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「ないとう ひろし」ではなく「ないとう かん」。元[[【チュンソフト】]]社員。 DQⅢとⅣのメインプログラマーである。 ゲーセン小僧だった小学生の頃、「タダでゲームができる!」と思って親にPC-6001を購入してもらうも、 なぜかことごとくクソゲーを買ってしまったために自らプログラムを改造し、プログラミングに目覚める。 その後、「パソコンが学べる」との謳い文句に釣られて某電機大附属高校の電子科へ進んだ所、これが真っ赤なウソ。 ひたすら電気工学ばかりやらされたため、プログラムに触れられる場所を求めてソフト会社でバイトを続けた。 (ラジオパーソナリティのミンキーヤス氏が当時この高校で教師をしており、後に内藤氏とCDを出している) 酷い目に遭い続けた彼は、志望をプログラマーからTVのカメラマンへと転向。専門学校へと進む。 ところが、授業の内容は電気工とプログラム。どちらも高校まででマスターしている内容だったため、 先生に「秀をやるから授業に出なくて良い」というお墨付きをもらい、アルバイトとしてチュンソフトへ入った。 Ⅲにプログラマーとして参加したが、当時のチュンソフトのプログラマー陣は学生や別の職との兼業が多く、 チーフプログラマーも兼業だったためにエニックスにほとんど顔を出すことができなかった。 そのため、自ら志願してチーフプログラマーへと昇格してもらい、Ⅲをみごと完成させた。 (チーフといっても、DQ担当のプログラマーは実質的に内藤氏のほかにもう1人くらいしかいなかったようである) その後、DQⅣでもメインプログラマーを務めた後、チュンソフトを退社した。 現在はセガがバックアップして「クライマックス」を設立、セガやバンダイナムコのゲームを制作している。 また、細々とやってきたラジオを現在も放送中である。 ----
*概要 「ないとう ひろし」ではなく「ないとう かん」。元[[【チュンソフト】]]社員。 DQⅢとⅣのメインプログラマーである。 ゲーセン小僧だった小学生の頃、「タダでゲームができる!」と思って親にPC-6001を購入してもらうも、 なぜかことごとくクソゲーを買ってしまったために自らプログラムを改造し、プログラミングに目覚める。 その後、「パソコンが学べる」との謳い文句に釣られて某電機大附属高校の電子科へ進んだ所、これが真っ赤なウソ。 ひたすら電気工学ばかりやらされたため、プログラムに触れられる場所を求めてソフト会社でバイトを続けた。 (ラジオパーソナリティのミンキーヤス氏が当時この高校で教師をしており、後に内藤氏とCDを出している) 酷い目に遭い続けた彼は、志望をプログラマーからTVのカメラマンへと転向。専門学校へと進む。 ところが、授業の内容は電気工とプログラム。どちらも高校まででマスターしている内容だったため、 先生に「秀をやるから授業に出なくて良い」というお墨付きをもらい、アルバイトとしてチュンソフトへ入った。 Ⅲにプログラマーとして参加したが、当時のチュンソフトのプログラマー陣は学生や別の職との兼業が多く、 チーフプログラマーも兼業だったためにエニックスにほとんど顔を出すことができなかった。 そのため、自ら志願してチーフプログラマーへと昇格してもらい、Ⅲをみごと完成させた。 (チーフといっても、DQ担当のプログラマーは実質的に内藤氏のほかにもう1人くらいしかいなかったようである) その後、DQⅣでもメインプログラマーを務めた後、チュンソフトを退社した。 現在はセガがバックアップして「クライマックス」を設立、セガやバンダイナムコのゲームを制作している。 また、細々とやってきたラジオを現在も放送中である。 ----

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