瑞鳳(天海提督の決断)



■瑞鳳(天海提督の決断)


概要

 第一機動艦隊旗艦であり、如月千早提督座乗艦。「瑞鳳」型軽空母一番艦(祥鳳型二番艦とする資料有)。
 給油艦「高崎」から改装された基準排水量11,200tの軽空母ではあるが、空母としての竣工は昭和15年12月27日と地味に新鋭艦。
 ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約に制限されない艦艇である給油艦でまず建造し、
 戦時には直ちに出力増強と改装を行って空母にするという、ちょっとずるくも涙ぐましい計画に従って建造された。実際には途中でロンドン条約が失効したため給油艦の状態で出力増強、途中で空母に改造しやすい潜水母艦という形態を経て空母になった。
 その工事の過程で様々な混乱があったようで、無線マストの固定のされ方を着艦指揮官が見て「発艦不能」と判断し工事をやりなおしさせたり、いざ発艦という時になって飛行機が前部対空火器に衝突する、など様々な苦労がにじみ出る艦である。
 ちなみにこの艦は艦橋構造物がなく、飛行甲板はまさに「フルフラット」。
+ 以下ネタバレ注意
新型正規空母「蒼鳥」就役後は、新規に創設される第三機動艦隊旗艦となる予定。…だったのだが、これは死亡フラグである。第十五話、ハワイ沖海戦において米基地航空機180機の猛攻に晒され、大火災が発生し消火不能と判断、総員退艦命令が発された。如月千早提督以下主だった乗員が離艦した後、燃料タンクに引火して大爆発を起こし、一瞬にして艦長ともども太平洋の底へと姿を消した。

艦歴

 1935年(昭和10年)6月20日 - 高速給油艦「高崎」として横須賀海軍工廠にて起工
 1936年(昭和11年)6月19日 - 進水
 1938年(昭和13年)9月15日 - 建造中に潜水母艦へ計画変更
 1940年(昭和15年)1月 - 更に計画を変更、航空母艦改造に着手
 12月15日 - 航空母艦に類別変更、「瑞鳳」と改名
 12月27日 - 竣工
 1941年(昭和16年)4月10日 - 第1艦隊第3航空戦隊に編入
 12月1日 - 第1機動艦隊第1航空戦隊に編入、同機動艦隊の旗艦となる
 12月8日 - 柱島泊地を出撃し南方作戦に参加
 12月23日 - マレー沖海戦に参加
 1942年(昭和17年)1月28日~30日 - ニューギニア近海海戦に参加
 3月24日 - 第4次トラック沖海戦に参加
 4月18日 - ポートモレスビー上陸作戦に参加
 4月24日 - タウンズビル攻略作戦に参加
 9月11日 - ハワイ沖海戦にて沈没
+ ...
第1機動艦隊第1部隊を第1航空戦隊として掲載

性能諸元

 排水量 基準:11200トン、公試:13,100トン
 全長 205.50m
 全幅 水線幅:18.0m
 吃水 6.64m
 飛行甲板 長さ:180.0m x 幅:23.0m
 エレベーター2基
 機関 主缶:ロ号艦本式重油専焼水管缶4基
 補助缶:ロ号艦本式重油専焼缶2基
 艦本式オール・ギヤード・タービン2基
 2軸、52,000馬力
 速力 28 ノット
 航続距離 18ノットで7,800カイリ
 燃料 重油2,320トン
 乗員 792名
 兵装 40口径12.7cm連装高角砲4基 25mm機銃 連装4基
 搭載機 艦上戦闘機18機、艦上攻撃機9機、補用3機(艦戦)

歴代艦長

艤装員長

  1. 江口松郎 大佐:1940年4月24日 -
  2. 野元為輝 大佐:1940年10月15日 -

艦長

  1. 野元為輝 大佐:1940年12月27日 -
  2. 大林末雄 大佐:1941年9月20日 -
  3. 山口文次郎 大佐:1942年7月14日 -
+ ...
史実の艦長を掲載しているため、本当にこの通りだったかどうかは不明

エピソード

 第1機動艦隊指令如月千早中将(当時)はこの艦に並々ならぬ想いを抱えていたらしく、第2次世界大戦終結10年後に起工されたジェット機運用型空母を「瑞鳳型」と名付けている。

参考文献



  • 駆逐艦雪風のことと空母赤城のことが知りたい。 -- 高橋少尉 (2009-09-15 19:53:19)
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最終更新:2009年09月15日 19:53
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