513話

第513話:天使の微笑み


夜空に浮かぶライブラは、正義を計る天秤であると、いつか見た本に書いてあった。
水平に吊された左右の器の、どちらに正義が乗っているのか、わからない。
あるいは両方とも正義で、あるいは両方とも罪なのかもしれない。
わかることは、右を選べば左が、左を選べば右が、奈落の底へと落ちてしまうこと。
どちらも、両手で抱えてやっと持てるかどうか、それくらいに重い。
とても重い。
だから、両方とも選びたいのに、手にすることができない。
もたもたしていると、やがて奈落の淀みは広がり、全てを飲み込んでしまう。
早く、どちらかを手にして、この場を離れなければならない。
なのに私は、天秤を前にして立ちすくんでいる。
選ぶのが、こわい。
どちらを選んでも、きっと私は後悔をし続ける気がする。
いっそ、このまま私も一緒に、奈落に飲み込まれてしまおうか。
そうすれば、誰も私を責めることなんてできない。

なのに。
私は、自らを絶つ勇気すらも持ち合わせていない。
惨めな自分が悔しいし、選択を突き付けてくる世界が少し恨めしい。

ねぇ、私はどうしたらいいのか……教えてよ、イザ兄ちゃん。

熱くて頭がどうかしそうなのに、身体は凍えているかのようにぶるぶると震えている。
それは、迫られた選択の先にある結果を見たくないからだ。
心が、拒否している。

けぶる空気で苦しむ呼吸が、タイムリミットが近い事を警告していた。
額に雫を浮かべる動けない少女と、毒に苦しみながら眠り続ける子供。
夕焼けのような橙色の、ゆらゆらとゆらめく明かりが、二人の姿を照らしている。

二人とも、どちらも助けたい。
けれど、それを行えるだけの力も時間もない。

白いドレスを汚す緋色の跡、絹糸のような金の髪。
床に伏した彼女は、まるで翼をもがれて傷ついた天使のようだと、こんな状況なのに思った。

天使は残酷なことを言う。
自分を置いて逃げろ、と。
置いて行った事で罪悪感を与える事を知りながら、行けと言った。
罪の意識で縛り付けることが天使の役目ならば、私は天使なんて信じない。
なにより、彼女は天使のようだけど天使じゃない。

優しさの先には安らぎが待っているとは限らない。
そんな残酷な優しさはいらない。
けれどもし彼女と私の立場が逆だったならば、私は彼女と同じ事を言っただろう。
そしてやはり彼女も、私を残して逃げることもできず、助けたいけれど助けられず、悩むだろう。

違う。

そうじゃない。悩んでほしいんだ、私は。
勝手に思って、悩み続ける自分を正当化したいんだ。

どんなに頑張ったって、今の置かれた立場が変わることなんてありえない。
どうにかできるのも、どうにかしなくちゃいけないのも、私しかいない。

決して、何もできないわけじゃない。
できることが少なくて、少ない中に望むものがないだけだ。
だったら何もしなくていい、なんてことは許されない。
イザ兄ちゃんは許さない。そして、きっと私が私を許さないはず。

できることは全部やる。イザ兄ちゃんは、そう言ってた。
だから私も、できる事は全部やらなくちゃいけない。

天秤じゃない。どちらか、なんてことはない。
可能性は限りあるけれども、たった二つだけなんてことはない。

可能性は作るもの。イザ兄ちゃんは、そう言ってた。
だから私も、可能性を作り出すために歩まなくちゃいけない。

「……エリアさん。必ず、助けに来ます」

まだ少し震えてるかもしれない。
お腹に力を込めて、じっとりと汗が滲む手を強く握りしめた。
今は大丈夫だ。さっきよりは、こわくない。

「助けることを諦めません。
 だから……待っていて下さい。お願いします」

穏やかな眼差しが私を捕らえた。
ただ何も言わず、にこりと微笑むだけだ。

ひとつでも多くの命が助かることが嬉しい、とか。
道を選んで歩き出してくれたことが嬉しい、とか。
もし立場が逆だったらの話で、私はそんなことを思って微笑むのだろうか。
実際に彼女が何を思っているかはわからない。
けれど、背中を強く押してくれたような気にさせてくれた。
まるで天使みたいな微笑みだった。

「気をつけて……ね」

幼い身体を背負い、立ち上がった私に、彼女はそう言った。

そういえば。
足元に三人分の荷物が置かれたままだったけれど、この体勢から拾えるほど器用じゃない。
あとでまた来る。だから今は、執着する必要なんてない。

「いってきます」

ただいまへ繋げるために言ったけれど、いってらっしゃいの言葉は返ってこなかった。
絶対に。あとで、おかえりって言ってもらうんだ。

【ターニア(血への恐怖を若干克服。完治はしていない)
 所持品:なし
 第一行動方針:宿屋を離れてビビの安全を確保
 第二行動方針:エリアの救出
 基本行動方針:イザを探す】
【ビビ(気絶中 ターニアにおんぶされている)
 所持品:なし
 第一行動方針:不明
 基本行動方針:仲間を探す】

【エリア(体力消耗 身動きできない 下半身を圧迫されている)
 所持品:妖精の笛
 第一行動方針:助けを待つ
 基本行動方針:レナのそばにいる】

【現在地:ウル宿屋(半壊、火災はボヤ程度)】

※ビビの支給品袋(毒蛾のナイフ 賢者の杖)と
 ターニアの支給品袋(微笑みの杖 スパス ひそひ草)は
 エリアの支給品と一緒に置いてあります

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最終更新:2008年02月15日 01:08
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