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エニックスの編集者を経て、現在はマッグガーデン代表取締役。

漫画原作者、ゲームデザイナーを経て、1984年にエニックスに入社。
ドラゴンクエストの立ち上げ期に「これはヒットしない」と考え、ドラクエから距離を置き
PCゲーム「地球戦士ライーザ」のファミコン移植(銀河の三人)でプロデューサーを務めたが
製作会社のゴタゴタで採算が取れなくなり、最終的に任天堂に投げ売りという不幸な結果に終わる。

保坂は設立間もないエニックス出版部に左遷させられるが、そこで編集者としての才能を開花。
【ドラゴンクエスト4コマ漫画劇場】?【月刊少年ガンガン】【月刊少年ギャグ王】などを次々に立ち上げる
獅子奮迅の活躍を見せ、漫画家にネタにされる編集者としても一部で人気を得た(特にギャグ王にて)

月刊少年ガンガンは創刊当初は正統派の少年雑誌を目指しており、保坂はドラクエを扱うのも嫌がっていたが
【千田幸信】からの天の声でドラクエネタをやらざるを得なかったという。

1990年代半ばになるとドラクエ4コマで台頭してきた女性作家の影響を受けて、女性漫画家を数多く起用するようになり
いわゆる「ガンガン系」と呼ばれるジャンルを成立させている。

ガンガン編集長から退いた後も、同志である飯田氏を2代目編集長に据え、ガンガン系路線を保っていたが
2000年代に入ると「少年漫画」への揺り戻しが始まり、編集部内は少年漫画派とガンガン系派で分裂。
編集長のあずかり知らないところで人気作品が系列誌に移籍したり、打ち切られたりと阿鼻叫喚だったという。

これらの事態を憂慮した保坂は出世して出版事業部長にまでなっていたが、2001年にエニックスを退社。
同年6月に新会社マッグガーデンを立ち上げる。これに同調したガンガン系派の編集者・漫画家が次々と移籍。
不当な引き抜きだということでエニックスと裁判沙汰になった(後に和解)。
また同時期には別の一派も独立している。いわゆる「エニックスお家騒動」である。
この一連の騒動で、保坂の編集者としての原点ドラゴンクエスト4コマ漫画劇場もその寿命を大きく縮める事になった。