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目次










神仏の使者というのは自由自在


あなたは今霊界の構造についていまいろいろと勉強されておられます。何次元に誰が居、どんなところに誰れが居りということを考えておられますが、少し違った面があるということを、今私はあなたに言って置きます。神の世界においては、あなた方が考えているような垣根はなくなってくるのです。よろしいですか、ですから日本の、たとえば日本の国造りをする、日本で明治維新のようなものを興こす、或いは日本で新たな宗教を興こす。こういった何か目的、目標があると神々が皆結集して来るのです。そんなものなのです。それぞれのね、私が何処に居るか分らないと、いうような人びとではないのです。そういう意味において神々の中においては、そういう境界はないのです。ただ普段自分に適しているところに居られるだけです。そう思って下さい、自由自在なのです。融通無碍(ゆうずうむげ)なのです。

ですからね、あなた方神仏の使者であります。神仏の使者で、例えば七次元に住んでいる人、八次元に住んでいる人、いろんな方がいらっしゃいます。けれども本来ならば、下次元の人は、上には上れないとあなたはそう考えているかも知れないけれども、そうではないんです。それは人間としてはそうなんです。ただ神仏の使者はそうではないんです。八次元、九次元に行こうと思えば、本当は行けるんです。実際に行けるんです。それは、そう思うことによって上の者達の援助も勿論あるんです。援助もあるんですが、そうしたことができるんです。ただ普段自分が落ち着いて住んでいるところがこういうところだということなのです。いいですか、別に七次元の人が八次元の人に会えないということではないんです。会えるんです。八次元の人が九次元の人に会おうと思えばいつでも会えるんです。ただ自分の普段落ち着いているところに落ち着いていらっしゃるだけです。そういう雲域に居られるだけなんです。これがいわゆる普通の人間霊との違いなんです。

神仏の使者というものはそういうものなのです。また六次元といわれている″諸天善神“の中にも居られるけれどもヽ彼らの心の段階が六次元ではないのです。彼らは本来は如来、菩薩のような方々なのです。その方々が、六次元を指導するために降りていっておられるのです。自らの光の光度を落として降りていっておられるのです。彼らは何時でも七次元、八次元に還って来ようと思えば還って来られるのです。けれどもそういった指導、あなた方が地上界、三次元へ降りて行っておられるように、六次元に降りていって指導しておられる方々も居られるのです。

本来八次元の力であっても七次元で指導するために出ている方も居るんです。そうした世界なのです。ですから決して差別知でものを考えてはいけません。神仏の使者というのは自由自在なのです。ですからあなたが女神様が住んでいるところと、天之御中主様が住んでいるところが違うんじゃないかなどと言っているけれども、本来は住み易い霊域に居られるだけであって仕事が始まればもう自由自在なのです。


私は「卑弥呼」ではなく「日向(ひむか)」が本名


そのような字ではございません。ただ私達の時代には、それを書き表わすしかとした漢字が用いられていなかったために、そのようにいま言われても仕方がないとは思っておりますが、私はヒミコというよりは、ヒムカと称ばれていたのです。ヒムカというのは、今のたとえば宮崎県の方に、日向という地域がありますが、日に向う、これが″日向“です。私の称ばれていた当時の名前は「日向」です。ヒムカ様と称ばれていたのです。それは常々私は日に対し向かっている、太陽に対して向かっている、要するに太陽に向かって信仰する、太陽信仰だったということです。それを司る私でありますから″ヒムカ″と称ばれていたのです。それが本当の名前です。天照もそうです、古代の日本は太陽信仰だったのです。


邪馬台国は「大和国(やまとくに)」の誤り


邪馬台国ではありません。ヤマト、と言っていたのです。私の時代にもやはり「ヤマト」と言っていたのです。ですから邪馬台国というのも当て字であります。ヤマト国、ヤマトのくに、といっていたのです。″やまとことば″というのがありますが、日本の言葉は和らかいのです。ヤマタイというような、タイというようなキツイ響きのある言葉は使わないのです。″やまとくに″です。大和の国の日向です。

神道の中で″巫女(みこ)″というのがあります、巫子様というのがありますね、神に仕えるものとして、それは元々は私の名前″ヒムカ“から来ているのです。ヒムカ――ヒミコ――ミコ、というふうになって来ているのです。つまりミコ、神に仕える女性の代表として私がいわれていたということなのです。


龍宮は海の神を祀るところ


龍宮というのは或る意味において日本だけにあるのではなくて、世界各国にそういうものはあるのです。これは海に関する神様ですね、海に関する神様が居られるところです。やはりあるのです。山岳関係の神様というのもあるでしょう。山伏とか、天狗とか、山伏とか天狗というのは山岳にまつわる神々とまでは云えませんが、まあ神霊であります。これと逆に海にまつわる神霊というのがあるのです。これも日本だけにあるのではありません。世界各国にあります。龍宮はそういう海の神に関する方々が集まっておられ、世界に平和と寛容をもたらすという役割を持っておられるのです。

龍宮には、弟橘媛(おとたちばな)と姉君の玉依媛(たまよりひめ)の二人の女神様が居られて、それ以外の乙姫様方が沢山居るという形になっています。


あなた方の肉と血は、人類に捧げるパソと葡萄酒(ぶどうしゅ)である


あなた方にも悩みはあると思いますけれども、あなた方というよりは私共と言ってもいいけれども、私どもは決して自分だけの人生を考え過ぎてはいけないということです。私達はそれ以外に何百万人も何億人もの人々のことを考えていかねばならないということです。

あなた方が肉体を持って生きていくというのは、永い本当に何億年もの永い永い転生輪廻の中のほんの一点にしか過ぎないんですよ。あなたの人間としてのこの世的な悩みというのは、この地上生活でいうなら、二億年、三億年の生活でのほんの一点なのです。ほんの一点なのです。自分のことを考えるのもいいけれども、その時間をできるだけ多くの人を愛する時間として使いなさいということです。

一日のうちでね、あなた方は自分自身の悩みを悩む時間は、もう十分もあれば充分です。一日のうちでもう何時間も自分の幸せとか、何んとかをよくしたいとか、そんなことのために悩んではいけないのです。自分の人生ではないのです。普通の人は自分の人生を生きればいいんです。けれどもあなた方は、人のための人生なんです。自分のための人生ならばあなた方は生まれてくる必要はないんです。あなた方が生まれて来だのは、これは人のための人生なんです。人びとの心の糧として生まれて来たんです。あなた方は麦です。人の口の中に入ってしまう麦なんです。あなた方はパンです。引裂かれて人々のロに入っていくパンなんです。あなた方の血は葡萄酒(ぶどうしゅ)です。人々の喉をうるおすためにあなた方は生まれて来たのです。あなた方の身体は引裂かれパンとして食べられ、あなた方の血は飲み干され、ぶどう酒として人々を酔わせるのです。ですからそうした使命であるということをくれぐれもお忘れにならず、大きな気持で生きていってほしいと思います。僅か数十年です。