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目次










 10.ムー文明の興隆



 13.現文明への流れ





6.地球意識による極移動


このミュートラムの大陸は極移動で寒帯入りをしました。極移動は、もしかすると、私たちが生きているときにも、またあるかもしれないと予言されています。なぜこの極移動があるのか、不思議といえば不思議なことですが、結論をはっきり申しますと、これはひとつの新陳代謝なのです。地球は生き物なのです。あるところは寒帯になり、あるところは熱帯になっていて、いつも同じように身体を太陽にさらしているわけです。

たとえば今、私が日なたぼっこをして光を浴びているとします。すると陽の光があたっている側は暖かいのですが、陰になっている下のほうは寒いのです。そうやっていつも同じ格好でいますと、熱いところは熱く、寒いところは寒く、ひじょうにアンバランスになってきます。そこで、どうするかといいますと、急に向きを変えたくなるわけなのです。

それと同じような感じで、生命体としての地球も、やはりある周期でブルブルッとくるときがあるのです。これが、どのくらいの周期で起きるかは私にもよくわかりませんが、ただ、十次元意識としての地球意識が、やはり時どき変革をしたいという気持ちを起こすのは確かです。そのときに、このような極移動が起こることがあるのです。自分というこの地球上でいろいろな生命が育まれているけれども、現在の状況を変えたいという気持ち、また違った環境を創ってみたいという気持ちが起きることがあるのです。その一つの方法が極移動なのです。極移動によって、温帯と冷帯が入れ替わったり、熱帯と寒帯が入れ替わったりします。

もう一つの方法としては大陸の、浮上、沈没というやり方もあります。噴火とともに隆起してきたり、大地震で沈没したり分裂したりという地表の動きです。

このように活動して何をしているのかといいますと、地球意識も何もしないでじっとしていれば退屈するということです。彼らもやはり一つの芸術家であり、何億年もかけて、いろいろな環境を創ることを意図しているのです。どのような環境を創れば地球がいちばん繁栄するか、人類の進化に役立ち、繁茂している植物あるいは動物たちの進化・繁栄に役立つか、このようなことをやはり意図しているわけで、そのためにいろいろな環境を創出するのです。

いつも同じであれば停滞してしまいます。ところが温帯や寒帯が入れ替わりすることによって、植物もまた新しく違ったものが出ることができるのです。そして、いろいろと変わった植物が発生し繁茂していきます。その後に、それを食物としている動物もまた変化してきたり、いろいろなことがあるからおもしろいのです。


7.大日意識による文明光線の調整


同じように大日意識という積極性の意識は、太陽神霊の光線を引いているわけでありますが、やはりどういう光線を強くしていくかをいつも調整しています。文明が変わっていく理由は、ひとつに、この大日意識の調整によるということです。これが光度を上げて九次元をプリズム化して調整しているわけですが、この光の強度も変えたりするのです。強弱を調節したり、あるいは光の質を変えてゆきます。そしてこの時代ではどのような光線を強くしようかということを大日意識が意図すると、その方面の光線が強くなるのです。するとそれが地上に反映されてきて文明の特徴が現われてくるのです。そしてその時代が過ぎると、また次の光線を強めていくのです。

このように十次元のなかでも大日意識は、そうした光線によって調整をかけ、地球意識では環境を芸術的に変化させることで調整をかけながら、いろいろな影響を与え歴史を創ってきています。その間で人格を持った高級諸霊たちががんばって天国創りに励み、ユートピア創りのために活躍している、このような環境であることを知ってください。


8.魂修行のためにある時代・環境の変化


このようなことは、スケールがひじょうに大きいので私たちからはよくわかりませんが、彼らにしてみればこうした何十万年、何百万年ぐらいの間での地殻変動等であれば、意外にそう悠久のことではないという感じであると思います。そのような雄大なスケールの時間の流れのなかで私たちは手の平にのせられて魂修行をしているということを知らなければならないのです。

ですから、このようなことを単なる幸・不幸の感覚でとらえるならば、みなさんは勉強不足ということになってしまいます。このように過去においていろいろな文明が生まれ、栄え、そして滅びたということを繰り返してきたけれども、そのたびに人類はいろいろな魂学習をしてきたという事実があるのです。

この現文明においても同じようなことがあるかもしれませんが、またこれも、そのような流れのなかにあるということです。収穫逓減の法則というものが経済学にありますが、それと同じように一つの大陸で一つの文明が栄えて固まってくると、魂修行の値打ちがだんだんと低減していって、生まれ変わってもそんなに魂的に学ぶことがなくなってくるのです。

そうしますとやはり、どうしても環境を変える必要が出てくるのです。そのためには何か地球自体の環境を少し変えるか、あるいは違った光線を強くしていって文明の価値観を変えるのです。光線の色が変わってくると、それにつれて、人類の価値観が変わり、新しい文明が興ってくるのです。こういうことが言えるのです。


9.レムリア文明と芸術


ミュートラム文明が滅びたのは、水上に顔を出したボールが、くるっと一回転するというような地軸の変化によるものでした。ミュートラムの首府ラ・ミュートという都市もすっかり大雪で凍りついてしまって、ほとんど全滅してしまったのです。しかし、ごく一部の人びとは船で逃れて次なる大陸に行くことができました。

それが次なるレムリアです。このレムリアの歴史のなかでは、ゼウスの前身でエレマリアという人がひじょうに有名です。このエレマリアは文学芸術の全般にわたる万能の天才で、このエレマリアの名前の由来もレムリアに降りたる神の光という意味のエル・レムリアという言葉から発しているというほどに偉大な方であったのです。したがって、前のミュートラム文明は食生活文明でありましたが、レムリアは芸術中心の文明になってきたのです。そして大聖エレマリアは、芸術を通して人びとに生きる歓びと神の栄光を教えていきました。現代でも芸術方面に優れた才能を発揮している人は、この時代に勉強した人が多く、読者のなかにも思いあたる方もいるのではないかと思います。


①マルガリットの芸術至上主義

このエレマリアの後にレムリアに巨大な光をもたらしたのが、マヌと呼ばれている人です。今から二万九千年ほど前のその時には、名前をマルガリットと呼ばれていました。大師マルガリットと尊称されていましたが、マルガリットとは、「競い立てる者」という意味であり、これには二義があります。一つは全能の神と崇められたエレマリアと競い立つという意味で、もう一つは芸術を通して各部族を競わせるという意味です。ここに現在の民主主義に近い考えが出てきたわけです。

芸術に競争原理を持ち込んだということですが、民族を音楽、絵画、文学、建築、加工技術の分野に分けて、それぞれに最高のものを追究させ、そして三年ごとに最高の芸術を決める競技会を開催して最優秀となった部族を支配階級として、三年間治めさせました。そしてまた三年たったのちに競技会を開くというようにしていたわけです。現在アメリカでも大統領の任期が四年ということになっていますが、それと同じような意味で洗礼を三年ごとにやっていたわけです。

芸術性を発揮するということは、この当時は神に近づくことでしたから、最高度に神に近づいた部族が支配階級になって治める権利が与えられ、その代わり修行や勉強を怠って芸術性が落ちると、三年後に転落するわけです。そして次の支配階級が出てくるということを考えたのです。

芸術という限られた領域ではありましたが、公平に競争させて、勝者を統治者にするという考えは、競争主義の先駆けとも言えるでしょう。同時に祭政一致という考えでもあるということです。競争させる対象を神に近づいていくということにもっていったわけです。ここが現在の競争原理と違うわけで、単なる得票だけで表わすことはなかったのです。


②新しい時代の神政民主主義

現在であればいろいろな政党がありますが、この考え方をとり入れるとするならば、どの政党の主義主張、あるいは実践してきたことが神の心にいちばん近いかという基準をもうけるのです。それで過去三年間の実績を出されるのです。その政党の過去三年間の主義主張、活動、これが神理にどれだけ近いかということではかられて、その三年間の実績でいちばん神の心に近いと思われる活動をしたところが与党になるわけです。そして政権を与えられて国政をまかされるということになるのです。

このように考えてみますと、現在の民主主義的な考え方を活かしながら、この祭政一致をとるという方法論が、具体性を帯びて浮かんでくるのではないでしょうか。従来は民主主義のあり方と祭政一致主義とは両立しえないものと考えられてきましたし、霊言集のなかでもそのような見解がずいぶん出ています。日本神道系の考え方と、リンカーンの考え方ではかなり違いがあります。

どちらがほんとうによいのかということになると、デモクラシーがやはりいいという考え方があれば、一方においてはそれは最悪を防ぐ制度でしかなく、最高のものではない、徳治主義こそ最高だという考え方もあるのです。しかし、徳治主義は腐敗しやすく、一代限りになって、あとが続かないことも往々にしてあります。

このあたりをどのように調整するかという観点から判断すると、ある程度のコンペティション(競争)をしながら、そのなかからもっとも神理にのっとり、神の子に近い主張を持って活動をしているところを選ぶという方式を採用するようにすれば、いちばん神理にかなうわけです。

したがって、このような方法を活かすとすれば、現在の選挙制度の方法である得票のあり方を多少変えていく必要があると思います。たとえば単なる得票の数ではなくて、地上ユートピア建設へどの程度貢献しているかということを、選挙や国民投票の得票あるいは間接選挙などの方法で競わせたならばどうでしょうか。その政党がどれほど神理に近いか、どれほど活動において、菩薩行としての社会に対する実績があるかということを、得点化して競わせるならば、ひじょうに理想の政治に近づくということです。このように、いろいろと過去に学ぶことによっても、知恵は湧いてくるのです。


10.ムー文明の興隆


①レムリヤからムー大陸へ

このレムリヤの最期は、二万七千年前ほどでありますが、あっという間でした。暑い暑い夏の日の午後、人びとが音楽に酔いしれているときに突如、大陸が陥没していったのです。まず、大陸の東端から沈んでいって、午後四時ごろには半分ほどになりました。そして翌朝の七時には、大陸は見る影もなく、そこには朝日がきらきらと青い海原を照らしているだけでした。

レムリヤ大陸に住んでいた二百五十万人くらいの人も、全員海の底へ沈んでいったのです。ただ、このときも植民地があって、そこだけが残っていました。この植民地の名がモア大陸、のちにムー大陸と呼ばれる大陸です。現在のインドネシアのあたりにあったのですが、オーストラリアの約二倍ほどの面積がありました。

レムリヤの人びとは帆船で大軍団を組んで、二万八千年くらい前から、この大陸の諸都市を植民地化し始めていました。そして、一部を奴隷化して、レムリヤにつれてきて奴隷階級をつくりました。そして、生活に必要な仕事を奴隷にやらせ、自分たちは、当時もっとも神に近いと思われていた音楽、芸術に酔いしれていて、生産的なことにはいっさいたずさわりませんでした。

この非生産的な傾向が、だんだん狂いを生じさせる原因となって、レムリヤの人びとは驕(おご)り、酔いしれるようになり、次第に神の心から離れていきました。そして、その悪想念が巨大化し、それに対する反作用が起きて、大陸の陥没という最悪の事態になっていったのです。


②光の文明

さて、ムーでも二万年くらいまえから、大きな文明の盛り上がりがありました。このときにゾロアスターの前身があらわれて、その。名をエスカレントといいました。このエスカレントという名前は、現在の英語のエクセレントの語源となった言葉で「すばらしい」という意味を持っています。

そして、この大聖エスカレントは太陽科学エネルギーをひじょ与に重要視しました。そして光を、まず第一としては、「聖なるもの」、すなわち、神の栄光を表わすものとして位置づけしました。第二には「有用なるもの」としての位置づけをしました。

最初の、光は聖なるものということから、太陽や月の光に対して、両手をあわせておじぎをするという、そのようなしきたりが生まれました。これは東洋の礼儀の源流になっています。ですから、二万年くらい前に東洋の礼儀作法の源流があるわけです。

第二は光のパワーを科学的に利用する方法が研究されていました。エスカレントは、クートフーミー、後にアルキメデスやニュートンと呼ばれる人の指導や、またエルランティの科学的指導を受けて、光パワーの増幅ということを中心に注力していたわけです。

ここで、この太陽の光エネルギーを使った発電装置についての説明をしてみましょう。都市の中心部には、一辺が三十メートルくらいの正三角形でできたピラミッドがあって、銀色に輝いておりました。そしてそれが各町の中心にある一辺が一〇メートルくらいのピラミッドに放射されて、それから各家庭の屋上にある一辺の長さ一メートルの小ピラミッドにつながるという方法でした。もちろん電線は使いませんでした。

この装置は巨大ピラミッドのようなもので、銀色に光っていたのですが、これは光を浴びているからそのように銀色に見えるのであって、材質そのものの色は銀色ではなく、近寄って見るとガラスのように透明なものでできていました。

そして、そのなかに金属でできた一つの原子炉のように見えるものが入っていました。それは、透明なものでありましたが、遠くから見ると銀色に光って見えました。これが太陽エネルギーを入れる装置で、ピラミッドパワーとよく言われています。私もくわしくはわからないのですが、どうやらピラミッドの形には、ひじょうに特殊な意味があるようで、光を蓄えたり増幅したりする力があるらしいのです。

この太陽エネルギーの巨大増幅装置をつくって、太陽光線を集めると、その内部にどうやらこの光エネルギーを溜めることができたようです。そして、そのなかからアンテナのようなものを通して、小さなピラミッドにそのエネルギーを放射する装置があったのです。

このような装置によって、現在のような電信柱や電線というものがなくてもエネルギーの転送ができたわけです。その代わりこの中心部のピラミッドは、小高い所にできていたことが多かったようです。それより高い建物を建てるとやはり邪魔になりますので、小高いところに建てて、次から次へと太陽エネルギーを放射していったのです。これは、ちょうど、昔はのろしなどを上げて次々に合図を送っていったりするのと同じような考えの方法でエネルギーを送っていきました。このピラミッドパワーは、アトランティスにも引き継がれています。


③ラ・ムーの宗教政治

さてラ・ムーの時代です。一九八八年の十月の講演会「反省の原理」のなかでもラ・ムーの反省法の話を少しさせていただきました。本書ではラ・ムーの教えの中心として、第一に、太陽のごときものを神と考えるという考え。そして第二に、人間は神の子であるから太陽のごとく光を放ちながら、愛と慈悲に生きなければならない。第三番目に、すべてのムー人は向上を人生の目標としなければならない、ということをあげておきたいと思います。


この三番目の教えにある向上とは武芸、学業だけに適用されるのではなくて、いかに霊性を高めるかというところがポイントだということで、これは、釈迦の教えの源流にひじょうに近い考え方です。何度も言っておりますが、ラ・ムーの考え方と生涯そのものについては、やがてまた書に著わしたいと思っています。

この時代も政治と宗教の一致がだいぶ問われていて、政治をする人はやはり神近き人でなければなりませんでした。その意味でいつの時代でも大宗教家は政治家にならなければ、話が合わないということです。ところが、現在は政治もだいぷ技術的な部分、専門的な部分が増えてまいりまして、かなり難しくなってきたことは事実です。

ですから官僚組織のようなもので、専門的な部分をしっかりさせて、政治家は大きな判断のほうを主としてやっていくようにすれぱよいのではないかと思います。大宗教家が政治家になる時代が、やがて日本にもやってきます。今後何十年か、かかりますが、必ず国政をになう大人物が登場してきます。

このようにしてある意味での祭政一致、つまり地上において国のトップにたつ人が神理を悟っていることはだいじなことなのです。それを知っていて施政方針や本年度の方針などの話をされればよいのです。神理を語ってくださればこんなによいことはありません。新聞にも全部載りますし、テレビにも出ます。ラ・ムーの時代のように、神理を悟った人が国民の前で神理を話す、やはり、これを目指さないという手はないのです。

政教分離などと言っておりますが、そのような条項は四十数年前のアメリカ人と日本人の憲法学者が話して決めただけのことですから、必ずしも神理とは言えないのです。浅い知恵で見れば、宗教と政治がいっしょになればおかしくなると考えることができます。そして、そのような例が過去にあったということもあります。しかし、正しい時代には、神理と政治が一致していた時期が確かにあったのです。間違ったところばかりをとらえていたのでは、性悪論になってしまいます。

この政教分離の考え方のなかに、宗教をいかがわしいものと思っている考え方が明らかにあります。それが、戦後の宗教の地位低下を確かに招いています。今の日本では制度的に宗教が存在悪ととらえられているのです。やはり、これは何とかしなければいけない問題であると考えます。

ラ・ムーによって、その最盛期を迎えた、ムー文明もレムリヤの最期と同じように今からおよそ一万五千三百年前の大陸の沈下によって滅びてしまいました。


11.アトランティス文明と光


①生命エネルギー転換法

アトランティスとは大西洋にあった大陸の名前です。この時代には、クートフーミーという名の偉大な科学者が生まれました。そして、植物の生命のなかの神秘の力に気づきこれを利用することに成功したのです。これも、おもしろい発見でありますが、ようするに、生命エネルギーを私たちの活動エネルギーに変えるという、エネルギトの質的変換の方法を発見したわけです。たとえば花の蕾(つぼみ)が花瓶などにさしておくと、水だけで花が開きますが、これは実に不思議なことなのです。小さな白い蕾などが、真っ赤な花を咲かせるのは、いったいどこにそのようなエネルギーを秘めているのでしょうか。

この生長と活動のエネルギーに、エジソンなどの発明家が着目し、ずっと眺めていると、何かに使えるのではないかと思うわけです。そしてこの生命エネルギーをなにか他のエネルギーに転化しようと考えても不思議はありません。

この時代には、植物のこの旺盛なる生命エネルギーが、生活のためのものすごいエネルギー源になることが発見されていたわけです。そうすると、自宅に球根をおいておくだけで、それさえあれば、その球根が発芽していくエネルギーを転換して、家の必要とするエネルギーをほとんどまかなえるという方式がありました。

今後このようなエネルギーが、発見される可能性はあります。ウランから取り出す原子力エネルギーも原子核分裂の連鎖反応で生じる大量のエネルギーをとり出すことに成功したものです。水素爆弾は、水素のなかでも特殊な水素が核融合してヘリウムに変換するときの核エネルギーを使うわけです。そういう物質の根源的な質的変換の反応のエネルギーには、ものすごい力が実はあるのです。花なども匂いが漂ってきて、そこには化学反応が起きているわけですけれども、それ以外に根源的な「生命エネルギー反応」というものがあるわけです。生物学が好きな人は、ぜひこの分野で研究してみてください。必ず何かできるはずです。


②クザーヌスの理神論

ムー大陸が沈み、その末裔が、アトランティスに落ちのびて、ムー文明のピラミッドパワーを、アトランティス人に授けたころ、またマイトレーヤー如来という方があらわれました。その名はクザーヌスと呼ばれ、ピラミッドパワーと太陽信仰をあわせた「理神論」と言う信仰を説きはじめました。

この思想は、理性的なるもの、科学的なるものは、すなわちそれは神の心にかない、また神の心は、理性的、科学的なものを欲するということであり、そしてその最たるものとして、太陽の光をあげた思想なのです。

太陽というのは、よく信仰や崇拝の対象にされますが、その太陽は、そうした信仰の対象であると同時に、私たちに実際の恩恵を与えてくれている、つまり科学的に見てもそうとうのエネルギーを供給して私たちを養い、導いているものであり、これが神の存在そのものではないかという考えです。ほんとうにすばらしい信仰は、科学的な有用性に裏付けられているという考え方であり、これが一世を風靡(ふうび)しました。

このような考え方は、後のヘーゲルなどの考え方にもあるようです。「理性的なるものが現実的であり、現実的なるものが理性的である。」という言葉でありますが、それを思わせるような感じがします。太陽エネルギーについてはこれはこれで、そのとおりの発見なのですが、ほかのところにもってきますと、もちろん違ってくることもあるわけです。それゆえに考え方のうえにおいて、後々の宗教家たちを縛ることにもなっていきました。

つまり、科学的に証明ができないようなことは、おかしいというような現代によくある考え方です。クザーヌスという人は理性的なものが神の心にかなうのだと言っているのだから、それに反する理性的でないものは、すべてまやかしだ、インチキだという、宗教狩り、悪魔狩りにつながっていく危険性を含んでいたわけです。

アトランティスの時代の飛行船や、船についていたシンボルのシャチは、この当時アトランティスの象徴であり、このことは『太陽の法』に、くわしく説明されています。これは『高橋信次霊訓集』にも触れられています。船の形や長さが多少違うことを言っているかもしれませんが、描写している時代が違うためのようであります。


12.宗教政治家アガシャーに学ぶ


さらにアガシャーの時代に入ります。これは、アトランティス末期に出られたひじょうに有名な方です。アトランティスの首都にポンティスというところがありました。このポンティスという都市は、現在のスペインのマドリッドから西南の沖のほう、距離にしてマドリッドから一五〇キロくらいの位置にありました。その当時は人ロ七〇万人の都市で、そこには代々王族が住んでいてその名をアマンダ族といいます。

アガシャーは、このアマンダ族の王子に生まれて、幼名をアモンと呼ばれておりました。そして二四才で名をアガシャーと変え、その名の意味は「叡智を秘蔵せる者」というものでありました。これは、イエス・キリストの生命体です。イエス・キリストもアガシャー系団の一人なのですが、どちらかといいますとアガシャーというほうが本体に近い部分で、そうとう大きな力をもっています。またなんらかの形でこの人の考え方なり、力というものを紹介してみたいと思ってます。

アガシャーは、ラ・ムー同様に政治家兼宗教家でした。彼の治政での特徴は、毎月一回一〇万人以上収容できる大広場に市民を集めて説法したということです。そのころにもワイヤレスマイクのようなものがあったようです。そして愛の説法を主として説いておりました。

前節でも日本の宗教政治家の出現について触れましたように、このようにアガシャーのような人があらわれて毎月、国民を集め、説法をすることは大切なことなのです。

これがほんとうに人々を心から神の御心に帰依させ帰順させることになり、彼らが生きていくためにひじょうによい結果をもたらすことができるのです。国を治める人がそのような生き方を指導することが一番よいのです。

ですから、このあたりが、現在の政治制度に欠けていると言わざるをえない点であると思います。やはり、心の教えを説いてほしいのです。このような愛の教えや、隣人愛、そして一日に一度は一人で静かに祈り、守護・指導霊と対話する時間を持つことの大切さ。また、人の偉さは愛の量ではなく質ではかられるということ。このようなことを政治家が話をするのならば聞きに行くこともできるのですが、実際は、票集め演説や、他党の批判ばかりをしていて肝心の中身がありません。ですから、ほんとうは選挙のための演説をするのならば、神理の話をどんどんしてくだされば聞くほうも、話すほうも身になります。あるいは、町長さんや村長さん市長さんがいて、時どき人々を集めて神理の話をしてくだされば、どれほど住民の心が潤うかわかりません。

したがって、このような人たちが、表に出ていけるような時代風潮を創らなければならないと思っています。その前提としてやはり今、この逆になっている価値観をもう一度ひっくり返すことが必要なのです。逆ピラミッドをひっくり返すということです。

いちばん頂点に立ち、立派であるべきものが、今いちばん底辺におかれている状況でありますから、このピラミッドをもう一度ひっくり返すためにいろいろな時代背景のなかでそのような風潮を創っていく必要があります。それゆえに値打ちのあるものを創ろうという点でいろいろな努力を現在しているわけです。

これがあやしげな団体と言われないように、あるいは、評判の悪い団体にならないで、評判のよい団体になるように、一人一人がすばらしくなるように、できればそのような感じに持っていきたいと思っています。そうでないとこの状況は変わらないのです。絶対に変わりません。


13.現文明への流れ


さて、聖クザーヌス派とアガシャー派が対立して、最後はアガシャー派が生き埋めにされてしまうのですが、このアガシャーの長男のアモンニ世は、逃れることができました。これが、『キリストの霊言』に出ているアモンです。

彼は飛行船で逃れてエジプトに行きました。そしてエジプトで太陽信仰のような教えを説きました。アトランティスの信仰をエジプトに持っていったのです。このエジプトから次にギリシャ、ギリシャからヨーロッパヘと文明がまわっているのです。

東洋文明の源流はムーにあります。ムーの文明が東洋に広がり、西洋はアトランティス文明からはじまっています。おもしろいと思います。

ここで釈迦の生命体の転生を少し説明すると、クラウド、ヘルメス、ブッタ、トス、ラ・ムー、あとは、オフェアリスという魂がおり、ギリシャでヘルメスの前に出ています。彼はいまからちょうど六五〇〇年前に出ています。これがヘルメスの前身として出てギリシャ的精神の礎(いしずえ)を創りました。そして、その後四二〇〇~四三〇〇年前にヘルメスが出ました。だんだんこのあたりの秘密は明らかにしていきたいと思っています。そしてゼウス、モーゼ、イエスと時代は下っていくわけです。


14.百万年の歴史をふり返って

この章の最後に、けっきょく何が言いたかったかということを整理してみましょう。

(1) 文明には、必ず栄枯盛衰がある。

(2) 神は、必ず各文明に、偉大な光の指導霊を出している。

(3) 文明が最盛期を迎え、最後の光が輝いているころ、魔が競い立ち、暗い想念エネルギーの雲に人類がおおわれるようになると、地軸の変化とか、大陸の陥没という大異変が必ず起きている。

(4) 新しい文明は、古い文明の流れを受け継ぎながらも、必ず異なった価値尺度を求める。

(5) しかし、どのような文明であろうとも、魂の修行のために転生輪廻の過程で必要な修行の場であったという事実にはかわりない。


ということです。

以上に書かれたことは、いったい何を意味しているのでしょうか。この五項目は、なんのためにあるかというと、これからは危機の時代が来るかもしれないが、過去においてもそのようなものがあった、そのつど人類は、その危機を切り抜けてよりいっそう高い魂の境地を目指して努力していたのだということです。

この過去の文明、ここに生きていたのは、他人ではなくてみなさんご自身なのだということです。みなさん方はいろいろな時代に生きたのです。そして現代にも生まれ変わってきているのです。ですから、その過去の時代を無駄にするなということ、今世だけが末法であるとか末世であるとかと思うなということです。それは、次なる時代が始まるということなのです。これを知っていただきたいのです。

ですからこの、いったん沈んだ神理の太陽がまた昇る、というところに救世の書『太陽の法』ならびに本書『太陽のメッセージ』のメイン・テーマはあるのです。過去に昇っていた太陽が今また昇っているのだということをみなさんにお教えしているのです。これがひとつの大きなテーマなのです。