ガンダムF(下)

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[[もどる>ガンダムF(仮題)]] #contents() 「!」  SYSTEM∀-99が消えた。文字通り、目の前から。次の瞬間、回線から悲鳴。 後方で支援に回っていたエリス・クロードの声だ。どくんと心臓が跳ねるように鳴る。 そんな馬鹿なと戦慄し、レイチェル・ランサムはレーダー上の光点を目で追った。 異常としか言いようのない移動距離。再び光点が消えた瞬間、背筋が悪寒で凍りつく。  反射的にブーストペダルを踏みこみ、フェニックスガンダムの機体を急加速させた。 苛烈なGに、レイチェルのどちらかといえば華奢な身体という身体が悲鳴を上げる。 飛びかけた意識を気力で強引に引き戻すと、酸っぱいものが小さな胸にこみ上げた。 「……ッ! 来たっ!」  げえっと嘔吐しつつ、涙で霞む視界の端にレーダー上の光点を捉える。すぐ後ろ。 ビームサーベルの斬撃を空振りした姿勢のまま、SYSTEM∀-99が見ている。 コックピット越しに、見ている。レイチェル・ランサムという少女を。  SYSTEM∀-99が無表情にビームサーベルを構えた。第二撃が、来る。 レイチェルは操縦桿を引き、フェニックスを上昇させた。宇宙空間で上昇というのも、 おかしな話ではあるが。角度を微調整しつつトンボ返りに敵の姿を正面に捉える。 吐寫物にまみれたヘルメットを脱ぎ捨て、咆哮。凶悪な赤いビームサーベルを握る、 SYSTEM∀-99の右手首を一気に蹴り上げた。 「甘く……見ないでよね……アタシにだって……ッ!」  極論を言うなれば、人という種は限界を迎え行き詰ったということになる。 その事変に関して、シス・ミットヴィルという少女の意志が介在したものだろうか。 最早シスが歩んできた生について語る意味はなく、論点は決してそこではない。  月光蝶。機械だけを葬り敵の命すら救おうという、真のニュータイプが振るう剣。 それが人類の文明そのものを滅ぼすべく発動した事実は、既に動かしようがないのだ。 機械化された食糧生産システムに頼り切った人類が、この状況で生き延びられようか。 ぎりっと歯噛みし、エターナ・フレイルはターンXガンダムを起動させる。数年前に、 外宇宙からこの地球への旅路を共に歩んだ機体を。 「私が招いた災厄だ……世界が……眠りにつく……!」 『エターナさん、聞こえますか? ネリィです、応答なさいエターナさん!』  ネリィ・オルソン。この地球でできた初めての友人の声。通信回線を開くと、 ネリィの怒っているような、それでいて泣き出しそうな顔がモニターに映し出される。 自身も同じ表情を浮かべていると自覚する余裕は、今のエターナにはない。 『御自分の責任だと思い詰めるなと言っても無駄なのでしょうね……。  ですが、自分一人で責任を取ろうなどと思い込むのはおやめなさい!』 「ネリィさん……でも……私は……ッ!」 『私も調整が済み次第フェニックスで出ます! それまで持ち堪えて!』 「ネリィさん!?」 『いいですね、エターナさん! 一人ではありませんよ!』 「……はい」  回線を音声通信のそれに切り換えた。∀が発するナノマシンの嵐で荒廃した大地が、 ネリィの顔に代わってモニターに映し出される。零れ落ちる涙を拭い、見据えた。 倒すべき敵を。人の手で形を得た、己が罪の姿を。 ***「ターンXガンダム、エターナ……発進します!」 「冗談じゃないよ!」  ネリィの言葉に、フェニックスガンダムの整備士ケイ・ニムロッドは声を荒げた。 リミッターを解除しろという。元々フェニックスはターンXのデータから開発された、 いわば∀の兄弟機である。その性能も二機のターンタイプに劣ることはないのだ。 ニュータイプになれない常人が乗ることを想定しさえしなければ。  サイコミュには人の思念を物理的なエネルギーに変換する機能がある。であれば、 強力なニュータイプならパイロットにかかるGを緩和する力場を形成し得るだろう。 ニュータイプの世界で作られたターンXの規格には、そういう前提条件がある。 だが、フェニックスはそれを見落としたまま設計されたのだ。普通の人間ならば、 機体の全性能を引き出す前に即死するだけだろう。 「いいかい、お嬢様。こいつは化け物なんだよ、マトモな人間が乗る機体じゃない」 「これは同じ化け物を相手にするためのマシーンです、当然でしょう?」 「アンタ、死にたいのかい!?」 「死にに行くのではありませんわ。この世界のため、友のために命を賭けるのです!」 「しかしアンタは……!」 「人の生み出した機械である限り、解き放たれた不死鳥は私の声に応えてくれます!  サイコミュなどは、この魂で従えるまでです!」  有無を言わせぬ眼差し。それは人の上に立つ家に生まれた者故のものであろうか。 かつて宇宙貴族主義なるものが提唱されたが彼らの言う支配者に相応しい貴族とは、 この女性のような者のことであろう。ネリィが発する強烈な威圧感に気押され、 ケイはリミッター解除のコードをフェニックスのOSに打ち込んだ。  特徴的なブロンドの巻き毛を耳の上で括り上げて専用のヘルメットに納めつつ、 ネリィはケイと入れ替わる形でフェニックスのコックピットに乗り込む。 テストパイロットを務めるマーク・ギルダーに合わせていたシートの高さを調整し、 ペダルの踏み具合を軽く確認した。 「いけそうかい、お嬢様?」 「問題はありませんわ……離れなさい、出ますわよ」 「ああ……気休めだけどさ、アンタならやれるよ」 「……ありがとう」  親指を立てるケイをコックピット越しに見下ろしつつ、機体を立ち上がらせる。 優雅な仕草でフェニックスに礼をさせ、ネリィは研究所の外に広がる景色を見た。 吹き荒れる、虹の色をしたナノマシンの嵐に蹂躙される大地。これが、結末か。 少女であった日に、エターナと二人で語り明かした夢の。 ***「ネリィ・オルソン……フェニックスガンダム、出ますわ!」 「機械だけを分解する兵器……行き過ぎた科学は魔法と紙一重ですわね」  この大地に散布され続けるナノマシンの悉くが、シスの操るサイコミュ兵器か。 軽く眩暈を覚えながら、フローレンス・キリシマは虹の色をした空を見上げる。 交錯する二機のターンタイプに、つまりそういうことなのだと納得して頷いた。 エリス・クロードが駆るガイア・ギア雷電が、この空間に健在している事実は。  それが人の思念で操るものならば、より強い思念で押し戻すことができる。 フローレンスの感性で言葉にすれば「要は気合いだ」という理屈であろう。 赤子を抱き呆然とするエリスを見やり、豊かな黒髪をくしゃっと指で弄んだ。 シスを圧倒し、ナノマシンの侵蝕を防いでいるのは、あの呆けた少女ではない。 赤子の純粋な生存本能によるものであろう。ならば戦いようがある。 「フン……準備ができたぞ、姫君」 「ありがとう、ブラッドさん。皆様にも」  寄せ集められた武器の小山を物色し、私物である日本刀を見つけて手に取る。 ずしっという確かな重量感が今は心強い。光線銃の類が分解されている以上は。 やるしかないだろう。フローレンスが決意の表情を浮かべ、∀を見上げる。 女バルチャーの思惑を察知し、ビリー・ブレイズ曹長が悲鳴のような声を上げた。 「てめえイカレてんのか!? そんなもんで、あの化け物とやり合うのかよ!」 「ワタクシは極めて正気ですわよ? シスを解放します、怨念の力から」 「やれると思ってんのか……?」 「やるっきゃねーだろ! ……ですわ」  唖然とする軍人達の前で、バルチャー仲間を背にフローレンスが親指を立てる。 くるりと踵を返すと、黒髪が揺れた。立ち尽くすマリア・オーエンスと目が合う。 警戒して身構えるシャダイの構成員に、フローレンスが切れ長の瞳を細めた。 ***「送って下さる? そのイカした青っちろい馬車で、ちょっくら雲の上まで」 「あなたねえ……! 私達の話をちゃんと聞いていたんですか……!?」 「シャア存続計画でしょう? その坊やに植えつけられた誰だかの記憶の一部が、  あの子の心の隙間に潜り込んで良くないことを吹き込んだとか……全く」  ガイア・ギア雷電の異様なフォルムを舐めるように眺めつつ、言葉を紡ぐ。 ぺちぺちと鞘で手を打つのは、フローレンスが苛立っているときの悪癖だ。 「余計なことをしてくれやがられましたわね?」 「地球連邦政府は派閥争いに明け暮れ、弱者を虐げるだけの組織だわ……。  だったら、追い詰められたネズミは肥え太った猫に噛みつくしかないんです!」 「極論ですわね。お偉いさんの全てがクソ野郎だってこともねーでしょうよ?」  マリアが向ける刺すような視線を意にも介さず、座した雷電の機体に足をかける。 器用に突起を伝ってコックピットに上がり、赤ん坊を抱くエリスの正面に立った。 呆けたまま、どこを見ているともしれぬ少女の頬を張る。乾いた音がした。  かちっという金属音。トニー・ジーンが骨董品の銃をフローレンスに向けている。 シスに機械とみなされないラインはそこか、とだけ思考しつつ少女の胸倉を掴んだ。 コレン・ナンダーと名づけられた不幸な赤ん坊が脅えた表情を見せる。 「モラトリアムは終わりですわよ、小娘さん」 「……っ! あなたなんかに、私の気持ちがわかるもんか!」 「ああ、わかりゃしねーよ! ……でも、これからすべきことはわかりますわ。  過去が変えられなくとも、罪は償えるものであり、名誉は挽回できるものです」 「でも……私は……」 「ウジウジしてんじゃないよ! 後悔は、全てが終わった後にするもんですわ!  そして、まだ……今んところギリギリまだ、何も終わっちゃあいねーんだ!」 「……!」 「くあ……っ!」  鈍い音がした。激痛に脂汗が噴き出ては、小さな球を作ってコックピットを汚す。 であろうとも、レイチェル・ランサムは視線を逸らさない。敵から目を逸らさない。 その強靭な精神力こそが、少女をフェニックスガンダムの主たらしめる所以である。 人類の未来を賭けた、もうひとつの明日を創りだすための機体の。  SYSTEM∀-99が左手にビームサーベルの刃を展開したと認識した瞬間、 再び機影が消えようとする。すかさず機体を急加速させ、肉薄したと同時に振動。 フェニックスの右手が、∀のビームサーベルに貫かれ、爆散していたのだ。 「この程度でえっ、やらせるもんかあーっ!」  咆哮。肘から上のない右手で∀の顔を殴りつけ、左手にビームサーベルを展開。 離れた間合いを再び詰めつつ、背中の翼からフェザーファンネルを放出していく。 「退くことだけはできない……やるしかッ!」  SYSTEM∀-99の胸部にあるビーム射出口が開いた。そこを、狙い撃つ。 ∀が放つスプレッドビームシャワーとフェザーファンネルのビームが衝突した。 閃光。無人の∀が、機械が勘で動くことなどない。カメラが機能しない状況なら、 レイチェルに分が生まれる。左手のビームサーベルを構え、突撃した。 「これで決めて見せる! 行けぇぇーッ!!」  右手を失った。∀の常軌を逸した機動性に、エターナ・フレイルは舌を打つ。 大気中を亜光速で飛び回り、AMBACで機体に負荷をかけつつ白兵戦をやる。 これが人間の業である筈がないのだ。いくらサイコミュでGが緩和されようとも、 決して0ではない。あの白い機体の中で、パイロットの肉体はどうなっているのか。 シス・ミットヴィルの人形のような姿を脳裏に浮かべ、エターナは吐き捨てる。 「これが……これが結果なのですか、これが……人という種の行き着いた……」 「違います! 思い込まないでエターナさん、結果では……ありませんわ!」  中破したフェニックスガンダムのコックピットで、ネリィ・オルソンは叫ぶ。 破壊からの再生を謳う不死鳥の名を冠する機体の中で叫ぶ。まだ終わりではないと。 高速機動がもたらすGでいくつか内臓が破損したらしい。黒ずんだ血を吐きつつ、 折れた両腕で操縦桿を握り締めた。激痛に思わず声が漏れる。 「くうっ……! 私達は……人類はまだ、道の半ばにいるのですよ!  この手で掴み、勝ち取るべき、もう一つの明日へと続く道です! エターナ!」  血液が気管に流れ込み、咳き込んだ。再び吐いた血がヘルメットを赤く染め、 視界を奪う。一瞬の逡巡の後、脱ぎ捨てた。濡れた金色の巻き毛が重たい。 「ハッ……どのみち、肉眼で捉えられるお相手ではありませんけれどね……!」  それでも見えるものが見えない状況は恐ろしいと思う。結局、自分は人間だから。 ああ、と息を吐き出す。そういうことなのだ。人は別の生き物にはなれないのだ。 宇宙に進出し、外宇宙へと旅立ったところで母なる地球への帰還を望む者が現れる。 しかし、それは決して恥ずべきことではないのだろう。 ***「最後の飛翔です……続きなさい、エターナ・フレイル!」 「はい! ネリィ・オルソン!」 「刻が未来に進むと決まってはいない……刻は巡り戻るものです! この命で、  この魂で……烙印を消し去り、黒くくすんだ未来をもう一つの明日に書き直す!」  互いのビームサーベルが、∀の胸部を貫き、フェニックスの頭部を両断した。 カメラがを失い、ただの壁と化したモニターに少女が怯んだ瞬間、∀の第二撃。 レイチェルは残存するフェザーファンネルを振り下ろされる刃の先に結集させ、 盾とすると同時に∀の手首を狙い撃たせる。爆発。フェザーファンネルが全壊し、 SYSTEM∀-99はビームサーベルを失った。 「うおおおおお!!」  ∀の胸に埋めたビームサーベルを右上に振り抜き、左肩ごと両断。勢いのまま、 右回転して横一文字に更なる斬撃を浴びせる。が、浅い。一瞬で間合いを外された。 SYSTEM∀-99が無表情にフェニックスガンダムを見据える。 「……来る!」  月光蝶。サイコミュによって制御し、兵器だけを分解するべきナノマシンの嵐。 無人の機械が繰り出す以上、それは全てを破壊する凶悪な兵器でしかないのだが。 であれば、∀が“すべて”を意味する記号であることは皮肉な話であろう。 「やらせるもんかあああああ!」  レイチェルの叫びに応え、フェニックスガンダムが背中の翼を広げ炎を発した。 紅蓮の炎は燃え上がりて巨大な翼を形成する。凶悪なる蝶の翅を焼き尽くすために、 ターンタイプの監視者たるフェニックスに与えられた力……バーニングファイア。 灰の中から甦るという不死鳥が、宇宙を駆ける――。  ターンXガンダムの握るビームサーベルが∀ガンダムの胸を串刺しにした瞬間、 ∀もまた両手のサーベルを交差させる形で振り下ろし、ターンXを斬り裂いた。 皮肉にもその胸部にXと読める傷を受け、ターンXガンダムが大地へと落ちて行く。 「今ですわ!」 「……わかってる!」  フローレンス・キリシマに反駁しつつ、エリス・クロードはペダルを踏み込む。 確かに、今しかない。今までエリスの力でナノマシンの侵蝕を凌げていたのは、 その攻撃が雷電単体に向けられていないからに過ぎないのだ。敵意を露わにすれば、 エリスのニュータイプ能力では月光蝶の集中攻撃を防ぎ切れまい。  フェニックスガンダムがナノマシンの嵐を焼き尽くしたこのタイミングでしか、 接近することすら叶わないのだ。その瞬間が訪れたことに、二人の心臓が高鳴る。 チャンスは一度きり。フェニックスガンダムが大破した今、二度目は永久にない。 あのシス・ミットヴィルを、SYSTEM∀-99の支配から解き放つ機会は。  ガイア・ギア雷電が疲弊した∀ガンダムの正面に取りつき、両腕を掴んだ。 出力が違い過ぎる。ほどこうとする∀に振り回され、ガタガタと機体が揺れた。 コックピットのハッチを開けると、強烈な嵐が二人の髪をバサバサとなびかせる。 月光蝶が再発動されたらしく、二人の眼前でハッチが徐々に分解されていった。 「後は任せるわ、フローレンス・キリシマ!」 「お、おうさ! 任されましてよ、エリス・クロード!」  上ずった声を上げ、フローレンスが日本刀を手に跳躍。∀の股間に位置する、 男性のそれを連想させるコックピットに鋭い斬撃を浴びせた。身体が流される。 そこにエリスがファンネルを飛ばし、これを足場にフローレンスが再び跳ねた。 第二撃でハッチに人間一人が通り抜けられそうな断面が生じる。 「っしゃー! なせばなるもんですわね! すげえぞアタイ!」 ***「強がりも貫き通せば本当の強さか……よくやる!」  三度目の跳躍でフローレンスがコックピット内に滑り込むのを見届け、離脱。 ガイア・ギア雷電が完全に分解される前に、何とか着陸しなければならない。 パイロットスーツの生命維持装置までもが分解されていく感触に鳥肌が立った。 「!」  とうとうガイア・ギア雷電のスラスターが分解され、重力のままに落ちて行く。 エリスが見上げる虹色の空を、飛翔するターンXガンダムが全速力で通り過ぎた。 その衝撃波でコックピットから投げ出され、不規則に回転しながら∀の姿を探す。 「……っ! バカな……!」  動いている。フローレンスの手でコアファイターを分離されたにも関わらず、 その白い悪魔は傷ついた機体を天高くまで飛翔させていた。遙か下方においては、 ターンXガンダムがこれを追っているものの、両機の距離は伸びる一方である。 そして、遂にSYSTEM∀-99は大気圏を越えた……。  墜ちていく。左手で、炎の壁と化した地球の大気に∀の頭部を圧しつけながら。 ガタガタと激しく震動する機体を制御しつつ、レイチェルはヘルメットを探す。 熱い。吐瀉物の酸っぱい臭いが気にはなるものの焼け死ぬよりはマシだろう。 ヘルメットを振って固体とも液体とも知れない物質をコックピット内に垂れ流し、 被る。髪が汚れるのは嫌だなと頭の片隅で思ったりもしながら。 「うあっ!?」  震動。∀の頭部が爆発し、四散。その衝撃でフェニックスの左手が吹き飛んだ。 バーニアを噴かせ、SYSTEM∀-99の機体にフェニックスを押しつける。 より激しさを増した揺れが、レイチェルには∀の断末魔のように思えた。 「それでも……! 人が安心して……眠るためには!」 ***「――現在、SYSTEM∀-99は巨大な繭を形成して眠りについている」  これまでの経緯を説明し終え、エルフリーデ・シュルツ少佐は軽く息をついた。 改めて、状況は芳しくない。∀は地球を臨む位置にあり、今なお停止しなかった。 破壊しようと近づく者を撃退せんと、繭のようなものを放っては攻撃してくる。 ∀はあの繭の中で、シス・ミットヴィルを取り込んだ際の損傷を修復中なのだろう。  であれば、こちらはターンXガンダムの修復を待ってはいられないのである。 ガルン・ルーファス中佐率いる遊撃隊が牽制してはいるものの、既に限界は近い。 オルソン中将がイワノフィック社の協力で蓄えた私兵を率いて∀を早急に討つ。 これが、家柄で得た地位とはいえ指揮系統の最高位にあるエルフリーデの使命だ。 「フェニックスガンダムは人類の切り札だということを肝に銘じてくれ。  その修理が完了するまで、貴官らにはシミュレーターでの訓練を受けて貰う」 「シミュレーター? 訓練?」  聞き慣れない単語の数々に、避難民のレイチェル・ランサムが首を傾げる。 理解できないのは、その言葉の意味でなく、それを平凡な少女に向ける意図だ。 エルフリーデがホワイトボードに綴る流麗な文字の羅列をぼんやり見ていると、 隣に座っているクレア・ヒースローがヒソヒソと耳打ちする。 「うちの会社で作った、超リアルな戦争シミュレーターがあるんだよ」 「……へえ?」 「エターナっちのターンXがあるでしょ? ニュースにもなってたよね。  あれに人類初のMS戦から地球圏を出てった時までの記録が残されてたわけ。  で、それを基にパパが作ったんだけど実戦さながらの臨場感だって評判だよ?」 「ふううん……」  曖昧な顔で頷き、レイチェルはホワイトボードに視線を戻す。エルフリーデが、 件の訓練の初期設定条件とそれに参加する第一メンバーの名前を書き連ねていた。      フェニックス・ゼロ:マーク・ギルダー      トルネードガンダム:ラナロウ・シェイド、エリス・クロード      メーインヘイムまたはマディア       艦長:ゼノン・ティーゲル特務中尉       副長:クレア・ヒースロー       通信士:ジュナス・リアム軍曹       操舵士:エルンスト・イェーガー       整備士:ケイ・ニムロッド  最後にレイチェル・ランサムと書き足され、少女は思わず椅子から転げ落ちた。  ナノマシンに分解され、地球に存在する機械の悉くが黄金の砂と化していた。 朝日を受け光輝く大地の上をルナ・シーン少尉はフェニックス・ゼロで飛翔する。 その眼下には、大破した∀とフェニックスガンダムが折り重なる形で墜落していた。 フェニックスの通信回線が死んでいるのも、ほぼ残骸と化していれば無理がない。 その主である少女の安否が気掛かりで、操縦桿を握る手に無用な力が入った。 「長靴をはいた猫は……生きて主と……幸せに暮らすんだぞ……!」  ひどく喉が渇く。あの黒猫のような少女を失うことが、今はたまらなく恐ろしい。  いつの間にか、少女はルナにとってそれだけ大きな存在となっていた。 「声を聞け! 応えろ! レイチェル・ランサム!」  とくん、と心臓が鳴る音を聞いたような気がして目を見開いた。生きている。 レイチェル・ランサムは、確かに生きている。あの残骸の中で。 「!」  SYSTEM∀-99の残骸が、白い糸のようなものを放ち繭を作り始めた。 まだ動けるのか、という戦慄。そして、それが少女を取り込まんとすることへの。 ブーストペダルを踏み込みフェニックス・ゼロを突撃させ、右腕を振りかぶる。 「……そこッ!」  フェニックスガンダムのコックピット周辺からレイチェルの鼓動を掴み取った。 即座に残骸から右腕を引き抜き、左腕を金色の砂漠に突き出して機体を支える。 ずずっと滑るその腕に、∀の糸が絡みついた。ぞくっと背筋が凍るような感触に、 鳥肌が立つ。このままでは二人ともあの白い繭の中に取り込まれてしまうだろう。 せめてレイチェルだけでもと思考した時……見えた、気がした。 「SYSTEM∀-99……お前は……寂しい……のか……?」  衝撃。バランスを崩し、フェニックス・ゼロの左半身が金色の砂漠に埋もれる。 翼のメガビームキャノンで右腕を撃ち抜き、レイチェルごと不時着させつつ、 コックピットのハッチを開いた。腰から抜いたナイフを手に這い出る。 「だが……私だって一人は嫌だ……渡せない……」  パイロットスーツ越しに金色の砂を踏み締め、ルナはヘルメットを脱ぎ捨てた。 首を振ると、不思議なまでに清々しい空気が鼻孔をくすぐる。皮肉なことに、 かつては汚染され尽くしていた筈の大気が一連の騒乱によって浄化されていた。  ああ、と息をつく。これが答なのだ、人の叡智が生み出したものたちの。 シス・ミットヴィルとSYSTEM∀-99は、これを人類が果たすべき、 母なる地球への贖罪だと結論づけたのだ。 ***「生命の灯をともしたというのか……青く眠る……水の星に……」  その、接吻で。ナイフを定位置に収め、ルナはレイチェルの元へと歩き出す。 一つの時代が終わった。そして今、この瞬間から新たな時代が幕を開けるだろう。 再生へと向かう大地に風が吹いた。金色のさざ波は、大空の唇に生まれた吐息。 それはやがてふわっと空中に舞い上がり、吹く風に色をつける。光る風の中、 聞こえて来る少女の声にルナが穏やかに微笑んだ。 #amazon2(600x520)
[[もどる>ガンダムF(仮題)]] #contents() 「!」  SYSTEM∀-99が消えた。文字通り、目の前から。次の瞬間、回線から悲鳴。 後方で支援に回っていたエリス・クロードの声だ。どくんと心臓が跳ねるように鳴る。 そんな馬鹿なと戦慄し、レイチェル・ランサムはレーダー上の光点を目で追った。 異常としか言いようのない移動距離。再び光点が消えた瞬間、背筋が悪寒で凍りつく。  反射的にブーストペダルを踏みこみ、フェニックスガンダムの機体を急加速させた。 苛烈なGに、レイチェルのどちらかといえば華奢な身体という身体が悲鳴を上げる。 飛びかけた意識を気力で強引に引き戻すと、酸っぱいものが小さな胸にこみ上げた。 「……ッ! 来たっ!」  げえっと嘔吐しつつ、涙で霞む視界の端にレーダー上の光点を捉える。すぐ後ろ。 ビームサーベルの斬撃を空振りした姿勢のまま、SYSTEM∀-99が見ている。 コックピット越しに、見ている。レイチェル・ランサムという少女を。  SYSTEM∀-99が無表情にビームサーベルを構えた。第二撃が、来る。 レイチェルは操縦桿を引き、フェニックスを上昇させた。宇宙空間で上昇というのも、 おかしな話ではあるが。角度を微調整しつつトンボ返りに敵の姿を正面に捉える。 吐寫物にまみれたヘルメットを脱ぎ捨て、咆哮。凶悪な赤いビームサーベルを握る、 SYSTEM∀-99の右手首を一気に蹴り上げた。 「甘く……見ないでよね……アタシにだって……ッ!」  極論を言うなれば、人という種は限界を迎え行き詰ったということになる。 その事変に関して、シス・ミットヴィルという少女の意志が介在したものだろうか。 最早シスが歩んできた生について語る意味はなく、論点は決してそこではない。  月光蝶。機械だけを葬り敵の命すら救おうという、真のニュータイプが振るう剣。 それが人類の文明そのものを滅ぼすべく発動した事実は、既に動かしようがないのだ。 機械化された食糧生産システムに頼り切った人類が、この状況で生き延びられようか。 ぎりっと歯噛みし、エターナ・フレイルはターンXガンダムを起動させる。数年前に、 外宇宙からこの地球への旅路を共に歩んだ機体を。 「私が招いた災厄だ……世界が……眠りにつく……!」 『エターナさん、聞こえますか? ネリィです、応答なさいエターナさん!』  ネリィ・オルソン。この地球でできた初めての友人の声。通信回線を開くと、 ネリィの怒っているような、それでいて泣き出しそうな顔がモニターに映し出される。 自身も同じ表情を浮かべていると自覚する余裕は、今のエターナにはない。 『御自分の責任だと思い詰めるなと言っても無駄なのでしょうね……。  ですが、自分一人で責任を取ろうなどと思い込むのはおやめなさい!』 「ネリィさん……でも……私は……ッ!」 『私も調整が済み次第フェニックスで出ます! それまで持ち堪えて!』 「ネリィさん!?」 『いいですね、エターナさん! 一人ではありませんよ!』 「……はい」  回線を音声通信のそれに切り換えた。∀が発するナノマシンの嵐で荒廃した大地が、 ネリィの顔に代わってモニターに映し出される。零れ落ちる涙を拭い、見据えた。 倒すべき敵を。人の手で形を得た、己が罪の姿を。 ***「ターンXガンダム、エターナ……発進します!」 「冗談じゃないよ!」  ネリィの言葉に、フェニックスガンダムの整備士ケイ・ニムロッドは声を荒げた。 リミッターを解除しろという。元々フェニックスはターンXのデータから開発された、 いわば∀の兄弟機である。その性能も二機のターンタイプに劣ることはないのだ。 ニュータイプになれない常人が乗ることを想定しさえしなければ。  サイコミュには人の思念を物理的なエネルギーに変換する機能がある。であれば、 強力なニュータイプならパイロットにかかるGを緩和する力場を形成し得るだろう。 ニュータイプの世界で作られたターンXの規格には、そういう前提条件がある。 だが、フェニックスはそれを見落としたまま設計されたのだ。普通の人間ならば、 機体の全性能を引き出す前に即死するだけだろう。 「いいかい、お嬢様。こいつは化け物なんだよ、マトモな人間が乗る機体じゃない」 「これは同じ化け物を相手にするためのマシーンです、当然でしょう?」 「アンタ、死にたいのかい!?」 「死にに行くのではありませんわ。この世界のため、友のために命を賭けるのです!」 「しかしアンタは……!」 「人の生み出した機械である限り、解き放たれた不死鳥は私の声に応えてくれます!  サイコミュなどは、この魂で従えるまでです!」  有無を言わせぬ眼差し。それは人の上に立つ家に生まれた者故のものであろうか。 かつて宇宙貴族主義なるものが提唱されたが彼らの言う支配者に相応しい貴族とは、 この女性のような者のことであろう。ネリィが発する強烈な威圧感に気押され、 ケイはリミッター解除のコードをフェニックスのOSに打ち込んだ。  特徴的なブロンドの巻き毛を耳の上で括り上げて専用のヘルメットに納めつつ、 ネリィはケイと入れ替わる形でフェニックスのコックピットに乗り込む。 テストパイロットを務めるマーク・ギルダーに合わせていたシートの高さを調整し、 ペダルの踏み具合を軽く確認した。 「いけそうかい、お嬢様?」 「問題はありませんわ……離れなさい、出ますわよ」 「ああ……気休めだけどさ、アンタならやれるよ」 「……ありがとう」  親指を立てるケイをコックピット越しに見下ろしつつ、機体を立ち上がらせる。 優雅な仕草でフェニックスに礼をさせ、ネリィは研究所の外に広がる景色を見た。 吹き荒れる、虹の色をしたナノマシンの嵐に蹂躙される大地。これが、結末か。 少女であった日に、エターナと二人で語り明かした夢の。 ***「ネリィ・オルソン……フェニックスガンダム、出ますわ!」 「機械だけを分解する兵器……行き過ぎた科学は魔法と紙一重ですわね」  この大地に散布され続けるナノマシンの悉くが、シスの操るサイコミュ兵器か。 軽く眩暈を覚えながら、フローレンス・キリシマは虹の色をした空を見上げる。 交錯する二機のターンタイプに、つまりそういうことなのだと納得して頷いた。 エリス・クロードが駆るガイア・ギア雷電が、この空間に健在している事実は。  それが人の思念で操るものならば、より強い思念で押し戻すことができる。 フローレンスの感性で言葉にすれば「要は気合いだ」という理屈であろう。 赤子を抱き呆然とするエリスを見やり、豊かな黒髪をくしゃっと指で弄んだ。 シスを圧倒し、ナノマシンの侵蝕を防いでいるのは、あの呆けた少女ではない。 赤子の純粋な生存本能によるものであろう。ならば戦いようがある。 「フン……準備ができたぞ、姫君」 「ありがとう、ブラッドさん。皆様にも」  寄せ集められた武器の小山を物色し、私物である日本刀を見つけて手に取る。 ずしっという確かな重量感が今は心強い。光線銃の類が分解されている以上は。 やるしかないだろう。フローレンスが決意の表情を浮かべ、∀を見上げる。 女バルチャーの思惑を察知し、ビリー・ブレイズ曹長が悲鳴のような声を上げた。 「てめえイカレてんのか!? そんなもんで、あの化け物とやり合うのかよ!」 「ワタクシは極めて正気ですわよ? シスを解放します、怨念の力から」 「やれると思ってんのか……?」 「やるっきゃねーだろ! ……ですわ」  唖然とする軍人達の前で、バルチャー仲間を背にフローレンスが親指を立てる。 くるりと踵を返すと、黒髪が揺れた。立ち尽くすマリア・オーエンスと目が合う。 警戒して身構えるシャダイの構成員に、フローレンスが切れ長の瞳を細めた。 ***「送って下さる? そのイカした青っちろい馬車で、ちょっくら雲の上まで」 「あなたねえ……! 私達の話をちゃんと聞いていたんですか……!?」 「シャア存続計画でしょう? その坊やに植えつけられた誰だかの記憶の一部が、  あの子の心の隙間に潜り込んで良くないことを吹き込んだとか……全く」  ガイア・ギア雷電の異様なフォルムを舐めるように眺めつつ、言葉を紡ぐ。 ぺちぺちと鞘で手を打つのは、フローレンスが苛立っているときの悪癖だ。 「余計なことをしてくれやがられましたわね?」 「地球連邦政府は派閥争いに明け暮れ、弱者を虐げるだけの組織だわ……。  だったら、追い詰められたネズミは肥え太った猫に噛みつくしかないんです!」 「極論ですわね。お偉いさんの全てがクソ野郎だってこともねーでしょうよ?」  マリアが向ける刺すような視線を意にも介さず、座した雷電の機体に足をかける。 器用に突起を伝ってコックピットに上がり、赤ん坊を抱くエリスの正面に立った。 呆けたまま、どこを見ているともしれぬ少女の頬を張る。乾いた音がした。  かちっという金属音。トニー・ジーンが骨董品の銃をフローレンスに向けている。 シスに機械とみなされないラインはそこか、とだけ思考しつつ少女の胸倉を掴んだ。 コレン・ナンダーと名づけられた不幸な赤ん坊が脅えた表情を見せる。 「モラトリアムは終わりですわよ、小娘さん」 「……っ! あなたなんかに、私の気持ちがわかるもんか!」 「ああ、わかりゃしねーよ! ……でも、これからすべきことはわかりますわ。  過去が変えられなくとも、罪は償えるものであり、名誉は挽回できるものです」 「でも……私は……」 「ウジウジしてんじゃないよ! 後悔は、全てが終わった後にするもんですわ!  そして、まだ……今んところギリギリまだ、何も終わっちゃあいねーんだ!」 「……!」 「くあ……っ!」  鈍い音がした。激痛に脂汗が噴き出ては、小さな球を作ってコックピットを汚す。 であろうとも、レイチェル・ランサムは視線を逸らさない。敵から目を逸らさない。 その強靭な精神力こそが、少女をフェニックスガンダムの主たらしめる所以である。 人類の未来を賭けた、もうひとつの明日を創りだすための機体の。  SYSTEM∀-99が左手にビームサーベルの刃を展開したと認識した瞬間、 再び機影が消えようとする。すかさず機体を急加速させ、肉薄したと同時に振動。 フェニックスの右手が、∀のビームサーベルに貫かれ、爆散していたのだ。 「この程度でえっ、やらせるもんかあーっ!」  咆哮。肘から上のない右手で∀の顔を殴りつけ、左手にビームサーベルを展開。 離れた間合いを再び詰めつつ、背中の翼からフェザーファンネルを放出していく。 「退くことだけはできない……やるしかッ!」  SYSTEM∀-99の胸部にあるビーム射出口が開いた。そこを、狙い撃つ。 ∀が放つスプレッドビームシャワーとフェザーファンネルのビームが衝突した。 閃光。無人の∀が、機械が勘で動くことなどない。カメラが機能しない状況なら、 レイチェルに分が生まれる。左手のビームサーベルを構え、突撃した。 「これで決めて見せる! 行けぇぇーッ!!」  右手を失った。∀の常軌を逸した機動性に、エターナ・フレイルは舌を打つ。 大気中を亜光速で飛び回り、AMBACで機体に負荷をかけつつ白兵戦をやる。 これが人間の業である筈がないのだ。いくらサイコミュでGが緩和されようとも、 決して0ではない。あの白い機体の中で、パイロットの肉体はどうなっているのか。 シス・ミットヴィルの人形のような姿を脳裏に浮かべ、エターナは吐き捨てる。 「これが……これが結果なのですか、これが……人という種の行き着いた……」 「違います! 思い込まないでエターナさん、結果では……ありませんわ!」  中破したフェニックスガンダムのコックピットで、ネリィ・オルソンは叫ぶ。 破壊からの再生を謳う不死鳥の名を冠する機体の中で叫ぶ。まだ終わりではないと。 高速機動がもたらすGでいくつか内臓が破損したらしい。黒ずんだ血を吐きつつ、 折れた両腕で操縦桿を握り締めた。激痛に思わず声が漏れる。 「くうっ……! 私達は……人類はまだ、道の半ばにいるのですよ!  この手で掴み、勝ち取るべき、もう一つの明日へと続く道です! エターナ!」  血液が気管に流れ込み、咳き込んだ。再び吐いた血がヘルメットを赤く染め、 視界を奪う。一瞬の逡巡の後、脱ぎ捨てた。濡れた金色の巻き毛が重たい。 「ハッ……どのみち、肉眼で捉えられるお相手ではありませんけれどね……!」  それでも見えるものが見えない状況は恐ろしいと思う。結局、自分は人間だから。 ああ、と息を吐き出す。そういうことなのだ。人は別の生き物にはなれないのだ。 宇宙に進出し、外宇宙へと旅立ったところで母なる地球への帰還を望む者が現れる。 しかし、それは決して恥ずべきことではないのだろう。 ***「最後の飛翔です……続きなさい、エターナ・フレイル!」 「はい! ネリィ・オルソン!」 「刻が未来に進むと決まってはいない……刻は巡り戻るものです! この命で、  この魂で……烙印を消し去り、黒くくすんだ未来をもう一つの明日に書き直す!」  互いのビームサーベルが、∀の胸部を貫き、フェニックスの頭部を両断した。 カメラがを失い、ただの壁と化したモニターに少女が怯んだ瞬間、∀の第二撃。 レイチェルは残存するフェザーファンネルを振り下ろされる刃の先に結集させ、 盾とすると同時に∀の手首を狙い撃たせる。爆発。フェザーファンネルが全壊し、 SYSTEM∀-99はビームサーベルを失った。 「うおおおおお!!」  ∀の胸に埋めたビームサーベルを右上に振り抜き、左肩ごと両断。勢いのまま、 右回転して横一文字に更なる斬撃を浴びせる。が、浅い。一瞬で間合いを外された。 SYSTEM∀-99が無表情にフェニックスガンダムを見据える。 「……来る!」  月光蝶。サイコミュによって制御し、兵器だけを分解するべきナノマシンの嵐。 無人の機械が繰り出す以上、それは全てを破壊する凶悪な兵器でしかないのだが。 であれば、∀が“すべて”を意味する記号であることは皮肉な話であろう。 「やらせるもんかあああああ!」  レイチェルの叫びに応え、フェニックスガンダムが背中の翼を広げ炎を発した。 紅蓮の炎は燃え上がりて巨大な翼を形成する。凶悪なる蝶の翅を焼き尽くすために、 ターンタイプの監視者たるフェニックスに与えられた力……バーニングファイア。 灰の中から甦るという不死鳥が、宇宙を駆ける――。  ターンXガンダムの握るビームサーベルが∀ガンダムの胸を串刺しにした瞬間、 ∀もまた両手のサーベルを交差させる形で振り下ろし、ターンXを斬り裂いた。 皮肉にもその胸部にXと読める傷を受け、ターンXガンダムが大地へと落ちて行く。 「今ですわ!」 「……わかってる!」  フローレンス・キリシマに反駁しつつ、エリス・クロードはペダルを踏み込む。 確かに、今しかない。今までエリスの力でナノマシンの侵蝕を凌げていたのは、 その攻撃が雷電単体に向けられていないからに過ぎないのだ。敵意を露わにすれば、 エリスのニュータイプ能力では月光蝶の集中攻撃を防ぎ切れまい。  フェニックスガンダムがナノマシンの嵐を焼き尽くしたこのタイミングでしか、 接近することすら叶わないのだ。その瞬間が訪れたことに、二人の心臓が高鳴る。 チャンスは一度きり。フェニックスガンダムが大破した今、二度目は永久にない。 あのシス・ミットヴィルを、SYSTEM∀-99の支配から解き放つ機会は。  ガイア・ギア雷電が疲弊した∀ガンダムの正面に取りつき、両腕を掴んだ。 出力が違い過ぎる。ほどこうとする∀に振り回され、ガタガタと機体が揺れた。 コックピットのハッチを開けると、強烈な嵐が二人の髪をバサバサとなびかせる。 月光蝶が再発動されたらしく、二人の眼前でハッチが徐々に分解されていった。 「後は任せるわ、フローレンス・キリシマ!」 「お、おうさ! 任されましてよ、エリス・クロード!」  上ずった声を上げ、フローレンスが日本刀を手に跳躍。∀の股間に位置する、 男性のそれを連想させるコックピットに鋭い斬撃を浴びせた。身体が流される。 そこにエリスがファンネルを飛ばし、これを足場にフローレンスが再び跳ねた。 第二撃でハッチに人間一人が通り抜けられそうな断面が生じる。 「っしゃー! なせばなるもんですわね! すげえぞアタイ!」 ***「強がりも貫き通せば本当の強さか……よくやる!」  三度目の跳躍でフローレンスがコックピット内に滑り込むのを見届け、離脱。 ガイア・ギア雷電が完全に分解される前に、何とか着陸しなければならない。 パイロットスーツの生命維持装置までもが分解されていく感触に鳥肌が立った。 「!」  とうとうガイア・ギア雷電のスラスターが分解され、重力のままに落ちて行く。 エリスが見上げる虹色の空を、飛翔するターンXガンダムが全速力で通り過ぎた。 その衝撃波でコックピットから投げ出され、不規則に回転しながら∀の姿を探す。 「……っ! バカな……!」  動いている。フローレンスの手でコアファイターを分離されたにも関わらず、 その白い悪魔は傷ついた機体を天高くまで飛翔させていた。遙か下方においては、 ターンXガンダムがこれを追っているものの、両機の距離は伸びる一方である。 そして、遂にSYSTEM∀-99は大気圏を越えた……。  墜ちていく。左手で、炎の壁と化した地球の大気に∀の頭部を圧しつけながら。 ガタガタと激しく震動する機体を制御しつつ、レイチェルはヘルメットを探す。 熱い。吐瀉物の酸っぱい臭いが気にはなるものの焼け死ぬよりはマシだろう。 ヘルメットを振って固体とも液体とも知れない物質をコックピット内に垂れ流し、 被る。髪が汚れるのは嫌だなと頭の片隅で思ったりもしながら。 「うあっ!?」  震動。∀の頭部が爆発し、四散。その衝撃でフェニックスの左手が吹き飛んだ。 バーニアを噴かせ、SYSTEM∀-99の機体にフェニックスを押しつける。 より激しさを増した揺れが、レイチェルには∀の断末魔のように思えた。 「それでも……! 人が安心して……眠るためには!」 ***「――現在、SYSTEM∀-99は巨大な繭を形成して眠りについている」  これまでの経緯を説明し終え、エルフリーデ・シュルツ少佐は軽く息をついた。 改めて、状況は芳しくない。∀は地球を臨む位置にあり、今なお停止しなかった。 破壊しようと近づく者を撃退せんと、繭のようなものを放っては攻撃してくる。 ∀はあの繭の中で、シス・ミットヴィルを取り込んだ際の損傷を修復中なのだろう。  であれば、こちらはターンXガンダムの修復を待ってはいられないのである。 ガルン・ルーファス中佐率いる遊撃隊が牽制してはいるものの、既に限界は近い。 オルソン中将がイワノフィック社の協力で蓄えた私兵を率いて∀を早急に討つ。 これが、家柄で得た地位とはいえ指揮系統の最高位にあるエルフリーデの使命だ。 「フェニックスガンダムは人類の切り札だということを肝に銘じてくれ。  その修理が完了するまで、貴官らにはシミュレーターでの訓練を受けて貰う」 「シミュレーター? 訓練?」  聞き慣れない単語の数々に、避難民のレイチェル・ランサムが首を傾げる。 理解できないのは、その言葉の意味でなく、それを平凡な少女に向ける意図だ。 エルフリーデがホワイトボードに綴る流麗な文字の羅列をぼんやり見ていると、 隣に座っているクレア・ヒースローがヒソヒソと耳打ちする。 「うちの会社で作った、超リアルな戦争シミュレーターがあるんだよ」 「……へえ?」 「エターナっちのターンXがあるでしょ? ニュースにもなってたよね。  あれに人類初のMS戦から地球圏を出てった時までの記録が残されてたわけ。  で、それを基にパパが作ったんだけど実戦さながらの臨場感だって評判だよ?」 「ふううん……」  曖昧な顔で頷き、レイチェルはホワイトボードに視線を戻す。エルフリーデが、 件の訓練の初期設定条件とそれに参加する第一メンバーの名前を書き連ねていた。      フェニックス・ゼロ:マーク・ギルダー      トルネードガンダム:ラナロウ・シェイド、エリス・クロード      メーインヘイムまたはマディア       艦長:ゼノン・ティーゲル特務中尉       副長:クレア・ヒースロー       通信士:ジュナス・リアム軍曹       操舵士:エルンスト・イェーガー       整備士:ケイ・ニムロッド  最後にレイチェル・ランサムと書き足され、少女は思わず椅子から転げ落ちた。  ナノマシンに分解され、地球に存在する機械の悉くが黄金の砂と化していた。 朝日を受け光輝く大地の上をルナ・シーン少尉はフェニックス・ゼロで飛翔する。 その眼下には、大破した∀とフェニックスガンダムが折り重なる形で墜落していた。 フェニックスの通信回線が死んでいるのも、ほぼ残骸と化していれば無理がない。 その主である少女の安否が気掛かりで、操縦桿を握る手に無用な力が入った。 「長靴をはいた猫は……生きて主と……幸せに暮らすんだぞ……!」  ひどく喉が渇く。あの黒猫のような少女を失うことが、今はたまらなく恐ろしい。  いつの間にか、少女はルナにとってそれだけ大きな存在となっていた。 「声を聞け! 応えろ! レイチェル・ランサム!」  とくん、と心臓が鳴る音を聞いたような気がして目を見開いた。生きている。 レイチェル・ランサムは、確かに生きている。あの残骸の中で。 「!」  SYSTEM∀-99の残骸が、白い糸のようなものを放ち繭を作り始めた。 まだ動けるのか、という戦慄。そして、それが少女を取り込まんとすることへの。 ブーストペダルを踏み込みフェニックス・ゼロを突撃させ、右腕を振りかぶる。 「……そこッ!」  フェニックスガンダムのコックピット周辺からレイチェルの鼓動を掴み取った。 即座に残骸から右腕を引き抜き、左腕を金色の砂漠に突き出して機体を支える。 ずずっと滑るその腕に、∀の糸が絡みついた。ぞくっと背筋が凍るような感触に、 鳥肌が立つ。このままでは二人ともあの白い繭の中に取り込まれてしまうだろう。 せめてレイチェルだけでもと思考した時……見えた、気がした。 「SYSTEM∀-99……お前は……寂しい……のか……?」  衝撃。バランスを崩し、フェニックス・ゼロの左半身が金色の砂漠に埋もれる。 翼のメガビームキャノンで右腕を撃ち抜き、レイチェルごと不時着させつつ、 コックピットのハッチを開いた。腰から抜いたナイフを手に這い出る。 「だが……私だって一人は嫌だ……渡せない……」  パイロットスーツ越しに金色の砂を踏み締め、ルナはヘルメットを脱ぎ捨てた。 首を振ると、不思議なまでに清々しい空気が鼻孔をくすぐる。皮肉なことに、 かつては汚染され尽くしていた筈の大気が一連の騒乱によって浄化されていた。  ああ、と息をつく。これが答なのだ、人の叡智が生み出したものたちの。 シス・ミットヴィルとSYSTEM∀-99は、これを人類が果たすべき、 母なる地球への贖罪だと結論づけたのだ。 ***「生命の灯をともしたというのか……青く眠る……水の星に……」  その、接吻で。ナイフを定位置に収め、ルナはレイチェルの元へと歩き出す。 一つの時代が終わった。そして今、この瞬間から新たな時代が幕を開けるだろう。 再生へと向かう大地に風が吹いた。金色のさざ波は、大空の唇に生まれた吐息。 それはやがてふわっと空中に舞い上がり、吹く風に色をつける。光る風の中、 聞こえて来る少女の声にルナが穏やかに微笑んだ。  人が言葉を持ちながら、戦うことでしか意思の疎通ができない事実は不幸だと思う。 地球の復興に全てを捧げてきた人々が、外宇宙からの帰還者達を拒むのは必然だった。 その根底には、文明が無に帰した元凶は彼らにあるのだという敵意がある。  放蕩息子は兄に拒絶され、優しく出迎えてくれる父の姿を月で待ち続けたのだ。 二千年という、気が遠くなるほどの歳月を。狂おしいほどに恋い焦がれながら。 憤りが互いに歴史を歪めてしまい、両者の溝を深めていく結果は愚劣であるが。  人が言葉を持ちながら、戦うことでしか意思の疎通ができない事実は不幸だと思う。 それでも人類が、歴史を重ねてきたことには意味がある。何度も過ちを犯しながらも、 人は前に進んでいけるのだ。いつだって、人は……。  ロラン・セアックの背中を見送り、SYSTEM∀-99は再び長い眠りにつく。 一つの時代が終わった。そして今、この瞬間から新たな時代が幕を開けるだろう。  どうかその限りなき旅路に、幸あらんことを――。          ―― 完 ―― #amazon2(600x520)

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