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*概要 ドラゴンクエストシリーズ全ての楽曲を担当する偉大な作曲家。 ドラクエプレイヤーにとっては、もはや神の領域に存在する人といっても過言ではない。 交響組曲「ドラゴンクエスト」のオーケストラによるコンサートを毎年、各地で行っている。 なお、本名は「椙山浩一」だが、読み間違いが多いという理由でひらがな名義での活動が主となっている。 DQ以外の氏の作品としては、 ・弦楽のための「舞曲」 ・カンタータ「オルビス」 ・五重奏曲「魔術」 ・亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガース) ・学生街の喫茶店(ガロ) ・恋のフーガ(ザ・ピーナッツ) ・花の首飾り(ザ・タイガース) ・ミュージカル 「孫悟空」 ・ミュージカル 「シンデレラ」 ・伝説巨神イデオン ・魔法騎士レイアース ・帰ってきたウルトラマン ・科学忍者隊ガッチャマン ・ゴジラVSビオランテ ・サイボーグ009 ・中山競馬場の発走ファンファーレ などなど。活動期間も活動の範囲も非常に幅広い事がおわかりいただけるだろう。 作曲した歌の中に「帰ってきたウルトラマン」があるが、 自身が作曲した[[【ドラゴンクエスト ダイの大冒険】]]の アニメ主題歌である「勇者よいそげ」を歌ったのは帰ってきたウルトラマンでウルトラマン=郷秀樹隊員を演じた団時朗氏。 なにかと因縁を感じる組み合わせである。 その他、CMの曲から政治家のテーマ曲など、ここでは書ききれないほど多くの曲を作っている。 これだけ多くの名曲を作っているのだから、さぞ有名な音楽大学を出ているのかと思いきや、 実際は東京大学理科Ⅱ類に入学、その後転学部して教育学部心理学科を卒業している。 本人曰く、音大へ行く学費が無かった上にピアノも弾けなかったので、「仕方なく」東京大学に進学したとのこと。 専門教育こそ受けていないものの、音楽は大好きであり、作曲は独学で勉強していた。 東京大学卒業後はフジテレビに入社し、ディレクターとして「ザ・ヒットパレード」を企画。周囲の反対を押し切って放送を実現させ、大ヒット番組となった。ちなみに、この番組のテーマソングも自身で作曲している。 その他にも、「新春かくし芸大会」などのヒット番組を次々と制作した。 TVディレクターとして非常に優秀な能力を見せながら、作曲も平行して続けていたが、 ヒット曲が増えるにつれて自分の曲が自分の番組に出るようになると、変な憶測をされないようにと苦慮することになる。 JASRACとフジテレビが著作権料について揉めることも増え、 また、自身の音楽への思いも捨てきれず、「やっぱり音楽がやりたい」と、フジテレビを退社し、作曲に専念することとなる。 ドラクエの音楽を作るきっかけとなった経緯は、[[音楽→DQ1]]を参照のこと。 その輝かしい実績と、ヒット番組を次々と飛ばす発想力、やりたいことをやりたいようにやって生きてきた人生から、 まさに「リアルチート」と言われている。 本人は、「自分がやりたいことは、何が何でも実行する『子供』のような人」と、 「周囲の目を気にして、やりたいことができない『大人』な人」を対比させ、 「子供でいい」「私もやりたいことをやりたいようにやってきた」と語っている。 本人の音楽性の高さは言うまでも無いが、ゲーム音楽は音数も音質も限られており、 しかしそんな状況でも多くのプレイヤーを感動させる音楽を書けるという技巧の持ち主。 特に初代DQⅠの場合、使える音数は僅か2音だけだったというのだから恐れ入る。 また、ゲーム中は同じ音楽をずっと聴く傾向にあるという発想から、 何度聴いても飽きないような、「聴き減りしない曲作り」を意識しているという。 ドラクエの音楽がクラシックを基調としているのも、「中世ヨーロッパ風の世界」と言われたこともあるが、 流行の音楽ではやがて飽きるだろうという想いもある。 その他にも、 「『少ないトラック数では満足な音楽が作れない』なんて、プロの作曲家の言うことではない」 「(ドラクエの序曲を5分で作ったことに対して、ピカソの名言になぞらえて)54年と5分でできたんです」 などの言葉を残している。 自身も筋金入りのゲーマー(自称・「元祖プロ・ゲーマー」)であり、 初代ドラクエに関わることとなったきっかけも、エニックスに他のゲームについて熱心なアンケートハガキを書いて送ったことに始まっている。 なので、ドラクエの音楽を書く際にも作曲家としての視点だけでなく、ゲーマーとして実際にプレイする際の視点も考えて曲を書いている。 なお、ドラクエなどをやる時は主人公の名前を「すぎやん」にしているとのこと。 主人公が王族の時などは[[【すぎまろ】]]にするなど結構拘っているらしい。 その語感の良さからすぎやまこういち氏のあだ名としてファンの間では定着している。 そのあだ名は、スタッフや関係者の名前がつけられることの多い仲間モンスターの名前にも採用されている。 Ⅴのヘルバトラー3体目に「すぎやん」(→[[【バトラー】]])、Ⅷのスカウトモンスターに闇のコンダクター[[【すぎやん】]]がいる。 日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員という肩書もあり、著作権に対しては非常に高い意識を持っている事でも知られる。 MIDIなどのDTMによる既存曲の再現にも厳しい立場をとり、DQシリーズの曲を個人で打ち込みをし、 インターネット上でアップロードする際にも、無断ではなく正規の契約をするように推奨している。 そのため現在ネット上でDQの曲は殆ど耳にすることがなくなっている。 なおJASRACはその組織の性質などから批判を受けることが少なくないが、 すぎやま氏自身は著作権に対する厳しい立場をとる理由について、 「音楽提供者側に対価が回らないことによる創作意欲の低下、ひいては音楽業界への就業意欲の低減での業界縮小の懸念」 からと述べている。 ちなみに、SFC版DQⅠ・Ⅱのソフトをよく見てみると「すぎやこういち」と誤植されてしまっている。 ----
*概要 ドラゴンクエストシリーズ全ての楽曲を担当する偉大な作曲家。 ドラクエプレイヤーにとっては、もはや神の領域に存在する人といっても過言ではない。 交響組曲「ドラゴンクエスト」のオーケストラによるコンサートを毎年、各地で行っている。 なお、本名は「椙山浩一」だが、読み間違いが多いという理由でひらがな名義での活動が主となっている。 DQ以外の氏の作品としては、 ・弦楽のための「舞曲」 ・カンタータ「オルビス」 ・五重奏曲「魔術」 ・亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガース) ・学生街の喫茶店(ガロ) ・恋のフーガ(ザ・ピーナッツ) ・花の首飾り(ザ・タイガース) ・ミュージカル 「孫悟空」 ・ミュージカル 「シンデレラ」 ・伝説巨神イデオン ・魔法騎士レイアース ・帰ってきたウルトラマン ・科学忍者隊ガッチャマン ・ゴジラVSビオランテ ・サイボーグ009 ・中山競馬場の発走ファンファーレ などなど。活動期間も活動の範囲も非常に幅広い事がおわかりいただけるだろう。 作曲した歌の中に「帰ってきたウルトラマン」があるが、 自身が作曲した[[【ドラゴンクエスト ダイの大冒険】]]の アニメ主題歌である「勇者よいそげ」を歌ったのは帰ってきたウルトラマンでウルトラマン=郷秀樹隊員を演じた団時朗氏。 なにかと因縁を感じる組み合わせである。 その他、CMの曲から政治家のテーマ曲など、ここでは書ききれないほど多くの曲を作っている。 これだけ多くの名曲を作っているのだから、さぞ有名な音楽大学を出ているのかと思いきや、 実際は東京大学理科Ⅱ類に入学、その後転学部して教育学部心理学科を卒業している。 本人曰く、音大へ行く学費が無かった上にピアノも弾けなかったので、「仕方なく」東京大学に進学したとのこと。 専門教育こそ受けていないものの、音楽は大好きであり、作曲は独学で勉強していた。 東京大学卒業後はフジテレビに入社し、ディレクターとして「ザ・ヒットパレード」を企画。周囲の反対を押し切って放送を実現させ、大ヒット番組となった。ちなみに、この番組のテーマソングも自身で作曲している。 その他にも、「新春かくし芸大会」などのヒット番組を次々と制作した。 TVディレクターとして非常に優秀な能力を見せながら、作曲も平行して続けていたが、 ヒット曲が増えるにつれて自分の曲が自分の番組に出るようになると、変な憶測をされないようにと苦慮することになる。 JASRACとフジテレビが著作権料について揉めることも増え、 また、自身の音楽への思いも捨てきれず、「やっぱり音楽がやりたい」と、フジテレビを退社し、作曲に専念することとなる。 ドラクエの音楽を作るきっかけとなった経緯は、[[音楽→DQ1]]を参照のこと。 その輝かしい実績と、ヒット番組を次々と飛ばす発想力、やりたいことをやりたいようにやって生きてきた人生から、 まさに「リアルチート」と言われている。 本人は、「自分がやりたいことは、何が何でも実行する『子供』のような人」と、 「周囲の目を気にして、やりたいことができない『大人』な人」を対比させ、 「子供でいい」「僕もやりたいことをやりたいようにやってきた」と語っている。 本人の音楽性の高さは言うまでも無いが、ゲーム音楽は音数も音質も限られており、 しかしそんな状況でも多くのプレイヤーを感動させる音楽を書けるという技巧の持ち主。 特に初代DQⅠの場合、使える音数は僅か2音だけだったというのだから恐れ入る。 また、ゲーム中は同じ音楽をずっと聴く傾向にあるという発想から、 何度聴いても飽きないような、「聴き減りしない曲作り」を意識しているという。 ドラクエの音楽がクラシックを基調としているのも、「中世ヨーロッパ風の世界」と言われたこともあるが、 流行の音楽ではやがて飽きるだろうという想いもある。 その他にも、 「『少ないトラック数では満足な音楽が作れない』なんて、プロの作曲家の言うことではない。バッハはバイオリン1つで素晴らしい曲を書いている」 「(ドラクエの序曲を5分で作ったことに対して、ピカソの名言になぞらえて)54年と5分でできたんです」 などの言葉を残している。 本人曰く、苦手なのは「戦闘曲」であるとのこと。 戦っている場面について1作につき2~4曲を書かなければならないのは、意外と大変だそうだ。 確かに戦闘曲については、特に近年の作品では名曲と言われる曲が少なくなっていると言えるかも知れない。 自身も筋金入りのゲーマー(自称・「元祖プロ・ゲーマー」)であり、 初代ドラクエに関わることとなったきっかけも、エニックスに他のゲームについて熱心なアンケートハガキを書いて送ったことに始まっている。 なので、ドラクエの音楽を書く際にも作曲家としての視点だけでなく、ゲーマーとして実際にプレイする際の視点も考えて曲を書いている。 なお、ドラクエなどをやる時は主人公の名前を「すぎやん」にしているとのこと。 主人公が王族の時などは[[【すぎまろ】]]にするなど結構拘っているらしい。 その語感の良さからすぎやまこういち氏のあだ名としてファンの間では定着している。 そのあだ名は、スタッフや関係者の名前がつけられることの多い仲間モンスターの名前にも採用されている。 Ⅴのヘルバトラー3体目に「すぎやん」(→[[【バトラー】]])、Ⅷのスカウトモンスターに闇のコンダクター[[【すぎやん】]]がいる。 日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員という肩書もあり、著作権に対しては非常に高い意識を持っている事でも知られる。 MIDIなどのDTMによる既存曲の再現にも厳しい立場をとり、DQシリーズの曲を個人で打ち込みをし、 インターネット上でアップロードする際にも、無断ではなく正規の契約をするように推奨している。 そのため現在ネット上でDQの曲は殆ど耳にすることがなくなっている。 なおJASRACはその組織の性質などから批判を受けることが少なくないが、 すぎやま氏自身は著作権に対する厳しい立場をとる理由について、 「音楽提供者側に対価が回らないことによる創作意欲の低下、ひいては音楽業界への就業意欲の低減での業界縮小の懸念」 からと述べている。 ちなみに、SFC版DQⅠ・Ⅱのソフトをよく見てみると「すぎやこういち」と誤植されてしまっている。 ----

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