主要合戦集-アイマス戦記『秀吉』其の弐


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ここでは「アイマス戦記『秀吉』」における主要な合戦の解説をしています。
アイマスキャラおよび史実に存在する武将については其の壱を、オリジナルキャラおよび作中に登場する用語、年表については其の弐を、尾張平定戦から木曽川の戦いまでは其の壱を参照してください。


東三河攻防戦


三河失陥により危機感を抱いた今川家が、斉藤家と同盟を組んで引き起こした戦い。
この合戦に敗北した事により、今川家の威信は大きく減退する事になる。

+詳細
  • 開戦前の状況
木下家の急激な伸張に危機感を抱いた今川義元は美濃の斉藤義龍と同盟。
木下家に両面作戦を仕掛ける事で、一気に木下家の打倒を測る事を決意する。

今川義元の考えた戦略は以下である
まず、第一段階として木下家主力を東三河国境におびき寄せる。
そして第二段階として、斉藤家に尾張を突かせる事で、対今川戦線の兵力を減少させる。
更に第三段階として、内応に成功した東三河の国人衆を蜂起させ、東三河の木下勢を包囲殲滅。余勢を駆って木下家領国に攻め込む。
海道一の弓取りにふさわしく非常に手堅い戦略であり、事実第二段階までは完璧に義元の構想通りに進んでいる。

  • 序盤戦
当初の戦略どおり、今川勢は義元自ら主力軍を率いて東三河国境に着陣。対する木下勢も、秀吉自らが主力を率いて双方にらみ合いとなる。
事態が動いたのは、斉藤家が尾張に侵攻し、秀吉が丹羽長秀に守備を任せると、自身は精鋭を率いて尾張戦線に舞い戻った事である。
まさしく義元の戦略が完璧に進んだと思わせる瞬間であった。
しかしながら、ここで義元にとって思いがけない問題が生じる事になる。
兵力減少を受けて尚、罠である可能性も考え情報収集を行っていた義元に、残留した木下勢が大量の鉄砲を装備している情報が入ったのである。実際には、鉄砲を装備した大半の木下兵は、鉄砲を取り扱った事のない兵であり、実戦力としては殆ど役に立たないものであったのだが、そのような事実を義元が知るはずもなく、第三段階に移行するのを一時延期する事にしている。
ところが、この決定を東三河調略担当の鵜殿長照が意味を取り違え、内応していた東三河国人衆に蜂起の延期を伝えないという失態を犯し、そのことを知らなかった東三河国人衆はかねてからの作戦通りに蜂起した挙句、木下勢に叩きのめされる事態になる。
このことを知った義元は、鵜殿を叱責するも、最早どうしようもない状態であった。

  • 中盤戦
これ以後、今川軍内では、損害覚悟して強攻するべきであると言う意見と、状況の変化を待つべきであると言う意見に分裂して、無為に時間を費やすばかりとなっていた。
最終的には義元の裁断の下、「鉄砲を防ぐ策があれば強攻するが、ない場合は状況の変化を待つ」という方針が採られる事になるのだが、その決定が下された時、斉藤家敗北の報が陣中にもたらされ、義元の戦略が完全に破綻した事が明らかになる。
この時点で、今川の敗北は最早明らかになっていたのだが、それを認めることは政治的に不可能であり、斉藤家敗北の報の後に木下家残存兵力が撤退を開始した際、罠である可能性を承知した上で、主力軍を東三河の親今川派国人衆の拠点である吉田城に入城させ、撤退する軍勢に対しては、先に失態をした鵜殿と遠江衆に追撃を行わせ、何とか状況を今川有利に変えようとする。
しかし、鵜殿勢は待ち構えていた木下勢によって打ち破られ、吉田城も木下勢に取り囲まれると言う最悪の結果に陥り、最早今川家は風前の灯となっていた。

  • 終盤戦
この状況に介入したのが武田家である。
武田にしてみれば、木下家とは密約を結んでいるとはいえ、木下家の急激な伸張はあまり好ましいものではなかった事と、同盟国である今川家が危機に陥れば、武田家の親今川派が確実に援軍を出すよう主張し、対長尾に集中したい信玄にとって面倒な状況になるため、両国の和睦を斡旋したのである。
この斡旋に、木下家は継戦能力に不安が出ていた事、本来美濃攻めこそが木下家の主目標であった事から、今川家がこちらに詫びるのであれば、東三河を今川に割譲するという案を出す。
この木下家の提案を、義元は、本合戦で今川家が敗北した事を明確に示す事への不利益、並びに木下家の譲歩として出された東三河の割譲も、実際には統治が困難な地域を押し付けただけであることを正確に理解していたのだが、既に打つ手のない状況である事には変わりなく、結局和睦案を受け入れる事になる。

  • まとめ
三河攻略戦でもそうだが、本合戦においても今川義元の戦略は堅実であり批判される部分は少ない。
敢えて問題があったとするならば、戦略の根幹として「斉藤勢が木下勢に打撃を与える事or長期間木下勢を拘束できる事」としていた事であろうが、それが達成されなかったとしても、木下家の残存兵力を撃滅できれば、少なくとも面目は立っていたであろう。
今回の義元の敗因は、やはり家臣団の無能さであろう。
特に鵜殿のミスについては、東三河国人衆の早期無力化を引き起こす失態であり、仮に東三河国人衆の戦力が健在であった場合は、彼等を木下家の残存兵力にぶつける事で、残存兵力の戦力を測る事が出来た訳だから尚更である。
もっとも、有能な家臣団を育成する事に失敗した点については、義元の責任も免れない。
この合戦の敗北は、今川家がこれまで築いてきた威信を大いに傷つける事になり、義元は木下家への憎悪だけでなく、今川家に不利な和睦を斡旋させる事になった武田家に対しても恨みを持つ事になる。


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