加地まとめ @Wiki コピペ


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たったひとりで50メートルをドリブルした玉田が、
敵3人のタックルに沈むのを、川口は遠い目で見ていた。
主審は“わざと相手の上に倒れた危険行為”で、速やかに日本側に
レッドカードを出した。しかし、もう抗議する者はなかった。
ロスタイム14分経過。
フィールドには誰もいない。
いや、正確には12人の敵がそこに立っている。全員が無表情に、
孤立無援のGKを眺めている。

開始2分に不可解なファウル判定でレッドカードをもらったアレクス。
彼が両手で鼻をほじるという男気を見せつけて退場したのは、もう遠い過去の
ようだ。それはホスト国のなりふり構わぬ「狩り」序章に過ぎなかった。
日本3人目のレッドカードまでは怒り狂っていたジーコはいまや押し黙り、
ついさっきリアルで1人殺してきたかのような形相で仁王立ちしている。
前半終了までに既に交替メンバーを使い果たし、もう1人も枠は残っていない。
ついでにジーコの頭頂部にももう毛髪は残っていない。

この試合、中澤だけが、日本代表で唯一カード以外でピッチを後にした。
4人対11人で迎えた後半40分、中澤は、全ての体力を使い果たしてもなお、
迫る敵の群を止めんとその中に飛び込み、真っ白い灰になって燃え尽きた。
最後まで2本の足で立ち続けたその姿を、後日、スポーツナビ記者は
「まるで綿毛になったタンポポのようだった」と記している。
理性を総動員して耐えに耐えていた宮本がついにブチ切れ、
ワレ、ボケ、ドアホ等と主審を罵倒しながら羽交い締めでピッチ外へ
引きずり出されたのは、中澤の玉砕の直後だった。
大阪弁だったのはどうせ何語で話しても通じない相手だからだろう。
そして最後に残ったフィールドプレーヤー、玉田もついに散っていった。

川口は、奇跡を信じた。
ほぼ5分おきの退場者で細切れになったプレーのため、信じがたいことに、
スコアは未だ0-0。
1点が入れば…そしてあと1分のロスタイムを俺が耐えれば…

主審が遅延行為を取ろうとカードに手を伸ばした瞬間、
川口は対岸のゴールめがけ、思い切りボールを蹴った。
日本国民すべてが、八百万の神に祈った。
だが…とうの昔に疲労ピークを超えている川口のキックは力及ばず、
ゴール手前10メートル付近を着地点に定め、空しく宙に弧を描く。
相手キーパーは、余裕綽々でその軌道を目で追い― 驚愕で立ちすくんだ。
いるはずのない、青いユニホームの男がいる。
その男は川口のゴールキックを胸で拾い、驚いて固まっている面々を後目に、
ボールを相手ゴールに突き刺した。

会場が静まり返った。
静寂をやぶったのは、日本の得点、そしてロスタイム終了を告げるホイッスル。

「アイヤー!! ヤツはスタメンだったアルかーーー!!?」
「ペットボトル係だと思ってたアルよ!!!  騙されたアル!!!」

決勝ゴールの男は、スタンドから投げ込まれたペットボトルを拾い、
静かに、そしてきれいにライン横に並べた。



この春、4歳の息子が近所の保育園に通うことになった。
友達はできたかとか、保育園の様子はどうかとか、息子にいろいろと話を聞いたところ、
先生は男の人なのだという。「ちょっとサッカーがうまいんだよ」と息子。

妻にもそのことを聞いてみたら、
「その先生、昔、ちょっとサッカーをやっていたことがあると言ってたよ。
でも、子供が好きだから、サッカーをやめて、保育士の資格を取ったんだって」
とのこと。私は「珍しい人もいるものだ」と思う一方、その先生にほのかな好感を持った。

その年の秋、運動会があるというので、息子の通う保育園に私が初めて足を運んだときのこと。
なんとグラウンドで子供たちと一緒に楽しそうな笑顔を浮かべているのは、加地亮、その人だった。
何かの見間違いではないかと思ったが、たしかに彼に間違いなかった。
妻の話を聞いてからこの瞬間まで、私は彼の名前などすっかり忘れていたのだった。
忘れもしない、8年前の2006年のドイツワールドカップ、ベスト4に入った日本代表のレギュラーで、
右サイドを颯爽と駆け抜けた加地さん。予選突破をかけたブラジル戦では、後半ロスタイムに
奇跡のゴールを奪った加地さん。私の中で、あの熱い日々が、走馬灯のようによみがえってきた。
その彼が今、子供たちと一緒に屈託のない笑顔を浮かべている。
グラウンドの大きさは違うとはいえ、あのときと同じ、いや、あの時よりも、いい笑顔だ。

運動会の終わったあとで、私は「加地先生!」と声を掛けた。
「いつも息子がお世話になっています」と私は挨拶をし、それから、おかしなことだが、
握手を求めてしまった。加地さんちょっと照れながら、私の手を握り返してきた。
「おとうさん、加地先生、サッカーうまいんだよ!」と、私の傍らで息子が言っている。
加地さんは朴訥な口ぶりで「昔、ちょっとサッカーをやってたんですよ」と照れ笑いを浮かべた。
私は、あの2006年ワールドカップのことが口に出かけたが、やめておいた。
目の前にいるのは、日本代表の加地さんではなく、保育士の加地さんなのだ。
息子や妻にとっては「ちょっとサッカーがうまい」先生だ。それでいいじゃないか。

私は「これからも息子をよろしくお願いします。サッカー、教えてやってください」とだけ告げた。
加地さん……いや、加地先生は「はい、頑張ります」と言った。
私は、彼の第二の人生を、ひそかに応援している。


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