作品別用語集 - シンガポール沖海戦(天海提督の決断)



■シンガポール近海海戦(天海提督の決断)


背景

 1941年12月23日のマレー沖海戦に於いて英国東洋艦隊は壊滅状態になったが、英国海軍は直ちにイラストリアス級装甲空母『インドミタブル』『フォーミダブル』を中心とする機動艦隊をマレー沖に派遣した。
 一方帝國海軍はニューギニア近海海戦を終えた第1機動艦隊をそのままブルネイに回航させ、1942年2月23日にシンガポールに向け出撃。
 翌24日シンガポールを空襲するが、英国機動艦隊を発見する事には失敗した。
 元々の目的がシンガポール攻略ではなく英国機動艦隊撃滅であった以上、即座に第2派を出撃させるのは得策ではないと判断した第1機動艦隊司令部は、第2派出撃を昼過ぎまで見合わせ、索敵に専念する事を決断。
 正午過ぎに機動艦隊を発見し、即座に如月千早中将は攻撃隊発進を下令した。


交戦戦力(日本軍の沈没艦は駆逐艦を含めた戦闘艦艇全てを、それ以外の日本軍艦艇は巡洋艦以上を表示)

+ 日本軍
第1機動艦隊(艦隊旗艦軽空母『瑞鳳』 艦隊司令如月千早中将)
航空隊計318機
+ 英国軍
第3艦隊(艦隊司令L・マウントバッテン中将)
空母2
戦艦5
巡洋艦5
輸送船32
直掩機36機

損害

+ 日本軍
航空機6機
+ 英国軍
沈没
空母2
戦艦5
巡洋艦4
輸送船17
直掩機36機

戦闘経過

 第1機動艦隊第1次攻撃隊318機の強襲を受け、英国第3艦隊は空母『インドミタブル』『フォーミダブル』戦艦『ウォースパイト』巡洋艦1を撃沈される。
 これを受け英軍第3艦隊司令マウントバッテン少将は残存艦をシンガポールへ逃げ込ませる事を決意する。
 しかし、翌26日正午、英軍第3艦隊はシンガポール基地入港直前に偵察機に発見され攻撃を受けると言う最悪の結果に陥ってしまう。
 この空襲で『リベンジ』『ラミリーズ』『ロイヤル・サブリン』『レゾリューション』の4隻のR級戦艦と巡洋艦3輸送船半数以上を失い、巡洋艦1と輸送船のみとなってしまった英軍第3艦隊はシンガポール入港を諦め、コロンボ基地へ敗走した。

エピソード

 シンガポール基地への第2次攻撃を正午過ぎまで遅らせたのには、陸上基地への空襲ならば薄暮空襲になっても大丈夫であるとの第1機動艦隊司令如月中将の判断があった。

参考文献




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最終更新:2009年03月09日 15:05
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