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目次


























14.耳は二つ、人の意見を二倍聴くためにある


白隠  次に、耳についてお話します。耳が何を象徴しているかは、もう、おわかりだと思います。まず、耳は二つあるということに注目しなければいけません。耳が二つあって、口はひとつです。ロがほんとうは二つあって、耳がひとつでもいいはずなんですが、つまり、耳が頭の天辺(てっぺん)についていて、くるくると回っており、ロも二つぐらいあると、間食用の口と、主食用の口でもあれば便利なんでしょうが、ロはひとつしかない。しかし、耳は二つある。また、目も二つあります。鼻の孔も二つある。しかし、口はひとつしかない。こうしたことの意味を解かねばなりません。

これは、神様が、人間はしゃべることの二倍聴きなさいと、こういうことで耳を二つつくっておられるのです。人間はともすれば、自分の言いたいことばかりを言いたがります。そして、人の意見に耳を傾けません。耳が二つに、口がひとつ。つまり、しゃべることの二倍聴きなさい、人の意見を聴きなさい、と。こういう意味です。

ですから、耳の悪くなる人は、人の意見の聴き方が足りないということです。だいたいにおいて、人の意見を聴きたくないと思っていると、だんだん耳が悪くなってきます。耳が遠くなってきます。そこで、耳が悪い人は、自分がしゃべるだけじゃなくて、自分の意見を言うだけじゃなくて、人の意見に耳を傾けているかどうか、それをよく考えてほしいのです。これが耳です。


15.頭痛持ちの人は反省すれば治る


白隠  頭についても言っておきましょう。頭で言うと、痛い、割れる、つまり頭痛ですね、こういう病気を持っている人がおります。頭痛持ちの人というのは、どうやら精神の統一ができない人なんです。なぜ精神の統一ができないか。すなわち、自らを顧みることをしたくないからです。頭痛持ちの人は、結局、精神の統一がしたくない、できないですね。頭痛がすると、頭が痛いと、精神の統一ができない。精神の統一ができないとはどうぃうことかと言うと、要するに、反省をしないということです。

ですから、頭痛持ちの人は、たいてい自ら反省をする習慣を持っていない人がほとんどです。頭痛持ちの人は、たいていの場合、エゴイストで、利己主義者です。自分の思ったとおりになることしか考えていません。ですから、いつも頭痛で悩んでいる人、頭が割れるように痛い人というのは、自分が利己主義的な生き方をしていないかどうか、厳しく心を問いつめてみて下さい。

要するに、この頭痛を治すためには、徹底的に自分の嫌なものと対決しなければいけないのです。頭痛持ちの人は、要するに、日々の反省、これが大事です。ですから、日々反省をし、自らの悪いところを改めていくと、頭痛はおのずから治っていきます。


16.肩こりは仕事の連繋(れんけい)をはかれ


白隠  では、次に、肩こりの話をしましょう。肩こりは仕事のしすぎでなるように思うかもしれません。まあ、もちろん、そういう物理的なこともあるでしょうが、やはり肩がこるのも、原因があります。肩が象徴しているものは何か。すなわち、肩というものは、「連繋」、これを意味しているのです。まあ、英語で言うならば、コンビネーションと言うのですか、これを象徴しているのが肩なのです。肩というのは、要するに、その人の一日の仕事の連繋を意味しているんですね。つまり、同じことばかりをしていると、たいてい肩が痛くなってきます。肩こりの原因です。それはつまり、連繋ということがうまくいっていないということなのですね。

ですから、肩がこるという人は、一日の仕事、あるいは、毎日、毎月、毎年の仕事の連繋、うまいつながりですね、これを考えておく必要があります。人間というのは、同じことばかり、しかも、一日中、いつもいつもしていることはできないんです。肩がこる人は連繋ができていませんから、要するに、一日というものを振り返るならば、その一日をどうやったらリズミカルな一日にできるかどうか、どうやったらうまい組み合わせの一日になるかどうか、そういうことを考えていくことです。毎日毎日をどういうふうに計画していけばいいか、こういうことを考えていきなさい。要するに、変化を持たせていきなさいということですね。これが肩に一番よく効くんです。


17.エイズなど、性病は神の警告


白隠  では、さらに、現代に多い、性的器官についての病気について触れておきます。まず、女性の子宮、子宮の病気、これも多いですから、簡単に言っておきましょう。子宮筋腫になったり、ま、子宮がいろいろと病気になることがあります。子官はもちろん、母体の象徴です。これが悪くなるということは、何を意味しているか、これはつまり、母なるものの放棄です。母なるものの放棄を意味しているんです。ですから、子宮が悪くなる女性は、育(はぐく)んでいくということを捨てた方です。この育むということは、子供だけについてのことではありません。いろんなものに対して言えます。つまり、育んでいく気持ちをなくした方は、そういう子宮の病気となって現われてくるのです。

母の気持ちというのは、大きく守り育てていく気持ちですから、そういう気持ちでもって生きていかなくてはならない。地を排斥するような気持ちはダメです。まあ、これもエゴイストとの関係もございます。大きく包んでいくような気持ち、こういった気持ちを持つことが大事です。これがないと、病気になってしまいます。ま、これが子宮です。

次に、男女の性的器官について、医学的見地から述べておきますと、まあ、性病というのがあります。これはもちろん、ウイルスが原因していますが、最近欧米でも、異常に性病が流行(はや)っております。まあ、エイズもそうですが、それ以外の病気も流行っております。まあこれは、もちろん、あなたには、もう結論が見えているはずです。

そうです。性の乱れですね。もちろん、これは警告です。性の乱れというものに対する集団意識への警告、それが今、性病という形で出ております。ですから、性に乱れている方がたは、それがわかるまでは、性病で苦しむことになります。性病が蔓延(まんえん)しているということは、これは、ある意味では、性の乱れを防止しなさいという神様からの警告であります。

性病は悪いもののようにみえますが、それはつまり、調和ある秩序を守ってほしいということなのです。性の秩序を守れという神の警告なのです。ですから、性病にかかっている人は、自分は、それを治したいと思っているかもしれませんが、まずは、秩序ある性生活、そうした生活を送ることです。それは当然です。これを反省せねばいけません。そういう乱れた心、淫(みだ)らな心を持っていると、病気は絶対によくなっていきません。また、病気に罹(かか)る確率も高くなる。

性病の原因は、もちろん、あるわけですが、それに罹(かか)る人、罹らない人もあるんです。罹る人というのは、やはり心に乱れがある。不調和があるんです。心にね。とくに現代、この面が、乱れているようですから、要注意しておきます。


18.足痛は自立心の欠乏


白隠  あと、足が悪くなる人、まあ、こういう人もあります。足は何を意味しているか。「足が地に着く」と昔からよく言いますが、足というのは、要するに、現実的な処理能力を意味しています。つまり、その人が現実的処理能力を失っていくと、足が悪くなっていきます。ま、これを別の言葉で言うと、ものごとを他人委(まか)せにしていないかどうかということです。他人委せの生き方をしている人というは、だんだんに足が弱くなってきています。

足は、ある意味で、自立心の現われであります。自分のことは自分でやっていく、つまり、自立心、これが足をよくしていきます。他人依存になっている人、たとえば、夫婦で言えば、何でもかんでも妻まかせ、こういう方は、別に動物学的に足が悪いのではなくても、心理的に足が弱ってきます。

あなたもよく見ておられたらいいんですが、何かと言うと、まあいわゆる、「飯、風呂、寝る」の亭主、こういう方がたは、たいてい年が寄ると、足が弱ってきます。すなわち、これは自立心の欠乏です。ですから、足が弱っているという人は、自立心を起こして、現実的処理能力をつけていく、自分のことは自分で決していくと、そういう習慣をつけると、次第に足がよくなってくる。そういう心が反映するわけです。


19.神経痛、リューマチには高貴な精神が必要


白隠  だいたい以上で、身体の病気について、私は語ったのですが、まだ語りもれがありましたら、話しますが……。

まあ、神経痛はね、これについては言っていませんでしたが、神経痛は、もちろん、これは神経の病、つまり、気の病です。神経病というのは、いろんなことに敏感に感じすぎる性格からきているのです。ですから、神経痛に対しても、大らかな性格を持つ、これ以外にありません。いろんなことを気にしすぎているわけです、神経痛の人は。

リューマチについては、これはまあ、どうも憑依(ひょうい)現象が多いようですね。実際上はね、下半身が痺(しび)れたり、寒くなったりするという憑依現象が多いようです。こういう方がたが何でリューマチになるかと言うと、これはまあ、動物霊などに支配されるんですが、リューマチの理由を考えてみると、どうも自分のなかに、精神のなかに、動物という面があるということですね。ですから、リューマチになるような方というのは、高貴な精神というのを養う必要があるようです。

高邁(こうまい)なるものに目を向けよ。つまり、リューマチになるというのは、要するに、下半身、物質のほうに引きずられている心というのを表徴(ひょうちょう)しているのです。ですから、リューマチに罹っているような人は、高次な理念、高邁な理想、高貴な精神、こういうものを十分に持っていただきたいと思います。理想が欠けていたのではダメです。ですから、生において、そうしたものが欠けている方が、動物霊などに支配されて、リューマチになるのです。


20.肛門の病(やまい)は感謝がたらず仕事の区切りをつけない人


白隠  あと、肛門の病気、痔についても言っておきましょうか。痔になる人も、けっこう多いようですから。これは、体格的に太っている人がなるとかよく言われていますが、ただそれだけじゃないということです。痔にかかる理由は何か、肛門の意味しているものは何か。あなた、この理由、お解かりですか。

――  肛門の病気と言えば、排泄物の生理に支障をきたしているということですね。

白隠  つまり、排泄ですね、肛門の機能というのは。排泄ができないということはどういうことか。まあ、別の言葉で言えば、糞切りが悪いなどとよく言いますね。あるいは、なかに蓄えて出てこない。糞づまりです。こういうものがあります。いずれにせよ、どうも排泄というものがうまくいかないわけです。

人間は、どうも口に取り入れることばかりを気にしているけれども、出すことをよく忘れています。毎日毎日、きちっと排泄できる、これは幸せなことですね。毎日きちっと出るものが出るからこそ、入ってくるものが嬉しい。ですから、肛門が悪い、要するに、痔になったり、便秘もそうですが、こういう人というのは、感謝の念が足りないですね。これがひとつです。

排便というようなこういう一番汚いと思われているようなもののなかに、つまり、こういうことが毎日あるから自分は幸せなんだ、毎日幸せに生きていけるんだ、と。排便が一週間出なければ、人間は死んでしまいます。こうした一番汚らしいことのなかにも、感謝の種はあるんのです。ですから、つまらないことをつまらないとするのではなくて、つまらないことが自分の人生を支えてくれているのだという気持ちですね。こういう下積みの人たち、あるいは、自分を支えている、そうぃう一見つまらなくみえるものに対する感謝です。

社会で言えば、下積みになっている人への感謝、会社で上役になっておれば、平社員たちへの感謝、こうしたものがないと、痔になってくる。下積みの者への感謝です。つまらないと一見思えるものへの感謝、もちろん食べるものへの感謝も持たなくてはならない。ところが、痔になるような人は、食物に対して、あまり感謝する気持ちがありません。つまり、盲点ですね。痔の部分というのは、人生に盲点のある人です。

痔になる人の二番目の原因、これは、要するに、ひとつひとつのことを処理していけない性格です。これもあります。つまり、区切りができない人ですね。あることを片づけないままに、次のことにかかる。それをやりながら、また次のことに気が移る。こういう人は、肛門の病気になりやすいです。

そこで、ひとつひとつに区切りをつけていく。人生にピリオドをひとつひとつ打っていく。こうした区切りのある整然とした日常生活、これが肛門を活していく。こういうことが肝心です。


21.「ぼけ」対策は、利己主義をやめ、何かやる気を起こすこと


――  今ひとつおうかがいしたいのですが、現代はやっております「ぼけ」の問題と、その対策について、お願いします。

白隠  まあ、ぼけは先程の頭とよく似ていますが、結局、ぼけというのは気力とも関係していますね。ホルモンの関係と頭の関係、これの両方です。ホルモンの関係を話したときに、やる気ということを言いましたが、人生のやる気がなくなっているとぼけてくる。だいたいぼけ老人というのは、利己主義者です。自分のことばかり考えて、他の人のことを考えていません。こうぃう人がぼけ老人になります。

他の人のことを考え、他の人の気持ちを考えるということは、それだけ頭を使っているんですね。それだけの配慮をしているんです。ところが、自分のことだけしか考えないのは、動物でもそう、虫でもそうですが、こんなのは、利己主義者です。

ぼけ老人のほとんどは、利己主義者で、かつ人生にやる気がない人です。これが、ぼけの原因になります。ですから、ぼけの対策としては、何かやる気のあるものを見つけるということがひとつ。人生にやる気を起こすということがひとつですね。それと、他人への配慮を特つということ、つまりエゴイストにならないということです。自分中心じゃない人は、ぼけになりません。

「ぼけ」についてはだいたい以上ですが、体の健康というものは、やはり心の反映だということです。つまり、心がバランスを失っておれば、いろんな病気になるということです。

ですから、特定の器官なり、部分が悪くなるというのは、やはりそれなりの原因があるということです。もちろん、他にもいろんな原因があるけれども、その原因が集中してきているということです。そうすると、堰(せき)を切ったように、ある時点にくると、悪くなってくる。つまり、そういう意味で、心というのは、体に大変密接な関わりがあるわけです。

あなた方、さまざまな地獄霊たちも体験したことがあるでしょうが、地獄霊も、死んだときと同じ症状をして苦しんでいるのがいっぱいいます。心臓が苦しいとか、胃が苦しいとか、頭が割れるようだとか、まったく同じ状況です。要するに、心と体とは一致しているんです。

ですから、体が悪いときには、心も悪いんです。そこで、先程も言った観点から、心のどこが悪いのかをよく見極めながら、治療に当たるということですね。これが大事です。

まあ、長らく説いてきましたが……、私はね、自分の病気を"禅"で治していきましたが、結局は、病気とは、禅で治るものじゃないんです。ただ、禅、というものを通して、心の調和をして、なぜ体のそういう部位が悪いのか、その理由をよく追究する。そして、心を"光明"面に向けていったときに、そういう病が消えていったということです。

現代人は、西洋医学信仰、薬信仰があるから、体の悪いところは、注射しなければいけないなどと思っているでしょう。しかし、たいていの病気は、心を入れ換えれば治っていくんです。それだけの自然治癒能力が、人間にはあるんです。今のは心の問題を説きましたが、まあ、あとはね、極端は避けるということ、これは、体を守るために大事ですね。いろんな極端は避けることです。――他に何かありますか。


22.白隠禅師は医療霊団の一員


――  あなたは、かつて"禅僧"であったということの他に、現在、そちらでは、何か医療関係でご指導されているのですか。

白隠  関係しています。宗教のなかで、医療関係のグループがあります。「薬師如来」関係の医療グループがあるのですが、私もそのうちのひとりです。そして、正しい心のあり方と健康、こうしたものを常々考えております。まあ、あなた方の意識のなかにはないかもしれませんが、健康ということも、これもまた、「神理」のひとつなのです。

神は健康の念を持っておられるのです。神の光のなかには、健康という、そういう面があるのです。病気は神がつくっていないのです。病気というのは、神の光が、神の栄光が現われていないところなんです。結局、神様は、病気を人間につくったわけではないんですから、これは、神の光が遍(あまね)く当たれば、病気は治るんです。ですから、「神理」のなかには、健康ということ、これもあるということです。あなた方の読者のなかには、病人も多いでしょうが、私の言った言葉をどうかよく噛(か)みしめていただきたい。原因は、必ず自分自身にあるはずなのですから。

まあ、そういうことで、今日は、私は心と体の問題、精神と肉体との調和ということに関して話をさせていただきました。

――  非常に有益なお話をおうかがいしました。お話は、むつかしい禅問答というのではなくして、私たちの日常の心の持ち方が、健康に及ぼす力というものが大いにある、ということのお教えであったと思います。禅師のお教えをうかがった人は、大変勉強させられたことだと思います。

白隠  まあ、私たちは、これ専門にやっておりますから……、先程も申しましたけど、神様は病気はつくっていないのです。病気というのは、要するに、神の光が現われていないところなのです。何かその光を遮(さえぎ)るものがあるということです。光を遮るものは何かということを、しっかりと考える必要があります。まあ、そういうことで、今日は私の意見を聴いていただいて、ありがとうございました。

――  禅師には、ご自分が肺結核という、当時の難病を、精神力によって克服された貴重なご体験から、ご他界後は、医療霊団のグループのなかで、ご活躍されておられるということですが、今後も機(おり)あらば、またよろしくご指導をお願いいたします。本日は、長時間、まことにありがとうございました。