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目次

















11.高級霊にとっての三次元の意味


ただ、あなたも疑問があると思うけれど、じゃ下の次元の人が、上の次元の人に教育されるということはあるでしょうが、逆に、上の次元の人、つまり、菩薩界、如来界の方が地上に出たって何か勉強することがあるんですかと、ないんじゃないですかと、こう思うでしょう。ところがそうじゃないんです。

あなた、例えばダイヤモンドというのは、ダイヤモンドを、指輪なりネックレスに加工するためには、ダイヤモンドの面を綺麗にしなければいけないです。じゃダイヤモンドは何で磨くのか。ダイヤモンドは、切り取る時はダイヤモンドより硬い物で勿論、切り取るけれども、磨く時は、そうじゃないんですよ、柔らかい物でやるんです。これは刃でも一緒ですよ。刃磨く時、砥石、砥石で磨きますよね。砥石は鉄より硬いかというと硬くないですよ、鉄より硬くないんですよ、硬くないもんで磨いて刃が光るんです。

ですから高次元の方も、自分より上の人だけが指導できるんじゃないんです。自分より下を見て悟ることだってあるんです。当然です、そういうことなんです。例えば、自分が悟っているということが、悟ってない人を見ることによって、どれ程幸福か、これも勉強になるんです。それで、また、私は私で高橋信次として、近年肉体を持ちましたが、肉体を持って生まれてみると、いろんな人と会いました。悟ってない人と色々会うことによって、この世の中の不思議を知り、いろんな人が、どんなことを経験するか、随分勉強させてもらいました。いろんな使命を持って人間が、生きているのです。だから様々な人を見ることによって、世界を見る目ができるのです。

或いは、更に一歩進めて言えば、神様の御心が、どの辺にあるかということを見極めることができるのです。

つまり高級霊にとっても、この三次元に生まれるということは、神様の創造した世界の全てを一瞥(いちべつ)できるのです。そういうチャソスなのです。普通は、関心ないような人たちと会えるんですからね。

そういうことで、人生の目的で、特に三次元における肉体人間の目的としては、今言った二つなのです。不自由さを感じて霊的な幸せを得るということ、また、様々な人が交わるということです。これが人生の目的です。

そういうことを経験して、更に高度な自分、悟った自分、勉強した自分を創るということです。これが目的です。


12.人間の使命はできるだけ多くの人を幸福にすることにある


あと、使命というのがあります。使命について、もう少し話したいと思います。

今、私は個人、一人の人間ということを中心に話しましたが、使命というのは、これは他人との関わりということなのです。これが使命なんです。人間は自分だけのために生きているわけじゃないんです。自分だけのために生きていくなら、南海の孤島か何かに生まれて来ればいいんです。ポツンと、生まれて来て、豚でもいい、猫でもいい、ペンギンでもいいけど、それと暮らしていればいいんですよ。ペンギン抱いて寝てたらあなた、地獄へも堕ちないし、争いも起きないですよ。そうですよ、その通りなんです。

ところが、残念ながら可愛いい女性が一杯居て、心が散々(ちりぢり)に乱れるから、執着のとりこになって地獄へ行ったりするんです。だから女性なんか居ない島へ行って、男一人だけで住んでいれば、あんまり地獄に堕ちることなんかないです。ところが、いろんな人が居る所へ住んでいろから、間違いもしでかして、地獄へ堕ちてしまうんです。

だから、使命ということに関して言えば、やはり、他の人と一緒に生活する、共同生活する、ということが一番大事なんです。では何故、共同生活するのか、結局人間は、他の人に対して自分は何ができるか、ということを勉強させられているんです。それが分らないんです。大抵の人がテストでいくと、いい点を取りたい、いい会社へ入りたい、人より多い給料を貰いたい。人より綺麗な母ちゃんを貰いたい。こういう自分が、自分がと言っている。ところが自分が、自分がとして生きていると、だんだん人生が苦しくなってくる。人と比べて悪い自分ばかり見て、欲望を募(つの)らせると病気になったりして、だんだん悪くなる。ところが、もっと素晴しいことが、この世にはあるんだということに気づくのです。ある時は、そういった自我我欲のままに生きていて、人の親切に触れて、はっと悟ることがあるんです。

会社の経営者として、社長として、ワンマン社長で偉そうにやっていた。そしたら、「あいつ気に喰わない」と言っては首を切り、「あいつはお世辞を言わなかった」と言えば左遷し、そういう勝手気気儘(かってきまま)に生きていたような社長さんが、或る時ポッと病気をしてしまう。その時に、自分が左遷した部下が、「社長大丈夫ですか」と見舞いに来たりする。「あっこの男、本当に優しい男だな、自分からあれだけの目に合わせられながら、自分の体を気づかってくれて、ああ、こういう尊い心があるんだな」経営者は、その時悟るわけです。そして自分が、じゃ今、病気で倒れているけれど、もし健康体にもう一度なれたら、できるだけ全社員のために尽してみたい。多くの人たちを生かしてみたい。そういう菩薩心というのが目覚めて来るわけです。これが大事なんです。


13.人間の偉さは、どれだけ多くの人を幸せにしたかによる


人間の偉さというのは、どれだけ多くの人々を救ったか、救ったという言葉が傲慢(ごうまん)に聞こえるならば、どれだけ多くの人たちを幸せにしたか、ということです。

あなたにしてもそうです。あなたが、どれだけ立派な人生を生きたかということは、勿論、その証拠は、色々あるでしょうけれども、どれだけ多くの人々に尽くしたか、どれだけ多くの人々のためになるような生き方をして来たか、どれだけ多くの人を幸せにしたか、この基準なんです。

よく、あの世の世界で、宗教家が一番偉いと言われています。ところが、この世の世界では、宗教家が一番偉いわけではなくて、もっと社会的に地位の高い人が一杯居る。総理大臣だ、裁判官だ、医者だ、弁護士だと、会社の社長や偉い人が一杯居ます。宗教家は、必ずしもトップじゃない。ところが、あの世へ帰れば、本当の意味での、真実の宗教家は、一番トップですね、神様に近い所に居ます。何故そうか。それは、多くの人たちの心の糧になり、多くの人たちを幸せにしてきたからです。

企業の経営者として、企業の人々を養うことができます。ところが、それは高々、数千人、数万であります。大企業といえ数万人です。

一方宗教家というのは、キリストにしてもそう、釈迦にしてもそう、その時代の人たちだけでなくて、以後二千年、三千年にわたる人類を救ってきたわけです。それらの人たちに光明を投げかけてきたわけです。ですから、不幸せな人々を幸せにするという範囲が、途轍(とてつ)もなく大きいんです。

ところが会社の経営者、二千年後の人に影響を何か与えますか、与えません。お医者さんどうですか、病人は治ります。しかし病人もやがて死んで行きます。その後どうなるんですか。裁判官は、人を裁いています。結構ですよ。でも裁かなくてもあの世に行けば裁かれちゃうんです。裁こうが、裁くまいが、関係ないんです。

総理大臣は、選挙で落ちたら、ただの人、選挙に通れば、もう一回再選されたりして、そして、日本で一番偉いように考えられます。あの世へ帰ったらどうかわかりませんよ。戦後の首相で、天国へ行っている人は少ないですよ。地獄ヘ一杯行っています。何ででしょうね。本当に自分が日本国民のために尽くしたのか、或いは、自分としての栄達を求めたのか、そこがチエックされているんです。

やはり偉くなりたい人が多いんです。人の上に立ってみたい、人に命令してみたい、そういう人が多いんです。そういう人は地獄へ行ってしまうんです。だから総理大臣という地位は、日本一偉いんじゃないんです。最も地獄へ堕ちやすい地位でもあるんです。多くの人たちを、間違って指導することもありますから。だからむしろ田舎で、一人で生きている方が、むしろ迷惑がなくていいかもわからない。多くの人を使えば、使う程、心に歪みを作ればそれだけ悪い影響を与えちゃう。自分だけでなく他人まで。だから責任ある立場にある人は、それだけ難しいということを、悟らなければいけないんです。

また、その人の力によって、いろんな人を苦しめた場合は、その人たちの恨みが解けるまで、なかなか地獄から出てこれないんです。それだけ難しいんです。


14.人生の目的、使命についの要約


ですから私は以上、色々語ってきましたけど、総括すると以下のようになります。

人生というものの捉え方を、永遠の転生輪廻の中で捉えなさい。いいですか、永遠の転生輪廻の中で、自分の今世の役割、今世に命を得た意味、こうしたものを探究しなさい。これが最初です。

そして人生の目的とは何か、肉を持った人間の人生の目的とは、何か、それは霊的に目覚めるための下準備、これが一つです。不自由な物質世界で経験することによって、霊的に目覚める準備が一つです。もう一つは、いろんな次元の意識を持った人たちと会うことによって悟りを更に磨いて行く、こういうことが一つです。

そして使命とは何か、これは他人を幸福にする。できるだけ多くの人を幸福にすることです。

ところが、これは、「情けは人のためならず」という言葉がありますが、これはあなた誤解しているかどうか知らないけど「情けは人のためならず」というのは、情けを掛けたらその人が良くなるわけじゃないから、情けを掛けるなという意味じゃないんです。「情けは人のためならず」というのは、情けを掛けた、その情けは、やがて自分に返ってくる。だから人のためでなく、自分のためなんですよ、というのが「情けは人のためならず」という言葉の本当の意味です。

ところが今、多くの人々を幸せにするという話を私がしましたが、多くの人々を幸せにするとどうなるか、それは人のためならず、なのです。自分自身なのです。結局は、多くの人々のために生きられた人というのは、それだけ大きな人生を生きた、ということなのです。それだけ自己が大きくなった、ということなんです。器が大きくなった。それに目に見えない光の量、光子体というのを人間持っていますけれど、その光子体の量が、それだけ増えるのです。多くの人のために生きた人生というのは、多くの光子体を持ってあの世へ行けば、高い意識の人たちと一緒になれるんです。だから救世主のような仕事をすれば、あの世で、イエス様や仏陀と会えるようになるわけです。だから人のためではないんです。結局、自分のためなんですよ。だから人のためを思う人が自分のためになり、自分のためを思う人が、自分のためにならない。こんな矛盾があるんです。パラドックスがあるんです。結局そういうことなんです。だから使命というのは、他人に尽くすことによって、自己の向上を目指すということなんです。これが使命です。

まあ大体今日はそういう話です。