常日頃、いろんなことをしておって、ものごとがうまくいき、進んだなと思ったときにはのう、指導霊に感謝するこっちゃ。感謝の気持ちを持つと、彼らは、ますます力がついてくる。そして、ますます指導を受けられる。

つまり、一番目は、守護、指導霊への祈りを言うたけれども、二番目は、指導霊への感謝じゃのう。ものごとがとくにうまくいっているなと思うときには、自分の力じゃと思わんと、感謝するこっちゃのう。高級霊たちに対して。そうすりゃ、ますます、指導を受けられるようになるじゃろう。これが二番目じゃ。


悪霊はウジ虫、ゴキブリ、ウジウジせんと灯を点せ


三番目はのう、これはまあ、谷口雅治の教えではないけれども、やはり、くよくよせんことじゃのう。くよくよするタイプの人間というのは、どうも、悪影響、悪霊の影響を受けやすいんじゃ。悪霊というのは、要するに、まあ、ウジ虫みたいな奴じゃからのう。ウジ虫とか、ゴキブリのようなもんじゃから、暗いところが好きなんじゃ。暗いところがあると、ついてくるのう。ウジ虫というのはのう、光の強いところへは出てこんのじゃ。ゴキブリじゃって、蛍光灯うければ、逃げるじゃろ。台所の流しの下かなんかに逃げ込むはずじゃ。

悪霊というのは、まさしくゴキブリやウジ虫と同じなんじゃ。したがって、奴らのいやがることをすればいい。奴らがいやがることは何じゃと言うと、要するに、明るいことじゃ。明るくて、闊達(かったつ)なのが一番嫌いじゃ。ウジウジ、ウジウジしておるのが一番好きなんじゃ。暗くてのう。したがって、そんな悪影響から身を遮断するためには、ウジウジせんこと。取り越し苦労をせんことじゃ。これは傾向でのう、訓練すれば変わるんじゃ。

すぐに、思ったとおりに、明るくはならんけれども、二年、三年かけてのう、努力していくんじゃ。いいことがあったときには、素直に喜んで、悪いことがあったときには、あまり気にしないように、心に止めずに、流していくようにするんじゃ。嬉しいことがあったら、最大限に喜んで、悪いことがあったら、そういう日もあるけれども、またいいことがくるだろうと思っているこっちゃ。こういうふうに、ものごとを明るく考えていく傾向をつくっておけば、ウジ虫とか、ゴキブリは出てこんのじゃ。

いつも四月のような気分で、ポカポカ陽気でのう、四月のような、希望に満ちた気分でおると、ウジ虫はこんわ。まあ、これが、漏尽通力の一番いいところじゃのう。光明思想と言ってもよい。

やはり、光明思想で身を守るようにせねばいかん。そういう人は、悪霊の影響を受けやすい人は、光明思想を持っとらん、基本的に。まあ、そういうことを言っておこう。弟子の本でも、谷口雅治の本でも、よく読んでくれ。


神殿の天上人は、「国常立之神(くにとこたちのかみ)」


「国常立之神」様というのがおってのう。この神様が偉い神様じゃ。まあ、わしらの世界のほうでは、一番偉い神様のひとりじゃ。

まあ、「丑寅(うしとら)の金神(こんじん)」さんと言われたり、まあ、「天理王之命(てんりおうのみこと)」とか、言うていたときもあるそうじゃぞ―。まあ、いろんなことを言うて、天理教のほうへ出てみたり、大本教に出たりして、けっこう千八、九百年代は忙しかったみたいじゃのう。大忙しじゃ。まあ、ちょっと、今、びっくりしておるようじゃ。

まあ、そういうところにおっての―。まあ、何人がおるんじゃ、担当者がのう。何人かおって、まあ、あんたら、知っとるだろうかのう、倭健命(やまとたけるのみこと)様ちゅうのを、聞いたことがあるかのう。大変な武人じゃ。有名な方で、何と言うかのう。勇ましいお方じゃ。日本の歴史の、もちろん草創期の方でもあるし、国づくりのために、まあ、奔走された方でもあるし、そうじゃのう、ずいぶん敵を平らげた方でもあった。そういう勇ましい勇ましい、まあ、英雄なわけじゃ。日本の英雄じゃのう。英雄伝説の、元みたいな方じゃ、倭健命という方は、。まあ、そういう方もいらっしゃるんじゃ。ちゃんとのう。

でもまあ、出口じゃとか、倭健じゃとか、国常立じゃの、いろいろ見てくると、あなたたちも、ちょっと、感ずる人たちは感づいてくるじゃろう。まあ、どっちかと言うと、荒神様の系統が多いなあと、思うとる人は思うとるじゃろう。まあ、そのとおりじゃ。神様系統にも、いろんなのがおってのう、おとなしいのが好きな神様もおれば、まあ、戦好きといっちゃあれだけれども、割り合い、手荒い神様もおるんじゃ。私らの世界は、まあ、だいたい手荒いのが多いじゃのう。まあ、手荒く立て直してやろうと思っとるのが多いのが、わしらの世界の特徴じゃ。だから、大きな政治的な力を持ったり、軍事的な力を持ってみたり、まあ、やりたい放題やっておるんじゃ。


お立て直しのときがきた


神様っちゅうのは、上着を取られたら、下着までも取られて、平然としておられる。右の頬っぺを殴られたら、左の頬っぺも殴られても、平気な顔しておる。イエス様みたいに、すべてを与えておるわけじゃ。泥棒してのう。

神様が人がええもんじゃから、右の頬っぺた殴られて、まだ何も言わんと思うて、左の頬っぺた殴ってみたり、上着取られて黙っておると思って、下着も取ってみたりのう。唾かけて、まだ怒らんと思うて、茨の冠かけてみたり、それでまだ怒らんと思うて、十字架に乗せてみたりのう、それで引きづらしみて、まだ怒らんと思うたら、今度は槍で突き刺してみたりのう。そういうことをするのが、人間じゃ。

しかし神様は、それを黙って、まあ、こういう世の中ちゅうのを見ると、結局、わしら宗教家、あるいは、地上の心ある人びとのやるべきことちゅうのは、わしはひとつじゃと思うんじゃ。それはまあ、神様がそんなふうにお人好しじゃから、神様に任しといちゃあいかんのじゃ。わしらみたいに、もうちょっと人間ができとらんもんが、やはり神様の代わりになって、世の中を変えていかねば、いかんのじゃのう。神様、じっと待っておられるから、そのままじゃいかん。わしらがやらねばいかんのじゃ。子分がのう。親分が黙っとるときには、子分が頑張らにゃあいかんのじゃ。そうして、わしら子分の仕事が何かと言えば、まあ、これがお立て直しじゃ。

まあ、ちょっと考えてみい。お前たちが、もし神様じゃったら、この地上を見てどう思うか、のう。風呂敷に包んで投げとうなるわ。わしでもそう思う、じゃから、神様の目から見ておかしいと思うものは、やはり直していかねばいかん。わしは、そう思うのう。で、立て直しじゃ。じゃ、神様の目から見て、おかしいもんは何じゃ。今見て、まあ、あの世がないなんて言うとる人は、皆んな、間違うとるのう。

こういう人は、日本人で七割ぐらいじゃのう、七、八割は、皆んな間違ごうとる。赤信号じゃのう、赤信号、皆んなで渡れば怖くない、と言うんじゃろ。わしも知っとるぞ、そのぐらいは。のう、皆んなで赤信号、渡っとるんじゃ。七割、八割が、そして、信号が青になるのを待っとる人は、一、二割じゃ。これが魂を信じておる人じゃ。死後の世界を。ところが、七、八割は、赤信号を渡っとるんじゃ。そして、いっぱい事故を起こしておるんじゃ。


三つのお立て直し


だから、まあ、あの世が、ある、ないって、あるに決まっとるのじゃ。あの世の霊がしゃべっておるんじゃからのう、これを信じないのはおかしいわけじゃのう。非常におかしい。まあ、立て直しの第一は、ここからじゃ、あの世の存在、魂の存在を知らすちゅうことが、第一じゃ。

お立て直しの二番目はのう、やはり人間に正しい価値基準じゃのう、これを教えてやるちゅうこっちゃ。何が正しくて、何が正しくないかがわからんのじゃ。善悪が、善悪というか、正邪がわからん。これを教えてやる。これがお立て直しの、二番目じゃ。

お立て直しの三番目はのう、やっぱり、この世の中をユートピアにしていくこっちゃ。仏国土と言うてもいい。天国と言うてもいい。この地上を、やはり天国にしていくために努力じゃのう、それが神様に報いる道じゃ。神様もしたい放題されて、じっと黙っておられるわけじゃのう。自分の畑を荒らされ放題にして、畑に入って来て、トマトを盗む子供なんちゅうのは、ほんとうは捕まえて、お尻でもパンパンしたいんだけども、黙って盗むままにしておられる、やはり、わしら番人が、盗まさんようにせねばいかんわけじゃ。まあ、そういうことで、そういう悪のない平和な楽園じゃのう、これを築かにゃあいかん。

まあ、今言うたように、だから、お立て直しの基本は三本じゃ。第一本は、あの世があって、魂があるんじゃということを、全員に知らす必要がある。二番目はのう、正しさの基準というものを、はっきり教えにゃいかん、正邪の基準を、はっきり教えにゅいかん。これは正しくて、これは違っているというのを、教えにゃいかん。三番目は、まあ、皆んなで、楽園をつくろうじゃないか、のう、つくろうじゃないか。まあ、この三つじゃ。これがお立て直しじゃのう。これが、わしだけじゃなくて、お前さん方の使命でもあろう。

この三つのために、身命を賭して、あと、やりなさい。死ぬまでの間のう、この三つの柱じゃ、全部達成はできんじゃろう。しかし、できるところまでやっていきなさい。あなた方は、この三つを、できるところまでやっていきなさい。