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目次

















1.反省修行の場としての四次元世界


世界を去ったあとの四次元世界、この四次元というのが、幽界(ゆうかい)と言われています。

この世界は死んですぐ間もない方がたが来ているところです。まだ、ここでは人間は、肉体ではないらしいということが、朧(おぼろ)げに分かっているくらいの人が行くところです。これは幽界なんです。だから幽界というのは、他次元世界に渡ってくる人の準備するところ、まあ収容所です。そういう地上的な垢(あか)、塵(ちり)を落とすための修行所として、あるいは控えの間として、用意されているのが四次元なんです。

地上で偉かった人でも、いったんはここ四次元界に入ることが多いんです。四次元、幽界世界のことについて語ると、ここがいろいろ分かれまして、有名な閻魔(えんま)大王さんというのがいて、お前はあっちへ行け、こっちへ行け、お前は地獄へ行け、と言っている、と言ったら嘘であります。そういうことはありません。そういうことは無いんですが、いったん幽界というところへ来て、またよほどの悪人なら、真逆(まっさか)さまに地獄へ堕ちちゃうんですけど、それほどの悪人でもない普通の人というのは、まだまだどういう人生を、自分が送ったか分からないから、肉体をぬぎ捨てて、霊体として、まず四次元へ来ます。その時に、その本人の守護、指導霊たちが、まず肉体からの離脱、そして四次世界への誘導というのをします。この場合、必ず導きの人が来ます。

そして四次元世界へ来まして、自分の親しかった人で、あの世に先に来ている人が、その人の死ということを知って、まず迎えに来るんです。なつかしいお父さん、お母さんなんかが出迎えに来ちゃったり、あるいは、親戚の人、友だちとか、こういう人がいっぱい寄って来るんです。

そして、そういう人を見たら、「あれ、この友だちは交通事故で確か死んだはずだし、父ちゃんは二十年前に亡くなったし、母ちゃんも十五年前に亡くなったはずだ。それが出て来るということは、どうやら俺も死んだらしい」こういうことが分かるように、そういうことのために、知っている人で親しい人が普通は来るんです。

そして、そういう人に交わって、いろいろ話をして、それからまた守護霊たちが来て、何かと説得しまして、「あなたは地上にいた時には、こういう生活をしていたんですよ。だから、自分自身の一生というものを、もう一回振り返ってみなさい」こういうことをいろいろ言われるんです。そしてまた、お父さんやお母さん、あるいは、兄弟たち、亡くなった人たちも、霊界の先輩として、さまざまなアドバイスをするんです。「この世界は、こういう世界だから、よく守護霊の言うことを聴いて、道を選ぶんですよ」とか、「よく還ってきたね」とか、いろんなことを、みんな言ってくれます。それぞれ霊界では、一年生ですからなんにも知りません。だから人から聴くことだけがすべてです。

地上に生きていた時に、高橋信次の本を読んで、あの世のことを勉強している人はいいですけれどそれ以外の人は、なんにも分からないから一年生です。私の本を読んで勉強している人は、まあこれは、教科書ガイドかなんか読んで勉強したような人ですから、他人より良く分かっているんです。予習していますからね。こういう人は、分かっているけれど、それ以外の人は分からないから、まず人の意見を聴いて勉強するということになります。

そして守護霊は、その人が仏教徒なら、仏数的な教え方で、「あの世というのがあるんですよ。天国や地獄があるんですよ」ということを教えていきます。そして、人間としての正しいあり方、というのを教えていきます。また、その人がクリスチャンなら、キリスト教系の霊たちが来て、イエス様がおっしやったことに照らして、「こういう生き方が本当なんですよ。天国、地獄はこうなんですよ」と、こんなことを教えてくれます。


2.あの世へ還ると「過去を映す鏡」に自分の一生が映し出される


そしてあなた方、チベットの『死者の書』とか、あんなので「瑠璃玻(るりは)の鏡」とか、こういうのを読んだことあると思うんです。まあ、人間死んであの世へ還ると、その人の一生を映し出すスクリーンみたいのが出てきて、あなたの七十年、八十年の人生をスクリーンでバーッと映してしまうんです。あっという間に。これはこの世と違って、七十年、八十年かからないんです。ほんの短時間の間に、あなたの一生のドラマというのは、そのスクリーンに映されるんです。隠しだては、絶対何もできないんです。

「だれも知らない、俺だけが知っている」なんて思っても、たとえば、「あそこで本を一冊万引きしたけれども、そのことはだれも知らないし、だれにも見つからなくて、うまいこといったなあ」なんて思った、忘れていることまで出てきます。あるいは、パチンコ屋へ入って、パチンコ玉一つ拾って、たまたまそれを打ち込んだらチューリップが開いちゃって、入って儲(もう)かったなんていう、こんなのが全部出てきます。本人が忘れているような、えーあんなことがというようなことまでね。

あるいは、コーヒーの自動販売機に百円玉入れて、一杯六十円だからお釣リが四十円のはすが、手に取ってみたら十円玉が五個出てきた。「あ、十円儲かった」と。前の人のだと思いながらそっと財布に入れた。こんなのもみんな分かっちゃいます。それでその人の一生は、総ざらいです。

また、ある人がヨガの先生をやろうなんて、ハチマキしちゃって、一生懸命ヨガのポーズをして、逆立特訓器を使い始めたりする。そんなのも分かっちゃうし、あるいは、ある人が、私は幼い時に健康体ではなかったから、どうやら食べ物で治そうなんて考えて、もう肉は食べまい、もう肉食は止めて菜食ばかりにしよう、なんて野菜ばかり買物している姿とか、こんなのがみんな出てくるんです。

その瑠璃玻(るりは)の鏡は、過去を映す鏡とも言います。スクリーンでず。まあ鏡というのは、昔の人は鏡というたとえでしか分からなかったんですが、現代風に言えばスクリーンです。立体映画みたいなもんです。もうその人の人生がすべて、出てくるんです。そういうふうにして、いろいろな人が、守護、指導霊も見ているし、友だちや親戚、先生、親兄弟みんな寄って来て、見るんです。そしてその人の生涯が、映し出されます。

 その時に、「あいつ二枚目だと思って、女の子を次つぎ騙(だま)しているな。また今度入って行くぞ。ああまた、これは渋谷だな。渋谷のラブホテルだ。ああまた入って行く。ああ植え込みの中に入って行った。安い方に入ったな。隣りのホテルは高いから、あいつ安くしようとして、安い方の三千円の方に入ったな」なんて、こんなことがみんな分かっちゃうんです。そういうことがすべて分かります。

あるいは、行った行為だけでなくて、心に思っていることまで分かるんです。あなた方四コマ漫画で、主人公が"あのやろう゛なんてつぶやいているのがセリフで出てきますね。これまで出てくるんです。たとえば子供の時だったら、先生がいて教えています。そして、手を「ハイ、ハイ、ハイ」と子供が上げます。ところが、自分を当ててほしかったのに、違う子が当てられた、そして、「何とかちゃん、よくできましたね。その通りです」なんて言われて、「あの野郎、俺だって知っていたのに、本当は俺の方が手をあげるの早かったのに、先生が気がつかなかっただけなんだから」なんて腹の中で思っているのが、これがその姿を見ると、風船みたいに口からプーップーッと出てきて、その中に言葉が書いてあるんです。四コマ漫画みたいな感じです。思っていることが全部分かっちゃうんです。

そこで皆さん、バイブル、聖書を一回くらい読んだことあるでしょう。イエス様が言われているでしょう。「心にて姦淫(かんいん)した者は、実際に姦淫したのと同じである」とか、あるいは、「心の中で泥棒したものは、泥棒と同じだ」とこんな厳しいことをキリストは言っています。「クリスチャンて大変だな、ここまではできない」なんて言ってるけど、こんなの人ごとじゃないんであって、心に思ったことが全部出てくるんです。


3.自分の一生をスクリーンで観て、自分が何処(どこ)へ行くかが分かる


だから、やがてみんなその映画が終る頃には、自分が何処(どこ)へ行くか、大体分かってくるんです。「これは天国行けそうにないな」と分かります。

まあ、高橋信次なんて、そんなに偉くないと思ったけれど、彼の人生自体はいろいろな人がみんな知っていると。みんな知っているけれど、地獄で消滅させるほどは悪くないな。だから、天上界へ行かしてもいいんじゃないか。と、一応皆さん評価してくれるわけです。

ところが、普通の人で、やりたい放題やって生きてきたら、他の人と比較されると、大体分かってくるわけです。映画を観ると、みんなの拍手の数を見れば大体分かるわけです。客がパラパラとしか手を叩(たた)かない。「こりゃどうもダメだな」と分かってくるわけです。そして、そのあとですね、守護、指導霊と問答が始まるわけです。「お前どうだ、自分の人生を観たか」「観ました」「どうだ、恥すかしいか。恥すかしくないか」まあたいていの人は、恥すかしくて、顔を真っ赤にして、「こんなことは、もっと早く教えてくれりゃよかったのに。もっと早く教えてくれたら、私だって真当(まっとう)な人生歩んでましたよ」と言うんですが、手遅れなんです。

そうはいかない。それは本人の不勉強ですよ。生きていた時だって、材料はいくらでもあったんだから。たとえば、私の本を少しでも読めば、あなた、真当な生き方が書いてあるんだから。その通り生きればいいのに、そんなものは迷信だ、なんて勝手に決めつけて。決めつけたのはだれですか、本人ですよ。本人の責任です。本人が勝手に決めつけて、「霊界なんかあるものか、人生この世限りだ。人より偉くなれば、この世的に偉くなればそれでいいんだ。人より金が儲かればそれでいいんだ」と、これだけで人生渡ってきたんです。そのツケは、だれが払うんですか。自分が払わないでだれが払いますか。だれも払ってくれる人はいませんよ。そして、あの世の霊界人たちに、そうぃう唯物的な生き方をしたのを、全部見られます。

そして、こういう心を調和した霊たちと、自分は一緒に暮らせるかな、とよくよく考えてみます。ダメですね。一緒に暮らせません。それで、守護霊と相談して、「どうも守護霊さん、私は皆さんがいられるようなところへは、行けないようです」「よく気づいたね。そうならあんたどうする。他にこういう特訓コースかあるよ」特訓の一覧表がバッと出ます。


4.地獄の特訓コースの実態


はい、これが地獄の特訓です」地獄の特訓十三日コースじゃなくて、地獄の特訓二百年コースか、百年コースか、五十年コースがあるわけです。「さあ、どのコース君歩むかね」「まあ私は、二百年くらいかかりそうですな」「そうでしょうね。あんたなら二百年分くらい悪いことしていますね。じゃこのいちばん厳しいコースを一発いってみるか」「まあ一つ頑張ってみますわ」「何処(どこ)から入るかね」「そうですね、悪いことをいっぱいやったけど、私は強盗やったわけじゃないから、そんなところへ行きたくないし。それほど暴力は好きじゃなかったね。ただ、女の子が好きで、どうもちょっと遊び過ぎたかもしれない。大分泣かしちゃった。子供の二、三人産ましちゃったかも分からない。よく知らないところだけど、ちょっとこの辺に行こうかな」「じゃああなた、血の池地獄へでも行ってきなさい」ということで、まずここから入リます。

血の池地獄で、どぼどぼ、どぼどぼと血の中で喘(あえ)げばいいんですよ。やがて悟ってくるわけです。そして血の池地獄を卒業すると、ホッとして、「まあ、これでいいかな」と思うと、まーだまーだ、あなたそれくらいじゃ「地獄いいとこ一度はおいで。一度来たなら出さないよ」と。血の池終っただけでは、すまないんですよ。「ちょっと隣りの地獄もあるんじゃない」って言われて、血の池から上がって五十年くらいしてやれやれと思って出てきたら、「ちょっと隣りの地獄へ行っておいで」なんて言われて、隣りに行くと、今度は畜生道だったりします。

動物地獄、動物界ですね。ここへ行くとまあ、野獣みたいなのがいっぱいいるわ、いるわ。そして何をしているかと思ったら、なんかオットセイみたいな格好になっちゃって、顔を見たら人間ですよ。「あら、何とか君じゃないの。君何してるの」「いや、オットセイみたいになっちゃって大変なんだよ」「何が大変なんだよ、あんたオットセイみたいになって」「いや何だか知らないけど、雌(めす)見たら無性(むしょう)に追いかけたくなっちゃって」とか言って、オットセイみたいな体になっちゃって、でぶでぶと。そして、モウモウモウ言いながら、腰かなんかこう体を動かしちゃって、雌を一生懸命追いかけているわけですよ。

こんな動物界っていうか畜生道へ行って、ハッと気がつくと、なんか自分も変ってきたなんて思うと、今度は犬みたいな格好になっちゃって、自分が。「あらまあ、自分が犬みたいになっちゃったわい」と思うと、犬みたいな格好をしています。すると急に、ヒュッと目の前に雌犬が出てきて、それがまあ可愛い顔しちゃって、どこかの美容室の先生みたいに可愛い顔しちゃったりして、急になんか追いかけたくなったりして、キャン、キャン、キャン、と追いかけて行ったりして。こんなこと五十年くらいやるんです。

ああ終りました。「やれやれ、どうやら俺もこれで天国かな」と思うと、まだまだ地獄はあります。「こっちへいらっしゃい」なんて言われて、今度は、そっちへ行ったら無頼漢(ぶらいかん)地獄なんていって、無頼漢、まあ、やくざ者が多いところへ行きます。「俺、こんなところに用ないはずだけど、おかしいな」なんて思うと、そんなことないですね。六十年、七十年生きてくると、けっこう人を非難したり、やっつけたり、陥(おとしい)れたり、貶(おとし)めたりしているんです。「ああしまった、そんなこともやったっけ」それで、そういうところでまた特訓を受けるわけです。人を傷つけることが、どれほど罪深いことか、自分自身が納得するまで取り組みます。

こうして、ここを終るとやっと、また元の幽界へ還ってきて、「ああ大変でした。守護霊さん二百年たちました。やっと私は、出てきましたよ」「おお御苦労だったな。やっとお前も、まともな人間みたいな顔になってきて。お前の過去を償(つぐな)うには、これで十分だろう」と。「そろそろ普通の人間の生活するか」ということで、四次元の中でもちょっといいところもあるんです。幽界の中でも、精霊界(せいれいかい)っていいまして、人間が霊だということを、やや悟った人たちが行くところがあるんです。今度はこういうところに入って行きます。

ここを限りに生まれ変ってくる人もいるし、またこれから五次元、六次元と進化してくる人もいます。こういったところは、また他の人もいろいろ教えているだろうから、まあ詳しくは説きませんけど、人間が、死後、しばらくたどる過程は、こんなものです。ところが、こういうふうな人は、地獄へ行く人ですけれど、こうじゃない人もいるんです。


5.五次元霊界の人びとは職業を持っており、一般的な人が多い


たとえば、あの世へ行って、まず四次元へ入って幽界の中で、自分の生きてきた人生を反省します。「自分は、学者として立派に勉強しました。いいことしました。大学の教授として、いろんな人の尊敬を集めました」「ああ良くやったね。ところであなた魂って知っていた」「いや魂は、よく知りませんでした」「じゃあ、魂の勉強をしてみるかい」ということで、守護霊の特訓を受けて、魂って何か、ということがだんだん分かってくる。「ははん、人間は霊的存在だったんだ」と。そういう人は、五次元の霊界へ入って行きます。そして五次元の方がたと、霊的な生活をします。日常生活をします。

ところがその人は、学者さんですから、どうもまわりの人と話をいろいろしていると、ちょっと違う。まわりの人は、あの世でもまだ五次元くらいだといろんな職業を持っているんですね。大工さんしてみたり、農業やってみたり。まあ魚屋さんというのは成り立たないけど、いろんな職業やっているんです。住んでみて、まわりの人を見ると、「どうも一般的な人が多いな、普通人が多いな。どうも俺と話が合わないな。どうやら俺が行くところは違うみたいだな」と思っていると、また守護霊とか指導霊が出てきて、「それはその通り、あなたはいろいろ勉強して学者だから、学者がいるところ、学者村へ連れて行ってあげましょう」それで六次元へ連れて行ってくれます。


6.六次元神界には、学者や専門家が多くいる


そこは、六次元神界です。ここへ行くと、いろいろな専門家がいっぱいいます。とくに神界の下段階、中段階では、元大学教授だとか、いろいろな元何とかの専門家とか、こんな人がいっぱいいるんです。こういう専門家ばっかりいるところです、六次元というところは。ここへ行って、自分の話が合うような人のところへ連れて行かれるんです。その人と大体同じレベルのところへ行くんです。ここは神学者なんかもけっこう多いんです。

ただ六次元でも、上段階になってくると、もうこれは、光の天使の予備軍です。ですから、もうちょっと心の世界、あるいは、魂の世界を悟らないといけないんです。しかし、生きていた時に、私の本を読んで勉強していた人は、悟りも旱いだろうけど、あの世へ行ってはじめて、魂があるということを知ったような人じゃ、なかなかいけません。大体六次元の下段階、中段階を限度として、もう一回生まれ変ってきます。そして、魂ということを勉強していきます。まあ、こういうのは、普通よりちょっと優れた人といえましょう。


7.菩薩界の方があの世へ還った時は、神界で反省することが多い


もっと優れた人は、たとえばその人が、この世で最初から高級霊としての使命を持って生まれてきた人です。ある人は、たとえば宗教家として生まれてきました。こういう人は、生きていた時に、生命の限りを尽くして仏教の真理、あるいはキリスト教の真理、そういうものを説いて、人びとを教えて、そして還って来ます。こういう人は、途中の四次元幽界にはとどまってなくて、たいてい元いた世界へ還ってくるんです。

しかし、それも教えに誤りがなくて、ちゃんと説いた人なら、菩薩界なら菩薩界ヘ一直線に還ってくるけれど、たいていの人は、ちょっと下位のところで、もう一回勉強するんです。菩薩界くらいの人だったら、地上に出て修行すると次は、神界くらいに還ってくるんです。神界くらいに還ってきて、いったん光の天使としての自分の在り方というのを振り返って、心の垢(あか)を落として、菩薩界に上がっていくんです。あるいは、本当に間違わずに地上でやった人は、まっすぐ元いた世界へ還ることもあります。


8.如来界の方は、ほとんど元いた世界ヘ一直線に還ってくる


如来界の人なんて、たいてい如来界に還ってきます。これは、やはり大分違いますね、先生の役割ですから。如来というのは、地上というか、全霊界で四、五百人しかいませんから。それほど優れた方がたですから、こういう方がたは、そんなに迷うことは滅多にありません。たいていは一直線に還ってくるし、如来界の方が地上に出る時は、通常、あの世の守護、指導霊が直接指導していますから、そんなに狂いはないんです。

そういうことで、まあ如来界に一直線に還ってきて、あの世で、いろんな如来たちと話をして、自分の教え方に間違いなかったかどうか、そういうことを反省します。あるいは、他の人といろいろ議論して、今後こうした方がいいとか、いろんなことを勉強します。こういうふうに、段階が変っています。


9.六次元の上段階からいる光の天使


七次元の菩薩界には、二万人近い諸菩薩かおりますが、そのすぐ下の六次元神界の上段階には、光の天使として数えられるような人というのが、一億人から二億人ぐらいいます。あるいは、上段階というよりも上々段階あたりから光の天使がいるといってもよいでしょう。
(注 六次元神界全体では数十億入の人口がいるが、上々段階にいる光の天使は一、二億人である)

このあたりは、神様とよばれる人がすいぶん多いんです。生きていた時に、まあちょっとすごいなという人が神界の上段階です。これはと目を引くような人、これはと思うような人、ほとんどが指導者です。あるいは、学者であったり、いろいろなその道で超一流を窮(きわ)めた人というのは、大体、神界上段階の方なんです。

彼らは、人類の進化を早める、というような特別の使命を持った方がたです。このように神界の方というのは、人類の進化速度を速めるという使命を持っているんです。ですから、もちろんそのために、ダニ退治の殺虫剤を開発した人もいたかもしれないですけれど、薬なら薬、工学なら工学、それから今なら飛行機とかロケットとか、こんなものを研究している人の中にも、もちろん神界上段階の方もいらっしゃるし、光の天使に近い方もいらっしゃると思います。こういう宇宙時代ですから、宇宙開発のために、そういう方もきっと今降りているはすです。宇宙飛行士なんかも中にはいるかもしれません。

あるいは、そういうのではなくて、古色蒼然(こしょくそうぜん)とした宗教家をやっているかもしれないし、いろいろですけれど。大体この神界の住人である条件は、別に仏教、あるいは神道とか、そういう宗教じゃなくてもいいんですが、この世的に優れた指導者となるということです。これが神界です。

そして、神界の上段階で、アラハンという境地かありまして、菩薩に入るための準備段階の境地のことを言います。菩薩行、まあ菩薩行というのは愛ですね。自分というものをなくしていって、人に対する奉仕、愛、尽力、こうしたもののために生きる、仏教を知って。そういうものが菩薩ですけれど、こういう菩薩になる前の境地で、神界の上段階にアラハンの境地があります。


10.菩薩の役割は、如来が出る時に、如来を助けて法を広めること


そして、菩薩になるとご存知のようにいろいろな、仏教なら仏教の歴史の中に出てきた諸菩薩がいます。あるいは、キリスト教系では、キリスト教の立て直しをずいぶんやった方がた、あるいはそれ以外にも有徳な菩薩の方がたがいっぱいいます。菩薩の中には歴史に名前が残っていない方もいっぱいいます。

現在、日本にも諸菩薩がずいぶん出ています。明治時代にも数十人出ましたけれど、現在、一九八〇年代後半の日本に、今日本に生きている諸菩薩が数十名おります。けっこう多いんです、菩薩の数は。そうですね、私の霊眼に映ずる限り、見てみますと四、五十人出ています。今の日本にもけっこう出ています。アメリカという国にもけっこう出ていて、百人くらいいます。やっぱりこういう時代ですからね。あそこも大変な先端の国ですから。

菩薩の役割っていうのは、だいたい想像がつくでしょうけれど、如来が出る時に如来を助けて法を広める、とこういう仕事をしています。あるいは、如来が出られないような時にも、時どき地上に出てこられては、法の種を残していきます。

鎌倉時代で言えば、栄西、親鸞、こういう人もそうです。あるいは、道元さんという方も、菩薩界の方だったのですが、私の生前の本の中で神界の人だと言っている箇所があるので、道元ファンに悪いから、今、訂正しておきます。

もう一人、日蓮聖人についても訂正をしておきましょう。私は生前、S学会の教えと、日蓮聖人の教えとを同一視して批判したことがありますが、日蓮聖人ご自身は、もともと八次元如来の霊格を持っておられる方であり、現在はお役目上、七次元と八次元の境にある梵天界(ぼんてんかい)で最高責任者として、諸菩薩の教育、指導に当たっておられるご様子です。これ以外にも鎌倉時代では、一遍上人(いっぺんしょうにん)という人がおり、この方は菩薩界上段階に今はおられます。

あるいはもっと前、平安時代になると、空海、こういう人がいます。空海さんという方も偉くて、この人はどっちかというと如来ですね。ほとんど如来と言ってもいいでしょう。もう、梵天ではなくなってきています。まあ如来界に足を入れています。
まあ平安時代にも、偉い人はいっぱいいました。


11.日本神道系には、諸如来、諸菩薩の方がたが多く出ている


もうちょっと前になると、卑弥呼(ひみこ)の時代です。卑弥呼を中心として、いろんな諸如来、諸菩薩が出ています。もちろん、神話の中にも現在では分からないけど、日本神道系にも如来の方がいっぱい出ています。日本神道もけっこう偉いんですよ。如来界の方だっていっぱいいらっしやいますから。他の宗教では、そんなにでていません。だから日本神道は、けっこう格が高いんです。

天之御中主之神、この方は偉い方です。まあ八次元なんですけれど、八次元では最上段階、もう九次元とどっちが、どっちかというくらいのところにおられます。ですから、天之御中主之神様というのは、キリスト教で言うと、大体ミカエルと同じくらいの立場にある方です。キリスト教系では、大天使としてミカエルがいます。この天使長ミカエルは、日本神道系で言うと、天之御中主之神と大体同じ格です。このくらいなんです偉さが。

それから、天照大御神様、こういう方もいらっしゃいます。この方も女性の方としては、もちろんトップです。女性霊団、この大霊団の中で女性が何十億人、何百億人いるからちょっと分からないけど、天照大御神様というのは、女性霊団の中では最高峰です。もちろんいちばん偉いんです。

女性で天照様と同じくらいの格の方というのは、あと、二人か三人くらいしかいません。しかも、日本ではなく外国の女性霊です。まあ、そういう方、日本神道系にも偉い諸如来、諸菩薩の方がたが何十人、何百人います。だからけっこう立派な団体なんです。こういうふうに高級霊団というのがあります。


12.仏教系の諸如来、諸菩薩の方がた


仏教系の方ではもちろん、二千六百年前にゴーダマ・ブッダ、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が生命を持って以来、大如来ですね。九次元界のゴーダマ・ブッダが肉体を持って以来、いろいろな方が出ました。如来界の方もインド時代に出ています。ゴーダマ・ブッダの時代にも、何人か如来というのが出ています。たとえば、阿閃(あしゅく)如来とか、あるいは、仏教系の方は誤解される恐れがありますけど、大日如来という方もいらっしゃいました。これは、まだ別の機会で話しますが、古くからの大日信仰、大日意識というのは、また別にあるんですけど、これとは違って、まあ大日如来と言われた方が、やはりインド時代にいたんです。

それ以外にも、維摩居士(ゆまこじ)というか、維摩っていう方がいましたが(注 維摩経の維摩詰(ゆいまきつ)のこと)この方もかなり偉い方で、如来ではないけれども、梵天でした。こういう方もいます。

あるいは、時代を下ってくると、竜樹(りゅうじゅ)菩薩がいます(注 二~二世紀頃のインドの人。大乗仏教の宣揚に貢献)竜樹菩薩も、大ボサターです。こういう方がいるし、天台智覬(てんだいちぎ)、天台大師も梵天界にいます。七次元、八次元の間の梵天界に天台智覬という方はいらっしゃいます。


13.古代中国の諸如来、諸菩薩の方がた


古代中国では、孔子様がいます。孔子様も、私の本の中では誤りがありましたので訂正しておきますが、孔子様っていう方は、九次元界、太陽界の方です。孔子様という方が出られて、それから老子。老子という方も偉い方で、この方は八次元の方ですけど、八次元のかなり高いところに今、おります。

あるいは、孔孟(こうもう)って言いますから孟子様。孟子という方がいらっしゃいます。孟子様は如来じゃないんですが、菩薩界の上段階におられます。あと荘子。孔老孟荘の荘子、この方も菩薩界上段階の方です。

それから墨子(ぼくし)さんという方がいます。まあ、儒墨(じゅぼく)と言われて、儒教と墨教(ぼくきょう)ということで、けっこう孔子の時代は、墨教というのは流行(はや)ったんですけれど、それはキリスト教系の愛を説いているんです。この方は知られてないですけれど、墨子さんというのは、イエス様の分身なんです。私も、これは著書の中で触れていませんでしたけど、如来界の方で、墨子さんという方がいらして、イエス様の分身です。こういう人が出ています。今から二千何百年前に。まあこの人の教えを読めば、イエス様の教えそのものです。まったく同じです。こういう方が出ています。

こういうふうに、高級霊団というのは、いろいろな時代に、如来、あるいは、宇宙界の大如来というのを中心にしていろいろな菩薩が出て、世の中を救っています。こういう転生輪廻をやっています。こういう地球計画のもとにやっているわけです。