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目次

 1.心の安定








(1988年2月10日の霊示)

1.心の安定


えー、高橋信次です。また話ができるようになりました。今日はね、先日までは幸福とか快楽とか、まあそんな話、楽しい話をいっぱいしたんですが、今日は心について、あるいは安らぎ、こういうことについて、ちょっと話しておきたいと思うんだな。

まず心の安定ということで、題を組みました。結局ね、こういうことあるんだね、今なんちゅうか成功だとか発展だとか、そういうものが人間の幸せだっていう考えもあるし、基本的には、やっぱり多少上向きでないとね、多少上向きでないと人間やりきれんところもあるね。そういうところが確かにあると思うんだね。多少上向きでないとやり切れない。そういうところがあると思う。

しかし、なんて言うかね、常に駆(か)り立てられているような人生、常に追い立てられているような人生、まあそういう人生っていうのは非常に不安定ではあると思うんだな。非常に不安定だし、不満な部分があると思います。

こういうことでね、時折人間は振り返ってみるんだな、いつも変化する自分でなきゃいけないのかどうかね。たとえばいつも向上しなければいけないのか、いつも堕落しなきゃいけないのか、まあそんなことはないだろうが、そんな人もいるかね、たまにはね。いつも堕落ばかりしている人、下がるところまで下がっていく。どんどんどんどん堕(お)ちていく。まあ、そんな人もいるかもしれないけれども、少ないでしょう。

まあそういう変化もいいけど、変化がないと楽しくないけれども、逆に心の安定ということも大事だねえ。老壮思想なんかも、その辺から出ておるんだよな、基本的にね。心の安定に、やはり幸せを見い出すというかね、とにかく毎日いいことが何かあれば幸せっていう人もいるけど、何もないことが幸せっていう考えもあるんだな。平穏無事(へいおんぶじ)に生きられること、心に波風が立たないこと、誰からも悪口を言われず、誰の悪口も言わず、今日も一日済みました、神様ありがとうございました。お得意様ありがとうございました。お天道様ありがとうございました。ま、こんな人生もあります。はっきり言ってね、あります。こういう人生もあります。

だから心の安定というのはね、意外に、みんな忘れがちだけれども幸福の基(もとい)なんですよ、これは。それはそうです。心が、上がり下がりしていることを想像してごらん。ものすごい感情的になってね、力ーッと上がったかと思ったら、ストーンと落ちたりさ、泣きじゃくると思うと、はしゃぎまわったりね、こんな躁鬱(そううつ)の状態考えてごらん、これが幸せかい、本当に。今日泣いとったと思ったら明日泣き止んで、これで幸せなんていう人おるかもしれないけど、やっぱりそんなもんじゃないだろう、ね。

そういうことで、やはり人生の王道を生きるためには、人生の大道を生きるためにはね、生き切るためにはね、心の安定ということは非常に大事である。このように思いますね。心の安定ということが非常に大事だ。そういうふうに感じられます。

なぜ安定が大事かって言うとね、安定感のある状態でいると、人間は非常に均整のとれたものの見方、これができるんだなー。非常に片寄らない、中道の立場からいろんなものが見える、あるいは人が見える。こういうとこがありますね。ここがいいんですよ。心の安定というのはね、その辺にいいところがあると思うんだな。

安定した心でもって見ていると、やはりなんて言うかね、人びとの悩みや苦しみ、あるいは悦びっていうものが、だいたいトータルでみて、どういうもんかっていうことがよくわかるんですね。これがわかるんです。

だからなんと言うか、たとえば自分が極端な、貧乏のどん底にあったりすると、それで苦しくて苦しくて毎日ひもじかったら、少なくとも他人の心のことなんか思いやる余裕がないね。ところがまた自分が有頂天(うちょうてん)の最中(さなか)にある、もう株で大儲けした、ウハウハウハウハやってたら、これもまたね、隣(となり)、近所のことがわからないね。

やっぱり平凡なサラリーマンかもしれない、平凡な仕事人かもしれない、平凡な農家かもしれないけども、その中にあって、やはりそこそこに経済的に安定し、そこそこ人間関係も安定しね、まあ俺の人生もそう悪くないという時にね、初めて他の人と接して、自然体で接しられるんですよ。

柔道なんかでもそうだろう、一番大事なのは自然体だろう。自然体の構(かま)えが大事なんであってね、決して飛び蹴(げ)りしたり、まわし蹴リしたりね、あなた絞(し)め技したり、寝技(ねわざ)したりね、そんなことするのが基本じゃないよな。それは攻撃のパターンであってね、そういうこともあるけども、やっぱり自然に立ち上がってね、そして組み手をしてやるのが筋(すじ)だよな。

お相撲さんの筋は何かと言ったら四股(しこ)踏んで、あと前に突撃していくんだろう。これが基本だよな。あとはちいちゃな、けたぐりや何だのあるけど、こんなの本流じゃないね。いつもいつもけたぐりばっかりやってたら、あなたみんなわかっているから、それ避(さ)けられちゃうよな。いつもいつもはたき込みやってやろうと思っても、そうはいかないね、みんなそんなもんだ。

結局ね、人生の幸福感の、やはり七割、八割は、私は、この安定感にあると思いますね、心の安定があると思う。心がね、そんなに揺れておって幸せということ絶対ありえません。いくら事業が大成功していても、夜寝られないぐらいの状況であったら幸せじゃないと思いますね。

これはある意味でいうと、悩みのない状態だな。まあ悩みのない人間はいないけれども、悩みがあまり極端じゃない、悩みが出ない、こういう状態ではないか、そう思います。それがやはり心の安定ではないか、そういうふうに感じるわけですね。ですから極端な悩みの中になく、有頂天でもなく、自己卑下(ひげ)に陥(おちい)ることもなく、その中道に生きることね、これが大事なのではないのか、この心の安定がやはり王道ではないのか、人生を踏み外さないための条件ではないのか、そういうことですね。

考えてみればみなさん、地上去って天国に還りたいとか、地獄は嫌だとか、いろんなこというけど簡単だね、この心の安定なんですよ、これでいいのだよ。心を安定すりゃ、安定した一生、安定した心で生きてたら地獄なんか行きゃしないさ。地獄へ行くなんていうのは、あなたね、憎んでおったり、怒っておったり勝手にしとんだ、いろんなことをね。余計なこといっぱいしてね、恨んだり、嫉妬(しっと)したりさ、愚痴(ぐち)ったり、こんなことばっかりして、そして心に曇りをつくる。

愛人をつくっては、奥さんのことが心配、奥さんの怒りは受ける、愛人の嫉妬は受ける。もうあっちこっちで引っぱられて心が千々(ちぢ)に乱れるね。だからまあ言われてみりゃあ、私は浮気は悪いとも言わんが、浮気が一番いけないのは心が安定しないからね、これ一番いけないね。

自分でこう、何ていうかね、泥棒しているような、こう詐欺(さぎ)をしてるような、強盗しているようなね、何か、こういううしろめたさがあるね、浮気なんかすると。そして二人の人間をそれぞれ欺(あざむ)いているような、自分の心が本当に悪人じゃないのか、そういうふうにいろいろ思うね。この辺、心の安定がないね。だから浮気はよくないんだよ。愛人つくって心が安定するっていう人いるけど、まあ、本当は安定しないんじゃないかね、安定するのは心じゃない方じゃないかね、別なところがあるかもしれないけれども、心の方は安定しないんじゃないでしょうか。ね、そう思いますよ。

借金つくって心が安定するでしょうか。そういう人も中にはいるけど、普通はそうじゃないでしょうねー、まあそういうこともあるでしょう。

まあ心が安定している人は、外的な衝撃にも強いところがあるね、それがある。自分が非常に不安定な心でいると、ちょっとしたこと、ちょっとした事件、ちょっとした言葉、こんなのがグサッときてさ、揺(ゆ)れちゃうんだね。ものすごく不幸感覚が強くなりますね。

ところが心が安定している人は、安定している船みたいなもんでね、少々、波が当たったって平気でしょう。ところが船が小さいと木の葉のようにキリキリ回っちゃいますね、こうなっちゃいます。こんなもんですね。だから、そういう意味において心の安定ちゅうのは、やはり幸福感の源泉としては王道に近いと思います。こういうこと言うことが可能だと思います。


2.悪想念の分析


さて、悪想念ということについて分析してみたい。話をしてみたい。まあ、こういうふうに思いますね。

みなさん、思いつく限りの悪想念を言ってごらん。悪想念ってわかんない。わかんないって自分の心の中にあるの言やいいのよ。あなたの心の中ね、パンドラの箱開けてごらんなさい。何が飛び出してくる。どうだ一日振り返ってごらん。いっぱいあるだろう。

起きた時にどうだった。まず、「もう、朝か起きないかんのかー、なんで会社に行かなきゃいかんのじゃー」なんてね。「あの社長の顔見たくねえ、あの部長の顔見たくねえ、あの課長、虫酸(むしず)が走る」ね、こういうことを言っとるでしょう、きっとね。まあそういうように僕は思います。こういうふうにね、人間、「なくて七くせ」じゃないけど、いろんな心の想念がやっぱり湧(わ)いてきますね。とりあえず自分一人で寝てばっかりいたら、悪想念はあまり出ないかもしれないけれども、人と会うとやっぱり出るね。
 じゃあみなさん、朝起きて会社に行くまでの間、何を想いましたか。今日どうですか、まず憂うつだなー、嫌だなー、っていうのから始まって、そしてセカセカして焦(あせ)って、そしてトコトコ道を歩いて満員電車、また嫌だなー、ギューギューだなあ、すし詰めだなあと思って、隣りの人と、足を踏んづけた、踏んづけないね、こんなことやってますね。

あるいは女性だったら、痴漢(ちかん)された、されない。女性は「キャーツ、触(さわ)られた」なんて言うけど、男の方は、「誰がこんな女、誰が手出すかって。誤解もいいとこ、いいかげんにしろ」なんてね、「嘘よ、嘘よ、私のヒップに魅力があって触ったじゃないの」って「バッカこけ、俺は好みあるわー」なんてね、いろいろ誤解があるようですが、まあこういうこともあるでしょう。
 で、汗だくですねえ、汗だくになって会社に行って、新聞も読めないで地下鉄降りたら、もうネクタイなんか歪(ゆが)んじゃって、メロメロ、そして会社入ってくる。そしてコーヒー一杯飲もうと思ったら、先輩の方が先に座っててギロッと睨(にら)んでいる。「おめえ、おせえなー」ちゅうな顔してるね。「今頃来て新聞読んでいるのか」ちゅうなもんでギローッって睨む、「嫌な奴だなー」と思うね、これも悪想念のひとつだね。

前の晩に徹夜したり、遊び過ぎたり、酒飲んだりしていると、ボーッとして午前中に仕事できない。チョンボが多い。忘れ物をする。いろんなことがあって、また怒られたりする。歪(ゆが)みができますねー、そして午後からまた、いろいろ外出したりするんだけれども、外出してもなんとなく寒くってねー、「めんどくせーや、どっか喫茶店でも逃げ込んで、そしてコーヒーでも飲もうかー」なんてね。

あるいは本屋行って『高橋信次の天国と地獄』買って、一冊買ってね、「持って帰って喫茶店で一時間、時間潰(つぶ)すかー」なんてね。そしてこの一冊はどうやって隠(かく)そうかと考えてね、「書類の間に入れて持って帰ることにしよう」とかね、本屋に寄ったことがわかるからなんてね。こんな人いっぱいいますね。みなさんね、大きな本屋、都会の本屋見たら、もうこんなサラリーマンいっぱいいますよ。営業とか、外回りだとか言ってさ、みんな行ってるよ。本屋行って、本調べてパラパラ見たりね、そしてそれ一冊抜いて、喫茶店行って時間潰(つぶ)したりね、やってる、やってる。どうだ読んでる。あなたもやってるだろう、みんなどうだ。

そんなの、まだいいよなー。昼間にパチンコやったりね、中にはひどい人になるとお風呂に入っちゃったりしてね、昼間から。そんな人もいるけど、いろいろとみんなひま潰しているようだよ。それほどね、管理社会っていうのは圧迫感があるんですよ。そういう圧迫感ね、やっぱりありますね。ですから、そういうところで悪想念というのは、やっぱり出ることがあるね。

まあ結局ね、悪想念はどっから出るかちゅうと、自分のこういうふうになりたいという想いと現実との、この違いだね、ここから悪想念が出るんじゃないかね。僕はそういうふうに想いますよ。これが悪想念の感じですね。結局、なんて言うかな、人間はこう全体の中の一人っていうことに耐えられない部分があるんだな。「自分は自分」ていうところがあるんだな。それは確か、その通りだよ。自分は自分で全能の神様の一部であることは事実さ。そりゃあそうなんだよ、その通りなんだけれど、まあ他人がみんな嫌いにみえる人ね、他人がみんな嫌いにみえたり、他人がみんな悪人に見える人、これは間違いなくても地獄行きよ。これだけは僕はっきり言っとくよ。

みなさんね、会社行って、みんな悪人に見えたり、道歩いておって全員、悪人に見えたりね、すべての人が自分を苦しめようとかね、罰しようとしているとか思う心境だったら、あなた絶対地獄行きよ。これだけ僕は保証するよ。そんな人、天国行かないよ。だから本当に悲しい人もいるよ、かわいそうな人いるよ。本当に失敗してね、かわいそうな人いるけど、しかしそれもみんな周りが悪くてね、もう人の顔を見たら鬼に見える。どんな美人見てもね、鼻の穴が上を向いているように見える。まあこんな性格の人はね、やっぱりどっちかというと地獄へ行くんだよ。なぜか、それは天国というところは、他の人と手をとりあって生きるところなんですよ。お互いにほめあって生きるところなんですよ。そういうところでね、やっぱりいられないんだな。

地獄ちゅうところは孤独ですよ。みんなが敵さ、みんながライバルであり、みんなが敵、みんなが競争相手、みんなが自分を責め苛(さいな)んでいる。こういうのは地獄ですね。こういう特殊な世界なんだな。

まあこういう世界をね、神様が創ったかちゅうと、そうでもないんだな、あの魂の世界、霊の世界というのは想念の世界なんだな。で、こういう特殊な想念があれば、そうした者どもが集まるだけなんだ。神様が創ったわけじゃなくて、そういう想念持った者同士がね、そういう想念界をつくっておるだけなんだよね。そりゃ、彼らがつくっとるんだよ。

だから地獄なんていうのも、結局、神様が地獄をつくったわけじゃないんだ。そういういろんな想念の持ち方、自由にしてあるけれども、そういう想念、悪想念いっぱい出したら、そういう悪想念出している同士が、かたまってくるのだな、これが地獄になるんですよ。まあそれは悲しいけれどもね、そういうことがあるね。

結局ね、人間は努力をせねばいかんのだね。どういうふうにして他の人と調和していくか、この大調和の原理ね、これが大事であろうと思いますね。大調和、どうやってするのか、この辺ですね、これが大事ではないか。こういうふうに思います。

で、悪想念ていうのは、まあみんな点検のために、もう一回言おうか、僕はいろんな本の中でも言ったけれども、結局、そうだね、現代人の多い悪想念は何かって言うと、まあ愚痴(ぐち)が一番かもわかんないね。愚痴っていうのは、自分の欲望が満たされない時に起きるんだなあ。そうして心の曇りをつくるんですね。愚痴はね、心の曇りをつくります。足ることを知らない欲望ですね。これが心の曇りをつくっていきます。

それ以外にはね、やっぱりね、まあ似たようなものとして、親戚(しんせき)として不平、不満だよね。結局、不平、不満がある。不平、不満があるね。だから人に対して不平、不満があるなら一人で生きとりゃいいんだよ。だけど一人では生きられないね。また一人で生きとったら不平、不満ないけれども魂の進化もないね。そういうふうに、お互いゴシゴシ競(きそ)って磨くようになっとんだなあ世の中は。そうなんですよ、そういうふうになっとんだ。これが悪想念であるわけだ。

あとね、難しい情欲っていう問題があるね。僕もこの辺は言いそうで言わないようで、なんか適当にごまかしているのですが、情欲ね、嫌ですね。言葉だけ聞くだけでもおぞましいですね。一体どこが情欲で、どこが情欲じゃないのかね。夫婦の間で情欲なのか情欲じゃないのか。夫婦でも、やっぱり節度がいるのか。夫婦は、やっぱり毎日一回何かをしなきゃいけないのか。それとも一週間に一回でいいのか。一週間に一回なら情欲じゃなくて、毎日なら情欲なのか。あるいは一日もっと回数が多いと、もっと情欲なのか。この辺、みなやはりいろいろと思われたり、ご主人の苦しみ、悩みがあったり、奥さんの悩みの根源だよね。

「私は毎日愛してほしいのに、彼は三日に一回が限度だと言います。どうしたらよいでしょうか」。これは医者にも言えない。宗教家にも言えない。持っていくとこがない悩みよ、主婦の悩み、こんなの多いですよ。「ものすごく愛されたいのに、彼が相手にしてくれない。どうしたらいいでしょうか。私がそう思うことは、これは罪でしょうか。情欲でしょうか。全知、全能の神様、性欲の神様、愛の神様、高橋信次様、どうかお答えください」

「主婦である私は朝、洗濯をして昼寝をして、あと晩ご飯つくると仕事がありません。その余った力をすべて夜の生活に投入したいと思うのに、主人はいつも、もうヒョロヒョロで帰ってきます。仕事で疲れたといって十時頃グターと帰ってきて、もうメシ、風呂、寝るでございます。私は間違っているんでしょうか。こんな心の想いっていうのは、これは情欲なんでしょうか、神様どうぞ答えてください」

この悩み多いですよ。だから、まあ僕がパッと見て、こういう悩みの主婦は、まあ二、三百万人はいる、少なくとも。いやもっといるねー、もっともっと八百万から一千万、日蓮宗みたいだな、あのぐらいいるぜ。

ご主人に対する不満ね、愛が足りない、あるいは日曜日だけしかいないとかね、その肝腎(かんじん)の日曜日には、いつも寝てばっかりいる。グーグー寝ている。これがね、主婦の苦しみのひとつですね。

だけど悲しいことに、主婦には、そのご主人が家出てから何しているのかわかんない。こういうとこあるねえ。特に自分もOLなんかやってね、多少なりとも仕事の経験ある人はね、OLやって売れ残っている人もいるが、もうOLやって無事結婚できた人の話だよ。そういう人は、まあ会社の仕事ってこんなもんかなーちゅうことが、まあ多少わかるけど、その経験がない人は、たとえば学生やって、すぐ結婚とか、こんな話も、まだあちこちあるかもしれないけれども、こうなると仕事というのがわからないね。仕事というものは、自分の結婚生活を害するもの、奪うもの、こういうふうに思いがちですね。それを知らないということですね。そういう世界をね、知らないということではないか、まあ、そういうふうに私は思います。

だから、なんちゅうかね、まあこの辺が難しいところだね。奥さんから言えば、「私の考えが間違っているんでしょうか、高橋先生」とくる。ご主人から言ったら、「ね、高橋先生、もうくたびれてますよねえ、男は。そんな相手にできませんよね。もう結婚した妻といつまでもね、もうそんなチャラチャラしてませんよ。もう子供もおるんだから、子供とでも遊んでくれっていうのが私の本音ですよ。もう疲れているんだから、毎晩、毎晩、伝書鳩やってたらね、会社の中で評判が下がってね、『なんでえあの野郎、奥さんといちゃいちゃしちゃってさ、毎晩、毎晩伝書鳩みたいに帰りよってさ、へん、あんなのだめだ。絶対出世できないよ』なんてね、『付き合いもできない奴さ、何が偉人になれるか』なんて同僚は言っているだろう。

だが奥さんは、そんなのわかんないよね。私への愛が足りない、私への愛が多いか、少ないか、これしか考えないもんな、奥さんちゅうのは、これだけだよ。「とにかく早く帰ってくるのが私への愛がある。遅いっていうのは私と会いたくないのね。ご飯がいらないっていうのは、私の料理がまずいっていうこと、あっそ、わかったわ」と、こうなりますね。この辺の、やっぱり意思の疎通が難しいところがありますね。

結局ね、これなんかも、やはり知らなきゃいかんというところがあるということだね。知らないということが、やはりいろんな弊害(へいがい)を生んだりするね。まあ、それぞれに言い分はあるんだよ。

だから僕は、その奥さんの話聞いたら、「いやー、あなたのいうことはもっともです」、旦那さんの言い分聞いたら「いや、もっともでございます。わかってます。そうだと思います」。結局、奥さんは、その不満をぶつけるところがない。

そうすると旦那さんが帰ってくると、もうトイレに入っててもねー、トイレの前に椅子持ってきてでも、話をする。お風呂入ってたら、お風呂の中入ってきてでも、ワーワー言うね。「今日はあれがあった。これがあったね。隣りの子がころんだね。描がネズミをくわえたね。うちの下の子が、おしめ二回変えた」。もうこんな話がしたくてしょうがないね。ワーと来るね。大変ですよ。最初のうちは、もうこれも税金だと思って聞いているけど、だんだん苦しくなってくるね。まあ、この辺がある。

これはね、やっぱり、女性の本質と関係あるね。女性っていうのは、結局ね、みんな完全主義なんだよ。男のすべての愛を自分が受けないと許せないところがあるのさ。そういう女王様みたいな願望っていうのは、女性はみんな持っているよ、基本的にね。

だけど考えなきゃいかんね、やっぱり人間ていうのは、やはり多くの人のために生きておるんであってね、これはしようがないことなんだよ。女性の場合は世界が小さいからね。ご主人と子供ぐらいの世界かもしれないけれども、ご主人の世界は、ずい分広いんですよ。いろんな人と生きているんでね。いろんな人たちの幸せを保証しているところがあるんだな。

そういう意味において、決して奥さんのために時間を取らないことが、これが悪ではないし、他の人びとへの愛の時間というのが必要なんだな、それは知らなきゃいけない。ね、足ることを知る、これは大事ですよ。

接触時間が多けりゃいいちゅうもんじゃないですよ。長くいれば、それが愛だということじゃないよ。そんなもんじゃないよ。愛っていうのは、そんなもんじゃないよ。みんな、知らなきゃいけないよ。そんなに人に要求することをもって愛としちゃいけないよ。愛っていうのは、そんなもんじゃないよ。愛というものは、お互いを高めあうのが愛です。

いいか、相手を自分の都合のいい方に持ってくるのが愛じゃない。特に主婦なんか、非常に勘違(かんちが)い多いよ。相手を自分の思うとおりにさせたら、それが愛、もうこの愛は、もう要するに奪う愛、貰(もら)う愛だよね、要するに自分の思うとおりに相手がしてくれると、それが愛だ。そうじゃなきゃ愛じゃない、という思い方、非常に多いよ。

しかし愛っていやあ、そんなもんじゃないよ、愛というのはね、お互いを高めあうもんだよ。ね、そういうもんじゃなきゃいけない。あるいは、社会にとっても有用なもんじゃなきゃいけない。

そりゃね、不良少年少女だって言い分あるんだぜ。「俺たち愛し合っているのに、なぜ悪いんだ」ってね。「シンナー吸って、バイク乗ってさ、夜の公園で睦み合って何が悪い。俺たちは純粋な愛で生きているんだ」って、彼ら言ってるよ。何がいけないんだ。そりゃ社会の進化にとって役に立たないんだよ、そんな愛は。そうじゃないか。ね、自分たちだけ、よければいいっていう考え方じゃない。そういうとこがあるんだね。

だからみんなね、この奪う愛っていうのも、悪想念のひとつになりますよ、結局はね。これも大事なとこもあるんだけどね、夫婦生活を維持していく、あるいは家庭を維持していくためには大事なこともあるけど、こう相手をしぼりつけることが愛じゃないぞ。これはね、主婦が特に思わなきゃいけないよ。

やはり、それはね、小鳥を籠(かご)の中にいれて飼(か)う愛と一緒だぞ。あなた方は小鳥を籠に入れてね、餌やって水やってね、「毎日これだけ餌やって、毎日これだけ水やって、これだけ愛してあげているのに、この小鳥は何が不満なの」と、こう思うけど、そりゃあ不満さ。小鳥はあなた、大空飛びたいんだよ。籠の中に入れられてさ、ぶら下げられてさ、絶対動けないようにして監視されて、どれだけ毎日話をしてあげても、小鳥はノイローゼにかかりますよ。そりゃあ本性としてそういうとこあるから。

だから男っていうのは本能的にね、昔から狩りをやってたんだ。動物を追い回してね、野山を駆(か)け巡(めぐ)るのが男だったんだよ。そういう本能があるんだ、魂の中にね、そういう記憶があるんだ。だから現代の管理社会の中で相当まいっとるんだよ。だからその解放感がいるんだね。だから会社でしばられ、家庭でしばられたら、もう行く場がないよな、そういうことなんだよ。

だから放すことも愛、解放してやることも愛なんだ。しばることだけが愛じゃない、解放してやること、放すことも愛だよ。それがしばらなくてはいけないちゅうことは、基本的に相手を信頼してないちゅうことだな。相手を本当に信頼しているなら、しばらないで放してやることも愛、解放してやることも愛、僕はそう思うよ。

だからね、悪想念の根底にはね、やっぱり他人への不信感があるっていうことだな、結局は。そういう不信感でもっては、生きていってはいけない。私はそれを強く思うね、その辺みんなも、ちょっと考えてみてください。そうじゃないかな。


3.悪想念の解消


まあ今、悪想念の根源は、やはり他人への不信感だっていう話をしたけれども、じゃあ、この悪想念を解消していく方法、これは一体何か、これについて、ちょっと考えてみたいんだね。

そうしてみると、他人への不信感が原因とすると、この不信感の解消が第一だな。それともうひとつは、なぜ不信感が出るのか、この問題だね。なぜ不信感が出るのかという問題だな、これがひとつです。

それはね、結局、人間は他人がわからないということがひとつと、他人にわかってもらえないということがひとつなんだな、この両方だ。自分は他人に理解されてないっていう気持ね。それと他人を理解できないっていう気持と、この両方だね。この辺が悪想念の原因、あるいは不信感の原因だろうと思う。他人に理解されていないっていう気持、これが結構多いように思います。

なぜ他人に理解されていないんだろうか。これを考えたことがあるでしょうか。それは人間は一目見てね、相手の素性(すじょう)だとかね、環境、教育ね、家庭問題、こんなことわからんのさ、人間は一目ではね。だから、それをいちいち興信所じゃあるまいし、グダグダと説明することはできないでいるんだな、この辺がそういうことだ。そういう問題があるんだよね。

だからなんちゅうかね、結局人に理解されない悩みと、じゃあ自分は人を理解してるかって言ったら結局同じことだよな。あまりできてないんだよ。基本的に人がわからないんだよな。相手がわからない。自分もわからない、こういうとこだな。

じゃ人にわかってもらえないという自分、この自己イメージ、これが完全なイメージかっていったら、僕はそうでもないと思うんだな。そうだと思うよ。じゃあね、人にわかってもらいたいけどわかってもらえない自己イメージが本当だと思うかどうかね。

世の中に自分が悪人だと思っている人が、あなた方いると思うか、どうだ。死刑宣告された人が、自分はね、無実の罪だと思うね、実際殺しておっとってもね。殺したことを殺したと思わないね。やむにやまれぬ事情に追い込まれて、私は正義のために殺したとかね、あるいは神のために殺したとかね。あるいは彼の悪を葬(ほうむ)り去るために殺したとかね、みんな理由があるんだよ。絶対ね、自分が悪いと思ってないよ。

たとえば愛情三角関係でね、愛人が妻を殺したなんて、たとえば言ったとしてさ、これは愛人は、それは自分が悪いことしたっていうような、そうは思ってないよ。彼は、たぶん愛人のところへ行ってはね、「俺は本当に君が好きなんだよ。本当は君が好きなんだけど妻がいるからね、もうあの妻さえいなければ結婚できるのにね。僕は妻がいるからできないんだよ」こういう適当なこと言ってるわけだ。そしたら愛人は、それを聞いてね、「悪い女ね、あの妻は。そんな悪妻なの。彼を幸福にするためには、あの妻はいない方がいいわ。私は彼を幸福にするという理由のために、彼女を殺してしまわなければいけないわ」なんて殺しちゃいますね。

そしたら、たとえばそれでやり過ぎだっていうんで無期懲役(むきちょうえき)だとか、まあ死刑になったとしようか、ただ本人は悪いと思うかちゅうたら思ってないよ。「自分は純粋に愛のために生きた。彼のためにやった正義の行為だ。あんな悪妻をおいておくっていうのはとんでもない。彼は離婚したいというのに判コも押さない。だから永遠に離婚させてやろうと思って殺したのに、私は何も悪くない。それなのに死刑だなんてひどいわ」。こうなりますね。たいていこんなもんですよ。

なかなかね、自分のイメージって、みんな、そんなに悪くないんだよ。ただ時どき悪くなることもある。それはもうメチャクチャの時ね、自分はもう、なんというかみじめな時ね、もう失敗してね、もう最低、最悪だと思う時は、これは自己イメージは悪いよ。これ悪くなり過ぎとるけども、たいていの場合は、よく思えちゃうことも多いな。

だから、「あなた悪人だと思いますか」と開いてさ、「思う」という人は少ないと思うよ。まあ、おるかもしれない。だけど百人で二、三人ではないかな。インタビューしてごらん。「あなた自分を悪人だと思いますか」といったら、みんな怒るよ。「てやんでー、誰をつかまえて言ってんだ」なんてね、いると思うよ。ところが実際フタ開けたらどうかって言ったらね、あと半分以上か知らんが地獄さん行くでしょう。そうしたらどうなるんだ。みんな善人だと思う人がいっぱい行くんだ。

だから人に理解されていないと思っている、その自己イメージも必ずしも完全じゃないよ。あるいは他人が見ているのが本当かもしれないよ。人が見たらね、あいつはエゴイストだと思う。ところが本人は、自分は純粋だと思っているかもしれない。ね、どうだ、読者諸君、胸に手を当てて考えてみろ、感じることあるだろう。

他人をあなたはエゴイストだと思っている。しかしあなたは、そう思わんはずだ。あなたは、自分は純粋な人だと思っている。純粋でもう飾らなく生きていたために、その純粋さゆえに人に誤解を受ける。こう思ってないか、どうだ、ね、そうじゃないか。

あるいは、学歴なんかもそうだな。学歴コンプレックスなんてよくあるね。とにかく会社で自分は仕事ができるのに、学歴が今ひとつだから偉くなれないけれども、あいつは仕事もできないのに学歴があるから偉くなったと思うとするか、これが本当かどうかね、それはわかっておるかどうか、わからんと思うよ。

あなたが仕事ができると思っているのは本当かどうか、本当にできるかどうかね。これはね、もう一段高いところに立った人から見ないとわかんないよ。決して電話でワーワー言うのが、仕事ができることでもない。外走り回っているのが、仕事できることでもないんだよ。そうじゃない。やっぱり上の人っていうのはね、将来性、幹部になる資格、そんなものを見ているんだよ。

たとえばね、いかにも仕事できるようにやっておる人っているんだ。営業なんかいくとね、ものすごい大きい声出して、「ハイッ、わっかりました。ハイ毎度おおきに」ね、「ハイいっちょう上がり」ね、「私にすべて任してください」なんてね。ものすごく勢いがよくてワーワー言ってね、もう忙しい、いつも忙しい、忙しいって動き回っている人いるよ。どこの会社にもいます。必ずいます。で、その人はどう思っているかというと、自分はもうものすごく働き者でね、ものすごく仕事ができると思っているよ、本人はね。

ただ、上の人が見たら、そうじゃないね。忙しそうにしているだけで。ところが能力がある人から見たらさ、電話一本でね、「じゃあ、こうしましょう」でパンと終わってね。書類を書いて回したら、それで終わり。それなのに本人は一日中走り回ってんだよ、ね。根まわししなきゃいけないちゅうんで、あっち回り、こっち回り、いろんな人と会議やってね、ハアハア言ってね、あー今日は、よく働いたちゅうんで。もう、一人がいたら電話一本で終わっているんだな仕事は。こんなことあるんです。いくらも。

だけどね、自分はこんなに働いてんのに、あいつはね、いつもブラブラして暇そうにしている。なのにあいつの方が昇進している、絶対おかしい。これは学歴による不当な差別だ、こう思うね。ところがその学歴ゆえというか、その学校で勉強している分だけのことを知っているもんだから、判断ができるんだな。そうしたらスマートにパッと終わっちゃうな、こんなことある。この辺は、本人はわかんないとこあるよ。

女性でもいくらでもありますね。年頃の女性なんて、あの人と自分、いつもみな比べています。「私の方が若いわよ。私の方が料理がうまいわよ、私の方がきれいだわよ。私の方が声がいいね、私の方が足が長いね、私の方がグラマーよ」いっくらでもありますね。「なのに彼女がね、先に、お嫁に行ったとかね、なのに彼女が太郎さんのお嫁に行った。次郎さんに気に入られた」こんなのいっぱいありますね。それで不平、不満つくりますね。「そんなはずない、世の中公平じゃない。神様は不公平だ」こんな思いいっぱいありますね。

けどねえ、よくよく考えてみたら、本当かなーちゅうとこあるね。そんな欲求不満の、「自分が、自分が」というような人と結婚しなかった太郎さんは幸せもんかもしれない。そういうことあるかもしれないよ。で、わかんないね。

自己イメージって意外にみなさんね、難しいんですよ。それは、人間は決して自分の利害を離れて生きられないから、でも自分の利害を離れられないところが自分の向上の源泉にもなっているんだな、その両方なんですよ。

だからね、悪想念を解消するためにはね、僕はまず基本的に、こういう考え方が大事と思う。人に理解されないと思う自己像、セルフイメージは必ずしも、それが正しい像ではないっていうことね。自分が思っておる通りの自分が、本当にそれが神の目から見た自分では必ずしもないということ、意外に他人様が見ている自分の方が正しいかもしれないということね、こういう考え持ちなさいよ。

あなたは人に理解されないと思っておるかもしれないけれども、人が理解しているあなたの方が、本当の姿で、自分がこういう人間だと思っているあなたは本当じゃないかもしれないんだよ。こういう考え方を、まずひとつ持ちなさい。

もうひとつは、人が自分を理解してくれないと思う時に、自分も他人を理解していないということを知りなさい。あなたが人から誤解されていると思うだけ、他人もまたあなたに誤解されていると思っているということを知りなさい。お互いに、やっぱり表面だけしか見えないんだ。それがこの世の掟(おきて)なんだよ。

そういうふうにね、自分だけという思いを持っちゃいけないよ。「自分がこんなによくやっているのに、人が評価してくれないなんておかしい」なんて考えはおかしいっていうことだよ。自分だけ努力していると思っちゃいけないよ。他人だって、どこでどんな努力しているか、わかんないんだよ。そういう考え、大事にしなさい。

それとね、百パーセント評価されなくてもいいという気持ね、これ僕は持った方がいいと思う。百パーセントの自分を評価されないと気がすまんというと、人生は苦しくなるよ。いいじゃない半分理解されたら。半分理解されたら、いいじゃない。あとの半分を高橋先生が知ってたらいいじゃないか、そう思ってくれよ。

世の女の子たちよ、世のご主人たちよ、世の奥さんたちよ。半分理解されたらいいと思え、世間からは。後の半分はね、天上界から高橋信次がちゃんと見ているから「高橋先生、残り見てくださいね」と思ってなさい。

それと後ね、人に対する見方、自分も彼を半分しかわかってないかもしれないと思いなさい。残りの半分は何かいいとこあって「高橋先生、そう思っておるかもしれないよ」と、思ってくださいよ、ね。そんなもんなんですよ。

いいか、だからセルフイメージも完全じゃないけれども、他人に対する自分の見方も完全じゃないという、こういう考えね、これをしっかり見なきゃいけないよ。僕は、これをはっきり言っておきたいと思う。