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目次










1.六次元の愛(一)― 道元との恋(1986年7月30日の霊訓)


今日は、いよいよノート・ブックも六冊目に入りましたね。小桜姫の通信も、今回は、この六冊目が完成したら終了です。この一年間の通信をふり返ってみると、感慨深いものがあります。しかし、八割方書き終わって、この自動書記集が出版されることが決まった今となっては、ご無理をお願いしたことや、この通信を送るにあたって、日蓮聖人様や、浅野和三郎さんから、数多くのご指導を受けることができたことなど、ほんとうに小桜は果報者だと、嬉しい気持ちでいっぱいです。

さて、いよいよ、私の物語もクライマックスといわれる場面に差しかかってきたようです。これからは、地上のみなさまがいちばん関心を持っておられる問題、小桜姫のこちらでの現在の生活ということに焦点をあててお話ししてゆきましょう。つまり、六次元神界の実相ということが話の中心となると思います。地上の読者のうち大部分のみなさまは、そう、この小桜の物語をお読みになる大方のみなさまは、他界後、如来界や菩薩界に還られるような高級霊の方々は数少ないことでしょう。

ですから、六次元神界をめざすことが当面の目標となると思うのです。そのためには六次元神界の生活がどのようなものかを知っておいて損はないはずです。あこがれの大学入試の受験勉強中に、その大学のキャンパス・ライフを書いた受験雑誌をひもとく、そんなくつろいだ時間があってもよいと思うのです。

そこで今日は、六次元の生活の第一話として、「六次元の愛」ということでお話ししたいと思います。

地上におられるみなさまは、「愛」といえばすぐ男女の愛を連想され、肉体のない私たち、あの世の人間に愛しあうなんてことがあるのだろうか、と素朴な疑問をお持ちになると思うのです。そこで今日は、小桜の体験発表――体験発表なんていうと、なぜか顔が赤らんできます。小桜も小娘みたいなところがあるときっとお笑いでしょう――をしたいと思います。

地上のみなさまにとっては、衝撃的な発言でしょうが、小桜姫はこの六次元神界に来て、愛する人が二人できました。そのお二人についてお話ししましょう。

最初のお一人は有名な方です。みなさま、はたして信じてくれますかしら。今から七百年ほど前に日本の鎌倉時代にご活躍なさった方です。その人の名は、禅で有名な「道元」という方です。小桜姫は、この方を一目見ただけで、クラクラときてしまったのです。今からそうですね、三百年くらい前のことです。道元様はたいへんりりしい、そうですね、年格好は三十一、二歳の青年僧といった感じで、目もとの涼しげな、たいへん立派な方でした。お背も、スラッと高く、わらじを穿(は)かれたその足のかかとがキリッとしまって、いかにも、厳しい修行に耐え抜いてこられた方という感じでした。

こちらの六次元でも男女の差というものはあって、女は女としての目で男性を見、男性は男性の目で女性を見ているのです。そしてそのなかに、やはり個人的な好みの差は当然あるのですが、小桜などの目から見れば、長年の厳しい修行をされた男性のりりしいお姿は、たまらなく素敵に思われるのです。地上のように、肉体的な、性的な意味合いはありませんが、道元様に一目ぼれしてしまいますと、「お衣(ころも)の裾(すそ)のちりひとつでもお払いして差し上げたい。」という女心が切々とこみ上げてくるのです。これは、やはり、私たちの世界では道というか、法を求めて生きておりますから、一途(いちず)に道を求めている男性のたくましい後姿を見ますと、女というものは、どうしても心魅かれてしまうのです。

小桜が思いますのに、女というものは、やはり一人で道を求めるには弱すぎる存在のようです。女というものは、やはりだれか手本がほしい、できればやはり、男性の手引きがほしいもののようです。道を愛する気持ちがいつかしら、すばらしい男性のあとを追いたいという気持ちに変わってゆくのです。女は愚かな存在ですから、神様はこうした女心をも哀れと思われてか許してくださるようです。

いずれにせよ、私は、道元という方に心ゆさぶられました。六次元神界で、道元様が説法される所にはどこなりとついてまわったときもあります。道元様は、詩人であり、哲学者であり、宗教家である前に、孤高の人でありました。小桜は道元様が二時間にわたる説法のあと、浜辺で、松の木陰に腰かけて、寂しそうに海を眺めておられたお姿が目に焼きついて離れません。そのときに道元様と交わした会話を小桜は今も忘れません。

小桜「お独りでいつもお寂しそうですわね。道を求めるというのは、それほどおつらく、お厳しいことなのですか。」

道元「私はあの海のような存在だ。海は一人にして一人でない。一つにして一つでない。一つの海の中には無数の生命を宿している。」

小桜「しかし、その無数の生命のなかには、小桜姫という名の鯛(たい)は泳いでおりまするのでしょうか。」

道元「泳いではおるかもしれぬ。しかしこの道元には、何が鯛で何が平目かの区別は分り申さぬ。どのような魚であろうとも、魚は魚、一匹はすべてであり、すべてが一匹である。」

小桜「あなた様は、仏に仕える身でありながら、女も仏の生命(いのち)の顕(あらわ)れであるということをご存じないのでしょうか。」

道元「本来、性なし、男女なし。あるのはただ是(これ)、神の子人間。」

小桜「しかし、神仏が、鯛や平目をお創りになったのは、鯛は鯛としての幸せを、平目は平目としての幸せを追求せよということであって、魚として幸せならよいというような、そんな、つき放したお考えではなかった筈(はず)。」

道元「鯛や平目があると思うのは心の迷い。本来無。本来空。真理に形なし。真理に執(とらわ)れなし。」

小桜「女心(おんなごころ)も分らずして何の真理でございますか。」

道元「わが心は木石(ぼくせき)に同じ。われは感ぜず。われは動ぜず。」

小桜「…………。」

これ以上書くのは、小桜にとって不利でございますから、道元禄とのお話はこれまでといたします。

道元様はやはりお心をお開きになることなく、その後、数十年して、菩薩界へと昇ってお行きになり、小桜はその後二百年以上道元様とはお逢いしておりません。今後ともしっかりと修行して、七次元の菩薩界で道元様にお逢いしたいものです。菩薩界は、愛と慈悲の世界ですから、道元様も、小桜姫につれなくされることはきっとないことと思います。

ああ、今日は何とつまらない話をしましたこと。でも明日も、二番目の恋の話をいたしますからお愉(たの)しみに。神界もかた苦しいことばかりではないということをお話ししているだけですから、どうか深読(ふかよ)みなされませんようにお願いいたします。


2.六次元の愛(二)― 日蓮との恋(1986年7月31日の霊訓)


さて、今日は、昨日の話の続きで、六次元の愛その(二)をお話しいたします。

私は、道元様のような、知的で、厳しく、男らしい方にもたいそう心を魅かれましたが、反面、たいへんつれないそのお心には少々失望もし、どなたか、この小桜の孤独を慰めてくださる方はいらっしゃらないかと心秘かに思っておりました。こういうと、地上に生活されるみなさまは、私には生前に夫がおりましたから、その夫と愛しあえばよいではないかとおっしゃることと思います。

けれども地上のみなさま、こちらの世界というものは、またさまざまの世界に分かれておりまして、住む人の心のあり様に合わせた段階になっております。そのため、たとえ生前夫婦であったとしても、親子兄弟であったとしても、その一生の間に形づくった心の広さ、大きさによって、往(ゆ)く世界がちがっているのです。

小桜の生前の夫は、今五次元霊界において、やはり武士の意識が抜け切らず、役人のような仕事をしておりますが、たとえかつて夫婦であったとしても、今、心のなかで念うこと、考えることがまったく違ってしまった二人ですから、よほどのことでもないかぎり、会うようなことはありません。ただ風の便りで、夫がどのようなことをしているとか、逆に向こうには、小桜は修行を積んで偉くなったらしいとかいうことが伝わります。かつての夫としても、会っても神仏のことしか話さない小桜と、交わす会話もいまさら何もなく、また、私が神様の仲間入りをしたため煙たがっておるようです。

ということで、六次元で恋をしようと思いましたなら、やはり自分と心をひとつにしているかた、同じ神仏への道を目指している方を選ぶのがいちばんですし、自分の向上にもなります。先方は迷惑かもしれませんが、女性としては、志(こころざし)を一緒にしている男性が近くにいて修行に励めるというのは、たまらない幸せです。地上の夫婦か何かのように、いまさらボーナスをもらえるわけでなし、彼から指輪をプレゼントしてもらえるわけでもありませんが、ただ相手の心のなかに、自分の存在があるということは、何にもかえがたい素敵なことだと思えるのです。

さて、ずいぶんと気をもませて申し訳ございません。二人目に小桜が好きになった方は日蓮聖人様でございます。ああ、やはりとおっしゃる方と、ええ、意外だなとおっしゃる方の二通りの反応があると思います。

もちろん日蓮聖人様はたいへんご霊格の高い方ですので、小桜姫たちの住んでいる六次元神界にはいらっしゃいません。小桜が初めて日蓮聖人様にお逢いいたしましたのは、およそ五十年ほど前のことでございましたでしょうか。そのころちょうど、前回の「小桜姫物語」をご編集くださった、浅野和三郎さんが、小桜たちのいる六次元神界に帰天してこられたのです。六次元神界でも、浅野氏にご縁のある方々がお集まりになり、総勢四、五十名で「浅野和三郎氏、帰天祝賀パーティー」が催されたのです。その際、浅野さんは、帰天第一回目の報告演説ということで、「地上界における心霊思想の普及とその進展」という演題で約一時間のスピーチをなされました。

このとき来賓(らいひん)として招かれたのが、くだんの日蓮聖人様だったのでございます。ご高名はかねてより伺っておりましたが、そのお姿に接したのはまったく初めてでありました。ほんとうの光の天使というのはこういうものなのだなと小桜が心底思ったほど、日蓮聖人様は光り輝いておられました。そのとき集まった方々のうわさ話として小桜姫が伺った話では、日蓮聖人様は、本来八次元如来界の大指導霊なのですが、日本における仏教思想の普及のために、あえて光の量を落とされて、七次元の菩薩界の方を装って、鎌倉時代に、法華経の行者日蓮という名でご活躍されたのだそうです。

小桜にほんとうにこの方が偉いと思われるのは、その謙虚さです。現在でも人びとのうわさ話として六次元神界に伝わっている話では、日蓮聖人様は、八次元如来界の上段階ぐらいのご霊格をお持ちなのにもかかわらず、「自分は菩薩として、光の大指導霊の縁の下の力持ちとして働きたい。」とおっしゃっているのだそうです。

日蓮聖人様は、今から七百年前に帰天されてから、生前、念仏宗や禅宗、天台宗を批判しすぎて、同時代の仲間であった光の天使たちを傷つけたのを悔やまれ、かなり反省行に打ち込まれたそうです。今、こちらの世界では、生前の日蓮様の真意はみなの者に理解され、日蓮様が、「念仏では教われない、禅では悟れない、天台宗の学問教義を知で学んだだけでは教われない、釈迦の本心を最も伝える法華経の教えをよく理解して、心と行ないを正していくことこそが、ほんとうの仏教のあり方である。」と教えられた内容は、やはり鎌倉時代の仏教では最高峰であったという評価が定着しています。

しかし日蓮様は今でも、お仲間たちを批判された罪を深く心に感じておられ、七次元と八次元の中間の梵天界にあって、如来と菩薩との間の法の中継役を買って出ておられます。また、〇〇さんらが地上で活動され始めるにあたっても、ご自分が、最も激務である直接の指導役、調整役を買って出られたのです。この方は本来は如来の法を説ける方なのです。その方があえて身をやつして、菩薩に徹(てっ)して、あなた方の個人的な悩みや相談ごとを受けておられるのです。つまらない日常の悩みごとにもお答えしておられるのです。小桜は、時折、この方の菩薩行を見ていて涙がとめどもなく流れてゆくのを禁じえません。地上のみなさまは、『日蓮聖人の霊言』というご本をお読みになっておられるはずです。あのなかで、日蓮様がどれほど根気強く、どれほど配慮深く、どれほど優しく諭(さと)しておられるかを読むと、涙が流れないわけはありません。

ああ、この方は、ほんとうは法然様や、親鸞様や、道元様や、空海様にお比べ申し上げても、はるかに偉い方なのですよ。そうした偉い方が、菩薩のごとく、懇々(こんこん)と諭しておられるその慈愛に満ちたお姿を拝んでおりますと、小桜の両眼は涙であふれてきます。ああ、この方は小桜姫以上に謙虚にお仕事をしておられるのだ。大会社の社長さんが、みずから平気で新人社員のごとくコピーをとっていらっしゃる、そんなお姿にはただただ頭が下がります。

こういうわけで、小桜が六次元神界で、二人目に好きになりました男性は日蓮聖人様です。日蓮様は、たいへん精力的にご活躍しておられ、六次元神界には、週に二度ほど必ずお見えになり、諸天善神たちに法をお説きになります。会場の隅のほうで、小桜が小さくなってご法話を聞いておりますと、お帰りになる際に必ず小桜のところにお立ち寄りになり、肩にそっと手をおかけになって「頑張りなさい。」とお声をかけてくださいます。この優しさはたまりません。

日蓮聖人様は、限りなく知性的で、限りなくエネルギッシュで、悪や不正に対しては、男らしく敢然と立ち向かわれ、その実、女性や子供にはとてもお優しいのです。小桜がこの霊界通信を送っていて、内容に行きづまると、いつもヒントを与えてくださるのも日蓮聖人様です。

日蓮様はお年格好は、三十七、八歳、やはりお坊様らしく、金色の袈裟を着ておられますが、眉は太く、長く、目は精悍(せいかん)で、耳は大きな福耳をしておられ、唇は薄く、キリッとしまり、ご意志の強さを表わしておられます。肩幅は広く、骨太で、ガッチリした感じ。手も大きくてらっしゃるのですが、その指先は繊細で、女性的な優しさも感じさせます。お背はそう、169センチメートルぐらいでしょうか。小桜が157センチメートルぐらいですから、並ぶとまずまずぐらいのカップルになってしまいます。ああ、小桜の顔は赤らんでしまいます。

しかし、日蓮様への愛は、もちろん男女の愛ではありません。どちらかというと、師弟愛に近い愛でしょう。でも、お逢いするたび、何か小桜をよい方向へ感化されるこのお方は、やはり何度も何度も逢いたいという気持ちを小桜におこさせます。これが恋でなくて何でしょうか。小桜には残念ながら日蓮様に差し上げるものは何もありません。ささやかながらお慕い申し上げ、ご尊敬申し上げるだけです。

どうやら小桜の六次元の恋は、いつも片想いばっかりのようです。


3.六次元の一日(1986年8月1日の霊訓)


さて前回は、わたくし事も公開させていただき六次元でも「愛」はあるのだということをみなさんにお伝えいたしました。地上におられるみなさまがやがて還ってこられる世界に、恋も愛もあることをお知りになったら、きっと夢と希望をお持ちになることができると思ったのです。私たちの住んでいる世界は、百鬼夜行(ひゃっきやこう)のうす気味悪い世界ではありません。それはそれは明るい世界です。しかも、ひじょうに公平な世の中になっています。自分の心が進歩すれば進歩するほど、だんだんに偉い人に会えるのですから、こんなすばらしい世界はありません。また人に危害を加えるような人は、そういう人ばかりでまた集まっていますから、私たちは毎日安心です。

インドの時代、お釈迦様は、生老病死の四苦に加えて、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)の四つを加えて八苦といわれました。これがいわゆる四苦八苦です。

生老病死は地上のみなさまもご存じなので、残りの四苦について簡単に説明させていただきますと、愛別離苦とは、愛する人と生き別れる苦しみ、怨憎会苦とは、うらみ、にくんでいる人と会う苦しみ、求不得苦とは、欲しいものが手に入らない苦しみ、五陰盛苦は、五陰が盛んな苦しみ、つまり、肉体的に欲望が次から次から出てくる苦しみです。こういうと、ハタと膝頭(ひざがしら)を打つ方もいらっしゃるでしょう。お釈迦様はほんとうに人間の苦しみをよく知っておられるものです。

でもほんとうにお釈迦様の悟りの偉いと思われるところは、十分あの世、つまり、私たちの世界を知った上で、地上の苦しみをお説きになっているからです。私たち、六次元神界では、愛する人と生き別かれるということはありません。愛する人とは思えば即座に会えます。もちろん、あまり偉すぎる人に簡単に会うことはできませんが、祈りをしておればいつかはお会いできる機会があります。こちらの世界では「祈り」とは、手紙を出すことと同じであり、電話をかけることと同じ行為だからです。

また、私たちの世界では、いやな人と会うことはありません。たいていそういう人は、意識の段階が低いので、下の世界にいるため会うことはないのです。また、欲しいものが手に入らない苦しみもありません。欲しいものは何だって手に入ります。心に思ったことがすぐ現われてくる世界だからです。その上、肉体煩悩に苦しめられることもないので、毎日がすがすがしい気持ちで生きてゆけます。

こういう、いい話ばかり聞かされると、地上はほんとうに不浄な場所のような気になられると思いますが、そこから脱出することばかりを考えてはいけません。泥の中でも光っている真珠のようでなければ、宝石ばかりの世界に入っていけないのですから。

さて、今日も、六次元神界の説明を続けることにしましょう。地上のみなさまは、私たちが毎日いったい何をやっているのか。また、そもそも一日というものがあるのかどうか、疑問でいっぱいだろうと思います。そこで今日は、「六次元の一日」という題でお話いたします。

六次元の一日といっても、もちろん人それぞれなので、小桜姫にとっての一日というものを語りましょう。

小桜のいる世界では、昼と夜がありません。考えてみればいつも昼です。そしてみなさんご想像のとおり、時計というものがありません。時計がなければ、人と会う時約束に困るじゃないか、とおっしゃる方もいるでしょうが、地上と違って、私たちの世界は意識の世界ですから、会おうとすれば即座に会えるのです。約束というものがあるとすれば、今、何かに心が集中しているので、もうちょっとしたら会いましょう、と小桜がある人に思念を送ったら、その「もうちょっと」というのが以心伝心で相手にも的確にわかるのです。

そういうわけで、いつも昼間で時計もないのですが、なぜか一日の感覚というものはあるのです。やはり昼間は昼間なのですが、朝方のような感じ、真昼のような感じ、夕方の感じはあります。ではどうして、一日を計るのかと質問されそうですが、一日の計り方はその人次第なのです。少々難しくなりますが、地上の人にとっては、一日が二十四時間と、だれにとっても決まっていますが、こういう時間のことを「相対時間」といいます。

ところが、私たちの世界では、時間はその人自身の感覚が決めるのです。これを「絶対時間」といいます。六次元に限ることだけではないので、四次元以降の世界の時間ということで広くお話ししますと、たとえば地獄界に堕ちた人で、肉体が事故死したり、病死したり、戦場で倒れたりした人は、自分が死んだことに気づくまで、まったく同じ状態が続きます。つまり死の苦しみが、五十年も百年も続くこともあるのです。しかし彼にとっては百年も一日のようなものです。ですからこういう人はまるで浦島太郎みたいですね。「自分は殺されて痛いんだと思っていたが、アレ、気がついてみると少しも痛くないや。」と思ったときには、百年も経(た)っていたなんてことがあるのです。

私にしてもそうで、昔洞穴のなかで、ただ祈ってばかりいたときには、何だかわからないままに、地上時間の五十年、百年はアッという間に過ぎ去りました。

ところが今、お手伝いということで、毎日霊界通信を送っていますと、どうやら私の生活時間も一日二十四時間になってきたようです。その日の霊界通信を一時間ぐらい送ってこちらに還ってきて、内容について反省したり、いろんな方に相談したりして、また、翌日の通信の内容のことをいろいろ考えたり、また、地上の翌日になって、呼ばれて自動書記で書いたりしているのです。ですから今、私の時間はあなた方の時間ととてもよく似てきています。ただ便利なのか、不便なのか知りませんが、私たちは睡眠をとる必要がまったくないので眠ったりはしません。ですから、私を昼間呼ぼうが、真夜中に呼ぼうが、私が寝ぼけまなこで出てきて、今眠いので、またこの次にしてください、なんていうことは決してありません。

ただ私たちの世界でも、何か事件があって、そのショックで寝込む――まあ、人と会わないぐらいの意味ですが――ことはたまにあります。たとえば、この小桜姫の霊界通信が出版されても、まったく売れゆきが悪くて、返本の山となり、出版社の社長さんが、薄くなった頭をかかえ込んだりすると、小桜姫もこちらで精神的ショックのために、冬ぶとんを頭からかぶって寝込んでしまうことはあります。そのときには面会謝絶という貼紙を家の玄関に出して、だれとも会いません。

出版の話になりましたので、脱線ついでにお話いたしますと、今、地上で、「日蓮聖人の霊言」とか「天照大神の霊言」、「坂本龍馬の霊言」などが続々出版されておりますが、面白いことに、こういった本が地上で出版されると、天上界の私たちの世界へも届くのです。書物というのは、一つの念の集合体ですので、書物が完成した時点で、天上界でも同じものが現われます。ですから、この小桜姫の霊界通信が地上で発表されると、まったく同じものが六次元神界でも出廻り、多くの関心を持っている人――地上での神理の流布に関心を持っている霊人――に読まれます。ただし、こちらでは無料で手に入りますが。

地上のみなさまがご想像されるとおり、出版後は、六次元での読者からも、さまざまな質問が寄せられ、「小桜姫の講演会」などもやらなければいけないと思います。

もう一つだけエピソードをご披露しておきますと、「坂本龍馬の霊言」の本で、龍馬さんが、自分の本は一千万部売れて当然だと宣言されたので、その売れ行きを天上界の霊人は注目しています。龍馬さんは自信満々なのですが、その内容にかなり過激なことが書いてあるので、菩薩界の宗教家からかなり非難が出ており、龍馬さんは龍馬さんで、「俺の意見が正論であることは、読者が証明するだろう。」と息巻いているそうです。

まあ、小桜も、今後いろいろな方から「お前の考え方では地上人を混乱させる。」などとご意見を頂戴するのでしょうが、こちらの世界では、怨憎会苦はありませんから、そういった方とは今後、交際しないまでのことです。では今日はこのへんで。


4.六次元の学習(1986年8月2日の霊訓)


今日は、さっそく本題に入ります。題して「六次元の学習」です。

こういうと、地上で勉強が嫌いで嫌いで困っている方は、六次元でも勉強があるのかと顔をしかめられることと思います。そのとおり勉強があるのです。地上では受験勉強があっていやいや家庭教師についたり、塾に通ったりしている子供が多いようですが、こちらには今のところ塾や予備校のようなものはありません。

しかし、学校のようなものは六次元神界にはちゃんとあります。六次元神界というところは勉強家の集まりなのです。いちばん多いのが学者で、次に芸術家、医者、技術者がたくさんいます。地上生活時代に、何かの専門家、大家であって、心が唯物思想に染まってない、精神的なものを求める清らかな人はたいていこの六次元神界にいて、それぞれの専門家集団で研究していることが多いのです。

私がこちらで会った有名人を挙げてみますと、医師パスツール、音楽家―滝廉太郎、文豪―森鴎外、詩人―堀口大学、歌人―与謝野晶子、斎藤茂吉、画家―緒形光琳(こうりん)、政治家―尾崎行雄、小説家―紫式部、泉鏡花、志賀直哉、評論家―小林秀雄、俳人―蕪村(ぶそん)、一茶、などがいます。こういう人びとをみていると、六次元神界にくる人びとは、たいへん勉強家が多いことに気づかれると思います。現在では、小桜の知らない大学教授とか、研究者、高級官僚もおります。こういう勉強家の群れをみると、地上で多少学校の成績が良いぐらいでは六次元には来られないのがよくわかります。

宗教家では、教祖になっている人は、たいてい菩薩以上の人が多く、神界にいる人は、学問的に仏教やキリスト教を勉強した宗教家、あるいは、こちらの世界に来て、神仏の道を求めて修行中である、小桜のような人間が大部分です。

神様が創られた九次元から三次元までの世界のなかでは、この六次元が、いちばん学習ということに重点をおいており、ここで十分に学び終えた人が、七次元の菩薩界で人扶(たす)けに励んでいるのです。神様は、みずからが学んでいないのに、他人を導くことはできない、ということをひじょうに厳しいルールとしておられ、六次元の人は、一般的に人びとを導くことは許されておらず、自分の専門の領域で、地上の人びとや、あの世の下の世界の人びとを指導することになっています。ですから、地上で研究者や小説家、画家、詩人などにインスピレーションを送っているのは、たいていこの六次元神界の人びとです。

しかし、この六次元神界にも裏側の部分はあって、そこでは仙人や天狗が修行に励んでいます。こういった人びとは、超能力信仰に入って、慈悲や愛を知らず、思想的に危険なので、一般の神界人とは会えないように隔離されています。今日地上で、スプーン曲げや、催眠術、奇術、念写、占星術、姓名判断、滝行などの荒行、ヨガの行者、漢方薬、鍼灸師、空中浮揚、拳法、心霊治療、等々には、たいていこの六次元神界の裏側、仙人界、天狗界の人びとが指導にあたっているか、本人が直接地上に生まれてやっています。

心霊治療は、人びとの病気を治すのだから、慈悲や愛はあるのではないかという方もいらっしゃるでしょうが、仙人界の人びとが地上に降りて「教祖」と呼ばれたいがために、やっている場合も多いのです。もちろん、釈迦やキリストをはじめとする上級天使たちも、病人の治療はやっておりますが、それは神理の実証のためにやっただけで、やはり、法、教えがあります。ですから、教えのない現在はやっている心霊治療は、ほぼ仙人界の人の活動とみて間違いありません。

こういう人は、自分を釈迦、キリストの生まれ変わりのように錯覚して地上時代を生き、還ってくると、あにはからんや、天狗界や仙人界で、流行や崖(がけ)登り、木登りの修行をさせられて、こんなはずはないと怒ったりすることがままあります。天狗界や仙人界から菩薩や如来が出ることはありません。ただし、大天狗の仲間には、かつて菩薩であったものが、地上に降りて自分の超能力を過信して、超能力信仰におちいって、本来の世界に還ってこれなくなったものもおります。

この天狗界・仙人界と、私たちの今いる表側の神界との間に、竜宮界というのがあり、このなかでの指導役が竜神と呼ばれています。竜神は、天狗、仙人でもなくて、人間でもなく、天地自然の霊力をコントロールするために創られた特殊な役柄です。一代の風雲児のような英雄は、たまたま地上に旋風をもたらすために生まれた竜神であることがよくあります。

かつて光の大指導霊であったスサノオの命(みこと)も、高天原、高級神霊界より天照大神に追放され、現在は竜宮界で、竜神の大親分的存在となっています。竜神は霊力が強いことが特徴で、ときには菩薩、如来以上の奇蹟を起こすこともあります。小桜もかつてこの竜宮界で一時期修行をしたこともありますが、やはり、本物の仏教者や、神道家に魅かれることが多く、今は遠ざかっております。

六次元神界の人口構成比は、小桜がいる、光の天使系列の表側神界入口が約七割、竜宮界二割、天狗・仙人界一割となっているそうです。

ですからこれから書くのは、主として表側神界の学習です。

表側神界の指導役は、諸天善神といわれる光の天使たちです。日本神道では、国津神(くにつかみ)といわれる系統がこれに近いです。

諸天善神もいくつかに担当が分かれておりまして、①法の補助者、②法の護衛者、③法の支援者、④法の専門者の四つに大別されます。

①の法の補助者というのは、如来や菩薩が地上で法を説くときに、その内容について助けたり、あるいはこちらで、幽界人、霊界人などを教えたりします。②の法の護衛者は、地上に出た光の天使たちを悪魔の勢力から守る役割、つまり不動明王たちがそうです。あるいは、如来や菩薩が、ときたま地獄浄化のために説法に降りていくときに、彼らを地獄霊から守る役目をします。③の法の支援者は、地上に降りた光の天使たちを物質的・経済的に支援するため、大黒天的役割です。④の法の専門者は、科学や芸術や、哲学など専門分化してしまった神理をその枠のなかで指導する役割です。

小桜姫が今属しているのは①の法の補助者グループで、まあ、いわば、六次元神界ではエリート・コース、菩薩界に上るために修行している仏教家、神道家、クリスチャンなどが勉強している所です。

もちろん、学校というほどではありませんが、約百名ぐらいが定員の集会所がいくつかあり、それぞれの集会所で、校長さん、教頭さん、講師にあたる光の天使がいます。小桜たちはその心性に合わせて、仏数的な集会所とか、神道的な集会所とか、クリスチャン的集会所に行きます。小桜が今こちらでとっているコースは、仏教―七割、キリスト教―二割、神道―一割になっています。

ここでは、たとえば仏教の学校では、教科としては、①地獄論、②布教論、③神理伝道の歴史、④誓願論、⑤自力論、⑥運命論、⑦神国構造論、⑧説法技術論、⑨対機説法論、⑩地上学習論、などのコースがあります。

キリスト教の学校では、祈りのコースや、キリスト教の歴史があるのは当然です。以上のような教科でも、必修科目と選択科目があるのは地上と同じですが、こういった学科学習と併行して、演習の授業があり、各人、五次元霊界や四次元幽界へ行って、説法の実地訓練をやらなければなりません。それ以外に、必ず、地上界の人間を守護・指導する役割を負わされることになります。

ですから小桜姫の立場でいえば、各教科を優秀な成績でマスターして、説法の実地訓練にパスし、地上界の守護・指導にも合格して、地獄霊の導き方などもマスターしたら、菩薩界に昇っていけることになっています。

実際には私も、六次元では、先生役のほうで回ることが多く、この小桜姫物語が地上の人びとを救うための大きな力となり、そして日蓮さんのような主任教授の推せんがあれば、あるいは、新天地の七次元菩薩界に行けるかもしれません。菩薩界に上がって、多くのすばらしい人びとに会い、地上や地獄の数多くの迷える人びとを教うのが小桜姫の現在の夢です。

これは、あなた方が、地上でしっかり頑張って大学者になったり、大経営者になったりして、多くの人びとを指導したいという気持ちに似ているかもしれません。

人間が人間を指導するという相互の切磋琢磨(せっさたくま)は永遠に終わることがなく、なるほど神様というのはすばらしい世界を創ったものだなと感心している今日このごろです。