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ドラクエシリーズのシナリオライター兼ゲームデザイナー。 1954年1月6日生まれ、兵庫県洲本市(淡路島)出身。早稲田大学卒。 大学卒業後はフリーライターとして活動し、「月刊アウト」にて「ゆう坊のでたとこまかせ」(でたまか)を連載。 1981年に上述の「でたまか」の投稿者の会員番号の管理のためにパソコンを購入。 だが、当時はそうした機能は使いにくかったため、パソコンゲームに熱中、自分で作って遊んでいた。 そして1982年にエニックスが開催した「第1回ゲームホビープログラムコンテスト」に自作ゲーム「ラブマッチテニス」を応募し、入賞。 このコンテストを機に、同じく「ドアドア」で入賞した学生プログラマーの[[【中村光一】]]氏、エニックスのゲームプロデューサー[[【千田幸信】]]氏らと知り合う。 なお、このコンテストの最終選考会には、堀井氏自らが[[【週刊少年ジャンプ】]]の記者として取材を行っており、 千田氏から「まさか入選候補が取材に来るなんてねえ、夢にも思わなかったよ」と言われたそうである。 その翌年には[[【ポートピア連続殺人事件】]]を制作。この推理アドベンチャーゲームは1985年にファミコンにも移植され、ゲーム業界に名を知られるようになった。 1986年にはドラクエシリーズの記念すべき第一作目[[【ドラゴンクエスト】]]の原作を担当。現在も担当している。 ドラクエⅢまではゲームの制作をする一方でジャンプ記者としての活動も続けており「[[ゆう帝>【ゆうてい】]]」の名で「ファミコン神拳」のコーナーを担当していた。 ちなみに、堀井氏へのファンの愛称である『ゆう坊』は上述の「でたまか」に由来している。 この名前はⅤの仲間になった[[【はぐれメタル】]]の3匹目の名前として使われている。 Ⅵのはぐれメタルの3匹目、Ⅷの[[【キングスライム】]]のスカウトモンスターもこれが元。 ただし、『ゆうぼん』と少し変形している。 ----
*概要 ドラクエシリーズのシナリオライター兼ゲームデザイナー。 1954年1月6日生まれ、兵庫県洲本市(淡路島)出身。早稲田大学卒。 大学卒業後はフリーライターとして活動し、「月刊アウト」にて「ゆう坊のでたとこまかせ」(でたまか)を連載。 1981年に上述の「でたまか」の投稿者の会員番号の管理のためにパソコンを購入。 だが、当時はそうした機能は使いにくかったため、パソコンゲームに熱中、自分で作って遊んでいた。 そして1982年にエニックスが開催した「第1回ゲームホビープログラムコンテスト」に自作ゲーム「ラブマッチテニス」を応募し、入賞。 このコンテストを機に、同じく「ドアドア」で入賞した学生プログラマーの[[【中村光一】]]氏、エニックスのゲームプロデューサー[[【千田幸信】]]氏らと知り合う。 なお、このコンテストの最終選考会には、堀井氏自らが[[【週刊少年ジャンプ】]]の記者として取材を行っており、 千田氏から「まさか入選候補が取材に来るなんてねえ、夢にも思わなかったよ」と言われたそうである。 その翌年には[[【ポートピア連続殺人事件】]]を制作。 この推理アドベンチャーゲームは1985年にファミコンにも移植され、ゲーム業界に名を知られるようになった。 1986年にはドラクエシリーズの記念すべき第一作目[[【ドラゴンクエスト】]]の原作を担当。現在も担当している。 ドラクエⅢまではゲームの制作をする一方でジャンプ記者としての活動も続けており「[[ゆう帝>【ゆうてい】]]」の名で「ファミコン神拳」のコーナーを担当していた。 ちなみに、堀井氏へのファンの愛称である『ゆう坊』は上述の「でたまか」に由来している。 この名前はⅤの仲間になった[[【はぐれメタル】]]の3匹目の名前として使われている。 Ⅵのはぐれメタルの3匹目、Ⅷの[[【キングスライム】]]のスカウトモンスターもこれが元。 ただし、『ゆうぼん』と少し変形している。 ----

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