197話

第197話:紅き鏡の向こう側


「はっ……はっ……はっ……」
時折ぶり返してくる肩の鈍痛を堪えつつ、彼女はいつしか山道を駆けていた。
若干の回復傾向はあるものの、未だ視点の定まらない視界。
著しい体力の低下と出血に伴う嘔吐感。
それらを懸命に誤魔化しながら、鍛えられた強靭な精神の力でふらつく足取りを制御する。
――あまりにも迂闊ッ。
神に仕える高潔な魂こそ失っているが、同等の聖剣技を扱う男。
万全であったとしても勝利を収めるのは難しい、卓越した技量を誇る強大な敵。
そんな相手に対し、負傷した状態で反撃の機会などそうそう訪れるものではない。
ここまで疲弊させられる前に覚悟を決めるべきだったのだ。
執拗に背後から忍び寄る冷たい殺意の持ち主――ウィーグラフはすぐそこまで迫っていた。

「頃合だな」
男は満足げにつぶやくと、番えた矢を発射した。
放たれた一撃は狙い通りの軌跡を描き、対象の頭部を――僅かに逸れて――岩壁に突き刺さる。
それだけで逃げきれないと悟ったのだろう。
獲物はザックから長大な剣を取りだし、こちらに向き直った。
月光に照らされた表情は、平時の端麗な容姿とあまりにもかけ離れている。
――最愛の妹ミルウーダは、このようにしてラムザに殺されたのだろうか。
そう考えると、追っている相手がアルマ・べオルブでないのがつくづく残念なものに思えた。
「仕方あるまい、か。今はこの女で妥協するとしよう」
手にした弓矢をザックに放りこみ、替りにプレデターエッジを引っ張り出すと、
男はゆっくりと歩み始めた。
「さて、神へのお祈りとやらはもう済ませたか? 弱き人間よッ!」

緩慢ではあるが、間断なく襲いかかる刃。
剣を合わせる毎に残り僅かな体力がじわじわと削られていく。
「ククク……とうに限界を迎えているのだろう?」
絶対的優位に立つ者の余裕だろうか、ウィーグラフは嘲笑の笑みを浮かべた。
凌いでいるのではなく――凌がされている。
誇りを踏み躙り、魂を汚し、全てを砕かんがためだけに。
命があろうとなかろうと――諦めてしまった時点で私は終わるのだ。
だからこそ、この絶望的な状況でも屈するわけにはいかない。

歌が、響いた。
内容は理解できないが、場違いな程に明るい歌が。

高台を見上げた私は、そこに二人の人間を認める。
極彩色の衣装に身を包んだ者と――
(あれはッ、あの剣はッ!)
もう一人の仮面を着けた人間が手にしている剣。
傷つけた者の生命を吸い取り、所有者の活力へと変換する紅き剣。
かつて、私と対極に位置する騎士が我欲を満たすためだけに振るわれたもの。
歪んだ視界の中であっても、それだけは奇妙なほど明確に映っていた。
まるで、何かを私に伝えるかのように。
(そうか。……そういうことなのかもしれないな)
人を信じることができず、ただ私欲のために剣を振るう。
生き残ることが全てだと考える今の私と何が違う? ――違いはしない。
唾棄すべき対象だった黒騎士は、未来の己の姿。
それを認識することで、この世界に来てから晴れることのなかったわだかまりが消えていくような気がした。
「あの二人が邪魔となる存在かどうかは分からぬが……
 遊んでいる時間がなくなってしまったことは確かだ。
 そろそろ殺してやるとしよう。
 なに、心配することはない。ラムザには貴様の首でも切り取って渡しておくさ。
 奴の表情が再会の喜びで変わる様を楽しむためにな」
「仰ぐべき主君を戴き、その元で正しく力を振るってこその騎士。
 仕えるべき主も持たず、この狂った世界で死ぬ訳にはいかないッ!」
守るべきものもなく道を見失った相手に遅れをとることなどあってはならないのだ。
クロスクレイモアを正眼に構え、精神を集中させていく。
残った体力では二撃目を繰り出す余裕はない。この一撃で全てを決してみせねばならなかった。
今の私に主はいない。
ならばせめて、私の知る正しき者を生かすためにこの技を捧げるとしよう。
アグリアス・オークスという存在――その全身全霊を懸けて。
「大気満たす力震え、我が腕をして閃光とならん! 無双稲妻突き!」

――後は任せるぞ、ラムザ。この忌むべき世界を打破してみせろッ!

聖剣技が放たれたのは同時だった。
両者の持つ剣から雷がほとばしり、暗き空を照らすように中空で激しくぶつかり合う。
だが、決して互角ではない。
雷が激突する度に、一方の力は着実に衰えていく。
劣勢に立たされているのは――アグリアス。

「あの女騎士、面白いことを言っていたな。
 『仕えるべき主も持たず、この狂った世界で死ぬ訳にはいかない』と。
 しかし、先ほどの攻撃は言葉と裏腹に刺し違えてでも倒すという覚悟が感じられた。
 ……実に興味深い」
二人の戦いを見下ろしながら、マティウスが口を開く。
「異界の皇帝よ。しばしその剣を貸しては貰えぬだろうか?
 この短剣よりもそちらの方が具合が良さそうだ」
ザックから取り出したソードブレイカーを見せながら、傍らのゴゴが言う。
「……あやつを助けるつもりか?」
「言っただろう。私はお前の物真似をするとな。
 それによってお前が答えに近づけるならば、やらねばなるまい」
マティウスは何も言わない。
ただ、ブラッドソードを手渡しただけだ。
ゴゴは飛ぶように駆けていく。
ヘイストの力を秘めた魔法の靴――ミラクルシューズの力を借りて。


雷が降り注いだ爆心地の中央で、アグリアスはそっと口元をゆるめる。
ウィーグラフの技に押し負けはしたが、不思議と悔いはなかった。
やれるだけのことはやった。そんな達成感があったのかもしれない。
「貴様は今から死ぬのだぞ。なぜッ、そんな目をして私を見ることができるッ!」
「哀れだな、ウィーグラフ。そんなこともわからないとは」
クロスクレイモアを杖代わりにして、ようやく立っていられる満身創痍の人間。
そんな者が、どうしてこの状況で恐怖を感じることもなく平然としていられるのか。
それだけではない。目の前の相手は、憎悪すらしていないように見えた。
昔の彼ならば――あるいは理解できたのかもしれない。
理想を掲げ、祖国を救うために結成した骸騎士団の団長であった時代。
信じるもの、愛する者を失う前の――彼にならば。
「減らず口をッ! そんなに死に急ぎたければ止めを刺してくれよう!」
ウィーグラフはプレデターエッジを握り直し、アグリアスの下へ猛進していく。

ゴゴがブオーンの背を下り、二人の元へ辿り着いたのは正にその時だった。
ブラッドソードを正眼に構え、精神を集中させてゆく。
ものまね師の真骨頂は、見様見真似によって全てを再現することにある。
それは選ばれしホーリーナイトの聖剣技ですら例外足り得ない。
「大気満たす力震え、我が腕をして閃光とならん! 無双稲妻突き!」
血で塗られたような刀身が鮮やかに輝き、幾筋もの雷光がウィーグラフに襲いかかった。

――それから先はよく覚えていない。
――確かなのは、捨て台詞を吐いてウィーグラフが去ったこと。
――そして、誰かが私の傍にいること。

――あたた……かい……な…………
やわらかな二つの光に包まれながら、アグリアスの意識は闇へと落ちていった。



「そんなことも可能なのか。物真似師とは器用なものだな」
マティウスは感心していた。
先程の剣技もそうだが、今もまた、自分の真似をしてケアルをかけている隣の男に。
「物真似は万能だが、完璧という訳ではない。
 わかるだろう? 同じケアルであっても、その効力はお前のそれより劣っていることが」
ゴゴの言う通りだった。
マティウスの手から漏れる癒しの光は、ゴゴのそれよりもかなり大きい。
「個人の持つ資質、魔力のように見えないものまでは真似ることができないのさ。
 もっとも、最終的にはそれも克服したいんだがね」
「フハハハハッ、やはり面白い男だな。
 そんな途方もないことを思いつくのは貴様みたいな者だけだろうよ」
マティウスは高らかに笑う。
生きている間には得られなかった、友という対等なものを得られたような気がして。
「まだ名乗っていなかったな。私の名はマティウスだ」
「もう名乗ってしまっていたな。私の名はゴゴ。
 今はマティウスという男の物真似をしているところだ」
やや遅れて。
愉快に笑う二人の声が山脈に木霊した。


「…………」
(やっとどいてくれたのは嬉しいが……。
 こんな所で目立つような戦いなんかするなよ、ほんとに)

深夜になってもまだまだブオーンは耐えている。

【マティウス 所持品:ブラッドソード
 第一行動方針:アルティミシアを止める 第二行動方針:アグリアスの観察
 最終行動方針:何故自分が蘇ったのかをアルティミシアに尋ねる
 備考:非交戦的だが都合の悪い相手は殺す】
【ゴゴ 所持品:ミラクルシューズ ソードブレーカー
 第一行動方針:マティウスの物真似をする】
【現在位置:レーベ南西の山岳地帯】

【アグリアス(極度の疲労による気絶+重傷)
 所持品:クロスクレイモア、ビームウィップ、もう一つは不明
 第一行動方針:生き延びる(意味合いが異なっているかもしれません)】
【現在位置:レーベ南西の山岳地帯】

【ウィーグラフ  所持品:暗闇の弓矢、プレデターエッジ
 第一行動方針:ラムザとその仲間を殺す(ラムザが最優先) 第二行動方針:生き延びる、手段は選ばない】
【現在位置:レーべ南西の山岳地帯→どこかへ移動?】

【ブオーン 所持品:不明
 第一行動方針:動かずやり過ごす】
【現在位置:レーベ南西の山岳地帯に同化中】

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最終更新:2008年01月31日 17:50
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