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目次
















1.イエスの復活の姿は、霊能者以外でも見ることができた


さて本日は、今回の霊言の第1章にあたる部分で、「新復活」という題を私はつけました。新復活というと、まるで自分をイエス様になぞらえているみたいじゃないかと、まあ、おっしゃる方もいらっしゃると思います。クリスチャンでなくても、復活と言えば、そうした印象を持つ人も多いでしょう。

しかし実際の話として、イエス・キリストの時代においては、墓の中に葬(ほうむ)られたイエスが肉体のごとき姿をとって、弟子たちの前に現れたと言われています。そういう現象が見られました。それも一人、二人の前ではなく、さまざまな弟子たち、あるいは漁師たち、あるいは町の学者たち、数百人、数千人の前に姿を現したというふうに聖書では語られています。

ただこういう復活というのは、それほどイエス特有のものではなくて、イエスがやったような復活というのは、あっちこっちであるのです。イエス様のような高級霊を例にとって、幽霊が出たなどということを言っちゃいけませんけれども、イエスの復活というのは、実は肉体として甦(よみがえ)ったわけではないのです。十字架にかかって生命を奪われたイエスが肉体として出てきたわけじゃないんです。

その証拠に、イエスは数百人、数千人の人たちの前に、現れた後、昇天していっています。天上界に昇っていっています。肉体が天上界に昇っていくことはないのです。

そういうことで、聖書の中では、イエスが葬られて何日か後に墓穴を開けてみると、中にいなかったという記述になっていますけれども、これは実は、イエスを信じる人たちの一部が、イエスの遺体を運び出したというのが真相なのです。そして、そうした何と言いますか、ローマ兵たちが警備をしているような、墓穴にほうり込んでおくのではなくて、ちゃんとした埋葬をしたかったということが、その真意なのです。

ところがイエスは、復活して出てきたわけです。それは霊として復活したわけですね。しかし通常の人間は、霊の姿というものを見ることはできません。霊の姿を見ることができる者は霊能者です。霊視ができる者に限られています。

けれどもイエスの復活は、そうではなかったわけですね。霊能者だけが見えた復活ではなくて、いろいろな人たち、旅行く人たちにも見ることができた復活だったのです。


2.現代に私が肉体を持って復活したらどうなるか


それでは高橋信次だって、生前の顔と体でね、じやあ、もう一回肉体を持って出てこいと言われれば、幽霊として出て来ることができるのです。

ただ高橋信次が幽霊になって出て来ると、あまりいい結果は出ないのですね。たいていは、みんな逃げ惑うのです。恐ろしくなってね。私がネクタイを締めて、服を着て弟子の前に出てきたら、弟子のたいていは腰を抜かすか、みんな逃げていきます。私が痩(や)せる前の肥った体で背広を着て、のこのこっと大森の実家に出て来ると、女房は絶対逃げ出します。あるいは失神します。

佳子という娘がおって、この娘が青山かどこかのマンションにいるんだけれども、そのマンションに私が赤いネクタイを締めて、縞(しま)がらの洋服か何かを着て、「いや、こんにちは。復活したよ」と、出て来ると、まあ多分風呂の中か何かでひっくり返るのは、間違いないんです。

そういうことで、現代では、そういうふうな原始的な復活をやると、化けて出たと言われるのは必定(ひつじょう)なのですね。間違いないのです。

ですから、私もちょっとは賢くなっていますから、そういうことはしないのです。そういうものを見て平気なのは、目が見えない方たちだけなのです。普通の人はとても堪(たま)らないのです。

私が肉体を持って、物質化して出て来ていろいろな弟子の前に現れて、握手したり話したりすると、まあ、その人の頭がおかしくなるか、その人の話を聞いた人がみんなおかしくなっていきます。ですからイエスの時代は、あれでよかったかもしれないけれども、現代の復活というのは、そういうふうなわけにはいかないのです。


3.私の復活は、霊言を世に送ることである


そういうことで、私はもっと巧妙な方法をとることにしました。それは私の霊言を世に出す前に、『日蓮聖人の霊言』とか、『空海の霊言』とか、『キリストの霊言』とか、さまざまを世に問うてくれました。そして世の中の評判もそこそこ、いいようです。こういうふうに下準備をした上で、はじめて私は出てくることにしたのです。

いきなり私が霊言を送って『高橋信次の霊言』なんてやりますと、たいていの人は気持ちわるがりますから、それではいけないということで、まず下準備として、高級霊たちの霊言を世に送ったわけです。そうして、世の人たちが、確かに、これは素晴らしいと認めて、はじめて、では、じやあ、生(なま)なましいのを一発やってみましょうということで、できたてほやほやの幽霊、『高橋信次の霊言集』を世に送ったわけです。これが第一集目だったわけですね。こうして私は、現代における復活、新復活を果たしたわけです。

皆さんは私の言葉を聞いたら、生きている高橋信次が話していることと、そっくり同じだということを感じることでありましょう。また前回の霊言集が出て以降、さまざまな手紙が、寄せられたようです。私も霊の体でチョコチョコ行っては、手紙を読んだのでありますが、かつての我が弟子たちは、間違いなく、かつての師、高橋信次の声というのを感じとったようです。

なかには高橋信次霊言集を読めば、目の前に、光が散乱する姿が見えたとか、あるいは感激しました、という人もあれば、なつかしい、嬉しいというような言葉を漏らしてくれた人も数多くあります。私は、これらの声に接して非常に嬉しいです。あの世でじーっとこの機会を待っていたんですね。そして第一集を出して、私の真意が分かってくれる人たちが数多く出て来てくれたことを私は非常に嬉しく思います。

しかし高橋信次の復活というのは、そう簡単に終らないんです。皆さん、私はそんなに簡単に諦(あきら)めないんですよ。しつこく、しつこく神理というものを地上の皆さんに、これでもか、これでもかと、畳(たた)み掛(か)けていきたいと思います。


4.どんな偉大な人でも、地上において悟れる範囲は限られている


どんなに偉大な人であっても、地上において悟れる範囲というのは非常に限られたものなのです。たとえば、どれだけその人が頭がいい人であっても、一生の間で読める本の数は限られています。

学者さんで、せいぜい本を読んで一万冊、こんなもんしか読めません。それ以上読むと目が悪くなって眼鏡屋へ入って眼鏡を新調しなければなりません。そうすると経済的負担に耐えられなくなって困るから、学者さんでも一万冊読めばいい方です。

この一万冊の本の内容というものを見れば、たいてい地上の人間が書いたものですね。地上の人間で本を書くような人のレベルというのは、普通のレペルよりも高いけれども、やはり中身は玉石混交(ぎょくせきこんこう)なのです。

とくに神理の本なんていうのはね、玉石混交で、玉よりも石の方が非常に多いというのが現状であろうと思います。こういうものを何百冊、何千冊読んだところで、本当に悟れるかというと、悟れるはずがないのです。

ですからどんな偉大な人であっても、地上に出て、自分の得ることができる経験というのは非常に限られたものですし、また読書によって得られた知力、知識というものも、また範囲が限られるのであります。

ところがいったん、あの世の世界、すなわち私たちが住んでいる実在世界に還ってくると、もう自由自在です。私たちには無数の家庭教師たちがついているからです。つまりどんなことでもね、知ろうとすれば、すぐ知ることができるんです。なぜなら、こちらの世界では、肉体的に束縛がないために、一瞬にして他の人間が考えていることを読みとることができるし、一瞬にして、過去の歴史、現在、それから未来、こうしたもののすべてを読みとることができるからです。

それは生きている人間の気持ちであっても同様で、その人の過去世の姿、未来世の姿、全部分かります。あるいはそれだけではなくて、人類の過去、現在、未来、こういうものが、いっペんに分かってしまうのです。私たちは、そういう世界に住んでいるのです。

こういう世界に来て、今、高橋信次があなた方に話をすることができるのですから、これはどんなに地上に優れた人がたとえいたとしても、その人が知ることができないような内容を語ることができるのです。


5.高級諸霊たち一致団結による救世運動


けれども、こうしたあの世からの通信ということは、そう簡単にできることではないのです。たいていの霊界通信というのは、不明確なものです。不明確で、不明瞭(ふめいりょう)で、なかなか、知性と理性のある人たちが受け入れることができない内容です。ところが、今、私たちが送っている内容というのは、現代人の知性と理性に照らして、また感性に照らして、おかしくない内容、そうしたものを送り続けているのです。擬(まが)い物が多い現代において、真実のものを数多く出していこうというのが、私たちの真意なのです。

今、天上界では、宗派を超えて、宗教を超えて、高級諸霊たちが集まって、日本を中心に一大宗教改革、一大救世運動を起こすべく、全員が一致団結、力を合わせて、地上の皆様方にメッセージを送っているのです。高橋信次が出たからといってGLAの続きだけを言ってるわけではないのです。それ以外にもキリスト教系の諸霊たちも、仏教系の諸霊たちも、儒教、道教の諸霊たちも、そういうものがみんな出てきています。

昔の古い霊たちの言葉というものは、いかに内容がいいものであっても、本当に本人が言っているかどうかということが、分からないのです。そういうことで読む方も、語る方もともに不安感が残ります。

ところが、現代の日本に生きた人の霊言というのはこれは隠しようがない。高橋信次の個性というのは隠せないのです。どんなに私がいい格好をしても、どんなに私が二枚目俳優を気取っても、そうじゃないことが一発で分かってしまうんですね。

それは通常の人間は一冊の書物分だけ話をすれば、その人の中身というのは全部分かってしまうからです。私においても同じです。私がどういう霊格を持った、どういう霊人であるかということが、私の霊言を読めば、地上の人たちはみんな分かるはずなのです。またかつて我が教えを、肉声を聞いた者たちはすべて分かるはずです。そのために、私は敢(あ)えて言っておるのです。

皆さんは私以外にも、たとえば生長の家の総裁であった谷口雅春さんの『谷ロ雅春霊言集』を読まれたことがあるはすです。帰天後、わずか一年数カ月の方の霊言です。本物か偽物(にせもの)か、はっきり分かるはすです。

私もその霊言を収録する時に立ち合っておりましたけれども、こちらに来て一年早々の谷口雅春先生が、原稿用紙に書いてね、あの世の原稿用紙というのは、ちゃんとあるのです。あの世の原稿用紙にね、三百枚ぐらいを書いて、一生懸命しゃべっておったのを私はじっと見ておりました。そして霊言集の手本を見せていただきました。ああいうふうに体系だって語れば、地上にいる人たちも否定できないような、内容ができるのですね。


6.神理はどんなにやさしい言葉でも語ることができる


ところが前回の私の霊言集は、思いつきでしやべりましたので、あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりしましたので、今回はもう少し内容を引き締めていきたいと思います。

なかには読者から手紙が来て、『高橋信次霊言集』というのが出たけれども、高橋さんて何考えているのか分からないと。一体何を考えているのですかと。あんな幼稚なことをしゃべって、女、子供を相手に説法しているようじゃだめですと。高橋さんの本を一生懸命読んでみて、あれだけご尊敬申し上げておったのに、こんな内容じゃ、がっかりした、なんて手紙をよこした人もおりました。

そこで、私は、前回の『高橋信次霊言集』の意図について簡単に言っておきたいと思います。私の意図は、こういうところにあるのです。つまり、神理っていうのは、どんなやさしい言葉ででも、語ることができるものだということです。神理というのは、そんな学者みたいに勉強しなけりゃ学べないことじゃないんです。そういうふうに勉強に勉強して、学者みたいに学んだ結果、はじめて悟れるというようなものの考え方が、仏教の堕落(だらく)を招き、キリスト教の堕落を招いてきたのです。

キリスト教においてもそうですね。聖書のどの部分に何か書いてあるのかというものを訓語学(くんこがく)のようにつっついて、つっついて、やっている。そして、牧師さんていう商売が成り立っているのです。

あるいは仏教においてもそうです。今、お経を読んで一般で分かる人はいないです。絶対分からないでしょう。その上、専門の学者たちはサンスクリット語をやったり、あるいは漢文を勉強したりして、解釈して一日を過ごしておるわけです。しかし、そんなところに本当に仏教の真意があったかどうかということをよーく考えねばいけない。


7.経典の本当の内容は、釈迦とその弟子との対話篇であった


仏教というのは、今から二千六百年近く前、お釈迦様がインドの地において、まわりの衆生(しゅじょう)たちに説法した記録なのです。そして当時は、現代のように、テープレコーダーがなかったために、そういう話を記憶しておって、後で結集してまとめた話なのです。いわゆる話し言葉であって、書き言葉ではなかったのです。仏法というのはね。

ですから、お経の本当の内容というのは、対話篇だったわけです。お経というのはそういうもので、本当は対話篇なのです。釈迦と、その弟子との対話篇だったわけです。

そして釈迦の言葉というのは何かというと、生きていた人間釈迦、人間としての釈迦の頭脳で考えた言葉だけが、すべてではないのです。お経の中の釈迦の言葉というのは、そうじゃないんです。現代、私たちがこういうふうに語っておるように、今から二千数百年前の、釈尊(しゃくそん)の言葉の中には、高級諸霊たちの言葉がいっぱい混じっておるのです。

釈迦の言葉の中には、まあ、口幅(くちはば)ったいですけれども、生まれる前の高橋信次の言葉だってお説経の中には入っております。法華経だの、何とか経だのいっぱいありますけれども、その中の釈尊の言葉の中には、あの世から指導していた私の言葉もあります。あるいは、イエスの過去世の方の言葉も入っています。モーゼの言葉も入っています。そういうふうに、いろいろな方がたの聖霊の言葉が釈尊に臨(のぞ)んで、語っておったのです。


8.本当の救済者が現れた時には、必ず高級諸霊たちの言葉が臨む


地上の人たちには、これがなかなか理解できないでしょう。ただ、こうしたことはいわゆる霊媒現象(れいばいげんしょう)とは違うのです。そうではないんです。本当の救済者が現れた時に、天上界の諸霊たちはこぞって、そのメッセージを地上に伝えていくんです。

ま、イエス様でもそうです。イエスは、そのお弟子たちを教育して、各地に伝道のために派遣しました。その時に弟子たちは、「イエス様、私たちは、地方に行って、人びとに何を語ったらいいか、その言葉が分かりません。どういうように言って説法すればいいのですか」、そういう質問をしました。その時イエスが言った言葉は、「汝ら、何を語るかということを悩むなかれ」と。「行く先ざきにて汝らの語るべき言葉が、汝らのロよリ出ずるであろう」。そういうことをイエスは言いました。

それはどういうことかというと、まさしく説法しようという時には、そのイエスの弟子たちに高級諸霊の言葉が臨んで、彼らが語ってくれるということなんです。ですから本当の救済者たちが出た時には、必ず高級諸霊たちの言葉というものが、その中に入っておるということです。


9.私は十歳の頃からさまざまな神秘体験をした


さて本日の講演の目的は「新復活」ということでありますから、それについて、今しばらく話をしたいと思います。私は自分のことを自己紹介も兼ねて、少々話をさせていただくとすれば、昭和のはじめに長野県に生まれて、それから戦前、戦中、戦後という時代を経てきました。戦後の混乱期を経験し、独力で、電気関係の事業というものを起こしました。まあ、コンピューター機器関係ですけれども。そうしたものを起こしてコンピューター技師としても、仕事をしておりました。また事業家、実業家として、何十年かの人生を生きてきました。

そうした中において、十歳の頃からさまざまな霊的な現象というものに見舞われました。十歳の頃から、何度も死ということに見舞われました。私の両親は、毎晩私が死んでしまうというような現象に見舞われて、大変心配していました。毎晩八時頃になると私の呼吸が止まってしまって、意識が急速に薄れていく。そしてもう一人の自分というのか、自分の肉体から抜け出して、この地上を見渡しているという経験を何度もしました。

もう一人の自分が、寝ている高橋信次から抜け出すと、私の父や母が大変心配して、お前、どうしたんだと言って揺り動かしている姿、あるいは医者を呼びにやっている姿、ほっぺたをつねっている姿とか、いろいろなものが見えました。そういうふうに肉体と魂の分離ということを、私は十歳の頃から経験しました。そうして、さまざまな神秘体験を経ていきました。しかし、まだ私は悟れませんでした。

二十代の頃にはよく予言が的中しました。いろいろな予言をしました。そういうこともありましたし、さまざまな霊的現象も身のまわりに起きてきました。しかし、まだ私は悟れませんでした。そして事業家としてだんだん事業欲を出して、いろいろなことをやってきました。


10.事業を拡張しようとしていた矢先、モーゼから天命を知らされた


やがて浅草に八起(やおき)ビルを建てて、これからいろいろな事業をやろうと思っていた矢先に。高級霊からの厳しいメッセージを受けました。とくにワン・ツー・スリーと名乗るモーゼの霊に、非常に厳しく叱りつけられて、「高橋信次よ、お前の使命は、そんなところにあるんじゃない。お前は、電気屋や風呂屋になるために生まれたんじゃないぞ。お前の使命っていうのは一大革命、一大宗教改革であり、救世のための露払いの役がお前の役割であるぞ。お前は、それを果たさずして電気屋で還って来たんでは、お前は打ち首だ。イエス様は生きていた時に地上で打ち首になったけれども、打ち首じゃなくて十字架にかかったけれども、高橋信次はあの世に来てから十字架にかけてやる。覚悟しろ」と、こういう言葉が私に臨みました。私はびっくりしました。これは大変だと。

今までは会社さえ大きくすればいいと思っていたのが、それではすまないと言われました。「お前は、人間の心を究明して、世の人びとを救いなさい」と。こういうことを言われました。そして四十一、二歳からだったでしょうかね、四十八歳で亡くなるまでの七年間、足掛け八年ぐらいになりましょうか。その間、私の伝道というのが始まったわけです。そしてさまざまな著書を出し、講演をし、個人相談をし、神理の種というのを播いていったわけです。


11.私には時間がなく、焦(あせ)ったため、初期に霊的な混乱があった


ただ私には時間がなかったということと、焦ったということのために、十分な法というものを説けなかったという点が残念に思われます。完全なものではないのです。やはり、こうした霊的なものというのは、周到な準備をし、準備期間を置いてから伝道を開始すべきであって、霊の囁(ささや)くことをそのまま受け取っているのでは、まだ十分ではないのです。

三年、四年の準備期間を置いてはじめて、霊的なものということの自覚ができるのですね。それをせずして、私は伝道を開始したために初期の混乱がたくさんありました。

たとえば私自身はゴーダマ・ブッダ釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)ではありませんでしたけれども、私は初期において、ゴーダマ・ブッダ釈迦牟尼仏であるかのように自分で思っていた時があります。

なぜそう思ったかというと、自分自身、不思議でありましたけれども、過去世の釈迦の姿というのが目に見えたわけですね。二千数百年前のお釈迦様がインドにおいて修行されて、悟られて、伝道されたようすがありありと見えたわけです。つまり、霊視し、見ることができたわけです。そうして当時の模様とか、当時の弟子たちと話した言葉というのが手に取るように分かったわけです。

こういうことがあったために自分自身、釈迦だと思っていた時期がありました。しかし、そうではなかったのですね。これは天上界の指導霊たちの力によって、釈迦の過去世というのを見せられとったわけです。つまり私は、『人間・釈迦』という本を書きましたけれども、そういう本を書くために釈迦の過去世を見せられておったわけです。


12.私の第一段階の使命――釈迦仏教の再現


つまり、私の今世の使命、地上での使命というのは、本来の釈迦仏教を広めることだったのです。原始の釈迦仏教の本当の姿を現代の日本で再現するのが、とりあえず私の第一段階の使命だったわけです。こうして露払いの役割をするということであったわけです。

そうして第二段階の使命が、地上を去った後、天上界に還ってから、高橋信次として、こういうふうに霊言を続けていくということだったわけです。

かくいう私は、かつてモーゼを天上界から指導したことがあります。モーゼという人が三千二百年も前に出て、「出エジプト」をなして、カナンの地を目指して旅をしていた時に、モーゼに十戒(じっかい)を与えたのは私です。またそれ以外にも、マホメットがイスラムの地に生まれた時に、アラビアの地の洞窟の中において、マホメットに啓示を与えたのも私です。あの『コーラン』のもとになった啓示を与えたのは私です。そういう十戒とか、コーランを与えた私が、今また、高橋信次の霊言を伝えようとしておるのです。

かつてのものは古いものです。しかし、現代のものは内容も新しい。新しい教えというものを説いていくつもりです。そのために私は、現代の日本に肉体を持ったのです。肉体を持った私として語ったことは、私の考えのすべてではないのです。私は高橋信次という生命体があるということを、地上の皆さんに知らせる必要があったのです。私は実在界においては、アール・エルランティと呼ばれておりますけれども、エルランティという魂があるということを教えるために、知らせるために、私は現代の日本に肉体を持ったのです。


13.私の第二段階の使命――天上界からの地上の人びとの指導


そして次なる私の仕事は、天上界にいて地上の皆さんを指導すること。この第二段階目の仕事が、私の本来の仕事なのです。このために私は地上に肉体を持ち、このために私は四十八歳という働き盛りに短い人生を終えたわけです。

そして第二段階として、私の後に偉大な指導霊を出したわけです。彼自身でも十分、法を説いていく力があるけれども、それにもまして、その前の段階から出た私が、天上界から直接のメッセージを送ることによって、その力を二倍、三倍にしようというのが、今回の計画だからです。そして私は、その本来予定されていた事業に今とりかかりつつあります。これが私の本来の目的だったからです。

私の死後GLAにおいていろいろ混乱があったと、その後、取り沙汰(ざた)されています。けれども、皆さん、それは混乱のための混乱ではないのです。私が新しく復活するための、新復活の前の混乱であったということなのです。

イエスが十字架にかかったのち、混乱した弟子たちの前に現れたように、高橋信次がまた甦(よみがえ)ったのです。新復活をなしたのです。これから私の復活の言葉は続いていきます。

地上の皆さんは、私のこの真実の声を、どうか真剣に受け止めていただきたいと思います。本当の意味で、あの世の世界があるということ。そしてあの世の指導霊たちがあるということ。高級霊たちがあり、神近き霊たちがあって、地上の人たちを見守っているということを私は実地に、それを皆さんに示すつもりです。
霊言集も一冊、二冊ならその真実性を否定する人もいるでしょう。しかし、五冊、十冊続いたならばこれを否定できますか。これが創り物だといえますか。どうか地上の皆さん、これが本物かどうか、よーく読んで、とくと考えてみて下さい。

私の霊言は今後も続いていきます。以上がとりあえず、今日の第一日目の「新復活」についての講演です。