作品別用語集 - 秋月公記 Part.2

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#contents(fromhere=true) ---- ここでは「秋月公記」における敵武将やその他の登場人物について解説しています。 アイマスキャラ及び秋月家については[[Part.1>秋月公記]]を参照してください。 一部、ちくぜんP自身による設定変更の結果として役職・官位が追加されたものがあります(本編33話中で公表)。 ---- *◆少弐家 ---- 冬尚以外は能力値は8話時点 **[[少弐冬尚(しょうに・ふゆひさ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%BC%90%E5%86%AC%E5%B0%9A]] -初期能力 政治:49 統率:23 知略:48 教養:63 義理:21 特技:なし -少弐家第十七代当主。史実では最後の少弐家当主。 -史実では父・資元の死後、一時滅亡していた少弐家を1540年に再興した。 -馬場頼周と龍造寺家兼の対立などもあって、結果として元家臣の龍造寺家と20年近く争うこととなり、1559年に最終的に敗死した。 -本作では宿敵・龍造寺と大大名・大内と敵対してる状況で、1557年に秋月方である中立の萩原衆に攻め込んで国力を高めようとした。 -その初戦で自身は秋月晴種に討ち取られて死亡したため、一度も紙芝居パートに登場することが出来なかった。 --本編開始前のOP戦闘でいきなり退場したのはちくぜんPにとっても想定外だった模様。 --ただし、ちくぜんP自身が登録武将に冬尚の弟を偶然にも登録していたため、少弐家が存続可能だったということで結果は差し戻されなかった。やはり不憫である。 -以後本編の少弐家は弟の政興が継いだ。 --萩原衆を攻めたことが少弐家にとって敵を増やす結果となったことは否定できない。 --その後大友から独立した菊池氏も含め、周辺の4家と敵対する羽目となった。 ---結果的に菊地家との激戦で疲労した隙を秋月に攻められ、大名としての小弐家は滅亡した。 **[[少弐政興(しょうに・まさおき)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%BC%90%E6%94%BF%E8%88%88]] -初期能力 政治:22 統率:68 知略:33 教養:43 義理:21 特技:突撃壱 ※登録武将 -少弐資元の三男。少弐冬尚・千葉胤頼の実弟。 -史実では馬場鑑周とともに少弐家再興を目指したが、龍造寺に敗れて叶わなかった。 -本作ではいきなり兄の冬尚が戦死したため、少弐家第十八代当主となる。 -継いだ直後は家臣が動揺したとのことだが、一説によれば顔のせいとも言われる。 #region(close,ネタバレ<コメント>) 実は「三國志11」の顔良のグラフィックを流用したもの。 #endregion -大名の頃の性格は調略も駆使するなど優秀な当主であったが、秋月家に敗れた後は性格的な意味で暗転した。 --涼の容姿に堕落してしまい、文種の秘密結社の会員となる。以後は少弐家そっちのけのダメ人間と化した。 --そのため神代勝利・小田政光・江上武種・馬場鑑周ら少弐旧臣は嘆くばかりである。 **[[千葉胤頼(ちば・たねより)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E8%83%A4%E9%A0%BC]] -初期能力 政治:53 統率:39 知略:16 教養:63 義理:50 特技:なし ※登録武将 -少弐資元の次男。少弐冬尚の弟、政興の兄。 -祇園千葉氏の婿養子となったため、千葉姓である。 -史実では龍造寺と対立した冬尚を支援、兄・冬尚と同時に敗死している。 -本作では少弐滅亡後秋月家に降ったが、弟と同じく涼の容姿に堕落してしまった。 --そのため、紙芝居パートでは義兄の胤連より出番が格段に多い。 **[[神代勝利(くましろ・かつとし)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E5%8B%9D%E5%88%A9]] -初期能力 政治:48 統率:74 知略:75 教養:70 義理:71 特技:混乱・槍衾壱 -少弐家臣。史実では東肥前十九城将の一人。 -史実では主家・少弐氏と同じく、龍造寺家と長男・長良とともに長年争ったが最終的に敗れた。 -龍造寺隆信との戦いは一進一退であり、優れた将であったことは疑いようがない。 -本作では少弐家滅亡後に秋月家に仕える。 --戦場におけるアイドル達の武将Pの一人として活躍している。 --知勇に長けるほか、観察眼も鋭い。義にも厚いため秋月家中でも信頼されている。 **[[神代長良(くましろ・ながよし)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E9%95%B7%E8%89%AF]] -初期能力 政治:53 統率:41 知略:32 教養:53 義理:39 特技:なし -少弐家臣。父の隠居後に家督を継いだ。 -史実では父の死後に龍造寺と和睦してその家臣となったが、沖田畷の戦いで戦死した。 -本編では父同様に少弐家滅亡後は秋月家に仕える。 --父が健在のためか、本編に登場することは少ない。 **[[江上武種(えがみ・たけたね)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E4%B8%8A%E6%AD%A6%E7%A8%AE]] -初期能力 政治:21 統率:69 知略:65 教養:46 義理:77 特技:挑発・突撃壱 -少弐家臣。史実では東肥前十九城将の一人。 -史実では神代勝利とともに龍造寺に対抗したが、主君の冬尚が敗死した後は龍造寺に属した。 -本編では夢子にとって主君かつ事実上の養父であるため、紙芝居パート・ゲーム上でも非常に出番が多い。 -性格は常識人だが、夢子にはかなり甘いところがある。 --実子がいないこともあって、夢子のことを本当の娘のように思っており、その将来を案じている。 --本作では少弐家滅亡後、夢子とともに秋月家に仕える。 **[[執行種兼(しぎょう・たねかね)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E7%A8%AE%E5%85%BC]] -初期能力 政治:40 統率:65 知略:52 教養:43 義理:62 特技:槍衾壱 -江上武種家臣。史実では肥前櫛田宮の執行別当職を務め、また旗下の城原衆を率いて武家としても活躍した。 -本作では武種の家臣であることから出番が多い。また少弐滅亡後は龍造寺に登用され、真や直茂とともに秋月家に対抗した。 --龍造寺滅亡後、追撃してきたかつての主君・武種に説得され秋月家に降伏。元の鞘に収まることになった。 -主君に似て常識人かつ、義にも厚い。そのため仕えた主家からは非常に信頼されている。 **[[小田政光(おだ・まさみつ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%94%BF%E5%85%89]] -初期能力 政治:69 統率:55 知略:64 教養:59 義理:25 特技:収拾・斉射壱 -少弐家臣。史実では東肥前十九城将の一人。 -史実では1553年に龍造寺家に敗れ投降したが、1558年に神代勝利・江上武種との戦いに敗れて戦死した。 --このときに隆信に援軍要請を黙殺された上、自身が死んだ後は居城であった蓮池小曲城も攻め込まれて奪われたという。 -本編では常識人だが、秋月に属した後は少弐直系の駄目兄弟の面倒を見る苦労人ポジションになってしまっている。 **[[千葉胤連(ちば・たねつら)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E8%83%A4%E9%80%A3]] -初期能力 政治:39 統率:60 知略:61 教養:30 義理:17 特技:混乱・突撃壱 ※登録武将 -九州千葉氏(晴気系)の出身。ゲーム上では少弐家臣。 -史実では鍋島直茂の養父となった時期がある。龍造寺家とはそのこともあって友好関係を築いていた。 -本編においては非常に影が薄く、紙芝居パートでもほぼ出番なし。また史実の設定が生かされたこともない。 -ちなみに出撃する機会は割りとあるのだが、部隊の壊滅率が非常に高い。 **馬場鑑周(ばば・あきちか) -初期能力 政治:49 統率:56 知略:42 教養:47 義理:67 特技:槍衾壱 ※登録武将 -少弐家臣。少弐家謀将・馬場頼周の孫に当たり、史実では東肥前十九城将の一人。 -史実では政興を支援し、少弐家再興を目指したが龍造寺に破れて主家再興は叶わなかった。 -本編では秋月家の謀略に対し、政興とともに対処した。また秋月家との主戦論派であった武種とはやや対立気味だった。 --本作では少弐家滅亡後、宿敵のはずの龍造寺に仕えている。 --龍造寺滅亡後は秋月家に仕えることになるが、政興や胤頼の変わりように憤慨することに。 ---- *◆大友家 ---- **[[大友義鎮(おおとも・よししげ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E7%BE%A9%E9%8E%AE]] -初期能力 政治:77 統率:73+6 知略:67 教養:74 義理:2 特技:斉射弐・破壊 役職:御相伴衆 -大友家第21代当主。一般には出家後の法号である宗麟の通称の方が有名か。 -九州屈指の戦略家であり、特に外交手腕に長け、大友家の最盛期を築き一時は筑前・筑後・豊後・豊前に加え、日向や肥後も影響下に置くなど、実質6ヶ国を支配した。 --一方で戦術家としては欠けるところがあり、結果として大友家を弱体化させることにも繋がったのだが。 -だが1570年の今川の戦いで龍造寺に、1578年の耳川の戦いで島津に大敗して、勢力を減退させた。特に後者では重臣の大半を失い、豊後以外の国人の離反を招くなど、以後の大友家は急速に弱体化した。 -1585年に重臣であり雷神の異名を持っていた戸次鑑連が病死したことで軍事面では致命的なダメージを受け、外交を駆使して豊後1国は維持することには成功するが、義鎮自身も2年後に病死した。 -国内でキリスト教許可をしたことはともかく、自身もキリスト教に嵌り込み過ぎて政治的な混乱を招いたのも弱体化の一員とされる。 --もっとも1575年までに重臣だった臼杵鑑速・吉岡長増が死去して政略面で穴が開いてしまい、その間隙を縫うように外戚の田原親賢が重用されたことで旧臣の反発を招いたり、勢力内の神仏勢力が急速に反発するなど、既に耳川前に大友家自体が内部崩壊の兆しを見せていたので、一概に義鎮がキリスト教を保護したことだけが問題というわけではないのだが。 --また毛利家と敵対してたことで毛利家の庇護を受けていた足利義昭からの心証が悪く、信長包囲網ならぬ大友包囲網(六ヶ国之凶徒)を敷かれたのも各地から侵攻された要因の一つとされる。 -九州屈指の女好き(特に人妻好き)としてしられ、時に家臣の妻に手を出して謀反されたこともある。 --史実では正妻の奈多夫人を離縁する要因の一つともなっている。 --本作でも当然のように未亡人の舞さんを会うたびに口説いている。自重してください。 --また手を出すかは別として、側に美人(美少年込)をはべらせたいという欲望があるようで、そのたびに雷神や石宗、鑑速や絵理に怒られている。 -本作では『王の挽歌』の義鎮像が色濃く反映されている。 --そのため純粋な家臣には弱音を吐けないと初めて相対した時の絵理に漏らしていた。 --親族や身内を信じられなくなった己への失望感が先行し、そのストレスのはけ口が上記のキリスト教関連の出来事や人妻病に繋がっているとこの時に語る。 **[[戸次鑑連(べつき・あきつら)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA]] -初期能力 政治:48 統率:88+4 知略:77 教養:63 義理:94 特技:槍衾参・軍神・挑発 役職:豊後守護 #region(close,能力値<コメント>) -本来のゲーム上では、豊後守護職は大友義鎮が有するが、義鎮により高位の役職が付けられたために移管された。 -本来はアイテムに雷切(刀剣九等級・統率+2)があるが、第33話以降は絵理に貸与している。 -敵兵へ名乗りを上げる際に「伯耆守」(ゲーム上では政治+6)を称しているが、本作のゲームデータ上で付与されているかは不明。 #endregion -別名「立花道雪」 通称「雷神」「鬼道雪」「(歴戦界隈では)ベッキー」で知られる九州最強の将。 -史実では生涯37度の戦いで敗戦がなく、指揮だけではなく武技も優れていたと言う記録が残るほど。 --その武威は龍造寺・毛利すら手出しできず、秋月家の最盛期を築いた秋月種実も全ての戦いで完敗している。 --通説では35歳頃に半身不随になり、以後は輿に乗って指揮を執ったと言われているが、半身不随になったという時期については一次資料が現存していないため、半身不随に関しては創作との説もある。 --ただし1570年以降には何かしら体の変調はあったようで、その時期を境に輿に乗って指揮を執ったという記録が残っている。 --子宝に恵まれず、後年に生まれた誾千代も養子だった宗重との間に子を残せなかったため、直系子孫は残っていない。 -本作ではOP戦闘で古処山で総指揮を取るも惨敗。以後も大友家は対秋月路線を取るコーエーAIの犠牲になる形で連戦連敗になってしまっている。 --史実においても戸次氏は秋月種実によって休松の戦いにおいて大打撃を受けており、鑑連は部隊ごとほぼ無傷だったものの、一族はほぼ戦死するという事態に陥る。このとき難を逃れた一族も誅殺や戦死が相次いだ為、戸次氏は有力家としてはほぼ滅亡し、わずかに残った一族が立花氏(吉弘鑑理直系)に仕えたのみという。 --本作においても三池山城からの撤退の際に、史実の休松に匹敵する打撃を(非登録武将の)一族が受けている。 -ただし流石に対秋月氏以外の戦績は良好。 -ちなみに絵理の師の一人。 --絵理を輿に乗せた上で、一時トラウマになるほどの調練を仕込んだ結果、絵理は元が引きこもりとは思えないほどの戦闘向きの能力を得ている。 --ちなみにこの輿の調練は雑賀衆直系のサイネリアや鈴木重秀ですらおびえるほどの代物である。 --ただし龍造寺滅亡後に蒲池鑑盛に保護された真は輿に喜んで乗っていたため、絵理たちは驚愕することに。 ---その一件で真を特に気に入っており、娘の誾千代が20年以上早く生まれてきたような状態(本作のストーリー開始年は、誾千代の通説上の生年よりも12年前)。 **[[角隈石宗(つのくま・せきそう)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA]] -初期能力 政治:67 統率:43 知略:79 教養:74 義理:50 特技:混乱 -大友家軍師。兵法をはじめ、占術、気象予測に優れ、義鎮の講師も幼少のころから勤めていた。 -その博識から多数の弟子を取っていたといわれ、戸次鑑連も師事したことがあるといわれている。 -軍師として多数の功を上げたが、耳川の戦いで戦死した。 -本作では絵理のPポジションであり、原作の尾崎玲子のポジションに相当している。 --絵理に対してはかなり過保護だが、相互の信頼関係は非常に篤いものがある。 --サイネリアはその関係をあまり良く思っておらず、石宗にはその髪型を揶揄する呼称をつけた。 **[[蒲池鑑盛(かまち・あきもり)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA]] -初期能力 政治:63 統率:62 知略:63 教養:63 義理:97 特技:槍衾壱・鼓舞 -大友家臣。「義心は鉄のごとし」と讃えられた将。 -史実では肥後を追われた本来は敵方である龍造寺一族を2度保護し、旧領復帰を手助けしている。 --だが史実では自身の死後に龍造寺隆信に一族の大半を謀殺され、柳川を奪われている。戦ならともかく騙まし討ちで一族を虐殺されるとは本人も思っていなかったであろう。 --もっとも恩義ある蒲池氏をあまりに非道なやり方で滅ぼしたため、龍造寺家はこれ以後に国人の造反が相次ぎ急速に衰退した。 -大友の将としても優秀で多数の功を上げ、義鎮から幾度も感状を受けている。 -本作ではOPで早々に本拠地である柳川を菊地義武らの急襲で失陥するも、鑑連らとともに1年で奪回している。 -龍造寺滅亡後に筑後に身一つで落ち延びてきた真を保護。その後、絵理付きの副将として推薦している。 --鑑盛は絵理を非常に高く評価しており、真を絵理付きの副将に推薦したのは絵理を敵視する国内勢力から護衛をかねさせるためであり、真も(絵理には伏せたままだが)事情を聞いた上で同意している。 **[[吉岡長増(よしおか・ながます)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B2%A1%E9%95%B7%E5%A2%97]] -初期能力 政治:49 統率:25 知略:78 教養:59 義理:43 特技:収拾 -大友家臣。史実では義鎮と同時に出家し、以後は筆頭家老 兼 毛利家対策の責任者。二階崩れの変以降、臼杵鑑速及び吉弘鑑理と共に「三老」と並び称されて重用される。 --内務の担当者として臼杵鑑速と共に「豊州二老」とも。なお「豊州(または豊後)三老」は内務と軍事でそれぞれ別な概念であり、吉岡長増は名を連ねていない。 --史実で義鎮が本格的に衰えるのは「豊州二老」の両名の死後であり、そういう意味では軍事面で大友を支えた戸次鑑連以上に重要な役割を担っていたとも言える。 -「大内輝弘の乱」にて毛利元就の策を逆手に取り毛利の北九州進出を阻止するなど、軍略家としての記録が目立つが、一時は豊前・筑前・肥前3カ国の内務の統括もしており、政務家としても実績がある。 -本作では大友家の御意見番的存在としてたびたび登場している。子を島津家との戦で喪い、かつその嫁(妙林尼)も秋月家に投降と親族を次々失いながらも、大友家へ一心に忠節を捧げる。 --あくまでも妙林尼は秋月家で客分扱いになっているが、投降を呼びかけたのが涼であるだけに、かなりの誤解を生じているようだ。 -上記のようにかなり頭の切れる重臣だが、ゲームの「仕様」によって対秋月共闘の呼びかけをわざわざ越中の大名に行うという謎な行動をし、多くの視聴者の困惑と笑いを誘った。 --ちくぜんP自身も合理的な理由を付けるのにかなり困ったことがマイリストコメントから伺える。ストーリー上では、「神託」であったらしいということで収拾を付けた。 **[[鈴木重秀(すずき・しげひで)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%87%8D%E7%A7%80]] -初期能力 政治:11 統率:88 知略:82 教養:38 義理:70 特技:斉射弐、神速、破壊 -もとは雑賀鈴木家の人だが、本作では同家がストーリーのかなり早い段階で滅んでしまい、流浪の末に九州まで流れてきた。 -通称に「孫市」があるが、雑賀孫市(または孫一)は雑賀衆頭領または幹部である人が代々名乗る「通し名」であり、彼一人を指すものではない。 -本作では同姓の鈴木彩音と、実の姉弟である。 --ゲーム上では、彩音がストーリー開始時で18歳、重秀が1546年生の設定。ただし重秀の生没年は確たる史料が無く、生年が10年ほどズレた異説もある(『佐武伊賀覚書』など)。 -織田家及び本願寺の一次史料において軍事能力の高さを評する記述があり、雑賀衆の中で一線級の戦闘員であったことは間違いないと言える。 -親族についても謎が多く、多数派説においては鈴木重意の子となっているが、その典拠である『紀州続風土記』が部分的に正確さを欠くことから、異説も多い。 -本作においては、まさに息つくように女を口説く好色。何かにつけて絵理に言い寄っては、姉に鉄拳制裁される。他にも、角隈石宗に口頭で注意されたり、戸次鑑連には懲罰的な調練に参加させられたりと、大友家におけるコメディレリーフ的な存在。 -ゲーム内での教養は低いが、韓信の逸話を完全ではないにしろ把握しているなど、それなりの教養を持っている。 ---- *◆相良家 ---- **[[相良晴広(さがら・はるひろ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%89%AF%E6%99%B4%E5%BA%83]] -初期能力 政治:61 統率:48 知略:54 教養:57 義理:38 特技:無し -ストーリー開始時における相良家当主(第17代)。 -元々は初代当主の四男に始まる分家・上村家の人。しかし、1524年頃より発生していた御家騒動の当事者のひとりであった相良長唯(後の第16代当主義滋)が、中立勢力だった上村家を取り込む条件として提示した縁組により、結果として本家の養嗣子となった。 -歴代当主により個別に制定された諸規定をまとめた「相良氏法度」の完成形を作り出し、自身が当主にあった期間の短さにも関わらず統治の安定を現出した功績が大きい。 -本作では、実父である上村頼興が日高舞と尖鋭的な政敵関係にあることを憂慮し、義陽の将来も含めて重大な懸念を抱いている。 --その上で、義陽が日高愛と実質的に相思相愛であることを知っており、それが上村-日高の対立の材料のひとつになっていることを憂えていた。 -作中時制では第42話にて病死。 **[[相良義陽(さがら・よしひ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%89%AF%E7%BE%A9%E9%99%BD]] -初期能力 政治:57 統率:64 知略:56 教養:59 義理:91 特技:突撃壱 -第43話以降の相良家当主。 -史実では、家督を継いでからの2年間、実祖父である上村頼興により政治を牛耳られた状態であったが、頼興の死後は、その子である上村頼孝の謀反、後には丸目頼美の起こした謀反を退けている。 -本作では、愛に体力勝負では全く勝てない、(史実どおりであるが)家督継承直後から上村頼興の傀儡状態になっているなど、少々頼りない若殿のように描かれているが、真横向きの顔グラフィックを活用した小ネタが多く、視聴者に印象を残している。 **[[上村頼興(うえむら・よりおき)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91%E9%A0%BC%E8%88%88]] -初期能力 政治:60 統率:38 知略:76 教養:65 義理:27 特技:混乱 -ストーリー開始時における相良家の筆頭家臣。 -元々は初代当主の四男に始まる分家・上村家の人。しかし、1524年頃より発生していた御家騒動の当事者のひとりであった相良長唯(後の第16代当主義滋)が、中立勢力だった上村家を取り込む条件として提示した縁組により、結果として長唯に味方し、相良家統一に尽力した。 -義滋や実子である晴広とともに「相良氏法度」の完成形を作り出すなど、安定した治世を築き上げた相良中興に貢献した。 --ただし政治基盤を磐石とするために、家督争いに貢献していた実弟や義弟らを謀殺するなど、かなり黒い人物でもある。 --一方で頼興が生きている間は相良家内部のお家騒動もなく、また外交も巧みで大友や島津といった九州屈指の勢力とも対等に渡り合った。 -本作では謀略家としての側面が非常に強く、大友の謀臣と対等と渡り合い、島津のお家騒動の火種を再点火するなど相当のやり手となっている。 -また孫である義陽と舞の娘である愛の仲の良さを快く思っておらず、結果として日高舞と尖鋭的な政敵関係に陥っている。 --実際に愛の謀殺を企んでおり、上村家主導で何度も敢行している。 --最も相良家内でも有力家である上村と日高が完全に割れたら相良家存続がまずくなることがわかりきっているため、頼興の息子と孫である晴広や義陽らも影で色々と無防備な愛を守るために手を尽くしていたりする。 --舞の実力を再認識していくうちに「下手な真似をすれば逆に自分が潰されるかもしれない」との考えも持ちつつあり、相良家と上村家のためにも日高家を味方につけなければならないと考え始めている。 --ただし前相良家当主である晴広を除く、自身の子達が時勢を読めず「上村家が相良家を支配しなければならない」という幻想に取り付かれており、自身の死後はお家騒動になる可能性を秘めている。実際史実では頼興死後に息子達は義陽から簒奪を試みた挙句に失敗しており、最終的に上村家は処断・断絶しており、非常に危うい状態にある。 **[[深水長智(ふかみ・ながとも)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E6%B0%B4%E9%95%B7%E6%99%BA]] -初期能力 政治:74 統率:33 知略:69 教養:72 義理:87 特技:混乱 -相良家臣。別名は「深水頼方」、及び出家後の「深水宗方」がある。 -晴広・義陽・忠房・頼房の相良4代に仕え、上村頼興亡き後の相良家を巧みな内政と外交で存続させた忠義の人。 -内患外憂が相次いだ相良家の滅亡危機を何度も回避させたどころか、大名家として存続させた手腕から戦国時代における九州屈指の外交官といわれることも。 -現在は「歯の神様」として祭られているとのこと。 -本作においては相良の当主筋の側近として登場。相良家におけるパワーバランスを上手くとることに優れているようで、晴広が死去する際には上村と日高の仲違いを防ぎつつ、義陽の後見をするようにと託された。 --もっとも晴広は急死だったため、晴広が倒れる直前に長智との間で交わされた誓訳みたいなものにとどまっている。 **[[岡本頼氏(おかもと・よりうじ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E9%A0%BC%E6%B0%8F]] -初期能力 政治:16 統率:58 知略:29 教養:61 義理:59 特技:槍衾壱 -相良家臣。本作では、岡本まなみの従兄。 **[[甲斐親直(かい・ちかなお)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%96%90%E8%A6%AA%E7%9B%B4]] -初期能力 政治:78 統率:72 知略:81 教養:82 義理:91 特技:槍衾壱、破壊、混乱 -史実では阿蘇家臣。 -別名は法号である「甲斐宗運」 こちらの通称の方が有名か。 -本作では阿蘇氏が大名として滅亡した後に相良家に仕える。 -史実においては阿蘇家臣の忠義の名将として、数々の戦果を上げている。 --一方で主家への忠義が非常に強く、阿蘇家を裏切ろうとしたものは一族も含めて苛烈に粛清・誅殺した。その非情さもあってか、死因は宗運を恐れた孫娘に毒殺されたという説もあるほどである。 -相良義陽とは年は離れているが誓詞を交わした親友同士だったと言われ、最終的に敵として討ち取る際に涙したとも言われる。 --ただし宗運側の一次資料では事実が淡々としか述べられていないため、相良側の豊富な記述は創作に過ぎないのではないか?いう説も一応存在する。 -本作では阿蘇の大名としての滅亡後は義陽に仕えるというなんとも言いがたいIFになっているあたりが面白い。 ---- *◆毛利家 ---- **[[毛利元就(もうり・もとなり)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E5%85%83%E5%B0%B1]] -初期能力 政治:88 統率:82 知略:90 教養:76 義理:51 特技:槍衾弐・鉄壁・(全体)混乱 -毛利家先代当主。中国三大謀将の一人で、「謀神」「戦国最高の知将」の異名を持つ。 -波乱に満ちた人生を送りながら、幕末まで続いた毛利家の繁栄の基礎を築いた。 -本作では伊織の父親で、正室であり最愛の妻であった妙玖が最後に生んだ娘という設定。そのため伊織は大切に育てられた。 -急速に勢力を拡大した秋月家を強く警戒している。 -尼子経久との関係は大河ドラマ「毛利元就」を強く意識している模様。 **[[毛利隆元(もうり・たかもと)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E9%9A%86%E5%85%83]] -初期能力 政治:76 統率:66 知略:64 教養:71 義理:79 特技:槍衾壱、鼓舞 -毛利家第14代当主。元就の嫡男で領内の人望が厚く、特に内政に長けていたと言われるが、1563年に急逝してしまった。 --謀将の元就や生粋の戦闘屋だった元春や隆景は領内における民衆の受けが今一つ良くなかったといわれ、その分誠実で内政に力を注いだ隆元が相対的に人気であったという。 --隆元の生前でそれを把握していたのはおそらく元就、広良や元相といった父や毛利本家の老臣ぐらいで、毛利両川の当主や家臣からは軽く見られていたと伝わる。 ---このことを憂慮した元就の三兄弟に対する訓示が、故事「三本の矢」として伝わっている。 --そのため早世したあとの毛利家は内政や財務が滞った上、関ヶ原後の大幅な弱体化の呼び水となってしまった。 --内政に長けていたことを亡くなった後にようやく知った元春・隆景は一層結束を強めたとも言われている。 -幼少期をあの大内義隆の元で過ごしたためか、教養が身に付いた代わりに必要以上に穏やかな性格になってしまったと言われている。 --元就や志道広良の再教育でなんとか武将として持ち直したとか何とか。 --ただしそれでも元就からは武将向きの性格ではないと評されていた。 ---少年期の端正な顔立ち、男に好かれる、穏やかな性格というとこの動画のある人物と被っているような気がするのは気のせいか? -本作では伊織の兄として登場。才はあるがじゃじゃ馬だった伊織を毛利家の柱となる姫武将に育てるべく国司元相をつけた。 --伊織の失敗の沙汰に対しても彼女の性格を知った上での罰など、非常に気のいいお兄ちゃんである。 **[[吉川元春(きっかわ・もとはる)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%83%E6%98%A5]] -初期能力 政治:52 統率:85 知略:68 教養:70 義理:82 特技:突撃弐、神速、破壊 -元就の次男。武勇に長け、生涯のほとんどの戦で勝利したとも言われている。 -実弟の隆景と違い秀吉を非常に嫌っていたと言われており、その影響か彼と隆景の死後は毛利家の勢力が分裂・弱体化の遠因となった。 --隆元や隆景と違い3兄弟では唯一大内家での人質時代がなく、その影響で柔軟な対応力が養われなかった可能性もある。秀吉を嫌うなどの生粋の武人に育ったのはそういう背景が影響しているのかもしれない。 -嫁取り(「新庄局」)に関して、諸葛孔明と似たようなエピソードが記録されている。 --ただしこの話は香川正矩の『隠徳記』及びその息子の『隠徳太平記』以外に明確な記述が無い。香川正矩は新庄局の父である熊谷信直との関係が悪かったことから相当脚色した表現であった可能性もあり、あまり信ぴょう性は高くない。 -本作では伊織の兄として登場する。 **[[小早川隆景(こばやかわ・たかかげ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E9%9A%86%E6%99%AF]] -初期能力 政治:83 統率:77 知略:81 教養:72 義理:90 特技:斉射弐、収拾、鉄壁 -元就の三男。知勇兼備の名将で、兄の元春とともに毛利両川として毛利家を支えた。 -輝元の養育係だったこともあり、元春の死後は実質的に毛利家を単独で牽引することとなる。 -本作では伊織の兄として登場する。 **[[志道広良(しじ・ひろよし)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E9%81%93%E5%BA%83%E8%89%AF]] -初期能力 政治:68 統率:39 知略:69 教養:65 義理:56 特技:鼓舞 -毛利氏庶家の名門:坂氏の流れを組んだ志道氏の出。興元~隆元の4代にわたって毛利家の執政家老として仕えた宿将。 --また生年が(1467~1557)と非常に長生きしたことでも知られる。 --実弟に口羽通良がいるが、年齢差が開きすぎているため実子説がある。信長の野望シリーズでは広良の次男として扱われている。 --通良は本作では伊織の直臣となっている。患者だらけの水瀬家臣の中では元相と並んで数少ない常識人となっている。 -特に元就の家督相続に尽力し、その後も隆元の養育係を務めるなど、毛利家を長きにわたって支え続けた。 --上記の経緯から元就をはじめとする毛利家全体からの信頼も厚く、元就からは名宰相とも言われるほどであった。 -本作では伊織の後見役として早くも5話から登場する。 --この時伊織とともにある人物と邂逅するのだが…… **[[国司元相(くにし・もとすけ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%8F%B8%E5%85%83%E7%9B%B8]] -初期能力 政治:40 統率:63 知略:41 教養:50 義理:77 特技:槍衾壱 -毛利家家臣。祖父が毛利氏の一門と結婚したため、一門衆の扱いを受けていたとのこと。 -非常に長寿で生年が(1492-1592)となっている。 -隆元の傅役を務め、隆元から厚い信頼を得ていた。 -本作ではかの有名な「三子教訓状」の出来事があった後、隆元の要請で伊織の目付を兼ねた家臣となる。 --当初は一人前の姫武将としては認めていなかったが、宇喜多直家や尼子経久との戦いを経て姫武将として認めた。 ---- *◆尼子家 ---- **[[尼子経久(あまご・つねひさ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E7%B5%8C%E4%B9%85]] -初登場:5話 -初期能力 政治:82+4 統率:92+4 知略:95 教養:84 義理:2 特技:突撃弐、混乱、破壊 官位:民部少丞 役職:備中守護 --PS2版の天下創世PK追加武将だが、能力値はちくぜんPのオリジナル。 -尼子家先代当主。中国三大謀将の一人で、「謀聖」「雲州の狼」の異名を持つ。 -史実では1541年に84才で病没したが、本作では健在。 --そのため史実で尼子が大内に勝利した(第一次)月山富田城の戦いは、この世界では完全に経久による謀略として知られているようだ。 -とにかく凄い人。詳しいことはニコニコ大百科やwikipedia参照。 --人物設定に関しては、1997年の大河ドラマへのオマージュが随所にある。 -第5話で衝撃的な登場を果たす、いろんな意味で。 --特に紙芝居パートを見てると元就が可愛く見えるぐらい。 --その武威は名前を聞いたり相対するだけでほとんどの将が威圧されるほどである。伊織ですら初顔のときは圧倒された。 --元就との関係は某大河ドラマを強く意識している。いわば元就にとって経久は「畏怖すると同時に共感できる」人物。 --5話の思考部分では元就のことを幼名で呼んでいるので、経久にとっても元就はある意味で弟子のように思っている節がある。 **[[尼子晴久(あまご・はるひさ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E6%99%B4%E4%B9%85]] -初期能力 政治:55 統率:53 知略:30 教養:66 義理:47 特技:突撃壱 -尼子家第5代当主。尼子政久の次男で経久の摘孫に当たる。初名は詮久。 -史実では1537年に経久の隠居により家督を継ぐ。 -大内や毛利と対等に渡り合い、尼子氏の最盛期を築くが1561年に47歳で急逝した。 --祖父・経久が出来なかった尼子の中央集権化を上手く進めてた矢先の死だった為、やむをえなかったとはいえ新宮党粛清で一族が減った傷痕が癒えぬまま、尼子氏は結果として急速に弱体化することになった。 --経久の影に隠れがちではあるが、自身も毛利元就や大内義隆といった名将相手に対等に渡り合っており、本来もっと評価されてもおかしくない人物だが、天下創世での能力は…… -本作では春香の父に当たる。京帰りの春香と口論したあとに出奔させてしまうが、高木座長の計らいも合って動向を把握していた。 --上記の口論の原因は春香が好きな芸や唄を禁止したことによるものだが、これは自身の父・政久が笛の音によって命を落としたこと起因した晴久なりの親心であった。 --春香は立花山で涼や愛の尽力もあって後に帰参し、これを機に高木座長とともに芸や歌の公演を許可している。 -ストーリー上での登場の時点で史実での寿命を既に超えているせいか、若干病気がちのところがある。また美作における患者VS愚民のしょーもないケンカのせいで心労がかさんでおり、色々不憫なところがある。 **[[山中幸盛(やまなか・ゆきもり)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%B9%B8%E7%9B%9B]] -初期能力 政治:14 統率:72 知略:37 教養:54 義理:100 特技:槍衾弐、(鼓舞) アイテム:三日月兜 -名は「鹿介」の方が有名か。史実通り、尼子家の家臣として活躍している。のちに頼山陽の詩にて「鹿どころか麒麟」と評されたほか、後世の多くの政治家からも讃えられた武勇と忠義心を持つ。 --鹿介と自署した手紙が現存していることから、鹿「之」介は誤り。 -生涯を尼子家復興に捧げ、まさに日本人好みな、御家再興に身を尽くす様が現代でも語り継がれている。 -現在の三菱UFJファイナンスグループの源流のひとつである「鴻池財閥」の家系は彼の子孫とされる。 -本作では、愚連隊ならぬ愚民隊の切り込み隊長。主家の娘である春香に恋慕に近い尊敬を抱いている。 --もっとも、彼の空想世界においては、春香はまごうことなき「春閣下」となっている。 -『太閤記』『後太平記』『名将言行録』など多くの史料にその名を残すが、史料ごとに出生地や生没年にバラツキがあり、特に元服以前の動向には不明点が多い。 ---- *◆大内家 ---- **[[大内義隆(おおうち・よしたか)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E7%BE%A9%E9%9A%86]] -初期能力 政治:76 統率:66 知略:27 教養:72 義理:30 特技:槍衾壱 -大内家第31代当主。 -史実においては特に政治手腕に長け、大内家最大勢力をも築くなど名君だったが、1542年の第一次月山富田城で尼子晴久に惨敗を喫し、この戦いで養嗣子であった大内晴持も失って以後は大名としての覇気を失い、政治・軍事を省みなくなった。 -その後、1551年にかつて重臣であった陶晴賢ら武断派の謀反にあい、自害した(大寧寺の変) -以上が簡単な史実だが、謀反の要因の一つに義隆が戦国時代屈指の衆道好きだったのも原因とも言われる。以下にいくつかエピソードをあげる。 --大内家内の重臣のほとんどの他、人質だった毛利隆元や小早川隆景を厚遇した上で食した。 --あまりに同性愛が過ぎて、最初の正妻が逃げた。 --「残念ながらホモはNG」とうっかり発言したザビエルに激怒、キリスト教の布教を許さなかった。 --謀反した陶晴賢はかつて寵愛されていたが、月山富田の敗戦以後は遠ざけられていた。 -ここまで来ると凄まじいものである。涼ちんが大内家に行ったら食われていたのは間違いない。 --涼の存在自体は既に知っていたと思われ、陶晴賢が叛乱を決心するきっかけになったやりとりの中で名前が登場する。 -本作では大寧寺の変が1557年であったことに変更されているが、基本的に史実と変化は無し。 **[[大内義長(おおうち・よしなが)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E7%BE%A9%E9%95%B7]] -初期能力 政治:32 統率:18+4 知略:10 教養:63 義理:56 特技:なし 役職:周防守護 -大内家最後となる第32代当主。大友宗麟の実弟であり、先代の大内義隆の甥であり猶子。 -数奇な運命をたどった人物であり、大内家を始めとした各所から認めてもらえなかった悲運の人物。 -本人は決して無能というわけではなかったが、西国一の侍大将と言われた陶晴賢の傀儡という世間の認識に加え、叔父の義隆や兄の宗麟が戦略家として優秀だったのも彼に取って不幸であっただろう。 -その経緯から晴賢死後は求心力を失い、最期は兄にも見捨てられて1557年には毛利家の要求通り自刃し、大内家は滅亡した。 -上記の件から、コーエーでは逆チートを受けている武将の一人。本作ではパラメータに唯一歴代でも高めに設定されている教養があるため、何とか能力的にもダメ殿からは逃れている分だけ救いがある。 -本作では「王の挽歌」や『毛利元就』の影響を受けている他、晴賢とのやり取りでも傀儡というより主君と部下の関係を保っており、良好な関係にある。 --一方で兄の大友義鎮のことを内心よく思っていない。立花山では兄の援軍要請を黙殺したり、大内家の家督相続の際の訓示を軽く見てしまっている。 --無能でこそないが義隆と比べると器量不足で、それを本人が気づいていないのが致命的であり、晴賢がそのことを嘆くシーンも。 **[[陶晴賢(すえ・はるかた)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%99%B4%E8%B3%A2]] -初期能力 政治:67 統率:78 知略:69 教養:45 義理:50 特技:破壊、突撃壱 -大内家臣。初名は陶隆房で、西国一の侍大将と言われた猛将。 -政治的関心を失った主君・義隆を自害させ、大内家の実権を握るが吉見・毛利らの離反を招いた。 -その後1555年に厳島の戦いで毛利家に敗れて自害した。 -本作では大河ドラマ『毛利元就』の影響を大きく受けており、人物像もそれに準拠している面がある。 --自害させたとはいえ、本来は義隆の寵愛を受けていた重臣であり、自害した後もかつての主君を敬愛している様子が描かれる。それも踏まえて謀反も主家のためだったという面が強調されている。 --資料によっては義隆を自害させた後は情緒不安定に陥っていたとも言われており、このことが強い猜疑心や器量の乏しさを引き起こしていた可能性もある。 -本作では直臣である小鳥の影響でいくらか猜疑心が抑えられており、弘中隆兼・江良房栄らが晴賢の元で本来の力を発揮できている。 #region(close,ネタバレ<コメント>) ネタバレ<コメント> 第60話にて、尼子・秋月連合軍に攻められ、当主の大内義長を喪い、指月城が落城。その後、大内家の後継者を 決められぬまま再度、尼子・秋月連合軍の侵攻を受け、敗北。居城の富田若山城に向かう途中、尼子軍の追撃により負傷。 覚悟を決めて、自刃した。 #endregion ---- *◆長宗我部家 ---- **[[長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E5%85%83%E8%A6%AA]] -初期能力 政治:76 統率:82 知略:83 教養:67 義理:11 特技:槍衾弐、神速、鼓舞 -長宗我部家第21代当主。「元」の字は史実での当時の土佐守護である細川京兆家の通し名をもらったものであるため、同じ経緯で一字をもらった第15代当主と全くの同名である。 -本編ストーリー開始の時点ではまだ「姫若子」だった。初陣が実はやよいと同時期である。 -湯築合戦にて金星を挙げたやよいを、一領具足の一人から公的にも抜擢した。本作では、威厳を漂わせながらも優しく見守る兄のような立ち位置になっている。 **[[吉良親貞(きら・ちかさだ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%89%AF%E8%A6%AA%E8%B2%9E]] -初期能力 政治:46 統率:72 知略:57 教養:43 義理:65 特技:突撃壱 -元親の弟(国親の次子)。22歳で土佐吉良家の養子になり、同家を継いだ。 -史実では、一条家の討伐と追放に大きな功績をあげるも、土佐中村城城代となって間もなく夭折している(生没年:1541~1576)。 -本作では、自他ともに認める筋金入りのやよいスキーであり、やよいに手紙の上で「お兄ちゃん」と呼びかけられただけでも士気が急上昇する。 --実はそういう人となりを知る者の作った偽書であったが、戦に勝つ上では意味があった。 --やよいが心配なあまりに任地を放置して湯築までやってきたほどで、のちに元親から「やよいへの接触禁止」の処分を受ける事態に(無期限ではなかったようだが)。 **[[香宗我部親泰(こうそかべ・ちかやす)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E8%A6%AA%E6%B3%B0]] -初期能力 政治:74 統率:66 知略:73 教養:68 義理:79 特技:槍衾壱、鼓舞 -元親の弟(国親の三男)。国親の意向で14歳の時に香宗我部家の養子になる。 -史実では、安芸城→海部城と拠点を変えつつも長兄の補佐として四国各地で転戦する。 -一方で外交方としての能力も高く、織田信長とも度々接触していた。 -本作では、暴走機関車な次兄へのツッコミ役として描かれることが多い。 **[[谷忠澄(たに・ただずみ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%BF%A0%E6%BE%84]] -初期能力 政治:73 統率:28 知略:73 教養:67 義理:69 特技:収拾 -長宗我部家臣。『日本人名大辞典』では土佐神社の神主が出自とあるが、ゲームでの出自は僧侶。 -外交分野での活躍が多く、のちに主家滅亡を回避した功績などが有名である。 -本作では、やよいの補佐役として登場している。 ---- *◆龍造寺家 ---- **[[龍造寺隆信(りゅうぞうじ・たかのぶ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%80%A0%E5%AF%BA%E9%9A%86%E4%BF%A1]] -初期能力 政治:42 統率:77+4 知略:54 教養:55 義理:10 特技:槍衾弐、破壊 役職:肥前守護 -龍造寺家第19代。有名なことだが曾祖父の家兼が存命中は仏門にあったため、ゲーム上でも出自が僧侶に設定されている。 -肥前守護の役職があるのは、敵側の強化の一環でとしてちくぜんPがデータ改変で付けたもの。 -ゲーム上ではすぐ隣の有馬家を併呑した以外に拡大することのないまま、秋月家と全面戦争になり、紆余曲折の末に吸収された。 --なお、有馬家を滅ぼした際に大村純忠を処断したため、有馬晴純とはゲームのデータ上で敵対関係にある。 --もっとも、秋月家との決戦において槍衾を発動して1000以上の兵力を失わせたり、種実の奇襲や挑発に何ら乗らず引き上げる余裕を見せたりするなど、秋月家にとっても難なく征服できたわけではない。 -のちに秋月家の一家臣として生きる道を選ぶ。 --秋月に降った後は完全な雪歩スキーに。涼を愛でる秘密結社の面々ほどのダメ人間ではないが、君主業を面倒くさがってた部分があったことも影響してか、秋月家に馴染むのも早かった模様。 --戦場以外の場所では豪快に昼寝をしていることも多い。 -本作では曾祖父の家兼がストーリーの途中まで存命であったため、絶対的な抑え役があるという効果があって、むしろ鍋島直茂よりも言動が思慮深い。 -ちくぜんPが『信長の野望・創造』における公式顔グラフィックに「茶碗と箸を持っているところ」という印象を強く持ったゆえか、大飯食らいな描写がよく見られる。 --雪歩のこしらえたものであれば、一気に5合盛の米を食べるのも平気だそうである(合は体積の単位なので単純な換算はできないが、5合≒750グラム)。 **[[龍造寺家兼(りゅうぞうじ・いえかね)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%80%A0%E5%AF%BA%E5%AE%B6%E5%85%BC]] -初登場:8話 -初期能力 政治:66 統率:86 知略:81 教養:71 義理:43 特技:槍衾弐、破壊、鼓舞 --PS2版の天下創世PK追加武将だが、能力値はちくぜんPのオリジナル。 -元は龍造寺本家ともども小弐家臣。数々の戦功を上げたが、さまざまな要因が重なったこともあって馬場頼周の謀略により一族のほとんどが死亡。 --もともと龍造寺家は少弐家に従属する立場であったが、少弐資元(冬尚の父)が大内義隆に攻撃された際に積極的支援をしなかったことで、恨みを買っていた。 -蒲池鑑盛の元に落ち延び、彼と鍋島清房(直茂の父)の後援を受けて馬場頼周を討ったが、その後病に倒れ、曾孫の隆信を後継者に指定し93歳で大往生した。 --隆信は龍造寺最大の勢力を築いたが、治世の後半では国人の造反を招いて没落の切っ掛けも作るなど、鍋島家と主従が逆転してしまう切っ掛けを作っている。 ---龍造寺隆信と鍋島直茂は義兄弟だが、従兄弟の血縁関係でもあるので龍造寺の一門衆である。これも鍋島家が家督を継げる状況の一つでもあった。 --もし家兼が隆信を大名として養育できていれば、猜疑心は押さえられて没落はなかったのではないかと考える人もいる。 -史実では1546年に没したが、本作では健在。 -島津中興の祖である島津忠良とよく比較されるが、年齢が40近く離れていたこともあって戦うことはなかった。 -能力は高次元でまとまっており頭も切れるが、真が絡むとただの好々爺であるため、本作ではそちらの印象の方が強い。 #region(close,ネタバレ<コメント>) ネタバレ<コメント> 1561年に秋月と3度も激戦を繰り広げたのが102歳の老骨に堪えたのか、 直鳥城の戦い(39話)で秋月軍に大敗した際の退却中に陣没。 (ゲーム上は1561年晩秋に死亡。このターンには朝倉宗摘・北条氏綱(登録武将)と大物武将が同時に亡くなっている) (またNPC同士の合戦でも動きがあり、三好・尼子・長宗我部が一気に勢力を広げた) 遺言は直茂に対し「隆信を頼む」、真に対して「泣き顔より笑顔の方がよい」であった。 隆信・直茂・真らが龍造寺の家名を潰さずにすむと見たのか、安らかな顔で大往生した。 #endregion **[[鍋島直茂(なべしま・なおしげ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%8B%E5%B3%B6%E7%9B%B4%E8%8C%82]] -初期能力 政治:83 統率:81 知略:81 教養:72 義理:44 特技:突撃弐、鉄壁、破壊 -鍋島清房の次男。もともとは龍造寺隆信の実母である慶誾尼が清房と再婚しており、隆信とは義兄弟の関係。なお直茂の実母は龍造寺家純の娘。 -当初は涼を「しょせん一門衆だから重用されているだけ」と侮るが、その策略に大敗を喫する。 -捕えられても初めは帰順を拒否していたが、晴種の説得に応じて秋月家に仕えるようになる。 -以後、知勇共に優れる将として活躍しているが、本作では何かと血の気が多くかつ野心的な性格である。 -その性格のせいか、大友に利用されたり相手を侮ったりでたびたび戦で痛い目に合わされている。 ---- *◆織田家 ---- **[[織田信長(おだ・のぶなが)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7]] -初期能力 政治:90+5 統率:82+4 知略:86 教養:76 義理:40 特技:斉射弐、神速、破壊 官位:弾正少忠 役職:尾張守護 -本作は九州が中心になっているためあまり出番は無いが、九州以外の地域を取り上げるストーリーに時折登場している。 -前田慶次と対等に渡り合うなど無双を繰り広げるシーンが度々あるが、官位・役職の新たな設定と顔グラフィックの変更以外に、データ操作はされていない。 -本作では『信長公記』の記述を取り入れた描写が多い。また、早い段階から黒井崇男の黒井衆を取り込んであるためゲーム開始時から経済力が高い。 -彼を無神論者とする議論が多いが、戦勝祈願を行ったことがある事実や、火起請にまつわる伝承などから、近年では純然たる無神論者というわけではなく、宗教がその権威を借りて政治に介入することを嫌っていただけとの解釈もされている。 -また、「政治体制が、のちに欧州で主流になる絶対君主制を意図したものであった」「知的能力や発想力が図抜けていたが、コミュニケーション能力に大きな難があった」など、近年の研究の進化により、人物像の解釈が以前とは異なってきている。 --現代医学の観点で信長を分析した論文・著作も多くあり、特にアスペルガー症候群説や糖尿病説には傍証が多い。 以下順次追加予定
#contents(fromhere=true) ---- ここでは「秋月公記」における敵武将やその他の登場人物について解説しています。 アイマスキャラ及び秋月家については[[Part.1>秋月公記]]を参照してください。 一部、ちくぜんP自身による設定変更の結果として役職・官位が追加されたものがあります(本編33話中で公表)。 ---- *◆少弐家 ---- 冬尚以外は能力値は8話時点 **[[少弐冬尚(しょうに・ふゆひさ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%BC%90%E5%86%AC%E5%B0%9A]] -初期能力 政治:49 統率:23 知略:48 教養:63 義理:21 特技:なし -少弐家第十七代当主。史実では最後の少弐家当主。 -史実では父・資元の死後、一時滅亡していた少弐家を1540年に再興した。 -馬場頼周と龍造寺家兼の対立などもあって、結果として元家臣の龍造寺家と20年近く争うこととなり、1559年に最終的に敗死した。 -本作では宿敵・龍造寺と大大名・大内と敵対してる状況で、1557年に秋月方である中立の萩原衆に攻め込んで国力を高めようとした。 -その初戦で自身は秋月晴種に討ち取られて死亡したため、一度も紙芝居パートに登場することが出来なかった。 --本編開始前のOP戦闘でいきなり退場したのはちくぜんPにとっても想定外だった模様。 --ただし、ちくぜんP自身が登録武将に冬尚の弟を偶然にも登録していたため、少弐家が存続可能だったということで結果は差し戻されなかった。やはり不憫である。 -以後本編の少弐家は弟の政興が継いだ。 --萩原衆を攻めたことが少弐家にとって敵を増やす結果となったことは否定できない。 --その後大友から独立した菊池氏も含め、周辺の4家と敵対する羽目となった。 ---結果的に菊地家との激戦で疲労した隙を秋月に攻められ、大名としての小弐家は滅亡した。 **[[少弐政興(しょうに・まさおき)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%BC%90%E6%94%BF%E8%88%88]] -初期能力 政治:22 統率:68 知略:33 教養:43 義理:21 特技:突撃壱 ※登録武将 -少弐資元の三男。少弐冬尚・千葉胤頼の実弟。 -史実では馬場鑑周とともに少弐家再興を目指したが、龍造寺に敗れて叶わなかった。 -本作ではいきなり兄の冬尚が戦死したため、少弐家第十八代当主となる。 -継いだ直後は家臣が動揺したとのことだが、一説によれば顔のせいとも言われる。 #region(close,ネタバレ<コメント>) 実は「三國志11」の顔良のグラフィックを流用したもの。 #endregion -大名の頃の性格は調略も駆使するなど優秀な当主であったが、秋月家に敗れた後は性格的な意味で暗転した。 --涼の容姿に堕落してしまい、文種の秘密結社の会員となる。以後は少弐家そっちのけのダメ人間と化した。 --そのため神代勝利・小田政光・江上武種・馬場鑑周ら少弐旧臣は嘆くばかりである。 **[[千葉胤頼(ちば・たねより)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E8%83%A4%E9%A0%BC]] -初期能力 政治:53 統率:39 知略:16 教養:63 義理:50 特技:なし ※登録武将 -少弐資元の次男。少弐冬尚の弟、政興の兄。 -祇園千葉氏の婿養子となったため、千葉姓である。 -史実では龍造寺と対立した冬尚を支援、兄・冬尚と同時に敗死している。 -本作では少弐滅亡後秋月家に降ったが、弟と同じく涼の容姿に堕落してしまった。 --そのため、紙芝居パートでは義兄の胤連より出番が格段に多い。 **[[神代勝利(くましろ・かつとし)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E5%8B%9D%E5%88%A9]] -初期能力 政治:48 統率:74 知略:75 教養:70 義理:71 特技:混乱・槍衾壱 -少弐家臣。史実では東肥前十九城将の一人。 -史実では主家・少弐氏と同じく、龍造寺家と長男・長良とともに長年争ったが最終的に敗れた。 -龍造寺隆信との戦いは一進一退であり、優れた将であったことは疑いようがない。 -本作では少弐家滅亡後に秋月家に仕える。 --戦場におけるアイドル達の武将Pの一人として活躍している。 --知勇に長けるほか、観察眼も鋭い。義にも厚いため秋月家中でも信頼されている。 **[[神代長良(くましろ・ながよし)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E9%95%B7%E8%89%AF]] -初期能力 政治:53 統率:41 知略:32 教養:53 義理:39 特技:なし -少弐家臣。父の隠居後に家督を継いだ。 -史実では父の死後に龍造寺と和睦してその家臣となったが、沖田畷の戦いで戦死した。 -本編では父同様に少弐家滅亡後は秋月家に仕える。 --父が健在のためか、本編に登場することは少ない。 **[[江上武種(えがみ・たけたね)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E4%B8%8A%E6%AD%A6%E7%A8%AE]] -初期能力 政治:21 統率:69 知略:65 教養:46 義理:77 特技:挑発・突撃壱 -少弐家臣。史実では東肥前十九城将の一人。 -史実では神代勝利とともに龍造寺に対抗したが、主君の冬尚が敗死した後は龍造寺に属した。 -本編では夢子にとって主君かつ事実上の養父であるため、紙芝居パート・ゲーム上でも非常に出番が多い。 -性格は常識人だが、夢子にはかなり甘いところがある。 --実子がいないこともあって、夢子のことを本当の娘のように思っており、その将来を案じている。 --本作では少弐家滅亡後、夢子とともに秋月家に仕える。 **[[執行種兼(しぎょう・たねかね)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E7%A8%AE%E5%85%BC]] -初期能力 政治:40 統率:65 知略:52 教養:43 義理:62 特技:槍衾壱 -江上武種家臣。史実では肥前櫛田宮の執行別当職を務め、また旗下の城原衆を率いて武家としても活躍した。 -本作では武種の家臣であることから出番が多い。また少弐滅亡後は龍造寺に登用され、真や直茂とともに秋月家に対抗した。 --龍造寺滅亡後、追撃してきたかつての主君・武種に説得され秋月家に降伏。元の鞘に収まることになった。 -主君に似て常識人かつ、義にも厚い。そのため仕えた主家からは非常に信頼されている。 **[[小田政光(おだ・まさみつ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%94%BF%E5%85%89]] -初期能力 政治:69 統率:55 知略:64 教養:59 義理:25 特技:収拾・斉射壱 -少弐家臣。史実では東肥前十九城将の一人。 -史実では1553年に龍造寺家に敗れ投降したが、1558年に神代勝利・江上武種との戦いに敗れて戦死した。 --このときに隆信に援軍要請を黙殺された上、自身が死んだ後は居城であった蓮池小曲城も攻め込まれて奪われたという。 -本編では常識人だが、秋月に属した後は少弐直系の駄目兄弟の面倒を見る苦労人ポジションになってしまっている。 **[[千葉胤連(ちば・たねつら)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E8%83%A4%E9%80%A3]] -初期能力 政治:39 統率:60 知略:61 教養:30 義理:17 特技:混乱・突撃壱 ※登録武将 -九州千葉氏(晴気系)の出身。ゲーム上では少弐家臣。 -史実では鍋島直茂の養父となった時期がある。龍造寺家とはそのこともあって友好関係を築いていた。 -本編においては非常に影が薄く、紙芝居パートでもほぼ出番なし。また史実の設定が生かされたこともない。 -ちなみに出撃する機会は割りとあるのだが、部隊の壊滅率が非常に高い。 **馬場鑑周(ばば・あきちか) -初期能力 政治:49 統率:56 知略:42 教養:47 義理:67 特技:槍衾壱 ※登録武将 -少弐家臣。少弐家謀将・馬場頼周の孫に当たり、史実では東肥前十九城将の一人。 -史実では政興を支援し、少弐家再興を目指したが龍造寺に破れて主家再興は叶わなかった。 -本編では秋月家の謀略に対し、政興とともに対処した。また秋月家との主戦論派であった武種とはやや対立気味だった。 --本作では少弐家滅亡後、宿敵のはずの龍造寺に仕えている。 --龍造寺滅亡後は秋月家に仕えることになるが、政興や胤頼の変わりように憤慨することに。 ---- *◆大友家 ---- **[[大友義鎮(おおとも・よししげ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E7%BE%A9%E9%8E%AE]] -初期能力 政治:77 統率:73+6 知略:67 教養:74 義理:2 特技:斉射弐・破壊 役職:御相伴衆 -大友家第21代当主。一般には出家後の法号である宗麟の通称の方が有名か。 -九州屈指の戦略家であり、特に外交手腕に長け、大友家の最盛期を築き一時は筑前・筑後・豊後・豊前に加え、日向や肥後も影響下に置くなど、実質6ヶ国を支配した。 --一方で戦術家としては欠けるところがあり、結果として大友家を弱体化させることにも繋がったのだが。 -だが1570年の今川の戦いで龍造寺に、1578年の耳川の戦いで島津に大敗して、勢力を減退させた。特に後者では重臣の大半を失い、豊後以外の国人の離反を招くなど、以後の大友家は急速に弱体化した。 -1585年に重臣であり雷神の異名を持っていた戸次鑑連が病死したことで軍事面では致命的なダメージを受け、外交を駆使して豊後1国は維持することには成功するが、義鎮自身も2年後に病死した。 -国内でキリスト教許可をしたことはともかく、自身もキリスト教に嵌り込み過ぎて政治的な混乱を招いたのも弱体化の一員とされる。 --もっとも1575年までに重臣だった臼杵鑑速・吉岡長増が死去して政略面で穴が開いてしまい、その間隙を縫うように外戚の田原親賢が重用されたことで旧臣の反発を招いたり、勢力内の神仏勢力が急速に反発するなど、既に耳川前に大友家自体が内部崩壊の兆しを見せていたので、一概に義鎮がキリスト教を保護したことだけが問題というわけではないのだが。 --また毛利家と敵対してたことで毛利家の庇護を受けていた足利義昭からの心証が悪く、信長包囲網ならぬ大友包囲網(六ヶ国之凶徒)を敷かれたのも各地から侵攻された要因の一つとされる。 -九州屈指の女好き(特に人妻好き)としてしられ、時に家臣の妻に手を出して謀反されたこともある。 --史実では正妻の奈多夫人を離縁する要因の一つともなっている。 --本作でも当然のように未亡人の舞さんを会うたびに口説いている。自重してください。 --また手を出すかは別として、側に美人(美少年込)をはべらせたいという欲望があるようで、そのたびに雷神や石宗、鑑速や絵理に怒られている。 -本作では『王の挽歌』の義鎮像が色濃く反映されている。 --そのため純粋な家臣には弱音を吐けないと初めて相対した時の絵理に漏らしていた。 --親族や身内を信じられなくなった己への失望感が先行し、そのストレスのはけ口が上記のキリスト教関連の出来事や人妻病に繋がっているとこの時に語る。 **[[戸次鑑連(べつき・あきつら)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA]] -初期能力 政治:48 統率:88+4 知略:77 教養:63 義理:94 特技:槍衾参・軍神・挑発 役職:豊後守護 #region(close,能力値<コメント>) -本来のゲーム上では、豊後守護職は大友義鎮が有するが、義鎮により高位の役職が付けられたために移管された。 -本来はアイテムに雷切(刀剣九等級・統率+2)があるが、第33話以降は絵理に貸与している。 -敵兵へ名乗りを上げる際に「伯耆守」(ゲーム上では政治+6)を称しているが、本作のゲームデータ上で付与されているかは不明。 #endregion -別名「立花道雪」 通称「雷神」「鬼道雪」「(歴戦界隈では)ベッキー」で知られる九州最強の将。 -史実では生涯37度の戦いで敗戦がなく、指揮だけではなく武技も優れていたと言う記録が残るほど。 --その武威は龍造寺・毛利すら手出しできず、秋月家の最盛期を築いた秋月種実も全ての戦いで完敗している。 --通説では35歳頃に半身不随になり、以後は輿に乗って指揮を執ったと言われているが、半身不随になったという時期については一次資料が現存していないため、半身不随に関しては創作との説もある。 --ただし1570年以降には何かしら体の変調はあったようで、その時期を境に輿に乗って指揮を執ったという記録が残っている。 --子宝に恵まれず、後年に生まれた誾千代も養子だった宗重との間に子を残せなかったため、直系子孫は残っていない。 -本作ではOP戦闘で古処山で総指揮を取るも惨敗。以後も大友家は対秋月路線を取るコーエーAIの犠牲になる形で連戦連敗になってしまっている。 --史実においても戸次氏は秋月種実によって休松の戦いにおいて大打撃を受けており、鑑連は部隊ごとほぼ無傷だったものの、一族はほぼ戦死するという事態に陥る。このとき難を逃れた一族も誅殺や戦死が相次いだ為、戸次氏は有力家としてはほぼ滅亡し、わずかに残った一族が立花氏(吉弘鑑理直系)に仕えたのみという。 --本作においても三池山城からの撤退の際に、史実の休松に匹敵する打撃を(非登録武将の)一族が受けている。 -ただし流石に対秋月氏以外の戦績は良好。 -ちなみに絵理の師の一人。 --絵理を輿に乗せた上で、一時トラウマになるほどの調練を仕込んだ結果、絵理は元が引きこもりとは思えないほどの戦闘向きの能力を得ている。 --ちなみにこの輿の調練は雑賀衆直系のサイネリアや鈴木重秀ですらおびえるほどの代物である。 --ただし龍造寺滅亡後に蒲池鑑盛に保護された真は輿に喜んで乗っていたため、絵理たちは驚愕することに。 ---その一件で真を特に気に入っており、娘の誾千代が20年以上早く生まれてきたような状態(本作のストーリー開始年は、誾千代の通説上の生年よりも12年前)。 **[[角隈石宗(つのくま・せきそう)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA]] -初期能力 政治:67 統率:43 知略:79 教養:74 義理:50 特技:混乱 -大友家軍師。兵法をはじめ、占術、気象予測に優れ、義鎮の講師も幼少のころから勤めていた。 -その博識から多数の弟子を取っていたといわれ、戸次鑑連も師事したことがあるといわれている。 -軍師として多数の功を上げたが、耳川の戦いで戦死した。 -本作では絵理のPポジションであり、原作の尾崎玲子のポジションに相当している。 --絵理に対してはかなり過保護だが、相互の信頼関係は非常に篤いものがある。 --サイネリアはその関係をあまり良く思っておらず、石宗にはその髪型を揶揄する呼称をつけた。 **[[蒲池鑑盛(かまち・あきもり)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA]] -初期能力 政治:63 統率:62 知略:63 教養:63 義理:97 特技:槍衾壱・鼓舞 -大友家臣。「義心は鉄のごとし」と讃えられた将。 -史実では肥後を追われた本来は敵方である龍造寺一族を2度保護し、旧領復帰を手助けしている。 --だが史実では自身の死後に龍造寺隆信に一族の大半を謀殺され、柳川を奪われている。戦ならともかく騙まし討ちで一族を虐殺されるとは本人も思っていなかったであろう。 --もっとも恩義ある蒲池氏をあまりに非道なやり方で滅ぼしたため、龍造寺家はこれ以後に国人の造反が相次ぎ急速に衰退した。 -大友の将としても優秀で多数の功を上げ、義鎮から幾度も感状を受けている。 -本作ではOPで早々に本拠地である柳川を菊地義武らの急襲で失陥するも、鑑連らとともに1年で奪回している。 -龍造寺滅亡後に筑後に身一つで落ち延びてきた真を保護。その後、絵理付きの副将として推薦している。 --鑑盛は絵理を非常に高く評価しており、真を絵理付きの副将に推薦したのは絵理を敵視する国内勢力から護衛をかねさせるためであり、真も(絵理には伏せたままだが)事情を聞いた上で同意している。 **[[吉岡長増(よしおか・ながます)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B2%A1%E9%95%B7%E5%A2%97]] -初期能力 政治:49 統率:25 知略:78 教養:59 義理:43 特技:収拾 -大友家臣。史実では義鎮と同時に出家し、以後は筆頭家老 兼 毛利家対策の責任者。二階崩れの変以降、臼杵鑑速及び吉弘鑑理と共に「三老」と並び称されて重用される。 --内務の担当者として臼杵鑑速と共に「豊州二老」とも。なお「豊州(または豊後)三老」は内務と軍事でそれぞれ別な概念であり、吉岡長増は名を連ねていない。 --史実で義鎮が本格的に衰えるのは「豊州二老」の両名の死後であり、そういう意味では軍事面で大友を支えた戸次鑑連以上に重要な役割を担っていたとも言える。 -「大内輝弘の乱」にて毛利元就の策を逆手に取り毛利の北九州進出を阻止するなど、軍略家としての記録が目立つが、一時は豊前・筑前・肥前3カ国の内務の統括もしており、政務家としても実績がある。 -本作では大友家の御意見番的存在としてたびたび登場している。子を島津家との戦で喪い、かつその嫁(妙林尼)も秋月家に投降と親族を次々失いながらも、大友家へ一心に忠節を捧げる。 --あくまでも妙林尼は秋月家で客分扱いになっているが、投降を呼びかけたのが涼であるだけに、かなりの誤解を生じているようだ。 -上記のようにかなり頭の切れる重臣だが、ゲームの「仕様」によって対秋月共闘の呼びかけをわざわざ越中の大名に行うという謎な行動をし、多くの視聴者の困惑と笑いを誘った。 --ちくぜんP自身も合理的な理由を付けるのにかなり困ったことがマイリストコメントから伺える。ストーリー上では、「神託」であったらしいということで収拾を付けた。 **[[鈴木重秀(すずき・しげひで)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%87%8D%E7%A7%80]] -初期能力 政治:11 統率:88 知略:82 教養:38 義理:70 特技:斉射弐、神速、破壊 -もとは雑賀鈴木家の人だが、本作では同家がストーリーのかなり早い段階で滅んでしまい、流浪の末に九州まで流れてきた。 -通称に「孫市」があるが、雑賀孫市(または孫一)は雑賀衆頭領または幹部である人が代々名乗る「通し名」であり、彼一人を指すものではない。 -本作では同姓の鈴木彩音と、実の姉弟である。 --ゲーム上では、彩音がストーリー開始時で18歳、重秀が1546年生の設定。ただし重秀の生没年は確たる史料が無く、生年が10年ほどズレた異説もある(『佐武伊賀覚書』など)。 -織田家及び本願寺の一次史料において軍事能力の高さを評する記述があり、雑賀衆の中で一線級の戦闘員であったことは間違いないと言える。 -親族についても謎が多く、多数派説においては鈴木重意の子となっているが、その典拠である『紀州続風土記』が部分的に正確さを欠くことから、異説も多い。 -本作においては、まさに息つくように女を口説く好色。何かにつけて絵理に言い寄っては、姉に鉄拳制裁される。他にも、角隈石宗に口頭で注意されたり、戸次鑑連には懲罰的な調練に参加させられたりと、大友家におけるコメディレリーフ的な存在。 -ゲーム内での教養は低いが、韓信の逸話を完全ではないにしろ把握しているなど、それなりの教養を持っている。 ---- *◆相良家 ---- **[[相良晴広(さがら・はるひろ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%89%AF%E6%99%B4%E5%BA%83]] -初期能力 政治:61 統率:48 知略:54 教養:57 義理:38 特技:無し -ストーリー開始時における相良家当主(第17代)。 -元々は初代当主の四男に始まる分家・上村家の人。しかし、1524年頃より発生していた御家騒動の当事者のひとりであった相良長唯(後の第16代当主義滋)が、中立勢力だった上村家を取り込む条件として提示した縁組により、結果として本家の養嗣子となった。 -歴代当主により個別に制定された諸規定をまとめた「相良氏法度」の完成形を作り出し、自身が当主にあった期間の短さにも関わらず統治の安定を現出した功績が大きい。 -本作では、実父である上村頼興が日高舞と尖鋭的な政敵関係にあることを憂慮し、義陽の将来も含めて重大な懸念を抱いている。 --その上で、義陽が日高愛と実質的に相思相愛であることを知っており、それが上村-日高の対立の材料のひとつになっていることを憂えていた。 -作中時制では第42話にて病死。 **[[相良義陽(さがら・よしひ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%89%AF%E7%BE%A9%E9%99%BD]] -初期能力 政治:57 統率:64 知略:56 教養:59 義理:91 特技:突撃壱 -第43話以降の相良家当主。 -史実では、家督を継いでからの2年間、実祖父である上村頼興により政治を牛耳られた状態であったが、頼興の死後は、その子である上村頼孝の謀反、後には丸目頼美の起こした謀反を退けている。 -本作では、愛に体力勝負では全く勝てない、(史実どおりであるが)家督継承直後から上村頼興の傀儡状態になっているなど、少々頼りない若殿のように描かれているが、真横向きの顔グラフィックを活用した小ネタが多く、視聴者に印象を残している。 **[[上村頼興(うえむら・よりおき)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91%E9%A0%BC%E8%88%88]] -初期能力 政治:60 統率:38 知略:76 教養:65 義理:27 特技:混乱 -ストーリー開始時における相良家の筆頭家臣。 -元々は初代当主の四男に始まる分家・上村家の人。しかし、1524年頃より発生していた御家騒動の当事者のひとりであった相良長唯(後の第16代当主義滋)が、中立勢力だった上村家を取り込む条件として提示した縁組により、結果として長唯に味方し、相良家統一に尽力した。 -義滋や実子である晴広とともに「相良氏法度」の完成形を作り出すなど、安定した治世を築き上げた相良中興に貢献した。 --ただし政治基盤を磐石とするために、家督争いに貢献していた実弟や義弟らを謀殺するなど、かなり黒い人物でもある。 --一方で頼興が生きている間は相良家内部のお家騒動もなく、また外交も巧みで大友や島津といった九州屈指の勢力とも対等に渡り合った。 -本作では謀略家としての側面が非常に強く、大友の謀臣と対等と渡り合い、島津のお家騒動の火種を再点火するなど相当のやり手となっている。 -また孫である義陽と舞の娘である愛の仲の良さを快く思っておらず、結果として日高舞と尖鋭的な政敵関係に陥っている。 --実際に愛の謀殺を企んでおり、上村家主導で何度も敢行している。 --最も相良家内でも有力家である上村と日高が完全に割れたら相良家存続がまずくなることがわかりきっているため、頼興の息子と孫である晴広や義陽らも影で色々と無防備な愛を守るために手を尽くしていたりする。 --舞の実力を再認識していくうちに「下手な真似をすれば逆に自分が潰されるかもしれない」との考えも持ちつつあり、相良家と上村家のためにも日高家を味方につけなければならないと考え始めている。 --ただし前相良家当主である晴広を除く、自身の子達が時勢を読めず「上村家が相良家を支配しなければならない」という幻想に取り付かれており、自身の死後はお家騒動になる可能性を秘めている。実際史実では頼興死後に息子達は義陽から簒奪を試みた挙句に失敗しており、最終的に上村家は処断・断絶しており、非常に危うい状態にある。 **[[深水長智(ふかみ・ながとも)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E6%B0%B4%E9%95%B7%E6%99%BA]] -初期能力 政治:74 統率:33 知略:69 教養:72 義理:87 特技:混乱 -相良家臣。別名は「深水頼方」、及び出家後の「深水宗方」がある。 -晴広・義陽・忠房・頼房の相良4代に仕え、上村頼興亡き後の相良家を巧みな内政と外交で存続させた忠義の人。 -内患外憂が相次いだ相良家の滅亡危機を何度も回避させたどころか、大名家として存続させた手腕から戦国時代における九州屈指の外交官といわれることも。 -現在は「歯の神様」として祭られているとのこと。 -本作においては相良の当主筋の側近として登場。相良家におけるパワーバランスを上手くとることに優れているようで、晴広が死去する際には上村と日高の仲違いを防ぎつつ、義陽の後見をするようにと託された。 --もっとも晴広は急死だったため、晴広が倒れる直前に長智との間で交わされた誓訳みたいなものにとどまっている。 **[[岡本頼氏(おかもと・よりうじ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E9%A0%BC%E6%B0%8F]] -初期能力 政治:16 統率:58 知略:29 教養:61 義理:59 特技:槍衾壱 -相良家臣。本作では、岡本まなみの従兄。 **[[甲斐親直(かい・ちかなお)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%96%90%E8%A6%AA%E7%9B%B4]] -初期能力 政治:78 統率:72 知略:81 教養:82 義理:91 特技:槍衾壱、破壊、混乱 -史実では阿蘇家臣。 -別名は法号である「甲斐宗運」 こちらの通称の方が有名か。 -本作では阿蘇氏が大名として滅亡した後に相良家に仕える。 -史実においては阿蘇家臣の忠義の名将として、数々の戦果を上げている。 --一方で主家への忠義が非常に強く、阿蘇家を裏切ろうとしたものは一族も含めて苛烈に粛清・誅殺した。その非情さもあってか、死因は宗運を恐れた孫娘に毒殺されたという説もあるほどである。 -相良義陽とは年は離れているが誓詞を交わした親友同士だったと言われ、最終的に敵として討ち取る際に涙したとも言われる。 --ただし宗運側の一次資料では事実が淡々としか述べられていないため、相良側の豊富な記述は創作に過ぎないのではないか?いう説も一応存在する。 -本作では阿蘇の大名としての滅亡後は義陽に仕えるというなんとも言いがたいIFになっているあたりが面白い。 ---- *◆毛利家 ---- **[[毛利元就(もうり・もとなり)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E5%85%83%E5%B0%B1]] -初期能力 政治:88 統率:82 知略:90 教養:76 義理:51 特技:槍衾弐・鉄壁・(全体)混乱 -毛利家先代当主。中国三大謀将の一人で、「謀神」「戦国最高の知将」の異名を持つ。 -波乱に満ちた人生を送りながら、幕末まで続いた毛利家の繁栄の基礎を築いた。 -本作では伊織の父親で、正室であり最愛の妻であった妙玖が最後に生んだ娘という設定。そのため伊織は大切に育てられた。 -急速に勢力を拡大した秋月家を強く警戒している。 -尼子経久との関係は大河ドラマ「毛利元就」を強く意識している模様。 **[[毛利隆元(もうり・たかもと)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E9%9A%86%E5%85%83]] -初期能力 政治:76 統率:66 知略:64 教養:71 義理:79 特技:槍衾壱、鼓舞 -毛利家第14代当主。元就の嫡男で領内の人望が厚く、特に内政に長けていたと言われるが、1563年に急逝してしまった。 --謀将の元就や生粋の戦闘屋だった元春や隆景は領内における民衆の受けが今一つ良くなかったといわれ、その分誠実で内政に力を注いだ隆元が相対的に人気であったという。 --隆元の生前でそれを把握していたのはおそらく元就、広良や元相といった父や毛利本家の老臣ぐらいで、毛利両川の当主や家臣からは軽く見られていたと伝わる。 ---このことを憂慮した元就の三兄弟に対する訓示が、故事「三本の矢」として伝わっている。 --そのため早世したあとの毛利家は内政や財務が滞った上、関ヶ原後の大幅な弱体化の呼び水となってしまった。 --内政に長けていたことを亡くなった後にようやく知った元春・隆景は一層結束を強めたとも言われている。 -幼少期をあの大内義隆の元で過ごしたためか、教養が身に付いた代わりに必要以上に穏やかな性格になってしまったと言われている。 --元就や志道広良の再教育でなんとか武将として持ち直したとか何とか。 --ただしそれでも元就からは武将向きの性格ではないと評されていた。 ---少年期の端正な顔立ち、男に好かれる、穏やかな性格というとこの動画のある人物と被っているような気がするのは気のせいか? -本作では伊織の兄として登場。才はあるがじゃじゃ馬だった伊織を毛利家の柱となる姫武将に育てるべく国司元相をつけた。 --伊織の失敗の沙汰に対しても彼女の性格を知った上での罰など、非常に気のいいお兄ちゃんである。 **[[吉川元春(きっかわ・もとはる)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%83%E6%98%A5]] -初期能力 政治:52 統率:85 知略:68 教養:70 義理:82 特技:突撃弐、神速、破壊 -元就の次男。武勇に長け、生涯のほとんどの戦で勝利したとも言われている。 -実弟の隆景と違い秀吉を非常に嫌っていたと言われており、その影響か彼と隆景の死後は毛利家の勢力が分裂・弱体化の遠因となった。 --隆元や隆景と違い3兄弟では唯一大内家での人質時代がなく、その影響で柔軟な対応力が養われなかった可能性もある。秀吉を嫌うなどの生粋の武人に育ったのはそういう背景が影響しているのかもしれない。 -嫁取り(「新庄局」)に関して、諸葛孔明と似たようなエピソードが記録されている。 --ただしこの話は香川正矩の『隠徳記』及びその息子の『隠徳太平記』以外に明確な記述が無い。香川正矩は新庄局の父である熊谷信直との関係が悪かったことから相当脚色した表現であった可能性もあり、あまり信ぴょう性は高くない。 -本作では伊織の兄として登場する。 **[[小早川隆景(こばやかわ・たかかげ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E9%9A%86%E6%99%AF]] -初期能力 政治:83 統率:77 知略:81 教養:72 義理:90 特技:斉射弐、収拾、鉄壁 -元就の三男。知勇兼備の名将で、兄の元春とともに毛利両川として毛利家を支えた。 -輝元の養育係だったこともあり、元春の死後は実質的に毛利家を単独で牽引することとなる。 -本作では伊織の兄として登場する。 **[[志道広良(しじ・ひろよし)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E9%81%93%E5%BA%83%E8%89%AF]] -初期能力 政治:68 統率:39 知略:69 教養:65 義理:56 特技:鼓舞 -毛利氏庶家の名門:坂氏の流れを組んだ志道氏の出。興元~隆元の4代にわたって毛利家の執政家老として仕えた宿将。 --また生年が(1467~1557)と非常に長生きしたことでも知られる。 --実弟に口羽通良がいるが、年齢差が開きすぎているため実子説がある。信長の野望シリーズでは広良の次男として扱われている。 --通良は本作では伊織の直臣となっている。患者だらけの水瀬家臣の中では元相と並んで数少ない常識人となっている。 -特に元就の家督相続に尽力し、その後も隆元の養育係を務めるなど、毛利家を長きにわたって支え続けた。 --上記の経緯から元就をはじめとする毛利家全体からの信頼も厚く、元就からは名宰相とも言われるほどであった。 -本作では伊織の後見役として早くも5話から登場する。 --この時伊織とともにある人物と邂逅するのだが…… **[[国司元相(くにし・もとすけ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%8F%B8%E5%85%83%E7%9B%B8]] -初期能力 政治:40 統率:63 知略:41 教養:50 義理:77 特技:槍衾壱 -毛利家家臣。祖父が毛利氏の一門と結婚したため、一門衆の扱いを受けていたとのこと。 -非常に長寿で生年が(1492-1592)となっている。 -隆元の傅役を務め、隆元から厚い信頼を得ていた。 -本作ではかの有名な「三子教訓状」の出来事があった後、隆元の要請で伊織の目付を兼ねた家臣となる。 --当初は一人前の姫武将としては認めていなかったが、宇喜多直家や尼子経久との戦いを経て姫武将として認めた。 ---- *◆尼子家 ---- **[[尼子経久(あまご・つねひさ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E7%B5%8C%E4%B9%85]] -初登場:5話 -初期能力 政治:82+4 統率:92+4 知略:95 教養:84 義理:2 特技:突撃弐、混乱、破壊 官位:民部少丞 役職:備中守護 --PS2版の天下創世PK追加武将だが、能力値はちくぜんPのオリジナル。 -尼子家先代当主。中国三大謀将の一人で、「謀聖」「雲州の狼」の異名を持つ。 -史実では1541年に84才で病没したが、本作では健在。 --そのため史実で尼子が大内に勝利した(第一次)月山富田城の戦いは、この世界では完全に経久による謀略として知られているようだ。 -とにかく凄い人。詳しいことはニコニコ大百科やwikipedia参照。 --人物設定に関しては、1997年の大河ドラマへのオマージュが随所にある。 -第5話で衝撃的な登場を果たす、いろんな意味で。 --特に紙芝居パートを見てると元就が可愛く見えるぐらい。 --その武威は名前を聞いたり相対するだけでほとんどの将が威圧されるほどである。伊織ですら初顔のときは圧倒された。 --元就との関係は某大河ドラマを強く意識している。いわば元就にとって経久は「畏怖すると同時に共感できる」人物。 --5話の思考部分では元就のことを幼名で呼んでいるので、経久にとっても元就はある意味で弟子のように思っている節がある。 **[[尼子晴久(あまご・はるひさ)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E6%99%B4%E4%B9%85]] -初期能力 政治:55 統率:53 知略:30 教養:66 義理:47 特技:突撃壱 -尼子家第5代当主。尼子政久の次男で経久の摘孫に当たる。初名は詮久。 -史実では1537年に経久の隠居により家督を継ぐ。 -大内や毛利と対等に渡り合い、尼子氏の最盛期を築くが1561年に47歳で急逝した。 --祖父・経久が出来なかった尼子の中央集権化を上手く進めてた矢先の死だった為、やむをえなかったとはいえ新宮党粛清で一族が減った傷痕が癒えぬまま、尼子氏は結果として急速に弱体化することになった。 --経久の影に隠れがちではあるが、自身も毛利元就や大内義隆といった名将相手に対等に渡り合っており、本来もっと評価されてもおかしくない人物だが、天下創世での能力は…… -本作では春香の父に当たる。京帰りの春香と口論したあとに出奔させてしまうが、高木座長の計らいも合って動向を把握していた。 --上記の口論の原因は春香が好きな芸や唄を禁止したことによるものだが、これは自身の父・政久が笛の音によって命を落としたこと起因した晴久なりの親心であった。 --春香は立花山で涼や愛の尽力もあって後に帰参し、これを機に高木座長とともに芸や歌の公演を許可している。 -ストーリー上での登場の時点で史実での寿命を既に超えているせいか、若干病気がちのところがある。また美作における患者VS愚民のしょーもないケンカのせいで心労がかさんでおり、色々不憫なところがある。 **[[山中幸盛(やまなか・ゆきもり)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%B9%B8%E7%9B%9B]] -初期能力 政治:14 統率:72 知略:37 教養:54 義理:100 特技:槍衾弐、(鼓舞) アイテム:三日月兜 -名は「鹿介」の方が有名か。史実通り、尼子家の家臣として活躍している。のちに頼山陽の詩にて「鹿どころか麒麟」と評されたほか、後世の多くの政治家からも讃えられた武勇と忠義心を持つ。 --鹿介と自署した手紙が現存していることから、鹿「之」介は誤り。 -生涯を尼子家復興に捧げ、まさに日本人好みな、御家再興に身を尽くす様が現代でも語り継がれている。 -現在の三菱UFJファイナンスグループの源流のひとつである「鴻池財閥」の家系は彼の子孫とされる。 -本作では、愚連隊ならぬ愚民隊の切り込み隊長。主家の娘である春香に恋慕に近い尊敬を抱いている。 --もっとも、彼の空想世界においては、春香はまごうことなき「春閣下」となっている。 -『太閤記』『後太平記』『名将言行録』など多くの史料にその名を残すが、史料ごとに出生地や生没年にバラツキがあり、特に元服以前の動向には不明点が多い。 ---- *◆大内家 ---- **[[大内義隆(おおうち・よしたか)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E7%BE%A9%E9%9A%86]] -初期能力 政治:76 統率:66 知略:27 教養:72 義理:30 特技:槍衾壱 -大内家第31代当主。 -史実においては特に政治手腕に長け、大内家最大勢力をも築くなど名君だったが、1542年の第一次月山富田城で尼子晴久に惨敗を喫し、この戦いで養嗣子であった大内晴持も失って以後は大名としての覇気を失い、政治・軍事を省みなくなった。 -その後、1551年にかつて重臣であった陶晴賢ら武断派の謀反にあい、自害した(大寧寺の変) -以上が簡単な史実だが、謀反の要因の一つに義隆が戦国時代屈指の衆道好きだったのも原因とも言われる。以下にいくつかエピソードをあげる。 --大内家内の重臣のほとんどの他、人質だった毛利隆元や小早川隆景を厚遇した上で食した。 --あまりに同性愛が過ぎて、最初の正妻が逃げた。 --「残念ながらホモはNG」とうっかり発言したザビエルに激怒、キリスト教の布教を許さなかった。 --謀反した陶晴賢はかつて寵愛されていたが、月山富田の敗戦以後は遠ざけられていた。 -ここまで来ると凄まじいものである。涼ちんが大内家に行ったら食われていたのは間違いない。 --涼の存在自体は既に知っていたと思われ、陶晴賢が叛乱を決心するきっかけになったやりとりの中で名前が登場する。 -本作では大寧寺の変が1557年であったことに変更されているが、基本的に史実と変化は無し。 **[[大内義長(おおうち・よしなが)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E7%BE%A9%E9%95%B7]] -初期能力 政治:32 統率:18+4 知略:10 教養:63 義理:56 特技:なし 役職:周防守護 -大内家最後となる第32代当主。大友宗麟の実弟であり、先代の大内義隆の甥であり猶子。 -数奇な運命をたどった人物であり、大内家を始めとした各所から認めてもらえなかった悲運の人物。 -本人は決して無能というわけではなかったが、西国一の侍大将と言われた陶晴賢の傀儡という世間の認識に加え、叔父の義隆や兄の宗麟が戦略家として優秀だったのも彼に取って不幸であっただろう。 -その経緯から晴賢死後は求心力を失い、最期は兄にも見捨てられて1557年には毛利家の要求通り自刃し、大内家は滅亡した。 -上記の件から、コーエーでは逆チートを受けている武将の一人。本作ではパラメータに唯一歴代でも高めに設定されている教養があるため、何とか能力的にもダメ殿からは逃れている分だけ救いがある。 -本作では「王の挽歌」や『毛利元就』の影響を受けている他、晴賢とのやり取りでも傀儡というより主君と部下の関係を保っており、良好な関係にある。 --一方で兄の大友義鎮のことを内心よく思っていない。立花山では兄の援軍要請を黙殺したり、大内家の家督相続の際の訓示を軽く見てしまっている。 --無能でこそないが義隆と比べると器量不足で、それを本人が気づいていないのが致命的であり、晴賢がそのことを嘆くシーンも。 **[[陶晴賢(すえ・はるかた)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%99%B4%E8%B3%A2]] -初期能力 政治:67 統率:78 知略:69 教養:45 義理:50 特技:破壊、突撃壱 -大内家臣。初名は陶隆房で、西国一の侍大将と言われた猛将。 -政治的関心を失った主君・義隆を自害させ、大内家の実権を握るが吉見・毛利らの離反を招いた。 -その後1555年に厳島の戦いで毛利家に敗れて自害した。 -本作では大河ドラマ『毛利元就』の影響を大きく受けており、人物像もそれに準拠している面がある。 --自害させたとはいえ、本来は義隆の寵愛を受けていた重臣であり、自害した後もかつての主君を敬愛している様子が描かれる。それも踏まえて謀反も主家のためだったという面が強調されている。 --資料によっては義隆を自害させた後は情緒不安定に陥っていたとも言われており、このことが強い猜疑心や器量の乏しさを引き起こしていた可能性もある。 -本作では直臣である小鳥の影響でいくらか猜疑心が抑えられており、弘中隆兼・江良房栄らが晴賢の元で本来の力を発揮できている。 #region(close,ネタバレ<コメント>) ネタバレ<コメント> 第60話にて、尼子・秋月連合軍に攻められ、当主の大内義長を喪い、指月城が落城。その後、大内家の 後継者を決められぬまま再度、尼子・秋月連合軍の侵攻を受け敗北、山口館が陥落。落ち延びて、 居城の富田若山城に向かう途中、尼子軍の追撃により負傷。覚悟を決めて、自刃した。 #endregion ---- *◆長宗我部家 ---- **[[長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E5%85%83%E8%A6%AA]] -初期能力 政治:76 統率:82 知略:83 教養:67 義理:11 特技:槍衾弐、神速、鼓舞 -長宗我部家第21代当主。「元」の字は史実での当時の土佐守護である細川京兆家の通し名をもらったものであるため、同じ経緯で一字をもらった第15代当主と全くの同名である。 -本編ストーリー開始の時点ではまだ「姫若子」だった。初陣が実はやよいと同時期である。 -湯築合戦にて金星を挙げたやよいを、一領具足の一人から公的にも抜擢した。本作では、威厳を漂わせながらも優しく見守る兄のような立ち位置になっている。 **[[吉良親貞(きら・ちかさだ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%89%AF%E8%A6%AA%E8%B2%9E]] -初期能力 政治:46 統率:72 知略:57 教養:43 義理:65 特技:突撃壱 -元親の弟(国親の次子)。22歳で土佐吉良家の養子になり、同家を継いだ。 -史実では、一条家の討伐と追放に大きな功績をあげるも、土佐中村城城代となって間もなく夭折している(生没年:1541~1576)。 -本作では、自他ともに認める筋金入りのやよいスキーであり、やよいに手紙の上で「お兄ちゃん」と呼びかけられただけでも士気が急上昇する。 --実はそういう人となりを知る者の作った偽書であったが、戦に勝つ上では意味があった。 --やよいが心配なあまりに任地を放置して湯築までやってきたほどで、のちに元親から「やよいへの接触禁止」の処分を受ける事態に(無期限ではなかったようだが)。 **[[香宗我部親泰(こうそかべ・ちかやす)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E8%A6%AA%E6%B3%B0]] -初期能力 政治:74 統率:66 知略:73 教養:68 義理:79 特技:槍衾壱、鼓舞 -元親の弟(国親の三男)。国親の意向で14歳の時に香宗我部家の養子になる。 -史実では、安芸城→海部城と拠点を変えつつも長兄の補佐として四国各地で転戦する。 -一方で外交方としての能力も高く、織田信長とも度々接触していた。 -本作では、暴走機関車な次兄へのツッコミ役として描かれることが多い。 **[[谷忠澄(たに・ただずみ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%BF%A0%E6%BE%84]] -初期能力 政治:73 統率:28 知略:73 教養:67 義理:69 特技:収拾 -長宗我部家臣。『日本人名大辞典』では土佐神社の神主が出自とあるが、ゲームでの出自は僧侶。 -外交分野での活躍が多く、のちに主家滅亡を回避した功績などが有名である。 -本作では、やよいの補佐役として登場している。 ---- *◆龍造寺家 ---- **[[龍造寺隆信(りゅうぞうじ・たかのぶ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%80%A0%E5%AF%BA%E9%9A%86%E4%BF%A1]] -初期能力 政治:42 統率:77+4 知略:54 教養:55 義理:10 特技:槍衾弐、破壊 役職:肥前守護 -龍造寺家第19代。有名なことだが曾祖父の家兼が存命中は仏門にあったため、ゲーム上でも出自が僧侶に設定されている。 -肥前守護の役職があるのは、敵側の強化の一環でとしてちくぜんPがデータ改変で付けたもの。 -ゲーム上ではすぐ隣の有馬家を併呑した以外に拡大することのないまま、秋月家と全面戦争になり、紆余曲折の末に吸収された。 --なお、有馬家を滅ぼした際に大村純忠を処断したため、有馬晴純とはゲームのデータ上で敵対関係にある。 --もっとも、秋月家との決戦において槍衾を発動して1000以上の兵力を失わせたり、種実の奇襲や挑発に何ら乗らず引き上げる余裕を見せたりするなど、秋月家にとっても難なく征服できたわけではない。 -のちに秋月家の一家臣として生きる道を選ぶ。 --秋月に降った後は完全な雪歩スキーに。涼を愛でる秘密結社の面々ほどのダメ人間ではないが、君主業を面倒くさがってた部分があったことも影響してか、秋月家に馴染むのも早かった模様。 --戦場以外の場所では豪快に昼寝をしていることも多い。 -本作では曾祖父の家兼がストーリーの途中まで存命であったため、絶対的な抑え役があるという効果があって、むしろ鍋島直茂よりも言動が思慮深い。 -ちくぜんPが『信長の野望・創造』における公式顔グラフィックに「茶碗と箸を持っているところ」という印象を強く持ったゆえか、大飯食らいな描写がよく見られる。 --雪歩のこしらえたものであれば、一気に5合盛の米を食べるのも平気だそうである(合は体積の単位なので単純な換算はできないが、5合≒750グラム)。 **[[龍造寺家兼(りゅうぞうじ・いえかね)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%80%A0%E5%AF%BA%E5%AE%B6%E5%85%BC]] -初登場:8話 -初期能力 政治:66 統率:86 知略:81 教養:71 義理:43 特技:槍衾弐、破壊、鼓舞 --PS2版の天下創世PK追加武将だが、能力値はちくぜんPのオリジナル。 -元は龍造寺本家ともども小弐家臣。数々の戦功を上げたが、さまざまな要因が重なったこともあって馬場頼周の謀略により一族のほとんどが死亡。 --もともと龍造寺家は少弐家に従属する立場であったが、少弐資元(冬尚の父)が大内義隆に攻撃された際に積極的支援をしなかったことで、恨みを買っていた。 -蒲池鑑盛の元に落ち延び、彼と鍋島清房(直茂の父)の後援を受けて馬場頼周を討ったが、その後病に倒れ、曾孫の隆信を後継者に指定し93歳で大往生した。 --隆信は龍造寺最大の勢力を築いたが、治世の後半では国人の造反を招いて没落の切っ掛けも作るなど、鍋島家と主従が逆転してしまう切っ掛けを作っている。 ---龍造寺隆信と鍋島直茂は義兄弟だが、従兄弟の血縁関係でもあるので龍造寺の一門衆である。これも鍋島家が家督を継げる状況の一つでもあった。 --もし家兼が隆信を大名として養育できていれば、猜疑心は押さえられて没落はなかったのではないかと考える人もいる。 -史実では1546年に没したが、本作では健在。 -島津中興の祖である島津忠良とよく比較されるが、年齢が40近く離れていたこともあって戦うことはなかった。 -能力は高次元でまとまっており頭も切れるが、真が絡むとただの好々爺であるため、本作ではそちらの印象の方が強い。 #region(close,ネタバレ<コメント>) ネタバレ<コメント> 1561年に秋月と3度も激戦を繰り広げたのが102歳の老骨に堪えたのか、 直鳥城の戦い(39話)で秋月軍に大敗した際の退却中に陣没。 (ゲーム上は1561年晩秋に死亡。このターンには朝倉宗摘・北条氏綱(登録武将)と大物武将が同時に亡くなっている) (またNPC同士の合戦でも動きがあり、三好・尼子・長宗我部が一気に勢力を広げた) 遺言は直茂に対し「隆信を頼む」、真に対して「泣き顔より笑顔の方がよい」であった。 隆信・直茂・真らが龍造寺の家名を潰さずにすむと見たのか、安らかな顔で大往生した。 #endregion **[[鍋島直茂(なべしま・なおしげ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%8B%E5%B3%B6%E7%9B%B4%E8%8C%82]] -初期能力 政治:83 統率:81 知略:81 教養:72 義理:44 特技:突撃弐、鉄壁、破壊 -鍋島清房の次男。もともとは龍造寺隆信の実母である慶誾尼が清房と再婚しており、隆信とは義兄弟の関係。なお直茂の実母は龍造寺家純の娘。 -当初は涼を「しょせん一門衆だから重用されているだけ」と侮るが、その策略に大敗を喫する。 -捕えられても初めは帰順を拒否していたが、晴種の説得に応じて秋月家に仕えるようになる。 -以後、知勇共に優れる将として活躍しているが、本作では何かと血の気が多くかつ野心的な性格である。 -その性格のせいか、大友に利用されたり相手を侮ったりでたびたび戦で痛い目に合わされている。 ---- *◆織田家 ---- **[[織田信長(おだ・のぶなが)>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7]] -初期能力 政治:90+5 統率:82+4 知略:86 教養:76 義理:40 特技:斉射弐、神速、破壊 官位:弾正少忠 役職:尾張守護 -本作は九州が中心になっているためあまり出番は無いが、九州以外の地域を取り上げるストーリーに時折登場している。 -前田慶次と対等に渡り合うなど無双を繰り広げるシーンが度々あるが、官位・役職の新たな設定と顔グラフィックの変更以外に、データ操作はされていない。 -本作では『信長公記』の記述を取り入れた描写が多い。また、早い段階から黒井崇男の黒井衆を取り込んであるためゲーム開始時から経済力が高い。 -彼を無神論者とする議論が多いが、戦勝祈願を行ったことがある事実や、火起請にまつわる伝承などから、近年では純然たる無神論者というわけではなく、宗教がその権威を借りて政治に介入することを嫌っていただけとの解釈もされている。 -また、「政治体制が、のちに欧州で主流になる絶対君主制を意図したものであった」「知的能力や発想力が図抜けていたが、コミュニケーション能力に大きな難があった」など、近年の研究の進化により、人物像の解釈が以前とは異なってきている。 --現代医学の観点で信長を分析した論文・著作も多くあり、特にアスペルガー症候群説や糖尿病説には傍証が多い。 以下順次追加予定

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