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目次

 1.心の安定








4.他力思想の考察


さて、本章でいう心と安らぎの話に関しては、やはり、他力ということもちょっと考えておかにゃあいかんね、僕はそう思います。他力思想、これについての考察だよね。

昔から、もう他力っていうのは、もう極楽往生行く道とかね、すべてをお任せする、人間心を捨てる、計らい心を捨てる、そして大きな大仏さんの前の小さな小さな自分というものを見つめ直す、こういうことを行っておるわけですね。

ところが何というかね、ここに落とし穴があることは、僕は何回も霊言集の中で言いましたね。他力の一番危ないところは利益(りやく)っていうかね、ご利益(りやく)信仰になりやすいところね。なんとかしてほしい、なにかがほしいがために、なんちゅうかなあ神様にすがる、神だのみする、こういうところだね。こういう他力の思想があると思いますね。

だから他力の思想で僕がみていいと思うのは、その大いなるものの前に謙虚になること、ひざまずくことね、敬けんな心を生きることね、そういうところ僕は非常にいいと思いますね。執着を取り去る意味での他力、非常にいいと思う。

ところが、執着を強めるための他力っていうのは問題があると思うんだね。僕はね、他力が要するに、私は何も努力しないけど、もうこのお札(ふだ)さえつければね、家内安全とかね、これを祈願だけしたら、どうなるとかね、何とかの護摩供養(ごまくよう)やればね、それだけでもう繁栄するとかね、いい守護霊が持てるとかさ、こんなのは僕は絶対おかしいと思ってます。

じゃみなさんね、火の中になんでね、なんか木切れか何かに書いてさ、それを放り込んだら、それでご利益は来るんだい。これ答えてくれよ、誰か。僕に答えてくれ、誰でもいいから手紙くれよ。じゃなぜね、家内安全とかさ、商売繁盛とか書いてね木のお札に、それ火の中に放り込んで燃やしたら、なんでそれがかなえられるんだ。これ答えてくれよ僕に。誰がそれかなえるんだ、一体。

お賽銭(さいせん)放り込んだら、なんで願いごとがかなうんだい。これ答えてくれよ僕に。あの世にいてわかんないから理由が。僕、全然わかんないから教えてくれよ。お賽銭くれて喜ぶって神様一体誰だい。誰が喜ぶんだい。どこの神様だい、名前があったら教えてくれよ、ね。不動明王さんかい、竜神さんかい、誰だい一体、僕は聞きたいよね。

不動明王っていうのはみなさんね、地上に降りた光の天使たちを守る、そういう役割してるんだよ、外敵からね。あるいは悪魔から、そういうのを守るのが不動明王の役割でね、いつも護衛(ごえい)、光の護衛なんだよな、こういう不動明王っていう役割があります。

あるいは竜神っていうのはね、たいていの場合は竜神っていって、この世で祀(まつ)られておるのは、ほとんどが動物霊ですよ、皆さん。蛇の類(たぐ)いですよ。この竜神なんていうのは。守護霊が竜神とかね、あるいは守護神が竜神とかいうのは、これ全部動物霊ですよ、ほとんど。あるいは悪魔ですよ。この類いですよ。

絶対間違っちゃいけないよ。竜神さんが幸せにしてくれるなんていうことはありませんよ。そんなもんじゃないよ。そういうふうに思わなきゃいけない。

もちろん天上界の中には、竜宮界、そのようなところには竜神というような自然霊に近いようなものもおります。天変地異にちょっと影響与えているようなね、自然に影響を与えている竜神さんなんてのもいることはいます。けどもね、それが地上の人にね、いろいろと供養しろと言いにいったりね、自分を祀れと言ったり、そういうことは、ほとんどありません。ないです。だから八大竜王がどうのこうのとかね、なんじゃかんじゃというところは、まあだいたい危ないと思って間違いないよ。

光の天使の世界っていうのはね、地上に生きて立派な人たちが、やっぱり光の天使になるんだよ。あなた方、地上見渡して、これは立派だと思うような人が、あの世に還(かえ)って、そんなことやると思うか。

どうだ、ソクラテスみたいな人が、あの世還って竜神になると思うか。高橋信次があの世に還って猿神さんになると思うか。よう考えてみい。どうだね。谷口稚春先生があの世に還って、あなた稲荷大明神になるか、なると思うか、どうだ。なりゃせんのだよ。やっぱりあの世というのは、この世の延長なんだよ。いいか、この世の延長なんだよ。

だから、その辺間違っちゃいけないよ。だから他力思想でもね、私は、これ他力のことをもっと本当は言いたいんだけれども、こういうご利益信仰、本当止めなさいよ。なんとかのためやりたいとかね、こんなんでやってね、お金は損するわ、お金損するどころか、自分の魂の格が下がるんだよ。いいかい、そんなのは間違ってますよ。

だからやはりね、他力っていうのは私は、謙虚な他力ね、大いなる存在、神の前に小さくなる自分、常に努力を失わない自分、謙虚さ、そして精進、この姿勢を忘れない自分、これはいいと思う。

ただ、棚からぼた餅式の他力は危険です。そういうことも、実際はあることもあるでしょう。自己実現なんていってね、念じたら実現するってことあるでしょう。それは、その人が心清く生きとった時には、その人の守護霊や指導霊が協力しているけど、欲望のままに生きてた時には、それは光の天使ではなくて、曇りの天使ね、地獄の悪魔たちが、その人を虜(とりこ)にしようとして協力することもあります。そんなんで喜んじゃいけないっていうことだな。いいかな。

だから他力思想をやる時には、その欲望の点検が非常に大事ですよ。そうじゃないと、他力をやっても、欲望が次から次へと膨(ふく)れてくるんだな、心の安らぎは永遠にありません。

だから他力をやるんならね、僕はね、高級諸霊の感謝ということでの他力ならいい。謙虚にね、自らを振り返り、日々自らを振り返り、守護霊、指導霊ありがとうございました。全知、全能の神よ、ありがとうございました。今後も私を導きください。こういう他力はいいですよ。

ただ、これをかなえてくださいというようなね、それもあるけどね、そういう他力もあるけれども、あんまり欲望を募(つの)らせてはいけないよ。だから結婚祈願なんかでも言うじゃないか、「願わくば結婚させてください」ちゅうけども、「み心のままに」とかね、あるいは「社会のために」ね、「二人で貢献していきたいから、二人で世の中のために生きてゆきたいからどうか、そういう伴侶(はんりょ)を私にください」というのはいいんだよ。ただね「自分はもうね、お金でね遊ぶのはちょっと金がないから嫁さんくださいね、色街で遊ぶには金がないから、嫁さんがほしい」ってこんな他力はいけませんよ。いいかな。こんなの欲望ですよ。この辺のところをね、よーく考えなきゃいけないよ。

だから、これは僕の考えが必ずしも完全じゃありません。僕とは違う考えもあります。ただ百事如意(ひゃくじにょい)、思ったままに世界が展開するという考えもあります。それも間違いではないです。間違いではないけれども、ただ危険性があることは事実ですね。僕は危険性があると思います。だから他力というものを考える時に、やはり謙虚さ、および感謝ということを中心にした他力の方がいいように思います。

そういう意味では、前に僕が『高橋信次霊言集』で言ったようにね、反省、瞑想、祈り、この順序を間違えるなと言いましたね、今もそう思ってます。

やっぱり反省あって、次にね、心の開拓、心の創造性を駆使するための瞑想、そして祈りね、やっぱり自己実現だな、これ大事だよ、これ僕は否定しているんじゃないよ。大事だと思う。ただその前に心を透明にする必要があるね、清らかにする必要があるね。反省、瞑想、祈りの順、これを決して決して忘れてはいけないと思うよ。


5.知るということ


まあ、いろんなこと話してきたけれど、心と安らぎということについてね、結論めいた話をするならね、やっぱり私はね、知るということが大事だと思う。知っているということがね、たとえば自分自身を知っている。あるいは他人を知っている。この世界を知っている。神の法を知っている。神理を知っている。これは大きいです。こういう知っている人は、心に安らぎがあります。

自分自身さえ知らない人がほとんどです。ソクラテスが言った通りです。「汝自らを知れ」です。自分自身を知らない、探究しても探究しても、自分自身っていうのはわからないです、本当の姿は。それほど難しい。他人もそうです。神理もそうです。行きつくところがありません。どれだけ探究しても探究してもある。神の法はそうです。そんなもんです。

ただね、知るということは、それは自分をやはり大きくするよ。知るということが大きくする。いろんなことを知るということがね、力になる。知は力なり、そして自らを大きくします。自らが大きくなるっていうことは、どういうことかというと、これが心の安らぎにつながっていきます。要するに大きさがね、安定感につながっていくんですよ、それがある。自分が大きくなる。いろんな世界観を知り、人間を知り、自分を知ることによって、あの奈良の大仏さんのような大きな自分となっていきます。そうした時に、どうなるかっていうと心が安らいでくるんですね。

だってあなた大仏さんなんてさ、石ころひとつ投げたって怒りゃあしないじゃないか。ところが生身(なまみ)の人間にぶつけてみろよ、石ころ、怒るぞ。嘘だと思ったら警察官に投げてみろよ、すぐ逮捕されるよ。ところが大仏さんなんてね、蝿叩きで叩いたって怒りゃしないしさ、蚊(か)が刺したって怒りゃしない。はたきパタパタかけたって知らん顔しているよなー。それだけ境地が大きいんだよ。違うかな、そんなもんだな。

それは何かっていうと、もう全人類の悲しみを知っている。全人類の悲しみを知っている私ちゅうふうな顔をしとるじゃないか。そうだろう。結局、知るということがまた慈悲の心にもつながっていくんですよ。

生物たちの苦しみ、動物たちの苦しみ、植物たちの苦しみ、あるいは人間の苦しみ、男の苦しみ、女の苦しみ、こういうことを知ることによってね、それが大いなる慈悲の境地へと高まっていくことがある。やさしくならざるを得ないんだな。知れば知るほど、本質を知れば知るほど、わかることが多ければ多いほど、やさしくなっていく、やさしくならざるを得ないんだ。

そうすると結局ね、人間不信の原因いろいろ言ったけど、相手がわからんというのも大きな原因だな。相手がわかるということはね、腹が立たなくなります。相手がなぜこういうことを言うのか、なぜこういう状況にあるのか、それがわかれば腹が立だなくなります。僕はそう思いますね。

だから知るということはね、大事なことですよ、みなさんね。知るという努力は毎日毎日できると思うんだな。毎日何かを学ぶということでもある。言葉を換(か)えれば学びですよ、学びね、学ぶということ、これが力ですよ。何を学ぶか、君は何を学んだってね、一日考えてごらん。

反省っていって自分の悪いこと、反省しようとしてもできん人いっぱいいるだろう。そういう人はね、反省でなくてもいいんだ、寝る前に一度自分を振り返ってね、今日、自分は何を学んだか考えてごらん。これでもいいんだよ、この方がやさしいかもしれないね、若い人なんか特にそうだね。若い人なんか反省難しいけれども今日一日、自分は何を学んだか、これを考えてごらん。それが多ければ多いほど、その人はやがて大きくなってくるんだよ。学んだことが多ければ多いほど。

みなさん方今日、何を学びましたか。たとえば、この本を読む人、『高橋信次の霊言』読んでね、『霊訓』読んで何学びましたか。読んだだけで終わったらゼロですよ。いいかな今日、本を手に取って、書店でちょっと高いと思ったけど買ってね、一冊千円かなんかで買って、赤線引いて読んだね。それで何学びましたか、反省っていうけど、自分の悪いところだけ見つければいいんじゃない。逆に、自分は今日一日で何を得たか、どのような教訓を得たか、何を学びとったか、これを知ることも力ですよ。これが大きな器へとつながっていくんですよ。

いいかな、だから僕は心と安らぎという話したけどもね、この根底にはやはり知の力、知るということの力、認識の力、これがある。そのためには、認識を高めるためには一体どうしたらよいかというと、結局、日々何かを学んでいこうとする姿勢、これが一番大事です。

常に自分は何を学んだか、今日一日何を学んだか、それをしっかり整理していくことですね、これが何よりも大事です。日々積み重ねていくこと、実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな。この心境で、謙虚に日々何か必ず学んでいくこと。

何も学ばずに今日一日絶対終わらんぞ、一日も無駄にしないぞ、今日絶対に僕は何か学ぶぞ、どんな失敗があっても、そこから何かを得るぞ、どんな悲しみがあっても何かを得るぞ、どんな苦しみがあったって絶対立ち直るぞ、そこから何かの教訓を得るぞ。こういう姿勢でね、生きていくことですよ。すると心は、いつも安らいできます。そしてこの心の安らぎは、やがて大きな幸福感へと変わっていきます。それが大事ですね。まあ、そういう話をして、今日は終わるとしましょう。