※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

目次




 4.愛の世紀






(1988年6月2日の霊示)

1.未来社会の構想


高橋信次です。引き続いて第二章に入っていきたいと思います。本書は『高橋信次の大予言』と銘打ってますのでね、未来の話もだいぶしていこうと思ってます。そこで、まず未来社会についての考え方、こうしたものを明らかにしたい。そういうふうに思います。

未来社会というのは、どういう社会が展開するか。これをね、現代の、科学者、あるいは政治家、経済学者、社会学者、こうした人たちが、知恵を集めて、今、考えています。知恵を集めて考えているけれども、よくわからない。

確かに、次の時代への芽というのは、すでに同時代のうちから始まっているんです。したがって、現在、同じ時期にあるもののなかに、将来への布石、あるいは未来社会への種播(ま)きの部分があるのです。ところが同時代人にとっては、何が未来に残っていくものであり、何が今世限り、今回限りのものであるか、この辺がわからないんだね。

光の天使で偉大な思想を残した学者は、過去多くいますが、その当時はやはり彼らも一人の優れた学者ぐらいであって、それほど偉いとは思われなかった。ところが時代が経ってみると、その偉さが抜きん出て見える。そうしたことがいくらでもあるわけです。このように、同時代からはなかなか未来社会というのが見えない。そういうふうに言えるのだろうと思います。

そこで、地上にいるみなさんは、なかなか未来社会のビジョンが見えないと思うので、こうした私たちの世界、実相世界から見て、どうした未来社会が計画されているのか。これについて、話をしておきたい。このように私は思います。今、神様が何を考えているのか。あるいは神様に近い高級諸霊たちが、どうしたことを考えているか。こういうことです。

この地上というのは、非常に面白い世界であって、ひとつの自治権が与えられているんだね。自治権というのが与えられていて、それぞれの人間に自由意志があって、その自由意志で生きている部分があるんだね。これについては高級諸霊であっても、勝手にできないという面があるわけなんですよ。

たとえば、私も霊言、霊訓のなかで何度も何度もいろんな人に呼びかけていますが、地上の人で私の声に応えてくる人、応えてこない人、いろいろいるわけですね。これなんかを杓子定規(しゃくしじょうぎ)に一律にできないか、という考えもあると思うけれども、これこそ自由意志というものがどういうものかということを、教えていることになるわけです。

たとえば、あの世の世界であれば、霊的な世界においては、その魂の偉大性というのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)なのです。そして人びとは自分より上位にある者の、そうした光というものに打たれて、それに従わざるを得ない。こうした自然な徳と言いますか、秩序というものがあります。この地上世界、三次元世界だけが非常に無秩序です。無秩序というのは、神に近い者が本当は秩序社会においては上にあって、そうでない者は下に置かれるべきであるにもかかわらず、そうした秩序がないということだね。

だから昔のように、地上世界は仮の世界、そしてあの世の世界が実(じつ)の世界、実相世界、本当の世界という見方もあるけれども、別の見方をすれば、この地上というのは無秩序の世界で、あの世の世界は秩序のある世界です。これだけは間違いがない。秩序がある。

どういう秩序があるかと言うと、霊的秩序、これだけは確実にあります。霊的秩序です。何がより神に近い考えであり、何がそうでないのか。どういう人が神近き人であって、どういう人がそうでないのか。こうしたことだけははっきりしています。そして神の心に合致した行為、行いということ、考え方、言葉というもの。これもはっきりしていますが、これに反する、これに遠いもの、これもはっきりしています。この地上世界だけが、それがわからないでいます。そうした独立した、非常に変わった社会が出来ているのです。

それは、魂修行という意味、特殊な意味において、そうした世界の存在が許されているのです。そして魂修行という、そうした意味、教育の目的でもって、自由意志というものが非常に尊重されている世界でもあるのです。

すなわち、高級霊たちもインスピレーションというかたちでさまざまな指導はできるけれども、直接的なかたちで人の心を変えてしまおうということまでは、許されていない。あくまでもそれは、例外的措置としてだけ許されています。そうしたことがあるわけです。

したがって、これからの未来社会、私たちがどうした社会を構想しているかと言うと、一言で言うと、この「秩序」をある程度この三次元世界に、地上世界に降ろしたいということです。地上世界にこの天上界の秩序を降ろしていきたい。これははっきりした考えとしてあります。すなわち、どうした仕事が神の心に適(かな)っている仕事なのか、あるいはどうした生き方が神の心に近いのか。どうした心情が本当に人間として学ぶべき徳目なのか。こうしたことを教えていくつもりなんです。そうした社会の実現を目指したいのです。

今の世の中にあるような、会社の格であるとか、一流企業、二流企業、いろいろあるが、そうしたものだけで縛(しば)られていく考えではなくて、やはり神の心に適った仕事をしている企業なら企業、人なら人とはどういうものか。学問領域において、神意にそったものはどういうものなのか。家庭生活において、神の心に近い家庭生活とはいかなるものなのか。こうしたことを、明らかにしていきたい。そうした計画がある。

これが、結局、未来社会の構想なのです。これをどういうふうにビジョン化するか。そして具体化していくか。このために、今、天上界でもいろんな意見が闘わされていますし、地上に次々と光の天使が送り込まれている。そうした意味が、あるいは理由があるわけです。


2.新文明の潮流


さて、そうした新文明、あるいは未来社会の到来の予想図は、いったいどうしたところに出てくるのか。どうした流れのなかに発見されるのか。これを考えてみたいと思います。

そうしてみると、私は新文明の潮流として、大きく三つぐらいの潮流があるのではないか。このように思うわけです。

それが何かと言うと、第一は、これは明らかに、新・新宗教と言うよりは超宗教で、超宗教の時代が始まるということです。今までの宗教の枠を脱皮した、超えた宗教と言いますか、これが始まっていく。そして、これは、信仰と言うものの姿が変わってくるというひとつの中身を含んでいると思います。

どう変わってくるかと言うと、今までは姿、形なき神、何を考えておられるのかがわからない、そうした神をとにかく信ずるということが、宗教の本質にあったように思いますが、これからはそれを明瞭に、思想として、理解し、体得していく、こういうことがあり得るという社会です。

すなわち、最後の一点として、目に見えぬ神というものを信ずるというところはどうしてもあるけれども、その目に見えぬ神そのものの存在と、その考えというものが非常に明確にされていく。それは特に、私たちの活動を中心として明確にされていく。こういうことがあるということです。

そして、これはただ日本だけではなくて、他の国でも多く起きていきます。おそらく、多くの国で次々と宗教改革というものが起きていきます。社会改革も同様に起きます。それが、おそらく日本の近辺にある韓国とか、中国とか、東南アジアとか、こうした国を中心に、いろんな改革というのが起きてくるのです。それがね、やはり新しい流れのひとつであると思います。そうした超宗教の流れが出てくるということが第一点。

第二点として言えることは、教育というものが変わっていくということです。教育というものが変わっていく。それは、その宗教の概念の変化にともなって、教育というものが変わってくるということです。

今まで教育というもので教えられていた、そうした内容は、学問的に集積されたもの、実証性のあるもの、こうしたものが中心になってきたわけだけれども、これからは、実証的学問を超える動きが出てくると思います。単に実験で確かめられるもの、あるいは誰が見てもそうであるもの、現に手で触れ、目で見えるものだけを学ぶという、そうした教育のやり方は、おそらく時代遅れとなっていくであろう。私はそう思います。

そして、現在、大学で教えられているような内容、こうした内容は、やがては高校レべルに下ろされていくと思います。大学の教養課程であるとか、専門課程の一部が、高校レベルまでおそらく下がっていくと思います。そして現在の大学でやっているような内容は、おそらく違ったもの、未知なるものの発見の場と変わっていくと思います。

つまり、大学というようなところは、本来の意味における研究の場となっていく。私はそう思います。三次元的なる知識は、高校で終わりというかたちにだんだんなっていく。そして大学では未知なるものを探究する。この世で常識とされているようなこと、これはあえて研究する必要はない。未知なるものを探究する。今まで発表されていないもの、今までメスが入っていないもの、こうしたことを主として探究する場、そしてそういう教育機関としての大学というのが機能してくると思います。

すなわち、従来信仰と言われた世界のなかにも、教育の領域が広がっていくということです。これなくしては、本当の研究の意味がなくなってくると思いますし、科学の領域ですね、物理や、そうした領域でもおそらく霊的世界の探究というのが徹底的に始まっていきます。それをやらなくては、未来社会の意味がなくなっていくからです。そうした社会が今後流れ出ていく、始まっていくということを、私は予言しておきたいと思います。


3.科学技術の新展開


さて、そうした新文明の潮流のなかで、科学技術というのはどういうふうになっていくのか。また、どうした方面が今後、脚光を浴びるようになっていくのか。それについて若干考察し、考えてみたいと思います。

現在の科学の領域では、たとえば、超伝導というようなことが非常にさわがれていると思います。超伝導ということをみなさんはご存知かどうかは知りませんが、ある種のセラミックスです。こうしたもののなかに物を空中に浮かせるような、そうした機能を持たせるということなんですね。空中に物が止まるような、そうした現象をつくる。こうした研究が行われていまして、これが未来の科学の非常に大切な発見になるだろう。こんなことが言われているわけです。それを使うと、ホーバークラフトの原理のように物が空中に浮くわけです。そうしたことが考えられています。

具体的な、専門的な説明は、もちろんそうした専門書によりたいと思うけれども、ただ私はね、この延長上で今後発明されるもの、どういう方面が発明されていくか、これについて考えてみたい、予言してみたいと、こういうように思います。

そうすると、今後おそらく発明される装置としては、やはり磁力線の調整機能だね、こうしたものがおそらく出るだろうなあと思います。磁力線というのはみなさんわかるでしょうか。まあたとえば磁石ですね。電磁石というようなものがあって、物をくっつけたりする機能を持ってます。こうした電磁石の出すような磁力線です。こうしたものの研究がさらに進んでいくだろう。そして、その磁力というものをさまざまに変化させ、使えるような、そういう揚が出てくるだろうということです。

したがって、そうした磁力線の開発によって、調整装置の発明ということによって、たとえばそうしたある種の機械を用いて光を当てると、たとえば遠隔地にあるものを動かしたり、宙に上げたり、降ろしたり、横に振ったり、こういう装置が出来てくるということですね。これはまだ発明されていないと思いますが、あり得るということです。これが発明されると非常に便利なことがいろいろあります。

たとえば、現在、大都市での超高層建築をどういうふうにしているか、みなさんご存知でしょうかね。クレーン車を上げて一階一階造っては上にあげ、造っては上にあげというようなことをやっている。そしていちばん頂上、屋上まで造ったら、そのクレーン車を今度は分解して小さいクレーン車で降ろす。そして、その小さいクレーン車は今度はエレべーターで降ろす。こういうことをやってますね。

こうした設計の方法をとっていると思いますが、こうした磁力線の調整装置、これが発明されると、遠隔でいろんな物を動かすことが可能になってくるわけです。そうしたクレーン車を超高層建築のいちばん上に置いて動かさなくとも、そうした遠隔操作によっていろんな物を持ちあげることが可能となってきます。そして、地上からさまざまな機械をあげたり、鉄骨をあげたり、あるいはセメントをあげたり、こうしたことが可能になってきます。空中でそれを動かしたりすることができるようになるのです。

それをするためにはどうするかと言うと、動かしたい物に対して、たとえば一定の波長の光を当てておくわけです。これはなんでもいいのですが、目に見えるように言うとすると、たとえば青なら青といった光線をいったん照射しておく。その支配下におくものに対してそれを照射すると、一種の電磁波を帯びるわけですね、その物が帯びる。これに対して次の作動用の電磁波を出すと、これが感応して自由自在に上にあがったり、左に動いたりするようになるわけです。こういうかたちになり、言ってみれば霊界世界の出現みたいなものです。

霊界の世界では、念だけで物を動かすことができます。山の岩を切り崩したり。宙に浮かしたり、空を飛んだりすることが自由自在にできますが、これに近い現象が三次元世界に起きてくる。この磁力線の発明によってそうしたことが起きます。

そうするとどうなるかと言うと、たとえば海底探検の機械なんかがあります。水中艇みたいなのがあって海底探検していますが、そしてマジック・ハンドなどで海底の岩を取ったり、力二を捕まえてみたり、いろんなことをしていますが、この磁力線装置の開発によって、海底にあるものをいろいろと切り崩したり、動かしたり、持っていったりすることが可能になります。海の外に出なくてもそうしたことができる。したがって、この発明によって、海底の鉱山の開発、鉱物の採取とかが非常に容易になっていきます。

たとえば、海底に潜(もぐ)った潜水艇のなかからレーダーで見ていって、ある種の金属の鉱脈を掘り当てたとすると、そこで艇を止めるわけですね。そして探査機械を回して調べてみる。そしてある海底のなかの山の中に、ウラン鉱ならウラン鉱の鉱脈があるとすると、そこにこの電磁波装置によってひとつの光を当てると、切り出しということが行われてくるのですね。その周波数をウラン鉱石に合わせた周波数を出すと、ウラン鉱石だけがその山のなかから取り出せる。こういうことが可能ですね。そしてそれを水中に浮かしながら引き寄せてくる。こういう採取ということが可能になってくるのです。

これによって、非常に大きな科学的発明ができます。これは飛行機の原理としてもおそらく応用できようになっていくでしょう。超伝導の先にそうしたものがあり得るということを、私は予言しておきたいと思います。

これ以外に何があるか。こうした質問をされる方もいらっしゃるでしょう。いくらでもこれはもちろんあるわけですが、もうひとつだけ言っておくとするならば、これは主として、エネルギー原理の新発明ということであると思います。今世紀末から来世紀にかけて、エネルギー革命が起きてくると思います。

それは主として何かと言うと、石油のようなもので今までやっていたものが、あるいは電力で動かしていたものが、やはりキャパシティーが満杯になってきて、新たな力を、動力源を必要とするようになってくるのです。

その新たな動力源として、私の予想では結合のエネルギー、あるいは化学反応のエネルギー、こうしたものを取り出すということが可能になると思います。現在、化学反応によっていろんな元素同士がくっつく、分子、原子がくっつくというような化学反応がありますし、またそれが離れたりするというようなことがあると思いますが、こうしたいろんな化学反応から莫大なエネルギーを取り出す。そういうことがおそらく可能になっていく。そういう時代が来る。

まもなくエネルギー革命の時代が来る。それを予言しておきたい。それも、科学技術の新展開のひとつであろうと思います。


4.愛の世紀


そうした科学の時代が来るということもひとつですが、同時に、不思議なことに、愛の世紀も来るということが言えます。愛ということは、今まで宗教の世界のなかにひっそりと眠っていたものですが、今後、この愛を科学するということが非常に大事になってきます。

イエス・キリストが、今から二千年前に、ナザレの地で愛を説いた。今までその愛というのがクリスチャンの胸のなかを流れ流れて、また、キリスト教を信じない人びとのなかにも大事なものとして流れてきました。

もともと仏教などにおいては、愛というものは執着の別名であって、それほど素晴らしいものではなかった。愛というのを非常に素晴らしいものとして、愛の価値概念が出来あがったし、これは世界的に素晴らしいものとして、今、広がっていると思います。これは、キリスト教の非常に大きな成功のひとつです。そのように私は思います。

ところが、これから先の世紀においては、愛というものがもっと科学される。そういう時代が来ると思います。今まで愛というものを無前提に、あるいは無批判に素晴らしいものというふうに受け入れ、それを信ずるということが大事である、こういうことが言われていたわけですが、これからは愛が科学される時代が来る。そうした時代の到来を、私ははっきりと実感するのです。

すなわち、愛というものがもう少し科学的観点から分析されてくる。そういう時代が来るということです。愛のエネルギーとは一体何なのか。愛を実践することによっていったいどのような効果が出るのか。それによって人間がどう発展し、社会がどう発展するのか。そうした愛の力学ですね、愛の物理学、これが真剣に検討されるようになると思います。

物理学というような、物と物を動かしたり、物と物との関係だけ考えるのではなくて、これからは人と人との関係学、人と人の間の物理学ですね、これが非常に重要になってきます。物と物とがどういう反応を示すか、どういう力学的数式のなかに納まるかという、そうした物理学の領域がありましたが、こうした領域が今度は愛の段階、人間関係論として出てきます。人間関係のなか、人間関係論のなかに物理学というものが入ってくるわけですね。

そして、愛の質量というのが測定されます。どの程度の愛か、その質量が測定され、また愛の速度、愛がどういうふうな運動速度を持っているか。その結果どうしたエネルギーがそこに生まれてくるのか。また、そうした愛の原因によってどのような結果が生まれてくるのか。この愛という目に見えぬ力、この物理法則というものが徹底的に研究されるようになります。

そして、人間が幸福になっていくためには、これだけの愛をこれだけの時間、こういうふうに使用していかなければ、本当の意味で人間が向上しない。社会が向上しない。こうしたことがわかるわけです。これは科学者の観点から見た社会変革の理論、ユートピアの理論であろうと思います。

こうした社会調査というものを、随分いろんなかたちで、サンプル調査から始まって、世論調査などとやっていますが、社会変革のための、このユートピアのための原動力というものを、もう一度科学的にとらえ直してみる必要がある。世の中が変わるにはいったいどうすればよいのかということを、科学的手法を導入して検討してみる必要がある。

たとえば、世界のなかから戦争を減らすためには、いったいどうすればよいのか。どうしたかたちでの愛が、どれだけの量あればよいのか、どうした行為が必要なのか。こうしたことを検討していくことができます。そして、世の中のユートピア度、ユートピア係数というものがはじき出せるという、そういう時代が来ると思います。

今、日本のGNPであるとか、アメリカのGNPであるとか、こんなことが言われています。あるいは国民一人あたりの所得というようなことが言われていますが、新時代においてはこの観点は違ってくる。各国別のユートピア度数、こういうものが競われていい時代になる。そしてユートピアの度数が高いほど、いい国だということになる。

また、国民一人あたりのユートピア享受(きょうじゅ)、享受量、摂取量、こうしたものが計られるようになってくるのではないか。総合的な観点からのユートピア量、これが検討されるようになるのではないか。私の目にはそうしたふうに見えます。

人びとが住みよくなるためには、それは住宅環境だけではない。食生活環境だけではない。心の環境において、人間関係において住みよくならねばならん。人間関係においっていちばん大切な要素を出していって、その度数を計っていく。そして国民総ユートピア量、こうしたものを出していくわけですね。そして一人あたりのユートピアの享受量、こうしたものをスッキリと出していく。

こうしていくと、国民間において国のユートピア度、これの検討、あるいは切磋琢磨(せっさたくま)というのが始まっていくわけですね。それによって新たな世界が展開してくる。新世紀が始まる。私はそのように思います。この愛の世紀、これが始まっていきます。

みなさん、本当に向かうべき方向はそういうところにあるのです。それをしっかりと知っていただきたいと思います。


5.光はあふれる


そうした愛の世紀が訪れるわけですが、そこの世界にあふれている光、これは神の七色光線でもあるわけです。したがって、愛の世紀においては、また、光、神の光というものが徹底的に分析されていかねばならんのです。神の要素としていろんなものがあると思います。愛であるとか、慈悲であるとか、勇気であるとか、正義であるとか、創造力であるとか、さまざまな要素があると思いまずか、この神の光の性質というものの研究、これが大事です。

ニュートンの時代から、光の工学的な研究というのはあったと思います。レンズを通すことによって、光をさまざまに動かしてみたり、あるいはプリズムを通すことによって七色の虹を出したり、いろんなことをしておりましたが、これからの科学者の本当の使命は何かって言うと、神の光というもの、これを解明すること。この物理学的性質を解明するということ。これが大事だと思います。

今、霊道を開いた人たち、そうした特殊な人たちは神の光というものを実感しています。祈れば、たとえば神の光は燦燦(さんさん)と射してきます。そして手をかぎして病人の患部に当てると、神の光が入っていきます。そしてその病気が直ったり、気分がよくなったり、そうしたことがあるわけですが、この光というもの、この光の性質については、人びとは無知です。宗教家たちも、霊能者たちも無知です。この光とは一体何なのか。この神の光の性質、これを科学的に分析しようとする、そうした人が出ます。現代のエジソンみたいな人が出てくると私は思いますし、それがこれからの新しい時代の発明、発見です。

現在設けられているようなノーベル賞の対象となるようなもの、こうしたものは大した発明ではありません。私はこの神の光の性質を分析するのが、今後の科学者の使命だと思います。そして神の光の性質を徹底的に分析して、それをどういうふうに有効利用していけば世の中がよくなっていくか。これを知ってほしいと思うのです。この神の光というものを、科学的にキャッチできるようになったら、本当に病人なんか直ってしまいます。医学の非常な進歩、進化になっていくと思います。

こういうふうに、光、神の光が、どういうふうに多目的に使われていくか。この観点が非常に大事である。私はそういうふうに思います。これは現実にあるんですよ。それはね、不思議なことですが、人間の心というものを調和して、そして守護・指尊霊の光を受けようとすると、そうした光が天上界から実際に射してくる。

さて、この光そのものの性質はいったい何なのか。これは人の心をあたたかくする。人を幸福な感じにさせる。また、物理的効果として、病をある時は直してみたりすることもある。病を直したり、けがを直したりすることもあれば、その人に勇気を与えて人生を一転させることもある。

また、未来を予知させるようなことを起こしたりする。こうした不思議な性質を持っています。この光というものか一体どういうものであるのか。これを分析、研究しないでは、今後の未来科学というものは成り立ちません。

そして実は、この地上のあらゆるものも、この神の光というものの影響を受けているということです。これなしには成り立たないのです。だから物理的な研究や、科学的な研究をいろいろやっても、それが実は神の光の影響下にあるという事実があるのです。これを知らなければ意味がない。

また、霊体、霊魂とか、魂と言われるものの質量、あるいは性質、こうしたものについてもどんどん研究のメスが入っていくべきです。心霊研究家などという特殊な領域に今は任されているけれども、これは未来科学の最先端です。霊というのはいったい何なのか。これを科学的にどう分析していけばいいのか。その世界はいったいどうなっているのか。どういう性質を持って、どういう法則性のもとに生きているのか。彼らの意志はどうなっているのか。こうしたものを、研究しないではもう駄目です。これからは、目に見えない世界の探究が徹底的に始まっていくのです。

今まで目に見えない世界の探究のひとつとして、宇宙空間の探究、海底の探究、またミクロの世界、黴菌(ばいきん)の世界の探究、素粒子の世界の探究、こうしたものがあったのでしょうが、これからはその三次元世界を、その壁を、乗り越えた世界の研究、これが始まるのです。

現に、「高橋信次」という名で呼ばれているこの私の霊エネルギー体は、九次元世界から出ているものです。その九次元世界にある、私の霊エネルギーが、今、三次元世界のなかに、こうした言葉として結晶しています。言葉として降ろされています。この意味がみなさんわかるでしょうか。なぜ、九次元霊が、そうしたエネルギーがこの三次元のなかに投影されるのでしょうか。放射されるのでしょうか。これをもっともっと勉強してみる必要があります。

なぜ、如来や菩薩と言われる光の天使たちは、こうした高次元の光を地上に在りながら受け止め、それを放出することができるのでしょうか。また、心を調和すれば、あるいは反省によって心の曇りを取り除いた時に、神の光が射してくると言うけれども、それをどういうふうに科学的に説明すればよいのか。これは大きな課題としてあるのです。単に宗教家の仕事としてだけでは、これは成り立だないと思います。宗教家の世界では、これは単に信ずるということで終わってしまいます。

しかし、科学者はそれで満足してはならない。なぜそうなるのか。心をどう調和すれば、心はいったいどうなるのか。そうすることによって、なぜそうした高次元の光を受けられるのか。そういう問いかけを持たねばならない。

心はまことに不思議なものです。これをラジオセットにたとえて説明する人、テレビのチャンネルにたとえて説明する人、いろいろいらっしゃいます。ただ実際上、なぜ、六次元の悟り、七次元の悟り、八次元の悟り、九次元の悟りというものがあって、その悟りに応じた周波数の電波、高級霊の霊示というものを受け取れるのか。この原理の説明、探究、これをしなくてはならない。現時点ではそれが単に事実として教えられているけれども、なぜそうなのか。

また、如来の境地というのは、心理学的に分析してどういう境地を如来というのか。菩薩の境地というのは、心理学的に言ってどういう境地を言うのか。それを定義するとどうなるのか。そして、そうした心境でいるということが、この神の光の物理学のなかにおいて、いったいどういう法則下にあるのか。なぜそうなのか。

こうしたことを考えてみる必要があると思います。これは非常に面白い学問だと思います。先端的な学問です。大変珍しい学問ですが、いずれこの世界に、どうしても人間は入っていかざるを得ないのです。避けて通るわけにはいかないのです。そうした世界が待っている。時代が待っているということを、私は予言しておきたいと思います。


6.さらば、二十世紀文明


さて、本章を締めくくるにあたって、「さらば、二十世紀文明」と題して話をしたいと思います。

二十世紀の文明というのは一言で言うならば、機械文明であった。こういうふうに言えましょう。機械文明であると同時に、唯物(ゆいぶつ)主義の文明でもあった。また、唯物主義の文明であると同時に、神秘主義のはしりが始まった時代でもあった。そういうふうに言うことができるのではないか、このように整理することができるのではないか。そのように思います。

この二十世紀文明というものを今、私たちは総決算するために、さまざまな霊示を送っています。その総決算というのは何かと言うと、結局、霊の世界と科学の世界とが二分された、こういう時代であったと言えると思います。一時代前には、霊と肉とが二分されました。霊は霊、肉は肉、あるいは精神は精神、肉体は肉体、こうした合理主義の考えが始まったわけですが、それが今世紀になるともっと明らかになってきて、霊的世界は迷信の世界、この世の世界だけが実際の世界、そうしたウエイトづけのもとに、この世の世界の研究、探究だけが先走った、突っ走ったという結果が出ているように思います。

しかし、二十世紀文明はまもなく終わらんとしています。そしてその幕切れは、非常に劇的な展開になっていくであろう。非常にドラマチックな、ある意味において悲劇的な、また別の意味においては喜劇的な結末を迎えるであろう。そういうふうに思います。

自分の、人間の心の偉大性というものを間違って行使した人たち、それを間違って使用した人たちにとって、それだけの厳しい試練と反作用というのが起きてきます。それは大陸規模で起きてきます。間違った心を持って、間違った文明のなかに生きている人たちに対して、厳しい神の警告というものが与えられるでしょう。そうした人間たちの出した想念の曇り、スモッグが神の光をさえぎって、さまざまな天変地異というものをおそらく起こしていくでしょう。こうした時代のなかにあって、私たちはそうした古い時代を一度決算し、新たな時代を始めていかねばならんと思います。

それはね、結局のところ、向かうべき道は明らかになっているんです。それはひとつになっているんです。本章の最初で言ったように、霊天上界にある本当の秩序という、この世界を、秩序の世界を、これを現象界に降ろすということ。そして神のお心はどこにあるのかということをしっかりと学んで、その実現のために地上建設をやっていくこと、地上のユートピア建設をやっていくということです。

いろんな会社に勤めていても、そこの社員は社長の意向を汲(く)んで働いているのではないですか。社長がこうしたい、ああしたいという、社長の方針というものを社是とし、それにしたがって働いているのではないですか。それが地上世界という、この世界をとってみた時に、神という、この国の社長の意見を聞かずに、地上の人間がヒラ社員の身分にもかかわらず、いろんなことを得手勝手にやっている、そうした現状ではないですか。そういう会社が成り立つとみなさん思いますか。

ヒラ社員がそれぞれ勝手なことをして、そして社の方針、社長の方針というのをまったく気に止めないでやっている。そうしたことが成り立つとみなさん思いますか。本当にそんなことがあり得るでしょうか。成り立つでしょうか。どう思いますか。成り立たないのではないですか。

今、社長の心はこの辺にある、社の方針はここにあるということを、私たちは「霊言」、「霊示」を通して地上の人びとにメッセージを送っているのです。会社の方針がはっきりとしたならば、全社員、一丸となって働いていく。これが新しい文明のあり方ではないですか。新しい会社経営ではないですか。この三次元という会社の経営は、そこに要諦(ようてい)があるのではないでしょうか。私はそう思います。

したがって、これから二十世紀にさらばをし、未来社会を築いていくためには、神の心をまず徹底的に知るということ、学ぶということ。そしてそれをどう実践していくか。こうしたことが大事です。それをしないで、本当の素晴らしい社会というものは出来ないのです。みなさんが私の書物を学んでいる根本の理由も、そこにあるということを知ってください。