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目次

 1.性と罪悪感

 2.性的未熟

 3.性の不一致






5.楽しい性生活


すごい題がつきましたね。「楽しい性生活」ということです。まずね、宗数的な罪悪感の部分をとりあえずこれ捨てようよ、ね。そして、健全な夫婦生活があれば、おたがいにもっといいんだと、ま、こういうふうに考えようよ。それと、性生活においてもね、宗数的な魂の方は、子供さえつくれば後は用がないんで、子供をつくった後はもう性生活をすると、これは罪悪だ、というふうに考えがちな人も結構いると思います。ただ、そんなもんでもないというふうに、考えてよいと思います。

それはねえ、深い深いところにね、意外なところに、人間の幸せの根っこというのはあることがあるんですよ。つまりね、ものごとはなんでも理論的に、あるいは理屈で説明がつかなきゃならないという人もいるけれども、世の中をほんとうに動かしているものは、理屈じゃない面があるんですね。そうした潤滑油の面があって、世の中が動いているところがいっぱいあります。

だから、たしかに男女の交わりは、子供を作るための方法論でしょう。ただ、それだけではないわね。女性というのは、母になるためだけに生まれてきたわけじゃない。妻としての役割は一生続くわけですね。妻としての役割があるという以上ね、妻のなかには、女という部分がやっぱりあるんですね。そうであるならば、妻の喜びのために、あるいは夫の喜びのためにね、楽しみの領域を作っておくということは、私はだいじなことだと思います。

単に、目的を持ち、その説明がつかなければだめだというふうな、そういう狭い考えだけでもって考えてはいけないと思います。それはねえ、夫婦が調和し、そして楽しい性生活を送れるということはね、これはだいじなことなんですよ。それだけ心がほがらかでないとやれないんですね。だから、その夫婦生活の破綻の原因のひとつは、やっぱり罪悪感などがあると思います。

だから、私は今天上界の最高指導霊のひとりとして、権威がないかもしれないが、一応権威を持ってお答えしておきたいと思う。神の目から見てね、夫婦がやはり楽しい性生活を送ることは、神様も喜んでおられる。なぜならば、男性と女性に分けたのは神様です。男性器、女性器創ったのも神様です。セックスが気持ちがいいようにしたのも、神様がそのように創ったんです。もしこれが悪いもんであれば、セックスすると不快で不快で体が死にそうになるか、あるいはものすごく痛ければいいんだけれども、そうじゃないね。やっぱり、そういうものをいいものとして創ったんだ。だから、神様の、これは慈悲と考えたらいい。楽しい性生活をすることは、これはひとつの慈悲ですね。

それで、そういう慈悲を通してね、神様に感謝していけばいいんだよ。ありがたいという気持ちでね、この夫婦の楽しさをね、多くの人に広げていけばいい。また、夫婦が仲がいいことが子供の教育にいいように、そういうふうにしていけばいいんだ。だからこれは、神の慈悲として与えられているもんだから、それはその範囲内において、正当な範囲内において楽しんでいいと思うし、そして申しわけないと思ったら、その感謝を報恩という形で世の中に還元していくことですね。神様に、こんなに楽しい夫婦でいさせてくれてありがとうございます。お返しをしっかりさせていただきますという気持ちで、やっていけばよいと思います。

ともに手もつながない夫婦なんかやりながらね、そして私たちは信仰で生きてますなんて、こんなの神の心にほんとはかなっていませんよ。いいですか。おたがいに愛し合うことを神様は喜んでいるんですから、それは精神的なものだけではありません。精神的なものだけだったら霊界でやればいいんだから。地上に出ているということは、肉体も精神も含めた意味でお互いを愛し合うということを、神様は喜んでおられるんですね。だから、単に色情地獄があるというから、それだけでもって男女の接触は色情地獄だというように考えてはいけない。やはり、物事には両面があるので、その使い方がだいじだと思ってください。