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目次

 1.光の本質








(1988年7月18日の霊示)

1.光の本質


高橋です。引き続いて、今日は一気に一日で4章目まで突き進みます。どうですか、まるで太陽の光のようでしょう。突き進み、突き進み、とどまるところを知らない。地面を貫き、あっ、光は地面通らないか、まあいいや、ねえ、海面を貫き、海の底まで照らす。これがね、私の光ですね。この「光」のことについて、話をしようと思っています。

神の光ということがよく言われていますね。それで実質は見たことがないんだけども、そうした光があるんだというように言って、お光りさんであるとかね、あるとこではなんとか色の光がどうこうとかね、そうしたいろんなことを言っていると思います。それはね、霊的な眼が開けて宗教体験したことのある人というのは、このような霊光というのを見たことがある人が結構多いんですね。この霊光みたいなものが写真撮ったら写ったり、そうしたこともたまにはありますね。

ではこの神の光というのはいったいなんなんだろうか。いったいなにをその本質としているのだろうかということですが、じつはこの神の光というのが万生万物を創っている根源なんですね。宇宙を創っているのはいったいなんなのか。それがエーテルであるのか、粒子であるのか、なんであるのかと、このようにいろいろ諸説あると思いますが、あるいはニュートリノだとかね、なんだかんだ、素粒子、超素粒子みたいなのが最近は出てきています。けれどもほんとうは、世界を創っているものは神の光なのですね。したがって、この神の光の性質を探究することによって、世界の成り立ちの秘密がわかるということなのです。

この神の光は、三次元世界にある太陽の光とひじょうに似たような性質も持っていますが、これと違ったところもあります。三次元世界の光というのが、明るさを持ち、温度を持ち、直進する傾向を持ち、また三次元の光でも、粒子の性質とそれと波動の性質、この両方を持っていると言われています。神の世界の光もおんなじ要素はそなえています。熱もあります。エネルギー量もありますし、また粒子と波動の両方の面もそなえています。

したがって、神の光も波動となって伝わっていくこともあるし、これは一種の念波として伝わっていくわけですね。こうしたこともありますし、あるいは粒子として現われることもあるのです。粒子として現われるときはどうなるかというと、物を創るときの材料になるわけですね。したがって、霊人たちの霊体も、この神の光の粒子化したものが、集まってできています。これを光子体というように言っています。

この光子体とはまた別の意味で、三次元に現われるときの霊光子というのがありますね。光子というのがあります。これは、霊界の世界にあるものを霊光子と呼ぶとするならば、この霊光子が三次元的実体をまとったときに、いわゆる光子というものとなると言っていいでしょう。この光子がいろんな物体を創っていくわけですね。この光子と言う場合に、また霊子という言葉ももうひとつ説明としてつけてもいいかもしれませんね。霊子と言うひとつの核ができて、それにエネルギーが帯電して光子となると、こうした説明をしていると思います。

この霊子というものの存在、これがね、いわゆる実在界にある光子体というもの、この光のエネルギー体、霊体を創っている最小単位なんですね。したがって、この霊子という単位は、じつは実在界と三次元とで共通しているものなんですね。共通の存在があるんです。

これは、色即是空、空即是色の別の説明でもあります。この霊子によって、四次元以降の空間における物質、物体ができています。霊体、光子体とも呼ばれる、そうしたものは、この霊子によってできていますが、この同じ霊子が三次元の光子の核となっているんですね。したがってこの点、霊子が三次元的に現われるというこの部分が、色即是空、空即是色の現われ方の出発点になっています。こうした共通のものがあるんですね。そのような光の本質があります。

この霊子とは、ではいったいなんであろうかということですね。これを言いたいのです。

みなさんは、太陽から発している光が粒子でもあり波動でもあるという、物理学理論を学んでいるでしょう。この太陽から発せられた熱のエネルギーは、ひとつの粒子でもあり波動でもあるという性質を持ちながら地球に向かって進んできます。そして、まあ言ってみればそれは一個の熱の塊みたいなもんですね。火の玉の小さなものです。それが空を飛んでくるわけです。

この小さな光の粒子の生命体というのは、じつは霊子そのものなんですね。霊子そのものなんです。これが光というもののなかにも、三次元的な光の肉体のなかにも、この四次元的な霊子という魂がはいっているんですね。そしてこの光の肉体と光の魂とがくっついたり離れたりしています。そういう現象があるんですね。こういうことなんですよ。

だから光が光として、ほんとうに熱やエネルギーを持っている理由は、この霊子というものを含んでいて、その生命のエネルギーがそこにあるからなんですね。これがはたらいているんです。

したがって、霊子というものが抜けた光というものを探究してみると、ほんとうに熱エネルギーがない霊子や光子、そうした光というものがあるんですね。ありうるんです。この霊子の部分を分離した光というのは熱さがないんです。明るさがあって熱さはないんですね。温度というのはないんです。このような光がありうるんです。やがて物理学が進むとそれが発見されてくるでしょう。

明るさだけがあって熱量がない光というのがありうるんですね。これはこの魂が抜けた部分です。人間の肉体といっしょです。魂が抜けたら急速に肉体が冷えていくでしょう。それとおんなじです。光のなかの魂が抜けた時にこの光が冷えていくんです。そして明るさだけが残るんです。こうした光のなかでの霊肉の存在、これがやがて明らかになってくるだろうと思います。


2.光は光を呼ぶ


さて、神の光の考察を続けているわけですが、次に私が言いたいのは「光は光を呼ぶ」という原則について話をしてみたいと思います。

この神の光の粒子、これをなんと呼んでもいいですが、まあ光粒子と呼んでもいいでしょう。魂だけのところで呼んで霊子と言ってもいいですが、光粒子と呼んでもいいですけども、光が光を呼ぶという性質を持っています。光は仲間を呼ぶ傾向があるんですね。仲間を呼んでくっついていく傾向があります。

この光が仲間を呼ぶ傾向に、次の二種類の面があると言ってよいでしょう。

それは、仲間を呼んで集まることによってなんらかの創造作用をしていく、ものを作っていく、そうした役割をしていることがひとつです。これが光の粒子的側面ですね。

もうひとつは光の波動的側面というのがあって、これはなにかというと、周波数が合うものどうしが通じあうという法則があるんですね。

霊界およびこの地上界を貫いて、さまざまな神の光が飛び交っているわけですが、それらは粒子の性格を持つと同時に波動としての性質を持っています。この波動としての性質を持っているものは、それぞれのリズムを持っています。一定の波長というものを持っています。この波長が合うものどうしが響きあう、通じあうという法則性を持っているのです。

すなわち、人がたとえば念を発するということは、これはひとつの光エネルギー、神の光エネルギーが発射されるということですね。これに対して高級霊界からもある種の念が発射されているとする、これも光エネルギーの粒子が飛んでいるのとおんなじなんですね。こうした粒子に乗ってその念というものが伝わっていきます。すなわち、人の念というのは、そのなかに思いのエネルギーがこもっているわけですね。光の粒子を経由して、その光の粒子の振動数のなかに言葉を含めているんですね。内蔵しているんです。

話がむずかしくなってきて、少しわかりにくくなったかもしれませんが、結局こういうことなんですね。今レコードがもうすたれてきて、そのかわりCDというのが進んできていますね。そしてみなさんは、CDのしくみはわからないかもしれないけれども、なんだかちっちゃなレコードみたいなのを入れると、レーザーかなにかで音楽が出るんですね。この盤の表面にいろいろときざまれたものを、これをよみがえらせて音を出すようになってますね。

こうしたものがありますが、このCDのように、この光の粒子に念というもののきざみがはいるんですね。一定の意思伝達をこれができるようになってくるんです。帯電するわけですね。あるいは刻印するわけです。そして光の粒子を飛ばすと、それが相手に伝わった段階で再現されるということです。CDのごとく音楽となって現われてくるわけですね。思想内容が開陳されるようになります。こうしたことがじつは念の説明なのです。

人の思いはなぜ伝わるのかというと、思いというのは、これは光の光粒子に乗ってその波動性でもって伝わっていくんですね。波動性で伝わっていったものが、波動が質量に変わるとき、粒子に変わるときに思想性を伝えるという、このような方法論がじつはあるんですね。

したがって、光が光を呼ぶという法則、この同類相通ずの法則というのはひじょうにだいじです。この波長性の法則ですね。これが神の光のなぞを解くひとつの説明でもあります。


3.光の温熱効果


専門的な説明が続いています。おそらくみなさんは、かなりむずかしくてわかりにくいと思います。それは、説明している用語自体が一定していないからですね。今、定義するような専門用語がなかなかないので、どの部分から説明を始めていいか私もわかりにくいんですね。ましてや、これを伝えている〇〇さんなんかもさっぱりわからないし、読んでいる人はもっとわからないでしょう。ただ、私の言わんとしていることだけくみ取っていただければ、これにまさる幸せはありません。

さて次にね、まあ神の光の説明を続けているんですが、光の温熱効果というものを考えてみたいと思いますね。光がなぜ暖かいか、熱が出るかということですね。

たとえば、天国は常夏(とこなつ)の世界とよく言われていますね。いつもポカポカして暖かい、あるいは五月緑(さつきみどり)のようなさわやかなところと言ってみたり、天国というのはハワイみたいなところだとよく言いますねえ。ハワイ。新婚さんのメッカのハワイ。これは常夏です。あるいは天国だとよく言われています。なぜかというと、温暖でね、ヤシの木だのいろいろと植わっていて、そして空はスカイブルー、海はものすごいきれいなマリンブルーでね、ハナウマ湾なんかに行けばお魚さんといっしょに泳げる、真珠湾行けば人魂といっしょに泳げると、まあこういうことがあって、ハワイっていうのはひじょうに有名な観光名所になっていますね。

ではなぜ、天国はそのように明るくてあったかいんだろうか、そして地獄というところは暗く寒いんだろうかというこの研究が私はいると思います。地獄が暗く寒い理由として、想念の曇りというのが出てきて、それが神の光をさえぎっている、それゆえに光が射さないで寒く暗いのだと、こうした説明になっていますね。これをさらに探究してみたいのです。実在界の物理学者として、私はさらに探究してみたいと思います。

ではなにゆえに天国は暖かいのか、これを考えてみたいと思うんですね。こうしてみると、天国に射している神の光、これはなにから出てきているかというと、じつは三次元太陽というものがありますが、じつはこれの霊的側面があるんですね。霊太陽の部分があります。こちらから霊的光、エネルギーが流れていますね。この霊的エネルギーも、これは三次元的肉体の光粒子の魂の部分が流れているわけですが、この魂の部分も三次元的な光とまったく同じ性質を持っています。

それはちょうど、みなさんが死後肉体から離れても、目もあり、鼻もあり、ロもあり、両手もあり、そうした魂というのは完全に人間と同じスタイルでできています。これと同じようなもんなんです。本来魂というものは姿形なきエネルギーですけども、肉体に宿ることによって人間とそっくり同じ形をとっています。肉体から出ても爪まで生えています。はっきり爪があるんですね。

みなさん幽霊にも爪があるんですよ。そして、自分の爪見ると三日月みたいのがあるでしょう。そして健康なときには三日月が大きくて、体調が悪いときには三日月がなくなりますね。よくそのように言われていますが、霊体になって爪見ても三日月があるんですね。そこまで見えるんで、これは本物だと思っちゃうわけですね。そして、胸に手を当ててみると心臓があるんですね、霊なのに、霊のくせに心臓があってドクドク動いているんですね。このように、霊体であっても肉体とまったく同じような形をしています。

同じように、霊界の光であっても、これは外面上三次元の光とまったく同じような素質を持っているわけですね。したがって、霊太陽から発射されたこの光粒子が、実在界においてはいったいどうなるかというと、それぞれの次元でひとつのフィルターというのがあります。たとえば、九次元フィルター、八次元フィルター、七次元フィルターとあって、この次元の壁を通過するときに、この霊光線はある程度はね返されるんですね。それによってどうなるかというと、光が散乱するんですね。霊光線がはね返されて光が散乱するんです。それで、九次元のこのフィルターを通るときに、光が少し落ちてきますね。光の光度が落ちてくると言いますが、それが九次元のスクリーンを通るときに反射されるんですね。そして九次元世界で相当の光が乱射します。乱反射してひじょうに明るくなります。

この光が八次元に行きます。そして八次元を照らして七次元に進もうとしますが、七次元の壁のところでまた反射します。それで光の粒子が減ります。そして六次元に突入しますね。それで六次元の壁を破って五次元に行くときに、また光の量が減っていきます。

このようにして、だんだん光というのは太陽から出てきたものですけれども、途中の次元の壁を超えるときに乱反射されていくんですね。そして明るくまわりを照らすようになっているんです。

ところが地獄界にはいっていくとき、ここで光も四次元まで来てかなり弱っているわけですが、ここに巨大な想念の曇りという雨雲がありますね。地上でも雨雲があって、完全にはまっ暗にはならんでしょう。多少の明るさは残っているでしょう。あれはなぜかと言うと、雨雲をやはり通ってくる光があるんですね。同じように、地獄に雨雲があっても多少の光は射しますが、だんだん深海のようになっていって海の底のように暗くなっていく、そのようになっているわけですね。

これが、じっさいの光の温熱効果というものなんですね。この次元の壁によってはね返って、そうした暖かさと明るさを出しているんですね。したがって、地獄までにはその神の光の粒子がとどかないことが多くて、地獄を照らすこともできないし熱することもできないでいるわけです。

そして、この神の光をはね返しているもの、この雲はなんでできているかというと、これもじつは想念でできているんですね。人間の霊想念でできているのが事実です。ただ、この霊想念はいわゆる屍(しかばね)であって、もうすでに光が失われた、明るさが失われた、そうした霊的な粒子のいわゆる死体同然なんですね。そうしたエネルギー量としてのそのような明るさ、暖かさが抜かれた後のもの、こうしたガラクタでできあがってきているんですね。そうしたことが言えるでしょうか。

ただこのガラクタと言っても、じつはこれをたとえば曇りの粒子と言ってもいいけども、まあ見てみるとすすけた小さな粒でできているわけですが、このすすけた小さな粒であっても、その中心部分にはよく磨けばじつは光るものがまだ隠されているんですね。こうしたことが言えるでしょう。

なぜそうしたものがあるかというと、そのすすけた想念を供給しているところが地上であることが多いのです。地上の人の悪想念が供給源です。地上の人間が発した念波がまっ黒なんですね。まっ黒な念波が飛んでくるんです。それで、外はまっ黒に曇っているけれども、そのなかには光っているエネルギーもじつは残っているんです。すなわち、地獄のなかにもほんとうは光の原石の部分は隠されているんですね。そして、これを光らせることによって、この曇りを取ることによって、地獄であっても光を放つということがありうるということなのです。


4.光の創造効果


さて次に、「光の創造効果」について話をしたいと思いますが、これは光の粒子的な側面によるものなんですね。光が集まってくるという話をしましたが、粒子としての側面を取ることがあるわけです。そして、粒子が粒としておたがいに引き寄せあうんですね。光の粒子が集まって物を創造し始めるんですね。こうしたことができるんです。

結局これはなんであるかというとね、まあブロックのようなものだと思ったらいいでしょう。神の光の粒子とはなにかというと、あるときはブロックのように現われ、あるときはホースの水ですね、水のように現われるんですね。ピューッと外へ飛ぶような、こうした波動として現われ、あるときはブロックのように現われるという、こうしたものなんですね。流れ動いていくものであると同時に、静止したものでもあると、このような矛盾した性質を持っています。

それは、よくよく見てみると結局、運動速度だけの問題なんですね。ほんとうは一定のものがあるんだけども、それが激しく動くと波となり、静止した状態に近づいてくるとブロックのように固体化したものとなるんですね。粒子となるわけです。だからこの粒子の姿というのはなにかというと、火の玉そのものですね。人魂(ひとだま)と言ってもいい。

見たことのある人いるでしょう。いないでしょうか、もう人魂もなくなったでしょうか。昔は田舎ではよく飛んでいました。人魂というものがありました。火が燃えている、あるいはリンが燃えているんだなんて言いますけど、あれはほんとうはリンじゃないんです。ほんとうは魂なんですが、止まっているときにはまん丸く出ているんですが、動き始めるとシューッと尾をひいて飛びます。そしてUFOみたいになりますね。そしてどこともなくヒュッと消えますね。

このように言われていますが、尾をひいて飛んでいるときというのがこれが結局波動の形になって、止まっていたときは粒子のようになるんですね。まあこうした例でわかりにくいかもしれませんが、このように粒子の側面というのは、ある程度この光の粒が運動を停止した状態から出てくるわけですね。

ではどうやってこの光の粒の運動を停止させるのか、じつはこれが創造のエネルギーなんですね、想念なんですね、創造の思い、これでもって縛るわけですね。光の玉がいっぱいある、人魂がいっぱい飛んでるのだけれども、これを一定の形に輪をキュッとかけるんですね。これが思いというもんなんですね。これでキュッと輪をかけてしまうんです。これによってできるわけですね。こうして固定化していく。そして創造していく。そして、まずそういう足場を造るわけです。ちょうど筏(いかだ)みたいなものなんですね。流れていく木みたいなものを集めて、それを縛りつけて筏ができるんでしょう。あのような感じでだんだん創造というものがなされていくんです。

ここでね、次なる話をしよう。本章は三十分でとても苦しくて私も話ができないんですが、短すぎますね。もったいないねえ。僕はこんな話はもう東大の理学部か、物理学科かねえ、あるいは東大の大学院かなんかの原子物理学などの講義でやりたいような気もするんですが、こんなことは物理学者でもわからんだろうなあ、もうちょっと説明してみようかな。

結局、粒子の話をいろいろしているんだけどもむずかしいんですが、もともと霊太陽から発射されたものが、いろんな所を明るくしたり光らしたりしているという話をしました。あと人間の念の話もしましたね、この念とこの神の霊太陽から見せられた粒子がいったいどう違うかということですね。これをまた話をしなければいけないんですね。

霊太陽から発されたこの光粒子というのは、いわゆる原始的な光の最初の形ですね。これが人間とかそうしたものになってくると、ある程度固定化して、個性化してきて、また別なものとして変形してくるんですね。この光粒子、無個性だった光粒子が、人間的な個性を持つことによって変形してくるんです。そして一定の色調を持ち、一定の個性と一定の波動を持つようになってくるんですね。一定の波動を持った別の生き物となってくるわけです。別の生き物として、また新たな念と言いますか、こうしたエネルギーの震源地となることができるんですね。もともとはいっしょのものだけれども、別のものになってくるんですね。

これはどういうことかというと、たとえばダムのエネルギーといっしょですね。ダムは水を落とす、その水位差、位相差によって発電しますね。この電力がタービンを回して電力が発生し、たとえば東京電力を経由していろんな家庭に送られてまた変圧されていきますね。そして違ったものとなっていきますね。水のエネルギーが電気エネルギーヘと変わるわけです。

同じように、太陽エネルギーであったものが、やがて違ったものとして変形して現われてくるんですね。これを念と言いますが、この変形して出てきた念のエネルギーが、またその太陽から出ているエネルギーを縛ることができるんですね。それは、水力発電によって発生した電気が、またその電力によって新たな機械を動かして、そのダムの水量を調整していくのとまったく同じですね。もともと同じものから出てきたものであるけれども、その創られたものがもともと出てきたものを、その光の粒子をまた支配することができるわけです。

したがって、想念エネルギーというのはもともと霊太陽から出てきたエネルギーをもとにしているんだけれども、それがまた変形して独自の力を持ってもともとのエネルギーの流れを変えてしまう力があるのです。この想念エネルギーがこの光粒子を縛り、いろんなものを創っていくことができるわけです。こうした事実を知っていただきたいと思います。


5.光の増幅効果


みなさんどうでしょうか、ちょっと話がむずかしいでしょうかねえ。また一度科学編かなんかで、物理編でもいいですが、徹底的に話したいと思いますから、まあ今回はこの程度で、できたらかんべんしてくださいね。次は「光の増幅効果」というのを話をしておきたいんです。

神の光は今言ったように、波動のごとく同類が呼びあうという、そうした波長効果がありますが、それ以外にも創造効果というのがあって、おたがいに身を寄せあってものを創るということがあると言いました。そして、これ以外に増幅効果というのがあるんですね。

これがおもしろいんですが、結局どういうことかというとね、もともと霊太陽から発した光であるわけですから供給源はいっしょなんですが、これがやがてそれ自身で光を発する、光エネルギーを発するようなそうした活動が始まるということなんですね。これがおわかりになりましょうかね。新たな電球になるわけですね。

この説明をするならば、やっぱりたいまつの説明がいいでしょうね。オリンピックで聖火ランナーというのがありますね。そして次々とバトンタッチして聖火を伝えていって、その最終ランナーが階段を駆け登って、なんていいますかね、大きななんでしょうか、あれはゴミ箱じゃないんでしょうねえ、なんか器みたいなのがありますが、その横に立って挨拶をしてからパッと火をつけると、ガスかなんかが出るんでしょうか、大きな火がバアーッとついて燃えますね。あのようになるわけです。この聖火の火というものは独自の火であってね、これからまたいろんな火を取っていきますね。

このように、もともと火というのは、あれはマッチの火かライターの火か私は知りませんが、それから出たものですが、それが聖火ランナーに受け継がれ、やがて最後に大きな聖火になります。そして、これから火を取れば世界じゅうの無限の火が取れますね。いくら取っても取っても火は減らないですね。

こういう不思議な面がありますが、これと同じように霊太陽の光としてスタートしたこの光ですけども、これが途中でいろんなものを創っていきますね。この光によって、たとえば人間の霊体もできていますね。九次元霊、八次元霊というようなこうした霊体ができていますが、これらがまた独自のその火になってね、これから分かれていっても火が減らないという、こうした不思議な性質があるんですね。不増不滅と言うけれども、新たに創ったりすることができるんですね。どんどんどんどん増えるんですね。自己増殖作用があって、光そのものが増殖していくという不思議な作用を持っています。

したがってまた新たな光を生むんですね。不増不滅と言ってよくエネルギーの不滅の法則のようなことを言いますが、ただ外形的に言えばたいまつの火というのは、これを一本から二本に、四本から八本に、十六本から三十二本に増やしても、もとの火はまったく減らないですね。ちっとも小さくならない。同じように、この神の光のエネルギー量は、これは増幅していくことがあるんですね。どんどん増えていくんですね。

したがって、たとえば八次元レベルの意識の魂が半分に割れたとしましょうか。そうした意識エネルギーが半分に割れたとする。そうすると、当然エネルギーが減るように思いますね。二つになって減るように思いますが、これは細胞分裂といっしょで、二つになったものがまた大きくなってきてもとどおりの大きさになっていくんですね。こうしたことがありうるんですねえ。このような光の増え方があるということです。これを「光の増幅効果」と言います。これも実在界の物理学でひじょうに不思議な現象なんですね。

このようにしていろいろと増えていくんですね。これが、愛を与えれば与えるほど愛が増える、もらえる愛が増えるということと似ているかもしれません。増幅していくんですね。いくらでも光が増幅するわけです。これをまた増殖と言ってもよいですね、増殖作用があるんです。

まあこうした不思議な話を今回はいろいろとしてみました。またこのような話が読みたかったらリクエストしてください。高橋信次の物理学でも科学でも、なにか読みたーいっていっぱい言ってくれたらまた出します。はい。